2011年
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10月31日(月) 義経伝説に嵌りそう
 図書館から何気なく借りて来た、「北海道義経伝説序説」(阿部俊敏著)
 この本を借りて来た
 伝説だから、昔誰かが言った事が伝承として残っているのだろう程度に思って読んだ。
 確かに伝説で本当では無いとは言っているが、読んでいると何か本当にも思えてくる。
 面白くなってどんどん本に吸い寄せられるように読んだ。
 義経は衣川で妻子と共に亡くなったと鎌倉幕府の正史「吾妻鏡」に書かれている。
 そうならばそれで終わってしまう。
 しかし伝説は各地にあり、北海道には110個所もある。
 さらに義経の研究者が物凄く多く、159冊の本が出版されている。
 義経は兄の源頼朝に追われ奥州平泉の藤原秀衡の元に逃げた。
 ところが秀衡が死ぬと、その子泰衡は衣川の館に義経を襲った。
 義経は妻と子を殺し、自ら自害したとなっている。
 幕府の正史を信じればこれでお終いだ。
 しかし死んだのは義経でなく、影武者だった。
 影武者になったのは杉目太郎行信と言う人物。
 墓には「源義経神霊身替杉目太郎行信」とはっきり書かれている。
 これは宮城県栗原郡津久毛村に存在する。
 義経の首は頼朝の元に行ったが43日掛っている。
 腐敗していて顔を特定できたのか?
 源頼朝は見破って、藤原泰衡に対して大軍を送り滅ぼしている。
 首はきっと偽物だったのだ。 
 義経はきっと生き延びた・・・。
 そんな気がして各地の伝説を読んで見るとなかなか面白い。
 伝説とばかりいえない様な事も出てくる。
 やはりジンギスカンになったのだろうか。
 本当か伝説かは分からないが、嵌ると謎解きの様に考える頭になって来る。
 ジンギスカンになったのか?
 昨年イザベラ・バードの道を巡った時に日高の義経神社に行ったが、神社の御祭神は「源九郎判官義経公」だった。
 寛政10年に蝦夷を探検した、幕府の近藤重蔵が創立した。


 今日で主夫も10日目になった。
 洗濯、料理と楽しんで生活している。
 孫の熱も下がったので、明日の夜に妻が帰って来る。
 また普通の生活に戻る。
 料理も自由に作っていたが、これからは妻が主役になる。
 少し残念だが・・。

 夕張の高速が開通して札幌から帯広まで3時間になったそうだ。
 帯広名物「豚丼」を食べに行く人が多かったそうだ。
 我が家も「豚丼」にする。
 でも肉は少ない。
 御飯にキャベツを乗せ、もやしと豚肉を炒め、豚丼のソースで和えた。
 肉は少ないが美味しかった。

 もやし入り豚丼
10月30日(日) 疲れた!
 今日負ければ、1Stステージは終わってしまう。
 近くの温泉で体を清めに行く。
 昼なのに随分込んでいる。
 やはり温泉に入ってから野球を見ようと言う人が多いのだろうか?
 
 試合が始まる。
 今日は4回にホフパワーのホームランで先行。
 しかし直ぐに1点を取られ同点。
 今日も熱い戦いだ。
 8回に田中賢介のエラーで1点取られ逆転される。
 次の回、先頭の田中賢介が2塁だ。
 この気力が凄い。
 落ち込んでいないで、自分のミスをミス以上のチャンスを作り取り返す。
 陽も出塁し、ノーアウト1,3塁とこれ以上ないチャンスだったが、後続が断たれて0点に終わった。
 シーズン後半のファイターズが出てしまった。
 これで糸が切れたように6点の集中砲火を浴びてしまった。
 試合は負けで、今シーズンの野球は終わったが、この1年間大いに楽しませてもらえた。
 我が家では二人の共通の趣味はファイターズの試合と温泉だ。
 毎日のようにファイターズの試合に合わせた生活になっている。
 勝って喜んだり、負けてがっかりしたりしながらファイターズの試合を1年間見て来た。
 楽しみの多い1年だった。
 また来年を楽しみに頑張ろう。

10月29日(土) CS1Stステージで疲れる
 今日はCSの第1試合が行われる。
 相手は西武ライオンズだ。
 天気が良いので朝から洗濯をし、図書館に本を返しに行って、暫く資料を調べて帰って来る。
 夕食も作って準備万端整ってTVの前に座る。
 今日はダルビッシュガ先発なのできっと勝ってくれるだろう。
 初回、連打があって日ハムらしい展開で2点先取。
 これは絶対行けると思ったが、その後はチャンスをなかなか生かせない、シリーズ後半の日ハムの試合になった。
 ダルも1点取られ、だんだん厳しくなる。
 それでも、まだ勝っている。
 何とか行けるだろうと思ったが9回で同点に負い付かれ、11回でリリーフ陣が捕まり、あっという間に敗戦した。
 どっと疲れた日だった。

 図書館に行って調べ物をしていたら、昨日の銚子岬の岩の絵が出て来た。
 やはり絵を書いている人がいた。
 かもめ岩と屏風岩が立石岬になっていた。
 明治12年に書いた、「北海道漁業絵図」絵だった。
 この時期に人が歩いている事が分かった。

 かもめ岩と屏風岩が一緒に書かれている

 この絵では一緒に見えるようになっているが実際には陸からは一緒に見えない。
 舟から書いた絵かもしれない。舟からなら一緒に見えるだろう。
 屏風岩は誇張して書かれているがそっくりだし、かもめ岩は絵の様にスマートではないが、てっぺんに木があるのは同じ光景だ。
 現在の屏風岩

 現在のかもめ岩
10月28日(金) 銚子岬巡り
 今日も天気が良い。
 2日も天気が良いともう家にはじっとしていられない。
 昨日準備していたバックバックを車に積み込み出発する。
 行き先は銚子岬、先日登り道は見つけたが、下り道は探せなかった。

 反対側から行ったら分からないかと、岬を一回りする事にする。
 この岬は相当前に廃道になっている。
 果たして歩けるのかも分からない。
 入り口に車を置いて出発。
 恵山方向が綺麗に見える。
 恵山が綺麗に見えた
 サーフィンで有名な銚子の浜は誰も居なかった。
 中に入ると、以前は舗装路になった道は崩壊して歩くのも大変な道になっていた。
 何故こんな状況になるのだろうか?
 旧国道は随分荒れている
 少し入ったらトンネルがあった。
 長くは無いので、通行するために穴を開けた様な感じだ。
 車道が出来る前に作ったものだろうか?
 トンネルだ。手掘りなのかな?
 海岸の岩場もなかなか変化が有って楽しい。
 山の上からは相当の岩が落ちたのだろう。
 道一杯に大きな岩が散乱している。
 岩の上を歩いたりして進む。
 船隠しの様だ
 銚子岬を回ったら海中に長く海から突き出ている岩が出てくる。
 ここを歩いた昔の旅人ならスケッチするだろうなと思いつつ暫く眺める。
 この岩は歩けないなと思ったら、岩の壁に人が歩いた様な跡がある。
 この様な岩は、あちこちで見る。
 海が時化た時は岩の上を歩いたのだ。
 相当危険な行動だが、道が無い時はこのな岩壁を苦労して歩いたのだろう。
 かもめ岩

 この岩壁を歩いたのだろう
 少し歩いたら舟揚げ場が出て来た。
 昆布漁にでも使ったのだろうか?
 舟揚げがあった
 ここには川が流れている。
 下りの場所は有るとすれば、この川沿いだろうと見当をつけて来た。
 山の中に入る。
 鹿の足跡が物凄くある。
 その道を次々歩いて見る。
 その内、本道に出るだろうとの思いだった。
 かなりの道を歩いたが、全く人道は出てこない。
 この道が無いとすればやはり、古部の市街地に下る道なのかな?
 古部の市街地には道は一部切れてはいるが何とか繋がる。
 距離的には相当長くなるが、この先も断崖絶壁が多いので、遠く迂回したのだろうか?
 またトンネルがあった

