1月31日(火)主夫してます
 妻がスライサーで指を切って以来、主夫をしている。
 病院では指に水を触れてはいけないと言う。
 そこで食事や食器洗いは私の担当になっている。
 嫌いではないので楽しんでやっている。
 今日は鱒のバター炒めと野菜サラダ、マグロととろろ芋でやまかけでした。

 山道調査にも行きたいし、松前原口の写真撮影も行きたいが、もう少しの辛抱だ。
 車内には寝具も積み込んでいる。

 今日はパソコンに向かうと決めて一日中、山道の執筆をしていた。
 お陰でかなり捗った。
 5コースについてはほぼ出来た。
 でも過去に調べたものだけでも相当の山道があるし、新たな山道も調査するので1年を目途に完成させたい。
 
 同じ作業内容だと飽きるので時々違う事もやる。
 今日はロゴを作った。
 以前からデザインしていたロゴを、パワーポイントで何種類か作成した。
 今後、葉書や手紙を書いた時に隅っこに入れたりする。

 自転車デザインの文字

 絆を入れたが・・

 シンプルで良い
1月30日(月)旧奥州街道コース完成
 東京から青森県三厩もまでの旧羽州街道のコース図が、Googleマイマップでようやくほぼ完成した。
 多くの時間がかかる作業だった。
 現在は国道4号線で青森まで行き、青森から津軽半島を三厩まで国道を行けば簡単に行ける。
 所が国道4号線が出来る以前には、奥州街道がありさらにそれ以前の旧羽奥州街道もある。
 今回予定している、渋江長伯・谷元旦の旅は旧奥州街道になる。
 この道の特定にかなりの時間を要した。
 東北各地には、旧街道を調査しているグループがあり、それらの情報を積み重ねてコースが出来た。
 コースが出来たので、今後は渋江。谷の日記から、特徴的な記述をマイマップに加えて行く。
 そうすれば、コース図を見ながら、各場所での紀行文の内容が分かる。
 これで旅もしやすくなるだろうし、重い資料を一式持たなくても、スマートフォンで事が足りる。
 便利な時代になったものだ。

 パソコン上のコース
 太田原付近をGoogle マイマップで作った旧奥州街道(青線)と国道4号線。
 全く別なルートになる。
 こんな感じで本州を縦断する。
 ローカルな場所ばかり巡る旅になりそうだ。
 この旧奥州街道のコース付近には遺跡も多くあり、昔に戻って旅が出来るだろう。
 楽しみがふくらむ。

 当然スマホ上でも同じ表示
 スマホで見れば、当然同じ画面が見れる。
 これに情報を入れれば、スマホで全て情報を得る事が出来る。
 使う頻度が増えれば、問題はスマホのバッテリーの対策だろう。
 ソーラーや大容量電池はあるが、さらに強化を考えなくてはならないか?
1月29日(日)ベッド完成&タイムバーゲン
 ベッドも完成し、妻の部屋に持ちこんで、組み立てを始めるのだが、妻が寒い外に出れないので、スーパーのタイムバーゲンも行かなくてはならない。
 妻の壊れたベッドは2階のベランダから投げ捨てた。
 凄い音がするかも思ったがそうでも無かった。
 重いので階段を運ぶのは大変だが、簡単に済んだ。
 道路まで飛んで来た
 ベッドを組み立ててはバーゲンに行き帰ってはベッドを組み立てる。
 雪道をチャリでぶっ飛ばす。
 今日はかなり冷えているのでタイヤは滑らず快調だ。
 昔、芦別のカナディアンワールドで行われた、MTBのウィンターレースを思い出す。
 急な斜面も目一杯飛ばしたものだ。
 もう30年も前の話しだ。
 タイムバーゲンは4回も有るのだ。
 1回目でたまご78円、越冬大根100円、キャベツ198円を購入。
 2回目で牛乳100円。
 3回目でレタス100円を2個買った。ナチュレ恵100円を2個。
 4回目でぶなしめじ75円、サーモン刺身120円/gを購入。

 ベッドも完成し、妻も今日から居心地良く寝れるだろう。

 2組み立て完了

 ベッド下は収納出来る

 妻製作のパッチワーク布団カバー
1月28日(土) ベッド作り&長靴ゲット
 今日もベッド作り。
 ベッドの脚の部分を高くする作業だ。
 廃材を組み合わせて脚を4本作った。
 固定するボルトが無いので、妻を病院に送り迎えする間にホームセンターに行く。
 6mm×70mmのボルトが16本必要なのに10本しか無い。
 最近は在庫管理が厳しくて、多くを買おうとすればなかなか1度で手に入らない。
 妻を次の病院に送って行った間に、他のホームセンターに行く。
 でもここには6mm×60mmが最長だった。
 店内を戻る時、長靴全品50%オフの表示が出ていた。
 気になるのは冬の登山で使っている、スパイク長靴だ。
 ピンが24本も打ってある物。
 でもこれはいつも値引きは少しだけだ。
 店員さんに聞いたら、間違い無く全品50%オフだと言う。
 2180円が1090円だった。
 早速スパイク長靴を見たら、私に合う25cmが1足あった。
 今履いているよりは防寒性が少し落ちるが問題は無い。
 即購入した。
 安い買い物だった

 スパイクピンは24本

 他のホームセンターでボルトも購入しベッドも完成に近づいた。

 脚が付いた

 白く見えるのが追加した脚

 化粧カバーをした
1月27日(金) 妻のベッド作り
 ベッド作りをする。
 今日はベッドの天板のれフォームをする。
 長男のベッドがあった
 長い間置いていたベッドの天板のクロスは汚れているので交換する。
 新しい布地は妻が病院勤務時代に取っておいた生地だそうで、これだって30年くらい前の物だろう。
 長男が20年前に使っていたベッドに、30年前の生地と凄い組み合わせだ。
 良くこんなに長く持っていられるものだと感心する。
 まずは布外し。
 これはスタッカーの玉を先端の細いドライバーで取る。
 そしてその下にあるスポンジも取る。
 次にスポンジを張るのだが無いので、妻が持っていたパッチワークの芯を使う。
 薄いので3枚を重ねてスタッカーで止める。
 芯を3枚張る
 次に生地を張ってスタッカーで止める。
 その上にクロス張り
 これで天板は完成した。
 組み立てたベッドに取りつけて見る。
 妻からもOKが出た。
 組み立てて見た
 後は脚を長くしてベッドの下にコンテナが入る様にするのだが、吹雪きなので外の作業は厭で後日に先延ばしする。

 午後から外科病院。
 傷はまだ塞がらず、出血しているようだ。
 指をぶつけたり、水をかけないようにと注意される。
 今日の夕食は私が担当する事になった。
 鱒のフライを作ろう。

 函館の亀田公民館から電話が来て、函館市民会館で講演をして欲しいとの事だった。
 講演日は10月3日だ。
 随分先だなと思った。
 その日の予定は先すぎて分からない。
 取り敢えずはOKした。
 来年度の予算の計上をするために、計画をしなくてはならないそうだ。
 演題は何でも良いと言うので仮題で「自転車野宿旅で巡るイザベラ・バードの旅」にしようかなと思う。
 函館戦争や土方歳三は何度も講演したので、少し自分自身がマンネリになりそうだ。
1月26日(木) 大変な日だった
 今日一日は波乱続きの日だった。
 朝5時から今年の旅のルートを、Google Mapのマイマップで作成していた。
 旧奥州街道は国道4号線とはかなり違う道を通るので、作成には時間がかかる。
 ただここを旅するのだという気持ちがあるので楽しみながら出来る。
 今日は仙台から盛岡くらいまで作った。
 最後にチエックしたら、余分なルート線があるので、それを消そうと思って削除したら、全ての線が消えてしまった。
 元に戻す事は出来ないので、2時間の作業が全てパーになった。

(旧奥州街道は奥州街道や国道4号線とは全く違うルートを通る=青線)

