6月30日(土)トイレの改修6日目
 今日は午前中しか作業時間が無い。
 まずは換気扇の配線を行う。
 これは簡単に終了した。
 換気扇の配線が完了

 次に便槽にパイプを通すための10φの穴を3枚の板に開ける。
 ジグソーの丸切用の刃を新しく購入したら、やはり切れ味は最高だ。
 今まで如何に我慢して使っていたかが分かる。
 最初にフローリングに穴を開ける。
 これは全て完成後の状態

 次にその穴と同じくなる様に、下のOSBボードにマーキングをして穴を開ける。
 OSBボードにも穴を開ける

 次に一番下の板に穴を開けて完成。
 床下の断熱もしっかりと行った。
 穴が開いた所で、OSBボードとフローリングを張る。
 これでPVCの100φのパイプをセットすればOKで、これは便器が入荷してからの工事になる。
 断熱材も入った

 新設した給水パイプの防寒も行う。
 壁にしっかりと断熱材を入れた。
 これは裸のパイプ

 防寒対策後

 壁に板を張った
 壁側に板を張って完成。
 この場所は物入れを作ってパイプを隠す事にする。
 残り2日くらいでトイレ内の部屋周りは完成かな?
6月29日(金)トイレの改修5日目
 トイレの改修も5日目になった。
 今日も気温が高いので作業は大変だ。
 まずは壁に断熱材を入れる。
 これで相当寒気を塞いでくれるだろう。
 次に床下の枠組みを行う。
 40mm角のタル木で製作した。
 人が乗る部分は細かく入れて、丈夫にした。
 枠はがっちり組んだ

 次に配管の立ち上げ工事を行う。
 ホームセンターからレイアウト図をコピーして貰ったので、位置関係が明確になった。
 最初に配管したパイプの長さでぴったりだった。
 エルボとショートのパイプを購入して接続。
 パイプの立ち上げもOKだ

 便槽部分のカバーの周囲はシーリングを施した。
 後は100φの穴を空ければ良い。
 便槽周りもシーリング

 床下のパネル張りの段取りを行う、
 まずはOSBボードを寸法通りカットする。
 次に配管を貫通させる穴を開ける。
 少し調整して完成。
 位置がぴったりでパイプを貫通

 その上にフローリングを敷く。
 同じくパイプ貫通用の穴を空けて完成。
 取り敢えずは仮止めした。
 ボード類に100φの穴を開けるのだが、ジグソーを持ってくるのを忘れて来たのだ。
 それで全てが仮止め。
 フローリングも貫通

 仮止めした

 壁板も上部の方の寸法取りを行い仮止めした。
 工事も見通しがたって一安心。
 上部は白で模様も入っている

 下の部分はこれからだ
 今日は昼食も食べないで没頭して仕事をしていた。
 疲れたので3時には仕事を終えて、温泉でのんびりする。
 早く仕事を終えて山に行きたいし、7/8日のオンパクのバスガイド資料も作らなくレはならないし、ぶんぽ研40周年記念誌のイラストも頼まれている。
 何と忙しいんだ。
6月28日(木)トイレの改修4日目
 今日も早朝からトイレの改修康をする。
 休日なしの作業で疲れも溜まってきた。
 今日は電気配線工事を行う。
 トイレをウォッシュレットにしたのは良いのだが、トイレにコンセントが無い。
 どこからか引っ張ろうとしたが、付近にもコンセントは無い。
 天井灯のスイッチはあるが、ジャンクションボックスは天井裏にある。
 天井を剥がして探すのも大変だ。
 ようやく気が付いたのが、外の排気ファンの電源だ。
 ここから中に電源を引いて、中にジョイントボックスを付けた。
 そして壁の中を配線してコンセントの電源を確保した。
 壁には防熱材も十分入れた。
 配線と断熱工事完了
 これで午前中掛ってしまった

 次に配管工事。
 これもウォッシュレット用だ。
 以前は手洗いの水がトイレ入り口に有った。
 ここから引くしかない。
 蛇口を外したがパイプが回らず
 手洗いの蛇口を外し、パイプを床下付近で分岐し、そこから配管しようと思ったが、パイプの継ぎ目がが錆びてびくっとも動かない。
 参ったな・・・。
 考えた末、今のパイプを残し蛇口部分から下に降ろして床上を配管しようとなった。

 少し壁より出るが、その部分は物入れにして隠せば良いだろう。
 寸法を測りパイプを購入して早速工事する。
 売っている既存のパイプの長さで上手く繋がった。
 希望する長さに切ってネジ切りをしてくれれば良いのだが、標準の長さしか売ってないので、長さを合わせるのが大変だ。

 天井の板は少し汚れていたので、家に有ったボードを張りつけることにした。
 3枚張って綺麗になった。


 
 次にトイレを乗せる台を作ったが、刈りに置いた。

 トイレの据え付け寸法が分からないので、購入する予定のホームセンターに行き、据え付け図をコピーして貰う。
 これで明日からの工事が出来る。
  
 ホームセンターのリニューアル部門のSさんと私の撮った写真を見ながら、打ち合わせをしたが、「これなら我々も商売が上がったりだ!」と言った。
 これだけの工事をすれば、トイレ込みで25万から30万円位掛るそうだ。
 私は無給与工事だ。
 何とかこずかいアップしてくれ!

 これで行くか?
 トイレ前室のイメージを書いて見た。
 トイレが断熱材を入れる関係で、一段高くなる。
 それでトイレ前室からスロープを付ける。
 その周辺には庭用の白い石を入れる。
 照明用の行燈も付けて和風の感じにする。
 格子も配置すれば一層和風化する。


 娘からFACEBOOKで「トイレが綺麗になれば、子供達が怖がらなくて良い」と来た。
 そうか孫のためならもう一頑張りだ。

6月27日(水)健康サロン&トイレの改修
 今日は健康サロンin明和園のウォークの日。
 私のコースは5.8kmコースで7名が歩く。
 スタートの明和園に行ったらMさんが、登山靴を持って来た。
 以前新しい登山靴があるので使って欲しいとの事だった。
 見たら何と超レアものだった。
 何と1959年(昭和34年)発売の「キャラバンスタンダード」だった。
 ヒマラヤ・南極・南米・その他の海外遠征隊、各登山団体ご指定品である。
 定価は2300円だ。
 箱も付いていた

 懐かしいキャラバンシューズ
 この靴はアッパーの綿帆布をゴム引きナイロンに変更、防水性が大きく向上した。
 ソールの土踏まず部分には「トリコニー」と呼ばれる鉄製のスパイクが付いている。
 これにより、濡れた岩場での滑り止め効果はアップした。
 色は紺と赤があったが、今回貰ったのは青のシューズ。
 履いたら良いのか、とっておくべきか?
 でも良く新品のまま取っておいた事に感心する。

 障害者の方が4名いるので、妻とHさんを先頭にし、私は最後尾を歩く。
 出発前の心拍を測ってスタートする。
 天気は良いので絶好のウォーク日和だ。
 スタートしたがペースが早い。
 随分張り切っている。
 みんな元気だ
 10分も歩いたら後続の5kmコースのグループもかなり後方になった。
 3km地点で休憩し、最後のスパート。
 総時間は1時間2分だった。
 実質歩行は55分で平均5.6km/Hrだった。
 昼食は流しソーメンだった。
 今月末には明和園祭が行われるのでリハーサルを兼ねているのだろう。
 久しぶりの流しソーメンは美味しかった。
 久しぶりの流しソーメン

