3月31日(日)家の用事が・・
 今日は家の用事があるので、山にも行けない。
 親戚の子供が入学するのでお祝いを持って行かなくてはならない。

 朝は4時に起床してパソコンに向かう。
 少しキィを叩いていれば夜が明けて来る。
 「旧函舘山三十三観音コースとその歴史」を纏めているのだが、次々と面白い資料が出て来る。
 松浦武四郎が「蝦夷日誌巻之三」に結構詳しく書いているのも興味がある。
 伊能忠敬、渋江長伯も函館山は登っている。
 まとまれば面白い資料になりそうだ。

 午前中に入学祝いを持って行く。
 妻の妹も一緒に行くが、押しボタンを押しても誰も出てこない。
 車は2台あるので誰かいる筈だ。
 旦那さんに電話したら、奥さんに今日来る事を言うのを忘れたと言う。
 奥さんは昨日遅かったので、疲れていて久しぶりの日曜日をゆっくり寝ていた様だ。
 旦那さんからの電話でようやく起きて来た奥さんに、お祝いを渡して戻る。
 
 妹を家に送って行った際、最近山に行っていないので、行きたいというので、7日に当別丸山に行こうとなった。
 当日は大野の団体のイベントがある。
 ぶんぽ研の会員の方が役員をしている事もあり、案内書を送ってくれた。
 
 帰りに本屋に寄りファイターズの公式ブックも買って、テンションを上げて家に戻る。
 公式ブック
 高校野球も同時間帯に放映する。
 ファイターズと高校野球の小樽北照を交互に見る。
 北照は10対0で負け、ファイターズは5対2で負け。
 あ〜何と憂鬱な日なのだろう。
3月30日(土)休養日
 2日続けて山に行ったのと快晴の筈が雪が降っている。
 そんな事で今日は休養日になった。
 午前中は「いきいき健康サロン」の、25年度出欠表や食時の申し込み書などを作成する。
 パソコンを使えると言う事で何かと頼まれてしまう。
 これも仕方が無いのか?

 午後からはファイターズの試合を観戦する。
 我が家は夫婦揃って野球は必ず見る。
 野球が1番人気でその後にサッカーや他のスポーツが続く。
 野球がある時は、バラエティもドラマも全く見ない。
 開幕初戦で注目の大谷君が活躍したが、今日は今一つだった。
 やはりプロは甘くない。
 でも凄い選手である事は間違いないのだろう。
 でもTVカメラもベンチ内の大谷君を追い過ぎだ。
 今日は最終回に追い詰めたが、最後の一押しが無く敗退。

 これから我々夫婦も野球漬けの日々が始まる。
3月29日(金)金山の沢から設計山
 今日は設計山に行く。
 今日のルート
 鶉山道が毛無山を越えて尾根を縦走して、設計山を通っていたと、本願寺道路の調査をしていた人の書いた図がある。
 本人に聞けば良いのだろうが、千葉に移転して聞く事は出来ない。
 実際に歩いたかどうかも分からない。
 もしかして推測なのかもしれない・
 この道が実際に存在するのか調査に出かけた。
 中山橋の近くに車が止めるスペースがあったので駐車する。
 早速歩きだす。
 スノーシューは要らずに歩けるかもしれないので、ザックに付けてつぼ足で歩く。
 金山の沢から入る。
 雪解けも進んで春らしい雰囲気が出て来た。
 その勢であちこちに雪崩の跡が散見される。
 金山の沢は昭和43年まで砂金採りが行われていたのでその名がある。
 4〜5人が砂金を採っていた。
 その場所は何処にあるかわ分からない。
 昔の道は尾根に付いていると想定して、尾根に出る急斜面を登る。
 まだ斜面は凍って固い。
 アイゼンは持って来なかったが、スパイク長靴はしっかり雪を噛んでくれる。
 斜面には木が植えられているので、まだ安心感があるが、全く無ければ滑落が怖くて登れない斜面だろう。
 それにしても急だ。
 息があがる。
 ようやく平らな場所に着いた。
 ここで一息入れる。
 付近を見るが、道らしい跡は全く感じられない。
 植林して道は無くなったのかとも思うが、過去の経験からこれだけ表面が平らなので道は無さそうだ。
 最初の休憩地点
 地図を見たらまだ少ししか登っていない。
 さらに急斜面の尾根が眼前に控えている。
 さらに急斜面を登っていく。
 高度が一気に上がったので景色も良くなった。
 二股岳が見える
 景色も良くなって付近の山も見えて来る。
 天気が良いので絶景だ。
 ここからは少し緩やかになって来た。
 さらに尾根は続く。
 尾根は続く

