2011年
目次
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10月
11月
12月
12月31日(土) ついに大晦日
 今年1年もついに終わるのかと思えば感慨深い。
 今日の夜には千歳から娘一家がやってくる。
 後5時間もすれば家内戦争の様な事態になる。
 それまでの間にブログを書いてしまおう。
 今日は快晴の天気で気温も3度と暖かった。
 明日の初日の出は予報では函館方面は出ない。
 でも今日の天気を見たら、明日の予報は外れてるんだろうと考えてしまう。
 まずは準備だけはしておこうと、バックパックに荷物を詰める。
 今回はフル装備にした。
 テントや寝袋も持参する。
 自転車も押して登る予定。
 2012年の元旦にあたり、天気はともかく登るのが良いのかもしれない。
 まあ孫達が来て大騒ぎになるので何とも言えない状況ではある。
 我が地平線会議野宿党の安東党首もアフリカから帰国して、恒例の稚内初日の出キャンプに自転車で来るようだ。
 −50度のシベリア1万6千kmを歩いて、植村直巳賞を取った男にとって−20度程度の気温は何とも思っていない所が凄い。
 自転車やウェアもシベリア仕様なのだ。
 ウェアは全く継ぎ目の無いダウンでスポンサーのメーカーが開発した。
 とにかく凄い。
 絵になる写真だ

 ただ雪野原が広がるのみだ
 こんな人の活動を見ていると、年を取っても出来る限り、やる事はやるという気持ちになって来る。

 刺激されて2009年の元旦に恵山に登った。
 少しは安東党首の気持ちが分かった。

 かなり見劣りするな・

準備だけは終わった
 今年1年、ブログを見て下さった方にお礼を申し上げます。
 また来年新たな活動に向けて頑張ります。

 夢をあきらめないで・・・
12月30日(金) 正月の準備
 年末が刻一刻と近づいて来る。
 今日はしめ飾りを買いに行って、玄関外に取り付けた。
 あとは鏡餅を玄関に飾った。
 輪飾りも水道などに付けた。
 一夜飾りは駄目と言われているのと、今日は大安と言うので今日に決めた。
 普段はそれ程信仰があついと言う事も無いのだが、何故か気になるものだ。
 GHは小さいので我慢

 昨日寛政11年の紀行文を読んで、そこから旧道を調べると言う作業をしていた。
 読んだのは、渋江長伯の『東遊奇勝』と谷元旦の『蝦夷蓋開日記』の2冊。
 それぞれの本は当時の蝦夷を知るうえで価値が高い本となっている。
 渋江と谷は、江戸から北海道厚岸まで殆ど一緒に旅している。たまたま長坂峠を越える部分を読んで、そうか渋江はこんな感じで歩いたのだ。谷はどうなのだろうと読んだら、あれ〜文書がかなり似ていると言うか、殆ど同じだ。
 他の部分も読み比べたら殆ど同じだ。
 今なら盗作と言われても仕方が無いくらい同じ紀行文になっている。
 同じ日に旅してもこんなに似る事は無い。
 どちらかが書いた紀行文を片方が流用して書いたのだろう。
 『東遊奇勝』渋江長伯
 「長坂山道に而平坂なり、坂の上より大沼峠の上り坂急に下りは道の内清水流出て小川をなす処多し。」
 『蝦夷蓋開日記』谷元旦
 「長坂山道にて平坂なり、坂の上より大沼峠の上りは坂道甚だ急に、下りは道あしく穏やかにて、坂道所々清水流れ出て小川をなす所多し。」と書かれている。
 他の個所も全てこんな感じになっている。
 どちらかが書いた紀行文に、自分なりに言葉のニュアンスを少し変えただけの紀行文だ。
 渋江長伯は徳川幕府の蝦夷調査隊800名の内の、本草(薬草)に関する調査隊の隊長で奥詰医師。 谷元担(たにもとかつ)は21歳の若者で写生係だ。写生係が隊長の紀行文を流用して、自分の本として出すのは考えられない。
 この真実は如何に・・・。
12月29日(木) 旧道ガイド製作&製本方法改善
 朝5時から旧道ガイドの製作を始め、昼までパソコンを叩く。
 流石に目が疲れてくる。
 昼に妻を病院に送って行く。
 今年の診療が今日で終わりになる。
 申し込んだら「凄く混んでいますよ」と言われたそうだ。
 みな思いは同じだろう。
 家に帰って診察が終わるのを待つ。

 午後から製本の仕方を改善する。
 本を自主製作していて、過去に100冊は下らないくらい製作した。
 @ 本を印刷・・これは全く問題ない。
 A 製本・・これが問題。
 一番の問題は表紙を本文に取り付ける作業だ。
 表紙と本体の間に、100円ショップで購入した、グル―ステックをアイロンで板状に伸ばし背表紙の厚さに合わせてカットする。(写真下)
 アイロンで伸ばした際、、厚さが均一にならないという問題がある。
 次に本文と表紙の間に、カットした材料を入れる。
 此の時、材料の厚にバラツキがあるので本文が揃わなくなる。
 そのまま加熱すると、本文の端が揃わなくなり、見栄えが悪いので失敗となる。
 従来の材料

 これを何とかしなければと考えていたが、先日100円ショップでグル―がんを買った。
 これを活用出来ないかとなりトライする。
 本文の背の部分にグル―ガンで溶けた材料を塗りつける。
 大体濡れればOKだ
 塗った材料が凸凹になるので、クッキングシートをかぶせて、簡易製本機に入れて加熱する。
 背中は凸凹だ

 クッキングシートで包む
 すると背中の部分は綺麗に平らになった。
 表紙を付けて加熱する
 次に表紙を本文にかぶせ簡易製本機で加熱する。
 既に平らに仕上がっているので綺麗に付いた。
 丈夫に綺麗に製本出来た
 これでOKだ。
 これなら簡単に綺麗に本が作れる。
 本作りは何度も何度も思考錯誤して、徐々にやりやすくなってきた。
 今回の方法で製本はかなり楽になりそうだ。
12月28日(水) デジカメ台製作
 天気も良いので山に行こうと準備していた。
 おにぎりを握って、コーヒーをポットに入れて出発しようとしたら、吹雪きになってきた。
 そんな時、カメラの台を改造しなくてはと思いだした。
 いつも1人で活動しているが、自分の写真を撮る事がある。
 そんな時三脚ではセットするのに手間暇が掛るので、1脚のデジカメ台を作って使っていた。
 使い勝手は良いのだが、難点は脚が長いので何処にセットするかだった。
 そんな話しを妻としていたら、良いものがあると持って来た。
 床の掃除機だった。
 ワンタッチで継ぎ足しが出来る。
 掃除機は壊れているので、改造しても良いとなった。
 早速改造に入る。
 現在の1脚デジカメ台

 これが貰った掃除機

 ワンタッチで分解出来る

 雲台に付いたネジがミソ
 まずは雲台を取りつける。パイプが4少し細いので外側にリングをはめ込む。
 中に入れる
 これがはめ込んだ状態
 
 雲台を付けて、ネジが付いた金具とパイプを固定する。
 この状態で雲台を回転させればしっかり締まる。

 次にテント用アルミパイプの頭のプラスチック部分を切ってパイプに入る外形にする。
 パイプに入れてネジで固定する。これで完成した。

 こんな感じで出来た。

 ワンタッチで半分の長さになる。

 100円ショップのケースに入れて、バックパックに固定する。

 こんな感じで取りつけた。これなら直ぐに取り出せるので楽だろう。
 この1脚デジカメ台は、地面に刺すだけで固定で出来るので本当に使いやすい。

 図書館から借りて来た本のコピーを取る。
 来年の旅は渋江長伯の旅に決めたが、なんと一緒に旅した谷元旦と言う人の紀行文『蝦夷蓋開日記』が出て来た。
 渋江長伯の『東遊奇勝』と合わせれば、1回の旅で2人の本と比較して旅が出来る。
 渋江長伯は薬草の絵を描いて残しているが、谷元旦の絵は風景や生活が主だ。
 谷元旦は幕府蝦夷調査隊の絵の掛りだった。
 様似の難所(様似耶馬渓)を行く場面などは、両方の思いが違うので面白い。
 様似の難所を行のだが、苦労して通過してから新しい様似山道が出来ていたのを知る。
 様似の人は意地悪だとかなり批判していた。
 丁度彼らが来た寛政11年に様似山道の開削が始まったのだ。
 遠山景晋『未曾有後記』も同じ年に旅している。

 今後は2つの紀行文を整理して、旅用に纏めなければならない。
12月27日(火) 旧道資料製作
 年末が近づいてくる。
 今年中に調査を終えた旧道の手作りマップを作ろうと、朝からパソコンに向かっている。
 一番難しいのは、旧道の表現だ。
 どんな道かを表現するのが難しい。
 単純に言えば、みな同じ様に見える道なのだ。
 そんな道を歩いて貰うのは、写真しかないとなり、コースの写真を順番に張り付けて、解説を入れて作った。
 かなり分かりやすくなったが、写真の足りない場所も出て来た。
 この分だと写真撮りのために、再び行かなければならない山道がある。
 手書きマップも書いたが、もう一度現地に行って整合させる必要があるだろう。
 旧道ガイドブックの製作は大変だ。

