4月30日(月)古部丸山銚子岬コース
 今日は古部丸山コースに行く。

 明治以前からある、古部山道の基礎調査と古部丸山(691.1m)の案内だ。
 20度の気温が予想されるので車内は暖かい。
 前回調査した椴法華に旧道入り口は間違いだった。
 修正して新たな道を入って行ったら家が数軒あった。
 外に人はいない。
 繋がれた犬が吠えているし、放し飼いの犬もいる。
 道を聞きたいがどうするか考えていたら、ゴミ回収者車が来たので聞いて見たら分からないと言う。
 ふとバックミラーを見たら女性が家から出て来た。
 直ぐに行ったら、お父さんも家から出てきたので道を聞く。
 「昔は良く山に入っていたので、旧道は有る筈だ。」
 「でも最近は行っていないので分からないが、相当草木は生えているだろう」との事だった。
 さらに「昔鉱山があってそのズリの跡がある」との情報を得た。
 明治の地図に依ればこの山道から、古部丸山に行ける筈だが。
 今日は案内もあるので諦める。
 今度1人で来て見よう。
 と云う事で、冬期もうろついている銚子岬コースを登る事にする。
 分かりにくい入り口を入って、ジグザグの道を一気に登って行く。
 MHKのアンテナがある場所から尾根道になる。
 この周辺は行者ニンニクの宝庫だ。
 銚子岬コースの登山道

 キクザキイチゲ
 恵山や海向山、真下にはサーフインで有名な銚子ビーチが見える。
 登りきって尾根道を行く。
 「あ〜行者ニンニクがある」
 ここは行者ニンニクが豊富なのだ。
 でも帰りに採ろうとなった。
 それでもここにもある! ここにもある! と声が出る。
 大きくジグザグになった道を藪こぎで大幅にショートカット。
 さらに林道を行く。
 そして絵紙山からのコースと合流。
 さらに林道歩きは続く。
 やがて林道は雪になった。
 北側の林道は雪がまだたくさん残っている。
 まだ雪が多い
 12時を廻ってようやく古部丸山の取り付きに着く。
 ここから急斜面の藪漕ぎだ。
 下の方は長い笹が下を向いていて登りにくい。
 しばらく悪戦苦闘して登ると残雪が出て来た。
 急登の道から恵山が見える
 こちらの方が登り易い。
 滑るのでステップを切りながら登る。
 そして頂上に出た。
 冬しか見ていない頂上は短い笹が密集している。
 その中に1等三角点がある。
 明治26年に設置されたそうで、116年前になる。
 頂上にて


 (頂上からのパノラマ写真、左端は恵山)
 頂上は風も無かったので昼食を摂る。
 恵山や横津岳初め360度見渡せるので気持ちは最高に良い。
 食事を終わってさてどこから下ろうかと考えたが、冬に登る尾根伝いのコースを行こうかとなった。
 冬は雪の大斜面になる場所は短い笹で覆われていたので歩きやすい。
 ヒメイチゲ



 シラネアオイ
 鞍部まで来て振り返る山頂は高だかにそびえている。
 古部丸山頂上
 しかし鞍部から次のピークに向かっての道は、ドウダンツツジなどが頑固で歩くのは大変だ。
 木々の間を苦労して林道に出た。
 再び林道を戻る。
 帰り道に旧山道を発見した。
 家に帰って調べたら多分間違い無いだろう。
 この道なら歩けそうだ。
 また来なくては。
 気温も上がってきて暑い。
 皆の足取りもだんだん重くなる。
 やがて行者ニンニクの生えている場所に着いた。
 さあ採ろうと一斉に中に入ったら、道端に生えていた量とは比較にならないほど凄い量位だった。
 採り始めるがあっという間にビニール袋に一杯になる。
 採っても採っても採り切れない。
 切りが無い。 
 もう止めようとの大きな声で一斉に中止。
 ここからに足取りは、先ほどとは比べ物にならないほど快調だった。
 もう時間は5時に近い。
 歩いた距離はGPSで15kmと相当長かった。
4月29日(日)函館山の花めぐりが・・
 「天気も良いし函館山をのんびり花を見ながら歩いてくるよ。」と妻に言ったら、怪訝そうな顔をした。
 今まで花を見に行くと言った事は一度も無いだろう。
 それなら妹を誘ってと言われOKしたが、妹は家に居なかった。
 妹から貰った、藤島斉氏の「花しるべ」を片手に1人で出かける。
 今日は函館山ロープウェイの下を、頂上まで花を見ながら登る積りだ。
 妻が昔、初日の出を見に行った時に雪の中を登ったという。
 私は登った事が無いし、道があるとは思わなかった。
 本当に登れるのだろうか?

 FMいるかの駐車場に車を置いて出発。
 西高校のグランドに着いたら、先日閉まっていたグランドが野球の練習で空いていた。
 狭い隙間を潜らなくてもすんなり行けた。
 少し藪を漕いで行ったら、花が咲いている。
 最初に見つけたのが、黄色い花だ。
 何の花だろう
 本を見てもはっきりしない。
 雉莚(キジムシロ)?と最初からあやふやだ。
 次に綺麗な葉が出て来たが本では確認出来ず。
 これも不明だ
 なかなか難しい。
 ようやくふきのとうが出て来た。
 これは知っているが雄?雌?
 ふきのとうの雌だろう
 雌かな〜やっぱりあやふやだ。
 そしてエゾエンゴサクが出て来た。
 エゾエンゴサク
 車道に出た。
 車道を横切って上に上がる。
 白い4つの花弁の華が咲いていた。
 これも分からず
 本には無い。なかなか難しいな。
 ふと見たら道が車道と平行にある。
 これは旧道?
 興味は一気に旧道に行く。

 木が倒れて歩きにくいがどんどん進む。
 すると再び車道に出た。
 下に降りる道が車道を作る際に切られたのだろう。
 元に戻って急な斜面を登る。
 何となく道はあるようだ。
 かなり登ってきたら函館市街地が見えて来た。

 そして薬師山に行く道に出て来た。
 丁度70代後半位の方が3人を連れて歩いて来た。
 私を見て「花が咲いていたかい?」と聞く。
 と云う事はここを登った事があるのだ。
 このグループと出あった
 「福寿草の群生がありましたよ」と答えた。
 薬師山の近くに黄色い花を咲かせていた花があったがこれも本には無い。
 先程のグループも何の花だろうとなったが、誰も分からず。
 女性はまだ花を見ていたかった様だが、リーダーが行くぞと言ったので渋々出発した。
 これも不明
 函館山山頂を目指して再び直に登る。
 今度はかなりきつい。
 手を着きながら登る。
 すると道が出て来た。

 巾の広い道だが、人が歩いている気配は無いし、こんな所を物好きに歩く人はいないだろう。
 花より旧道になる。
 こんな芽もあった

 旧道を行く
 ずっと旧道を行ったら、岩場があった。
 独立した岩に恐る恐る登って見た。
 こんなのは嫌いだ

 ようやく写真が撮れた

 岩場に10個くらいの環がある

 随分古そうだ
 そして降りるときに岩に丸い鉄の環が打ちこまれている。
 かなり古いがロッククライミングに使った?
 旧道の登りが下にあって最後の鎖場?
 どう考えても分からない。
 離れて更に旧道を歩く。
 白い花があった。
 図鑑を見るとヒメイチゲだが。
 ヒメイチゲなのか

 これも
 なんと着いたところが、先日渋江長伯の旧道を歩くと言って着いた場所に合流した。
 え〜と言う感じだった。
 200年前の道とこの道の関連をしばし考えて見るが分かる筈も無い。
 急斜面を下る。
 そして下の旧山道に着いた。
 変な場所から出て来た私に、丁度通りかかった親子のお母さんが「何処から来たんですか?」と驚いていた。
 旧山道を下る。
 3合目から先程の岩場が見えた。
 3合目から見えた
 相当切り立っている。
 今度は下から行って見ようか?
 一汗かいて駐車場に到着。
 花を見てのんびり登る積りが最後は旧道歩きになってしまった。
4月28日(土)古部丸山資料作り&塗装
 古部丸山の案内を頼まれたので、30日に新しいルートで行く事になった。
 前回は昨年の2月に行ったのだが、雪の上を歩いたので苦労も無く山頂に立った。
 今回は旧山道になる古部山道を行く事にしたい。
 古部山道
 昔は椴法華から古部や尾札部に至る交通手段は船しか無かったが、その後山を越える道が出来た。
 明治の時代の道なのだろう。地図も入手してル−トを検討していた。
 コースの検討
 一人なら旧道探しのみで終わるのだろうが、一緒に行く人には旧道はつまらないのだろうから、古部丸山に登るのを兼ねて行く事になった。
 コースを地図を見ながら考えていたが、この地域は林道が多くあるが、山道は沢沿いの道の様で、はっきりしたルートがあるかどうか分からない。
 別の銚子岬からのルートにしようかとも考えている。
 尾根に出てから下山道があるか探ろうと考えた。
 調査の中では、緯度と経度を書きこんで行き、そのデーターをGPSで使うのだが、最近少し位置が合わないのではないかと思っていた。
 そこでテストに行こうと、近くの4等三角点、通称プリン山(標高7.6m)に行く。
 この場所を子供達もプリン山と呼ぶ。
 プリン山
 最初は国土地理院のデータを入れて出発したが、全く場所の違う、お酒屋さんの前に着いた。
 おかしいなと戻り、今度はGoogleMapのデータを入れた。
 すると1mも違わないで到着した。
 プリン山の三角点で0mを示す
 何が違っていたのか??
 データは消して分からない。
 まあ合っていたから良いか?

