2012.12日記
1月31日(金)函館到着
 2時間くらい走ってトイレタイムと運転手さんの交代がある。
 その都度目を覚ます。
 そして青森フェリーターミナルへ着いた。
 青森は雪だ
 雪景色に変わったが雪が少ないように感じた。
 今度はフェリーに乗る。
 10時出航の船だったが、7時40分に乗っても良いですよと言われた。
 待ち時間が無くて良かった。
 4時間の船旅。
 スマホのお陰で飽きる事も無くあっという間に函館着。
 外に出たら函館駅までのシャトルバスがあった。
 これは知らなかった。
 歩いて帰ろうと思っていたのに助かった。
 函館駅から電車で戻った。
 深夜バスも全く疲れた感じは無かった。
 安くて良いな。
1月30日(水)海老名〜上野へ
 昨日出発前に「早いけども〜さんのバレンタイン祝いをするからね」とケーキを買ってきて頂いた。
 こんな大きなケーキで祝って貰えるなんて最高!
 嬉しいな

 お母さんと太陽
 太陽君がケーキを切ってくれて、皆で美味しく食べた。
 小田急電鉄の座間駅まで車で送って貰った。
 太陽君と握手してお別れ。
 太陽君も「も〜さんと遊んで楽しかった」と言ってくれた。
 子供と遊ぶのは本当に楽しい。
 この4日間で随分仲良くなったので名残惜しい。
 仮面ライダーの自転車作り、鉄棒のペンキ塗り、ベンチの修理、ブランコの塗装、大形ごみの廃棄など色々やった。
 ペンキを塗って

  自転車が完成
 お世話になった家も2月末で解体し新築の家が10月には建つ。
 仮住まいのアパートに荷物を運んでいるが、多分間に合わなくてパニックになるだろう。
 その時はまた手伝いに来る。
 
 新宿まで各駅停車に乗ったので長かった。
 新宿から上野まで山手線だが上野で降りて、バス停の向かっていたが、道の記憶が無い。
 出発時間が迫って来たので焦る。
 しばらく歩いて聞いたら反対側だった。
 またしばらく歩いてローソンで聞いたら、直ぐ近くに転車場があった。
 
 バスに乗り込む。
 10人くらいのお客さん。
 走って直ぐに首都高速に入ったら、消灯になったのでそのまま寝てしまった。
1月29日(水)皆でスケートに行く
 今日の気温は10度を越えた。
 春のような陽気だ。
 ベンチのペンキ塗りをして、大型ゴミを切断して捨てた。
 大形ごみもカット
 昼から皆でスケートに行く。
 南くんは高校以来、奥さんは小学校以来、子供は初めてだ。
 スケートリンクは平日のせいか空いていた。
 先ずは子供の起き方の練習。
 立てるようにはなったが直ぐに転ぶ。
 それでも徐々に立てる時間が長くなった。
 旦那と奥さんはまあまあ滑れた。
 お母さんと太陽
 私はスケートは得意ではないが、まあ滑れる。
 2時間滑って、子供も疲れたので帰宅。
 久しぶりのスケートは疲れた。
 明日の夜の深夜バスで函館に向かう。
1月28日(水)海老名に移動
 朝食は関口さんが作ってくれた手打ちのパスタだった。
 手打ちそばは食べることもあるが、手打ちパスタは初めてだった。
 歯応えがあって美味しかった。
 関口さんは朝に発った。
 関口さん
 今日は引っ越し手伝い。
 ここの家も後1ヶ月で取り壊し、アパートに仮住まいになる。
 そのアパートに冷蔵庫運ぶのだ。
 軽四の乗用車に 入れよう寸法を計ったら、ぴったり入りそうだった。
 早速積み込んだらピタッと入った。
 近くのアパートに運んでオーケーだった。
 次にペンキ塗り。
 鉄棒と木のブランコに塗った。
 これで今日の仕事は終わり風呂には入らして貰い、食事を食べて早めに布団に入る。

1月27日(水)結婚式
 今日は黒田君の結婚式。
 慣れぬ東京で遅れては問大変なので、早めに電車に乗った。
 日暮里駅から品川駅まで電車に乗る。
 電車が品川駅の直ぐ手前で止まってしまった。
 ホームの無い場所だ。
 乗った車両の位置がまづかったかなと思ったら、アナウンスがあり、駅で非常停止がかかったそうだ。
 暫く停車してから動く。

 式場は凄く立派な結婚式専門の所で、披露宴は29階だった。
 新郎、新婦が入場のあと、私が乾杯の音頭を取る。無事終わって宴に入る。

 テーブル配置に書かれた、私の名前の肩書きに、新婦恩師と書かれていた。
 事前にスタッフから、これは間違いましたとの謝りがあったのだが知らない親族は、先生と思ったのか、次々に新婦の 関係者が挨拶に来た。
 本当は新郎の友人なのだ。

 今回同じテーブルには、日本一周自転車旅をした人が、3人もいた。
 新郎が自転車で旅をしたときに知り合った人だった。彼はそんな方々まで招待してくれた。
 良い結婚式だった
 式は全て自分達の手作りで行ったそうだ。
 なかなかユニークな結婚式で良かった。
 2時には終わり、今日の宿泊先の海老名市に移動する。
 座間駅から歩いていたら、ねぶた仲間の関口さんと南さんと子供の太陽くんが迎えに来てくれた。
 その後、旦那も帰って来て、皆で歓談した。
 延々と朝の2時まで続いた。
1月26日(水)東北災害支援ボランテイア
 大将が東北災害支援のプロジェクトに行くと言うので同行する。
 神楽坂の一角で、東北のお母さんたちが作った毛糸製品の展示や講習が行われ、カニばっとと言うカニ汁が500円で売っていた。
 東北の母さん
 やはり東京と言う感じで、物は結構売れる。
 終わった後、護国神社を見た。
 圧倒的に大きい鳥居だが、鉄製なのは何か雰囲気が無い。
 靖国神社

 神殿は圧倒される
 それでも神殿は圧倒される雰囲気がある。
 漢塾に帰って宴をするが、私は明日結婚式で乾杯の音頭を取る言うので、早く寝なさいと皆に言われ、2階に寝る。
1月25日(水)地平線会議に参加
 朝6時40分に佐野サービスエリアに着いた。
 もう夜が明けてきている。
 東京まで後、2時間余りだ。
 ようやく上野に到着した。
 少しは眠いがそれ程疲れた感じは無い。
 今日の予定は夜に新宿スポーツセンターで行われる、地平線会議の講演を聞きに行く事だ。
 まずは懐かしい上野周辺を散策した。
 不忍池