 山並みが綺麗だ
 尾根が上になるにつれて雪屁が多くなってきた。
 左手は全て急斜面で、雪屁が張りだし、クラックが入っている。
 左手は大きく落ちている

 向かいの尾根
 向かい側の尾根にも雪崩の跡が見える。
 こんな感じがずっと続く
 さらにさらに尾根は続く。
 一度大きく鞍部に下る個所もあって、あ〜損したという気分。
 これは東方向
 これから向かう斜面は雪崩が起きそうな感じだ。
 行けるのだろうか?
 雪崩が起きそうな感じだ
 ずっと左は大きく落ち込んで、右は急斜面の尾根を行く。
 恐る恐るクラックを見る。 
 相当に深い。
 腰がへっぴり越しになっている。
 へっぴり腰だ

 長いクラック
 時々感じの良い雰囲気の尾根も出て来る。
 この辺りは青空も出ていて、良い感じの尾根だった。
 まだまだ尾根は続く

 良いな〜

 本当に長い尾根だ
 当別丸山が見えた。
 当別丸山
 尾根はまだまだ続く。

 その内、下が笹の斜面に来た。
 ずぶずぶと足は付け根まで埋まる。
 その連続でいい加減疲れて来る。
 左に寄れば雪屁だし、右は急斜面なのと埋まるので、スムースには行かない。
 そして前方には細尾根が出て来た。
 幅はそれ程無い。
 右も左も大きく落ち込んでいる。
 細尾根
 落ちたら数100メートルは行きそうだ。
 おまけに雪屁になっている。
 この先も道の進む方向が、細く大きく落ち込んでいて、どう見てもこれは危険だ。
 頂上まで後もう少しだが、安全第一でここで撤退する。
 結局山道らしい跡ははっきりと確認出来なかった。
 まだ雪が多いせいかも知れないので、雪が無くなってから調査した方が良いのかも。
 金山の沢に降りる山道は余りにも急なので、山道としてはあり得ない感じだ。
 毛無山への縦走路地点から設計山経由で中山峠へ行く道はあるかも知れない。
 函館のSさんのブログで、雪の無い時に道があると書かれている。
 帰路の景色の良い場所で昼食。
 風は強いが天気も良く最高だ。
 設計山山頂が見える
 今日は5.3kmで往復4時間22分の山行だった。
 まだ調査は続く。
3月28日(木)旧道探し&登山
 朝から高校野球を見る。
 北海道の21世紀枠で選ばれた遠軽高校と、名門で優勝候補の大阪桐蔭高校だ。
 勝負は最初からついている様な試合になるだろうと思っていたが、1回は1点を取られたものの直ぐに取り返した。
 お〜意外とやるな。
 と思ったのも僅かな時間で、直ぐに大量点を取られて来た。
 やっぱりか・・?

 妻の用事で行政書士事務所に行く。
 妻のお母さんの友人の妹と云う事で、やはり知っているって話しがしやすい。
 これからの進め方を聞いて帰る。
 市役所に行って色々な書類を貰ってこなくてはならないが、4月に行った方が良いそうだ。
 法改正があるので3月に取っても4月には使えなくなるそうだ。

 今日のコ-ス
 妻が友人と食事会なので山に行く事にする。
 最初は旧道探しだ。
 前回行って目星を付けていた道は、違う道だと判明。
 うろうろ探したら、マップに書かれた場所と一致する道があった。
 そこを登る。
 先には沢があった。
 ここを渡るの??
 深いな・・。
 近くに下に下る細い尾根があった。
 ここかな?
 でも雪が多くて滑り落ちそうだ。
 他を回って尾根の下に行く。
 地図のコースとは違う。
 仕方が無いので他の個所から入って道を探す。
 旧道のある筈の個所は幅広い車道の様になっていた。
 どうやら北斗市の水道水は大野ダムから取水しているが、その配水路がずっとあるのだ。
 配水路?