 妻とMさん
 午後から家の改修。
 まずはトイレ探しから始める。
 ホームセンターホーマックはすでに見たので、サンワドーに行く。
 ここの担当者が直ぐに来て、色々と話す。
 1番の心配は、今のトイレが古い和式からの改造なので、便槽との接続部分が合うかどうかだった。
 その辺りの工事方法も親切に教えてくれた。
 値段も安いので、ここに決めようと思っている。
 たまたまTOTOウォッシュレットが新型になったので、大幅値引きになったのだ。
 変更部分はノズルの表面が撥水仕様になっただけだと言う。
 これが特価で売っていた
 掃除しやすくするための変更だと言うが、清水のでる綺麗な部分なので、それ程神経質にならなくても良いだろう。
 家に行きトイレを外す。

 旧式の便槽だったので、パイプでは繋がっていなくて、大きく穴が空いていた。
 便槽に直接ボトン型だ。
 新しいトイレの取り付けは全く問題が無かった。

 トイレ前室の蛇口も外して板張りを剥がした。
 蛇口も外し配管し直し

 壁も床も剥がした
 ここからウォッシュレット用の水を引かなくてはならない。
 それにしても古い家はどこもかしこも古びている。
 そのためにリフォームするのだが、見違えるように綺麗になるのが楽しい。
6月26日(火)トイレも改修する事に・・
 今日も家の改修をする。
 7時過ぎには家に向かう。
 まずはパネルの淵取りをする材料を作る。
 ルーターがあれば簡単に製作できるのだが、1万円はするので見送り。
 手でカッターナイフを使いカットする。
 5本を作成するには、結構な時間が掛ったが何とか完成し、色も塗った。
 カッターナイフで5本作った

 塗装中

 やはりトイレの改修をする事が決まった。
 もう家の改修も終わりと思ったがまだ続く事になった。
 トイレ前のスペースの手洗いを取り外す。
 新しいトイレは手洗い付きになっている。
 如何にも古い
 次にクラックが入っている、プラスチックの水タンクを外す。
 壁紙がいい加減に張っている

 配管・配線もむき出しだ
 次に配管を外す。
 誰が工事したのか如何にも素人風の配管だ。
 壁の全面に剥き出しになっている。
 スイッチとコンセントも取り外す。
 ここで外側と面している壁を剥がす。
 断熱材は今後追加する
 次にトイレの床材を剥がす。
 2枚のリノリュームを剥がしたら、又出て来た。
 3枚も張っている。
 どうやら追加追加で張ったのだろう。
 ここまで2枚はがした

 当所の床が出て来た
 
 全て剥がしたら、ここのトイレは元々は和式トイレだった。
 それを簡易水洗に取り換えた事が分かった。
 函館市は水洗化になっているが、ここ桔梗地区はまだ水洗化になっていない。
 新築の家も簡易水洗だ。
 今まで気がつかなったが、他の家を見たらどこもトイレの排気扇が付いている。
 和式の穴の上に簡易水洗トイレを付けたのだが、和式の穴をそのまま使ったので、大きすぎて辛うじて簡易水洗のトイレが取り付けられていた。
 そのため一部の穴は塞がって居ない状態だった。
 これが臭いの漏れる元だったのか。
 ついでに排気扇を見たら、何と線が切られている。
 廻らなくなったので切ってしまったのか?
 新しい排気扇を購入してきた。。
 今日は壁や床材の撤去に時間を費やした。
 まだまだ時間が掛りそうだ。
6月25日(月)家の改修も追い込み
 家の改築も最後の追い込みになった。
 今日はフローリングを敷く作業をする。
 最初に並べて見た。
 下の様に交互に板をレイアオウトして見る。
 このイメージで完成を目指す。
 この様に並べる
 電気鋸は以前使っていたのが煙を吹いたので使え無くなり、新しいのを購入した。
 お陰で切れ味は最高で楽に切れる。
 今日は暑い日だ
 切った板を並べて、フロアー釘を打つ。
 最初に斜めに打ちこんで、頭の部分も木の中に埋まる様に、ポンチのを釘の頭に当てて打ちこむ。
 釘を斜めに打つ

 頭が見えなくなるくらい打ちこむ
 後は次々に板を組み合わせ、釘を打ってまた組み合わせると言う作業を繰り返す。
 4時間で何とか完成した。
 最後に床部分の隙間を隠す、板を張ってフローリング工事は終了した。
 まだ細部の仕事は残っているが、ほぼ出来あがった。
 最後にコンセントを増設した。
 綺麗に晴れた

 下の淵板を張った。

 テレビ付近にコンセントを増設
 夕方家に来た妻が見たが、満足していた様だ。
 満足した言葉の後に、トイレもやらなくてはね・・・。
 ????
6月24日(日)旅人出発&家の改修&講演会
 旅人Mさんが朝に旅だった。
 昨日の夜もお話しをしたが、8時頃までだった。
 私と同じ、早寝早起きの様だ。
 今日は松前に向かった。
 天気も良いので100kmの道程は快適な事だろう。
 パッキングを見ていたがやはり荷物が多い。
 特に米やパスタの食料が重い様だ。
  Mさんが出発した

 妻の実家に行き家の改修。
 残った壁を張り、壁に格子を付けた。
 この格子のペンキは妻が塗った。
 「ペンキを塗って」と言ったら、「私が??」と怪訝そうな様子。
 塗り方を教えて、外でやって貰った。
 長い時間戻って来ないので見に行ったら、余ったペンキでプラスチックの古い箱にもペンキを塗っていた。
 面白そうにやっていたので、これからもやって貰おう。
 白い壁に格子を取り付けたら良くマッチしていた。
 今後棚などを付けて物置などに利用する。

 次の工事のフローリングを置いて見た。
 フローリングを置いて見た

 格子は妻の塗装

 時間が無くなったので、作業はここまでにして、北斗市公民館に向かう。
 11時まで集合して、テーブルや椅子を並べる仕事だが、地元の人が既に来ていて、ほぼ終わっていた。
 講演会まで2時間半あるので、付近を散歩していた。
 日ハム主催の少年野球をやっていた。
 グランドから帰る途中、声をかけられた。
 振り向いたらSさんだった。
 最後に努めた会社で一緒に仕事をした。
 先日、ルネサスの大合理化が発表され、私が最後に勤務した五所川原工場は富士電機に売却された。
 他の工場も大幅に削減するそうだ。
 七飯の工場も廃止されるかどうか決まっていないが心配していた。
 希望退職しても地元には仕事は無いしと悩みは多い。
 7月に正式な方針が出るそうで、落ち着いた日々にはなりそうもない。

 14時から、作家合田一道さんの「戦争と死の狭間でー箱館戦争人間模様」の講演が始まった。
 参加者がどのくらいになるか心配したが、60名くらいの参加があった。
 最初はマイクの通りが悪く、最後列に居たので聞き取りにくかった。
 その後マイク感度が上がり良く聞けた。
 内容的には、松前藩主松前徳広の死因は肺結核だった事は知っていたし、二股口台場に関しては目新しい事も無かった。称名寺や浄玄寺の土方歳三碑についても新しい情報は無かった。
 興味深かったのは、旧幕府軍のフランス軍人ブリューネが軍事顧問が本国に送った書簡で、最初は「死んでこの国に骨を埋める」と言っていたのに、最後の書簡は「日本の友人などに対しては心が痛む」と言いながら、箱館港に停泊していた、フランス艦のコエトエローゴン号で故国に帰ってしまう。
 やはり、最後まで戦う気持は無かったのだ。
 箱館戦争で亡くなった幹部は土方歳三と中島三郎の助のみだ。
 土方歳三は降伏しても、生きて残れなかったであろう。
 中島三郎之助が7ヶ月前の明治元年10月16日に、東北の宮古で、妻宛てに自分の墓の絵を描いて送っていた。
 その時すでに死を覚悟していたのだろう。
 開陽丸が江差で沈んだ時の機関長が中島であった。
 彼が最後まで戦ったのは、開陽を沈ませた責任を追ってと言われているが、もっと早く死を覚悟していた事が分かった。
 合田さんの講演
 合田さんは台場山にも行ったそうだが、登って15分の稲妻形塹壕に行った様だ。
 稲妻形塹壕は戦略上はそれ程強固な塹壕では無い。
 一般的には、ここの塹壕にしか案内しないから。こんな物かと思う人も居るだろう。
 塹壕は16個所あったが、その全容まで分からないが、私が確認した10個所程度の塹壕の場所を書いたマップを作ろうと思っている。
 二股口台場は歴史上、貴重な資産だ。これを正しく伝えなくてはならないと感じた。
6月23日(土)家の改修
 旅人は恵山に行った。
 荷物はGHに置いて自転車のみで出発した。
 その間に、家の改修をする。
 今日は妻の寝室の壁張りの続きだ。
 壁を張っている途中で、妻の希望するテレビの置く場所が、コンセントの無い場所だった。
 安易に延長コードも考えたが、見栄えからすると固定配線にしたい。
 急遽コンセントの増設工事を行った。
 既に下木を張ったので、コードを通す場所を全てカットすると言う工事になった。
 これが結構時間が掛ったが何とか完成。