 帰ってバーベキューコーナーのベンチと囲いのペンキ塗るをする。
 冬の間にペンキも剥げた
 気温も上がって来たのでバーベキューももう直ぐ出来るだろう。
 すっかり綺麗になった
 ついでにバーベキューコーナーンの囲いもペンキ塗り。
 後ろの囲い

 前の囲い

 綺麗になったぞ
 大分綺麗になった。

 終わって日ハム対楽天の試合を見る。
 今日は稲葉選手の2000本安打がかかっている。
 試合が始まって最初の打席であっさり達成した。
 2000本は簡単にやってのけた
 史上9人目の快挙だ。
 試合は延長10回、3対3で引き分け。
4月27日(金)物の整理&函館山藪漕ぎ
 妻の荷物を実家に運搬。
 ついでに実家の不用品を車に積み込んで帰宅。
 妻はどうやら引っ越しを考えている様だ。
 
 午後から函館山に行く。
 今日のルートは2つの目的がある。
 1つは渋江長伯が書いた絵の中に,函館山南斜面の道がある。
 下の絵の左側に山に函館山に登っている道が見える。
 かなり急峻な斜面を登っているのが分かる。

 この道は現在も有るのだろうか?
 200年前の絵なので、道は消えているかも知れないが行って見よう。
 もう1つの目的は、箱館戦争で薬師山に仮の陣を設けた新政府軍が、箱館総攻撃の際、薬師山から箱館市街地に攻め込んだ。
 その降りた斜面はどんな感じなのだろう。
 これを体験したかった。
 函館山駐車場に車を置いて出発。
 GPSログはATRASとスマホのMytracksを使う。
 スマホのGPSはまだ使い慣れていないので、何度も使って覚えなくてはならない。

 上のコース図はAtlasで取得したGPSルートをGoogle Earthで表示し、P・Pで文字を入れた。

 上のルート図はスマホのアプリである「Mytracks」のGPSデータをカシミールで読んで表わした。
 スマホもかなり正確にデータが収集できるすぐれものだ。
 5号目手前から右に入り、函館山頂上に向かって登る。
 間もなくレンガ作りの遺構があった。
 これは何の遺構なのか?
 函館要塞の関係なのか?
 冬に来た時は笹が雪の下になっていたが、今は笹がすっかり頭を上げてしまった。
 しばらく藪漕ぎになる。
 笹が伸びて来た
 途中から急斜面を登る。
 道のはっきりした跡は見えない。
 でも色々な物が落ちている。
 古い缶ビールの缶、瀬戸物など。
 いつ頃の物なのか?
 瀬戸物も落ちていた
 旧山道が出来る前の33観音巡りの道になるのだろうか?
 急な斜面を手を付きながら登ったら車道に出た。
 ここからは車道が出来たので、上に登れなくなった。
 
 次に薬師山に向かう。
 薬師山へは車道を歩いて、途中から階段道を下り到着した。
 ここには函館要塞の遺構がある。
 右手の斜面を下る。
 藪漕ぎかと思ったら、意外と大きな石がごろごろ斜面に転がっている。
 足元が不安定で意外と歩きにくい。
 石がごろごろしている

 こんな藪もあった
 途中で細い蔦が絡まる場所もあり苦戦する。
 さらに下って行くと倒木にキノコがなっていた。
 でも函館山は一切の採集が不可能なのだ。
 どうせ食べられるのかどうか分からないので採りはしない。
 何のキノコ?
 下に来たら短い笹になって歩きやすくなった。
 しばらく下ったら車道に出た。
 車道に並行して旧道があった。
 この旧道の中はキクザキイチゲが満開だった。
 キクザキイチゲ
 旧道を更に行きたかったが、ロープウェイの下を行きたかったので、次回に行く事にする。
 ロープウェイの下を行く。
 ここも色々な花が満開だった。
 花は勉強中で分からないのも多い
 さらに下って行くとフェンスが出て来た。
 西高グランドと水元のフェンスがあった。
 ザックを下ろして何とか狭い隙間を通り抜けた。
 ぎりぎりセーフだった
 市街地に出た。
 途中のログハウスがあった。
 市内を見下ろせるロケーションなので、毎日夜景が見られるのかな。
 良い感じだ
 水元と市民には親しまれている所に出て来た。
 正式には元町配水場という。
 明治22年に完成した日本で2番目の近代水道になる。
 建物もレトロな感じが良い。
 レトロな建物だ

 バックに函館山
 登山口の駐車場に向かって歩いていたら、上から二人が歩いて来た。
 「今日は!」と挨拶を交わした後、「毛利さんでない?」との声。
 「あ〜三川さん!」と言ったら「今は星です」と言われた。
 結婚して名前が変わったんだ。
 彼女の子供と我が家の息子が同じ少年野球チームで活動していた。
 もう27年も前の事だ。
 それ以来一度位会ったくらいだ。
 懐かしかった。
 駐車場に着いたら北斗市のHiさんが居た。
 先日一緒に当別丸山に登ったのが初めての出会いだった。
 今日も得意の動画や写真を撮ってあちこち回っていたそうだ。
 今日は楽しい一日だった。
 でも夕方温泉に行った帰りに、タイヤがパンクした。
 直ぐに交換し、帰って家の向かいの整備工場に持って行ったら、サイドが大きく傷ついて、スースー空気が漏れている。
 タイヤ交換しなければならない。
 余計な出費だ・・。
4月26日(木)急に函館山登山
 午前中に次回調査に行く、古部山道の資料を作っていたら、Kさんから函館山に行かない?とメールが来た。
 頼まれていた、国土地理院の地形図をパソコンから印刷する方法も聞かれていたので、行く事にする。
 聞いたら妻も行くと言うので同行する。
 Kさんと友人の方が来た。
 友人の方は私を知っていた。
 いつだったかな?と考えたら記憶が蘇ってきた。
 4人で一緒に登る。
 特に当てがないので旧山道を登る。
 少し行ったら友人の方が、携帯電話を何処かに置いたかも知れないと言うので戻った。
 少し登ったら下山してきた方が居た。
 Kさんの知り合いだった。
 話している間休憩。
 別れ際、その方から私のブログを見ていますと言われた。
 言われると凄く嬉しい。
 行きたい所があったら案内しますと言った。
 現在調査している旧山道を是非多くの方に歩いて貰いたいので、いつでも案内はOKだ。
 戻った方が汐見山コースを来ると言うので5号目の先で待つ。
 汗を噴き出しながらやってきた。
 皆で途中から八幡山(昔は遠見山)の道なき斜面を登る。
 人が歩かない斜面には、エゾエンゴサクが満開だった。
 エゾエンゴサク
 八幡山から南斜面を尾根に沿って下る。
 その後、周遊の車道を歩き、薬師山を経由して下山する。
 薬師山コースは福寿草が咲き始めた。
 福寿草
 後少しで満開になるだろう。
 箱館戦争で新政府軍が箱館市内を攻めたコースを、薬師山から水元に向かって道なき道を降りたかったが、今日は妻もいたので一般コースを下る。
 キクザキイチゲ

 エンレイソウ

 エゾエンゴサク
 次回来る時はロープウェイの真下を函館山まで歩こうと決まった。
 駐車場で別れる。
 妻は脚も大丈夫だったようで、少しは歩きに自信を持ったようだ。
4月25日(水)旧道-磯谷道案内
 長い期間調査し、ようやく発見した磯谷道を案内する事になった。
 道が判明してから、函館山岳会の方を案内して以来2回目になる。
 今日は天気も良く、気温も相当上がるし、紫外線注意報も出ていた。
 途中武井の島展望台に寄り道する。
 伝説の武井ノ島
 ムイ貝とアワビが喧嘩して島を境に住む場所を変えたという伝説が残る。
 島を見下ろす良いロケーションだ。
 遊歩道にはカタクリやふきのとう、アズマイチゲの花が咲いていた。
 アズマイチゲ
 車は温泉「恵風」の駐車場に着いた。
 恵山が見上げる高さにそびえ立っている。
 「恵風」のトイレに行ったら、熊が出たので気を付けて下さいと言われたそうだ。
 もう熊が活発に動く季節になった。

 水無し沢を越えて、尾根道の旧道に入る。
 昔、恵山岬は歩いて渡れず、尻岸内からは船で岬を越えていた。
 しかし、海路だけだと海が時化た時は、不便なのでこの磯谷峠越えの道が出来た。
 明治の地形図には載っているが、現在は廃道となって地形図には記載されていない。
 多くの人が歩いた山道は深く掘れて如何にも旧山道の雰囲気を表わしている。
 一度登り切れば後は緩やかな道が続く。
 汗がじわっと出てくるくらい暖かい中を歩く。
 エゾエンゴサク

 岩の間のカタクリ
 最後は下って御崎の海岸に出た。
 ここまで1時間30分かかった。
 寄り道が多いので予定より時間がかかるが全く気にしない。
 山中をふらふら遊んで歩くのが大好きだ。
 海岸で食事をした後、今度は別ルートで帰る事にする。
 おそらくは本道と思われる道の途中には、乗願寺の堀川乗径が彫ったと言われる「お経石」がある。
 高さ7mもある巨大な石に圧倒される。
 「お経岩」。木の爪跡は??
 此処の前の平らな場所は鹿の踊り場なのか物凄い糞が落ちている。
 急な登りがずっと続く。
 旧山道の雰囲気が良く出てる
 ピークまで登った所で、道を外れて木々の間を散策する。
 長い笹も無く、木々の葉もまだ無いので歩きやすい。
 大きな岩がごろごろと転がっている。
 こんな岩があった
 恵山の爆発で落ちて来たものなのだろうか。
 山道を外れて250mのピークに登る。
 少しでも恵山が眺められないかと思ったがやはり木々が邪魔してすっきりは見えない。
 恵山が見えた
 250mピークを下り、木々の間を道を外れて進むと、日本庭園の様な景色に出あう。
 岩が沢山配置され、岩は全て苔で覆われている。
 良い感じの岩

 庭園の様な雰囲気だ

 こんな模様になった
 この場所は旧道探しの時に迷い込んだ場所なので印象深い。
 冬は雪で見えなかったが、こんなに綺麗な苔で覆われて居るんだと感心した。
 さらに進んだら行者ニンニクが群生していた。
 今日はナイフも用意して来たので、十分な量が取れた。
 下山して温泉「恵風」でのんびりしてから帰宅。
 途中寄り道をする。
 次回は古部山道調査兼古部丸山登山に行くのだが、この入り口を確認に行く。
 大きな林道が付いているので行ける事を確信した。
 「大日本帝国陸地測量部」発行の地図に書かれた古部山道は現存するのか?
 興味がある所だ。
4月24日(火)雑用の一日
 朝3時に目が覚めた。
 昨日は9時に寝たから不思議では無い。
 直ぐにパソコンに向かいキィを叩く。
 札幌本道のマップ作りを6時過ぎまで行う。
 
 食事の後はゴミ捨てだ。
 妻の実家に住もうかとの話しがある。
 おばあちゃんが亡くなってから3年経ち3年際も終えた。
 家は空いたままになっている。
 兄弟も住んでも良いとの事なので引っ越ししようかとなった。
 でも急ぐ必要も無いし、今年中に引っ越そうかと思っている。
 なにしろ亡くなった父母の残した、衣類、食器などなど山ほどあるのだ。
 これを全て処分して、家の荷物が無くなってから引っ越そうとなった。
 一気にやるのも大変なので、私が実家方面に行った時に不用品を積んできて処分する。
 その第1回目が昨日で、荷物を車に満載して戻ってきた。
 そして今朝すぐ近くの焼却場に搬入した。
 車1台で504円だった。
 燃えるごみの袋に入れたら1500円は掛るだろう。
 今後この作業を続けて、今年の秋には引っ越し出来れば良いか。