 朝ごはん後、妻からベッドが壊れたので直して欲しいと言われた。
 見たら金属部分の足が壊れてしまった。
 修理と足を高くして下に収納物が入る様にしたと言う。
 それなら妻の実家にある、長男が20年位前に使っていた、木製ベッドがあるのでそれを改造しようとなった。
 取り敢えずベッドを見に行こうとなった。
 ついでにテレビと車のバッテリーをリサイクルショップに持って行く。
 テレビは24インチで2100円取られる。
 バッテリーは重さを計られた。
 2個で34kgあった。
 お金が取られるんだなと思った。
 事務所に行ったら、バッテリーは1月18日から買い取る事になりましたと言う。
 従来は50kg以下は無料だったのが、運よく340円返還された。
 少ない金額だがラッキーと喜んだ。
 ベッドは全く問題なく、これを活用して足の高いベッドにしようと決まった。
 家に帰って妻を置いて、再び実家に行く。
 玄関を開けようとしたら鍵が無い。
 何処に落としたかと探したが見つからない。
 きっと我が家の家にの前だなと思い、着いたら雪の中に半分埋もれている鍵を発見した。
 ここまで2往復したので60kmは走っている。

 そして昼食。
 私が炒め物を作り、妻にはサラダを作ってと言う。
 スライサーできゅうりと、サラダをスライスしていた。
 所が2階に行ったきり戻ってこない。
 行って見たら指から流れている。
 ガーゼとテープで押さえて止血していた。
 血がなななか止まらない。
 もう一度妻の実家に行ってベッドを持って来なくてはならない。
 行く途中で血も止まるだろうと出発。
 ついでに帰りは温泉にでも入ろうと向かった。
 ベッドをばらして積み込む。
 温泉「花の湯」に来たが、血がまだ止まらない。
 これでは温泉に入れない。
 急遽外科に行く事になった。
 治療完了。
 病院通いで落ち込む
 これで昨年12月に血圧が上がり循環器科、そして1月には風邪で内科、喉の痛みで耳鼻咽喉科と病院通いばかりだった。最近は数日に1回の通院となった所に今回の外科となり、どうしてこんなに続くんだろうと、本人も落ち込んでいる。
 古希を迎えたので、年齢変化があるんだよと慰めたが、お祓いでもしなくてはならないか?
 今日1日色々な事があった。
 100km近く市街地ばかり走ったので疲れた〜。

 運びこまれたベッド
1月25日(水) 健康サロンin明和園
 恒例の「健康サロンin明和園」に参加。
 今日はグループリーダー3人が前に出てストレッチ運動の進行をやるのだが、なかなか上手には行かずに、相談しながらの進行で運動にリズムが無い。
 ストレッチの後は太極拳とグーパー体操とやらをやる。
 まあ一生懸命やれば良い運動にはなる。
 結構参加者がいる
 そして4月からの取り組みをどうするか協議するが、過去と同じ項目が上がった。
 それらの計画も各グループリーダーを決め、自分たちでやりなさいと言う事だ。
 派遣されているスタッフは徐々に抜けて行き、最後は多分自グループで何とか運営をしなさいという事だろう。
 楽しみの昼ごはんは、メインは鮭のフライ。
 今日の昼食も350円
 最近は野菜が高騰なので不足している。
 この時ばかりとキャベツを大量に食べた。

 午後がらは旧道マップ作り。
 マップをサンプル的に1枚作ったが、これで良しとするか。
 最初のは単純な地図だったが、海岸線などをきちっと書いた。
 パワーポイントで作るのだが意外と時間が掛る。

1月24日(火) 旧道ガイド執筆
 朝から恵山山道のガイドマップを作っている。
 一度書いたのだが、構成が気に入らなかったのと、コース図をGPSデータを基に作るためだ。
 コース図も作り、写真も張りつける。
 そうしたらまだ肝心の場所の写真が足りない。
 沢山写真を撮っている積りだが、道の分かれる場所などが抜けていたりする。
 さらに恵山山道は間違いなく旧道であるという裏付けももっと必要だ。
 図書館に行って、さらに調べを進める。
 何とか裏付けが出来そうな絵図を見つけた。

 この絵図は完全に恵山山道である事を表している。
 当時の道は椴法華までしか無かった。
 その先は舟で越えた。

 上の図は今日見つけた絵図で、イソヤ(現御崎)からの山道が赤線で書かれている。
 水無沢に下るカーブが現道と良く似ている。
 歴史を伝えるには、裏付けが絶対に重要になる。
 我が家に宿泊した、新選組作家の釣洋一さんに良く言われた。
 現地に必ず行く事と、しっかりした裏付けがある事だと言う。
1月23日(月) 製本指導
 元会社の上長から製本の仕方を教えて貰えないかと連絡があり、今日に日時を設定した。
 自ら「自分史」作り方を、パソコンを駆使して講習などしているそうだが、最後の製本部分が上手くいかない。
 以前私の作った「街道踏破」の本を購入して頂いたが、その製本が良いとなったそうだ。
 今までの製本は本となるべき紙を挟んで、背表紙部分に切り込みを入れ、そこに接着剤を流しこむやり方だった。
 これは私も最初は行っていた。
 物凄く手間が掛るのとゴミが飛散する。
 これは量産には向いていないと判断し、今の新しい方法を考えた。
 アイロン以外は得意の100円ショップで売っている。
 私の方法は簡単で、並べた紙の背中部分にグル―ガンでグル―ステックを溶かし塗る。
 グル―ガンデ塗りつける
 このままだと出っ張りがあるのと、本の紙の間に染み込まないので、さらにクッキングシートをかけた上からアイロンで十分加熱してページの間にグル―ステックの溶けたものを染み込ませる。
 クッキングシートは接着剤が冷えると簡単に取れる。
 クッキングシート上から加熱
 これでOKだ。
 後は表紙をかぶせて、再びアイロンで加熱すれば表紙もしっかりと着く。
 今後、試してみて取り入れたいと言っていた。
1月22日(日)雨、みぞれ、吹雪の恵山山道
 今日は日曜日なので病院は休み。
 妻の通院も無く、この時とばかりに山に行くぞ! となったが外は小雨。
 恵山山道のマップは作ったが、GPSでは無く書き留めて書いたものだから精度が悪い。
 やはりしっかりした物を作ろうとなり、GPSログデータを収得する事にした。

(赤線は行き、緑は帰り道)
 恵山と函館市内は天候が結構違うから、雨は降っていないかも知れない。
 雪の無い国道を快調に走り、恵山に入ったら雪が多い。
 いつもは雪が少ない恵山なのだが、国道には大型除雪車が除雪をしていた。
 そして天候は函館よりも雨脚が強い。
 温泉ホテル「恵風」の駐車場に止めて出発。
 山の雪はそれ程多くは無く、壺足でも大丈夫だった。
 こんな山道を行く
 途中からみぞれになって来る。
 海は時化て風も強い。
 どんどん高度を上げてピーク地点に着いた。
 今度は吹雪きに変わった。
 下り途中の「お経岩」にも寄る。
 雨の日は文字がはっきり見えるよと言われていたが、本当にはっきりと見える。
 雨に日は鮮明に見える
 御崎側に来たら海は大荒れで波しぶきが立っていた。
 風も強い。
 周囲に林があれば風も当らなくほっとする。
 記念撮影だが木と一緒に曲っている
 下りは一気に下りて、御崎の二本柳さんの家の前に着く。
 今日は寄らないで直ぐに折り返す。
 帰り道は別ルートを歩いて途中から合流する。
 このルートの方が緩やかだ。
 ピークに出てしばらく歩き、下り道に入れば一気に砂防ダムに到着した。
 真っ直ぐに温泉に行く。
 冷えた体には温めの湯も熱い!
 のんびり入って持参したおにぎりとてんぷら盛り合わせ300円を注文してて食べる。
 これで恵山山道の資料は完成するだろう。
 先日作った旧道調査バッグは使い勝手が良くなった。
 カメラは直ぐに出せるし、GPSの操作も簡単になった。
 でも雨の時のメモはしにくい。
 何か考えなくては・・。
 それとカメラ用の1脚だが、冬期は土に刺さら無くなった。
 雪用のオプションを考えるぞ!
 歩きながら構想は固めた。

 帰りついでに武井山道のGPSログを取得するが、ここは車で走れる。
 雪はあったが、モビリオ2WDは楽々と登って行った。
 下りの出口でパトカーが隠れて鼠取り。
 私が行ったのでどけざるを得ない。
 すごすごと去って行った。
 武井の海岸も大荒れだった。
 島の周囲を回る道は無いのだが、寛政11年(1799)に渋江長伯は海がなぎだったので、海に入りながら島を回った。
 渋江の回った武井岬 
1月21日(土)原口館は消えた&車改造
 昨日の夕方、関さんから電話が来た。
 地図の権威である高木さんに図面を見せたところ、これは45万円する伊能大図のものだと即言ったそうだ。
 伊能図には大図、中図、小図と3種類があって、星のマークが入っているのは大図だけだそうだ。
 その星のマークだが、これは伊能忠敬(実際は間宮林蔵が測量した)の測量点を表しているそうだ。
 と云う訳で原口館が存在する希望は消えてしまった。
 でも数少ない測量点に原口が入っていたのは面白い。
 「間宮林蔵測量点」の看板でも付けたら面白いか。
 原口館探しは振り出しに戻ってしまった。