 資料作りの合間に、33回全日本女子サッカー選手権の準決勝をテレビ放映を見た。
 やはり注目はINAC神戸だ。
 試合は4対1で岡山湯郷に勝ったが、やはり川澄は凄かった。
 とにかく足が速い。相手デフェンダの裏に出した球を、デフェンダを追い越して球を取る。
 そしてシュートだ。
 彼女の2点目はデフェンダとキーパーをかわして点数を入れてしまった。
 身長157cm、体重50kgで小柄で可愛いですね。
 相手チームにジャパンの本間がいたが、澤のマークはかなり厳しかったですね。


 http://nahomi-kawasumi.net/
 決勝は来年元旦。
 また見なくては・・・。
12月26日(月) 日浦〜豊浦間旧道調査

 天気はまあまあで、最高気温は0度と暖かくなった。
 早速旧道調査に行く。
 調査は日浦〜豊浦間の道なのだが、何度かは歩いて縦走している。
 しかし1部の道が良すぎるので本来の旧道では無いと思っていた。
 もっと古い旧道がある筈だ。
 一昨日、函館山を走って下ったので、筋肉痛が今頃出て来た。
 廃校になった恵山町立日浦小学校に車を止めて出発する。
 痛い足を引きづりながら歩く。
 最初は何度か登った道を進む。
 手書きの地図を作るので、ノートに書き込みながら歩く。
 写真も取らなければならず、手がもう1本くらい欲しい。
 3〜4回ジグザグに登った。
 この山道は道巾が広い。
 恐らく後年馬か馬車を通すために作られたのではないかと思う。
 途中から道を離れて旧道探し。
 あちこち手当たり次第に歩きまわる。
 突然鹿の死骸があった。
 頭と内臓が無い。
 鹿の死骸が・・

 熊除けに叩く缶の蓋があった
 熊にでも襲われて食べられたのだろうか?
 まだ異臭を放っている。
 そんなに古くは無い様だ。
 30m位先の藪の中を人が横切った。
 直ぐに追いかける。
 追いついて
 「済みませ〜ん」と声を掛けたら驚いた様だった。
 藪の中でいきなり声を掛けられたらびっくりするよな。
 正月に使う松の枝を集めていたのだ。
 「この辺りに昔からの道があると思うんですが・・」
 「何処から来た?」
 「函館からです」
 「役所の人か?」
 「いや、趣味で調べてるんです」
 こんな会話の後、
 「ここが道だ」と言うがはっきりした跡は無い。
 「誰も歩かないから道の跡は無くなってしまった」
 山道の入口に行くと言うので後を付いて下りて行った。
 かなりの急な斜面を下って行く。
 急な斜面を下る
 フエンスの間を抜けて家のある場所に出た。
 お父さんの家はこの道の入り口にあった。
 今下った所が道だと言う。
 確かに地図とは合っているような感じだ。
 でもこの入り口ならなかなか分からないな。
 このフェンスの間が入り口だ
 入り口にある家の写真などを撮っていたら、ミニパトの警察官がじっと見ている。
 不審者に見えたのかな・・・。
 お父さんに言われた道を、今度は登って行く。
 斜度は結構あるが道らしい形跡は見えない。
 それでも登って行ったら、はっきりした道が現れた。
 旧道が出て来た

 なかなか良い雰囲気だ

 峠道の後に出来た海岸線の道
 これは完璧に旧道だ。
 うねうねした道を暫く登ったらピークに出た。
 今度は下って行くが、道は三差路になる。
 中央が旧道なのだが、前回は途中で分からなくなった。
 今度は別な方から攻める事にする。
 すると簡単に道は出て来た。
 この山道が分からなかった
 こんなもんだ。
 やったー!
 やったー
(着ているウェアはアシックスTaras Boulbaの登山ウェア、10年前に購入したが着ていなかった。南極大陸で木村拓哉が同じ色の防寒ウェア(多分他メーカー)を着ていたのを見て、何か格好が良かったので着る事に・・でも中味が違うな・・)
 しっかり道は残っている

 笹で覆われた道もある
 これでここの旧道は明らかになった。
 ノートにびっしり書いたので、忘れない内に整理も必要なので今日は下山する。
 残りの道は分かっているので、調査は必要なくマップを作るのみだ。
 今年最後の調査になるかも知れないが良い成果が出た。
12月25日(日) 講演資料作成
 年末の31日に孫達がやってくる。
 準備しなければならない事がある。
 1つはコタツを大きいものと入れ替える。
 自作の大きいコタツはGH「自遊旅」の堀コタツの部屋にあるのだが、人が大勢来る時は自宅で使用する。
 それと次女の愛葵がようやく伝い歩きするので、ストーブに安全囲いをしなくてはならない。
 この2つをやってしまった。
 後は布団と天板を載せる

 それからは、正月明けの講演の資料作りだ。
 相変わらず日にちが迫って来なければ動かない。
 最後のチエックを全て終えたので、後は暗記するのみだが、暗記は難しくない。
 自分で実際行った事なので、すらすらと出てくる。
 今回も「箱館戦争と土方歳三の歩いた道」とのタイトルになった。
 打ち合わせの時、「イザベラバードを歩く」「塩の道踏破」「自転車野郎旅」「蝦夷の旧道」なども提案したのだが、やはり土方歳三になってしまう。
 知名度から言えばどうしてもそうなってしまうのだろうな。
 自分としては何度も講演しているので、何か新鮮感が無くなっている。
 でも依頼を受けるのは有難い。
 今回は中学校の副校長先生や主幹教師の方なので、箱館戦争の事についても話すことにした。
 タイトルはやはり土方だ

 夕方妻と一緒に買い物に行こうとしたが、血圧が少し上がったので・・・となったので私が買い物に行く。
 年末なのかスーパーは混んでいた。
 レタス198円、ブロッコリー189円、少し前より倍くらいになった。
 新鮮野菜を多くしたいが、なかなか難しい。
 比較的安い、ホウレンソウにする。
 もやしやカイワレ大根も買う。これっていつも安いな。
 今日は家に白菜があるので鍋にするか。
 冬はやはり鍋だ!
12月24日(土) 旅人と函館山登山
 旅人は、東京から来た友人とその友達と3人で昼食をするが、その後是非函館山に登りたいと言う。
 食事が終わった後、函館山登山に行く。
 山道の積雪は20cmくらいであろうか?
 登っている人がいるので圧雪された道が付いている。
 東京の彼女には妻のスパイク長靴を貸したので、滑る事も無く快調に登る。
 7号目からの函館山
 おおよそ40分で頂上に着いた。
 吹雪きも止んだので、景色は良く見えた。
 函館市内の景色も昨日積もった雪で真っ白になっていた。
 市内は真っ白になった
 観光客は昼間なので流石に少なく、ちらほらしか居なかった。
 記念撮影

 伊能忠敬蝦夷地最初の測量地
 のんびりしてから下山。
 少し降りたら、元気な声が聞こえる。
 何だ???
 自衛隊かな?
 下って行ったら、野球の練習着を着た人だ。
 サークルを組んで、何やら元気な声を出している。
 そしてみんなで走って下って行った。
 元気な西高野球部
 行こう!と我々も走る。
 早い! あっという間に姿が見えなくなった。
 途中で靴の脱げた子に追いついた。
 「ちわ―」と元気な声。
 「西校かい?」と聞いたら
 「そうです」と答えた。函館西高等学校野球部だった。
 我々も下まで走る。
 そして駐車場に着いた。
 暑い!!
 汗が額から噴き出している。
 でも気持ちが良い。
 その後、他の2人と再び合流する彼女を送って、BAYエリアまで行って分かれる。
 BAYエリアは、クリスマスイブとあって、もの凄い数のカップルが歩いている。
 クリスマスを実感する。

 家に帰って我が家でも夫婦2人でクリスマスをする事にする。
 近くのパン屋さんでサンドイッチのクリスマスセットを購入し、ケーキを買いに行くが、ここも超満員でようやく購入。
 その後、温泉でまったりしてから家に帰りメリークリスマス。

 我が家でもクリスマス
12月23日(金) 旅人を観光案内
 旅人Tさんの友人が今日来るそうなのだが、函館は暴風雪警報が出る生憎の天気で、羽田には着いたが搭乗手続き停止中との事だった。
 飛行機の情報が入るまで、観光でもとBAYエリアに行く。
 クリスマスを挟んだ3連休と言う事で、観光客で一杯だった。
 特にカップルが目立っていた。
 エリアもクリスマス一色と言った感じで、デコレーションしていた。
 鐘の入った小屋もあった

 フリークライミングサンタも出番だ
 ラッキーピエロに行きたいと言うので入る。
 BAYエリアにあるので人気の店だ。
 多くの人がいた。
 飛行機が飛んだかどうかの連絡は友人とは付かず、駅前で待つ事にする、Tさんを駅前付近で下ろした。
 私は家に帰る。

 ここから一仕事だった。
 まずは図書館に行く。
 長い連休に入る前に本を4冊借りる。
 次回に登る歴史的な山の情報を、1時間半程調べて図書館を出る。
 その後、車にガソリンを入れ、ついでに灯油も購入する。