 これも
 時間も十分あるので8kmを歩く事にする。
 スマホのナビゲーションがあるのですごく便利だ。
 途中で昼食を摂るのに中華料理店に入った。
 女性店員が何か言っているが分からない。
 中国語?
 この店の全員が中国語だった。
 何とかメニュー表から焼きそばを選んで注文した。
 夕方、ねぶた仲間のじんべさんと会い、スィーツを奢って貰った。
 彼も私もお酒を飲まない。
 地平線会議の報告はサバイバル登山家の服部さん。
 食料を持たずに山に入り、岩魚、カエル、蛇、山菜を獲って食料にする。
 これは私にとっては全く無理だ。
 終わった後の2次会に参加した。
 隣に「自遊旅」に泊まった玲さん、向かいに山田淳さんの奥さん。
 左に亜美さんとなった。
 美味しい食事で盛り上がった。
 終了後は新宿野宿は行われず、漢塾(おとこじゅく)に行く。
 私は初めてだったが、ねぶたで顔を知っている大将がいた。
 全部で12名が入ったので超過密状態。
 えりさんとヨッシーのテンションが上がり、飲み過ぎてダウン。
 ダウンした二人
 朝の4時まで宴は続き、その後寝袋で寝る。
1月24日(木)函館出発
 自宅の桔梗からフェリーターミナルに行くのはかなり不便だ。
 函館駅まで出てから行こうと思ったがバスが無い。
 五稜郭駅からもバスは無い。
 五稜郭駅まで電車で行ってそこから歩いて行くしかない。
 不便だな。
 まあ4km位なので歩いてフェリーターミナルに行く。
 このフェリーに乗船
 予定通り着いてフェリーに乗船した。
 歩き乗船の客は4人しか居ない。
 いつもは価格の安い青函フェリ―に乗っているが、今日は深夜バスとのセット料金なので、海峡フェリ−に乗る。
 流石に設備は綺麗で、格が違うと感じさせる。
 サロンを見る

 プロムナードデッキ
 スマホがあるので船内は退屈しないで済んだ。
 フェリーターミナルから深夜バスに乗る。
 私は初めての経験だ。
 途中3回くらいトイレタイムと運転手さんの交代が行われる。
 その度に目が覚めてしまう。
 結局はうつらうつらしているので寝たのかどうかははっきりしない。
 全く寝れて無いと思うのだが、時間が結構経過しているところを見ると、寝ている時間もあるのだ。
 トイレは1回しか行かなかった。
1月23日(水)健康サロン
 今年最初の健康サロン。
 引っ越したので車で30分掛るようになった。
 相変わらず30数人が集まってくる。
 お年寄りにとっては大変な楽しみだそうだ。
 行ったら新聞に出ていたよよみんなに言われた。
 資料を欲しいと言う方もいたので、次回には持参する事にした。
 中でもSさんは講演に来てくれるし本も買って頂いている。
 有難い。
 今日のストレッチは妻がリーダーでやった。
 右が妻
 間違わないでしっかりやっていた。
 声を出すことで元気になるので大いにやって欲しい。
 昼食を食べて、帰りは色々な用事を済ませる。
 今日は酢豚ならぬ酢鶏
 市役所に行って妻のバスと電車のチケットを購入。
 70歳になったので、半額になるのだ。
 他の用事も済ませ、これで東京に行く事が出来る。
 家に帰ってスマホからブログに投稿テストしようとしたら、撮った写真がりサイズ出来ない。
 慌てて、アプリを入れてブログの準備も出来た。
 私のバックパックに詰めるのは明日にやろう。
 
1月22日(火)原口佐々木氏に会う
 原口の佐々木氏は高齢のため、冬期には息子の家で世話になっている。
 彼から電話が来て会いたいと言うので出かける。
 親戚と友人が来ていた。
 原口の桜松街道に建てる木碑についての打ち合わせだった。
 この度、桜松街道の取り組みが内閣府により表彰された記念に建てようと言う事だ。
 デザインなどを決めて、製作に取りかかる事になった。
 行政を動かし、太い丸太も手に入れ、彫刻を掘る人も頼むなど、大変な準備がいるのだ。
 建てた後は祝賀パーティもやる。
 80歳を過ぎているのに、前向きに取り組む事に感心する。
 その彼は数年前脳梗塞で倒れた。
 自分としては、もう人生は終わったと考えたようだ。
 療養をして初めての外出が許可された時にゲストハウス「自遊旅」に来たのだ。
 息子夫婦と子供が一緒に来た。
 歩けないので車から出る事は出来なかった。
 私の手をしっかり握り、力を貰いたいと言われた。
 自分としては何も出来ないが、「夢をあきらめないで」と書いた色紙を送った。
 それを見て頑張ろうとなったそうである。
 その後必死にリハビリ―を続け、歩けるようになり、春から秋は原口で一人暮らしが出来るまでになった。
 そして残っていた新しい夢に取り組んでいる。
 凄い気力に自分も負けてはならないと思うこの頃だ。
 今日伺ってむしろ元気付けられた様だ。
 元気な佐々木氏

 函館新聞に二股口台場の記事が載った。
 しっかりした取材に感激。
 マップまで載せてくれた。

 後は講演の準備だが、明日から東京に行って、帰るのは31日なので慌ただしくなる
 スライドはほぼ出来たので移動中に原稿を覚えよう。
1月21日(月)部屋の片づけ
 今日の予定が明日になったので、今日は部屋の片づけをした。
 毎日書類を読み漁っているので、どんどん書類が増えて来る。
 整理をしていたら七重学校の卒業記念誌に次の記事が載っていた。
 昨日行った庄司山コース途中の塹壕近くだが、まだ有りそうな事が書かれている。
 ますます興味が湧く。

 山歩きの記録などをブログに載せたいが、結構面倒な事をやっている。
 スマホで取ったデータをPCに送り、Googleの地図で開いて、それをコピーしてブログに載せていた。
 何か良い方法が無いかなと調べていたら、スマホの画面をスクリーンキャッチ出来る事が分かった。
 ワンタッチで画像になり、それをメールでPCに送って画像をブログに張り付ければ良い。
 これで簡単にスマホの画面が何でも張りつけ出来る。
 これは便利だ。
 航空写真

 地形図
 他にヤフー地図やグーグル地図でも表示できる。
1月20日(日)雪中を散策
 なかなか溶けない屋根の塊

 東京行きの準備をしているが、荷物が多くて45リットルのバックパックに入らない。
 新宿野宿の用品と結婚式用の衣類があるのが原因だ。
 果たして地平線会議の後の新宿野宿は、今も行われているのか?
 最近は参加者も少ないと聞くが、一応用意だけはして行く。
 仕方が無く一部の良荷物を、野宿と結婚式が終えた後にお世話になる、宿泊先に送ることにした。
 
 先日、新選組作家の釣洋一さんへ「二股口台場」の資料を送ったら電話が来た。
 良い資料だと凄く喜んでいた。
 見に行きたいがなかなか行けなくてと言っていた。
 彼ももう高齢なので歩くのは大変だと思う。
 いつも言っていたのは「歴史を語るには裏付けが必要」と言っていた。
 憶測だけで歴史を語っては駄目だと言う事が彼の持論だ。
 そのため彼は相当数の古文書を集め、それらを裏付けとしている。
 「今日新人物往来社の編集長に会うから持って行って見せるよ」と言ってくれた。
 多くの人に知って貰いたいので嬉しい。