 綺麗な鳥
 その時の工事の道なので幅が広いのだろう。
 旧道と同じコースに車道を作り、配水路工事用の道としたのだろう。
 曲った旧道は所々に残っている。
 先程は沢を渡れなかったが、反対側から道を行ったら同じ沢に出た。
 道は自分が想定していた所より少し上だった。
 でも沢には大きなスノーブリッジがあるので通るのは止めた。
 雪が溶けてからでも遅くは無い。
 今日の旧道探しは終わったので、帰ろうかなと思ったが、ふと上を見ると景色の良さそうな峯がある。
 そこに行って見ようと登る。
 最初の登り
 最初のピークに着いたら、さらに尾根が続いている。
 尾根がずっと続く

 熊の引っ掻き傷
 先は長いなと思いつつ歩いたら、北電の高圧送電線が出て来た。
 先の峯はピークらしい感じがする。
 そこまで行こうとなった。
 登り切ったらまだ先がある。
 急斜面が続く
 地図を見たら、434mピークで三角点「江差通」がある事が分かった。
 それならそこまで行こうとなり、最後の急な斜面を直登する。
 ここを登れば頂上
 着いたら全く木の無い、だだっ広いピークだった。
 広さは相当ある。
 道南に同じ様に全く木の無い鏡山と言うのがある。
 ここも景色が良いのだが、同じ感じの頂上だった。
 三等三角点「江差通」があるのだが、勿論雪で全く見えない。
 毛無山、天狗岳、三角山、さらに先の三角山、二股岳、きじひき高原、もっと遠くに函館山まではっきり見える。
 何て素晴らしい展望だろう。
 毛無山

 二股岳
 
 毛無山

 三角山方面

 北方面

 函館山も見えた

 頂上は木が全く無い
 それ程期待して居なかったので大感激だった。
3月27日(水)色々な日
 今日は妻も私も参加している「生き生きサロンin明和園」の役員会が有るので車で送って行く。
 妻は役員をやっている。
 着いたら役員の方が既に来ていて「も〜さんもサブリーダーになっているんだよ」と言う。
 私はそんな事は全く聞いていないし、用事もあるのでパスする。
 そして向かったのが市役所だ。
 安東さんから頼まれている、亡くなった日本人のパスポートがロシアに有り、持ち主のジャーナリストが是非子孫の方に届けたいと言っている。
 持っている人にとってもまだ終戦は来ていないのだ。
 市役所に行ったら「市民相談室」と云う所があった。
 訳を話したが、やはり想定していた通り「個人情報なので教える事は出来ない」と言う。
 多分こんな事になるのは目に見えていたが、その通りになった。
 住所もはっきりしているので、戸籍を見れば直ぐに分かるのだが、全く不便な世の中になったものだ。
 やはり残るは新聞社にお願いして、新聞に掲載して貰うしか無いのか。

 元の家に行って家に残っている物の整理をした。
 まだまだ捨てる物がある。
 そこに妻から電話が来て役員会は終わったのだが、「皆でランチに行く事になったがどうする?」ときた。
 それは私も食べたいので、一緒に行く事にする。
 予定したワンコインランチの店は今日は既に終わっていた。
 付近を探した結果寿司屋さんが1000円のランチをやっていたのでそこにする。
 注文は海鮮丼だった
 最近は外食が全く無いので、本当に久しぶりに美味しいランチを食べた。
 おばさん5人に囲まれ、話しも沢山したので楽しかった。

 家に帰える途中Yellow Hatに寄る。
 車の錆が出て来たので錆止めを購入。
 さらに瞬間接着剤を買おうとしたが、どうするか決めかねていた。
 車のエアロパーツが雪に当たって曲ったのと、止め金具が付いた構造物が取れたのだ。
 エアロパーツの曲りは直したが、構造物をどの様に接着させるかが問題だ。
 今までの経験からでは、瞬間接着剤だと着かない筈だ。
 そこに係の人が来たので聞いてみた。
 以前会社に勤務していた時に、樹脂系の加熱接着剤があって良く使ったのだが、そんな物は売っていないよねと聞いたら、グル―ガンならもしかして着くかも知れないと言う。
 そうかグル―ガンがあったか。
 これなら家にある。
 取り敢えず試して見よう。
 家に帰って早速ガンを加熱して接着させた。
 熱が冷めてから動かして見たら、かなりの強度で接着出来ていた。
 これなら大丈夫かもしれない。
 片側が取れてしまった。

 グルーガンで接着
 ついでなので全ての取り付け部品を補強した。
 後は走行時の振動で剥がれなければ良いが、感じとしては大丈夫だ。
 普段は製本の際の背表紙部分の接着に使っているグル―ガンだが、この修理に使えるとは思わなかった。
3月26日(火)小口君からの便り
 今日は朝から函館山旧三十三観音コースの纏めをしていた。
 旧参拝道路は一部を除きほぼ判明した。
 「観音移土」の話しや、松浦武四郎の蝦夷日誌に書かれた、三十三観音の記載なども含めて纏める。
 湯の川、湯川寺にも当時の観音はあるし、函館山の観音を要塞化のため降ろしたが、その観音で湯の川に三十三個所を作った話しなど次々あって面白い。
 高田屋嘉兵衛も登場する。
 今日は15ページも執筆した。
 それにしても150年位前の地図の正確さには驚く。
 赤線は『南部藩蝦夷地経営図』に書かれたコースで、青線は今回GPSで測定したコースだが、位置のずれはあるものの、コースのレイアウトが非常に似ている個所が多くある。
 合っていない細部は今後も調査して行こう。