 さらに、支払いに行くのだが、国道5号線が大渋滞だった。
 車・車・車で全然前に進まない。
 やはり師走なのだとあらためて感じる。
 ようやく辿り着いたら、店はお休みだった。
 う〜ん・・無駄な時間を過ごしてしまった。
12月22日(木) 過去最遅の旅人来る
 2〜3週間前に、GH「自遊旅」に是非泊まりたいとの電話があり、「寒いよ!」と言ったのだが、「大丈夫だから是非泊まりたい」との事で引受けた。
 東京八王子市の高尾山の麓に住んでいる女性でTさん。
 函館駅前のルートインで待ち合わせ、話しを聞くと函館は初めてで、自遊旅の事は5月に日経新聞に掲載されたのを見て、切り抜いてとっていたそうだ。
 日経新聞は毎日読んでいるそうだ。
 旅はグルメ旅が中心の様だ。
 まずは立待岬に行く。
 やはり入り口で冬期なので車両は進入禁止。
 歩いて行く。
 風がかなり冷たい。
 そして立待岬に到着。
 景色に感動していた。
 戻ってくる途中やはり歩いてくる、バックパッカーや女性の観光客もいた。
 冬でも歩いて来るんだと感心する。
 朝食を食べてないと言うので、回転寿司の「北々亭」に行く。
 ここはランチタイムでは1皿126円でかなりやすい。
 ネタは勿論新鮮で喜んで食べて貰えた。
 デザートはソフトクリームにしようかと思ったが、ここは湯川町の喫茶菊池のジェラードソフトにしようとなった。
 店の前には函館ランキングが書かれていて、1位の函館夜景から10位まで書かれているが。その10位が菊池のソフトになってる。
 有名な場所の中での10位は大健闘だが・・このランク表は他では見た事が無い。
 その後トラピスト修道院に行って帰宅。
 一休みして近くの中島廉売に行く。
 彼女は塩辛とキタアカリを購入。
 家に帰ってじゃが塩辛をするそうだ。
 私は本マグロと塩辛を買った。
 帰る途中ハセストで彼女は「やきとり弁当」を購入するのだが、本当のやきとりと思っていた様だ。
 これは豚精肉なんだよと言って、得意げにしていたら、「鳥もあるよ」と言う。
 メニュー表を見たら、何と小さく鶏肉も出来ますと書いてある。
 それじゃ何も面白くないじゃないか。
 ついに邪道を走ったか・・・。
 これは豚精肉だったが・・
 鶏肉だと思って注文したら、豚だったのでクレームが付くと言う事も有るのかな?
 と言う訳で、やきとり弁当は豚精肉という神話は崩れ、ただのやきとり弁当にもなった。
 パックに入ったジャンボ豚串を見ていたら、3本で200円とシールが張られている。
 隣のパックのジャンボ豚串は2本で300円だ。
 大きさも変わらない。
 直ぐに購入して、レジに行った。
 バーコードを読んで・・ち〜ん・・300円です。
 「え〜200円のシールが張ってあるよ」
 レジの女の子は、焼き鳥を焼いていたおばちゃんに聞きに行った。
 おばちゃん「200円のシールが張ってるんで仕方が無いでしょう!」
 となり、200円で購入した。
 200円シールが嬉しい
 2個並んだパックへのシールの貼りちがいだったのか?
 そんな事で一日が終わった。
 明日は彼女の友達が東京から飛行機で来る予定だが、天気予報は強風注意報。
 大丈夫かな?
12月21日(水) クリスマスパーティ
 健康サロンin明和園のクリスマスパーティの日だ。
 朝起きてねぶた衣装に着替える。
 ねぶたの正式な衣装は2式しかないので、私は浴衣などを使って何とか合わせる。
 上は防寒着を着て、下は足を出したまま会場に行く。
 今日は最高気温が0度なので結構寒い。
 それでも会場の明和園の中は暖かい。
 今日の跳人2人に衣装を着せる。
 みんな寒いので、上も下も長袖に長スパッツだ。
 多少色気に欠けるが仕方が無い。
 着付けが終わった

 最初にラジオ体操で体を温める。
 会長の挨拶の後、皿を使ったオセロゲームが始まる。
 2組に分かれて裏表をひっくり返し、自分のチームの色の多い方が勝ちだ。
 まずは我々グループの出陣。
 年は取ってもゲームになれば、凄い勢いで戦いが始まる。
 みんな必死になってやる

 緑は負けてsまった
 1回目は裏表同数で引き分け、2回目は負けてしまった。 
  
 次は青森ねぶたで跳ねろう!のプログラムだ。
 まずは跳ね方や声の出し方を全員の前で指導する。
 何度かのリハーサルの後、DVDのスタートだ。
 音は良いし、画像もHQの画像なので綺麗だ。
 「ラッセラー ラッセラー」
 「ラッセラッセラッセラー」と始まる。
 DVDは4分に纏めた。
 跳ねているうちに汗が出てくる。
 久しぶりに跳ねたら4分は長い。
 みんなもかなり疲労感が出て来ている。
 ひと頑張りして終了。
 みんなくたくたになっている。
 平均年齢は70歳近くなので大変だったであろう。
 でもみんな満足そうだった。

 次にプレゼント交換。
 ビンゴでくじを引く順番を決める。
 私は早くビンゴになった。
 早速中味を見たら、何とパンティストッキングだった。
 これは男に必要ない
 これは仕方が無い。
 妻にプレゼントするしかない。まさか被って歩く訳にもいかない。
 妻の番が来た。
 何と当ったのは私の作ったプレゼントだった。
 
 最後にみんなで、「青い山脈」「365歩のマーチ」「上を向いて歩こう」「赤鼻のトナカイ」「お正月」をみんなで歌い記念撮影をして終了した。
 みんなで記念撮影

 アップで撮られた

 帰りはいつもの昼食を食べて帰宅。

 帰り道でねぶたが楽しかったと言う人が沢山いて嬉しかった。
 いつも美味しい食事だ
12月20日(火) クリスマスの準備
 健康サロンin明和園のクリスマスパーティが明日に迫った。
 プレゼント交換の品物はフランス民族工芸の「カトリナージュ」は製作済みだったが、その中にチョコレートを入れて完成した。
 300円のプレゼント交換にしては時間が掛った。
 喜んで貰えれば良い。
 交換プレゼント品が完成した

 そして出し物の青森ねぶたの準備だ。
 跳人の女性が2人いるので、その人の衣装と花笠を揃えた。
 4ヶ月ぶりに見る、ねぶた衣装に感動が蘇る。
 今年は6位までの入賞は出来なかったが、また来年は頑張ろう。
 来年は11年目の参加になる。
 みんなで跳ねる時には、背景にねぶたのDVDを流して欲しいと言われ、オリジナルのタイトルを付け、編集も終え完成したのだが、DVDに焼けない。
 「DVDドライブに書き込みが出来るDVDを入れて下さい」とのメッセージが流れる。
 パソコンでは見れるので、パソコンを持って行って映像を流せば良いかと思っていた。
 でも重いパソコンを持って行きたくない。
 再びトライする。
 やはり同じメッセージが出る。
 こうなればドライバーソフトをリインストールしてみよう。
 Vistaはデバイスマネージャーからドライバーソフトを削除すると自動的に新しいドライバーをインストールしてくれる。
 削除してパソコンを再起動する。
 そして再び書き込んで見た。
 やったー書き込みが始まった。
 やはりドライバーの不調だったのか?
 出来たDVDをプレイヤーで見たらばっちりだった。
 CDダイレクトプリントで表面を印刷して完了した。

 ようやく完成したDVD

 あの感動が蘇る

 「ラッセラーラッセラー」
 「ラッセラッセラッセラー」
12月19日(月) 山中をさ迷う&日浦峠マップ作り
 昨日図書館で読んだ本に面白い話しが載っていた。

(今日はここまでにした。片道4km×2=8km)
 函館市の東に「丸山龍神宮の山」と言うのがある。
 名前の通り信仰の山なのだ。
 この山に単に登るだけなら、車で林道を走って登山口まで行き、そこから登れば15〜20分で頂上に着く山なのだ。
 読んだ資料に依れば、昔は函館市の戸井町(市町村合併で、地名が消えた)方面から多くの人が訪れていたのだ。
 戸井町方面からなら距離的に片道10km程度ある。
 こんな長い距離を歩いてお参りに行っているのだ。
 往復20km近くを歩いて行くのは相当な信仰心だ。
 これは面白そうだ。
 そんなに多くの人が歩いたなら、今でも道が残っているだろう。
 資料に依ればお参りする道は3つあって1つは原木町から原木川の沿った道なのだが、今は林道が出来ていて車でも登山口まで行ける。
 これはパスする。
 もう一つは地図を見ても道が無いように思えるのでパスする。
 最後の一つは、戸井川から登るコースだが、これは山の尾根をひたすら行くコースだ。
 これなら道が有りそうだ。
 車道は無いし当時の思いが分かりそうだ。
 今日はこのコースの近くにある日浦山道のマップ作りをする予定なので、あまり時間は無い事から様子見とした。
 戸井川傍の林道を進み、予定の金堀沢川が出て来た。
 車を林道の端に置いて出発する。
 林道を少し歩く。
 右手の金堀沢川の川面は一部凍っている。
 歩いていた時、左手にあれ?道と思える雰囲気の跡があった。
 うっかり見逃す所だった。
 ここを入る。
 少し登ったら、まさしく山道と言った道が現れた。
 良い感じの山道
 多くの人が歩いたと思われる道は深く掘れていた。
 この登りが延々と続く。
 気温は−2度と言うのに、汗が出てくる。
 尾根道を緩やかに登って行く。
 尾根の上出れば平坦な道が続き見晴らしが良い。
 汐首岬方面が見える

 汐首岬に繋がる山(284m峰)
 途中、金属製のバケツが木にぶら下がっていた。
 熊よけの缶があった
 熊よけの音を出すための物か?
 さらに平坦な道を進む。
 道はさらに続く。
 この分だと多分行けそうな感じだ。
 ここまで4km来たので、後4mは有る。
 今日はここ迄にした。
 またここだけを、目的に来よう。
 この先の気無山を登り、丸山龍神宮の山を登り、さらに笹積山を登って林道を原木町に出れば良いかも知れない。
 金堀沢川

 金堀沢川


 日浦山道でマップ作り

(日浦山道もほぼ往復した。マップも書いた)
 下山して日浦山道に車で移動する。
 ここは何度も登っている山道だ。
 今日は寒い
 今日は手書きマップを作るためなので、ノートを方手にコースを書いたり写真を獲りながら歩く。
 北西の風がかなり冷たくなってきた。
 手袋を履いていてもかなり指が冷たくなってきた。
 暖かい手袋も持って来ているが、写真を撮ったり道の図を書いたりするには不便なので、薄い手袋を着用している。
 気温もかなり下がってきたようだ。
 道の特徴や倒木・大きな赤松などのある場所を記入しながら登る。
 峠の頂点に付いた。
 峠からは海岸線が見える
 反対側の道はNHKの施設に車で行ける道があるので、、道ははっきりしていて、どうするかな?と思ったが一応行く事にする。
 こちらは風も当らずに暖かい。
 反対側の旧道

 これも反対側の旧道
 ほぼ山道を往復した。
 返りも書いた地図の再チエックしながら歩く。
 帰り道でいつもの好奇心が湧いてきた。
 うっすらと獣道らしい跡がある。
 入って見ようと進む・笹で覆われた中にかすかに道があった。
 どんどん下ったら沢に降りた。
 水は少ないので問題は無い。
 流れが少ないので凍っていた
 ここから沢を下る。
 途中砂防ダムが3か所あるが迂回して進む。
 やがて入り口まで戻る。