 午後になって妻が近くの友人宅に行ってお話しをしてくると言うので、送って行くついでに庄司山の麓まで散策する事にした。
 庄司山の西にある尾根を行くコースはまだ歩いた事は無いのでそこを散策する。
 今日のコース
 農道を車で入って行ったが、前回雪で行けなかった道がすっかり除雪されていた。
 スノーシューを付けて歩く。
 一度近くを散策しているので道は直ぐに分かる。
 1週間くらい前に誰かが歩いたスノーシューの跡があった。
 誰かの跡
 しばらく歩いていたら、あれ〜となった。
 何だこの溝は・・・塹壕らしい雰囲気だ。
 これが窪み
 さらに登って行くとまた出て来る。
 まだある
 北の斜面を覗いたら斜面の所々にも塹壕らしき窪みが見える。
 長い塹壕が多い。
 峠下の庚申塚裏にある新政府軍が作った、塹壕も長さが100m位あり似ている。
 旧幕府軍はフランス軍人の指導で作っているが、長い塹壕と言うのは作っていない。
 こうなれば気持ちはすっかり塹壕散策になった。
 それでも一応は庄司山の麓までは行った。
 大蒜沢コースから来る登山者のスノーシューの跡で、すっかり雪が固められていた。
 今日は4時を過ぎているので登山はしないで戻る・・と言うか・・塹壕が気になる。
 戻る途中の左側に小高い丘があり、そこに続く道らしい跡がある。
 何となく道らしかった
 登ると直ぐに塹壕らしい深い窪みがある。
 さらに登って丘の上まで出たら、直径10m×3m位の窪みがあった。
 何だろう?
 大きな窪みがあった
 V字型の溝もあり、弾薬庫らしい雰囲気ではある。
 ふと南側を見たら五稜郭が見えた。
 意外と近いのだ。
 丘から五稜郭が見える
 再び塹壕を探しながら登山道を下った。
 まだある
 春になったらまた調査に来て見よう。
 大きな斬り通しもある

 函館市街地が綺麗

 影と足跡
 (家に帰って地図を見たら、箱館戦争の激戦地であった一本栗神社から近い事が分かった)
 函館市街地が綺麗に見えた。
 
 夕方、友人が来て80枚くらいの2万5千分の1の地形図を持って来た。
 現在の国土地理院の地形図に書かれていない道があったりする。
 山歩き専門の会社のマップなので貴重だ。
 今は地形図から消えてしまった、総電線もしっかり書かれている。
 これを見てしばらくは楽しめそうだ。
 貴重なマップ
1月19日(土)見学・講演・打ち合わせ
 新聞に七飯町歴史館で、古い村の地図を展示していると言うので、早速見に行く。
 食材を買いたいと言う妻も同行だ。
 ガラスの中の展示なので、細部がなかなか見えない。
 仕方がなく、望遠にして細部を撮りまくる。
 峠下は箱館戦争の初戦の場所であり、難所の旧道、茅部峠などもある。
 歴史館内部

 大峠の文字も見える

 小沼峠もあった

 古図に書かれた家
 上の絵は大きな絵図の端に書かれたものだが、宮崎旅館ではないだろうか。
 イギリス人イザベラバードも明治の初期に泊まっている。
 屋根は藁ぶきだが、現在1枚残っている宮崎旅館(下写真)は屋根は藁ぶきで無くトタンの様に思える。
 家の手すりや内部の障子など凄く共通点がある。
 屋根だけを後年改修したように思われる。
 明治天皇も宿泊したので、その時に改修した事も考えられる。
 宮崎旅館

 写真に撮った地図はこれから詳細を見よう。
 旧道などが当時のコースで書かれていれば面白いのだ。
 相当数の写真を取って戻る。

 帰りに食材屋に寄るが、ここは商売をしている人が良く来る店なので、食材は業務用が多い。
 色々な食材が冷凍されており、これれは温めれば直ぐに店に出せる様になっている。
 店を出て都築農園に寄る。

 リンゴ500円で詰め放題だった。
 20個位入っただろか。
 少し傷ついたりした訳ありだが、味は変わらないので美味しかった。
 以前パネラーで一緒に出たお母さんが、入る筈と思って聞いたら本家だそうだ。
 ここは分家になるそうだ。
 本家は100年くらい前に、この地区に入植した古い移住者なのだ。

 公民館まで移動する。
 NHK大河ドラマで放映している「新島八重」のNHKセミナーを聞くためだ。
 講師は同志社大学の教授、吉海直人氏だった。
 人気らしく300名くらいが入場して大盛況だった。
 300名はいたかな
 NHK函館放送局開局80年記念で開催したのだが、偶然にも八重が亡くなって80年の年だった。
 新島襄は同志社大学を設立したので、同志社大学では襄の事は調べていたが、八重の事は余り調べていなかったそうだ。八重が再婚だった事もあったし、徳富蘆花が彼女を悪い女と評していたのも原因らしい。
 今回NHKが放映するのであらためて調べたそうだ。
 八重は13歳の時には60kgの米俵を4回も肩に乗せたり降ろしたり出来た力持ち。
 身長は155cmで当時の女性平均145cmを10cmも上回っていた。
 20歳で出石藩出身の川崎尚之助と結婚した。
 今回のドラマはこの川崎との話しが多いのではと言っていた。
 22歳のとき戊辰戦争が勃発。弟が鳥羽伏見の戦いで戦死。
 血の着いた着衣が送られて来た。
 弟の仇討と言う事で、弟の衣類を着て断髪し、弟の名の山本三郎で戦った。
 新式スペンサー銃と刀を持ち、腰に100発の銃弾を付けていた。
 襄と知り合ったのは明治8年。
 アメリカ帰りの襄は宣教師ゴードンの玄関で靴を磨いていた襄に会う。
 その時は使われている下男かと思って声も掛けなかったそうだ。
 その後ゴートン夫人から襄を紹介される。
 さらに学校設立を協議をしていた植村正直から、細君を何処から迎えるのか?と聞かれた所、「亭主が東を向けと言われれば3年も東を向いている様な女性は嫌いだ」と言ったところ、良い女性がいると紹介されたのが八重だった。
 自分の女紅場で働いている八重はいろいろ問題提起して私を困らせている。
 この娘と結婚しないかとなり、結婚に至ります。
 カトリックの襄なので八重も洗礼を受けます。
 妻になった八重は夫を襄と呼び襄は八重さんと呼んだそうで、人力車はファストレディで先に乗る。
 ペアルックで歩いたり、別れる時は路上でキスしたりと、明治にあっては、全くあり得ない行動だったようだ。
 明治21年襄は医師から全治困難な心臓病である事を告げられます。
 八重は珍しく大泣きをしたそうです。
 その後八重は同志社から離れ、日赤で看護婦として日清戦争の時は陸軍予備病院で働きます。
 地位の低かった看護婦の地位向上に取り組み、40人の看護婦の取り締まりになり、渾身的な働きで勲七等宝冠章が授与されます。さらに日露戦争で勲六等が授与されます。
 昭和7年86歳で永眠と長寿命だった。
 右手に「日新館童史子調」左手に「聖書」を持って会津武士の魂とキリストの精神で生き抜いた女性でした。
 講演を聞いて改めて凄い女性が居た事を思い知らされた。