 反対側から見る
 道は落石で無くなり、岩の上を歩く事になる。
 大きな岩で歩くのは苦労しない。

 そして屏風岩がてくる。
 ここは岬は回れそうもない。
 これが屏風岩
 だが、ここの岩を貫通するトンネルが有った。
 トンネルの出口は岩が高く積まれている。
 落ちたのか故意に積んだのか?
 小さな穴が有る

 ロープなどもある
 でもロープが張ってあって出る事は出来た。
 少し歩いたら、国道の銚子トンネルが出て来た。
 岬周りはこれで終わった。
 国道からは見えないところに滝が
 遠くに滝が見えたのでついでに見に行く。
 帰りは1.5kmの銚子トンネルを歩く。
 排気ガスが厭だ!
10月27日(木) デザート作り
 今日は一日快晴の4天気だ。
 何処かに行こうとバックパックに荷物うを詰めた。
 行き先はまだ発見できていない、銚子岬の山道と決めて、用意を終えた。
 そこに電話が来て山登りのベテランSさんから、大鳥圭介が進行し旧道は何処だろうとの話しだった。話しが終わった後、義理の妹が登っていない山があり、連れて行って欲しいと言われていた事を思い出して、電話するが今日は用事があって都合が付かないと言う。
 どうするか??
 考えたが、まだやる事があるし・・・。
 やってしまおう!
 まずは洗濯だ。
 少し溜まっていたので2回で終了。
 外に乾したが、今日は乾きも早いだろう。
 その後は、プレゼン資料作りで午前中が終了。
 かなり捗った。70%は進んだろうか。

 午後からは料理。
 健康サロンの料理教室で我がグループが作るものの試作を行う。
 スーパーに行ってシモンパウダーとレーズンを買ってくる。
 早速料理。
 ミニ春巻きに入れる物は、リンゴ、バナナ、柿、サクランボの4種類にした。
 薄く切ったリンゴを砂糖を入れたフライパンでしんなりするまで炒める。
 レーズンも入れた。
 リンゴを炒める
 バナナと柿は皮をむいてそのままカット。
 サクランボは缶詰を使った。
 サクランボが綺麗

 ミニ春巻きに材料を巻いて行く。
 まずは柿から巻いて行く

 こんなに出来た

 出来た所で180度のサラダ油に入れて外がこんがりするまで揚げる。
 これで完成。
 こんがり揚げて完成
 試食の結果。
 リンゴは美味しかった。
 バナナは少しもそもそする。
 柿は意外と美味しかった。
 サクランボは味が良く出ていた。
 全体にシナモンパウダーが少なかったかな?
 まあ揚げた外側に掛けても良い。
 こんなに出来た

 サクランボがの赤が綺麗だ
 これを持って次の打ち合わせに提案しよう。
10月26日(水) 健康サロンin明和園
 恒例の健康サロンに行く。
 体操やストレッチをして汗を流す。
 今日改めて気が付いたが、五十肩の事は最近すっかり忘れていた。
 今日の体操でも腕はほぼ真っ直ぐ上に上がる様になっていた。
 特に治療らしい治療はしていなかった。
 せいぜい痛くなったら湿布を張る程度だった。
 それも最近は痛みが無くて張ってはいない。
 五十肩は原因が不明と言うが、おかしな病気だった。
 あの強烈な痛みは何であったのだろう。
 でも直って? 良かった。
 体操の後は「頭の体操」。
 高齢者を対象に頭の体操のDVDがあるのだ。
 内容は頭の回転力と記憶力か?
 素早く判断して記号に○を付ける問題。
 これはかなり早く出来た。
 問題は記憶力。
 1画面の4つのキィワードが出る。
 医者・ポプラ・アユ・いちじくなど。
 それが8種類出る。
 それを最後に紙に書くのだが、32項目思えるのは大変だ。
 時間は十分に無いから思い出しながらゆっくりとはいかない。
 直ぐに書かないと時間が無くなる。
 結局25項目ぐらいしか思い出せなかった。
 頭が少しずつ壊れているのか・・・。

 会員の方で歩くのが好きな方が居て、是非講演を聞きたいと言われてパンフれとを渡す。
 先日行われたウォーキングでは私のグループでは無かったが、私が作成したコースガイドをしっかりコピー、それを元に一人で歩いたそうだ。
 その資料にはコース途中の町の歴史が載っていて、楽しかったと言われた。
 何事にも積極的な方はやはり元気だとつくづく感じる。

 昼食はお茶漬けだった。
 鮭が沢山入り、バターやネギなども入り美味しかった。
 お茶漬け
 帰ってパソコンに夕方まで向かう。
 講演資料の半分は作成した。
 後残りは半分だ。
 
 夕方、明日調理する春巻きスィーツの食材を購入する。
 健康サロンで各グループが調理するのだが、私のグループはスイーツが割り当てられた。
 細目、焼く、とろみのある味付けがキィ−ワ−ドだった。
 グループで討議したが何を作るのかの意見が出ない
 そこで春巻きスィーツを提案したのだが、調理してみるのは自分なってしまう。
 まあ良いっか。
10月25日(火) プレゼン資料作成&おもちゃ直し
 道民カレッジ事務局から講演の正式依頼の他に講座の承認・承諾書、略歴書、口座振替申請書などが送られてくる。なかなか物々しいのだ。
 それを受け取って、今日はパワーポイントでプレゼン資料の作成を1日やる事にした。
 まだまだ先だと思っていて、旅の計画などを行っていた。
 こんな書類が来ると、やばい・・少しは進めなくてはとなって来る。

 その前にスーパーに行って並ぶ。
 火曜日はいつもの金券が貰える。
 この金券が貰える
 さらに65歳以上は5%引きで配達も無料だ。
 さすがに配達は不要だが、割引は嬉しい。
 貰ったついでに食料も購入して来る。
 妻が帰って来るまで一人で料理作りだが、これもまた楽しい。
 プラスチックが折れた

  今度は金属製だ
 帰ってきて資料作り。
 かなり気を入れてやったので1/3は終わった。
 今日はここ迄で終わり、孫の自転車に付いていたアンパンマンのウィンカーとメロディがなるおもちゃを直す。
 自転車からぼろっと取れてしまったのだ。
 取り付けはプラスチックなので如何にも弱そうだ。
 金属のベルトがあったのでこれを加工して完成させた。

 来月にまた釧路に行くのでその時持って行ってあげよう。
 でも釧路はもう寒くて自転車には乗らないかな??
10月24日(月)恵山山道&銚子岬越えの道調査
 明日と明後日は前線の通過で雨が降るとの予報が出た。
 それなら今日、旧道の調査に行こうとなった。
 急いでおにぎりを1個握り、水をペットボトルに入れて家を出る。
 行き先は恵山山道の出口側だ。
 前回行って途中で旧道が消えてしまい、最後まで歩く事が出来なかった。
 地元の人が送電線に沿って降りれば良いとの情報をくれたのでその確認だ。
 恵山の恵風温泉の駐車場に車を置いて歩く。
 目標は送電線。
 早速、熊注意の看板が出てくる。
 今年は熊が良く出る
 1週間前の16日に出没している。
 今年は下に降りてくる熊が多いな。
 送電線はあったのだが何か方向がおかしいし、砂防ダムがどんと控えていけない。
 しばらく車道を登ったら、3つ目の砂防ダムで行き止まり。
 恵山の東側
 仕方が無く下ってきたら、下からばっちり山装備のカップルが来る。
 「どこに行くんですか?」
 「恵山に登るんですが・・」
 「一般的にはこの道でないが、どんな道を行くんですか?」と聞いたら、普通に登りたいと言う。
 「それなら向うに登山口があり、標識もありますよ」と教えたら、そちらに向かった。
 私もそちらに行ったが「登山口の看板は気が付かなかった」そうだ。
 確かに下から文字が見えないな。矢印も小さいし・・。
 鹿に見えた木
 私の道探しだが、かなり広範囲に探すが全く分からない。
 かなり探したら送電線が出て来た。
 あれ〜先ほどとは違う。
 送電線に沿って行って見たら、道がかすかにあった。
 奥に行ったら、ロープ場があった。
 ロープ場があった
 この場所に間違い無い。
 ここを登れば前回分からなくてうろうろいた道に出る。
 これで恵山山道が全て判明。
 後日また行ってマップを作ろう。
 ここを寛政11年(1799)に渋江長伯が通ったのだ。
 北海道人、松浦武四郎も通った道だ。
 3色の楓?