 原木川には橋が掛っているが、幕末に旅した人はここの砂浜を歩いている。
 原木川の砂浜
12月18日(日) 年に1回の忘年会
 昨日図書館から借りて来た「東徼(きょう=巡る)私筆」を読んだ。
 安政4年(1857)に旅した関宿藩の紀行文なので、箱館戦争の11年前になる。
 その中に函館の記事があった。
 そして絵が書かれていた。
 何と山背泊台場のスケッチが載っていた。
 従来の資料は位置を書いた、簡単な地図と見取り図のみだった。
 それがはっきり書かれたスケッチだった。
 ここは箱館戦争で新選組が守備していた場所なのだ。
 今までかなりの資料を調べたが、はっきり分からなかった。
 それが旅の資料にとふと借りた本に載っているとは・・・。
 歴史をやっていると新しい発見は嬉しい。
 新選組ガイドの時にはっきりと説明が出来る。
 貴重な資料だ

 忘年会には年に1度しか参加していない。
 唯一の参加が元会社の48年会である。
 48年に入社した方々の親睦会なのだが、私も半強制的に会員になっている。
 私は54年くらいに季節作業員で入社したので、正式な社員では無かった。
 その後社員に登用され、社員として勤め退職した。
 そしてこの会に入ったのだ。
 この柏レイソルの試合があったので、ぎりぎりまで見て歩いて行く。
 20分でぎりぎり開始時間に間に合った。
 今回は8人が参加した。
 普段は全く合わない人ばかりなので懐かしい。
 話しは中国関係が多かったかな。
 中国に勤務していたSさんが詳しいので、中国の凄い話しが沢山聞ける。
 沿岸は垂れ流しの工業用水で溢れ、どろどろになって、魚は全く住んでいない。
 魚が獲れないので、漁船は他国領まで入って操業する。
 それが原因で、先日起きた韓国人の殺害になった。
 後は家庭菜園をやっている人が多い。
 タバコは誰も吸っていないし、アルコールは半分の人が飲んでいない。
 健康には皆注意しているようだ。
 2時間の宴はあっという間に過ぎてしまった。
12月17日(土) 図書館で本を借りる
 年末も残り僅かになった。
 山に行こうかなとも考えたが、図書館にも行きたい。
 結局図書館に決めた。
 調べたい事があったのと、年末年始は図書館が休みになるにで、今借りれば正月明けまで借りられる。
 借りた本は3冊。
 何度も図書館に行っているのだが、今までに見たことの無い本がある。
 1冊は「北海道海岸線めぐりの旅」だ。
 先日貰った尾札部のHiさんの資料で本の存在が分かった。
 古地図と名前の変遷を書いてる

 古地図と現代地図の比較が入る。
 明治・大正の地図と現在の地図を5万分の1の地図で比較し、地名の変遷などを書いている。
 松浦武四郎の山川取調図と現在の名前の比較も出来る。
 私の興味有るのは明治・大正の地図の中にある旧道だ。
 沿線部分なので内陸は無いのは残念だ。
 それでも沿岸部分の旧道は分かるので楽しい。
 5万分の1の地図は茨城県のつくば市の国土交通省国土地理院に行けば、パソコンで検索出来、コピーも貰えるそうだ。 北海道は札幌で見れるが、毎度行く訳にはいかない・・・。
 旅仲間が近くに居て、必要な地図はコピーしてくれると言っているのだが、地図の名称が分からない。地図のエリアの地名が今と違っているのだ。
 例えば北海道三官寺、善光寺のある伊達は、今は「伊達」だが、明治の地図名は「紋鼈(もんべつ)」になる。地図名比較表でも有れば良いのだが・・・。

 もう1冊は「東徼(きょう=巡る)私筆」で筆者は不明。
 誰も読まないのか真新しい

 毎日写生を書いている
 安政4年(1857)に派遣した久世広周藩主の関宿藩家臣の誰かが書いたと思われるそうだ。
 江戸から蝦夷地6000kmを踏破している。
 253日の旅で毎日写生画を挿入しているのが面白そうだ。
 元函館図書館館長の故元木省吾氏が「北海道の歴史には無くてはならない本」と絶賛していたそうである。
 函館図書館の他には写本が国会図書館や内閣文庫にあるが、その写本すら100年経っている。
 古い和綴りで毛筆の御家流文字で書かれているそうだ。
 その本を現代文に大野良子さんが訳した本である。
 私的には当時の道の手がかりになる記載が見たい、。
 蝦夷地はもとより、来年旅する予定の同じコースを江戸から蝦夷まで歩いている。
 当時の蝦夷に至るコースは、道は限られているので皆同じになる。
 色々な旅人の紀行文を比較してみるのも面白そうだ。

 後の1つは奥州道1、2だ。
 これは来年の旅の情報収集だ。
 奥州道は2冊あった。

 中には豊富な資料がある。
 旧道・街道旅は調査に時間がかかる。
 調査は苦しく長く掛るが、その分旅の奥深さで返ってくる。

 この3冊で暫く楽しめそうだ。
12月16日(金) クリスマスの準備
 健康サロンin明和園のクリスマスまでに2つやる事がある。
 1つは当日皆で跳ねるために、青森ねぶたの映像DVDを作る事だ。
 映像はyoutubeからダウンロードしてDVDムービーメーカーで編集した。
 時間は掛ったがここまでは良かった。
 その編集した映像をDVDメーカーでDVDに焼こうとしたが焼けないのだ。
 参った〜。
 DVDコンバーターで出力形式を各種変換したが、受け付けない。
 DVDのドライブが壊れているかも??
 今日はギブアップだ。
 
 もう一つのプレゼント交換会は300円程度のものと決まったので、先日作ったフランス民族工芸の「カトリナージュ」を作った。
 中にグル―ガンでリースに飾りを付けた。
 これをプレゼントする
 グル―ガンは初めて購入して使ったが、凄く便利だ。
 ガンが100円ショップで350円、ステックが30本くらい入って300円だった。
 グル―ガンは便利だ
 後は、箱の中にチョコレートとメッセージカードを入れよう。
12月15日(木) 人間ドック
 年に1度の人間ドックに行く。
 五稜郭病院には6時50分までに行かなくてはならない。
 この時間だと駐車場が空いているので簡単に駐車出来る。
 病院の受け付けは6Fになる。
 受付して着替え、ドックがスタートする。
 概ねはいつも通りなのだが、変わった事と言えば、エコー検査が凄く長くなった。
 一度上向きで行ったが、横向きでも行った。
 以前は横向きは無かった。
 そして、全て終わったと思ったら、見えなかった所が有ったので・・と同じくらいの長さで検査した。何か異常が有ったのかと心配になる。
 レントゲン検査だが、バリウムは毎年飲みやすくなっているが、今年はさらに飲みやすくなった。
 変わったのはその程度か?
 終わったのが9時少し前で、検査結果の面談が9時半から10時なので、食事もしようかと思っていたが、朝食券が出た。
 これも今まで無かった。
 地下のレストランに行く。
 しゃれた朝定食750円がサービスで食べれた。
  美味しかった
 地下には他にもしゃれたレストランがあるし売店もある。
 雰囲気はショッピング街の感じだ。
 しゃれたレストランがある

 病院とは思えない
 食事が終わっ面談の待合室に行ったら、明和園の管理栄養士のSさんが居た。
 暫く料理などの話しをする。
 いつも美味しい食事を食べさせて頂いてる。
 365日食事を作っているので、メニューなんかは相当あるんでしょう?と聞いたら凄い種類有るそうだ。
 今までなかなか同じメニューには出会っていない。
 先生と面談する。
 脂質が以前より増えている。
 耳の聞こえ具合が悪い。
 これは以前からなのだ、普通の生活では差し支えない。
 指摘されて、耳鼻咽喉科に行った事があるのだが「年だから仕方が無い」と言われそれから行っていない。
 概ね問題は無いで、人間ドックも終わった。

 結果はばんざ〜い
12月14日(水) 恵山山道資料完成&健康サロン
 朝の3時30分に目を覚ました。
 いつもより30分は早い。
 昨日は9時には寝たのでもう眠くは無い。
 起きて恵山山道と武井山道の資料を完成させる。
 午前中は健康サロン。
 前回の料理教室は私の提案したミニ春雨で作ったデザートだったが、同じグループの1人が、家で作ってお父さんに食べさせたら、美味しと言って食べてくれたと喜んでいた。
 一度覚えた事を直ぐに実践してみるという積極的な人は良いな。
 殆どはは家に帰ってからは作らないだろう。
 また講演を聞きに来てくれたSさんも楽しかったと言ってくれた。
 彼女は道が大好きな女性なのだ。
 「街道踏破」の本をプレゼントした。
 「土方歳三の歩いた道」の本は購入して頂いている。
 いつものストレッチや筋トレをやる。
 昨日の登山の後なので、筋肉をほぐすストレッチは気持ちが良い。
 終わって来週行われるクリスマスパーティの全体打ち合わせをする。
 プレゼント交換・歌の合唱も行う。
 提案曲は、青い山脈・上を向いて歩こう・赤鼻のトナカイ・365歩のマーチ・お正月、これで年齢が分かる。
 そして私が指名され、ねぶたを今年もやろうとなった。
 ケーキや飲み物を購入する係も決まって終了。
 昼食はいつもの350円定食。
 管理栄養士の方が「新聞に出ていましたよね」と言った。
 顔を覚えていてくれて嬉しいものだ。
 今日は紅鮭の焼きものと煮物がメイン。
 美味しい料理だ
 いつもながらここの管理士さんの料理の味は合う。
 食事の際に、向かいに居たTさんに、ねぶたの衣装を着て跳ねて下さいと言ったら、直ぐにOKが出た。
 漁師の家で生まれた人で、積極的の人だ。
 彼女なら引き受けてくれるだろうと思っていた。
 これでYさんとTさんの二人が衣装を着て跳ねる。
 私は「ラッセラー・・」の掛け声を掛けて、中に入った跳人の周囲を皆で回って跳ねる。
 今年も元気でやるぞ!!
12月13日(火) 恵山御殿山無ルート登下山
 先日、古い鉱山マップから、今は名無しだが古い時代には御殿山と名のある山が恵山にあり、登った事はブログに書いた。
 その山に登ってみたいと言うので、案内する事になった。