 固定配線を通した
 その後化粧板を張る。
 最後の一ヶ所と言う所で板が間に合わない。
 次回にする事にした。

 後少しだったのに
 他に流し台前の配管を隠すカバーを付けたり、流し台下の腐った板を交換した。
 流し前のカバーもした

 流し台の下も板を張った
 徐々にだが部屋は出来てきた。


 夕方恵山から帰って来たMさんのブレーキシューが減っていたので、パーツを買いに明邦商会に行く。
 息子さんが店に居た。
 お父さんは元気ですかと聞いたら「亡くなりました」と言う。
 昨年来た時は元気だったのにと言ったら、12月に癌で亡くなったそうだ。
 年はとっていたが、健康そのものに見えたのだが・・。
 帰ってMさんと歓談する。
 Mさんと記念写真
 明日は松前に向かい、その後続けて北海道を45日間かけて一周する。
 又函館に来るか、苫小牧からフェリーに乗るかは未定だ。

 
6月22日(金)家の改修&旅人来る
 いつもの通り車で家の改修に向かう。
 そこに電話が入る。
 車を止めて話すと自転車で旅している方からの宿泊希望だった。
 GHのごみを捨てなくてはならない。
 改修工事で出たごみはGHに集めて、車一杯になるまで集まった所で捨てに行く。
 旅人が来たので捨てなくてはならない。
 今日の工事は早く終わることにした。
 
 ホームセンターで化粧板などの材料を購入してから行く。
 今日は壁に化粧板を張る。
 色は白だ。
 結局は2枚張って終了。
 2枚しか張れなかった
 後は換気口のカバーが汚れていたので交換。
 古いタイプの換気口カバー

 390円で交換
 コンセントも痛んでいたので交換した。
 これで今日の仕事は終わり。

 家に帰ってごみ捨て。
 車1台で504円だった。
 
 夕方皮膚科の病院に行く。
 薬が切れた。
 前回の診察で、「今の薬は電話でも直ぐに出せるから」との事で電話したら診察すると言う。
 また時間が掛りそうだ。
 診察して薬局で薬を受取る。
 490円だった。
 この病院は受取った薬を持って再び言って説明を受ける。
 それがまた時間が掛る。
 話しの中で、もっと薬を多く欲しいと言ったら、追加してくれると言う。
 50%増しにして貰った。
 追加料金は10円だった。
 思わず耳を疑って10円?と聞いてしまった。
 どんなシステムなんだろう。
 そんなら最初から多くして欲しいものだ。

 夕方、旅人が来た。
 退職して京都から旅に出たMさんだった。
 退職記念に夫婦で30万円を好きに使おうとなったそうだ。
 Mさんは自転車と旅の道具を購入した。
 そして旅に出た。
 奥さんは指輪だそうだ。
 何となく夫婦の間が分かりそうだ。
 これから45日掛けて北海道を廻る。
 夕食で御飯を炊いていたので聞いたら、フェリーで苫小牧に着いてから、ユースホステル泊まりで野宿をしていないので、これからのキャンプに向けて、練習で作っているそうだ。
 北海道を1周して帰ってきたら、青森ねぶたにぴったりだと誘いをかけた。
6月21日(木)イベント決まる&家の改修
 北海道道立自然の家主催のイベント「もりもり探検隊」の開催要項が決定した。
 担当のSさんから、子供達に歴史と旧道を歩くイベントを行いたいとの話しがあり、箱館戦争で大鳥圭介隊が進攻した、鷲ノ木〜五稜郭間を歩く事が決定した。
 総距離は57kmで3日間かけて歩く。
 私も一緒に歩き、途中で講演も行う事になった。
 会社の仲間とは五所川原で40mウォーキングを行うが、子供達と長い距離を歩くのは初めてなので楽しそうだ。
 開催要項

 今日も家の改修を行う。
 まずは押入れの下段の底板がボロボロだったので交換する。
 床下は意外と湿気がある
 5.5mmのコンパネで、寸法を計ってカットし入れようとしたら、微妙に入らない。
 角度を何度も替えながらようやく収まった。
 新しいコンパネを張った

 次に妻の寝室の断熱工事。
 寒がりなので、壁の引っこんでいる、砂壁の部分に断熱材を入れ、その上に化粧べニアを張ることにした。
 化粧パネルの受け木を付けるが上と下では壁の厚さが違うので、調整に苦労する。
 ようやく一部分の壁が完成した。
 これで暖かくなるだろう
 また明日も改修は続く。
6月20日(水)雨だし・・家の改修
 台風が接近しているので、雨が降っている。
 外の活動は今一つなので、家の改修を行う。
 今日は妻の寝室の床張り工事をする。
 現在の部屋は畳なのだが、これをフローリングにしたいと言う。
 まずは畳を起こして撤去する。
 畳を撤去した
 久しぶに持った畳は以外と重かった。
 綺麗に清掃して、床の養生用シートを敷く。
 養生シートを敷く
 このシートは安くて50mで980円だった。
 こんなに必要ないのだが仕方が無い。
 次に断熱材のスタイロフォームを張る。
 厚さ調整のため30mmの厚いのを使った。
 その分断熱効果はあるだろう。
 断熱材を敷く
 部屋が少しでも暖かくなれば良い。
 その上に12mmのOSBボードを張る。
 OSBボードを張る
 先日電気のこが煙を吹いて壊れてしまい、あたら良いのを購入した。
 今度は安物では無く、連続定格なので安心して使える。
 安いのは30分定格だが、古くなれば30分も厳しい。
 早速、OSBボードをカットするが、めちゃくちゃ早く切れる。
 電気鋸ってこんなに早く切れたんだと感激。
 刃も新しいので最初はこうだったんだろう。
 あっという間に寸法通りカット出来た。
 ネジ止めして完了した。
 後は上にフローリングを敷けば良い。
6月19日(火)台場案内
 埼玉県のNさんが、函館の坂口さんが書いたブログを見て、函館近郊の台場を案内して欲しいとなり、坂口さんから私にも一緒に行こうとなった。
 Nさんを迎えに駅前のホテルに行く。
 見た目は若かったので、定年退職者では無い様に見えた。
 彼は45歳で退職して、全国の古戦場や城を研究されているそうだ。
 活動資金や生活資金は退職までに貯蓄したと言う。
 目標に向かっての彼の意気込みが伺える。
 最初は天狗岳に行く。
 ここにも衛鋒隊1小隊が陣を構えていた。
 次に新政府軍の陣地跡を見て、二股口の戦いの主戦場である二股口台場山に行く。
 ルート