 終わってから高校のクラスの50年記念誌の発行打ち合わせ。
 面白そうな紙面になって来た。
 担任の先生が、当時の日誌やクラスの新聞などなど全てを今まで保管してくれていたのが大きい。
 先生の葛藤も書かれていた。
 大変な苦労をしていた様だ。
 工業高校の電気科なので担任は課の先生が多かったが、我々の担任は数学だ。
 そこで電気科の先生たちとの間で色々な事があったそうだ。
 担任は一般教養なので、他の職員室に居たが、いつの時期が電気科の職員室に移動して来た。
 これが先生の出した結論だった。
 もう50年前と言う事で先生も当時の事全て手記にしてくれた。
 記念誌はストリーが上手く出来ていて、入学〜卒業までが上手くレイアウトされている。
 流石にNHKに就職した、クラスでも優秀だったK君だなと思う。
 今年の暮れまでには発行する。

 帰り際、A君が二股口台場の下二股川の中に橋脚らしい丸太があるが見たかと言われた。
 場所を聞いたら下二股川の江差側のだった。
 ここは行っていなかったな。
 そちら側には何も無いと思っていた。
 彼は北電で保線の仕事をしていたので、旧道が保線路になっている事もあるので道は良く知っている。
 保線路の書いた地形図は無いかと言ったらあるそうだ。
 社外秘では無いから上げるよと言われた。
 今度必要な個所を貰おう。
1月18日(金)当別丸山登山ルート調査
 今日のルート
 風邪も殆ど良くなったので、山に行く事になった。
 今日の最高気温はマイナス6.9度と寒いが、天気予報は曇りだった。
 快晴の中、自宅を出る。
 途中同行の2人を乗せて三石に向かう。
 今日は新しいルートの調査で、頂上までは行けないかも知れないと言ってある。
 それでもスノーシューで山の中を歩くのは気持ちが良いだろう。
 途中ギャラリー「日の出」に寄る。
 ここの上田夫妻は埼玉からの移住で、ギャラリーを開いている。
 見るのは無料で、自分たちの絵などを展示している。
 私の講演にも来て頂いている。
 相変わらず元気なお母さんが出て来た。
 中に入ってコーヒーでもと言われたが、暖かい部屋の中に入ると出るのが辛くなりそうだ。
 早く下山したら寄ると言う事で、さらに車を上に走らせる。
 上水場に車を置いてスノーシューで出発。
 牧場なのか広大な雪原が広がっている。
 お日様も出て気持ちが良い。
 後ろは当別丸山

 頂上は遠い
 杉林に到着。
 この中を突っ切って行く。
 まゆだまのようだ
 斜度は徐々に増してくる。
 天候も吹雪いたり、晴れたりと変化が多い。
 尾根に出ると風が冷たい。
 多分マイナス7度くらいはあるのだろう。
 さらに高度上げて行く。
 尾根を登る
 この辺りからスノーシューでは厳しくなった。
 苦労して登っても直ぐに滑り落ち、なかなか前に進まない。
 かんじきが良かったな。
 M子さんはかんじきタイプなので登って行く。
 少し平坦な場所まで来て撤退を決める。
 撤退を決めた
 この先はかなりの急斜面になるので、スノーシューでは全く無理だろう。
 頂上まで後2kmはある。
 ここは春の残雪期には良いコースになる事を確認出来て良かった。
 皆で春にまた来ようとなった。
 杉の木から雪が飛んだ

 津軽海峡が眩しい
 下りはすいすい降りてあっという間に上水場に着いた。
 風邪で10日間も家にいたので、久しぶりの登山は少し疲れた。
1月17日(木)図書館で執筆
 風邪の具合も良くなってきたので、図書館に行く。
 いつもの北斗市カナディールだ。
 暖房は勿論、駐車場は何時間でも無料だ。
 今日はパソコンブースに高校生が2人いた。
 受験を控えているのだろう。
 ちらちらと目に入るが、男の子は少し教科書を見ては、スマホをいじっている。
 これじゃなかなか勉強にならないが大丈夫かな?

 今日の分の執筆を終えて、丸山を眺めに行く。
 今度登りたいと思っているコースを机上で調べたが、今日は天気も良いので見に行く。
 冬なので車がどこまでは入れるのか調べなくてはならない。
 最初に行った場所は1台置くスペースがあったが、建物の前なのでどうかな?
 もう一つの場所は道路が広く空きスペースもあった。
 当別丸山
 しかし先程の場所より下になるので、山への距離は長くなる。
 まあいずれかに決めて今度登ろう。

 夕方温泉に行った帰り、原口の佐々木さんから、北海道新聞の夕刊を見たらしく、相変わらず頑張っているねとの電話が入った。
 今年の春、郵政省から発行される事になった、記念切手の件で話したいと言うので、来週行くよと答えた。
 家に帰ったら、夕刊に記事が載っていた。

 函館新聞の取材が1日早かったのだが北海道新聞が先に出た。
 多くの人に「二股口台場」がある事を知って貰いたい。
1月16日(水)北海道新聞の取材
 今日は穏やかな天気になった。
 午前中に北海道新聞の取材を受ける。
 これで今回の「二股口台場」の取材は終わりになる。
 一通り説明して、記事も纏まった所で雑談になる。
 台場山を現地取材した人が居ないと言う話しをしたら、是非取材したいとなった。
 どうやら山が好きなようである。
 この様な記者が居れば、この台場山の塹壕巡りは難しくないので、良い記事が書けると思う。
 やはり現場を見て貰って古文書などを見ると一層実感が湧いてくる。
 時期的には残雪期が良いので、その時に連絡する事になった。
 今後も色々な事を新聞で発信してくれるそうなので、大いに記事を頼んで行こう。
 何かを動かすためには新聞報道はアピール度が高い。
 新聞各社やラジオ局、テレビ局さらには雑誌などは、各社の新聞記事をかなりチエックしている。
 そこから新たな展開に至る事が多い。
 風邪の方は、かなり良くなっている。
 もう少しなのだが・・・。

 午後から道南の旧道の執筆をする。
 これはまだ始まった所で、半年は掛るかな。
 旧山道もなかなか面白い歴史があり、どんどんページ数が増していく。
 昨日、知内の一ノ渡を流れる知内川を歩いた旅人の紀行文を読んでいた。
 面白い事実が分かった。
 北海道新聞の報道
 福島の笹島さんが橋脚を発見したのだが、時代が分からないと言う。
 下の写真の様にボルトが使われている。
 実はこのボルトと同じ様なボルトを増毛山道で見つけて来て、増毛山道山の会の方の許可を受けて持ちかえって来た。まだ現地比較はしていないが似ている。
 増毛山道の橋は今から150年前になる。
 ボルトも残っている。
 下の絵は平尾魯遷の「箱館紀行」に書かれた絵で立派な橋が掛っている。
 橋の絵
 彼の紀行文(1855)に依れば、「大木を以て橋を架せり」と書いてある。
 これは158年前だ。
 翌年の1856年に書かれた「蝦夷行程記」(阿部樂斎)は「歩行渡りにて大いにあやうし」と川を歩いて渡っている。翌翌年の1857年の罕有日記(森一馬)の紀行文は舟渡しであった。
 それ以前の1799年の蝦夷蓋開日記(谷元旦)には舟渡しとなっている。
 この事から、1799年には舟渡しが行われていたが、1855年には橋が出来たので、舟渡しは無くなった。
 その橋が何らかの原因で流出したのであろう。
 橋が無くなったので1856年には渡渉している。
 その後は橋は再び出来る事は無くて、再び舟渡しになったのだろう。
 故に橋は158年前になる。
 増毛山道から持って来たボルトは150年前の物。
 似ていればこの時代のボルトだと言う事が言える。
 たった橋一つの事でも、古文書を開けば色々な事が推理できる。
 だから歴史は面白い。
1月15日(火)函館新聞取材
 テレビは朝から東京の大雪の報道ばかりだ。
 都会は雪には弱いと言うのはつくづく感じる。
 友人にメールしたら子供が喜んで雪遊びしているそうだ。
 喜ぶのは子供と犬などの動物か・・動物園の白熊も喜んでいたな。