 午後から買い物をした。
 アルペンで長ソックスを買った。
 登山用は高いので野球用のソックスを3足1050円で購入。
 作業用品の店「プロノス」で汗取りのアンダーを499円の10%引きで購入。
 汗をかいたら服を脱がなくても上から取り出せる。
 汗取りアンダー
 妻も2着欲しいと言うので、女性用のガーゼ地のものを2.枚購入。
 1枚は妹にやるそうだ。
 自分も買ったという事は、山に登る気になったのかな?
 最近は何か元気が出て来たように思う。

 明日は「磯谷道」の案内をしなければならない。
 温泉も入る予定なので、久しぶりにのんびりした山道歩きになりそうだ。
4月23日(月)執筆&GPSの勉強
 今日は雨だった。
 外を気にしなくていいから、執筆するには良い時間が確保出来る。
 旧道シリーズの内、昨日写真撮影した札幌本道を書く。
 10月3日の函館教育委員会主催の「老人大学講座」の講師依頼が来た。
 120名の参加を予定しているそうだ。
 「北海道と道南の道の歴史」にタイトルが決まった。
 その日までに、現在執筆中の本も完成させて、皆さんに読んで貰いたい。
 私にとっては、道の歴史を今後に伝えるための重要な活動だ。

 午後からはGPS関連の勉強&トライ。
 山に行った時はATLASのGPSを使ってログウを取得して、歩いたコースをブログなどに張り付けている。
 しかしATLASはGooglemap使うので、山に登る人にはGooglemapの地形図が今一つ大まかすぎて分からない。
 国土地理院の地形図にルートが書ければ良いのだがどうするか分からない。
 ガーミンのGPSを使えば、カシミールで軌跡を表示するので詳しい地形図にコースが載る。
 これは良いのだがガーミンは手が出ないくらい高い。

 そこでスマートホンに頼るわけだ。
 GPSログの取れるアプリもある。
 山旅ロガ―、Mytracks、地図ロイドだ。
 山旅ロガ―とMytracksはログが取れるがGooglemapでの表示になる。
 地図ロイドはログが取れない。
 実際歩いたルートを国土地理院の地形図に表わすにはどうすればいいのか?
 WEBをいくら見ても出ていない。
 色々な事をやって見ているうちに、考え付いたのはカシミールでデータをインプット出来ないかだった。
 昔に購入したカシミールをダウンロードする。
 Mytracksのデーターをファイルに保存する。
 データはKMLとGPXを保存した。
 KMLを読み込んだが表示しない。
 次にGPXのデータを読み込んだら見事に表示した。
 これで当所の目的が達成できる。
 Mytracksと山旅ロガ―のGPXデーターを使えば良いのだ。
 下はMytracksのデータを、GoogleのMymapにインプットして地形図に表わした。
 この等高線では良く分からない
 上の地形図はGooglemapの地形図。
 やはり詳細な地形は分かりにくい。
 下の地形図は国土地理院の地形図。
 山に登る人にはこちらの方が良いだろう。
 MytracksのGPXデータをカシミールから呼び出した。
 これなら分かりやすい
 先日登った当別丸山北西ルートは下の様になった。
 丸山への登山ルートも良く分かる
 これなら詳しく分かる。
 次は机上で作成したルートコースをスマホに表示し、そのコースの上を確認しながら歩けるようにしたい。
 そうすれば道なき道を行く、藪漕ぎには最強のアイテムになる。
 費用を掛けずに何とかGPSデータが取れそうだ。
4月22日(日)無沢峠、小沼峠&ぶんぽ研総会
 今日は午後2時からぶんぽ研総会があるので、その前に会場に近い場所の旧道を歩く事にする。
 効率良くやらないとガソリン代の負担が大きい。
 今日は札幌本道の峠下〜蓴菜沼間を歩くに。
 何度も通った道だが、今執筆している本に掲載する写真が少ない。
 車も通れる道だが、撮影しながら歩いて廻る事にした。
 コース図の作製はATLASの安いGPSを使っている。
 GPSはガーミンが良いのだろうが日本語版だと8万円くらいはして手が出ない。
 でも最近はスマホが凄い。
 山旅ロガ―や地図ロイドを使っているが、今回はMytracksのアプリを使ってみる事にした。
 設定は何もいらない。
 アプリを開いてスタートすればOKだ。
 ATLASで取ったログ

 スマホのMytracksで取ったログ
 データを比較しても変わりなく、スマホでも十分使える。
 スマホのアプリ「山旅ロガ―」よりも正確かな。
 トンネル内はATLASは軌跡が出るが、Mytracksは軌跡が出ない。
 スマホのさらに良い所は歩行データが見られる事だ。
 最大速度がおかしい。
 トンネルの影響なのだろうか。

 Mytracksは歩いている場所が軌跡で表わせるので、道なき道を歩く者にとっては有難い。
 地図ロイドも現在位置が2万5千分の1地形図に出るので、こちらも良いのだ。
 Mytracksの地図が地形図になれば最高なのだ。
 今はいろいろ勉強中なので、まだ詳しく分からないが、GPXデータやKMLデータを地形図に表わす事が可能かもしれない。

 歩きだすが道の雪は完全に融けて、道もすっかり春らしい。
 道の回りにはふきのとうが大きくなっていた。
 熊の湯の入り口に着いたら、新しい金属の棒が立ち、チエーンが掛けられるようになっていた。
 少し先に行き上から覗いて見たら、ログハウスや東屋があった。
 ログハウスが出来ていた
 ここには相当前に温泉旅館があったのだが廃業していた。
 誰かがこの土地を購入してログハウスを建てたのだろう。
 温泉が出るので最高な環境だろう。
 以前は熊の湯という名前だった。
 旅館の壁には熊の爪跡があったくらい熊の出る場所だった。
 さらに進む。
 道は来るまでもOKだ
 この札幌本道は北海道で最初に計画的に造られた道で、明治4年にアメリカ人のケプロンを開拓使が雇い、新たな道の調査に着手し、明治5年に着工された。
 函館〜森〜(船)〜室蘭〜鷲別〜千歳〜札幌を結ぶ226kmの道路であった。
 順調に歩いて明治天皇野立記念碑に着いた。
 野立記念碑
 この記念碑は明治14年にこの峠を通った明治天皇の記念碑なのが、一時不明になっていた。
 何者かにより倒されて地中に埋まっていた。
 これが七飯歴史館のスタッフにより発見された。
 現在の位置より100m位上にあったのだが、国有林だったので再設置が難しく、今の場所に移した。
 緩い道を下って行くと大沼や駒ケ岳が見える筈なのだが、植林した杉が邪魔で景色は良く無い。
 木が邪魔になる

 小沼も見晴らしが悪い

 もうすぐ蓴菜沼だ
 やがて蓴菜沼に出る。
 人気のわかさぎ釣り終えて、沼の氷はすっかり融けていた。
 少し足を伸ばしてここを訪れた天皇陛下が水を飲んだ場所に行く。
 明治天皇の水飲み場

 良い景色だった
 ここからは駒ケ岳が綺麗に見えた。
 戻ってトイレのある場所に行く。
 ここには当時宮崎旅館があって、明治天皇も休憩している。
 当時の宮崎旅館
 当時の函館に住む、外国人移動範囲がこの辺りだったので、随分と人気の旅館だった。
 復元に話しもあるのだが、自治体には費用が無く、トイレを建ててこの場所とした。
 国道5号線に出て、以前から歩きたかった小沼峠への道を登る。
 小沼峠は笹藪だった
 函館方面から来て、蓴菜沼に至るのは小沼峠を越えた。
 今は大きく開削した国道5号線が走る。
 下の5号線を走る車が眼下に
 登ると長いね曲り竹が密集している。
 残雪の時期が良かったのだろう。
 悪戦苦闘して登って行く。
 上に行ったら国道の法面工事の際、法に水が入るのを防ぐため、排水口を設けていた。
 お陰で道の面影が無くなった。
 下りに入り道の跡が出て来た。
 下って大沼湖畔に出る。
 ここから湖畔沿いに道があった。
 国道の開通で一部分しか道が残らなかった。
 大沼湖畔の旧道
 最後に大沼トンネルを通ってスタート地点に戻った。

 午後2時からぶんぽ研総会。
 議案書に沿って淡々と進み、異議なしで終了。
 参加者や活動内容が硬直化しているのが気になる。
 今年は創立40周年記念行事があるので少しは内容に変化があるのだが・・。
 総会の模様
 終わった後に懇親会があった。
 皆と話せて楽しかった。
 こんなフリートークの場が例会の時にもあれば良いのだが・・。
4月21日(土)妻と函館山登山
 今日は天気も良いし、気温も上がりそうだ。
 妻は相変わらず閉じこもりがちだが、最近は近くの公園まで犬とのんびり散歩するようになった。
 少しは気持ちがアップして来たのか?
 そこで妻に「函館山に行くぞ!」と誘った。
 「今日は血圧が高い。山は無理」と言う。
 「そんな事ばかり気にしているから出来ない。気持ちを前向きにして行こう」と言ったら「登れるところまで行って戻るなら行っても良い」となった。
 早速準備して函館山登山口まで来るまで向かう。
 そして旧山道を歩きだす。
 まだ朝も早いので登っている人は少ない。
 ゆっくりした速さで一歩づつ登る。
 それでも結構歩けるではないか。
 木々に囲まれた山道を歩くだけで気持ちが良い。
 順調に5合目まで来た。
 ここで椅子に座り休憩。
 
 少しの休みで更に上に向かうと言う。
 歩きだしたら、後ろからお父さんと5歳くらいの子供が走ってきた。
 妻も「頑張れ!」と声を掛ける。
 また後ろから中年の男性が走ってきた。
 道を開けたら「有難う! 頑張って」と妻に声をかけて行く。
 6合目から7号目を過ぎた。
 順調に7号目手前まで来た
 8号目へは急な階段を登るので、そこは避けて車道の端を行く。
 函館市街地が眼下に見える。
 天気が良いのではっきり見える