 今日は最高気温が0度の予報で寒そうだ。
 8時に我が家を出発、函館市内は雪が残るものの、東の方になる恵山に近づいたら雪が全く無い。
 岩田川傍に車を止めて歩きだす。
 本来は舗装路の道が追分と言う場所に続いているのだが、冬期は除雪しないので通行止めになる。
 前方に御殿山が見える
 前方には御殿山が見える。
 車の全く通らない道の真ん中を歩いて行く。 
 舗装路ばかりは退屈なので得意の旧道を交えて歩く。
 やはり旧道の方が圧倒的に気持ちが良い。
 途中展望の良い場所に寄り道して、ショートカットしたら背の高い笹藪に入り込みいきなり汗をかいてしまった。
 「も〜さんと行く時は一番悪い服を着てくる」と言われてた。
 いつも必ず藪漕ぎになるからだ。
 藪を抜けて再び舗装路に出て、入り口から.5kmを2〜300m過ぎて右手に入る。
 ここからはルートは無い藪漕ぎになる。
 笹は低くて登りやすい
 まずは尾根に向かって登る。
 ここの尾根は笹が低いので歩きやすい。
 狭まっていない木々の間を歩くのは気持ちが良い。
 高度が緩やかに上がって行く。
 途中にかなり古い境界標があった。
 古い境界標があった
 やがて平らな場所に出る。
 ここは展望台の様な感じで、ここからの景色は良い。
 後ろは御殿山
 一休みしてから頂上に向かう。
 背の低い木の間を細い道が付いている。
 ツツジの木も多く、6月の最盛期に来たら美しい景色が見れるだろう。
 斜面を登る途中では強風でゴォーと物凄い音がしている。
 しかし登山コースは全く風が当らず無風状態。
 風の音だけを聞いて登る。
 やがて頂上。
 活火山恵山の荒らしい茶褐色の景色が見える。
 頂上からは恵山が見える
 更には昔は椴山と呼ばれた海向山が、一つ高い位置にそびえ立っている。
 海向山は直ぐ近くだ
 昼食を食べて出発する。
 下りは地図にも全く道の無いコースをフリーで下る事にする。
 いつもこんな提案をして、藪を漕ぐのが普通になっている。
 登山道をただ登って下るだけの登山はあまりしない。
 頼りはGPSだけだ。
 一度海向山の方に下り、そこから車の置いた地点に真っ直ぐ行こうとなった。
 みんな藪こぎが楽しくなったようだ。
 頂上直下は獣道もあったのだが直ぐに消えてしまう。
 後は道なき道をどんどん下る。
 大きな岩があちこちにあり、これは恵山の爆発で飛んで来たのかなどと言いあったりして下る。
 暫く下ったら草が刈られている。
 何だ??
 そこには境界のマークがあった。
 ここを境に国有林と道有林や個人の土地と分かれているのだろう。
 この道を行く事にする。
 少し行ったら急斜面の下りになる。
 急な斜面が続く
 女性陣は早い。
 私は高所恐怖症なので急な場所は厭だ。
 「も〜さんはスキーでは急斜面を滑るのに、何でこんな斜面が厭なの」と言われる。
 スキーならこんな斜面でも怖くは無いのだが・・。
 木につかまりながら慎重に下る。
 かなり長い距離を下ったら大きな沢に出た。
 水は無い。沢は海向山の方に向かっている。
 今来た道は再び向かいの山に登っている。
 そちらには行きたくない。
 ここから真っ直ぐスタート地点に向かう事にする。
 古い道が出てきたりする
 距離にして1.8kmある。
 この距離を藪を漕いで行けるのか??
 でもそれが未知の世界を行く楽しみでもある。
 沢に沿って少し行ったら、舗装路の道に出た。
 「あれ〜道がある」舗装はしているが使っている様子が無い。
 舗装路を横切って再び道なき道を行く。
 そんな事を繰り返していたら、何度か舗装路が出てくる。
 その道の両側には桜の木が数メートル置きに植えられている。
 春は綺麗だろうなと想像させられる。
 話しの結果、ここはバブル期に別荘地として売り出したが、売れずに残ったのであろうとの結論に達した。
 さらに藪を漕いて行く。
 途中に存在感のある太い杉があった。
 見事な杉だった
 枝の三角形が見事だった。
 思わずシャッターを切る。
 さらに沢沿いの法を行くと、沢の向かいに馬が3頭いた。
 「あんな所に馬が・・」
 斜面はなくなり平らになってきた。 
 もう少しで到着するはずだ。
 岩田川の流れが聞こえる。
 最後に笹藪を突っ切るぞと進んだが、超密集で背も高く、格闘したが出られず戻って迂回する。
 ゴールが近づいて来た
 そして出たら車の横だった。
 凄い!と我ながら感心した。

 その後、恵山山道の「お経岩」を見に行く。
 二本柳さんの家の前に車を止めさせて貰い出発。
 急な登りに「こんなにきついの」との声も聞かれたが、「お経岩」の迫力に感激して辛さは忘れ去ったようだ。
 天保12年(1841)に蝦夷地に渡った、願乗寺の堀川乗径が「難
阿弥陀佛」と岩に彫った。
 何度見ても凄い

 旧山道も残っている

 見事な岩が多い

 焼けた岩もある
 その後、旧道の雰囲気を少しだけ味わい下山。
 下で二本柳さんのお父さんと話しこむ。
 すっかり顔なじみになった。
 太平洋戦争の時は、恵山山道の頂上には隊舎があった。恵山温泉付近には陸軍と海軍が居て、海軍は良いものばかり食べていたが、陸軍は小さな芋を食べていた。
 張り子の飛行機を作って置いてあった。銃は4丁しか無かったので戦える状況では無かった。
 みんな戦争は早く終わった方が良いと言っていた。
 などなど80歳を過ぎたおじいちゃんの話しは延々と続く。
12月12日(月) 今日は資料作成
 旧道の資料が溜まって来たので纏めている。
 外は吹雪きなので、こんな日はあきらめてパソコンに向かう。
 恵山山道・武井山道が完成し、藤山峠は70%位完成した。
 資料を作り際、引用をするのだが、面白い資料が出てくるものだ。
 ムイの島を調べていたら、室蘭にもムイ島があった。
 さらに面白いのが、函館の武井ノ島では伝説としてムイとアワビが戦いをしたのだが、室蘭の伝説もムイとアワビが戦いをしている。
 こんな同じ様な伝説が、函館と室蘭と離れてあるのが興味深い。
 寛政11年の時代からある伝説は、いつ誰が作ったものなのだろう。
 資料作成で一日がほぼ終わってしまった。
 数日にはHPにアップしよう。
 先日の講演の時も、旧道のアップを楽しみにしていると言われた。
 最近アップしていないから、HPを見て頂いている方々に対してももっと頑張らなくては・・。

 ロゴマークを今まで作ってきた。
 時間がかかる仕事なのだが集まって見ると良くやったと思う。
 今日も合間を見て、発砲スチロールにロゴを切った。

 今日作ったロゴ
(自転車の後輪をOと兼ねた。良いと言われたが・・)
 Vをハートにした
(これは手紙の最後に使っている)
 Oの中にも〜さんが・・
(これも手紙の最後に使っている)
 GH「自遊旅」のロゴ
(遊と遊ぶが合体している)
 一番最初に作った。
(自遊旅のロゴ)

 これらのロゴのアプリケーションはPower Pointで作っている。
 かなり大きな画を書いて縮小している。
 次はどんなのを作ろうかな?
12月11(日) 手芸で過ごす
 今日は朝から吹雪きになった。
 こんな日は家で過ごす。
 昨日、妻が購入した「ヘンプの手作りアクセサリー」を借りて、ヘンプのブレスレットを作る事にした。
 2004年に屋久島に入った時、ライダーハウス「とまり木」に来ていた、女性ライダーに習ったのが最初だった。
 それ以降、購入したりして身に付けている。
 そろそろ新しいのを作ろうと云う訳だ。
 糸はタコ糸の太いのを使って、「丸4つだたみ」にする。
 最初は考えてしまった
 やり方を思い出したら早くなってきた。
 エンドには台湾に行った時に購入した「佛」のビーズを付けた。
 途中には自転車のチャームあくせさりーを付けた。
 やはり自転車が無くては・・・。
 2時間て完成した。
 上手く出来た
 アクセサリーに自転車のチャームパーツを付けた。
 自転車がお気に入り

 100円ショップ製品と比較

 次に先日ほぼ完成して、残ったのは箱の蓋を開くためのボタンだ。
 出来あいのボタンは少し良いのだと良い値段がする。
 そこで100円ショップに行って、「くるみボタン」を買って来た。
 これなら袋の布と同じデザインで作れるので、マッチするだろう。
 くるみボタンセット