 フェリー&高速バスの料金支払いに行く。 
 扱っているのはローソンチケットだが、予約番号を入れてもありませんとしか出てこない。
 レジにお姉さんに頼んだが、いくらやってもありませんだった。
 お姉さんがチケット販売器から電話したら、予約番号の頭にBUSを入れると言う。
 そんなの弘南バスで言って無かったぞ!
 BUSの後に予約番号を入れたら、画面に出て来た。
 OKを押したらレシートが出て来た。
 支払って乗車券を貰い、帰りに灯油を入れようとガソリンスタンドに行ったら、故障中だった。
 同じ会社の他のスタンドで入れる。
 86.8円/Lだった。
 札幌では配達灯油が100円/Lに近くなっている。
 円安の影響が出ているそうだが、価格が上がるのは敏感だ。
 
 午後から函館新聞社の取材を受ける。
 1時間半、色々な話しをした。
 今週中には新聞に掲載される。
 その後、北海道新聞からも取材依頼が来て、明日に取材する事になった。
 多くの人に二股口台場を知って貰いたい。
 風邪もかなり良くなった。
 後少しだ。
1月14日(月)良い兆し
 昨夜は咳も出なく安眠が出来たので、体調は良くなってきた。
 それでも安静が良いかと、布団に入って本を読んだり、地図ロイドで山の計画を練ったりする。
 枕元は本の山
 登山道が無く夏には行けない山は冬に限る。
 地形図からコースを決めて、5コースのトラックログを作った。
 後は山に行った時に「山旅ロガ―」が案内してくれる。

 次に東京行きのフェリーと高速バスの予約をする。
 これで行くぞ!
 最安値のフェリーと高速津軽号のセットで片道6500円だ、
 運航は弘南バスなのだが、ここのシステムは変わっている。
 フェリーとパンダ号のセットは楽天のラベルが予約を受けている。
 こちらのバスは3列シートで8800円だ。
 私の乗る方はインターネット予約は出来ないので電話だ。
 同じ会社の運航なのに何故なんだろう。
 弘南バスに電話したら予約が取れた。
 支払いはローソンチケットだった。

 夕方体調も良くなって来たので、BEPALを買いに生協に行く。
 先日貰った全国共通図書券があった。
 レジに持って行ったら、図書券は使えませんだった。
 折角会に行ったのに・・・。
 落ち込む。
1月13日(日)今日も安静
 昨日は体調も良くなってきたので風呂に入った。
 風邪を引いたら風呂に入れば悪化すると言うのが今までの私であった。
 しかしもう大丈夫だろうと風呂に入った。
 6日ぶりの風呂だった。
 体も温まったので、良くなるだろうと思いつつ布団に入った。
 少しして咳が出て来た。
 それが連続して出てきて、なかなか止まらない。
 結局眠れないままに朝を迎えた。
 完全に寝不足で、歩いていてもふらふらする。
 それでも道南の旧道を執筆していた。
 しかしパソコンをやると、凄く疲れる。
 結局はパソコンも止め、横になってTVを見て過ごす。
 都道府県対抗女子駅伝とSTVカップジャンプを見る。
 女子駅伝は北海道は全く後方だった。
 STVカップは40歳の葛西が優勝した。
 凄い頑張りだ。
 大分咳も収まって来たので、明日は少しは良くなるかな?
1月12日(土)なかなか治らず
 風邪がなかなか治ってくれない。
 いい加減厭になって来た。
 少しづつしか良くならない。
 もう歳のせいなのだろうか?
 それなのに朝から雪かきになった。
 函館市も除雪予算を使い果たしたそうだ。
 まだ1月中なのにどうするんだと雪を恨みたくなる。
 午前中に、新選組作家の釣洋一さんに送る書類を書いて、函館市の生涯教育講師の再登録をしたりと、雑用に追われていた。
 完成して歩いて郵便局に行く。
 少し良くなってきたので歩いたのだが、やはり外は気持ちが良い。
 郵便局到着。
 あれ〜が〜ん!!
 今日は土曜日で休みだ。
 やはり風邪の影響か?

 東京での結婚式行きも後、10日になったがまだ何も準備はしていない。
 今日、地平線会議のHPを見たら、1月の報告顔は私の聞きたかった内容だった。
 報告者はサバイバル登山家の服部文祥さんだった。
 これは絶対に聞かなくてはならない。
 服部文祥さんは、古文書から昔の人が通った道を探し求めている方だ。
 スケールは全く違うが、活動的には同じなのだ。
 私のファイルには彼の記事が入っている。
 「消えた道を辿って鹿島槍へ」だ。
 天保・嘉永などの江戸後期の古文書から、現在その道がどうなっているか探し求めた。
 山の中を何泊もしながら道を辿っている。
 食事は全て現地調達している。
 200年も眠っていた旧道を探しだし、そして鹿島槍の山頂に立っている。
 食事は現地で調達

 全て古文書と一致する

 格好が良いな

 キノコも調達

 古文書通り川も渡る
 今回の地平線会議は講演を聞くのが楽しみだ。
 以前から彼の活動を知りたかったし、私の活動を知っている仲間は、彼の記事を送ってくれていた。
 彼の講演から色々なノウハウが聞けるだろう。
1月11日(金)雑用に追われる
 妻を病院に送る。
 市街地の病院なので途中の道路は混んでいた。
 風邪の方は大分良くなってきた。
 後、2〜3日には治るだろう。
 早く山に行きたい。

 家に戻り、パソコンで仕事をする。
 「二股口台場」の資料に訂正個所があり、これを直して完成させる。
 意外と時間がかかった。

 夕方再び渋滞の道を妻を迎えに行く。
 それにしても病院は凄い時間が掛る。
 もう一日仕事みたいなものだ。
 もっと効率よく診れないのかな?
 