 遠方には駒ケ岳
 駒ケ岳も見える。
 そして頂上に着いた。
 記念写真を撮って休まずに下山する。
 頂上で記念撮影

 函館山には伊能忠敬の碑が有る
 下山も順調に下る。
 登って来る登山者にコンニチハと声を掛けながら下り。
 何かすっかり元気が出たようだ。
 結局無事下り、持って来た血圧計を出す事も無かった。
 コンビニで昼食を購入して、谷地頭温泉に行く。
 ここでのんびりして帰宅。
 本人も登れた事で自信が付いたようだ。
 今後も軽い登山に連れて行き、体力を回復させよう。
4月20日(金)当別丸山北西コース
 当別丸山は気軽に登れる人気の山で登山道が整備されている。
 何度も登った山なので、別なルートを登りたくなった。
 前回登った時にうろうろしていたら、北西側に尾根があったのでここから登れないかと考えた。
 そこで選んだのが北西側の大釜谷川からのコース。
 登山コースなどが書かれた本は無いので、先日登り口が何処辺りが良いのか調査に行った。
 色々な道を入って見たがなかなかそれらしき道が無かった。
 もう最後かなと思って小高い丘に登ったら、向かい側の斜面に道らしき雰囲気があった。
 下りて道の見えた方向に向かう。
 確かに林道らしい入り口はあったが、植林した後は林道にも植林して車が入れない様にしたのだ。
 それで道が全く分からなくなった。
 そのコースを今日行く事になった。

 同行は4人の女性と華やかだ。
 頂上まで行けなかったら途中で戻ると事前に伝えた。
 登り口までの林道は、前回来た時に1km程歩いたが、今回林道は除雪されていた。
 高規格道路の工事現場が有るので、そろそろ仕事をするので除雪したのだろう。
 お陰でかなり時間が短縮された。
 山への入り口はまだ雪があった。
 埋まったり、硬かったりと歩きにくい雪道だ。
 大釜谷川の支流を2度渉って林道を登る。
 大釜谷川支流を2度渉る

 林道の登り
 道の雪はすっかり融けていた。
 林道を高度を上げていく。
 この林道の道の中は桜の木が沢山植えられている。
 植林の後、林道は使わないので、桜を植林したのだろう。
 凄い数の桜の木が植えられていてもう蕾が出ていた。
 後、2週間もすれば満開になるのだろう。
 水溜まりにはカエルやカエルの卵、サンショウウオの卵が有り春を感じる
 卵が有った、カエルは1匹だけ

 後ろに丸山が見えた
 林道は下に下りそうになる。
 頂上の方向とは違うので、ここから植林された松の中を登って尾根に出ようと試みる。
 密集した木々の間をつぼ足で登るので、時々雪に隠れた木の根の隙間にはずぼっと埋まってしまう。
 そんな事を何度か繰り返しながら尾根に着いた。
 尾根から見た白神方面
 はっきりした道が無いが、歩きやすい尾根道だ。
 スマホの「地図ロイで」で場所を確認しながら、山頂方向に向かう。
 緩やかな尾根も急斜面に変わる。
 こんな藪の急斜面を登る
 でも藪こぎとしてはそれ程厳しくは無い。
 笹の背がまだ低いので歩きやすい。
 途中から白神方面や、津軽半島、下北半島がはっきり見える。
 ようやく登りきったら林道に出た。
 これは予想された林道だった。
 以前来た時に、雪が残っていた林道を遠くから確認していた。
 少し林道を歩くがまた方向が違う。
 丸山から北西に続く尾根に杉林の中をを通って出る事にした。
 頂上下、北西の尾根道は歩きやすい
 尾根に出たがここも笹は低く歩きやすい。
 桂岳が見える
 北の方には桂岳が見える。
 そして
 「行者ニンニクが有ったよ!」の声が上がる。
 この道ベテランのMaさんが見つけた。
 もうどうにも止まらない。
 沢山出ていた
 しばし行者ニンニク採りになる。
 採ったところで尾根を再び登る。
 途中からかなりの急斜面になる。
 たまたま中が空洞の大きな木が有ったので、中に入った姿をNaさんに撮影して貰う。
 上から撮影していたのだが、私の目の前まで滑って来た。
 それ程急な登りだった。
 こんな木が有った

 Naさんも入る
 そんな急斜面を一歩一歩登る。
 頂上へ続く尾根道

 もうすぐ登り切る
 かなり時間をかけて登ると、青空が木の上に見えて来てピークは近い。
 最後は雪の尾根を登って頂上の北側に出た。
 ここからは平坦な道を100mも歩けば丸山山頂だ。
 先のピークが丸山山頂
 登りで3時間掛った。
 頂上で・・
 快晴で無風と言う最高のコンデションだ。
 昼食は頂上で食べる。
 いつも沢山の食べ物を皆さんに頂き感謝。
 
 下りは同じ道を下るが、途中で行者ニンニクをまたまた採る。
 そして林道に出たので、この林道を下る事にした。
 林道から見上げる西方面の丸山は凄い高さに見える。
 雄大な景色だった
 途中で道が分かれるのだが、どちらを行くか迷った。
 少し下ってスマホの「地図ロイド」で確認したら、もう1本の道が良いのでコース変更。
 しばらく林道を歩いたら、雪の上に熊さんの足跡が有った。
 小熊の足跡だろう

 近くに水場が有った
 昨日か今朝の物だろう。
 再び林道が分かれる所に熊の足跡が沢山あったが、右手の沢は水が飲みやすい場所なのだ。
 さらに進むと登って来た道に出あった。
 後は同じ道を下って車の置いた場所に戻った。
 下り2時間であった。
 全く新しいコースを行くと、やはり景色も違うし道も違うので新鮮味が有る。
 案内する私は自分が机上で考えたコースが予定通り歩けた事が楽しい。
 みなさんにも本格的山登りと、良い景色、山菜採りと満足して貰えた。
 桜の木が物凄い数植えられているこのコースを、桜の咲いた時期に歩きたいものだ。
4月19日(木)ぶんぽ研実行委員会
 ぶんぽ研の創立40週記念を進める実行委員会に出席。
 この日は役員会も先に行われたが、私は役員では無いのだが、実行委員会開催まで参加した。
 役員会は22日に行われる総会の段取りが中心だった。
 想定質問などがあったら、こう答えるなどとの話しは聞かない事にした。
 役員会が終わって実行委員会は何も無かった。
 総会の後に本格的にやろうとの話しだった。
 行かなくても良かったのか?

 帰りに郷土資料館の佐々木学芸員に会う。
 所蔵している古い地図を見せて貰った。
 旧道マニアとしては宝物が沢山ある。
 コピーを4枚取って貰った。
 明治29年の5万分の1の地図で、函館要塞の近郊は丸秘書類になっていた。
 丸秘が書かれた5万分の1地図
 丁度函館要塞の建設にかかる時期の地図になる。
 他に「土地分類基本調査」と言う地質を詳細に書いた地図もゲットした。
 これでまたしばらく新たな旧道探しを楽しめる。

 帰り際、先日発見した303m峰の津軽要塞の石碑の話しをしたら、ここにもあるよと案内された。
 3個の石碑があった。
 明治42年のものだった。
 私が発見した物より10年後のものだ。
 同じ様な石碑が有った
4月18日(水)函館山旧旧山道を行く
 また函館山に行く。

 どうも同じ場所を何度も何度も行く癖が有る。
 駐車場に着いたら10人ほどの団体が居た。
 歳の頃は60代から75歳くらいか?
 その中にリーダーらしき男性が居るが、女性陣に圧倒されてか端に居る。
 かなり後にスタートしたのだが、直ぐに追いついた。
 花の写真を撮ったり、話し込んだりとなかなか前に進まないのが女性パーティだ。
 いつもの5号目手前で旧旧山道に入る。
 数日前にはスノーシューで歩いた道が、今はつぼ足で歩ける。
 春が一気に来ている感じだ。
 水元山から遠見山(現八幡山)の遠見場があった付近に登る。
 ここからは津軽海峡から函館湾が良く見える。
 遠見山から函館湾入り口を見る

 遠見山から津軽海峡を見る
 寛政11年は徳川幕府がロシア船の南下が多くなった事を受けて、蝦夷を松前藩から幕府直轄にした。
 そして蝦夷に大量の調査団を送った。
 そんな事情もあり、ここ遠見山(現八幡山)には遠見場があったのであろう。
 尾根の道は遠見山方向に付いているが途中で切れる。
 函館山周遊道路を作る際、開削してしまったので道が消えたのだろう。
 キクザキイチゲ?
 この周遊道路は自然保護団体の反対で完成する事が無かった。
 もう少し早く中止になれば、旧道も残ったのだろうが残念だ。
 遠見山の頂上でいつもは引き返してきたが、今日は裏に回った。
 そうしたら先程切れた道から続く道が確認出来た。
 さらに尾根はずっと歩く事が出来る。
 途中の尾根をばっさり切り開いて道にしたのでその先は行けなくなった。
 昔の旧道の道端には三十三観音があり、人々は参拝して歩いた。
 その道は今とは違ってアップダウンの厳しい道だった事が分かる。
 今の三十三観音は車道の傍に多く設置されているので楽々参拝出来る。
 昔は厳しい参拝の道であったのと思う。
 さらに先の道は函館要塞が作られたので道は消えてしまった。
 要塞の傍に皇太子御野立場跡の石碑が有る。
 昭和天皇が皇太子の時に来て、ここから函館市街地を眺めた場所だ。
 皇太子殿下野立場跡

 ここから眺めたのだろう
 最近は市町村合併で歴史ある町名が消えたりする。
 山の名前も昔の名前がいつしか変わっている。
 安易に変えないで欲しいものだ。
 遠見山はその名の通り見晴らしの良い山だ。
 何で八幡山に代えたのだろう?
 歴史が一つずつ消えていく。
4月17日(火)ゴミの処分
 エレクトーンを廃棄処分する事になった。
 娘が使ったエレクトーンを保管していた。
 孫がいつか使うとの思いであった。
 そのエレクトーンの音が出なくなった。
 まあ修理すれば良いと思っていた。
 今年から孫のレベルも上がり、2段の鍵盤の付いたエレクトーンが必要になったので、修理して北見まで送ろうと考えた。
 しかし、修理するにも25年くらい前のエレクトーンの部品はあるかどうか分からないと言うし、北見までの輸送費も沢山掛るとなった。
 50万円もしたのだが・・
 それまでして古いエレクトーンを使う意味が無くなった。
 そこで解体して捨てる事にした。
 エレクトーンは殆どビスで止められていた。
 簡単にばらせる
 電気インパクトレンチで片っ端から外して完了。
 他のベッド2台分などのごみと一緒に市の廃棄処分所に持って行く。
 車に満載だ
 「家庭ごみです」と言う。
 「中を見せて下さい」と言われドアを開ける。
 簡単なチエックで捨てる場所を指示される。
 職員の対応が随分変わったものだ。
 今までは業務委託していたのか、かなり厳しいチエックをしていた。
 