 桜松街道の立派な看板も建てた

 原口館は消えたが、原口の「桜松街道」が郵政省の記念切手になる事になった。
 日本桜の会から全国表彰受けたのを、郵政省が興味を持って記念切手の発行なるそうだ。
 その写真の撮影場所をどうするか、私も見に行くとなっているのだが、妻が病院通いなので、数日に渡って家を開けられない。
 もう少し待たなくては・・真っ白い雪の中に青々とした松が映えている写真を撮っておきたい。
 四季の写真にしようとなっているので、来年の桜の季節に販売するので、今の内に撮っておかなくてはならない。
 早く妻の体調が改善される事を祈るばかりだ。
 風邪さえ治れば良いのだが、なかなか治らない。
 妹が来て、あまり閉じこもらないで、日帰りの個室付き、ディナー付きの温泉にでも行こうかとなった。
 来週月曜日に他の病状で病院に行くので、その結果で判断する事になった。
 妹は看護師だからいざという時は安心だ。

 午後から吹雪きの中、車の改造をする。
 荷物置き台はずれ防止を施した。
 パネルの裏に硬質ウレタンをボルトアップして、その硬質ウレタンが小物入れにすっぽり入るようにした。
 硬質ウレタンをカット

 小物入れにぴったり入るようにした

 板に穴を開ける

 ボルトアップして完成

 ぴったりと収まった
 これでずれる事は無いだろう。

 次にカーテンを付ける準備。
 オプションで何か付けるボルトを利用
 車のサイドに化粧ネジがあった。
 これを外して100円ショップで購入した、壁掛けハンガーに穴を明け取り付ける。
 ハンガーに穴を開け固定

 ポールにスリットを入れる

 90度に曲げた爪に挿入
 そこにカーテン用の伸縮ポールを取り付ける。
 これで完成だ。
 色は全て室内のグレーに合わせた。
 後はタペストリーかカーテンを付ければOKだ。
1月20日(金)原口館で話しあい
 昨日、松前原口から函館に出て来ている「原口館を探す会」会長の佐々木さんから、「も〜さん、明日会いたいがどうだろうか」と電話が来たのでOKした。
 「8時から9時に間に来て下さい」との事だった。
 待ち切れずにこの様な早い時間になったのだろう。
 要件は、道南には十二の館があったのだが、原口館はいまだに発見されていない。
 1990年と1992年に松前教育委員会が発掘したが、竪穴住居跡と青苗文化に属する土器が発見され、原口館を創建した以前のものと分かった。
 場所については古老から語り継がれてきたものだった。
 今回私が館らしき図を見たのは、伊能忠敬の書いた図だった。

 この図を元に関係者で話そうと言う事だった。
 伊能忠敬からの情報は過去には無かったそうだ。
 函館博物館友の会の前会長関さんもやってきた。
 原口館の発掘に熱心に係わった人でもある。
 そして皆でああでもないこうでもないと、歴史好きが集まるので楽しい。
 かなりの長い時間討論を重ねた。
 結果として、地図に書かれた星マークの意味を、古地図の第一人者である高木崇世芝氏に聞いて見ようとなった。
 関さんが伺って、結果を後日回答をしてくれる事になった。
 もし館の可能性があったら、教育委員会と打ち合わせして、発掘をやろうと盛り上がった。
 本当ならば大発見になるそうだ。
 道は正確に書かれている

 旧道の話しもかなりした。
 その中で「恵山山道」の資料を見せたら、驚いていた。
 椴法華中学校に勤務していた時、恵山山道を学校で歩こうとしたが、道はもう廃れてしまって無いと言われたそうだ。
 それでウォークは中止になったが、「有るんですね」と驚いていた。
 「地図の書き方はどうしてるか?」と聞かれたので、「GPSログを取ってパソコンにデータ転送し、そのデータをパワーポイントで書いて注釈などを付ける。」と教えたら感心していた。
 帰りに「今日は1回講演を聞いた位楽しかった」と言ってくれた。
 「函館中央図書館でも講演をして下さいと言われたが」、土方歳三はもう飽きて来たので、違う内容にしてと言っておいたが・・。渋江長伯などは面白そうだが、青森の方が図書館で既に講演している。
 今年予定している「渋江長伯の旅」ならOKだ。

 帰ってきて車の物置台の製作。
 今日はクロスを張る。
 クロスは車の室内カラーに合わせてグレイにした。
 まずは端の方に両面テープを張る。
 中央部は木工ボンドを水で溶かして刷毛塗り。
 ボンドの刷毛塗り

 次に裏面をスタッカーで止めた。
 スタッカーで固定する

 車にセットして見たら反りはあまり気にならなくなった。
 かなり良い感じで仕上がった。
 良い感じで仕上がった

 水平に見ても反りは感じられない。
 これでOKだ。
 これでOKだ

 今日の作業は気温が低く、かなり寒かったが、クロスは何とか張り終えた。
 明日は、物置台が走行中ずれないようにしなくては。
1月19日(木)荷物置き台作り
 今日も朝から快晴だ。
 山に行きたい気持ちをぐっと堪えて、荷物置き台作りの続きだ。
 まずは妻が使っていたが壊れて不要になったベッドの床下の板を捨てないでいた。
 それを使う事にする。
 廃材活用だ
 まずはクロスを剥がす。
 スタッカーで止めているのでドライバーで起こせば簡単に取れる。
 布を剥がしたところ
 板を寸法に合わせてカットする。
 板を鋸でカットする

 外での作業だが気温は+1度ある

 切った!
 長さが足りないので余った材料で足りない分を作る。
 長さの足りない分は端材で作る

 繋ぎのだが弱そう

 補強を入れてからボルトアップ
 二つの材料をボルトで固定する。
 これで木部の製作は完成した。
 車に仮に載せて見た。
 曲っている!
 あれ何か曲っている。
 良く見ても曲っている。
 原因は長い間使ったベッドだから、枠を構成する木が曲ってしまったのだ。
 それに気が付かないまま出来てしまった。
 どうするかな??
 どう見ても曲っている

 裏がえしで使えば、荷物を載せているうちに徐々に元に戻るだろう。
 それと後部のカーテンも設けるので、それで曲り部分を隠してしまおう。
 これでどうだ!!
 という事で使用する事になった。
 明日はクロスを張る。
 カーテンも作らなくてはならない。
 写真の材料は勿論無い。
 どうするか??
 
 午後から妻の病院への送り迎え。
 風邪で喉が相当痛いらしい。
 吸入をかければ痛みは無くなるそうだ。
 でも少しの間だけの様な気がする。
 本人も滅入っているので、そっとしておこう。
1月18日(水)快晴だ!
 快晴だ!
 朝起きたら部屋の温度も7度と暖かい。
 何処かに飛んで行きたいのだがそうもいかない。
 今日も昼前に病院への送り迎えだ。

 その前にGoogle Mapに写真を入れる技を調べたら、フリーソフトの[Picasa 3]というアプリケーションが必要だ。
 画像処理のアプリケーションはパソコンについて来た物やSONYのウオークマンについて来た物、プリンタに付いて来たものがインストールされているが、みんなそれ程使い勝手は良くない。
 そこでフリーソフトの[Trim]を愛用しているのだが、今回仕方が無くダウンロードした。
 でもこのソフトは凄かった。
 GPS付きカメラで撮れば何処で撮ったか地図上に表示する。
 画像のエフェクトも凄くある。
 勿論スライドショーもあるし、加工した画像をメール送信が簡単に出来るなどなど、すっかり面白くて遊んでしまった。操作も簡単で分かりやすい。
 Picasa 3