 北斗市や函館市の図書館、道立図書館に資料を配布する事と、新選組作家釣洋一さんにも送る作業がまだ残っている。
 明日やろう。
1月10日(木)ぶんぽ研例会
 今年初めてのぶんぽ研例会の日。
 朝10時少し前に家を出て会場の公民館に向かったが、駐車場には車が一台も居ない。
 そうだ今日は午後の開催だった。
 早速、郷土資料館に向かう。
 先日借りた本を返し、講演の打ち合わせをして、その後昼まで本を読んだ。
 最近は目新しい事がらも少なくなった。
 昼は近くのスーパー魚長に行く。
 ここは弁当を購入すれば暖かい味噌汁が付いてくる。
 寒い日には最高だ。
 食後、例会に行ったら、新聞社の取材が来ていた。
 何を取材するのかな?
 新年初めての例会だからなのかな?
 報告で面白かったのは、大野小学校の先生が取り組んでいる、「ナイトミュージアムin北斗郷土資料館」だった。
 身近な題材をテーマにショートミュージカルを行っている。
 子供達の生き生きとした様子がDVDを通して分かる。
 5種類のミュージカルの紹介があったが、大まかなストリーは先生が作成し、後は子供達が好きなように変えているようだ。
  子供達の自主性が出て良い取り組みだなと思う。
 
 私の講演日程が間違って掲載されたので、少し大変な事になった。
 会員に配布する、ぶんぽ研会報にも間違った日付が載っているのだ。
 う〜ん困ったな。
 郷土資料館に対処して貰うしかない。
 取材に来た函館新聞の記者も講演を新聞に掲載する予定だったようだ。
 これは何とか間に合った。
 帰り際、函館新聞の記者が別件で「二股口台場」について取材したいとなり、15日を取材日にする。
 山にも誘われているが、風邪がまだすっきりしない。
 早く山に行きたいな。
1月9日(水)今日も静かに
 今日も風邪が治っていない。
 函館山山道ナイトウォークは不参加にした。
 講演会で販売する事になった「二股口台場」の資料をコピーする。
 取り敢えずは今日は25部作った。
 前回の講演では60名くらい来たが、今回はどうだろう?
 作り過ぎると余るし、少ないと欲しい人には申し訳ないし・・・。
 迷う所だ。
 25部完成

 手を休めてテレビのスイッチを入れたら、ケーブルテレビで元未来大学鈴木教授の「函館学」の講演が入っていた。
 2006年に行われたものだった。
 鈴木教授
 鈴木教授とは色々な付き合いがあり、ゲストハウス「自遊旅」にも学生を連れて2回来てくれた。
 その時の取材が、コミニテイ誌の第1号で私が掲載された。
 その時、私の肩書きを「歴史の旅人」としたのだが、気に入って今でも使っている。
 その後も、箱館戦争DVDの語り部に出たり、函館開港フォーラムのパネラーに呼ばれたりと、何かと付き合いがあった。懐かしい。
 函館開港フォーラムで
 今は退職してオンデマンド書店(1冊単位で本を製作する)を経営している。
 懐かしくてずっと最後まで聞いていた。

 1月末に旅人の結婚式で東京に行くが、宿泊する場所が決まった。
 1月20日から1月31日まで11日間、1軒家が空いているから使って良いとなった。
 広い家なので十分すぎる。
 地平線会議が1月25日に新宿スポーツセンターであるので、それに出席して2次会に参加し、その後は恒例の新宿野宿になるのか?
 行来たい所があれば、1軒家を起点にして何処かに行けるのだが、都会はあまり知らないので何処に行って良いか分からない。
 まだ時間があるので、ゆっくり考えて見よう。
 フェリ-とバスで行けば東京まで片道6500円で、飛行機はシルバー割引で片道1万2千円になる。
 どちらにするかな?
1月8日(火)風邪だ!
 昨日は七草粥を食べ、どんど焼きで無病息災を祈って来たのに、どうやら風邪を引いたようだ。
 喉が痛い。
 喉薬を付けて早く寝た。
 でも今日はやる事はある。
 講演の日にちを確認しなくてはならない。
 郷土資料館に行き、講演の日時が違うので聞いたら、当初は1月26日だったが、その後2月2日に変えたのだが、担当者に伝わらず、広報に間違ったまま載ってしまったようだ。
 仕方が無いのでポスターで変更を知らせ様となった。
 執筆した「二股口台場」は1冊郷土資料館に置く事にした。
 他に北斗市の図書館にも置く予定だ。
 講演の際にもインク代程度を出して貰い、販売する事が決まった。
 出来るだけ多くの人に二股口台場を知って貰いたい。
 今回は30冊くらい印刷する予定。

 帰りに本を3冊借りてくる。
 借りて来た本
 布団に入って安静にして本でも読もう。
1月7日(月)どんど焼き
 今日の朝食は七草粥を食べる。
 最近は七草セットも売られているので便利になった。 
 その後、どんど焼きに行く。
 どんど焼きは全国的な行事で、小正月の1月15日に行われるのが一般的なのだが、函館では何故か1月7日に行なわれる。
 理由は定かでは無い。
 どこの神社にしようかなと考えたが、今回は亀田八幡宮に行く。
 流石に伝統のある神社は凄い混みようだった。
 金網に囲まれた中で赤々と正月飾りが燃えている。
 凄い勢いで燃えてる
 持ち込む際は、中味のチエックを受ける。
 ダイオキシンンが発生するのか、プラスチック類は燃やせない。
 燃やして貰い煙りを浴びて、無病息災を願う。
 その後、幕末に出来た神社の本殿で参拝する。
 立派な碑が建った
 昨年この場所に、「箱館戦争降伏式の地」の立派な石碑が建った。
 箱館戦争も明治2年に入り、遂に旧幕府軍が降伏する事になった。
 降伏の話し合いは、この亀田八幡宮近くの中村宅で行われた。
 その後、ここで誓いの式を行った。
 壁板には、箱館戦争の際の弾丸の跡が残っている事でも有名だ。
 神社の前には亀田川が流れていた。
 その川も現在は新川になって大森浜に流れている。
 名残かの様に神社の前には橋がある。
 亀田川があった名残なのか
 もちろん川は流れていない。

 友人からメールが入り、「北斗市の広報に講演の記事が載ったよ。1月26日になったんだ」
 え〜2月2日なのに・・・。

 打ち合わせもあるので北斗市の郷土資料館に行ったら、閉館中だった。
 まだ休み??
1月6日(日)北見に向けて出発
 2日から来ていた娘一家も今日北見に帰る。
 旦那さんは明日から出勤と言う、ハードスケジュールだ。
 荷物が多くて、持って行く積りだった釣り用品一式が入らず次回になった。
 今度会えるのは5月か6月かになるだろう。
 皆が帰った後は年寄2人になり静かになった。
 愛葵はご機嫌

 瑞葵と愛葵が中央部でママが後部

 友瑛は助手席だ
 外の除雪をして家に入ったら電話が来る。
 水筒を忘れたそうだ。
 食卓にしっかり上がっていた。
 それに愛葵の長靴も残っていた。
 まあ毎度の事だからまたか?程度だ。
 しばらくしたら戻って来て、再びサヨナラのコールをして車は去った。

 子供が居なくなると本当に静かな世界だ。
 老夫婦二人だといつもこうなる。
 午後から工具を置いていた部屋の片づけを行う。
 後はする事も無くまったりしていた。
1月5日(土)あちこち回る
 天気が良かったので、午前中に瑞葵のスキー練習。
 取り敢えず歩く事が出来るまで行う。
 恐る恐るだ