 指示された場所に行く。
 気が付いたのだが、市役所のマークが入った作業服を着ている。
 今までの作業員の態度とは明らかに違う。
 今までうはしつこくチエックし、少しの段ボールでも持ち帰りだった。
 今回も少しの段ボールはあったが、処分しておきますよと親切だ。
 解体したエレクトーンを見て、「良くばらしたね」と言う。
 「私も余ったエレクトーンが有って処分しなくてはならないんだけど、なかなか出来なくて・・」と話しをしながら友好的にゴミの処分が出来た。
 次に鉄関係の捨て場に行く。
 私にとっては宝の山なのだが
 ここも職員は親切だった。
 市役所も随分変わったものだ。
 今までは多分、指定業者が市役所から厳しく対応するように言われて、その一点張りで対応したのだろう。
 今度は市職員が対応する事になったので、その辺りも改善したのだろうか?
 いきさつは分からないが、親切な対応は気持ちが良い。
 ゴミ捨てが楽しくなる。
 ゴミ捨て場には、使えそうな材料が沢山捨てられている。
 自転車などは物凄い台数が有る。
 私にとっては宝の山なのだが・・。
 以前は自転車が欲しいと言えばくれたのだが、今はリサイクルして販売しているし、古物商が一括購入するので貰う事は出来なくなった。
 車1台分のごみ処理代は504円だった。
 持ち込みは安い。

 午後から妻を病院に連れて行く。
 今度は右腕がしびれると言う。
 以前からその傾向はあったのだが、これも放置していたのが再発した。
 いつも行く整形外科にはMRIが無いので、函館医師会病院に行く。
 ここはMRIを持っていない個人病院の検査をしている。
 結果は個人病院に転送する。
 個人病院に行って結果を聞く。
 4と5、5と6の推体の間にある椎間板が狭くなっていて、神経を圧迫しているそうだ。
 4と5、5と6の椎間板が狭くなっているそうだ
 首を引っ張ったり、薬を投与して治療するそうだ。
 長くなりそうだ。
4月16日(月)渋江長伯の函館山
 昨日も函館山の旧旧山道を登って来たが、今日も別な旧旧山道に行く。

 渋江長伯の絵の描いた場所を探している。
 昨日の行った場所は、すでに2回目でほぼ絵の描いた場所が特定できた。
 渋江は他にも函館山から見た絵を描いている。
 この絵は、函館山から見て、北西の方向だと思われる。
 絵の特徴から函館の旧台場町当りから登っているのだろう。
 車を墓地の駐車場に入れて出発する。
 墓の中を歩いて、どこか道の有りそうな場所に出ようとしたが、全く分からない。
 しばらくうろうろしていたら、近くの家からおばあちゃんが出て来たのが見えた。
 坂を下って行くおばあちゃんを追いかけて話しを聞く。
 「この辺りに函館山に登る道が有ると思うんですが・・」
 「道は有るけど、場所はなかなか見つけにくくなっているそうですよ」と言う。
 「斎場の上に道が有ると思います」
 この情報で十分だ。
 山側にある墓の付近をずっと歩いたが、山に入る道は見つからない。
 もう適当に入って行くしかない。
 雪も融けて笹がかなり伸びている。
 そこを登って行く。
 かなり密集している。
 汗が出てくる。
 しばらく笹と格闘しながら登って行ったら、何と木に赤いテープが縛っている。
 道だ!
 やはりこんな道が好きな人が居るんだな・・。
 赤いテープが有った
 でも笹が密集して道らしい感じは無い。
 ただ地形的には方向は分かるので、そちらの方向に進んだ。
 するとはっきりした道が出て来た。
 右手下には函館斎場が見える。
 右下が斎場
 この道をさらに進む。
 道端には可憐な福寿草が生えている。
 山の福寿草は綺麗だ
 道には残雪が出て来た。
 沢道には雪が有った
 ここでスノーシューを履いて歩く。
 法面の道から沢の中に道が変わった。
 少し進んだら石碑があった。
 見たら明治二十八年と三十七号 海軍用??の文字が見える。
 函館要塞の遺物か?
 函館要塞の場所なのか? 
 付近には苔むした石が散乱している。
 平坦な場所に基礎石の様にあるので、何か建物でも有ったのだろうか?
 さらに登ると杉林が出て来た。
 杉の植林地に入る
 享和元年(1801)に函館山を視察した徳川幕府の役人が訪れた時、道南地方は海岸から4kmまでは木が全く無くはげ山になっていたので、木を切った時は植林するように伐採法を作った。
 当時の函館山もはげ山だった。
 そして江戸後期には七重村(現七飯町)の借倉山卯之助が人工林を2万本植えたのが植林の始まりだった。
 杉林の左手を登る。
 ここにも赤いテープがある。
 やはり登っている人が居るんだ。
 斜面は一気に急になる。
 ここは急な斜面だった
 雪の上を直登する。
 地図ではジグザグの道になっている。
 息を切らして登る途中後ろを振り返れば、函館湾が木の間から見える。
 ここで渋江長伯の絵を見る。
 渋江長伯の書いた絵

 木が有ってよく見えないが・・
 左手にある山は入江山で、渋江の絵に似ている。
 昔の人はかなり誇張して書くので山などはかなり高く峻険に見える。
 また絵は俯瞰図が多いので、実際に見た景色と絵とでは見える範囲や高さが異なる事が多い。
 特徴的な当別丸山が絵に書かれているが、今日はガスっていて見えないが、他の景色から見ても間違い無い。
 渋江長伯はこの旧旧道の何処かの場所から絵を描いたのだろう。
 急斜面を登って行ったら、観音コースの駐車場の出口の傍に出た。
 この辺りから渋江は見たのか?

 観音コースと出あう
 間違い無くここは旧旧道だった。
 雪が溶けたらジグザグの道が見えるのだろう。
 下りも同じ道を戻る。
4月15日(日)打ち合わせ&函館山登山
 道立森少年の家「ネイパル森」のSさんから会って話をしたいと言うので、まちづくりセンターで待ち合わせする。
 駐車場は満杯で少し離れた場所に駐車する。
 そんな混んだ駐車場に入っている車出られない場所に置く、マナーの悪いお母さんがいる。
 子供の集まりがあり、間に合わなくて適当に置くのだろう。
 困ったものだ。
 いつもの通りカウンターに居る潤子さんに挨拶。
 3年くらい前、FMイルカの街角レポートでGH「自遊旅」に来た時以来の知り合いなのだ。
 やがてやってきた、Sさんと打ち合わせる。
 ネイパル森
 子供達を集めてイベントを行うのだが、単に歩くだけでは無く歴史なども勉強しながら歩く様な企画を考えたいと言う事だった。
 自転車で2泊3日位もOKだそうで私自身も楽しい。
 子供向けの「自転車旅講座」なども開催して欲しいとの要望もあるのだが、まだ忙しさを理由にまだ実現していない。
 今後、どの様な企画になるのかは分からないが、子供に少しの冒険心を体験して貰い、それと歴史が繋がれば良いなと思う。
 歴史旧道を歩いても良いし、プランは幾らでも出来る。
 私の今までの活動も説明して別れる。
 帰り際に中尾さんに会う。
 西部地区で自ら企画したプランを、ボランティアガイドしている。
 彼のガイドには物凄い人が集まる超人気のガイドなのだ。
 歩き旅もしていて、五街道も歩いて踏破している。
 年代も同じで見習う所は多い。

 別れて直ぐに函館山に向かう。
 駐車場に入ったら満員だ。
 もう春だから登山者も増えて来たのだろう。
 辛うじて開いたスペースに車を入れて出発。
 バックパックにスノーシューを付けているので、重々しい装備に少し恥ずかしい。
 今日は渋江長伯の絵に書かれた旧道を歩き、水元山と遠見山(現高幡山)に登る。

 (寛政11年=1799の渋江長伯の絵)
 遠見小屋が有った場所を、前回は見落としたので今回訪問する。

 旧登山口から登って途中から旧旧登山道に入る。
 2合目から旧旧道に入る
 足跡がある。
 こんな所を誰が登っているんだろう?
 2号目付近まで行ったら「植生回復立入禁止」になっていたので、旧山道に戻る。
 ここから行けない
 5号目の分岐点手前で旧旧山道に入る。
 5号目手前から山側に入る
 雪がかなり溶けていたが、まだ埋まるのでスノーシューを付けて登る。
 旧山道の上から御夫婦が、何処に行くんだろうと言った感じで私を見ていた。
 杉林の途中から左手に向かう。
 ここで一度旧道に出る。
 6合目から斜面を直登
 横切って斜面を直登する。
 出たところが旧山道6号目だが、ここも横切って斜面を登る。
 まだ雪が沢山残るが、春になれば旧旧道が見える様な感じがする。
 一番高い場所まで登って水元山に向かう。
 水元山頂上
 頂上は雪が無くて岩場が出ていた。
 この岩を渋江長伯が書いている。
 戻って15番観音への道を下る。
 15番観音への道
 ここは道が付いていた。
 水元山に登る人も居るのだろう。
 一度車道に出て遠見山の見張り場が有った場所に登る。
 その場所は遠見場があった事を思わせる平坦なスペースが有った。
 遠見場の有った場所なのか?

 景色は良い
 遠見場の残骸が無いかと探したが何も無かった。
 210年前の寛政11年(1799)の事なので朽ち果ててしまったか?
 川汲温泉裏山の旧幕府軍の見張り場は、140年経っているが朽ち果てた木材と釘が残っている。
 遠見山に向かう。
 前回来た時は雪で見えなかったが、道がはっきり見えていた。
 頂上で写真を撮り、下りは北斜面をスノーシューで下り、旧山道に出た。
 遠見山山頂

 北側斜面を下る

 函館山がはっきり見える
 一気に駐車場まで下る。

 家に帰って日ハムの試合を見る。
 この試合時間に合わせて急いで帰って来たようなものだ。
 楽天に3対1で買っていたが。9回表に武田久が2ランホームランを打たれ同点。
 その裏にまさかの17打数ヒットが無かった中田翔がサヨナラホームラン。
 感動の日だった。
4月14日(土)要塞の続き
 今日は自室の掃除。
 いつの間にかすっかり散らかっていた。
 午前中一杯かかって片づけすっきりした。
 午後から函館中央図書館に行く。
 昨日発見した要塞跡に付いて調べるためだ。
 要塞のある場所の上磯町(現北斗市)の町史を見たが、函館要塞に関する記述は全く無い。
 函館市史を見ても、函館山にしか要塞は無い。
 日清戦争が終わった明治31年に「函館要塞防御計画書」が出て要塞作りが本格化したので、年代的にはぴったり合っている。
 津軽海峡を航行する船の監視と砲台のある場所では攻撃も可能であった。
 303m峰は見張り台の様な感じもする。
 頂上はかなりの広く平らなので、何か施設が有った事も考えられる。