 同じ生地でボタンが出来た

 これで完成だ
 と言う事でフランスの伝統工芸「
カルトナージュ」は完成した。
 プレゼントなどを送る時、オリジナルの箱に入れて送れば喜ばれるだろう。
 次はもっと上手に作ろう。
12月10日(土) マップ作成&武井ノ島
 朝の新聞を見たら、「正月にムイいかが」と出ていた。
 北海道新聞に掲載された
 ムイと言えば武井ノ島のある所で、函館市の東の海岸である。
 このムイの云い伝えがあると書かれている。
 その内容は来年の旅にと思って、今読んでいる渋江長伯の「東遊奇勝」に書かれているのだ。
 完成11年(1799)にここを旅した時に地元の人から聞いた話だ。
 内容は「海中に岩山あり、ムイのシマと云、土人伝云、昔時石決明とムイ貝と相闘ふ、後此嶋を以地境となす、ムイ貝形異にして味は石決明(アワビの事)に似タリ、嶋外石決明少くムイ多く、嶋内はムイなし」と書かれている。
 ここが武井ノ島
 伝説では、昔ここにはムイ貝とアワビが同居していた。アワビは武装していないムイの事を意気地なしと軽蔑していたが、ムイのほうも固い岩の様な殻をかぶって這いまわり、アワビを頑固者として毛嫌いしていた。戦いの結果は決着が付かず、損得を考えてムイの島を境に西はアワビの領地、東はムイの領地と決めた。
 現在も島の付近では同居するが、それ以外でははっきり分布が分かてれいる。
 こんな話が寛政11年に旅した渋江が聞いているのだが、いつの頃からの伝説なのであろう。
 今も分布がはっきりしている所が面白い。
 恵山は時々は行くし、「恵山ラーメンちさ」は場所が分かる。是非ムイを食べて見たいものだ。アワビに似ているのなら最高だ。
 これがムイ貝

 今日は恵山山道のマップを作製した。
 調査した事をしっかり残しておきたい。
 今後、誰かが同じ様に調査する手間を省くためにも・・。
 恵山山道だけでも8ページになりそう。
 旧道には歴史的な出来事が沢山あって楽しい。
 マップを作るのにすっかり時間を費やした。
 道なき道で、目印も無い所はマップを書かなければ行く事は難しいだろう。
 私も最終的には3回も行っている。
 Hiさんから膨大な資料を貰わなかったらまだまだ判明しなかったであろう。
 今日作成のマップ



 こんな地図を調査した全ての山道を書けば良いのだが、大変な仕事だな。
12月9日(金) 屏風山MTB登山
 全国的に今冬一番の寒さになった。
 我が家の車も窓ががっちり凍っていた。
 気温は−5度だった。
 しかし天気は快晴で気温も+2度まで上がりそうだ。
 早速山に出かける。
 今日は近郊の屏風山(131.3m)だ。

 低山だが、地図に道が書いていない山で藪こぎ必須になる。
 昨年の冬に歩き登山で挑戦した時は、東尾根から攻めたのだが、頂上に到達出来なかった。
 その帰り道に、他の場所に道があるのを発見した。
 今回はMTBで登山をする事にした。
 木古内町のはずれの山の入り口に車を止めて、MTBを下ろしスタートする。
 昔の林道があって最初は歩きやすかった。
 青空が綺麗だ

 ななかまどの赤い実が青に映える
 しかし人の歩いていない道は、途中から笹が背丈くらいに伸びて密集している。
 手を離しても立つ
 さらに雪が葉に積もっていて通るたびに雪を浴びる。
 MTBは笹の中で手を離せばそのまま立ったままになっている。
 林道を暫く登る。
 相変わらず細い木や蔦が道にあって、MTBのペダルやハンドルが引っかかり、なかなか思うように進まない。
 山の中は物音一つも聞こえないほど静かだ。
 二股が出て来た。
 沢を渡って真っ直ぐ行くのか?、右の林道を行くのか迷うとこっろだ。
 GPSの方向ではどちらでも頂上に行けるかも知れない。
 右の林道を沢の詰った所まで行き、そこから頂上に向かえば良いか?
 と右の方向に進路を取る。
 ここは右に行く
 しばらく歩いたら、沢を挟んだ左手に道がある。
 左に道があった
 相当前に使っていた道なのだろうが、今は倒木が道を塞いで通るのは大変そうだ。
 しかし道のある方に行った方が確実だろう。
 木を迂回したり潜ったりしながら登って行く。
 登りに入る
 またもや二股が出てくる。
 ここは左にコースを取る。
 ここは左に行く

 頂上まで136mだ
 このコースは風倒木や蔦が至る所で密集している。
 蔦や木が林道を塞ぐ
 少しでも通れそうなところを選んでMTBを進める。
 そして道ははっきりしなくなった。
 ここから先は急な斜面になるので、林道としては終わったのだろう。
 杉の林はここで最後になっている事からも分かる。
 斜面を登るしかない。
 結構な斜度がある。
 まともに押しては登れない。
 ジグザグにコースを取って、MTBを横にして蟹の横ばいの様に、前輪を上げ、次に後輪を上げ、交互に上げながら登って行く。
 それでも駄目な所はMTBを担いで登る。
 悪戦苦闘してようやく尾根に着いた。
 尾根に出た
 遠くに山々が見えるのだが、木が多くて良くは見えない。
 尾根道を押して登る。
 尾根を押す
 そして頂上に着いた。
 赤いテープがあるのでここが頂上と言う印なのであろう。
 ここが頂上か?

 やった!
 GPSでも頂上付近だ。
 頂上は木も少なく広い場所だ。
 頂上からは別な尾根が二手に続いている。
 三角点がある筈なので、辺り一帯を探すのだが発見できなかった。
 写真を何枚か撮ったら、バッテリーがダウンしてデジカメは使えない。
 頂上での写真が撮れたのでまあ良いか。
 
 少しの休みも無く、下る事にする。
 急斜面はタイヤが滑ってMTBはすいすい降りて行く。
 倒木や蔦はあるが、登りに比べてはるかに楽だ。
 平坦な場所に出たのでMTBに乗って車に戻る。
 寒さは感じられず丁度良い気温だった。
12月8日(木) 資料整理をする
 朝から年賀状の印刷だ。
 インク革命.comに6日発注したインクが今日の朝に届いた。
 直ぐに印刷開始した。
 約140枚の印刷を終えた。


 その後、最近調査した山道のマップ作りをしたり、資料の整理をする。
 最近、藤山峠・武井山道・恵山山道の現地で書いたまっぷが溜まって来た。
 それを清書する作業をした。
 遅くなれば記憶も薄れるので、早く作ってしまわなければならない。
 GPSのログがあれば良いのだが、以前持っていたガーミンは液晶が壊れて廃棄処分した。
 ログだけが取れれば良いので、安価なATLASを購入したのだが、充電が上手くいかなくなった。
 長い時間充電しても、使えば過ぎにバッテリーが無くなる。
 これも役に立たなくなっている。
 手で書いているが、詳細な事柄を書きとめるのは出来るが、ルートが正確で無い。
 やはりガーミンを購入しなくてはならないかな。
 カシミールとの相性が良いから・・。
 最安値で17000円か。
 高価なのでなかなか直ぐに手が出ない。
 英語版の方がPCからルート図を転送できるようだ。
 GARMIN e-Trex Venture HC 日本語版

 パソコンばかりだと疲れるので、残していたカルトナージュの製作をする。
 最後の蓋の部分に布を張って完成。
 後は蓋を持つ取っ手が必要か。
 最初なので少し雑な所もあるが、これは慣れてくれば良い出来になるだろう。
 取り敢えずは大好きな自転車がプリントされた布で箱が完成した。

 蓋を作った

 後は取っ手を付ける
12月7日(水) 3度目の恵山山道調査
 最高気温は2度の予報だが、曇り空で風も無い。
 恵山に向かう。
 先日、講演を聞いてくれた方が送ってくれた大量の資料の内、必要な物のみコピーして持つ。
 この恵山山道は明治29年と大正4年の地図(昭和22年修正)には載っているが、その後の地図には道が載らなくなった。

 恵山に行く途中の武井の山道のマップを作りながら進む。
 武井も面白い話しがあるのだが後ほどにしよう。
 旧道は車が走れるのでマップ作りは楽だ。
 ブッシュの中をゆっくり車を走らせていたら、前に杖を突いたおばあちゃんが散策していた。
 誰も周りには居ないと思っているのだろう。
 踊る様に体を動かし、杖を振ったりして楽しそうに歩いていた。
 暫くして私の車に気が付き止めてしまった。
 楽しみを奪ってしまったかな?

 恵山の御崎に着いた。昔の名前は恵山は根田内で御崎は磯谷だった。
 昔の歴史ある名前がどんどん変わって行くのは寂しい。
 道路に車を駐車して歩きだす。
 道を少し登ればの二本柳さんの家がある。
 奥さんと一緒に居たので挨拶して進む。
 この旧道は過去に2回来ていて、今までの調査で分からない部分は最後の降り口と、今回新たに貰った資料にあったお経岩の場所だ。
 このお経岩が旅人通った道傍にあったのだ。
 これが分かれば旧道がはっきりする。
 道は複数あるのでほぼ旧道を歩けるのだが、やはり本来の旧道を探さなくてはならない。
 そのお経岩は海岸から300mくらいで、標高は50〜60mの場所と言う。
 その付近にある石を見ながら進むが「南無阿弥陀仏」と書かれた岩は見つからない。
 仕方が無く先に進み降り口の調査をする。
 前回は途中までは道がはっきりしていたのだが、平坦な部分で道が分からなくなり、急な斜面に出て降りれなく諦めて帰った。
 今回は送電線伝いに進んで左側にある筈の道路を探す。
 前回迷った平坦地が左に見える。
 送電線を更に下って行く。
 暫く下ったら左側に道らしい跡を発見した。
 下り道が分かった