 こちらは雨が降ったのか、道は少し濡れていた。
 草は濡れているだろうと、レインウェアのパンツを履いて出発。
 峠のピークに着いたら、彼は急いで横方向に行く。
 そこには小さな穴があった。
 彼は笹を刈り、中に収まる。
 これは塹壕に間違い無いと言う。
 流石に目の付けどころは違うのか?
 二股台場口には沢山の大きな塹壕があるので、今まで小さな穴はあまり気にしないでいた。
 その後、有名な稲妻形塹壕を見て、南にある塹壕まで藪の中を歩く。
 笹が今時期は随分伸びて来た。
 そして最初の塹壕を見る。
 ここでも笹を刈って写真を撮った。
 更に南端の塹壕に行き、写真撮影。
 彼も沢山の塹壕に喜んでいた。
 戻って下二股川辺まで行く。
 下二股川を挟んでの戦いだった
 笹が随分と伸びて来ので歩くのも大変だ。
 この下二股川を挟んでの戦いが行われた。
 川辺から戻って右手のピークに登る。
 ここに行く道も草がすっかり伸びていた。
 途中にある塹壕の位置が分からなくなり、坂口さんと離れて並んで登ったら、坂口さんが見つけてくれた。
 塹壕が見事に残る
 彼も相当感激している。
 もう写真を撮りまくりだ。
 ここも別な塹壕

 Nさんも写真撮影
 さらに上にある塹壕を見てから、1番上の塹壕に到着。
 ここに来ればこの台場が屈強な台場である事が良く分かる。
 更に尾根にある塹壕を見て、断崖絶壁の地形を見て、ここなら攻められない事を実感する。
 最後に砲台が設置されていたと言うピーク地点に到着。
 ここから戻る。
 入り口で記念撮影
 昼食後、峠下台場に向かう。
 途中まで車で入ったので楽に登れた。
 台場を見ての下り道。
 いつもは小沼側の道を歩くのだが、今日は西側にある道を下ろうとなった。
 下っていたら何と大きな塹壕があった。
 大きな塹壕があった
 これは資料として何処にも書かれていない。
 古峠庚申塚裏の塹壕は看板にも書かれているが、この塹壕は今まで調べた書類には無かった。
 長さは50mくらいだろうか?
 場所的にも下の旧山道を見下ろす良い場所にある。
 新たな発見は嬉しいものだ。

 下って北斗市の松前藩戸切地陣屋に行く。
 松前藩の陣屋だが、箱館戦争の大野の戦いで敗走した、松前藩が火を放って松前に引き揚げた。
 今は保存状態も良く、国指定になっている。
 赤松などの木が大きくて堂々としている、この陣屋の雰囲気は大好きだ。
 人も居ない陣屋跡に佇めば、タイムスリップして昔の光景が思い浮かぶ。
 タイムスリップする陣屋跡
 案内も終わって函館に戻り、6時に再会して居酒屋「ココ」に行く。
 ここでも歴史の話しで大いに盛り上がった。
 楽しい1日だった。
6月18日(月)34回箱館戦争戦死者追悼・史跡めぐり
 もう34年も続いている、箱館戦争戦死者追悼・史跡めぐりの日だ。
 参加者はぶんぽ研が主体で他に数名の一般参加者が居た。
 水戸市や安平町からも来ている人が居た。
 ぶんぽ研会長がガイド役だ。
 NHKと函館新聞も同行取材となった。
 まずは佐藤安之助の墓に行く。
 線香・果物・酒を供えてお参りする。
 佐藤安之助のお墓参り
 佐藤安之助は新政府軍兵士でここで亡くなった。
 次に二股台場に行く。
 土方歳三が少ない兵で、新政府軍の攻撃にも耐えた強固な台場だ。
 急造の台場であるが、地形が良かった事が幸いした。
 私は案内の看板が雪で壊れて取れてしまったので、ドリルで板を止めながら登る。
 6個所位補修しただろうか。
 二股台場で報道陣ともお別れして、光明寺、南大野共同墓地に参拝し、北斗市の上磯地区に移動。
 永井蠖伸斎他のお墓

 南大野共同墓地
 ここから落合氏にガイドが変わる。
 官修墓地などを参拝して大野に戻る。
 落合氏のガイド
 このコースは何度も何度も廻っているので、目新しい事も無い。
 供養が目的だからそれで良いのだろう。
 供養以外には特に興味深いものは無かった。
6月17日(日)父の日も仕事だ!
 父の日で日曜日だ。
 休もうとは思わなく、今日も家の改修を行う。
 まずは壁の一部の材料が茶系だったのだが、やはり合わないとなり白の壁に替える。
 やはり気になった

 白い壁にする。煙突穴は8角径だ

 次に妻の寝室になる部屋だが、床がぐらぐらしていた。
 畳を剥がして見たら、タル木が完全に折れていた。
 ここは2本タル木を入れて補強した。
 これで完璧だ。
 この部屋は畳からフローリングに替えることになっている。
 断熱材の上にOSBボードを張って、その上にフローリングを敷く。
 端が少し低いので断熱材を厚めに入れよう。
 タル木が折れていた

 2本も補強した

 これからフローリング工事

 次に押入れ下の収納庫の床が痛んでいたので取り外す。
 ここは新しい板を張り、壁板も新しいものに張りかえよう。
 随分古くなっている

 まずは取り外した
 材料が無いので、今日はここ迄で終わる。

 家に帰ってテレビを見ていたら、娘夫婦から父の日のプレゼントが届いた。
 プロノから購入した、ハーフジップ半袖シャツと靴下2足だった。
 父の日のプレゼント
 私もプロノは良く行くが、とにかく安いので助かる。
 最近はジョギング用や山用のウェアや靴まで売っている。
 プレゼント品は山に着て行こう。
 今出ている、ピンが24本打ってある、山男靴がある。
 山林の仕事に使うのだが、登山でも十分使える。
 ピンが打っているので、粘土質の山道など良いだろう。
6月16日(土)中学校同期会に出席
 事の起こりは昨年、アルペンスポーツで自転車を見ていた時だった。
 「毛利君でないかい?」と声をかけられた。
 私には見覚えが無かった。
 「光成中学校の同期会を毎年やっているので来ない?」と言われた。
 そして今年の同期会の連絡が来た。
 幹事はFさんだが、名前も顔も浮かばない。
 中学校を卒業して53年になる。
 頭を回して中学校当時の事を考えて見るが、人の名前と顔の記憶が定かでない。
 卒業してから、中学校との係わりは無いし、同期生とは一度も会った事が無いので、記憶から消えたのだろうか?
 五稜郭の居酒屋「四季花彩」に自転車で向かう。
 宴会場に行くと、受付をしていた女性に「毛利君しばらくだね。私を知っている?」と言われる。
 「・・・・・」面影はあるのだが思い出せない。
 「毛利君は小学校の時、毎日私の家に遊びに来ていたんだよ」
 「え〜・・・」それまで記憶が無いのか??
 「私のおばあちゃんは、将来は毛利君と結婚したら良いよと言っていたんだよ」
 「え〜そんな人を忘れてしまうなんて・・」
 宴会席の中に入る。
 女性から「毛利君でしょう」
 「はい・・え〜誰だったけ・・・」
 「小学校の時クラスが一緒だったOだよ。担任は太田先生だったでしょう」
 「家に毛利君も写っている写真があるよ」
 確かに担任は間違いない。
 いくら顔をじっと見ても思い出せない。
 近くから「Oは大人しかったから、目立たなかったんだよ」とサポートしてくれたが、それにしてもこんなに記憶が無いとは・・・。
 話しは盛りだくさん
 今回集まった中には同級生は居なかった。
 同級生だったI君が、先月亡くなったとの報告があり、皆で黙とうした。
 宴会が始まると、やはり中学校時代の話しが多い。
 時間が経つに伴って少しずつ記憶が蘇ってくる。
 当時はHクラスまであったので、400人は在籍していたと思う。
 今日は15名が集まった。
 53年ぶりの同期会は、宴が進むにつれて楽しくなった。
 楽しい宴だった
 皆は私の事を良く知っていた。
 光成中学校の同窓会誌「同窓光成」に3回ほど投稿していたので記事を読んで知っていたからだ。
 それと「人生の楽園」のテレビも見ていてくれた。
 楽しい時間はあっという間に過ぎた。
 来年また会う事を約束して、2次会は遠慮して帰る事にする。
 もうもうとした煙草の煙で頭がくらくらするのだ。
 でも楽しかったな。
6月15日(金)山行中止-家の改修
 山に行く予定だったが、同行者が腰を痛めて行けなくなり、中止になった。
 そこで家の改修をする。
 今日は換気扇の取り付けから始める。
 油にまみれた換気扇を綺麗に洗って脂分を取り、電源コードも新しくなった。
 取り付けたら、換気扇の開閉がスムーズで無い。
 バイク用のクリーナーをシャッターのリンク部分に付けたらスムーズになった。
 換気扇の穴も開いた