 次の道探しに行く。
 銚子岬を越えて行く道だ。
 銚子岬
 海岸を通る道もあったが、海が時化た時は山越えになった。
 古い地図を頼りに国道から脇道に入る。
 前方は杉の植林が多い。
 しらみつぶしに歩く。
 どうも旧道の気配が無い。
 諦めかけたが、もしかしてと全然違う方向に行ったら、杉林の奥に小道があった。
 ここでは無いだろうなと思いつつ、小さな土手を登ってみた。
 上には立派な道があった。
 苔が綺麗だ
 植林の際に作った道かなとも思ったが、それにしては自然な感じの道だ。
 しばらく杉林を見ながら歩いたが、その内に杉が消えた。
 道は旧道らしい雰囲気になってきた。
 旧道らしい道だ

 良い感じの道だ

 鹿の骨もあった

 頂上も近い

 相当掘れて多くの人が歩いた形跡が見える。
 頂上付近に来たらNHKの施設があった。
 さらに進むと、共同テレビアンテナがあった。
 ここまでは良かったが、頂上はだだっ広い平らな場所だ。
 下り道が分からない。
 それらしき道はあるのだが、はっきりした旧道の道は無い。
 かなりうろついたが天気も悪くなりそうだし、暗くなってしまう。
 ライトはあるが、降りて引き返す事になれば、相当時間がかかる。 
 今日は成果もあったので引き上げる。
 木の下に石が・・

 石に負けずに頑張る木

 家に帰って夕食は「きんぴらごぼう」を1品添えた。
 きんぴらごぼう
 ごぼうは随分前に買ってあったが、作る暇が無かった。
 完成したが、酒やみりんが無かったので少しは物足りないが、まあおかずとしては十分だ。
10月23日(日)ANAガイド
 昨日の運転で疲れているのだが、朝はやっぱり4時過ぎに目が覚めた。
 体内時計は本当に正確だ。
 昨日のブログを書き、新聞販売店に行って朝刊を受取る。
 電話しても配達して貰っても良いのだが、ぶらっと出かけるのはいつもの事だ。
 コーヒーを入れて新聞を飲む。
 一人なので何か気持ちはのんびりする。
 今日のお客さんに渡す資料を印刷して、自転車で出発。
 今日は新しいまち歩きのコースになる。
 まちあるきセンターに行ったら「も〜さん」と声がする。
 マスクを掛けた女性だが・・。
 「あ〜MJさんだ」
 FMイルカの街角レポートをしていて、ゲストハウスにも来て頂いた。
 FMイルカを退職したので、何処に行ったのかなと思っていたが、ここで会えるなんて・・。
 懐かしい。

 お客さんは東京から来たご夫婦で、年齢的には私と同じ。
 「土方歳三や新撰組は好きですか?」と聞くとそれ程の熱烈なファンではないようだ。
 こんな時は説明も簡単にして、他の話題を多く取り入れる。
 歩いたら案の定、建物や木々などに興味があった。
 こうなったら色々なテーマで話す。
 日本で最古のコンクリート電柱や旧東浜桟橋、基坂、ルネッサンスの建物の相馬株式会社などを回る。話題は一般的な話しの連続で、幕末は何処かに消えてしまった。
 特に喜ばれたのが、イカ釣り舟だった。
 入船漁港でイカ釣り船の説明をしたら喜ばれた。
 こんな時に、最初に勤めたのが造船会社だったのが効いてくる。
 何が役に立つのか分からない。
 知識はいくらあっても損はしない。
 後はななかまどが凄く気に入ったようで、沢山写真を撮っていた。
 ななかまども紅葉
 確かに葉が紅葉していたし、赤い実も沢山色どりを添えて綺麗だった。
 丁度2時間でガイドを終了した。

 スタート地点まで歩いていたら「毛利さん」との声。
 軽4に乗った男性だった。
 「お〜S君か、懐かしいな」
 何年振りだろう?
 年賀状はやりとりしているが、以前会ったのは会うのは10年以上も前だろう。
 話を聞いたら会社は退職してお母さんの面倒を見ているそうだ。
 お母さんの面倒を見ていたお姉さんが癌で70歳で亡くなり、その後は彼が面倒を見ている。
 お母さんは95歳で、施設に入るのを嫌っているので、自宅介護にしているそうだ。
 介護に掛りっきりで自分の時間が無いと言っていた。
 スタート地点まで乗せて貰って、大変だが頑張ってと分かれる。
10月22日(土)孫の学芸会&釧路から函館へ
 今日は小学校1年生の瑞葵の学芸会がある。
 瑞葵は前日に微熱が出て学校を休んでいる。
 大丈夫なんだろうか?
 朝起きたら、熱も下がって学校へは行けそうだ。
 瑞葵は一足先に学校へ行き、我々は8時30分には出発する。
 学校に入ると生徒の絵が張られていた。
 それぞれの子供や孫の絵を見て「上手だ、上手だ」と言う声が聞こえる。
 自分たちの子供の絵が1番上手に見えてしまう。
 瑞葵の絵
 体育館は既に沢山の人が居た。
 椅子席に座るが、舞台までは結構な距離がある。
 幼稚園時代は人数が少なかったので、舞台が近かったが、流石に小学校は生徒数も多いので後ろになってしまう。
 前の方に「高齢者ふれあい席」という見やすい場所がある。
 でも何か高齢者という文字に抵抗を感じてか行く人が居ない。
 誰でも高齢者と見られたくないから、その心理は良く分かる。
 やがて学芸会が始まった。
 1番最初が一年生だった。
 瑞葵は背が高いので最後列だった。
 2曲歌い、演奏はピアにかに依る「聖者の行進」だった。
 最後に踊る。元気に踊っていたので良しだ。
 元気に踊っていた
 瑞葵の発表が終わって帰路につく。
 天気予報は雨だったのでポツリポツリと落ちている。
 途中からは大雨になり、飛沫で前がなかなか見にくい。
 帰りは近道をと思ったが、やはり渋江長伯が歩いたコースを走る。
 彼のコースを頭に入れておきたい。
 海岸線は護岸工事で殆ど覆われて当時を再現するのは困難だろう。
 様似に来て漁港に「窓岩」と言うのがあった。
 取り敢えず写真だけは取る。
 現在の窓岩
 その後、駅の観光案内所に行ったら、資料の中に松浦武四郎の書いた絵があり、その絵の岩が窓岩だった。
 絵の穴はかなり高さがあったが、漁港を作る際下の部分がコンクリートで埋められたので、穴の高さが無くなっていたのだ。
 当時の絵
 何か漁港が邪魔して自然な岩が見られなくなった。
 他に渋江長伯の関係資料もあったが、閲覧用だったので写真を取らして下さいと言ったら、カラーコピーを取ってくれた。凄く親切な観光案内所だった。
 蝦夷三官寺の一つの等じゅ(樹の木辺がさんずい)院を見に行く。
 等じゅ(樹の木辺がさんずい)院

 薬師如来三尊仏像(江戸末期)
 有珠の善光寺、厚岸町の国泰寺と並ぶ。
 将軍徳川家斉により蝦夷地に派遣された、武士や商人、出稼ぎの人々の心の支えにと建てられたと言われている。この時代はお寺の建立が禁止になっていた時代であり、幕府にとっても特別な思いがあったのであろう。
 有珠の善光寺は江戸時代の原型を留めているが、他の2寺は一部しか当時の建物は残っていない。
 貴重な資料は寺内部にあるようだが、見る事は出来なかった。
 見学を終えて車に向かう途中滑って転び、パンツは外も中もぐしゃぐしゃ。
 椅子に枕カバーをひいて座る。
 どうも軽量サンダルのクロックスは滑る。過去に何度転んだ事やら・・・。
 