 病院に向かう。
 マスク姿が多いので殆どの患者は風邪であろう。
 それにしても病院の診察は時間が長くかかる。
 昼の使いやすい時間帯がまったく潰れてしまう。
 「しものクリニック」は待合室が2か所ある。
 風邪の引いていない人は、奥にある広くて立派な休憩室で休める。
 風邪が移らないようにとの配慮だ。
 コーヒー自販機もある。
 ブラックコーヒーを飲みながら、しばらく瞑想していたら、車に荷物を収納出来る個所を作ろうとひらめいた。
 前のワンボックスに比べやはり収納スペースが狭い。
 車中泊は荷物が多いので、もう少し改良を加えようとなった。
 紙が無く、持っていたレジシートに鉛筆で何度もアイデアを書いて過ごした。
 アイデアを書いた
 ほぼまとまり、診察が終わって、家に帰ってからホームセンターに行く。
 ここの物入れを利用する
 材料を購入して、車の物入れの型どりを段ボールでする。
 段ボールで型取り
 それに合わせて板を電動ジグソーで切る。
 これは左右2枚出来た。
 木をジグソーで2枚切った
 今日は此処までで終了。
 続きは明日だ。

 久しぶりに温泉に行く。
 妻を入り口前で降ろす。
 最近はお姫様なのだ。
 服を脱いでトイレに行ったら、3〜4歳くらいの女の子が洋式トイレから出て来た。
 そして脱いだスリッパを丁寧に手で並べ、次の人が履きやすい様にしていった。
 私もスリッパは後ろ向きで脱ぐが手で揃えるまではしない。
 すっかり感心した。
 親の躾がしっかりしているのだろう。
 小さな事だが感動した。
 最近は大人でも脱ぎっぱなしが多い。
 気をつけなくては。
1月17日(火)原口行きは未定
 原口の写真撮影と旧道の調査に行く準備もすっかり整って出発と言う段になって、妻が血圧が今一つと風邪が治らず扁桃腺の痛みが全く引けない。
 さらに他の調子も悪いので病院に行きたいとなり、原口行きは延期になった。
 何だか病気ばっかりで、外にも全く出られずテレビ4ばっかりみている。
 どうしたもんかな・・・。

 仕方が無いので今年の自転車旅の資料集めをする。
 問題は旧奥州街道のマップだ。
 調べてコピーしていたが、このままだと相当量になりそうだ。
 そこでGoogleのマイマップ機能を活用出来ないか調べた。
 これを使えば旅のコース図が全て入れられるし、情報から得られた写真やその他もろもろの情報が全て網羅される。
 これは良いのだが、問題はスパートフォンのバッテリー容量だろう。
 ソーラーパネルと大容量のバッテリーが2個ある。
 これにもう少し付けたせば、何とかバッテリーが持つかもしれない。
 大分時間を掛けてやり方を練習したが、まだまだ習得には至らず、さらに練習しなければならない。
 これにスマートフォンの機能を使って自分の位置情報を発信すれば、家族も何処にいるかリアルタイムに分かるので安心だろう。


 自転車旅と言えばツーリングマップルが主流だった。
 所が日本一周する時は8冊必要だ。
 1冊500gで4kgの荷物になる。
 これが大変だった。

 最近GH「自遊旅」に来る人もスマートフォンが圧倒的だ。
 地図や情報が十分得られるからだ。
 時代はどんどん変わって行く。
 流れが速い。
 でも問題はどうしても待ち受け時間が短い事だ。
 早く、長持ちするバッテリーを開発して!!
 変換効率の良いソーラーパネルを開発して!
1月16日(月)原口館は何処に・・
 今日は部屋の整理整頓をした。
 かなりの物を捨ててすっきりした。
 CDやDVDもかなり整理して部屋すっきりした。
 そに合間に調べ物をしていたら、原口館らしき場所を書いた図面が出て来た。
 原口館は中世の道南12館の一つで、長禄元年にコシャマインの蜂起によって陥落した。
 その館を発掘する事になり大々的に発掘作業を進めたのだが、遺物から擦文時代の空堀と分かった。
 考古学上からは貴重な発見だったが、原口館に関連する遺物は出てこなかった。
 場所については伝承によるものだった。
 今日何気なく見ていた、伊能忠敬の図面に星印のマークが書かれている。
 何だろう?
 もしかして館の跡?
 函館地区を調べたら、五稜郭にも同じ記号がある。
 これは館では無いだろうか、そうだとすれば、発掘したのは原口川の北側の高台だった。
 伊能忠敬の図面では、原口川の南の高台だった。
 これは面白そうだ。
 「原口館を探す会」の佐々木会長に連絡したら、その場所は探していないそうだ。
 確かその付近からは多数の貝殻が積んだ形で出た事があるそうだ。
 これは面白そうだと、後日資料を持って伺う事になった。
 道南12の館の中で唯一見つかっていないのが原口館だ。
 面白そうだ

 午後からウィンドショッピングをする。
 CD収納ケースなどを購入。
 さらに旧道調査の時は、紙が水で濡れたりするの、ボールペンだと書けなく、鉛筆を使って書き物をしていた。
 しかし、折れると芯を削らなければならず面倒だ。
 シャープペンにしようと探す。
 でも多分0.5mmの芯だから弱そうだなと思っていた。
 探したら1社だけ0.9mmの太い芯のシャープペンを出していた。
 あるもんだなと感心して、替え芯も一緒に買って帰宅。、
 0.9mmもある
 
1月15日(日)探し物が出た&改善
 山の道具やキャンプ道具の整理が悪いのでいつも出かける時は探しもので苦労していた。
 そこで整理をする。
 すると登山で使うフロントバッグが出て来た。
 今まで探していたが見つからなかった。
 原因はバッグを変えたのだった。
 それをすっかり忘れていた。
 自作のワンタッチフロントバッグ

 重宝していたバッグなので出て来て良かった。
、札幌の秀岳荘でも〜さんと同じコンセプトのバッグが売りに出されたよと友人から聞いた。
 私のバッグよりは収納個所が多いそうだ。
 メーカーで作るのでそんなのは簡単に出来るだろう。
 そのバッグがバックルでバックバックに止める形だそうだ。
 その為、バックパックが固定化されてしまう。
 違うバックパックを持って行く時は取り外したり、付けたりと手間がかかる。
 私のは、バックパックを選ばずどのバックパックにでもワンタッチで取り付け出来る。
 この部分はまだ優位か?

 しかし、今のバッグに不便も感じているので改良を加える事にした。
 最近旧山道の調査に行く事が多いのだが、常に使うものはカメラ、ノート、GPS、地図などである。
 それらを出したりしまったりとかなり手間が掛る。
 紙類などがぐちゃぐちゃになってしまう。
 そこを改善しようと言うわけだ。
 まずはGPSの格納。
 これはバッグにワンタッチテープを張り、そこに別に作ったGPSの入った袋を張りつける。
 出来映は手縫いなので今一つだが、使い勝手は良い。
 袋への出し入れもワンタッチテープを付けたので簡単に出来る。
 袋の外からもGPSの操作が出来る。
 GPSの袋は手縫いだ

 次にノートは今まで、そのまま入れていたのだが、破れたりして今日一つだった。
 これはA6バインダーを購入し、ノートを挟む事にした。
 地図はフロントのネットに透明ビニールに入れて格納する。
 バインダーと地図入れ

 ついでにボトルケースも取り付けた。
 いちいちバックパックから出すのは面倒なので、つい水を飲むのを我慢してしまう。
 付いて来たベルトは角度が合わないので、外して付け直す。
 ベルトは一度外して付け変え

 バッグのベルトを通す

 外でバックルで固定する

 次にデジカメケース。
 これは210円の丈夫なカメラケースを取りつけた。
 但しファスナーの開閉は手袋を履いては面倒なので、ボトルケースのあまった材料とワンタッチテープで開閉が手袋を履いていても出来るようにした。
 これなら手袋でもOKだ