 綺麗になった換気扇

 次に給湯ラインの変更。
 床下を通っている給湯ラインに穴が空き、急遽給湯配管をしたそうだが、天井を赤いカバーを被った、フレキシブルなパイプで這っていた。
 家の中を堂々と這っていた
 これは少し格好が悪い。
 床下を通すことにした。
 これが大変だった。
 土台の木があったり、壁の柱があったりで、相当苦労してようやく完成した。
 床下から何とか出した
 最近の給湯材料は凄い。
 配管は樹脂系の硬いパイプで、これなら錆びも無く清潔かもしれない。
 赤い部分は樹脂パイプの外側のカバーになっていて、湯をさめさせない断熱効果もある。
 最後に流し台の床張りをOSBボードで行い終了。
 OSBボードを張った
 OSBボードを切っていたら、電気鋸が煙を出して使用不能になった。
 仕方が無くOSBボードをのこぎりで切ったので、手がかなりだるい。
 流し台を仮にセットした。
 なかなか良い感じになった。
 後は、台所の前を台所用のカーペットを幅広く敷く。
 流し台の配置をしてみた
 費用を材料費のみの最小限に押さえて、これだけ出来れば良いだろう。
 しかし工事が終わり綺麗になると、他の部分も綺麗にしたくなる。
 流し台のリフォームもやってくれと言われるし、居間もフローリングにしたいと言うし、切りが無いな。
6月14日(木)記念行事実行委員会
 今日はぶんぽ研40周年記念行事の打ち合わせ。
 合田一道さんの講演会の準備などを決めて散会。
 講演会は何名来るのか分からないので、椅子やテーブルをどのくらい用意するのか難しい。
 北海道新聞には時々記事が掲載されていて、良く知っている作家なのだ。
 有料や事前申し込みなら人数も把握できるが、当日受付の無料の講演会なので予測が付かない。
 実行委員会
 現在、函館山に設置された明治38年以前の観音像がどこに置かれているかを調べている。
 安政2年(1855)の手書き地図で、調べているが分からないコースや観音位置がまだ沢山ある。
 でも昨日貰った「たわしたちの函館山」の本で、分からなくて苦労していた、コースが明らかになった。
 観音の位置も数ヶ所が明らかになった。
 25年前ならパソコンもまだ普及していない時代なので、地図なども全編手書きになっている。
 旧マップ
 内容的にも詳しく書かれており、知らない事が沢山載っている。
 これでコースや観音像の位置がかなり分かったので、もう少しで全コースを実際に歩ける様になりそうだ。
 函館山三十三観音は
 天保4年(1833)年に函館山に設置され、55年間人々が観音参りをしたが、明治31年の要塞建設で麓に降ろされた。その後、昭和23年(1948)に観音は函館山に戻される。
 しかしその場所は当時とは異なり、参拝距離も6km程度に短縮された。
 松浦武四郎の『蝦夷日誌』には三里(12km)と書かれている。
 コースも今より遥かに厳しい道を登っている。
 その昔の道が今でも跡を残している。
 一度付けられた道はなかなか消えない。
6月13日(水)病院&健康サロン
 足の指の付け根が痛い。
 今日で3日目だ。
 少し腫れていたのに、窮屈な長靴で草刈りなどをしていたので、足がすっかり腫れてしまった。
 これは痛風だとなり、3年前に通院した時に貰った薬を飲んで、良くはなってきた。
 でも15日には山に行く事になっている。
 早く直さなくては・・。
 薬は飲んでいたが3年目に貰った薬だ。
 「3年前の薬飲んで良いのかい?」と言われ、病院に行く事になった。
 開院前に行って待っていたら、3番目に見て貰えた。
 スキーチームドクターのN先生だ。
 「どうしたの?」
 「痛風になりました」
 「採血するかい?」
 「いや痛風に間違いないから、薬を出して下さい」
 と自己診断で先生に言ったが、「それじゃ薬を出すけど、どの位いる」
 「1週間くらいで良いです」と言ったが、「痛風は痛みが無くなっても薬を飲んだ方が良いよ」と言われた。
 「3ヶ月分出すから」となり、薬局に行き受取る。
 受付番号2番で早い!

 今日は健康サロンの日なのだが遅れて行く。
 もう体操も終わる時間だったが、最後に少しだけ運動して終わった。
 Mさんが函館山に関する本があるので、持って来て上げると言っていたが、しっかり持って来ていた。
 「わたくしたちの函館山」という25年前に発行したものだ。
 今、函館山に取り組んでいるので有難い
 表紙が要塞の出来る前の函館山で山頂は尖っていた。
 薬師山も28m削って要塞を作った。
 古い本ほど歴史的には面白い。
 他にも「北海道巡礼の旅 三十三観音霊場」も頂いた。総行程2300kmか・・これも面白そうだ。
 機会がある時に歩こう
 「さらに毛利さん足のサイズは幾ら?」と聞くので25.5cmと行ったら、書いて来た紙を見て「ぴったり25.5cmだ」と言った。
 「新品の登山靴があるんだけれど履かない?」となり、頂く事になった。
 この次の会に持って来てくれるそうだ。
 いつも山や歴史の話しをする方で、自分ではもう歩けないからとの事だった。

 体操の後は次回のイベントのウォーキングコースを決める。
 4kmコースは私がリーダーになった。
 4人の障害者も含むので、出来るだけ安全な道を選んだ。

 最後に私がガイドする湯川温泉「オンパク」の宣伝をさせて頂いた。
 Sさんは直ぐに参加してくれると言ってくれた。
 以前には講演会にも来てくれた。
 私の話しが面白いからと言ってくれるのが嬉しい。。
 他にも何人かは参加したいと言ってくれた。
 感謝!