 再び雨の中を走る。
 そして13時間かかり函館に到着した。
 長い長いドライブだった。
 雨で視界が良く無かったので一層疲れた。
10月17日(月)釧路への出発準備
 釧路に向けての出発準備に追われた。
 朝から荷物を積み込んだ。
 天候が暖かくて夏タイヤで大丈夫だと思ったが、これから気温が一気に下がり、平地でも雪が降るかも知れないとなった。
 それでは冬タイヤにしようと、貰った冬タイヤのホィールキャップを外したら、何と5つ穴だった。
 私の車は4つ穴なので当然合わない。
 仕方が無く、妻の実家の物置に置いてある、タイヤの交換した。
 終わって大野郷土資料館に行き、借りた本を返してくる。
 学芸員のSさんが、沢山の小学生を相手にしていた。
 又借りに来ますと言って帰る。

 帰りに函館中央図書館に寄り「渋江長伯」の本を借りる。
 何度も何度も借りたり返したりになる。
 文書の解読はかなり終わったので、今度は絵の場所の特定に本が必要なのだ。
 今回の釧路行きで、本と同じ場所が見つかれば嬉しい。
 こんな場所が今もあるのか?
 寛政11年(1799)当時の絵の場所が何処なのか?
 かなりの絵があるので、調べるのも相当大変かもしれない。
 でも興味深々なのだ。
 
 時間があったら山にも登りたいので、登山道具も一式積んだ。
 自転車も積んだ。
 これに妻の荷物が入る

 椅子は1歳の愛葵のお土産。座ると音が出る。
 行く途中、千歳に寄って友人と会うので私は車中泊。
 妻は市内のホテルに泊まる。
 車内の寝場所が必要なのだが、随分荷物が入った。
 まあ寝る時に助手席に移せば、何とか確保出来るだろう。
 これで準備万端。
 明日の朝に出発する。
10月16日(日)大沼グレートラン&ウォーク
 妻と妹が大沼グレートラン&ウォークに参加する事になった。
 普段は私ばかりが出歩いているので、しっかりサポートしなくては・・。
 と言っても車での送り迎えしか出来ないが。
 妻が体育系のイベントに参加する事は珍しい。
 以前は40kmも歩いていたが、最近めっきり歩かなくなったので、14kmも歩けるかなと心配そうであった。
 来るまで妹も乗せて大沼に到着。
 紅葉はまだ少し早いのかそれ程綺麗では無かった。
 受付に2人を置いて私は別行動。
 旧道を探して歩こうと別な場所に行くが、突然雨が降って来た。
 それも粒が大きく風も強い。
 車から降りるときに2人とも合羽を車に置いたので、必要なのかなと思ったが、傘もあるし大丈夫と言う事だった。
 私はこの雨の中旧道を探しに藪を漕ぎたくは無い。
 温泉に逃げる。
 早朝から営業している「しんわの湯」に入る。
 のんびり入ってから、休憩スペースで資料調べ。
 こんな時のためにといつも持参している。
 時間も来たので外に出たら天気は良くなっていた。
 大沼に向かう。
 キャンプ場に熊が出たので電気柵
 キャンプア付近で待っていたが、来ないので途中のチエックポイントで、妻が見当たらないが通過したかどうか聞いたら、通過していた。
 大沼が綺麗
 ゴール手前1kmくらいの場所で待つ。
 「ゴールまで後どのくらいですか?」
 「ここに駐車出来ますか?」などなど聞かれる。
 係員に見えるのかな??
 もう直ぐゴールだが、ランの人は表情や走りからかなり疲労感が目立つ。
 歩いている人は何か和やかさが感じられる。
 ウォークの早い人はランの後ろの人よりも早かったのが凄い。
 やがて元気にピースサインで2人がやって来た。
 もう直ぐゴ−ル

 まだ元気だった

 ゴールは少し先
 まだまだ元気そうだ。
 3人で一緒にゴールする。
 ゴールの後は弁当。
 賑わっている
 参加者は支給だが一般の人も購入できる。
 かきあげ丼を注文。300円と安い。森町名物のイカ飯も300円だった。
 食事後は果物や野菜の袋詰め放題。
 200円を払い、袋を貰ってリンゴを詰めたら6個も入った。
 多い人は7個入るので何とかがんばるようだ。
 私はそこまで頑張らない。
 10番目位に中に入り、一番最初に出て来た。
 まだ残っていたので再び詰めて、締めて400円で12個購入できた。
 リンゴ大好きなので有難い。
 妻やニンジンなどの野菜を詰めた。
 駒ケ岳も綺麗だ

 帰り道はキノコ採り。
 南茅部に行ったが、2回分くらいのキノコ汁程度しか取れなかった。
 先週大量に採ったから良いのだが・・。

 函館に戻り七飯の温泉に行く。
 大会参加者は無料チケットがある。
 私は本日2度目の温泉。
 軽く入って休憩室で調べ物。
 隣に居た男性も5万分の1の地図を広げて見ていた。
 同じ事をしている人もいるものだ。

 長い一日が終わった。
10月15日(土)ANAガイド&工作
 今日は朝から雨なので、ガイドの時は合羽を着ようかどうか迷っていたら、雨が上ってくれた。
 スタート地点の沖ノ口番屋の前で待っていたら電話が来た。
 奈良のまっちゃんだった。日本縦断徒歩の旅をした方で、わがGHにも2回来ている。
 一度目は「人生の楽園」のテレビを見た時に、机の上に置いていた本に映っていたキャリアを見て、「これだ!」とばかりに飛行機で飛んで来たのだ。
 そしてキャリアの寸法を採って、帰ってから自分の案を入れてアルミ会社に作らせた。
 それで日本縦断を果たしたのだ。
 今回は軽4のキャンピングカーで旅しているそうだが、明日は大間に向かうので今回は会えないが、声を聞きたいと言う事だった。
 お互い定年後の生活をエンジョイしているので良い人生だろう。

 時間通りにお客さんがタクシーでやって来た。
 奈良県から新婚旅行で来たそうだ。
 旦那さんの家の近くに新選組の隊士の墓があるので、新撰組に興味を持ったそうだ。
 早速スタートする。
 雨上がりの空は曇っていて、気温も高い。
 古い建築物も見ながら、土方が良く来ていた丁サ跡、寺町と巡り、咬む菜園跡に行く。
 コースからは外れているが、行きたいと言うので坂を登って行く。
 ここは千代ヶ岡陣屋で果敢に戦い亡くなった、中島三郎之助が時世の句を残した場所として知られている。
 「ほととぎす われも血を吐く思い哉」
 坂を登れば結構汗が出る。本州の旦那さんも汗を拭いているくらい暑かった。
 称名寺・高龍寺・地蔵寺を回り弁天台場で終了。
 電車に乗るまで見送って私はスタート地点まで歩きだす。
 途中で電車に追い抜かれたが、車内から手を振っていた。こちらも手を振って答える。
 今日も和気あいあいとして楽しいひと時だった。

 家に帰って、やりかけていた壊れたキャリアを修理する。
 大学生のチャリダーのキャリアーが壊れて、新規に買ったのでいらないとなった。
 折れた部分を切ってそこにアルミ棒を入れる。
 太い棒を削る

 折れた部分をカットする

 カット後の状態

 アルミ棒を押しこむ

 先端を平らにして穴を開ける

 取りつけ完了
 ひたすらアルミパイプの穴に合わせて研磨し、かなりきつめに押しこむ。
 当初アルミパイプがカーブしていたので、強度不足になったので、直線にした。
 これで相当がっちりしたので大丈夫だろう。
 私は2台もキャリアがあるから不要なのだが、また旅人で必要な人が出てくるだろう。
10月14日(金)今日もいろいろな日
 今日も何かと忙しかった。
 朝一番で図書館に行って返却ボックスに本を入れて返却。
 帰ってきて、釧路行きの荷物を積む。
 折り畳み自転車、寝具、食料、炊事道具、登山道具、旧道の資料一式、などなどを積み込んだ。
 これは全て私の荷物。釧路に行ってから調査をするための道具だ。
 これから妻の荷物も載る。

 帰ってきて「ほっかいどう学」の講演当日に配布する資料を作成。
 月曜日に送らなければならないので、一気に書き上げる。

 明日のANAスカイホリデー「幕末ガイド」の資料もコピーした。
 明日の予報は雨だ。
 せめて楽しいガイドをしなくてはならないな。

 各種製作した資料やコピーが溢れているので整理が付かない。
 リサイクルショップに行く事にする。
 行く途中で湯川温泉組合に行き、「オンパク」のポスターとパンフレットを貰ってくる。
 「啄木亭の高田さんが届けなかったですか??」
 ホテル啄木亭の高田さんもホテルのマネージャーで忙しいのだ。
 これが今年のポスター

 3年分を張ってある

 今年で「オンパク」ガイドも4年目になる。
 まだ定員に達しているので良いのだが、マンネリにならない様にしなくては・・・。

 そしてファイルを求めにリサイクルショップに行く。
 まともに買えば高いのでやむを得ない。
 合わせて24冊で1260円と安かった。何れも新品だった。
 1冊50円程度だ。
 家に帰ってファイリングをする。
 大分すっきりしたぞ!