 新旧コースを合わせた

 自転車で世界一周中の小口君からメールが来る。
 ついにアフリカのマラウィに着いたようだ。
 元気そうな彼の顔を見て一安心だ。
 旅でのトラブルも少なく順調に旅しているようだ。
 如何にもアフリカらしい雰囲気の写真に、旅への郷愁が湧いてくる。
 桜が咲いたら弘前に自転車花見に行こうかな?

 マラウィ湖傍を走る
 

 アフリカの子供は可愛い

 自転車修理のプロが居たそうだ

 キリマンジャロも登った

 漁業をしている様子
 やっぱり旅は良いな!
3月25日(月)今日も函館山
 昨日に引き続き函館山三十三観音コースの調査に行く。

 まずは昨日の続き。
 昨日の場所からうろうろしていたら道が見えた。
 @の道
 スノーシューを持って来なかったので時々ズボッと埋まる。
 登っていたら車道に出た。
 ここで切れるのかなと思って、車道の上の斜面を見たら見覚えがある。
 Aの道の入り口
 一度上から下りて来た事がある。
 急斜面を登ったら道があった。
 この道だったんだ。
 Aの道だが如何にも旧道らしい

 Aの道はまだ続く
 雪に埋まりながらしばらく行った車道に出た。
 ここは一度下った事のある所だ。
 ここを下れば昨日のおじさんの言っていた西高に出る。
 すると船塊神社に行ける筈だ。
 次に進む。
 車道をテクテクあるいていたらクラクションがなる。
 除けてるんだからさっさと行けば良いのにと思っていたら、「毛利!」
 「お〜加賀谷」
 同級生の車だった。
 彼はクラスでも優秀でNHKに入社した。
 すでに退職したのだが、まだ下請けの会社でNHKの仕事をしている。
 時々山頂の施設に行くそうだ。
 観音コースに入る。
 ここは探している道では無い。
 観音森の看板から少し上がって、観音コースを左に外れる。
 でも道の跡は見えない。
 何となく道らしい所はあるが明確でない。
 車道に出てガードレールを乗り越えて下に行ったら道がある。
 そのまま進み薬師のあった場所に着く。
 下には薬師山が見え、ここには要塞がある。
 ここは景色も良く好きな場所の一つだ。
 昔薬師のあった場所
 車道で道が無くなった可能性もある。
 薬師山コースから車道に出る個所がある。
 南部藩の図ではここから函館山に直登になる。
 登って行くがそれ程急では無い。
 でも道跡が見えない。
 Dの函館山直登
 まだ雪が多いからかな?と思いながら登り、頂上下の石垣の登り易い個所からガードレール越えて車道に出て頂上に行く。
 ほぼルートは合っているが道が無ければ意味が無い。
 今度は山頂を下って入江山に行く。
 前回GPSで計測した道よりまだ先だった。
 これは入江山しか無いとなりそこまで行った。
 入江山砲台跡
 帰り道は今まで知らなかった要塞の連絡路があったのでそこを通る。
 雪の下に側溝でもあるのか時々、ずぼっと埋まる。
 この道は知らなかった

 左は急斜面だ!
 帰って地図と合わせた結果はぴたりあった。
 150年前にも入江山に観音があり、三十三個所巡りのコースになっていたんだ。
 戻る事にする。
 7合目からは柵を越えて、急斜面を下る。
 ここは25000分の1の地形図にもコースとして書かれている。
 ずぼずぼ埋まりながら下る。
 姫塚に出た。
 姫塚?