これでかなり便利になるだろう。
 完成で〜す
  結局1日費やしてしまった。
1月14日(土)今日もデスクワーク
 風邪をひいた妻を病院に連れて行く。
 扁桃腺が痛いそうだ。
 風邪を引くと血圧もあがるそうで、最近病院通いが多くなった。
 午前中は病院で、帰って来てからは今年の旅の資料作りを夕方までやる。
 ホンダモビリオスパイク
 今乗っているホンダモビリオスパイクは2WDなのだ。
 以前はフルタイム4WDだったが、今回中古で購入したのは2WDだ。
 最初は迷ったが、以前の車はがたがたで早く交換したかったのと、後部のスペースが一番重要視していたので、寝れる車を探したらホンダモビリオスパイクが気に入った。
 初めてのホンダ車のの冬道。
 前輪駆動はこんなに快調に走れるとは思わなかった。
 前輪で引っ張るので後輪が左右にスリップする事はない。
 ハンドルさえ進行方向に向いていれば良い。
 一番の心配は坂の途中での発信だが、まだ上れないという事態にはなっていない。
 ブレーキをゆっくり離し、車が動いたらアクセルを踏むと問題なく動く。
 タクシーは後輪4WDが多い。
 これは尻を振り易いのだが、テレビでタクシードライバーが言っていたのは「4WDだと走行時に滑らないのでスピードが出過ぎてしまう」のが問題だと言っていた。
 2WDの場合は滑りだしたら、スピードを落として走れば良い。
 ブレーキは2WDも4WDも効きは一緒なので、スピードが出ていない方が良い。
 そんな事で全く今の所は問題が無い。
 燃費は今まで使っていたフルタイム4WDに比べ倍近く燃費が伸びたので活動もやり易い。
 ホンダモビリオは4WDでも走行中は2WDで走っているのだ。
 滑りを感知して4WDに切り替える方式だ。
 そんな事で今の所2WDに満足している。
 名前がスパイクだから滑らなのか?
 それは無いな。
1月13日(金)灯油価格が上がる?
 イラン情勢が悪くなった。
 核兵器開発疑の制裁措置としてアメリカが原油の輸入を削減するらしい。
 それに追従移住して日本も減らすらしい。
 それに対抗してイランはホルムズ海峡を閉鎖するとのニュースが流れた。
 原油は他の国から簡単には調達出来ず、石油類は値上がりするだろうとの報道だ。
 今年は灯油価格はずっと安定して、価格の変動に気を使う事も無かった。
 しかし此処に来て心配になった。
 タンクには半分しか無いので、満タンにして少しは備えようとなった。
 ガソリンスタインドに3回行って、12缶分購入した。
 タンクにはいつもの通り自力で入れる。
 これも筋トレの一環だ。
 当初は重く感じた18kgの灯油缶も、今では楽々持ちあげる事が出来る。
 やはり訓練が大事だと思う。
 安い上に筋力が付くなら申し分ない。
 外は−7度くらいだが、この程度だと寒くはない。
 これで2月一杯は持つかな?

 我が家でも節約を決めた。
 いつもは居間で過ごすのだが、妻の体調を考えて妻の部屋の暖房は入れっぱなしだ。
 私も部屋で仕事をする時はやはりストーブを焚く。
 そこでこれからは妻の部屋1ヶ所で生活する事にした。
 食事は居間で獲るがそれ以外はすべて妻の部屋だ。
 私の作業テーブルやパソコンも移動して妻の部屋で仕事をする。
 これで大分灯油の節約は出来るだろう。


 妻の部屋で午後から夜まで旧山道のガイドブック作りをした。
 かなり捗ったが、座ってばかりはストレスも溜まる。
 来週、頼まれた「桜松街道」の写真撮影に車中泊で出かけるか。
 ついでに旧道調査もしたいが妻の体調も考え2泊くらいかな?
1月12日(木)大野ぶんぽ研例会
 朝起きたら部屋の温度計は0度を指している。
 マイルームの今年最低気温だ。
 雪が降っている中、旧大野町(現北斗市)に向かう。
 公民館でいつもの通りの例会が始まる。
 いつもの報告会
 今日は見慣れない方が4人も居た。
 会長の報告の後、その中の女性2人が話す。
 三木露風勉強会のメンバーだった。
 三木露風と言えば「あかとんぼ」で有名な童謡作家であるが、彼は当別のトラピスト修道院で文学講師を務め、クリスチャンにもなっている。

 彼の生誕地のたつの市では歌碑などを作って、功績を讃えている。
 「あかとんぼ」の詩は当別に滞在していた時に、書いたものだと決めたい様なのだが、裏付けになる資料が存在していないのだろう。
 それではっきり当別で書いたと言えないのが悩みと見える。
 歴史については、必ず裏付けが必要だと、新選組作家の釣洋一さんがゲストハウスに宿泊した時に言っていた。
 それが無いと単なる思惑に過ぎないと厳しかった。
 私も同感で、旧道調査でも必ず古い多くの紀行文や各種文献から、旧道であると推測する。
 その裏付けを見て、それは違うよと言った反論も聞けるし、言った方も裏付けがいる。
 そう言う事で歴史が正しく伝わって行く。
 三木露風の新たな裏付け資料でも出て来ると良いのだろうが・・・。

 今日配布した資料の中に「郷土史は足を運んで・・」というYuukaさんの投稿があった。
 そん中に「毛利さんの講演後にはイザベラ・バードの「日本奥地紀行を」探しに来る人が増えましたが、迷うことなくご紹介出来ました」と書いていた。
 彼女はパートで図書館で働いているので帰りに寄った。
 書いて貰ったお礼と、歴史談義をしばらくした。
 歴史について話すと時間が経つのも忘れてしまう。
 ぶんぽ研でも歴史の好きな人が、フリーで話しあえる場があれば楽しいだろうと思う。
 話しの中から新たな発見があったりするだろう。
 報告を聞いて帰るだけだと参加者も少なくなるだろう。
 今日も会員は会長を入れて7名しかいない。
 それもほぼ固定メンバーだ。
 
 帰りにホームセンターに寄る。
 探していたものが新聞折り込みチラシに入ってきたのだ。
 それはカーペットだ。
 車中泊する場所に敷きたかったが、なかなか合うサイズの物が無かった。
 掲載されていたのは80cm×170cmのカーペットで598円。
 値段も理想的に安いが、一番は長さだ。
 車の宿泊部分の長さが170cmなのだ。
 ここにぴったり入る物を探していた。
 180cmは良くあるが、170cmがあったのは嬉しい。
 早速購入して帰る。

 満足出来るカーペットだ
1月11日(水)健康サロン他
 今日は健康サロンin明和園の今年初めての集まり。
 昨日の雪道歩きで疲れた体をほぐすには丁度良いタイミングだ。
 ストレッチ、太極拳、筋トレなどをやったが、かなり効く。
 昼は冷たい汁のうどんだった。
 この寒い時期に・・と思ってしまう。
 温めてくれればな〜と言うのがみんなの感想だ。
 トッピングしたチーズは溶けないで下にたまっていた。
 今日は今一つ人気が無かった

 午後から日浦山道のガイドを作成し、完成したのでHPにアップした。
 こちらです。


 18歳から35歳くらいまで同じ会社に居た友人から年賀状が来たので、当時一緒にやっていたバンドの写真が出て来たのでメール添付資料で送ってやった。
 懐かしがるだろうな。
 ダンスパーティが全盛の時代で、週に2〜3回はステージ演奏していた。
 ダンスパーティの合間にはアルバイトで、ダンスホールでステージに立っていた。
 各地の祭りで演奏したり、プロ歌手の前座もしていた時代があった。
 懐かしい。

 こんな時代もあった
 私は左端のドラム担当だった
1月10日(火)茅部峠調査&旧道探し
 今日の目的は函館郊外に隣接する七飯町にある茅部峠の調査と新たな旧道探しだ。
 車で家を出て走らせると、電話が鳴った。
 車を止めて話す。
 松前原口の佐々木さんからだった。
 今日は函館に来ているので会えないかと言う事だった。
 午後2時の約束をして、また車を走らせる。
 七飯峠下の北海道電力の発電所近くに車を止めて歩きだす。

 まずは茅部峠の調査だ。
 現在は車道があり、車でも容易に行けるのだが、途中にはゲートがあって車は通行止めだ。
 でも今は雪もありゲートまでも行けない。
 古い地図や古い紀行文を読むと、登りは厳しい道であった。
 松浦武四郎の蝦夷日誌には「辛うじて上がる。羊腸の両脇緑樹陰森たる中・・後略」と書かれている。
 積雪は10〜20cmくらいなので壺足で歩く。
 車道の左側を注意深く見ながら歩くと、旧道らしき道が見える。
 登り坂がきつくなってくる。
 積雪も多くなる。
 この辺りで車道は大きく左に曲がる。
 しかし旧図はほぼ直線になっている。
 斜面の下を覗きながら進む。
 ゲートの手前の左下に道がはっきり見える。
 急斜面を直登している。
 そして車道に繋がる。
 急な斜面に道が見える
 車道の道端には赤テープや木に赤い色を塗っている。
 木に赤い色が・・