 最後は釧路での旧道調査資料を作成した。 
 これが一番時間がかかった。
 でも何とか終えた。

 これで夕方・・・あ〜疲れた。
10月13日(木)いろいろな日
 道南の函館から恵山間の旧道調査が終わった。
 意外な道路が旧道である事が分かり、これも旧道探しの醍醐味なのだ。
 意外だったのは銭亀町から古川に抜ける道だった。
 国道は海岸道を通って行くが、渋江長伯の日記(1799)では、遥か上流を通っている。
 この事を調べていたら出て来た。
 右のコトマリに行く道もある
(南部藩蝦夷地経営図より)
渋江は川傍を歩いた

 当時は塩尻川(現汐泊川)の河口付近は深くて流れが急なので、渡る事が出来なかったのだ。
 そこで上流を迂回していた。上流こそが本道であったのだ。
 その道沿いに石倉神社(当時はイシクライナリや石倉神明)がある事も理解できる。
 この様に旧道探しは時間は掛るが、見つけた時の楽しさは格段だ。
 函館〜恵山間を終えて、今度は釧路から厚岸間の紙上調査と10月18日から釧路方面に行くので、調査して来る。

 午前中に講演の打ち合わせを、K中学校のO校長と行う。
 来年1月6日に講演を要請されていた。
 渡島の中学校の「冬期研修セミナー」で75分の講演をする。
 テーマの打ち合わせをしたが「箱館戦争と土方歳三の歩いた道」に決定。
 箱館戦争の歴史的な話と道の繋がりについて講演する。
 対象は120名とマンモス講座になりそうだ。
 
 「スタッドレスタイヤが余っているんだけど・・」と話しが来た。
 我が家では今年中古車を買ったが、スタッドレスはその車に付いていたもので新品では無い。
 溝は8分目くらいかな。
 中古車は冬の新品タイヤは付かないので、別途購入しなければならない。
 8分目でも良いと思っていたが、新車を買ってタイヤも付けたので不要になったそうだ。
 早速貰いに行く。
 冬タイヤが手に入った
 タイヤは1シーズンしか使っていないもので、女性なので冬は殆ど乗っていない。
 捨てる所だったそうなのだが、私にとってはもったいなく、思わぬ貰いものだった。
 殆ど摩耗はしていない。助かるな。
10月12日(木)台湾ツアーガイド
 昨日の夜もガイドの予定だったが、夜景はバスが函館に着いたら、そのまま山に登るとなり、昨日はガイドをパスした。
 今日は朝9時30分に湯川温泉のホテルをスタートした。
 湯川温泉から出発

 車内で「今日のバスガイドのも〜さんです」と姪っ子の悠長な中国語で紹介され、拍手を貰った。
 直ぐに質問「日本の信号は10分くらい待ったが青にならない。どうしてなのか?」
 え〜そんな・・。信号が壊れていたのかな?
 ようやく分かった歩行者専用の信号だったのだ。
 押しボタンを押さなければ変わらない。
 台湾には歩行者用の信号は無いそうだ。
 これで一件落着。
 立待岬に行く。風が強く寒そうだった。
 記念写真をそれぞれ撮る。
 立待岬で・・
 最後に皆で撮ろうとなったが、全く無視する人、集まってくる人とばらばらだった。
 台湾の人はそれぞれの考えで動くので、なかなか纏める事は出来ない。
 集まった人のみで記念撮影。
 次に元町方面に行く。
 これが気に入ったそうだ
 公会堂を見て、アイスクリーム屋に引っかかり数人がストップ。
 先に行く人は行ってしまう。
 八幡坂は気に入ったようで皆が写真を撮っていた。
 ここも人気だった

 ハリストス教会は特に興味は無し。
 自分の宗教以外は関心が無い。
 建物を見て楽しむと言う習慣が無いようだ。
 付近にある木の方に興味があるようだ。
 木の名前に関する質問は多い。
 また建物に蔦が張って、その葉が赤く染まっているのが凄く良かったそうだ。
 カトリック教会もあまり興味が無い。
 ここでトイレに行きたい人が出る。
 遠く離れたロープウェイ乗り場しか無い。
 他に居ませんかとなり、5人で歩きだした。
 途中で歩くのに疲れたので、道の端でしても良いかと質問。
 もう少しだからと言ってもやってしまった。
 その人はもう歩かないと言う。
 「じゃここで待ってて」と言って他の人をトイレに連れて行く。
 戻ってきたら、また4人くらいがトイレに行くと言う。
 また戻る。一緒に行ってくれれば良いのに・・・。
 バスに戻って明治館に行く。
 ここは1時間の観光。あまり興味のあるものが無いのか、皆時間通り戻ってくる。
 珍しい事だ。
 朝市でラーメンの予定を変えて、昭和タウンに行く。
 ここでラーメンを食べて、ユニクロ・家電アウトレット・ドラグストアー・スーパーでの買い物と決めた。
 ラーメンショップは北浜商店。
 店に行って団体が来るが少しややこやしいかもしれないと言っておく。
 皆が来るまで相当時間がかかる。
 注文もなかなか難しい。
 でも何とか注文で来た。
 北浜商店で

 食事が終わったら、皆がペットボトルや真空ボトルにお湯が欲しいと言う。
 ラーメン店に頼んで湯を貰う。
 こちらの人は自販機の水は買わない。
 持って歩いているボトルに必ず入れて貰う。
 店を出てショッピング。
 あちこちに分散するので忙しい。
 家電が一番人気だ。
 カメラらドライヤーなどなど購入。
 中国製は絶対に買わない。
 やはり日本製を選ぶ。
 1時間半の買い物を終えてバスは出発。
 車内でここで分かれますと姪っ子に行って貰い、拍手を貰った。
 大分親しくなったのでもう少しは居たかった。
 でもそれぞれの思惑で動く台湾人の国民性に、どっと疲れてしまった。
 日本人を案内する5倍くらいは疲れる。
10月11日(水)恵山山道調査
 今日も朝から古文書を読んだり、古い地図を色々と眺めていた。
 そんな時、「南部藩蝦夷地経営図」が出て来た。
 北海道全体に渡って場所名や道が書かれている。
 年代は不詳だ。
 今調査中の「渋江長伯」の紀行文を見ながら、「南部藩蝦夷地経営図」と合わせて釧路から厚岸までの旧道を調査していた。
 こちらもなかなかの旧道が残っている。
 旅するには厳しい道になりそうだ。
 「渋江長伯」の書いた紀行文の地名は殆どが夷語なので、一つづつ「北海道の地名」という、1800ページに及ぶ分厚い本を見ながら、現在の地名を割り出している。
 この本は北斗市の郷土資料館で借りたが、めちゃくちゃ面白い。
 この本を読んでいるだけで、タイムスリップが出来る。

 釧路地方が終わって、さらに「南部藩蝦夷地経営図」を見ていたら、恵山が出て来た。
 先日、少しだけ登った道が書かれていた。


 昔の旅人は上の図の上側の赤い線を歩いた。
 イソヤ(現御崎)からのコースになる。
 菅江真澄、松浦武四郎、渋江長伯などかなりの人が恵山に登っているが、この道を越えてから恵山に登っている。
 下の赤い線も「エ山」になっているが、これは現在の恵山町から登る道だ。
 早速行きたくなって、資料をコピーして恵山に向かう。
 車を置いて直ぐに登山。