 まだ直ぐ転ぶ
 釧路に居た時はスキーの授業は無かったので、久しぶりのスキーだ。
 ワックスを十分に塗ったので良く滑る。
 歩くのは大変だが、少しずつ歩いてまあまあの感じで終了。

 その後はあちこちを車で回る。
 まずは北海道マイホームセンターに行き家を見る。
 そろそろ家を建てる事を検討するようだ。
 兎に角立派な家ばかりで目を見張る。
 坪70万円もするようだ。
 暖房システムも良いので暖かくて言う事無いが、維持費はどうなのか気になる。
 若い時に建てた我が家は、バブルの前の年だったので30坪で370万円。
 坪10万円少しだった。
 キッズコーナーもある

 ぱんだまんじゅう
 消費税値上げが控えているので、駆け込み需要が多いようだ。
 家を見学すると至れり尽くせりだ。
 コーヒーやお菓子などを沢山出され、お腹はじゃぼじゃぼだ。
 抽選で娘は讃岐うどんセットをゲット。
 他に福袋やお菓子セットなども貰った。
 自分的には積水ハイムが気に入ったが・・高いらしい。
 私もアンケートを書いて図書券を頂いた。
 
 帰り道妻の友人の家に行きシカ肉を貰い、妻の誕生日用のケーキを買い、衣料品安売りのげんたろうに寄る。
 げんたろうは年賀状の数字で、割引になる。
 4割引と3割引きがそれぞれ2枚当たっていた。
 私は結婚式に履いて行く靴を4割引で買う。
 孫達は妻の誕生日の祝い品を買う。

 夕方から妻の誕生日会。
 本当は7日になのだが、いつも孫達が帰る前にやる。
 70歳を迎えたが、何か目標を持って貰いたい。
 少しでも充実した老後を送るために・・。
 パーティは手巻きすしだった。


 孫と一緒に

 今日のケーキ

 ハッピバ-スディ♪

 イエ〜

 僕も撮って
 子供達も大人も大いに食べ、最後はケーキを食べて終了。
 今日は随分食べた日だった。
1月4日(金)孫滞在3日目
 今朝も除雪。
 今年は随分雪が降る。
 今年は良く降るな
 朝1番に友瑛とドライブをする。
 ゲストハウスに釣り道具一式を取りに行く。
 釣りは全くやる暇が無く、今後も無いだろうと思っていた。
 リサイクルショップに出しても、僅かな金額しかならないので取っておいた。
 娘一家が釣りが出来る様になったと言うので、全て持って行って貰う事にした。
 友瑛とじゃだれを連発して、笑いながらゲストハウスに着いた。
 除雪していないので積もった雪を取り除いて、家の中に入り持って来た。
 帰りに北斗市の図書館と教育委員会に寄る。
 行く途中の国道は猛吹雪で、皆ライトを点けて走行。
 片側2車線も1車線になっている。
 除雪した雪の中に突っ込んだ車もいた。
 図書館に行ったら休館だった。
 まあ本は返却ボックスがあるので、そこに入れれば良い。
 教育委員会に行きたかったがまだ閉まっていた。
 殆どの官庁は今日から初仕事なのに・・。
 先日書いて提出した「二股口台場」の資料に誤字があったので交換したかった。
 仕方がなく、同じ会に所属している、近くに住むKさんに、明日でも持って行ってくれるようお願いする。
 帰り際、会津に住む親戚が「二股口台場」の書いたのが欲しいが、2月2日の「二股口台場」の講演には来れないので、譲って欲しいと言われた。
 多くの人に「二股口台場」知って貰いたいので、今後資料を配布してPRをして行かなければならない。
 幾らの価格にすればいいのか?
 インク代と紙代とクリップが必要だが、カラー写真が多いので、インクに一番お金が掛る。
 300円から500円の間くらいかな?
 何れ決めなくては。
 帰り際、友瑛は柿を貰った。
 その場では「有難う」と言っていたが、「僕は柿が嫌いなんだ。でもパパやママや瑞葵と愛葵が好きなんで良かった」と言っていた。
 家に帰ったら柿を持って車から降り「貰ったよ!」とママに渡した。
 愛葵も可愛くなった

 友瑛はひょうきん者

 瑞葵はお姉ちゃんになった

 夕方、上磯ダイエーに行き、瑞葵の冬休みの工作キットを購入。
 凄い人出だったが、兎に角ゲームコーナーの子供達が多い。
 人出は多かった
 私はゲームはさせないので、子供もやりたいとは言わない。
 でもママから食材を買う間ゲームを少ししなさいと言われゲームが出来た。

 (寝ていても何処に行く?と聞けば指を指すのが面白い)

 その後七重浜の湯に行く。
 高濃度炭酸風呂が人気で混んでいるそうだが・・。
 車は相当混んでいた。
 でもラッキーに玄関の直ぐ傍が空いていた。
 高濃度炭酸風呂には直ぐに入れた。
 5分もしたら汗が出て来る。
 普通の温泉より汗が多く出る感じだ。
 その後も、各種の風呂に入って満足。
 この温泉は以前はプールとセットで1500円位だった。
 高いので温泉目的で来た事は無かった。
 今回リニューアルして温泉とプールを分けたので入り易くなった。
 400円で、シャンプーも付いているし、無料休憩場、仮眠室まである。
 マンが本も棚にびっしりある。
 人気のイカ―ル星人

 新聞も豊富
 勿論レストランもあり、意外と良いかも知れない。
1月3日(木)そり滑り
 朝起きたら雪が25cmくらい積もっていた。
 早速の雪かきだ。
 それにしても今年は随分と雪が降る。
 近所も総出で雪かきになった。
 でも男性は私一人なのだ、両隣の家は母と娘が除雪をする。
 旦那さんは既に亡くなっているので女性ばかり。
 斜め向かいの家も母と娘で、旦那は既に亡くなっている。
 そんな環境の中に引っ越したのだ。
 雪が降るお陰で滑り台はますます高くなった。
 朝食後そり滑りをする。
 最初はスピードもまあまあだったが、徐々に踏み固められてスピードが出るようになった。
 一番下の愛葵も大喜びだった。
 この分だと毎日そり滑りだ。
 ママと友瑛

 ママと愛葵

 瑞葵

 ばあちゃんと愛葵

 愛葵


 友瑛が失敗
 午後もそり滑りをしてから温泉に行く。
 友瑛はいつもパパと一緒に入って出て来るのだが、パパは長湯が駄目なので直ぐに上がってくる。
 北見に行った時、友瑛と二人で温泉に行った事がある。
 友瑛は実は温泉好きなのだった。
 幾ら入っても大丈夫なのだ。
 その時の事を覚えているのか友瑛が「今日は体を洗って貰うまでパパと入り、その後はじぃじと入る」と言う。
 予定通りパパが体を洗って風呂から上がった後、友瑛と随分遊んだ。
 着替えも全て自分でやるので手が掛らなくなった。
 子供はどんどん成長する。
1月2日(水)孫達がやってくる
 今日も朝から除雪。
 最近は雪が良く降るので毎日除雪をしている。
 お陰で孫達用の滑り台の製作がどんどん捗る。
 今日は転倒防止の囲いを付けた。
 コンクリートフェンスより滑り台が高くなった。