 赤いテープもある
 ここなのだろうか?
 道のイメージとしては合う。
 この上は台場跡になる
 この坂は後日登る事にして、茅部峠から七飯2号作業道を通って霧立峠に向かう。
 雪が深くなる。
 吉野山が見えて来た
 おまけに吹雪いて来て風も冷たい。
 長い長い林道も下りに入る。
 小沼が見えて来た。
 下ったら陽が出て来て暖かいくなった。
 霧立峠は等高線に沿った道にあるので峠と言う雰囲気はない。
 この先に旧道がある筈だ。

 近くに行ったら道がはっきり見えた!
 雪は深いが道は付いている。
 ここが旧道だ
 行きたい衝動にかられたが、佐々木さんとの約束の時間があるので、後日にする。
 この道は「道立大沼学園」に至る道だが、古くはこの学園の場所に「鳳(おおとり)の湯」があった場所になる。
 明治初年まで営業していた。
 松浦武四郎の「蝦夷紀行」や「蝦夷日誌」には茶屋があったと書かれている場所になる。
 峠を降りて国道5号線を車の置いた場所まで戻る。
 途中にある「熊の湯」への道が除雪されて車が入っているようだった。
 この湯は明治35年から昭和16年まで営業していた温泉旅館で、廃墟的な姿になっているようだが、物好きな温泉愛好者が道を除雪して入浴しているのだろか?
 「熊の湯」への道が除雪されていた

 大正時代の「熊の湯」
 国道5号線に出る。ここから車の場所まで長いな〜。

 帰って直ぐに佐々木さんの家に行く。
 他に2人の人が来ていた。
 話しは松前原口の「桜松街道」が郵政省から全国表彰受けたのだった。
 3年前にも「日本さくらの会」から全国表彰を受けている。
 そこで記念切手を発行するので、どんな考えで、どんな風景で作ったら良いかとの相談だった。
 やはり松前原口の歴史とからめての写真作りを提案した。
 後日、原口に行って撮影場所などを調査する事にした。
 私的には佐々木さんが元気に活動しているのが嬉しい。
 一昨年、脳梗塞で倒れたのだ。
 ようやく歩けるようになって初めて外出許可が出た時に、長男夫婦の車で私に逢いに来たのだ。
 しっかり手を握って、毛利さんの元気が欲しいと言っていた。
 私は「夢をあきらめないで」と書いた色紙を送った。
 今日の話しで、一時は活動も出来ななるだろうし、もう自分の人生は終わったのだと考えたそうだ。
 でも私の下手な色紙を見て、また行動を起こす気になったと言っていた。
 今年の予定も沢山あるそうで、気持ちが元気になって良かった。

 帰り道にカーナビをテストする。
 車を変えた時に以前使っていたカーナビを付ける場所が無くそのままになっていた。
 最近スマートフォン用のカーナビアプリがある事を知ってダウンロードした。
 自宅の住所を入れる。
 音声でも文字入力でもOKだ。
 そして走って見た。
 曲る時の音声ガイドが少し遅いが完璧に家に着いた。
 そして驚いたのはストリートビューが表紙されるのだ。
 画面にはGH[自遊旅]が現れる。
 凄い進化だ。
 家の写真まで出る
 これなら新たなカーナビは必要ない。
 写真が出れば家探しは楽だ。
1月9日(月)旧道ガイドブック作り
  今日の北海道新聞朝刊に興味ある記事が載っていた。
 道新創立70周年記念行事の一環として、道内の100コースの歴史的道や景色の良い道などを選ぶという企画だった。
 選考メンバーが最初の30コースを選んで、その後は読者の情報を聞いて掲載するというのだ。
 メンバーから見て、整備された旧道や各市町村が進めているフットパスが中心になるのかも知れない。
 私の調査しているマニアックな歴史的旧道は誰かが載せるのかな?
 もし載らなかったら、投稿してみようと思っている。
 自分ばかり歩くのではなく、多くの人に歴史的旧道を歩いて貰いたいからだ。
 そして旧道が廃道にならないで後世に続く活動としたいものだ。
 でも標識も無い道を歩いてくれる人が居るだろうか?
 いずれにしても、資料としてしっかり残さなければと思っている。


                   (北海道新聞 2012.1.9朝刊)
 今日は先日調査した日浦山道のマップ化を一日行っていた。
 GPSデータのコースをパワーポイントで写し取り、それに説明や写真を張り付けてマップが完成する。
 これがなかなか時間が掛るのだ。
 でも出来あがって見れば、それなりの出来栄えに嬉しくなってくる。

            (ようやく日浦山道のマップが出来た。でもまだ校正ミスがあるな・・)
 これからまだまだ多くのコースを作らなければならない。
 延々と続く仕事だな。
 
 でも塵も積もれば山となるで、最後は良い資料が残せる。
1月8日(日)ANAガイド
 昨日は本当に良い事ばかりだった。
 1月7日でラッキーセブンだ。
 日浦山道で見知らぬ人と会って、一緒に恵山山層を歩いた。
 妻の誕生日祝いをした。
 さらにあった。
 昨年末に花園温泉に行った帰りに、孫の友瑛の靴がいくら探しても無くて、諦めて帰った。
 それと私の洗面道具を娘の車に入れた積りが無かった。
 昨日温泉に行って聞いたら、靴があったのだ。
 友瑛の靴があった
 そして私の洗面器もあったのだ。
 私の洗面器は誕生祝いに友人から貰ったものなのだ。
 こ洗面器は風呂でお馴染みの薬の名前である「ケロリン」と書かれたものなのだ。
 実はいつも行く花園温泉も同じ洗面器なのだ。
 私の洗面器
 最初は風呂の洗面器を失敬して使っているようでおどおどしていたが、今では全く気にしないで使っている。
 「どんな洗面器ですか?」と聞かれた時、「ここの風呂と同じケロリンです」と言ったが中味を確認して何も云わずに渡してくれた。
 ほっとした。

 今日はANAのガイドが入った。
 まちづくりセンターに行く。
 カウンターの元FMいるかの「まるじゅん」事、丸山潤子さんが居たので挨拶する。
 以前GH「自遊旅」を生中継してくれたのだ。
 「まるじゅん・・もなみちゃんを知っている?」
 「え〜何故知っているの? 私の中の良い友達だよ」
 「私と親戚なんだ」
 「え〜そうなの・・不思議な縁だね」
 渋谷もなみはSTVラジオのパーソナリティで、2年前に札幌の彼女の家に行って泊まり、酒を飲んだ事がある。
 めちゃくちゃ楽しい女の子なのだ。
 私がセンターの中をぶらぶらしていると「も〜さん!」とまるじゅんの声が聞こえた。
 今日のお客さんのYさんファミリーがやってきた。
 テーブルで箱館戦争の概略を離してスタートする。
 メンバーはご夫婦と男の子2人で、長男が幕末ファンで特に坂本龍馬が大好きだそうだ。
 函館にも龍馬記念館があるよと言ったら、すでに昨日見たそうだ。
 異国橋から始まり、ガイドをして行く。
 本来は新選組と土方歳三を巡るコースなのだが、日本で最古の四角いコンクリート柱なども案内する。
 すると旦那さんが凄く喜んでいた。
 電線の開閉器を作っている会社だったのだ。
 写真を沢山撮っていた。
 2時間のコースも最後は吹雪きになったが、楽しく回ってこれた。
 昼食は「ラッキーピエロ」に行くと言うので案内した。
 有難うございましたとお互いに挨拶して別れた。
 幕末ファンの男の子もしっかり挨拶したのが印象深い。
1月7日(土)日浦&恵山山道を歩く
 天気も良いので日浦山道にマップ作りのデーターを取りに行く。
 GPSログと写真撮影と先日作った手作りマップの確認作業だ。
 日浦山道は春の様な天気だった。
 夏物のウィンドブレーカーでも汗が出るくらいだ。
 まるで春の様だった

 山道も歩きやすい

 日浦峠で記念撮影

 ここは断崖絶壁
 のんびりと景色を楽しみながら豊浦に下りた。
 豊浦からは海岸線を歩く。
 ここには有名なサンタロ岩がある。
 息子がタラ漁に行ったが戻ってこなかった。
 三太郎と嫁の二人は帰るのを待って泣き続けた。
 そしてついに岩になってしまったという伝説だ。
 伝説が残るサンタロ岩