 いつも美味しい
 今日の昼食は玉子掛けそばとメロン。
 今年初のメロンだった。
6月12日(火)家の改修も疲れ気味
 連日の家の改修で少し疲れて来た。
 山の登っていればいくら疲れても、翌日は快い疲れが残っているが、仕事の疲れはすっきりしない。
 午前中は妻のマッサージに付き合う。
 しびれる右肩のマッサージだが、少しは良くなっているのか、良く分からない。
 行ったら次に行く日が予約されるので、また行く事になるが、効果はどうなのかな?
 午後から引っ越し先の家の大形ごみの廃棄をする。
 箪笥が2個、食器戸棚が1個、大形テーブルが1個、他に諸々のボックス類などがある。
 自分の家の物もあるので、使えるが捨てるしかない。
 車に車に入る様に全てばらしてきっちり積む。
 車に満載になった。
 廃棄物処理場に行く。
 最近、係はm民間委託から市役所の職員がやる事になった。
 市の職員もどんどん減らされているので、仕事量確保のためには委託を切らなければならないのだろうか?
 でも凄く対応が良くなった。
 言葉使いも丁寧だし、荷物を降ろすのも手伝ってくれる。
 以前はおかしな物を投げないか監視を厳しくしてぴりぴり感があった。
 今は和やかにごみを処分出来る。
 最後に軽量をしたら220kgだった。
 失敗だ。
 ここは100kg単位で価格が決まる。
 180〜190kgが理想だがオーバ−してしまった。
 まあ安いから良いが。
6月11日(月)箱館戦争戦死者追悼ツアーの準備
 今日はぶんぽ研主催の箱館戦争戦死者追悼ツアーの準備作業に出掛ける。
 清水三四郎遭難碑から草刈りを始める。
 この三四郎さんは明治14年(1881)江差の爾志郡役所の訴訟用紙が不足したので、購入のため雪の中を箱館に向かった。
 箱館まで80kmを24時間で踏破し、洋紙800葉を担いで直ぐに折り返した。
 猛吹雪で二股岳の旅館に宿泊した。
 翌朝、さらに天候は悪化したが「役所にすまぬ」と旅館主を止めるのを振り切って出掛け、この地で帰らぬ人となった。
 当時は役所にもこんな忠誠心の強い人が居たんだ。
 ぶんぽ研では毎年参拝している。
 お参りした
 次に箱館戦争で亡くなった、新政府軍の鹿児島藩佐藤安之助の墓掃除。
 今の津軽の岩木の出身者だ。

 そして土方歳三が守備した二股台場。
 300名の兵で800名の新政府軍と戦い破られる事は無かった。
 最強の台場だ。
 ここの山道や、土塁などの草刈りをした。
 蝦夷何とか?

 帰りに引っ越し先の家のリフォーム。
 台所下の板を張るため、板を切っていたが真っ直ぐに切れない。
 見たら歯が蛇行して廻っている。
 これでは駄目だ、明日に延期だ。
6月10日(日)休日も家の改修
 年金生活者はいつも休日でいつも仕事日だ。
 曜日には左右されないフレキシブルな日常を送っている。
 「今日は日曜日だから休むか」と思ったが、「日曜日も何も無いでしょう」と言われ、仕事に出かける。
 今日は流し台下の板を張って終了するぞと意気込んで出かけた。
 しかし板を張っていたら、スイッチやコンセントがどうも古ぼけた古い製品を使っている。
 やはり交換しようとなった。
 ホームセンターでコンセント2個とスイッチ1個を買って来た。
 そして交換した。
 左が新しいスイッチ
 しかし壁板の上にもう一枚張ったので、厚みが増え固定するビスの長さが短くなった。
 そこでまた長いビスを購入に行く。
 自宅ならネジや工具は揃っているが、ここには何も無いので何かをする度に中断してしまう。
 ネジを6本買ってきて取り付け終了。
 やはり新しい白い壁には白いプレートが合う。
 すっかい綺麗な壁になった
 壁の板張り工事とガス台裏のステンレスプレートも取り付けた。
 右壁の下部分は張っていないが、ここはガス台の陰になるので省略だ。
 これで壁張りは終了した。
 後は、換気扇を取り付け、流し台下の板を張れば工事は終了だ。 
6月9日(土)今日も家の改修
 家の改修はなかなか難しいものだ。
 今日は流し台の下の板を張って、台所の油を洗い落として、設置する予定だった。
 しかし流し台やガス台が綺麗になると他の汚れが気になる。
 長年掃除していなかった換気扇は汚れが凄い。
 年寄二人の家庭だったので、掃除も出来なかったのだろう。
 換気扇の出口部分の換気口はすっかり塞がっていた。
 凄い汚れだ
 流し付近の壁も汚れている。
 と言うように次々と汚れが気になる。
 換気扇は外して綺麗にしよう。
 換気扇も壁も取り外す
 すると壁板も綺麗にしたいねとなる。
 それではと全面の壁板を取り換え用となり、別な工事が始まる。
 前の壁板はガス栓やコンセントと換気扇が付いている。
 この部分を切り欠かなければならない。
 時間をかけて寸法を取り、壁板が収まるまで調整した。
 今日は一番手の掛る1枚だけを張った。
 まだ完全には止めていない。
 次回に行う。
 やはり綺麗なのは良い
 予定外の仕事が増えて、なかなか前に進まない。
 いつになったら引っ越しが出来るのだろう??
6月8日(金)家の改修
 家の改修に行く。
 今日は断熱材を入れてその上に板を張る作業だ。
 断熱材を入れる個所の寸法に合わせて、ハサミで切って入れていく。
 本来はこの断熱材の寸法に合わせてタル木が入っている筈なのだが、ホームセンターには1種類しか断熱材が売っていないので仕方が無い。
 ようやく断熱材を入れ終えた。
 断熱材が入った
 次は上に松製材を張って行く。
 松製材を張り終えた
 これで床の下地はOKだ。
 後は板を張るのだが、台所に使っている床材はホームセンターには置いていない。
 別な材料で間に合わせるしかない。
6月7日(木)ぶんぽ研&家の改修
 ぶんぽ研例会。
 設立40年記念行事や通常の業務が増えて来た。
 11日は箱館戦争戦死者追悼会の準備で草刈りを行う。
 14日は40周年記念行事実行委員会。私は合田一道さん講演会の担当だ。
 18日は箱館戦争戦死者追悼会の本番でバスツアーをする。
 24日は作家合田一道さんの講演会がある。
 他にも記念誌のイラストや投稿を頼まれている。
 忙しいのは苦にならないので、張り合いがあって良いだろう。

 例会が終わって妻の実家の改修。
 腐ってしまったタル木を切って、新しいタル木を抱き合わせた。
 床を支えていた木も腐って落ちていた。
 新しい木を床下に入れる。
 ここでは車の1.5tジャッキを使って床を上げる。
 床は簡単に上がる。
 そして下に支えの木を入れる。
 がっちりと入った。
 後は、断熱材を入れる下板の2.3mmコンパネを入れて今日の仕事は終わり。
 補強工事は終了

 水平も大丈夫だ
 夕方次の仕事に備え、断熱材と松製材を購入してきた。
 妻の仲の良い友達夫婦が工事現場に来てくれた。
 私達の結婚した時の幹事をやってくれた人で、旦那さんは私の上司、奥さんは妻の友人。
 幹事が縁で結婚したのだ。
 近くに住んでいるので、ここに引っ越して来る事を凄く喜んでくれた。
 隣の家の人も向かいの家の人も喜んでくれている。
 今、住んで居る場所は、昔は仲の良い友達の家が6軒もあったのだが、新しく家を立てたり、転勤などで1人も居なくなった。
 近所付き合いはかなり少なくなったので、引っ越しは良い転機かも知れない。

 夕方、洗濯をした妻から「あれ〜服に何か入っている」と持って来た。
 昨日使ったGPSが洗濯されてしまった。
 あ〜やった!
 うんともすんとも言わず使用不能になった。
 画面は真っ白のまま
6月6日(水)函館山調査&家の改修
 今日は義理の妹と函館山に行く日だ。
 生憎の雨だった。
 一応登山の準備をしていた。
 9時近くに電話が来て、雨だから止めたいとなった。
 そこで私が1人で出発する。
 調べたい事があるのだ。
 函館山七曲コースが、安政2年の観音コース巡り地図とどの程度合っているか、GPSログを取りかかった。
 小雨の中を登る。
 旧観音像の位置をどの辺りなのか見ながら登る。
 