 函館市史の中に小さく書いていた、「津軽要塞地帯図」が気になって、図書館の奥の閉庫から出して貰った。
 陸軍省で発行したものだ。


 その中には、函館山の他に色々な要塞は載っているが、昨日の要塞は載っていない。
 鏡山が山の記号と共に載っているのが興味あった。
 付近には当別丸山という鏡山より遥かに高い山があるのに載っていない。
 鏡山は箱館戦争でも土塁が有ったのかも知れないし、303m峰は鏡山の直ぐ傍だ。
 何らかのイメージを掻きたてさせられる。
 他に「函館要塞に就いて」という函館要塞に勤務していた人の手書きの書類があった。
 その中にも303m峰の要塞は載っていない。
 一体303m峰の要塞跡はどう考えれば良いのだろう。
 時代的には函館山の要塞が出来た時と一致する。
 もしかして砲台では無く見張り場かも知れない。
 「第八十七号」は陸軍部隊名の様だ。
 函館山は「第七十一部隊」が守備していた。
 まだ此処までしか分からない。
 もう少し調査してみよう。
 303m峰は景色の良い山だといつも思っていたが、見張り場にはもってこいだったのか。
4月13日(金)303m峰は要塞だった?
 今日は5名の方と303m峰と鏡山を案内する。
 今年に入って鏡山は5回目位になる。
 同じ山にこんなに通ったのも珍しい。
 でも色々と歩けるコースが有るので、飽きる事は無い。
 今回も新ルートを歩く事にした。
 いつものクリーンセンター先に車を置いて歩くが、今日はつぼ足でスタートした。
 最初は林道を歩いて行くが、もうすっかり春の雰囲気だ。
 前よりも鳥の声が多く聞こえる。
 みんな春を謳歌しているのだろう。
 途中で木を登っているエゾリスを発見。
 可愛いエゾリス
 写真を撮ったり皆で可愛さにうっとり眺めていたりと、心癒されるひと時だった。
 林道途中から山の方に入る。
 ここもつぼ足で歩ける。
 何処を歩いても埋まる事が無いので、地形さえ覚えていれば大丈夫だ。
 尾根に出て好きなポイントである大斜面を登る。
 南側の大斜面を登る
 間もなく303m峰に到着。
 今日は楽しみがある。
 以前貰った提供を受けた写真の石碑を探す事だった。
 写真を提供してくれら方は境界石では無いかと言っていた。
 そろそろ雪も融けたので顔を覗かせているかなと思っていた。
 発見したのはKさんだった。
 「も〜さん有ったよ!」の声に行って見ると、石碑は頭を出していた。
 周囲の雪は融けて何とか文字が読めそうだ。
 良く考えて見たら、今日参加している6名の内、4名が大野文化財保護研究会の仲間だった。
 早速石の文字読みだ。
 明治32年の文字が見える
 かなり風化した文字もあるが、結構読めた。
 「明治三十二年」の文字が見える。
 明治十二年だと宮内庁が境界石を設置したので、多分それだろうと思っていた。
 しかし昭和十二年の上に三の文字が有る事が分かった。
 そして「要塞」と言う文字が見えると言う。
 下に陸が見えるが、陸軍要塞
 想像も付かなかった文字だ。
 上部の文字は判明出来ないが、「陸軍」と「要塞」の文字は判明出来た。 
 他に「八十七号」の文字も・・。

 もしかしたら「陸軍の要塞」だったのか?
 要塞では有名なのが函館山の要塞だ。
 明治三十二年に要塞地帯法が出来て、函館山では1898年〜1905年迄に山全体に砲台や観測所が建設された。
 年代的にこことの関連が有りそうだ。
 今後調べて見よう。

 303m峰から鏡山に向かう。
 そして鏡山の頂上へ到着。
 快晴で函館湾の海の色も青々として綺麗だ。
 駒ケ岳、当別丸山、千軒岳、桂岳、三森山、庄司山、七飯岳などなど360度全く遮るものが無い。
 秀麗駒ケ岳
 山頂から少し下がった風の当らない場所で昼食。
 私はおにぎり1個のみの持参。
 でも漬け物やしょうが御飯、その他にお菓子など沢山頂く。
 女性陣からは何かと頂くので嬉しい。
 昼食後の下山はのんびり林間を下る。
 大斜面で記念撮影
 木を眺めたり、土が出た南斜面に咲いていた、福寿草も小ぶりで一層可憐に見える。
 小ぶりで綺麗な福寿草だ
 長い長い下りをおしゃべりしながら歩いていたら、あっという間に下山してしまった。
 1人だと長い長い道なのだが、皆でああだこうだ言いながら下ると早い。
 下山して車の置いた場所まで戻る。
 途中でもふきのとうには雄と雌が有る事も聞いた。
 丸い感じの黄色い雄株、白いとがった感じが雌株だそうだ。
 雄株が早く出て、雌株は遅いそうだ。
 道端のふきのとうにも雄株が多かった。
 「雄は早く出て食べられてしまうのだ」
 と言われた。
 雌はどこの世界でも生き延びる力が強いのか??
4月12日(木)当別丸山西ルート探し
 今日は快晴の天気で気温も2桁になりそうだ。
 こんな日はじっとしていられない。
 おにぎりと玉子焼きを作って出発する。
 今日は先日の当別登山の時、頂上から降りれそうな尾根を見つけた。
 今日はそこの尾根に行く道は無いかと探しに行く。
 Google Earthで見ると尾根の下に道が僅かに見られる。
 その道に行くには何処から行くのだろうと、地図で検討していた。

 国道から林道に入り、登り口だろうと思える方向に向かう。
 しかし直ぐに雪で進め無くなる。
 車を置いて歩いて林道を進む。
 最初は杉林の中を進む
 最初はつぼ足で歩くが、やがて雪も深くなりスノーシューを付けて進む。
 この林道にはつぼ足で誰かが歩いた足跡が有る。
 かなり埋まって歩いている。
 500m位進んだら、何かの鳴き声がする。
 声のする方向に行ったらカエルだった。
 オタマジャクシとカエル
 水たまりに、沢山のオタマジャクシが居て、すでに孵ったカエルが跳び跳ねていた。
 この辺りだと思える場所に道が付いていた。
 最初に入った道
 早速登る。
 杉林の中をしばらく登ったら、ブルーシートが出て来た。
 トンネル工事か?
 何だろう? どうやら高規格道路のトンネル予定地なのかもしれない。
 さらに前に進んだら、タラの芽の木が100m位林立していた。
 タラの芽が沢山あった
 小高い山に登って行くが道が消えたのと、どうも方向が少し違うので戻る。
 下まで下りて更に林道を進む。
 沢の左手を行けば良いのだが、沢は出て来たが道は無い。
 適当に杉林の中を登って行くがピークまで行ったら、先は大きく沢に落ちていた。
 この尾根も行けなかった
 また下まで戻る。
 戻る途中、沢の上流に道らしい雰囲気があった。
 沢のすぐ傍の杉林のを進む。
 この川の傍が林道だった
 少し行ったら沢に出て、ここを渡る。
 沢の向うには道が見えた。
 どうやら上の杉の植林が終わった後、入り口の林道にも杉を植林して、車が入れない様にしたのだろう。
 はっきり道が見えた
 再び沢に出てここも渡渉する。
 ここからははっきりした林道が出て来た。
 登りの長い林道を進む。
 林道が続く
 途中でテスト中のスノーシューのベルトが外れた。
 縫った糸が切れたのだ。
 仕方が無くつぼ足で歩くが、やはり埋まる。
 見通しが良い所まで行って、上の峰の道を確認出来た。
 当別丸山も見えた
 間違い無く当別丸山に登れるだろうと確信して戻る。
 また出直して来よう。
 同じ道を下って、車に着いた。
 写真を採ろうとしたらあれ〜カメラが無い。
 写真を撮った場所を思い浮かべる。
 山を下って林道に出た所で撮った事を思いだした。
 2万円を超えたHVカメラなので、簡単に諦めるわけにはいかない。
 長い林道を歩いてカメラを発見した。
 やったーという感じだ。
 再び車に戻ったが随分疲れてしまった。
4月11日(水)恵山経由で帰宅
 我が町内会ゴミの焼却施設があり、湯がふんだんに発生する。
 その湯を使って町内に市営の銭湯がある。
 この銭湯は町内会の65歳以上の人は、年に24回無料で入れる。
 これが意外と貴重で、運動して汗をかいた時など、さっと自転車で行って入ってくる。
 今年も券が発行された。
 無料券が貰える
 こんなサービスは大歓迎だ。
 これにプラスして湯川温泉の福祉センターはいつでも無料で入れる。

 ホテルで目が覚めるのも5時だった。
 早速朝風呂に入る。
 そして朝食は普通のバイキング。
 ソイの刺身が新鮮で美味しかった。
 後は一般的な食材ばかりだが、野菜サラダは野菜高騰でなかなか十分に食べれないので沢山頂いた。
 どうしても欲張ってお腹が一杯になる。
 朝食はバイキング
 食事も終わって帰りは恵山経由でふきのとうを採って帰ろうとなった。
 恵山の適当な場所に車を止めて、ふきのとう採りに行くが、妹の旦那は動く事が嫌いなので、車で待っていと言う。
 3人で歩きだす。
 恵山も雪が溶けた
 大分春らしくなったので気持ちが良い。
 鳥の声も随分聞こえる。
 鳥も春になり活発に活動しているのだろう。
 笹の多い場所だったので、ふきのとうを少しばかり採って、次の場所に移動する事にした。
 道の駅「なとわえさん」の海岸
 しかし途中で雨になり、山菜採りも中止になって家に帰った。
4月10日(火)南茅部ホテルひろめ荘で1泊
 亡くなった妻の母親の3年際も終わったので、母親を偲んでホテルに1泊する事になった。
 我々夫婦と妻の妹夫婦が一緒だ。
 今回は限定5組に限り、1泊2食付き7500で格安だった。
 ホテルに泊まるのは、昨年娘の住む釧路を訪れた際、往復とも千歳市に1泊した。
 その時も行く時は妻がホテル泊まりで、私は道の駅で車中泊した。
 帰りは妻の体調が悪かったので一緒に泊まった。
 そんな具合で私自身ホテルに泊まる事は少ない。
 折角行くのだから、山菜を採ったりしてから、チエックインしてと思ったが、同行者にはまるでそんな雰囲気は無い。チエックインの時間にホテルに着けば良いとの雰囲気だ。