 最初は砂防ダムが出来て道ははっきりしないが、高度を上げればはっきりした道が付いている。
 生活道路だけあって急な場所は避けて楽なコースを選んでいる。
 蛇も出て来た

 なかなかの雰囲気だ

 深く掘れている

 やがて峠のピークに達する。
 硫黄の臭いがしてくる。恵山は見えないが、噴気口から出ている硫黄だろう。
 やがて下りになる。
 道は少しはあったが、平らな広い場所に出るとはっきりしなくなった。
 真っ直ぐに進むと大きな沢が出て来た。
 下れない事も無いが、道では無いだろう。
 付近を探すが見つからない。
 しばらく探しても分からず諦めて戻る。
 スタート地点の家に年配の男性が2人居たので話しを聞く。
 道は右の方に曲って下るそうだ。
 これは全く分からなかった。
 また次の機会に行こうとなった。
 しばらく話す。
 この道の上の方には畑があってジャガイモを植えていたそうだ。
 戦後の食料難の時は、米が無くて毎日ジャガイモを食べていたそうだ。
 また杉の木は40年位前に植えたそうだ。
 帰る時表札を見たら二本柳と書いてある。
 臼尻に二本柳旅館や本家など5軒くらいあるが親戚ですか?と聞いたら違うそうだ。
 青森の下北尻屋岬の方からの入植で、もう3代目になるそうだ。
 お父さんは100歳を過ぎてまだ元気だそうだ。
 「また出直して来ます」と言ったら「ここに泊まって明日また登れば良いのに」と言われたが、「今日は用事もあるので帰ります」と言って去る。
 帰り際「熊出なかったかい?」と聞かれたが、旧道探しに夢中で熊の事は少ししか考え無かった。
 時々思い出したように大きな声で、叫んで歩いたが・・。

 降りて恵山を眺める
10月10日(月)まちあるきガイド
 函館市主催の「箱館幕末まちあるき〜新選組の足跡を巡る」が今日で最終日。
 実は勘違いして、まだ先だと思っていたが、昨日電話が来て今日もありますと言われ気が付いた。
 何も予定が入っていなくて良かった。
 雨の予報が晴れて来たので良かった。
 いつものコースを歩く。
 今回参加した方は東京から函館に転勤者された人でした。
 一通り回って終了。
 和気あいあいとして楽しく回る事が出来た。
 人との出会いは、普段は旅人の無料宿「自遊旅」も運営しているので多いが、旅人とは違った方たちと出会えるのも楽しい。
 ガイドは称名寺で終わるが、スタート地点まで一緒に戻ってから分かれる。
 このコース途中で称名寺の跡に建っている「元町ホテル」で土方関連のシールを作った。
 称名寺は新選組の屯舎があった場所で、土方も多分ここには来ていただろう。
 そんな縁で作ったそうだ。
 前日のガイドの時には貰ったので、今日も貰って行こうと中に入ったが誰も出でこなく諦める。
 このシールのキャラクターは「とし坊」。
 坊の字を離すと土方になるので、とし坊にしたそうだが、土方ファンには非売品のシールは嬉しいだろう。
 土方氏シ―ル
 家に着いてから凄い雨になったので、午前中に終わって良かった。
 昼から日ハムの野球中継をTVで見るが、目も当てられない試合で、ラジオに切り替えて仕事をする。
 点数はさらに入れられ2桁になった。
 仕事も止めて温泉に行く。
 40分くらいで上がった後には、休憩室で旧道の本を出して調べ物をした。
 長湯好きの妻にはいくら長く入っても良いよと言ってあった。

 明日姪っ子が引き連れてくる、台湾からの一行16名のガイドをするので、その資料作りをする。
 ガイドと言っても私は中国語は「ニイハオ、シェイシェイ」くらいしか分からないので、通訳は中国語がぺらぺらの姪っ子が行う。
 どんなガイドになるかな?
10月9日(日)ANAガイド
 天気は快晴で気温は19度の予想。
 最高のガイド日和になった。
 9時50分に待ち合わせて、ガイドを開始する。
 今日は愛知県から来た双子の姉妹だった。
 土方や新撰組についてはそれ程詳しくは無いが、テレビドラマで見て興味を持ったそうだ。
 土方が良く訪れた丁サ跡を回って寺町に行く。
 元町ホテルで休憩。
 社長の遠藤さんも居て、箱館総攻撃の絵を拡大して、ロビーに飾ってあったのを見せてくれた。
 この絵の説明もした。
 遠藤さんの情報で、この坂の上の消火栓に「Snowflake」のスタッフの書き込みがしてあると言う。お客さんは知っていて、行く事になった。
 消化栓も綺麗に塗装されている

 ボルトもぴかぴか
 消火栓に沢山書き込みがある。「誰誰さんのサインがあるかな?」とこの映画の事は知っている。
 しかし私には全く分からない。
 でも幕末よりこちらの方が楽しそうだった。
 幕末のコースとは離れるがお客さんが喜んでくれるのは良い事だ。
 称名寺から高龍寺に行く。
 旗が沢山立っている。
 賑わっていた
 例大祭だった。
 境内には出店も出て、賑わっていた。
 今日は宝物を無料で見せていた。
 聞いたら「見たい」と言うので中に入る。
 古い絵や掛け軸が沢山並んでいるが、私には古い事は分かるがその価値は十分に理解できない。
 宝物の見学者は多かった
 「歳月待人」の掛け軸は分かった。
 歳月は人の事を待ってはくれない。
 何れは皆、この世から100%居なくなる。
 充実した人生を送る事が大切と言っているそうだ。
 廊下は上りになっている
 夜7時からは歌がある。辺見マリだった。
 私の年齢では知っているがお客さんは「知らない・・」
 時代が違う。
 外人墓地に行き、山背泊台場から弁天台場に行く。
 そしてガイドは終了。
 2時間半も掛ってしまった。

 帰り道NHKギャラリーに寄り先輩の絵を見に行く。
 展示している絵が皆同じ様なタッチだった。
 教室で習った通りの絵なのだろう。
 写実的な絵だった
 でも皆上手だった。
10月8日(土)キノコ採り
 昨日、会社の駐車場に車を置いて来たので、早朝チャリに乗って車を取りに行く。
 走りながら考えたのだが、私は今酒を全く飲まないので、車に乗って帰って自宅に車を置いてチャリで宴会に行けば良かったのだ。
 宴会に車で行っても構わなかった。
 まだ酒を飲んでいた時のいメージが残って、宴会には車は駄目と身に付いている。
 車を置いたのは隣町の七飯町なので一汗かいてしまった。
 帰りに明日のガイドコースを確認してから家に帰る。
 