 道はジグザグに付いている
 そちらに進む。
 道ははっきりとある。
 さらに降りると急斜面に道がジグザグに付いている。
 そして着いた先が砂防ダムだった。
 砂防ダムに出た
 ここを横断したら林道に出た。
 これで旧道が判明した。
 再び戻らなければならない。
 今度は送電線の下を戻ろうと別な個所から進む。
 送電線の保守道路が急斜面に付いていた。
 虎ロープが付いている。
 登ったが雪解けの後の急斜面は滑る。
 スパイク長靴でも効かない。
 北電の人はこんな所を登っているんだと感心するも登れず降りる。
 他にルートは無いのだろうかと探したら、5mくらい離れた場所に登った様な跡があった。
 斜面は急だが強い木の根が沢山あるのでつかまって登れる。
 高所恐怖症の私には怖い道なのだ。
 根にしっかりつかまりながら、膝を付いて這って登った。
 急斜面を登って一息つく
 何とか登りきって道なき道を歩き、送電線の下に出た。
 こんな場所もあった
 同じ道を戻るが、お経岩が帰りの道でも分からない。
 下に降りて二本柳さんに聞く。
 ご夫婦で食事中だったが、親切に教えてくれたがはっきりしない。
 「ダムのそばの杉林の上だ・・直ぐに行ける」
 「あの〜カーブがあってその先ですか?」
 「林の上の道を30間も行けばある〜」
 「30間と言ったら・・・何メーターだったっけ??」
 「とにかく行けば分かる・・」
 でもたった今、行き帰りに見たのだが見つからなかったのだ。
 再び山に入る。
 杉林を通り過ぎて登りに入る。
 登りきって直線路を行き、道は右にカーブする。
 まてよ・・うっすらと真っ直ぐに行く道らしき跡がある。
 ここかなと進んだら、やがて道がはっきりしてお経岩があった。
 高さが7mもある巨大な石に文字が書かれている。
 これがお経岩
 今から170年前の天保12年(1841年)に書かれたもので、函館(当時は箱館)願乗寺の僧、堀川乗経の作と言われている。
 堀川乗経は函館の亀田川の水を、函館市内に引いた事で有名で、函館市の町名にも堀川の名前が残る人だ。
 この「お経岩」の文字が風化したので、いつもこの山道を通っていた、函館の菓子商飯島治三郎さんが私費12万円を投じて彫りなおしたものだ。
 今から97年も前の話しなのだ。
 私がこの場所を知りたかったのは旧道の証明になるからであった。
 ようやく旧道も見つけたので、お経岩から先の旧道調査も行って下に降りた。
 旧道も荒々しい

 こんな道が続く

 旧道の雰囲気が良く残る
 二本柳さんにあったよと報告し暫くお話しをした。
 「今度来る時は家の前に車を置いて良いよ」と言われた・
 お母さんは「気を付けて帰るんだよと」自分の子に言うように優しかった。
12月6日(火) カルトナージュに挑戦
 車に洗濯機1台、テレビ2台、パソコンのディスプレーを積む。
 寒い日なのに汗が出る。
 年末を前に家の中の整理をしようというわけだ。
 処分に向かったのは「クロダリサイクル」以前にも物を処分して貰ったのだが、ここの従業員は凄く礼儀正しいので驚く。
 事務所の若い女性も言葉使いがしっかりしている。
 現場には廃品が山積みになっている。
 そこの男性職員も凄く礼儀正しい。
 今日も「おはようございます」の言葉が帰って来る。
 どんな教育をしているか分からないが、廃品処理というとイメージ的には、怖そうな男性が良いそうだが、ここは全く違う。
 全て処理して7600円掛った。
 出金は痛いが対応が良いのですっきりして帰れる。
 
 家に帰って年賀状作りをする。
 せっぱ詰って来たのでやらなくては。
 我が家は3種類作る。
 家の年賀状。妻の年賀状。私の年賀状となる。
 相手によって年賀状を分けている。
 3種類作った
 午後から、フランスの伝統工芸であるカルトナージュに挑戦。
 厚紙で箱を作り外側に布を張りつけるものだ。
 オリジナルで出来るのでプレゼントを入れる箱などにすれば喜ばれるだろう。
 以前娘からプレゼントされた自転車のデザインが入った布があったので、これを何かに活用したかった。
 箱に布を張り付けるが、木工ボンドを水で薄めて付けた糊が滲んでくる。
 乾燥してみないとどんな風になるか分からない。
 布を張り終えて内側に黄色い紙をだ厚手の紙にはって内側にはる。
 布を張る

 出来あがった

 自転車が良い
 これで箱部分は完成した。
 蓋は明日にしよう。
 初めての製作なのでまあまあだが、何度か作れば上手くなるだろう。
12月5日(月) 猛吹雪
 朝起きたら猛吹雪だった。
 それでも積雪は5〜6cm程度だった。
 直ぐに外に飛び出す。
 久しぶりの除雪だ。
 先日、リフォームしたスパイク長靴を履く。
 短くした文直ぐに履けて良い。
 ママさんダンプで走りながら除雪。
 どんどん雪が無くなって行く。
 すっかり綺麗になった
 その内、向かいのおばあちゃんが出て来た。
 「4時半頃は降っていなかったのに・・」
 え〜そんな時間に雪の降り具合をチエックしているの??
 このおばあちゃんは凄い雪かきのマニアなのだ。
 私の家の向かいの除雪を1人でやっている。
 アパートの2階に住んでいて70歳を超えている。
 除雪は丁寧で、最後はほうきですっかりコンクリートが出るまで行う。
 雪が積もれば一日に何回でも除雪を行うのだ。
 このおばあちゃんは凄いのだ

 今日は吹雪いているので寒いから、図書館に行って資料を作る事にした。
 来月に道南の中学校「教頭&主幹教師の研修会」での講演を頼まれている。
 図書館に一日いれば暖房費が節約できる。
 千歳図書館はパソコンを何時間使ってもOKなのだ。
 早速行ったら、本日閉館日
 え〜うっかりだ。
 仕方が無く家に帰ってパソコンに向かう。
 過去の資料も使えるので半分は出来た。
12月4日(日) 整理整頓
 今日は暴風雨の予報だったので、昨日買ったレィンウェアを試すには絶好の機会だと張り切っていたが、雨はぱらぱらだった。
 これじゃテストにはならないので先送にした。
 荷物の整理をする。
 まずは不要のテレビを処分する事になった。
 そこで各所にあるアナログテレビを1か所に集めた。
 不要なテレビは5台あった。
 リサイクル費用はいくら掛るのだろう?
 これだけある
 それと不要になった洗濯機も処分する事になった。
 明日でも引き取って貰おう。
 ゲストハウスにテレビが2台あったが、意外とテレビは見ていないし、今はワンセグの携帯やスマホを持って居るので、不自由する人はいない。
 テレビを部屋から出したら、寝室がかなり広くなった。
 旅人は良く書き物をしているので、余ったテレビ台を机代わりにすれば有効活用が出来る。
 寝室は広くなった
 午後からはマイルームの整理をする。
 旧道関連の書類が山になっている。
 100円ショップでファイルを9冊購入して整理する。
 少しはすっきりしたが、まだ明日もやらなくてはならない。
 一日整理整頓で疲れた。
 
 妻の血圧も平常に推移している。
 生活も普通にしている。
 薬を朝晩飲んでいるのが効いているのかも知れない。
 ずっと薬を飲み続けなければならないのかどうかが、これからの課題だ。
 緊急に血圧が上がったら、飲む薬があってこれは効果的に下がる。
 外出の際はいつも持ち歩かなくてはならない。
 出来れば薬を使わなくてもいい方向になって欲しいがどうなる事か。
12月3日(土) スポーツTV観戦の日
 今日は朝から雨で、午後からは強風も伴う天気予報だ。
 こんな日なので一日中スポーツTV観戦を決めていた。
 まずはコンサドーレがJI昇格なるかどうかの試合。
 相手はJ2トップのFC東京だ。
 試合は2点入れ、後半で1点を返されたが、勝利した。
 競っている徳島の試合結果を待ったが、徳島は負けてしまい。
 目出度くJ1に昇格した。

 次は柏レイソルのJ1優勝がなるかどうかの戦いだ。
 勤務していた会社が日立系列なのでレイソルは応援している。
 試合の前に作業製品販売の「Prono」に買い物に行く。
 目的は靴下の購入。
 こんなの何処でも買えるでしょうと思うがそうでも無いのだ。
 足のサイズは25cmなのだが、24-25-26cm用が良い筈なのだが、生地が伸びる事もあるのか大きくてゆるゆるになる。
 そこで女性用のを買ったりするが圧倒的に弱いのだ。
 「Prono」で売っていたサイズが23-24-26がぴったりだ。
 作業用なので生地の暑さに男女の別は無いので丈夫そうだ。。
 登山用に良さそうなので購入し、昨日の登山に履いて行ったが全くずれずに良かった。
 そこでこれを追加で購入。
 おまけに裏にはスリップ防止のゴムが付いている。
 1足500円で2足買った。
 何を思ったのか妻も欲しいと言うのでさらに2足追加した。
 防寒にもなっているから、冬の犬の散歩に使うのかな。
 妻は血圧も安定してきたので、部屋で軽い運動をしている。
 愛犬「モモ」と散歩に行くかな?と言っているのでその準備かな?
 薬は飲んでいるので安定しいているのかも知れないがまずは安心だ。
 たかが靴下なのだが・・
 次にレインウェアの上衣を購入。
 古いレインウェアとモンベルのストームクルーザーがあるのだが、古いのは内部に熱がこもり濡れてしまうので快適ではない。
 モンベルのストームクルーザーは2万円もするのだが、古くなったのかその性能があやしくなっている。
 雨が染み込んで来るのだ。
 防水スプレーを塗っても効果が薄くなっている。
 登山用のレインウェアーは高いのでなかなか手が出ない。
 そこで頼みの「Prono」だ。

 以前から目を付けていた、Makkuのレインウェアで1680円だ。こんな安いもので大丈夫かと思うのだが、生地は3M製で高密度210T PLYESTER/PVClaminationで耐水圧が10000mmH
2Oなのでレインウエアとしては十分だろう。
 これがレィンウェア実力は?
 明日は強風で雨の天気だ。
 早速雨の中で使って性能を試して見よう。
 
 帰って柏レイソルの試合を見る。
 圧倒的な攻撃力で3対1で勝利。
 J1で初めての優勝だ。
 コンサドーレがJ1昇格したので、来年は北海道で柏レイソルの生の試合が見れる筈だ。
 これが嬉しい。
 初めての優勝だ