 (上の図は南部藩蝦夷地経営図に書かれた七曲コースと大きな岩 )
 山道近くの空いているスペースや、岩が置かれている場所をチエックしながら登る。
 半分くらい登った所で左側に人の入った形跡のある踏み跡がある。
 何だろうと入って見る。
 途中は草が相当伸びていた。
 それに雨なので葉に付いた雨の滴で、レインウェアもびしょびしょになる。
 途中にロープなどが張ってある。
 道は粘土質なのに加え雨で濡れているので滑る。
 付いた所が大きな岩がそびえ立っている所だった。
 高さは30〜40mはあるのだろうか?
 垂直にそびえる岩だった。
 大きな岩盤がそびえている

 なかなかの景色だ
 ハーケンやカラビナが残されているので、ロッククライミングの練習に使われているのだろう。
 この岩は調査に使用している古図にも書かれている。

 (奥州箱館絵図に書かれた七曲コースと鞍掛山の29番観音)

 (箱館之図に書かれた七曲コースの観音。大きな岩も書かれている)
 ここだったのかとあらためて知る。
 来た道を戻るが途中で迷ってしまった。
 その迷った場所に塹壕跡があった。
 長さは幾らあるのかブッシュの中なので、明確ではないがかなり長い。

 深さも60cm位あり、石が積まれた通路の様な構造だった。
 来た道を戻ったら、間違い個所が判明してコースに戻れた。
 再び七曲コースを登りきって又下る。
 最後は蔵掛山に行く。
 ここにも観音像があり道が付いている。
 これより先は危険の看板があり、木で柵を作っているが、道の部分は避けて柵は作られている。
 入って行ったら、いきなり要塞跡が出て来た。
 こんな所に要塞があったのだ。
 さらに登ってくと鞍掛山に着いた。
 その山頂にも要塞跡があり、砲台の跡もあった。
 要塞跡があった
 立待岬は松前藩時代に台場があった場所で、いつの時代も戦略的に必要な場所は同じなんだ。
 立待岬の観光駐車場は眼下に見える
 花の勉強中なので写真を撮りながら歩くが、なかなか花の名前は分からない。
 黄色の蝦夷エンゴサク

 黄色いユリ?











 帰って、妻の実家の家の修理に行く。
 タル木を買って行き、台所下の補強工事をする。
 床を剥がした

 補強中
 何とかなりそうだ。
 タル木が足りなくなったので、工事は中止にして家に帰る。
6月5日(火)便りと引っ越し準備
 世界一周自転車旅中のSHUTAKU((周藤卓也)君から葉書が届いた。
 アフリカペンギン

 懐かしいな
 アフリカ大陸も走り、残るはアメリカ大陸のみとなったそうだ。
 頑張っているのと無事であることが嬉しい。
 先日バイクの旅人が襲われて亡くなっている。
 世界はまだまだ危険なのだろう。
 葉書には「人生の楽園」に一緒に出演した、世界自転車一周中の小口君とも連絡を取り合っているそうだ。
 世界も本当に狭いものだ。
 現在世界一周中の自転車やバイクの人は30人を越えているようだ。
 自分の若い時には、世界一周自転車旅なんて想像も出来なかった。
 私はただ普通に就職した。
 世界に行くとなれば相当の精神力が求められるさろうな。
 SHUTAKUも小学校の時から小遣いは一切使わないで貯金していた。
 高校時代もアルバイトしてお金を貯めた。
 全て世界一周のためであった。
 そんな小さな時から目的があると言うのは凄い事だと思う。
 そして蓄えたお金が800万円になった時に世界一周に出発した。
 10年前GHに泊まった事を今でも忘れないでいる事が本当に嬉しい。
 こんな若者の行動を見ていると自分も勇気を持って生きなくてはとつくづく思う。

 朝一番で引っ越し準備。
 燃えないゴミを車に積んで9時にはごみ捨て場に着いた。
 今回は160kgあった。
 504円なり。
 降ろした後は引っ越し先の妻の実家に行き、箪笥などの箱物をばらす。
 近所の人も来て、1人が和服箪笥が欲しいと言うので頂いて貰った。
 詩吟の先生で着る衣装が多くて入り切らなかったそうで、喜んで貰えた。
 もう一人の隣人は、燃やすための木を貰って行ってくれた。
 一番喜んで貰えたのは近所に引っ越して来てくれれば、話し相手が居て良いと言う事だった。
 妻も普段はそれ程話し相手がいる方でもないので良い環境になるだろう。

 流しを置いている床が落ちそうなのである。
 今日は床をばらした。
 その結果、タル木が4本腐って折れていた。
 また太い木も腐って半分くらいの厚さになっていた。
 さらにコンクリートの土台があるのだが、床を支える木が腐って無くなっていた。
 これなら落ちそうになる筈だ。
 今後、補強をして、断熱材を新たに入れて補修を行う。
 廃材を車に積んで、今日2回目の廃棄に行く。
 今回は木ばかりで120kgあった。
6月4日(月)旅の後始末やオンパク
 まだ足が筋肉痛だがやる事は沢山ある。
 まずは湿ったテントやマット類を乾燥させる。
 天気も良くてすっかり乾いた
 次に自転車を洗剤で洗って注油もした。
 自転車も綺麗になった
 もう10年も使っているMTBだが、まだまだ健全で十分に使える。

 昨日旅から帰って来て新聞を読んだら、はこだて湯川温泉「オンパク」のパンフレット配布の記事が出ていた。
 早速湯川温泉組合に行って、パンフレットを貰う。
 ここも年に1度行くだけだ。
 ポスターとプログラムを貰ってくる。
 ポスターは昨年の半分の大きさになった。
 確か市の補助が今年は打ち切られたか、減額されたので厳しくなったのだろう。
 本の表紙
 毎年今年は写真を変えようと思っていたのだが、今年も同じねぶた姿の写真になった。
 いつもより大きいスペースで掲載された。
 私のプログラム
 私の出番はイベント最終日の7月8日の最終日になる。
 参加費は3500円と高いが、五稜郭タワーと箱館奉行所の入場料が含まれているし、バスで廻るためだ。
 まだタワーや奉行所を見ていない人にとっては安いのだが、すでに見てしまっている人にとっては、高く感じるかもしれない。
 箱館奉行所の内部説明では、箱館戦争に絡んだ説明をするので、スタッフの案内とは替えている。
 最小催行人数が20名なので、もし集まらなければ中止になる。
 最終日はプレミアムイベントの「朝イカ食べ放題」や三遊亭洋楽さんの落語がある。
 何とか最小催行人数が集まってくれれば良いが・・。
 開催するしないに係わらず、ガイド内容の暗記はしなくてはならない。
 そろそろガイドブック作成と、話しのネタも新しいのを取り入れた内容を考えなくてはならない。