 孫達が登別を出発したとの連絡が来たので、その前にウォーキングに行く。
 先日購入した冬靴のテストを兼ねるためと庄司山への道探し。
 最初に入った道は1車線でどこまで行けるかなと入ったら、前に車が居て駄目だった。
 ずっとバックで戻って来たので首が疲れた。
 次に坂口氏が登っている、仮称南西尾根ルートを探す。
 入った道は舗装された農道が高台まで登っていて、車が1台通っていた。
 その道の途中の端に駐車スペースがあったので止めて歩く。
 見渡す限り真っ白の世界だった。
 白一色なのでAFが決まらずしばらく動いていた。
 真っ白の世界
 畑か牧草地なのであろう。
 最初は靴を試すためつぼ足で歩く。
 靴の上にはスパッツも履いた。
 向かいには庄司山が見える。
 庄司山が霞んで見えた
 その方向に向かって歩く。
 しばらく歩いて、道を発見した。
 これが坂口氏のブログにある仮称南西尾根ルートの道だった。
 積雪は30cm位だったが歩きやすい。
 これが南西尾根ルート
 今度、時間がある時に来よう。
 道が分かったので引き返す。
 もう孫達が来る時間だ。
 帰りはスノーシューを履いて歩く。
 今回購入した靴の甲は固いのでしっかり締められる。
 今まで長靴だったのだが、スノーシューのバックルを締めると、軟いので直ぐに緩んだ。
 締めすぎると足が痛かったのであまり締められなかった。
 快調に歩いて車に戻る。
 靴は暖かいし、スノーシューにも良いし、これで冬はOKだ。
 家に着いたら丁度、登別からの車が着いた。

 愛葵は直ぐに両手を出して抱っこをせがむ。
 他の2人はもう大きくなったので、その様な事は無いので、抱っこするのは愛葵だけだ。
 愛葵だって後2〜3年もすれば抱っこする事は無くなるだろう。
 子供を抱っこ出来るのももう僅かだ。

 夕方函館空港に向かう。
 市街地に入ったら吹雪だった。
 今日、台湾在住の佳子が帰国するので見送りだ。
 空港に着いたが人は少ない。
 友瑛は愛葵が大好きだ

 瑞葵を入れて3人で
 まだ正月なので帰省ラッシュにはなっていないようだ。
 その内アナウンスで、滑走路の除雪に入るので、1時間程離発着はありませんとなる。
 国際線は放送が入らない。
 国際線は一度国内線の建屋を出て、隣接の建物なのだが、連絡路は除雪もしていない。
 積もった雪の中を歩く。
 随分サービスが悪い。
 こんな事で国際国路線の誘致が出来るのだろうか。
 ロビーも小さい。
 直ぐに登場手続きをするが、ここには発着遅れの時間表示が出ていない。
 係の人に聞いたら、連絡が来ないそうだ。
 国内線はボードに遅れの表示があちこちの便に出ている。
 みんな国内線優先なのか?
 取り敢えず乗せるようだが、いつ出発か分からないので、機内で待つそうだ。
 国際線を重視していないのかな?
 新規に航路を開設した、台湾直行便なのだが・・・。
 見送りが沢山だ

 にこやかに出発
 佳子は台湾に戻ったらまたアスリートの生活だ。
 40歳ママさんは頑張る。
1月1日(火)のんびり正月
昨日はNHKの紅白歌合戦を見て、行く年くる年を見た。
 いつもは初日の出登山などに行くので、最後まで見る事は無かった。
 だからNHKを最後まで見るのは久しぶりなのだ。
 私の好みの歌手は水森かおりだ。
 2009年に熊野古道をMTBで踏破をする事になった。
 たまたま途中のリサイクルショップで。熊野古道のCDが有ったので、ジャストタイミングとばかり購入した。
 その歌を聞きながら熊野古道を踏破したら、すっかり気に入った。
 他にもご当地ソングが沢山あり、自分の旅と重なる部分の地名が多い。
 そんな事からファンになってしまった。
 今日の衣装は凄い。
 凄い衣装だ
 小林幸子が居ないのでそのお株を奪うのか?といった衣装だった。
 紅白も終わり、行く年くる年になった。
 お寺や時神社からの中継があったのだが、北海道は稚内の宗谷岬だった。
 恒例のテントを張って初日の出を迎えるのだが、その中継に映ったのは我が「地平線会議野宿党」のメンバーだった。東京からバイクで来たのだ。
 すると党首の安東さんもきっと居たに違いない。
 彼は女満別から自転車で走ってくる筈だ。
 来年は是非行きたいな。
 それにしても猛吹雪で寒そうだった。
 安東党首はシベリアを自転車で横断したのだから寒さには強い。
 12月27日の「いきなり!黄金伝説」の審査員にも出ていたらしい。
 私も見ていたが半分寝ていたのか気が付かなかった。

 夜が明けてから三島神社に参拝に行く。
 三島神社

 火が暖かかった

 この木に触れば運が良い
 妻の実家は、いつもここの宮司さんのお世話になっている。
 参拝してから、おみくじを引く。
 何と「大吉」だった。
 これで2年連続の大吉だ。
 中味を見たら
 「初めは冬の枯れ木の様に葉は落ちて、花も無く淋しい事この上ない。」
 え〜これで大吉なの??
 でもその後に「その内に春となって花咲く如く」とある。
 どうやら後半が良いようだ。
 失物・・・出にくい 人に渡る
 旅行・・・利少なく帰途に注意
      結婚式で東京に行くのに・・・。
 商売・相場・出産・転居は関係ないので
 学問・・・安心して勉学せよ
 病気・・・傷買なし 信神せよ
 病気もしないから、安心して勉強せよか。
 
 そのまま妻のプレゼントを買いに行く。
 1月7日が誕生日なのだ。
 店に行ったら12時オープンだった。
 仕方がなく時間潰し。
 ゼビオスポーツに行く。
 冬靴が欲しかったので覗いてみた。
 全く同じデザインの靴でメーカー名が異なってある。
 値段を見たら4990円だった。
 まあこんな物だろうと思って、別のメーカーのを見たら2990円だ。
 何と同じものがメーカーの名前が違うだけで2000円も違うのだ。
 安い方には現品限りと書いてあり、1足しかない。
 サイズはぴったりの25cmだ。
 これが4990.円

 
 どこかおかしいのかなと何度見ても違わない。
 購入を決めた。
 暖かそうな靴だ。
 これをスノーシューに付けて使おう。
 家に帰ったら年賀状が来ていた。
 出していない方に直ぐに書居て送る。

 その後はバックパックの前側に付けるフロントバッグを加工した。
 ワンタッチで取り付け可能だ。
 これでフロントバッグも新しくなった。僅か400円で・・・。

 明日から孫達がやってくる。
 当面戦争だ!!
 HP TOP