 家に帰って妻に「キノコ採りに行く?」と聞いたら行くと言うので、妻の妹も誘って出かける。
 南茅部のいつもの場所だ。
 今年は熊の出没が異常に異常に多い状況なので、ピストル(100円ショップで売っている)とホイッスルは持って行く。
 現場に着いてピストルを撃つ。
 ぱ〜んという音と共に薬きょうの臭いがする。
 何か楽しくて何度も撃ってしまった。
 さらにホイッスルを鳴らしてキノコの場所に入る。
 あった! 今日は沢山生えていた。
 5日前に来た時には小さなキノコは残してきたが、みな大きくなってさらに広範囲にキノコが生えていた。
 その内、妹が幻のキノコ「はなびらたけ」を見つけた。
 はなびらダケ
 2年前にもあった場所に今年も生えていた。
 結局私が大量の落葉ダケを採った。
 今までで最高の収穫だった。
 落葉キノコ
 車までの道程は手にずっしりと重かった。
 プロ級の妻と妹は今回はかなり少なかった。
 妹にもしっかりとおすそわけした。
 その後、いつものひろめ荘の白濁の硫黄泉に入って、のんびりしてから帰宅。
 良い日だった。
10月7日(金)会社のOB会
 会社のOB会に参加した。
 毎年1回、五所川原と函館で交互に行われる。
 昨年は街道踏破の旅の途中に,五所川原で行われた会に参加した。
 今年は函館で開催された。
 スーツを着るのは年に一度だけ、このOB会に着るのみになった。
 いつもと違うスーツを出して来たら、パンツがだぶだぶだ。
 腕を2本入れてもまだ余裕がある。
 ベルトは穴が足りない。
 昔はこんなに太っていたのだと思い知る。
 ベルトの穴を開けて履くが、何かだぶだぶ感がする。
 革靴を履くのも久しぶりだ。
 硬い靴はやはり歩きにくい。
 会社勤めを辞めて10年経つ。普段着ばかりで過ごしているのでスーツは窮屈だ。
 会社見学をして、昔の仲間との懇談会がある。
 現役の社員と話しをするが、やはり懐かしさで一杯だ。
 それぞれが役職になっていて、10年前とは随分変わっている。
 その後、会社の業績を社長から報告があった。
 震災の影響で生産ダウンしたが、その反動で一気に生産増となった。
 赤字から黒字になるが、この反動で後半の生産がまだ見えないそうだ。
 給与のカットもあるそうで厳しさは続きそうだ。
 珍しいスーツ姿
 函館市内に移動して懇親会。
 場は一気にハイテンションになるが、酒は飲まないのでテンションはどうしても普通のままだ。
 それでも2時間楽しく過ごせた。
 2次会は断ってタクシーで送って貰う。
 最近は夜の町にも出ないが、今日は少しはネオンで焼けれたかな?
10月6日(木)オンパクが新聞に載る
 今日は久しぶりにぶんぽ研の例会に出席した。
 参加者が以前より少なく、何か淋しい感じがする。
 今月だけなのか?
 いつもの報告資料を説明し、今回は文化祭のお手伝いを募集するが、オンパクガイドがあるので手伝いが出来ない。
 いつもはヨーヨー作りをやっていて、かなり上達はしたのだが・・・。

 帰って旅人Jabaさんに無線LANの設定をして貰う。
 なかなか難しくて時間がかかったが、何とか繋がった。
 これでGH「自遊旅」でインターネットが見れる。
 でも無線LANの付いて入るパソコンのみだが・・。
 無線LANのルーター

 今日の新聞に湯川温泉の「オンパク」の記事が載った。
 私のガイドも今年で4年目になる。
 そんなにやった感じはしないが、早いものだ。
 ポスターに絆が入る



 私がガイドするのはこのパンフレット。
 ガイド内容の暗記をしなくては・・。
 これが年とった脳には厳しいのだ。

 皆さん是非参加をして下さい。
 五稜郭タワー、箱館奉行所入館料込み、昼食を食べて入浴。
 昼食はウニ釜めしか・・昨年はそうだったが・・
 バス代も入っているので凄くお得です。
 下手なガイドを差し引いても格安です。
10月5日(水)岡田さん大間へ&Bajaさんバイク直る
 朝のフェリーで岡田さんが大間へ旅だった。
 これから三陸を走り、途中から国道4号線に出て南を目指す。
 終点は九州福岡だ。
 岡田さん出発
 Bajaさんは早朝に札幌から深夜バスで戻って来た。 
 今日は取り寄せたエンジンの積み替えだ。  
 新旧エンジン
 その前に、バイクやに行って交流発電機と直流発電機の入れ替えを行う。
 Bajaさんのバイクは軽量化でバッテリーが無い、そこで交流発電機を積んでいる。
 今回来たエンジンは直流発電機なので、入れ替えなければならない。
 特殊工具が必要なので、バイクショップに持って行く。
 1時間くらいかかり3500円で終了。
 家に帰って組み付ける。
 エンジンを外す

 新しいエンジンが付いた

 テストもOKだった

 エンジンはボルト2本で繋がっている。
 簡単に取り外しや取り付けが出来る。
 全て組んで走行テストも終了し、これで千葉まで帰れるだろう。
 それにしてもバイク整備は意外と簡単に出来るのだ。
 Bajaはこの整備が簡単なので人気なのだ。
 因みにスーパーカブも同じ様に出来るそうだ。
 走行距離が多いバイクを買って、エンジンが駄目になっても、2万円で交換できるなら、古いバイクを安心して買っていいのかもしれない。

 古いエンジンは千葉まで送る。20kgはあるだろうか。
 郵便局に持って行ったら「重い!」
 大丈夫かな??
 局長も出て来て、送れるかどうかの判断。
 函館に送って来たエンジンの送り状を見せてOKになった。
 1500円で千葉まで行くのだ。
 これはかなり安い感じがする。


 昨日のブログで書いた日本一周チャリダーで、イラストレーターの林さんだが、大阪枚方でイラストレーターの展示を行っていた。多様な色を使ったイラストだった。
 メルヘンだ

 何か楽しくなる
10月4日(火)寒い日は図書館で・・
 今朝はやたら寒かった。
 まだ寒さに慣れていないこの時期が特に寒さを感じる。
 九州福岡から来た前田さんと外で話すが寒くて長くは居られない。
 家に入ってまた話す。
 旅人はまだ居た?
 と聞いたら、GHに泊まった女性の自転車日本一周の林さんがまだ釧路辺りにいるそうだ。
 随分頑張って走っているな。
 この寒さの中では大変だろう。
 どうやら彼女は絵を書きながら走っているようだ。
 GHの旅人ノートに上手な絵を書いていたが、彼女はイラストレーターだった。
 どうりで細かい所まで、上手に書いていると思った。

 自室でパソコンに向かおうと思ったが、北向きの部屋は寒い。
 そこで図書館に行って、気合いを入れて資料作りに励む。
 流石に図書館は暖かい。
 オンパクガイドのコース変更や新たな史跡訪問に伴う、ガイド原稿の訂正をする。
 さらに「60歳の主張」の投稿文を書いてしまった。
 残るは渋江長伯の日記の解説。
 これが一番時間が掛る。
 5日分の紀行文をエクセルの表に分かりやすく掲載する。
 出来たらそのまま旅に持って行ける資料にする。
 夕方まで作業して、最後に函館から恵山登山の日記を読んで見た。
 昨日発見した旧道を通って恵山に登っているのだろうか?
 渋江日記
 「ねたないに着す。午牌に近し、昼食してエサンに上る。(中略)山形円にして焼赤く寸草を生す。火煙雲の如く上る、折り左に廻り、坂道を上る事壱拾弐三丁にして屋あり、回国の六部立たる堂なり、小川あり」と書いてある。
 回国巡礼の場所が現在の御崎権現だとすれば、場所が一致する。
 小川もあるので昨日の道に間違いが無いだろう。
 昨日は上まで行かなかったが、上に出れば恵山に上る道がある筈だ。
 恵山の頂上は現在、しっかり締まった道になっているが、当時は埋まって軟い道だったようだ。

 沢には砂防ダムが出来た
10月3日(月)恵山調査&キノコ採り
 寒い日だったが、閉じこもりを止めて恵山に向かう。
 11〜12日の台湾のツアーの客に恵山を見せようと思う。
 恵山は多分無理なので、噴気口コースを散策させたらどうだろうと考えた。
 でもこのコースは歩いた事が無い。
 そこで下見に行く事にした。
 ついでに江戸時代の恵山越えの旧道を探す事にする。
 明治の地図では明確になっていないのだが、図書館で見た「椴法華村128年のあゆみ」の本の中に、かすかに道が見えるのだ。
 それも郵便局の傍に道があると言う明確な目標がある。
 そのついでにキノコの状態も調べて見ようとなった。
 妻に行くと言ったら、「私も行く」となった。
 勿論山など登る筈が無い。目的はキノコだ。
 恵山の賽ノ河原に着いた。
 ここは奥尻賽の河原、大成太田権現、熊石門昌寺と並ぶ道南4大霊場になっている。
 早速歩く。
 車で待っていたらと言ったが妻も歩きだした。
 少し歩いたらあられが強烈に落ちてきた。
 (帰って夕刊で知ったが、この辺りは4.7度であった)
 噴気口遊歩道に入ると妻はもう付いてこない、どうやら歩く気が無いようだ。
 急いでコースを一回りする。
 遊歩道はしっかり付いている