 流れる水が凍っていた

 この上を山道が通る
 そんな景色を見ながら歩いていたら、前から来た乗用車が停まった。
 二人の女性が下りて来た。
 1人はカメラで盛んに撮影している。
 ここで暫く立ち止まって話しをする。
 たまたま昨日の講演に持って行った名刺があったので渡した。
 「も〜さん!私知っています。旅人を泊めているんでしょう」と言う。
 え〜何で知っているの・・・。
 「ブログを見ています」との事だった。
 日浦山道はどのくらい時間がかかりますかと聞かれて答えたが、今下りて来たばかりだ。
 恵山山道に面白い岩がありますよと言ったら見たいと言う。
 恵山山道ならまだ写真が必要な個所があるので、一緒に行きませんかとなった。
 車で日浦まで乗せて行って貰い、そこから私の車に乗り換えて恵山の御崎に向かう。
 いつもの二本柳さんの家の前に止めさせて貰う。
 「お参りかい?」・・「そうです。」
 歩いて向かう。
 向かう先は「お経岩」だ。
 杉並木の間の急斜面を登り、平坦な道を少し行って、さらに登れば、高さ7mもある巨大な岩があり、そこに南無阿見陀佛の大きな文字が書かれている。
 何度見ても迫力のあるお経岩
 二人も岩に書かれた文字の大きさに圧倒された様だ。
 ここから引き揚げるつもりだったが、まだ歩きたいと言う事で山道を案内する。
 旧山道の雰囲気がたっぷりだ
 彼女らは鳥や木に詳しい。
 盛んに鳥の写真を撮っている。
 途中で私も撮影した。
 鳥の名前を聞いたら「コゲラ」だそうだ。
 近くに寄っても全く逃げない。
 コゲラも全く逃げない
 珍しい鳥だ。写真はアップで撮れた。
 結局、温泉ホテル「恵風」や灯台が見える場所まで来てしまった。
 帰りもあちこち回りながら、話にも花が咲き楽しいひと時だった。
 北側は積雪があった

 御崎側から恵山が見える
 1人は函館山岳会に所属しているOさんだった。
 もう1人はSさんだった。
 下山したら二本柳の奥さんが居た。
 「水無まで行ったのかい?」
 「そんなんですよ。」
 お経岩までと言ったので、なかなか帰ってこないので心配してくれたようだ。
 嫁に来ないかと言われたが・・
 SさんとOさんに
 「嫁に来ないかい?良い人一杯居るよ」と言う。
 二人はどう見ても・・・・
 20代には見えない。
 30代にも見えない。
 40代にも見えない。
 50代にも見えない。
 一体紹介する相手は幾つなんだろう???
 70代の人でも紹介するんだろうか?
 「御崎は良い所だよ。冬でもサンダルで良いんだから」と言うが、本当に暖かいし雪も無い。
 日浦まで車で戻り、二人と別れる。
 再び会う事になるだろう。
 Sさんが旧大野町に松前街道があると言う。
 そこをあるいてきたそうだ。
 え〜松前街道って函館から松前で、これは江戸時代から変わらない。
 それが大野町の八郎沼から道があるそうで、立派な木柱の案内もあるそうだ。
 私の頭には全く想像出来ない。
 「も〜さんの知らない旧道があって嬉しい」と喜ばれたが・・・絶対おかしい。
 行くのが楽しみだ。
 
 夜は妻の誕生日会だ。
 先日購入したプレゼントに、今日は花束を買って来た。
 そして出前の寿司で祝う。
 ケーキも買った。
 もう69歳になった。
 古希だ。
 2人のみのシンプルな誕生会だ
 人生は瞬く間に過ぎていく。
1月6日(金)講演会も無事終了
 8時過ぎに家を出て、北斗市の農業振興センターに向かう。
 到着したら講師用の駐車場が入り口近くに用意されていた。
 会場はかなり広かった。
 用意してくれたパソコンにデーターを入れる。
 プロジェクターから映写されて画面はかなり大きいのと高い場所になる。
 パソコンとプロジェクターは中央にしかセット出来ないので、操作をお願いした。
 私は正面から少しずれた場所から話す事にした。
 高い位置の画面を見上げるので首が痛くなりそうだ。
 セットも終わり控室で待つ。

 研修の開会式の後、案内されて会場に向かう。
 お〜凄い人数だ。
 120名の参加だそうで、私の講演会では桧山支庁の100名を越える。
 後ろの方は見えるのかなと心配になる。
 今日の持ち時間は1時間15分だと思って資料を作ったが、これは休憩時間15分を含む時間だと知った。
 少し急いで進めなければならない。
 話しに入る。
 「旅人も〜さんです」から始まると皆さん一瞬、あれと言う感じになる。
 講演も本の執筆もパネルデスカッションも全ても〜さんで通している。
 話しは快調に進むが寝ている人は誰も居なかった。
 先月2時間30分の話しをしたので、1時間は過ぎるのが早い。
 何とか時間内に収めて終了。
 皆さんから大きな拍手を頂いた。
 帰りに校長会の会長さんに「話しは楽しくて良かった」と言われ嬉しかった。
 これですっきりして山に行けるなと思ったら、ANAのガイドの仕事が入ってきた。
 8日に大人3名と子供1名で土方歳三と新選組のコースを回る。
 明日が山に行くチャンスか?
 日浦山道の旧道が全て判明したので、GPSでルートログを取って資料化したい。
1月5日(木)講演会の準備と旅資料作成
 渡島地区の教頭、主幹教諭、教諭対象の冬期教育研修セミナ―が講演が明日に迫った。
 まずは準備をしなくてはならない。
 スライドはすでに作成してあるので、メモリーステックとSDにコピーしておく。
 PC本体にも入っているがあくまでバックアップだ。
 講演場所を地図で確認してコピーをとる。
 後は講演内容の暗記だ。
 明日の会場入り時間を確認して準備完了。

 旅資料の製作をする。
 土地勘が無いので難関の東北から始めた。
 今日は4月12日の一戸〜金田一〜三戸までの資料作りをする。
 これがなかなか大変なのだ。
 一般的な国道を通る旅で有れば、いくらでも地図も揃っているし、観光施設なども直ぐに分かる。
 しかし江戸時代の奥州街道を歩くとなれば、情報がかなり少ない。
 それも断片的なのだ。
 現在の地図に書かれている奥州街道は明治に改良を加えた陸羽街道なので、江戸時代の道はかなりの部分で異なる事。
 その古い道を探す作業が大変なのだ。
 WEBサイトを片っ端から開くと、やはり旧道マニアが居て情報を出してくれている。
 でも全コースを完全網羅したものはない。
 作業は4月12日の紀行文をコピーする。

 それを持ち歩きしやすいようにB5版にする。
 次に地図はGooglemapからコピーしてB5版の用紙に張り付ける。
 さらにその地図に紀行分に書かれたポイントや旧道を書きこんで行く。
 写真があれば張りつける。 
 特にハイライト部分の峠は、歩けるかどうかの調査も必要になる。

 この作業の繰り返しになる。
 一番分かりにくいのが町名だ。
 合併などで当時の町名が消えていて、当時の町名が現在は何処になるのか苦労するのだ。
 一日分のコースでB5版8ページの資料になった。
 これを全コース分作成し、旅に持って行くのだ。
1月4日(水) 調べ物とイタリアンランチ
 今日は朝から調べ物をする。
 図書館に本を返さなくてはならないので、必要な個所のコピーをする。
 コピーをした
 今年の旅の北海道部分はかなり明確になった。
 でも現在歩くとなれば困難な道が結構ある。
 道の改修や開削が本格的に始まったのは、寛政11年(1799)辺りからなので、それ以前に蝦夷を歩いた旅人は海岸の岩場をかなり歩いている。
 その典型的な場所が様似やえりも岬の海岸だ。
 寛政11年には海岸線が余りにも厳しいので、様似山道や猿留山道を開削する事になった。
 今年旅しようと思っている、渋江長伯や谷元旦は行きは岬周りで帰りは山道を歩いている。
 そんな事が資料調べで徐々に明らかになって来る。
 古文書からコースが明確になるという、楽しみもあるのだが、実際歩くとなればそう簡単には行かない。
 多くの難所を自転車で越えるための方法も考えなくてはならない。
 北海道は土地勘もあるので、かなりの部分が明確になった。
 