 旅人、慎ちゃんと理江ちゃんから荷物が届いた。
 中味はバラエティだ。
 ざくろ飲料、蒸気でアイマスク、缶ビールをビールサーバーのように注げるおもちゃ?、ドレッシング2本、スイートコーンポタージュ、無添加ヒジキだ。
 そして暖かい手紙も添えてあった。
 妻は早速ビールを出してきて、泡たて機でクリーミーな泡を出して飲んでいた。
 楽しいプレゼント
 慎ちゃんも理江ちゃんも、そんなにお金も無いのに気持ちは暖かい。
 理江ちゃんは、今年来た時に着ていた服は昨年と同じだった。
 それを別に気にしていない。
 服を買うお金があったら旅をするという考えだ。
 今はもうバイトかな?
 終わったらインドにバックパッカーで行く予定だ。
 1〜2万円あれば1ヶ月生活出来る国らしい。
 今年はGH「自遊旅」には10日くらい居て、すっかり我が娘の様な思いだった。
 昨年も1週間居た。彼女も自分の家の様な感じでいるらしい。
 帰る時もトイレットペーパーや洗剤、ごみ袋などを補充して行った。本当に良く気が付く娘だった。
 慎ちゃんも長く滞在した。
 そして帰りには倶知安の農家でジャガイモの収穫アルバイトをしてから大阪に帰った。
 何か楽しそうなカップルだったな。
 来年も来ると良いが・・。
12月2日(金) 恵山御殿山登山
 急遽登山をする事になった。
 昨日尾札部のHiさんから頂いた恵山に関する40枚くらいの資料を眺めていた。
 その中に「5万分の1 地質図幅 説明書」があった。
 御殿山の名前が見える
 昭和44年に製作された書類には、恵山方面の山が書かれていた。
 その中に御殿山(426.8m)があった。
 恵山方面には「恵山」と「海向山」くらいしか名前のある山が無いと思っていた。
 何か興味が湧いて行く事になった。
 現在の地図を見ても、登山道は書かれていないので、藪こぎ覚悟だった。
 今日は最高気温が2度と寒さも冬に向かっているのが実感できる。
 恵山まで35kmくらいある。
 外は寒いがヒーターの効いた車内はぽかぽかだ。
 高い山が海向山、その右下が御殿山
 林道を行って何処からか山の尾根に取りつき尾根伝いに行く計画でいた。
 ふるさと林道入り口
 林道入り口に着いたら「冬期通行止」になっていた。
 冬期通行止めだった
 これは3kmくらいは歩かなければならない。
 林道は舗装されていた。
 まだ新しい道で標識から10年くらい前に出来たようだ。
 お陰でもって来た旧道の林道地図とは合わなくなっていた。
 GPSにデータを入れて来たので、電源を入れたらONしない。
 充電が足りなかったのかな?
 ヤマ勘で行く事にする。
 途中から海岸線も綺麗に見える
 舗装林道の所々には旧山道も見える。
 3.2km付近に来たが、そろそろ尾根の方向に向かわなくてはと思っていたら、右手の土手に笹が少し開いていて、道らしき雰囲気があった。
 そこを入る。
 ヤマ勘でここから入った
 でも道は無かった。
 藪を漕いで少しずつ登って行った。
 少しずつ急になり、もう直登するぞと気合いを入れてたら道があった。
 幅が3mくらいあるが荒れている。

 どうやら林道を作ろうとして止めたのだろう。
 道に沿って登って行く。
 案の定道は直ぐに無くなった。
 この場所から急斜面を登る。
 笹は密度が少なく、長さも短いので歩きやすい。
 こんな笹の中を行く
 暫く尾根を上に向かって進む。
 笹は更に短くまばらになってきて、楽しい山歩きとなった。
 有刺鉄線が出て来た。
 古そうだ。放牧でもしていたのだろうか?
 有刺鉄線を越えたら平坦な広い場所に出た。
 さて頂上へはと思ったら道があった。
 この道を暫く行ったら平らな場所に出た。
 ここはまるで天然の展望台のようだ。
 海岸線や恵山の火山も煙をもくもく上げているのが見える。
 さらに上を目指す。
 頂上も見える事なので、最後の急斜面だろう。
 そこには道があった。
 頂上への道
 幅は50cm程度しかないがはっきりした道だ。
 恐らくこの御殿山は昔、恵山と並び多くの人が登った山なのだろう。
 その名前が地図から消えたので、今は訪れる人も少ないのだろう。
 暫く木の間の狭い道を行く。
 今日は45Lのバックパックなので枝がやたらと引っかかる。
 途中で記念撮影
 ようやく広い頂上に着いた。
 三角点も無いので、何処が頂上かはっきりしないが、一番高い所で記念撮影。
 この木の向うが頂上


(頂上と恵山をパノラマ機能で撮影した)

 頂上から海向山に行く道なのか?

 恵山を眺める
 景色は凄く良く、北には海向山が目の前で東には恵山が噴煙を上げ、南は海岸線が綺麗だ。
 勿論下北半島も見える。
 海向山に向かっている道もあるので、多分行けるのだろう。
 海向山と御殿山の間に明治時代の地図にも書かれてある、昔の山道がある筈だ。
 景色を堪能して下山する。
 下山途中の北西の景色
 帰りは笹の中をあちこち探索しながら下る。
 登りと違ったコースを下ったが、最後の林道が切れる場所には1mも違わないで出た。
 ヤマ勘はまだ大丈夫だ。
 舗装の林道に出た。
 同じ道は厭なので、出来るだけ昔の山道を歩いた。
 こちらの方が良い雰囲気だ。
 そして車が見えて来た。
 
 今日は他に恵山山道の調査に行くつもりだったが、この山で時間が無くなってしまった。
 家に帰って妻を病院に連れて行く。
 最近は血圧が落ち着いている。
 もし上がっても安静にして薬を飲めば直ぐに下がる様になった。
 病院に妻を置いて修理に出したプリンターを取りに行く。
 5年間保証を付けておいて良かった。
 結局インクヘッドを交換してくれ無料で済んだ。
 キャノンのインクヘッドは発売を中止したので、個人では取り換えが出来なくなった。
 どうやらインクが出ない原因はヘッド以外にソフトの問題もあったそうで、ヘッドを取り換えてもインクの出が悪いとの苦情があったからだろう。
 私の問題はリサイクルインクの問題だとのコメントが付いた。
 安いインクは駄目なのか?
 でも安いので大量に使う人には純正インクはなかなか買えない。
12月1日(木) ぶんぽ研例会&七飯歴史資料館
 恒例のぶんぽ研例会に行く。
 今日はいつもより人が人が多い。
 会長の報告に続き、「函館の歴史的風土を守る会」が函館市に提出した「函館市都市景観条例改定に対する提言書」の話しがあった。
 古い建設物が次々と壊されていく現状がある。要するに保存もお金が掛るので維持できないでいる。
 函館市も予算がないからなかなか資金的な援助出来ない。
 古い町並みを残す活動も大変だなとつくづく思う。
 観光のためなのか?住んでいる人が心地よい環境で暮らせるためなのか?
 福島県の金山町は古民家風の家を建てる時は200万円の補助金を出している。
 これは観光のためではなく、住んでいる人が心地よく暮らせるためと言っていた。
 町並は昔にタイムスリップしたように良い雰囲気だった。
 急ぐ必要はない。
 年に20軒でも建ててくれれば、10年で200軒になると言った役場の人の言葉が思い出される。
 私も「蝦夷の道 ロマン旅」の講演の話しを報告させて頂いた。

(講演の記事=11.23 函館新聞)
 例会が終わって七飯歴史館に行く。
 文化の森の中に馬頭観世音の碑があった。
 馬頭観世音
 碑には「右・志加部道、左・とうげ道」と書いてあった。
 右・志加部道

 左・とうげ道
 先日行った藤山峠の話しと、資料で見つけた道標となる「馬頭観世観音碑」の昔の有った場所を知りたかった。
 歴史館受付の女性に話したら、上長とマップを見て何処だろうと探していた。
 そこに山田学芸員が資料を持って来て教えてくれた。
 彼は何度か会っているので知っている。
 藤山峠の道については詳しくは知らなかったようだ。
 その後、図書コーナーで資料探しをする。
 するとあった!
 この藤山峠を越える軍川新道を開削した、庵原(草冠に函)斎が開削した道に付いて自ら書物を残していたのだ。
 これで今作っている資料が面白くなりそうだ。
 庵原(草冠に函)斎の書物があった

 私の本もある(土方歳三・・)
 馬頭世観音があった場所を確認するのに車を走らせる。
 聞いた場所には看板があった。
 道は分岐になっている。
 ここが鹿部に通じる道と峠下村から茅部峠に至る道の分岐点だった。
 教育委員会の説明板があった
 この分岐点は七飯町の旧道に建てられていたのだ。
 
 七飯歴史館に居た時に電話が来た。
 ゲストハウスに泊まりたいのですが・・・
 話しを聞いたら東京の女性で、何処からの情報でゲストハウス「自遊旅」の事を知ったらしい。
 自転車も趣味にしているそうなので、「寒いですよと言ったが」「大丈夫です」と言うのでOKした。
 東京から飛行機で来るそうだ。

 先日の講演会に来てくれたHiさんが恵山の道に関する資料を40枚くらい送ってくれた。
 講演の前に恵山の旧道を探している話しをしたのだが、直ぐに資料を送ってくれたのだ。
 まだ見ていないがめちゃくちゃ楽しみだ。
 貴重な資料だ
 彼は地元の歴史を調べていて、私とは全く比べ物にならない程、しっかりした資料に基づいた歴史の調査を行っている。私の資料の収集能力が如何に無いか、いつも思い知らされるのだ。
 これだけの資料を集めるのは相当時間が掛っている事と思うと本当に嬉しい。
 講演会には地元の歴史家の社長さんと陶芸家の方も一緒に連れて来てくれた。
 今度、尾札部に遊びに来てと書いてあった。
 必ず行こうと思う。
HPTOP