 噴気口から噴煙を上げる

 噴気口

 展望台からの景色

 汐首岬が見える

 活火山の雄大な景色が続くのできっと良いと思う。
 恵山展望台からの海見える景色も良い。
 下北半島も良く見える。

 調査の後、旧道探しに向かう。
 江戸時代の冒険家松浦武四郎が歩いた道になる。
 この道を探さなければ、彼のコースを歩く旅が出来ない。
 過去に松浦武四郎のコースを歩いて出版した人も、賽ノ河原から越えている。
 その車道は後年出来たものだ。
 やはり本物を歩きたい。
 地図の通り委託郵便局があった。
 その横に道がある。
 登って行くと御崎権現神社があった。
 御崎権現神社
 そこを過ぎると家が1軒あり、道が途切れる。
 誰も居ないので付近を探す。
 あちこち回ったが見つけられない。
 諦めて帰ろうとしたら、下から杖を突いて坂を登っておばあちゃんが来た。
 急いで近寄り聞いて見る。
 「この辺りに昔の道があったと思うんですが・・」
 「そこだよ」と指を差す先には家と物置の間に小さな隙間があった。
 これなら分からないな。
 ここの間だった
 許可を貰って入って行くと直ぐに踏み跡はあったが、これはそれ程古く無い。
 さらに登って行くと砂防ダムがあった。
 ここの横を登って行く。
 しばらく登ったら、道がはっきりして来た。
 どうやら砂防ダムが出来た際、道は途切れてしまった様だ。
 砂防ダムに向かう道もあった。
 高度を上げていくと、掘れた道になり多くの人が歩いた道だと分かる。
 しっかりした道が現れた

 木々の間を通る

 かなり上に来たが・・

 もう少し登りたかったが、車に待たせている妻が遅くて機嫌悪くしているだろう。
 ここまでかなり飛ばしてきたので汗びっしょりだ。
 また一人で来る事にして下る。
 車に戻って「凄い!旧道が見つかったよ!」と言ったら「そう」とそっけない返事。
 やはり山歩きは一人で来なくては・・・。
 でも発見して良かった。
 流石生活道路だ。恵山を登れば618mあるがこのコースは210mくらいだ。
 昔の人はこんな高度も少ない良い場所を探して道を付けたのだ。

 次にキノコ採り、いつもの所で落葉キノコを探す。
 まだ大きくなっていないキノコが生えていた。
 もう少し早いのかな?
 後一週間もすれば、今生えている小さなキノコが伸びるだろう。
 妻が熊の糞を見たと言って戻って来た。
 もう一つの場所に行く。
 ここも採れた。
 キノコ汁3回は出来るだろう。
 温泉に入って帰る。
 
 夕方に福岡からの自転車の旅人が来る。
 北海道を回って南下中だ。
 バイクライダー理江さんの紹介だった。
 理江さんに来たよとメールしたら、直ぐに電話が来た。
 懐かしい声だ。
 今日、家に戻ったそうだ。
 冬は飛騨高山のスキー場でアルバイトして、その後インドバックパックに出るそうだ。
 パワフルだ。
10月2日(日) 家に閉じこもり
 家に閉じこもり状態になっている。
 今日の最高気温が15度と言う事もあり、まだこの寒さに対応できていないようで動きたくない。
 それとまだ家の中でやる作業が残っているのだ。
 まずは本の製作の最終作業である、表紙の不要部分のカットだ。
 これを終えたら昼になってしまった。
 それでも本は20冊完成して一安心した。
  20冊完成

 来年の旅の調査も少しづつ行っている。
 図書館から借りてきた本を読んで、日光街道の宿場や奥州街道の宿場や山川、生活状況などを調べた。本に依って内容はかなり異なるので面白い。
 沢山借りてきた
 道を中心に詳しく書いている本。
 松尾芭蕉や伊能忠敬を中心に書いてあるものなどなど。
 私の旅は渋谷長伯の予定なので、景色が中心になる。
 その景色の場所が何処なのか難しい。
 色々な資料を合わせて、ようやく渋江長伯の旅資料が完成するだろう。
 本を何度も何度も読んでは情報を書きこんで行くと、旅をしている感覚になるのでこれもまた楽しめる。
 当時の峠も結構残っているので、その情報も集めなくてはならない。
 これにはインターネットが有効だ。
 旧道・古道を歩いている人のHPにはかなり詳しく書いてあるし、各地で旧道を生かした地域活性化を進めている所もあるのでこれらの情報が手に入る。
 旧道の写真を眺めているだけでわくわくしてくる。
 旧道らしいい良い感じだ

 わくわくする
 この情報を旅用のノートに張り付けて行く作業を続けなくてはならない。
 この作業は嵌ると意外と楽しい。
 本の中から吉田松陰の時世の句が出てきた。
 土方歳三の句は知っていたが、雰囲気的には良く似ている。

 たとえ身は 蝦夷の島根に朽ちるとも 魂は東の君やまもらむ    土方歳三
 身はたとひ 武さしの野辺に朽ちぬとも とどめ置かまし大和魂    吉田松陰

 「60歳からの主張」募集の新聞記事が載っていた。
 何か面白そうなので、応募しようと書き始めた。
 この1500字以内と言うのが良いのだ。
 以前新聞社から頼まれて、投稿したのも1500字だった。
 だらだら書いたらあっという間にオーバーしてしまうし、収めようとすれば内容的に不十分な気がしてくる。
 短い言葉の中に、如何に表現したい文書にするかが面白いのだ。
 応募は全国から3000通はあるそうだ。
 何でもやって見ようの精神で応募するぞ!

10月1日(土) Bajaさん道央に出発
 グルメ旅のBajaさんと朝にバイクの前で話す。
 Bajaさんのバイクは相当年数が経って立ているので、良く持ちますねと聞いたら、中国製の部品が数多く出回っているそうだ。
 その部品は通販でも売っていて、それぞれが購入して自分で取り換えたりするそうだ。
 Bajaさんのバイクもエンジンを2万円で取り代え、アルミホィールは前後で1万51千円だそうだ。
 自分でバイクをいじりたい人に人気があるそうだ。
 Jabaさんのバイク
 一度家に入って出てきたら、もうバイクが無かった。
 出発したのか・・?。素早いな・・。
 道の駅「南茅部」からメールで、今日オープンする日本で唯一の国宝のある道の駅に行ったら、凄い混雑でいつ入れるのか分からないそうだ。
 やはり初日は大変だ。
 ここまでは良かったが、その後洞爺からメールが来て、バイクのエンジンが壊れたそうだ。
 HONDAの会に入っているので、バイクは車に載せて函館に帰る事になってしまったようだ。
 夜は遅くなるそうなので、自由に家に入ってとメールした。

 「ほっかいどう学」のパンフレットが来た。
 道の承認も取れてこれから配布するそうだ。
 1000枚配布するそうだが、何人集まるのかな?
 当日受付なので不安と期待が交錯する。
 1000枚で100人来たら10%で10人だったら1%になる。
 あまり効率は良くないな。
 勿論講演は人の多い少ないでは無いので良い資料を作成する。


 近くのスーパーで鰤が安かったので購入した。
 捌いたら何と鯵が10匹も入っていた。
 まだ生きの良いままだった。
 食べて直ぐに引き上げられてしまったのか・・。


 図書館に行った。
 来年に旅する予定の渋江長伯の「東遊奇勝」の中に書かれた、奥州街道の旧名が新名ではどの様に変わったか分からないので、多数本を借りてきた。
 図書館に入ったら、入口の展示コーナーに箱館戦争の絵を描いた「岩崎教章」の資料が展示してあった。
 北海道大学函館校の小栗研究室が解説している。
 その中の1枚の絵に目が行った。
 自分が調査した場所だと直感的に分かったが、いかんせん字が小さくて見えない。
 写真を撮って家で拡大したら、「四月十日 小砂子濱ニ而敵二終ワレル」とのタイトルで書かれていた。
 この絵の場所は小砂子の市街地からメノコハシリの岬を越えて行く道で、左の書かれているのが難所のメノコハシリで、右の家のある場所が小砂子の集落だ。
 中央に道が書かれている。
 メノコハシリが見える
 大正年間の地図にも書かれている道だが、未だに発見は出来ていない。
 もう一度調べて見るか・・でも草が密集している場所なのだ。
 この岩崎教章の絵は一度原本を見たいものだが、見せてくれるのかな?
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