 それならと、昨日購入したフライパンの柄の部分を加工する。
 キャンプ用のフライパンもあるのだが、どうしても焦げ付いたりして具合が良く無い。
 やはり表面加工をしっかりしてある方が良い。
 今まで使っていたフライパンもかなり使ったので変えようと思っていた。
 今回、超軽量のフライパンがあったので購入した。
 フライパンを自転車のサイドバッグに入れる時に柄が邪魔になる。
 そこで取り外し可能なものにしようと言うわけだ。
 フライパンに付いて来た柄を取り外し、半端木をナイロン袋に詰め放題180円で買った材料の中に丸棒があったのでそれを使う事にした。
 丸木にドリルで穴を開け、埋め込みナットを挿入。
 そこにネジを取りつけて完了。
 これで取り外しが可能になって、邪魔にならなくて済む。
 付いて来た柄を外す

 新しい柄が付いた

 取り外し可能

 午後にホテルに向けて出発。
 予定通りホテルに着いた。
 ホテルひろめ荘

 まずは温泉に浸る。
 ここの温泉は硫黄泉と重曹泉がある。
 中でも硫黄泉は乳白色で私の好きな温泉ではある。
 私以外は風呂上りに部屋でビールで乾杯。
 そのうちに食事時間になる。
 ここの係の女性Suさんは、凄く接客の良い方だった。
 元気だでてきぱきと1人で10数組のお客さんの食事支度をしている。
 トークも丁寧ではきはきしている。
 同行者も皆、その働きぶりに感心していた。
 元々この温泉は市営温泉だったが赤字続きだった。
 それが指定管理者に変わったら、1年で黒字になった。
 私が新選組&土方歳三ガイドしている際に利用させて貰っている、函館元町ホテルが経営している。
 年寄には十分な夕食だった

 食事も終わり部屋に集まり、プロ野球中継を見る。
 野球が終わったら、妹夫婦は部屋に戻る。
 私は何もする事は無く布団に入って寝てしまう。
 妻と妹は再び温泉に行った。
 これで一日が終わった。
 行動的には何か物足りないな。
4月9日(月)MTB整備
 いくらなんでももう雪は降らないだろう。
 そうなれば自転車シーズンだ。
 今日はMTBの整備をする。
 3台のMTBを持っているのだが、1台は軽量MTBでスリックを履かしているのでロード感覚で走る。
 もう1台はミヤタリッジランナーで旅用。
 日本一周も一緒にした愛車だ。
 もう1台はMTB登山に使うMTB、MTB登山の他に縦走する時など、下山地点に置いて降りたらそのMTBに乗って車まで移動する。
 また登山口まで車も入れないアプローチの長い道にも使用する。
 今回は登山用MTBの整備をする。
 整備と言ってもシフターとブレーキ調整のみだ。
 シフターワイヤーとブレーキワイヤーの戻りが悪いので交換する。
 ホームセンターに行ったら、シフトワイヤーしか無かった。
 198で購入。
 ブレーキワイヤ0はスポーツショップアルペンに行く。
 ここのシフトワイヤーは同じシマノので120円だった。
 こちらが安かった。
 ブレーキワイヤーは270円だった。
 家に帰ってワイヤーを交換し、シフトの調整も行って完了。
 レバー側の入れ替え

 調整終了

 夕方スーパーに買い物に行く。
 明日、ホテル1泊となるので飲み物を持ちこむのだ。
 ビールなら少し高いがホテルで買えるが、私はたまに飲むのは「ホッピー」なのだ。
 良く焼酎を薄めるために入れるアルコール度0.9%のものだ。
 これを飲むだけでかなり酔ってしまうのだ。
 酒を止める前は日本酒なら7合は飲んだのだが、今はそんな人とは思えない。
 ホテルにはホッピーは置いていないので持参するしかない。
 今回は4本購入した。
 買い物をしているうちに、フライパンが目に入った。
 20cmの物で295円だった。
 私は旅ではもっぱら家庭用の少し深めの23cmのフライパンを旅で使用している。
 キャンプ用のフライパンはあまり良いものに巡り合わないし、あっても高い。
 家庭用の欠点としては重いのだ。
 所が今回のものは凄く軽いのだ。
 持った瞬間かる〜いと感じる。
 思わず購入してしまった。
 軽いフライパンだ
 今まで使っていたフライパンも相当痛んでいる。
 ここらで新調だ。
 柄は格納に邪魔なので、取リ外し可能になるように改造しよう。 

4月8日(日)タイヤ交換など
 今日の朝も外を見たら雪がうっすら積もっていた。
 一体いつまで雪が降るんだと思いつつも、明日からの気温はかなり上がりそうなので、タイヤ交換をする。
 以前のワンボックスカーボンゴフレンディに比べれば、タイヤが軽くて簡単に交換できるのが嬉しい。
 30分くらいで終了し、タイヤはスチールホィールなので、少し錆びそうだったので黒の塗装をした。
 プラスチックの食材の入って来た、プラ容器をタイヤの径に合わせて切った。
 これでタイヤへの飛散は防げる。
 4本塗装して完了。
 これで来年の冬期シーズンは直ぐに装着出来る。
 暖かくなった

 少し汚れている

 黒のスプレーで塗装した

 すっかり綺麗になった

 裏面も汚れている

 こちらも綺麗になった

 かんじきの小さな改善も行う。
 一つはベルトの交換。
 ナイロン系のベルトにプラスチックのバックルはどうしても滑る。
 バックルを形の違うものに交換した。
 矢印のバックルに代えた
 また後ろのベルトが歩いている時に移動するので、サイドからリベットで止めた。
 サイドはリベットで止めた
 これで良いだろう。
 細かい改善を繰り返して、徐々に完成に近づいてきた。
4月7日(土)函館山で渋江長伯の足跡を巡る
 今年の旅の予定は日本橋から北海道厚岸まで歩いた渋江長伯の足跡を辿る旅だが、渋江長伯は函館にも来ていて数枚の絵を残している。
 函館山から書いた絵なのだ。

 函館山は何度も登っているので特に目新しい事も無かった。
 しかし視点を変え、寛政11年(1899)に描いた絵の場所や道は今どうなっているのかと考えれば面白い。
 かんじきのテストを兼ねて行く事にした。
 函館山に行くのは運動不足の時に行くのと、旅人が来た時に案内したりキャンプしたりする時だけだ。
 駐車場に車を入れ、旧道から登る。
 人気の旧山道はすっかり踏み固められている。
 快調に4合目に到着。

 次は旧山道の5号目の分岐になるのだが、その途中の右側に道がある筈だ。(青い線)
 道らしい雰囲気の場所をかんじきを付けて入る。
 ここから入った
 はっきりした道跡は無いが、右手は急斜面なので登る道は限られている。
 杉林の中を過ぎると大きな石があった。
 見たら表面は平らになっていてやや左右対称になっている。
 表面の平らな部分を見たら何か字と見られる跡があるが、風化してはっきりは分からない。

 更に登る。
 すると赤いテープが出て来た。
 え〜こんな所を登る人が居るんだと感心しながら登る。
 さらに登るとまた赤いテープが出て来た。

 最後は急な斜面になったが登り切る。
 旧山道の7号目に出た。
 この道の途中で渋江長伯の絵の景色が見られた。
 遠くには汐首岬、近くでは立待岬、絵の中にある特徴的な岩が二つあるがこれも見える。
 絵の左側の景色
 さらに遠見山の稜線も見える。
 絵では岩の右手に道を書いているが、この道らしき跡が遠目に見える。
 この斜面に道らしい跡がある
 岩のある場所に行く事にする。
 旧道を5合目まで降りて、そこから千畳敷方面への旧山道を登り、途中の南斜面から岩に行く事にした。
 取りつき斜面を登り切ったら15番観音が出て来た。
 15番観音の上に道が有る
 その奥に道があるので登って行くと尾根道になり、さらに行くと岩に辿り着いた。
 岩に辿り着いた
 戻って遠見山に向かう。
 道らしい跡が残る斜面を登って行ったら尾根に付いた。
 はっきりと道が有る事が分かる
 絵では右手に遠見場が有った場所だ。
 左の頂上に向かって尾根を進む。
 この先が頂上
 やがて頂上に着いた。
 5m四方位の頂上だった。
 遠見山(高幡山)頂上で
 周囲に木が少しあるが、木が無いと函館市街地や津軽海峡などが見えかなり見晴らしの良い所だ。

 記念写真を撮って下る。
 車道に向かって下っていると、車道を歩いてくる5人のハイカーが来た。
 私が上から出て来たので驚いた様だ。
 何処から来たんだ? と言うように見ていた。
 この後も、周辺を散策して下山する。
 何度も何度も登った函館山だが、この様に絵を巡って歩くのも一工夫だろう。
 何か新鮮な気持ちで歩けた。
 かんじきもまだ改良点が見つかった。
4月6日(金)かんじきのテスト
 今日は朝からかんじきの改善をした。
 完成して近くの函館山に行ってテストする事になった。
 函館山の駐車場は駐車スペースが空いていたのですんなり駐車出来た。
 早速登るが登山者の多い函館山の山道はすっかり固められて、長靴で楽々歩ける。
 こんな所でスノーシューを付けて歩くのは格好が悪いので雪の深い所まで行く事にする。
 5合目から千畳敷に向かう。

 前には10人ほどの男性1人に女性9人くらいの団体登山者がいた。
 女性が多いので話しに夢中で、静かな山も一転して騒々しい。
 途中から違うコースに行ったので、静けさが戻った。
 函館市街を見るのは久しぶりだ
 千畳敷に行くまでに4人の登山者と出合った。
 千畳敷でかんじきを履いて、誰も歩いていないコースを歩く。
 これでスタートだ
 急斜面を選んで歩いたが、滑る事も無く快調に歩けた。
 重量はやはり軽くて履いている感じがしないくらいだ。
 問題になったのは、後ろのベルトを取りつけたアルミ金具が長靴に触れる事だ。
 この部品が長靴に触れる
 これだと長く使えば長靴に穴が開くかも知れないので改善を要す。
 他に前のアルミは横からビス止めしているのだが、そのビスの頭同士が引っかかるのだ。
 僅かしか出ていないのに、不思議なくらい引っかかる。
 これも改善要す。
 他には品物が無くて仮に付けたバックルは交換した方が良い。
 この3つで何とか行けるだろう。
 登山道が無く普段は藪で歩きにくい場所を、あちこち散策して下山する。
 下山途中で吹雪きになった。
 この時期こんなに吹雪くのか!!
 でも雪はぼた雪でウェアに着くと直ぐに溶けて、雨と変わらない。
 5号目で登りで会った10人の集団とまた会った。
 後ろを着いて行ったが、先に進ませてくれたので、一気に急ぎ足で駐車場まで下る。
 車も真っ白になった

 家に帰って一服してから100円ショップに行く。
 バックルを探したらあった!
 それも2個入って100円だ。
 ホームセンターで勝ったのは1個で360円だった。
 左HC、右100円ショップ
 随分値段が違う。
 比べて見ても全く変わらない。
 家に帰ってバックルを取りつけた。
 ベルトに使っていた部品は取り外しアイゼンに直接ベルトを取りつけた。

 。

 こんな感じに仕上がった
 ベルトの取り回しも全く別なラインにした。
 今度は大丈夫だろうが又テストに行こう
4月5日(木)かんじきは改良要
 今日はぶんぽ研の例会日。
 今日の議題の中で函館市隣の北斗市に個人で所有していた寿楽園と言う広大な公園があるそうだ。
 私も全く知らなかったし見た事も無かった。
 函館市の漁網問屋であった秦氏が作ったものだが、この秦氏の4女のフユが島崎藤村の妻だそうだ。
 島崎藤村は「破壊」を自主出版する際、400円を借りにフユの父を訪れこの寿楽園に来たそうだ。
 広大な公園も今は手入れも無く、草がぼうぼう生えているそうだ。
 温泉ホテルが養老院を作るために買い取ったそうだが放置されたままだ。
 島崎藤村のゆかりの公園を、新幹線の北斗市には新函館駅が出来るで、観光に役立てたいと市長に提案するが、市で2000万円も出して購入出来るのか?