 午後から家の引っ越し準備をする。
 妻の入る予定の部屋の物は全て出したが、やはり部屋は年代と相応に古くなっている。
 「畳が古いね・・」と一言。
 はっきりは言わないが、フローリングにしたいようだ。
 壁も内装を新しくしたいようだ。
 今の壁にさらに断熱材を入れて、内張りをする事と、床は畳を止めて、防風シートを敷き、発砲ボードを敷いて、その上にコンパネ+フローリングにしたいようだ。
 GHをその構造にしたら暖かいので同じ様にしたいようだ。
 また忙しくなりそうだな。
6月3日(日)函館に帰る
 朝、毎日近くで鳴く鶏の声で目が覚めた。
 痛い!
 起きるのも大変なくらい太ももが痛い。
 5時から開いている温泉に行く予定だったが、歩くのがやっとで行く気が失せた。
 痛い足を引きづりながら、テントの撤収を始める。
 いつもより時間は掛ったが、撤収も終わり、青森に向けて走り出す。
 3日間もこの場所でお世話になった。
 もうすっかりこの場所には慣れた。
 気温は11度で少し肌寒い。
 まだ人が歩いていない五所川原の町とお別れだ。
 足は痛いがまだ自転車の方が痛みは少ない。
 途中で青函フェリーに電話を入れ、11時35分発の便の予約も出来た。
 大釈迦峠も楽々クリヤ―して新庄に入る。
 郵便局に行ったが日曜日なのでATMは休み。
 スマホで調べたら、近くでは青森西郵便局しかない。
 着いたのが8時少し過ぎ。
 9時まで公園でのんびりする。
 帰りのフェリ−代を下ろしてフエリーターミナルへ行く。
 青函フェリ―
 自転車は最初に乗る。
 船の階段はきつい。
 足が痛くて手すりにすがりながらようやく登った。
 客室に入り枕に頭を付けたら眠くなった。
 目が覚めたら3時になっていた。
 日ハムの試合がある。
 ワンセグで見ようとしたが入らず。
 ラジオで聞く。
 船が函館に近づいたらワンセグも見れた。
 面白いのはラジオとテレビでは時間に誤差が出る。
 ラジオが先に放送し、その直ぐ後にテレビに画面が写る。
 同点のまま下船した。
 家まで急ぐ。
 まだ間に合った。
 最後は9対3で勝った。
 夕方近くの風呂に行き、夜はジャパンブルーのWCアジア最終予選を見る。
 ここも3対0で勝利。
 満足した1日だった。
6月2日(土)40kmウォーク
 4時に起きてテントをたたみ駅前に行く。五所川原に来た時、一度は必ず入る駅前食堂に行く。
 朝の5時には既に開いている。
 ここはかなり年配の男性兄弟が店をやっている。
 まだ早いので麺類しか出来なかったので、鍋焼きうどんを注文した。
 温かいうどんだが中身は少し貧弱だった。これで700円は少し高いな。

 7時にはウォークの参加者が集まってくる。総勢11人の参加だ。
 気温が15度程度で、歩くには最高のコンディションだ。
 途中のコンビニで休憩タイムになる。
 道の駅「もりた」で休憩
 それぞれが喉を潤したり、食料を補給したりしながら進む。
 ビールにも口が行く人も多い。
 昔は私もそうだったが、今は飲まなくて食べる方が多い。
 快調に進が、私は足が遅いのでいつも最後に休憩場所に着く。
 
 20km付近の鯵ガ沢のイカ焼きの店に映画に出た有名犬のわさお君がいる。
 わさお君もお疲れ
 ぶさかわいですっかり有名になり、各地に出張も多いが今日はいた。
 彼がいるお陰でこの店は客が多い。
 この付近は沢山のイカ焼きの店があるが、店が減りつつある。
 ここだけは人気で、一人勝になるかも知れない。
 私はいつも最後尾で休憩ポイントに着くが、このままでは駄目だと思い、最後の休憩ポイントに向かう時は、ピッチを上げて見た。
 するとたちまち前のみ3人に追いつき抜くことが出来た。
 頑張ればまだまだ行けるかも知れない。
 足を痛める前はがんがん前を歩いて先着争いをしていた。
 少し自信が付いたので、最後のゴールもピッチを上げようとなった。
 スタートはトイレに入っている間に、最後尾になったがピッチを上げて飛ばす。
 手を思い切り振りながら、ピッチを上げる。
 ゴール手前1.5kmくらいでついに先頭に出た。最後は二人でゴールした。
 自分としては大満足なウォークだった。
 足を怪我した翌年は20kmまでしか歩けなかく、電車でゴール地点に向かった。
 その次は自転車旅の途中だったので、自転車での移動となった。 
 翌年はラストでゴールしたが40kmを歩けた。
 でも帰りの電車のが時間がぎりぎりで、皆が休憩している店のテーブルにも付けず帰って来た。
 皆から30分は遅れていたであろう。
 そして今回は先頭でゴールとなり、頑張れば何とかまだまだ歩けるし、足も少しずつ良くなってきている様だ。
 でもその後が大変。飛ばしたお陰で筋肉痛が一気に来た。
 無人駅である千畳敷駅のホームまでは階段が無くなり、長いスロープになった。
 これは有難かった。
 電車の中でも会話が弾み楽しかった。
 五所川原に着く手前で、我がGHにも泊まってくれた、美容師の青ちゃんが電車に手を振るよとメールが来ていたが、孫2人と手を振っていた。
 五所川原駅の階段はきつかった。
 手すりに掴まりながら、ようやく駅を出た。
 夕食を済ませ、温泉にも行く気にならず、キャンプ場所に行きテントを張った。
 爆睡だ。
6月1日(金)OB会出席
 昨日、テントを張る場所に少し蟻がいたと思ったが、それ程気にもせずに張ってしまった。
 朝、起きたらテントの中は蟻だらけだった。
 飲んだ後のコーヒーの箱にびっしり付いていた。
 テントを撤去してから、箱を適当な場所に置いて蟻が来るかチェックした。
 今日の夜は蟻の来ない場所にテントを張るぞ!
 蟻の来ない場所は分かった。
 朝に新しい靴で5km歩く。前の靴より軽く、フィット感も良い感じだ。
 岩木川河川敷コース
 その後、温泉で汗を流す事にして、エルムの湯に行ったら、札幌ナンバーのワゴンがいた。旅をしているのかと話しかけたら、仕事で東北を回っていて、今日津軽海峡を渡って札幌に帰るそうだ。
 結局温泉は音次郎温泉にした。
 この温泉の経営者は弘前の人で、夢の中でこの場所を掘れば温泉が出るとのお告げがあり、掘ったら温泉が出たと言う。
 以前は仏像が置いてあり、香が焚かれていたので、何か雰囲気が合わなかったが、今回新築になり、近代的な温泉ななった。
 それで300円と安い。サウナも露天風呂もある。
 2時間くらい、のんびり入り、新聞を隅々まで読んで昼には出る。
 そのまま郵便局に行きスーツを受け取る。
 公園でラフな格好からスーツに着替えて歩いて会社に向かう。
 もうすでに沢山の人が来ていた。
 ルネサス津軽工場
 社長から現況説明がある。なんといっても最大の関心は、津軽工場が富士電機に売却が決まった事だ。
 ルネサス全体ととしては先行き不安材料があり、人員整理が全体で12000人になる。
 親会社の日立、NEC、三菱の支援が無ければ大変な状況なのだ。
 そんな中、富士電機が津軽工場と人員を引き受けてくれるのは、ラッキーなのかも知れない。
 日本の半導体工場も残るのがだんだん厳しくなってきている。
 夕方から懇親会。美味しい料理を沢山頂いた。
 宴は盛大だった
 今回は五所川原でのOB会が最後と言う事なのか、歴代社長も顔を出している。
 Y社長にプロパーで来ているのは君だけだと言われたが、日立本体の幹部OB会に近いのだ。
 そんな中で私は毎回参加している。
 OB会なので会員は誰でも来れるのだが、元上長に会うのは気もちが重いのかな?
 お年寄りが多いせいか煙草を吸う人が多い。 
 余の凄さに廊下に出て良い空気を吸う。喉が痛い!
 会が終わり、皆は2次会に行ったが、私は明日の40kmウォークがあるので、スーツを着て自転車で岩木川リバーサイドホテルに到着し、テントを張る。
 ブログを書いて寝る。
 HP TOP