 昼に妻の妹が来た。
 暫く歓談して、昼は妻の誕生日祝いの前倒しでイタリアンピザレストランに行こうとなった。
 家に近い「Pizzeria」に行く。
 洒落たレストランは似合わない
 ここは女性客に人気で物凄く混んでいた。
 私はこの手の店には普段は入らない。
 セットメニューを3人でそれぞれ注文して、皆で4食べようとなったが、イタリア語の難しい発音は解らない。全て妻たちにお任した。
 サラダやスープバーがあるのでメインデッシュの前に頂くのだが、それでもう十分だ。
 サラダとスープで十分なのだが

 でも追い打ちを掛けて注文品が来る。
 実はここからが怖い。
 妻や妹は「私たちは少食だから、兄さん一杯食べてと・・半ば強制的に皿に盛られる」
 食べたら次の品物が来る。
 もうお腹はパンパンに膨れてしまった。
 それでもデザートのケーキは別腹で3個食べた。
 苦し〜い・・・・

 家に帰って、奥州街道の東北部分を調査する。
 こちらは土地勘が無いので遅々として進まない。
 奥州街道なんて国道4号線だろう何て馬鹿にしていたら大変な目に会う。
 コースはかなり違っていて、峠も結構ある。
 まだざっと鹿調べていないが、峠越えの多い厳しい旅になりそうな予感だ。

1月3日(火) TV観戦や買い物
 どうしても正月はTVを見入ってしまう。
 昨日、今日と箱根駅伝があり、この放映に釘づけになって見ていた。
 箱根は姪っ子の軽四輪のMAXを函館から運んで入った時に、走ったので懐かしい。
 東洋大学の優勝がほぼ決まった所で買物に行く。
 1月7日は妻の誕生日なのだ。
 6日は120名が参加する講演会があるので、準備で慌ただしくなる。
 その前にプレゼントだけを購入しておこうとなった。
 今年はユニクロの衣類をプレゼントする事に決めていた。
 ユニクロのある昭和タウンは混んでいた。
 女性用の売り場をうろうろするのは好きではないが仕方が無い。
 あらかじめ決めていた衣類を購入して帰る。
 プレゼントも買った

 家に帰ってからはマイアルバムを作る。
 先日、我が車のオーディオがMP3対応になって居なかった事が判明した。
 今まで何回もMP3でCD-Rに焼き付けて見たが鳴らず考えてしまった。
 車は昨年中古で買ったのがオーディオの仕様まで知らなかった。
 古い車のオーディオはMP3対応では無かったのだ。
 Youtubeから音楽をダウンロードし、コンバーターでMP3に変換し、それを音楽CDにして焼き付けた。
 今回は3枚のマイアルバムを作った。何れも演歌だ♪
 3枚完成
 今まではウォークマンからFMトランスミッターで車のラジオに飛ばしていたが、ウォークマンの電池が消耗すると言う事も有ったのと、安いトランスミッターなのか雑音が入るのが難点であった。
 CD化に依りこれも解消する。
1月2日(月) 台風が去った
 朝からけたたましいサイレンの音が聞こえた。
 
それがかなり近い。
 MTBで走ったら直ぐ向かいの7階建ての市営アパートだった。
 消防車が3台にパトカー3台、それに救急車も来ている。
 暫く様子を見ていたが、内部のボヤで済んだそうだ。
 正月早々大事に至らなくて良かった。
 救急車も来た

 消防車が3台

 今日は孫3人がお父さんの実家の登別に移動する。
 長女瑞葵

 長男友瑛

 次女愛葵

 午前中は正月の初売りに出掛ける。
 私は特に買い物も無く、孫の愛葵を抱きながら、ぶらぶらする。
 昼は娘夫婦と3人で近くのラーメン屋「北浜商店」に行く。
 物凄い混みようだったが、何とかカウンターで早く食べれた。
 これで2泊3日の里帰りも終わった。
  我が家は再び年寄夫婦2人の静かな生活に戻る。
 いつもは9時から10時の間に寝ているのが、12時近くまで起きていたので、少し睡眠不足気味だ。
 
   登別に帰る途中神社に寄って行くと言うので一緒に郊外の三島神社に行く。
 七飯町三島神社

 記念撮影

 元旦に亀田八幡宮に行ったら、物凄い人出で、車は全く止められず、今日郊外の神社に行く事にしたのだ。
 みんなで参拝しておみくじを引く。
 私は40番の吉、昨年は1番の大吉だったが、特に凄い事があった訳でもなかったが、無事に一年を過ごせた。
 今年も無事で1年が過ぎてくれれば良い。
 今年の占いは 
 旅は「さわりなし よろし」、待人「来ず おとずれ有り」待っている人は来なくても、多くの人がGHに来てくれれば良い。
 後の項目は意外と必要ないのが多かった。
 「出産」「縁談」「恋愛」「商売」「相場」「転居」など、年とると対象になる占いの項目も少なくなる。
 縁起の木
 今度会えるのは春になるのかな?

1月1日(日) MTB登山58座目は元旦登山
 昨夜の大晦日は結局12時過ぎまで孫が起きていたのでお付き合い。
 初日の出登山は恵山にある「御殿山(407m)」に決めていた。
 少し寝て3時頃出発しようかと思って、寝袋に入って寝たら何と起きたのが5時だった。
 これでは初日の出には間に合いそうにない。
 急いで車に行く。準備は昨日の内に済ませていたので直ぐに出発できる。
 恵山の海岸線は雪も少なく、アイスバーにもなっていないので順調に入って登山口に着く。
 5時50分だ。MTBを組み立て6時には出発した。
 まだ真っ暗なのでヘッドランプを点けて走る。
 雪は少なく、時々凍った舗装路が出て来る。
 2km程走ったが、登りも急になり押して歩く。
 今回は林道を入る事にした。
 道は良さそうだったが・・

 ここは良い場所
 まだ1度も歩いた事のないコースだが、入り口の道の幅の広さにつられて入った。
 最初は快調だったが、車の走っていない道は笹に覆われ出した。
 おまけに小さな木々が伸びていて、ハンドルのエンドバーやべダルに引っかって悪戦苦闘だ。
 これなら以前歩いた道無き道の方が良かった。
 林道は長かった、かなりの部分が藪漕ぎで悪戦苦闘。
 途中でついに初日の出が出て来た。
 途中で初日の出が出た

 綺麗だった

 記念撮影
 空には雲が広がっていたが、海面との間が僅かに開いていた。
 そこからお日様が出て来た。
 頂上で初日の出の夢は消えた。
 後は登頂を目指すのみだ。
 長い林道が終わって、平らな展望台的な場所に付く。
 展望台的場所で
 ここで回りの景色を見るが、下北半島が凄くはっきり見える。
 釜伏山が一段と高く見える。
 釜伏山が見える
 東は恵山が白い噴煙を上げている。
 恵山も噴煙を上げている
 ここからは広い斜面を突っ切り、狭い頂上への道になる。
 広い斜面を登る

 頂上はまだ先だ
 ここがかなり苦労する。
 ツツジの枝がハンドルやペダルに引っかかりなかなか思うように進まない。
 1m位づつ進む。
 ここが押しにくい
 その度に枝を除けたり、引っかかった枝を自転車から外したりと進まない。
 たまに3mも進むとやったーという気持ちになる。
 そんな狭い道に苦労しながら登るよ、やがて道は笹道になる。
 この辺りの道は歩きやすい
 ここの笹は低いので歩き易い。
 それでも雪に埋まるタイヤに押す腕に力が入る。
 そして頂上に着いた。
 下着はびっしょり濡れたので、直ぐに着替える。
 無風状態なので裸でも気持ちが良いくらいだ。
 その後記念写真を撮って下山する。
 頂上だ!
 下山道の途中はMTBで走れる場所もある。
 雪の中を楽しんで走る事が出来る。
 下りは楽しい

 でもこの辺りしか乗れない
 帰りは林道を止めて道なき道の尾根を進む。
 こちらの方が笹が低いし歩きやすい。
 暫く進んだら下に車道(冬期通行止め)が見えたので、真っ直ぐに急斜面を下る。
 道路が見えて来た
 車道はMTBで走れる。
 3kmの下りはあっという間だった。
 家に変えて、遅い朝食を食べる。
 長男の友瑛は病院に行っていたが、混んで凄いそうだ。
 友瑛が帰ってきて、皆にお年玉と洋服をあげる。
 愛葵ちゃんで〜す
 これは私の役割だ。
 終わってから妻が父さんにもお年玉をあげると言って、お年玉袋を貰った。
 中味は月々の小遣いに+アルファがあった。
 今年の旅のために貯金だ。
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