 例会が終わった後、かんじきのテストと鶉山道調査を兼ねて雪山に入る。
 さあスタートだ
 雪はまだかなり積もっていて、入り口ははっきり道が分かるものの、少し歩いたら道は全く分からない状況になってしまった。
 かなりの範囲をうろついたが旧道の発見は成らず諦めた。
 藩政時代からの旧道を行く

 雪はまだ多い
 まだ調査には早かったようだ。
 かんじきのテストだが、軽くて歩きやすく調子よく歩いていたら、紐が緩んで外れた。
 プラスチックのバックルをきつく締めても緩む。
 何度か履き直したが、外れる頻度も高いので仕方が無く戻る。
 もう一つの問題は、かんじきの方側はワンタッチで外せるのだが、これも途中で外れてしまった。
 アイゼンを止めているアルミ棒が回って、溝が外れる位置まで来て、外れる事が分かった。
 これはアルミ棒が回らなくすれば直る。
 家に帰ってベルトが何故緩むのか考える。
 ようやく分かった。
 ベルトワークは1本のベルトで行ったのだが、後ろにずれないようにきつく締めると、前のベルトも締まって、靴を後ろに押しだし、先がベルトから外れる事が分かった。

 明日にでも改良だ。
 ストックの先が埋まらない様に付けたスペーさ―は快調に役目を果たした。
4月4日(水)ストックに付けた輪
 朝から強風と雪が舞う天気だ。
 かんじきのテストに山にも行けず大人しくしている。


 4月1日のブログにストックに付ける雪山用の輪の正体が分かった。
 ブログに何に使うか分からないと書いたら、鈴鹿市の日本縦断中のGさんから、建築材料のスペーサ―だという事が分かった。
 鉄筋と型枠の隙間を保持する材料だった。
 セットする鉄筋によって直径や、中央部の穴の径が異なるそうだ。
 コンクリートの内部に入ってしまう消耗品なので安いのだ。
 色も色々とある事が分かった。
 時々色を変えて使うのも面白そうだ。

 これで代用が出来れば格安だ。(1個36円)
 業種や使い道が違うと色々な物が有るのが面白い。
 Gさんも後4年して還暦を迎えたら、新潟から札幌まで走るそうで、その時は会えそうだ。
 また楽しみが増えた。

 妹夫婦の家に行って温泉1泊計画の話し合いをする。
 妻の母の3年祭の記念に温泉に1泊しに行く事になった。
 安いのを探したら、1日限定5組なのだが空いていた。
 1泊2食付きで7500円と安い。
 南茅部にあるホテルひろめ荘だが、ここはホテルの温泉と付帯する健康センターの温泉の両方が入れる
 乳白色の硫黄泉は道南では珍しい。
 貧乏旅人にとっては7500円も勿体ないのだが、今回は記念行事なので仕方が無い。
 のんびりしよう。
 のんびり出来そうだ

4月3日(火)義母の3年祭&かんじき完成
 車に石油ストーブや祭壇に飾る花などなど満載にして妻の実家に向かう。
 途中で魚屋さんに寄って予約していた祭壇に供えるソイを買う。
 最近はスーパーに行っても頭付きの魚はなかなか手に入らない。
 魚屋さんには頭付きの魚が沢山ある。
 人が住んでいない実家なのでストーブも無い。
 ポータブルストーブを3台セットして暖房を入れる。
 祭壇に供える物の配置には毎回苦労する。
 これもきちっと決まりが有るのだが、今回は以前に撮った写真を忘れてしまった。
 何とか祭壇が出来た
 義理の妹夫婦、義理の弟(次男)、亡くなっている義理の弟(長男)の長男夫婦と子供2人が今日のメンバーだ。
 宮司さんは三島神社から来て貰った。
 この宮司さんは元プロスキーヤーと言う経歴なのだ。
 礼儀を重んじる宮司さんで、義母が無くなった時、2拝2拍1拝の仕方が駄目だと、全員が注意された。
 拝の際には手を前に着き、深く腰から折って頭を下げるのだ。
 それからはきちっと出来るようになった。
 殆どの方の2拝2拍1拝は駄目だと言われるだろう。
 三島神社宮司さんが行った
 無事3年祭も済んで宮司さんとしばらく歓談する。
 また荷物を積んで家に帰る。

 途中のホームセンターでかんじき製作用の部品を買って家に戻る。
 直ぐにかんじき製作に掛る。
 靴が後ろにずれないようにするベルトを取りつけるのだ。
 考えた挙句、ベルトの通し方とバックルの使い方を考えて、1本のベルトで全てを補えるようにした。
 ベルトの幅も広いので足に掛る負担も少ないだろう。
 何処かの山に行って試して見よう。
 後ろのベルトもバックルで締める

 紐は一周りさせた

4月2日(月)お墓参り&かんじき作り
 春の彼岸に雪が多くて墓参りが出来なかった。
 明日は妻の母の3年祭があるので、今日は墓参りに行く。
 外は吹雪の天気だった。
 こんな時期に吹雪きは珍しい。
 今年はいくら雪が降るんだ!。
 墓の雪は少ししか無くなっていた。
 残っていた雪を捨ててお参りする。
 雪が舞っていた

 家に帰ってかんじき作りをする。
 今までは右側を作っていたが、今度は左側を作る事にした。
 家にあったアルミパイプを何とか繋ぎ合わせて完成した。
 完成まで残り僅かを残すのみになった。
 今回はあくま試作なので、実際に使った結果を見て完成度を高める。
 今回作ったのはアイゼンとかんじきを組み合わせたものだ。
 さらに今回のアイゼンかんじきに、オプションでパーツを付ける事によって、雪が深い時は浮力を増す様にする。
 雪にあまり沈まなかったら、浮力を得る部品を外して歩く。
 そうすれば、急斜面の固雪は滑らないで歩ける。
 そして最終的にはスキーもオプションで付ける。
 こんな事を考えて入れば、夢が膨らんで楽しい。
 だんだんアイゼンの作り方が上手くなってきた。
 両方がほぼ完成

 こんなに曲る
 今回の耐久試験の結果によっては、新しいのを製作するが、慣れて来たので数時間で出来るようになるだろう。

 旅人たかはしじゅんさんから日本一周を終えたとの連絡が来た。
 328日間、8840kmの旅であった。
 昨年の夏に北海道に来て、その後南下し沖縄にいたがついに旅を終えたのだ。
 「日本一周の旅を無事終える事が出来ました。これから夢に向かって走り出します。BIGになって再会しますのであ楽しみに!」と書いてあり、またGH「自遊旅」で会えるのが楽しみだ。

 47都道府県の人の笑顔を写真に撮って出版するそうだが、どんな写真集になるのだろう。
 ゴールする人がいれば、出発する人もいる。
 数日前の新聞で近郊の67歳の方が3ヶ月5000kmの日本一周に出ると報道があった。
 コメントを見ると初々しい。

 自分も8年前は同じ気持ちだった。
 旅は良い。

 
4月1日(日)かんじき作り
 今日は大形スーパーで野菜の安売りが有ったので、買い物主夫は出かける。
 やはり凄い人が並んでいた。
 キャベツ150円、レタス150円、バナナ1房200円を購入。
 列に割り込むおばちゃんは凄い。
 他に店中でキュウリや米を購入する。

 そして自分の買い物は、ホームセンターでかんじき用の部品を購入する。
 ベルトやバックル、輪管などなど。
 部品探しをしているうちに面白い物を発見した。
 先日丸山に登った時、私のストックはアルペンスキー用なので、先端の輪が小さくて雪に埋まる。
 その話しをしたところ、Kさんが「うちのクラブでストックの先が埋まらない様に針金を加工して作った人がいる」という話しを聞いた。
 まあ良くある話で気にはしていなかった。
 ストックの先に付ける山用の大型の輪は売っている。
 それを購入すれば良いのだが、そこは何事もすんなりと買わない。
 たまたまうろうろしていたら樹脂で出来た輪が10個入って360円で売っていた。
 これは何に使うのだろう?
 何に使うかは良く分からないが1個36円だ。
 中心部の穴の径を見たら、エンジニアの感でストックにぴったり合いそうだった。
 何か面白くなって購入してしまった。
 家に帰ってストックに嵌めてみたら、何と加工無しですんなり付いてしまった。
 ぴったり付いてしまった
 強度的には及ばないかも知れないが、何でもやって見よう精神が出てしまった。
 これも又楽しいのである。
 今度の山行きには付けて行こう。
 スキー用の輪も外さなくて済む。

 かんじきの製作をする。
 先日作った試作品はベルトを張りで縫って加工したので糸が切れたのと、スキーの取りつけも一緒にしたので、今回は一つずつやって行こうと決めた。
 まずはアイゼン+かんじきの製作でアイゼン部分を作る。
 まずはアイゼンに紐を通す長穴を開ける。
 ジュラルミンなのでそれほど大変な作業では無い。
 ベルト用の縦長の穴を開けた

 次に後ろ側のベルトを通す部品をアルミで製作する。
 2mmのアルミ板を曲げて、さらにベルトを通す長穴と部品を固定するドリル穴を開けた。
 後ろ用の部品
 この部品はビスでアイゼンに固定した。
 次に前側のベルトを通す輪管を取りつける。
 前と全体のベルトが付いた
 さらに足全体を固定するベルトを取りつけて今日は此処までだ。
 残るは後ろ側に靴がずれないようにベルトを設けて終わる。
 今度はしっかり作った
 午後からは日ハムの試合、そして夜はなでしこジャパンの試合が有る。
 スポーツ好き家庭にとっては最近は楽しい毎日だ。
 HP TOP