 何か感じさせられる
 ここだったんだ。
 最初来た時に見つけたのだが、その後場所が分からなく来られないでいた。
 この石のいわれはわらないが、南部藩の地図にしっかり姫塚と書かれている。
 今から150年前あたりで何があったのか?
 どう見ても自然石に加工したのか直線部分がある。
 傍に有る杉の木もこの付近の杉の中では一番太い。
 下って4合目の野鳥観察小屋に行く。
 この辺りから汐見コースに行く道が南部藩の図面に書かれている。
 少し登って左に入ったら広い道があった。
 道はあったが・・
 でもこれは要塞用の道だろうな、幅が広すぎる。
 上に平らな場所が有りそうなので登る。
 途中にいぼいぼの木があった。
 木全体にいぼいぼがあり気持ちが悪い。
 いぼいぼの木
 急斜面を登ったらまっ平らな場所になった。
 要塞の施設でもあったのだろうか?
 さらに登って汐見コースに出た。
 汐見コース
 旧道探しはこれで良いとはならない。
 はっきりした道が確認されなければならないので、もう少し雪が溶けたら来よう。
 帰りは汐見コースを下る。
 日乃出町の旧住処に寄ってママチャリを積んで帰る。
 もう自転車の良い季節だ。
3月24日(日)函館まちあるきネットワーク設立総会
 タイトルの集まりが午後に有るので、午前中は函館山に行く。
 函館山に要塞が出来る前の三十三観音巡りコースを、150年前の南部藩の地図から追っている。
 南部藩の書いた地図にGPSデータを重ね合わせて行くのだが、まだ数ヶ所合わないところがある。
 その中の1つを探索する。
 国道5号線を函館駅に向かったら、向かいから荷物を満載したチャリがやってくる。
 随分早い旅人だなと思った。
 車をUターンさせて追いつき話しをする。
 凄い荷物だ。
 凄い荷物だ

 24週目と書いてある
 29年間で日本を24周したそうだ。
 替えた自転車が20台になったそうだ。
 お金は無く食料や寄付を頂きながら旅していると言う。
 自転車には角パンを積んでいた。
 もう少し暖かくなってから来れば良いのにと思ってしまう。

 別れて函館山に向かう。
 駐車場は一杯だったが僅かに1台入れた。
 直ぐに歩きだす。
 犬散歩中の男性が居たので聞いてみる。
 「ここから船塊神社に行く道は知りませんか?」
 「ここからは分からないが、西高校のグランドの上から神社に行く道があって良く使ったと言う」
 学校をさぼる時に良く通ったそうだ。
 それじゃとばかりにまずは宮の森コースを歩く。
 宮の森コース
 ここは多分違うと思うが、碧血碑の入り口からGPSログを取りたいのでそこまで行く。
 碧血碑に着いたら下から男性が来た。
 碧血碑
 帽子を脱いで碧血碑の前に立った。
 これは新選組か土方歳三ファンかな?
 話し掛けたら、幕末の人物が好きだそうで、萩の毛利藩の所にも行っていた。
 私も長州毛利の流れかどうかははっきりしない。
 少し話しをして一緒に歩く。
 奥さんと子供さんを車に待たしているそうだ。
 車に着いて、一緒に記念撮影をする。
 写真は奥さんが撮ってくれた。
 苫小牧の方なのでまた会う機会はあるだろう。

 ここから戻ってGPSログを取る。
 途中からエゾタテヤマコースに入る。
 エゾタテヤマコース

 アイヌの館があった場所
 エゾタテヤマは昔アイヌの館があった場所で、函館山が要塞化された時は立ち入り禁止になっていた。
 古くからの道なので多分ここだろう。
 後半の旧道
 道はやがて車道に出た。
 ここから船魂神社方面には道はあるのか?
 注意深く見ながら歩いたら道が見えた。
 ここに道があった
 普段は全く来ない場所だった。
 その道も50m位入ったらフェンスに突き当たった。
 フェンスで行けない
 でも方向としては神社に向いている。
 フェンスの先には西高校のグランドがある。
 そこに行けば先程の方が言った道があるのだろう。
 今回のコースは黄色
(南部藩の地図のコースは赤色、前回歩いたのは青色で今回は黄色のコース。赤のコースに限りなく近い事が分かる。当時は手書きなので、どの様な測量方法なのか分からないが、かなり正確だった事が分かる。150年前でこんな技術があったのだ。)

 今日の道探しは終えて、谷地頭温泉でのんびりする。
 高校野球は北海道代表の北照高校が6対0で勝っていた。
 温泉を出て設立総会の行われる、ウイニングホールに行く。
 既にかなりの席は埋まっていた。
 ぶんぽ研の中原さんも居た。
 佐藤代表幹事
 函館まちあるきネットワーク設立の趣旨などの説明があった。
 その後3名のパネラーのお話し。
 パネラーの皆さん
 箱館歴史散歩の会の中尾さんは、西部では人気のガイドだが、彼のガイドに対する思いなど熱く語っていた。
 情熱が感じられるお話しだった。
 次の相馬邸代表の東出さんは、高校時代の思いでから取壊す寸前だった相馬邸を、購入したいきさつ等を話したが、大変な苦労があったようだ。
 話しの内容は興味深く、ずっと聞きたかったが、時間がかかり過ぎたのでと割愛させられた。
 いつかの機会に後半を聞きたいものだ。
 田原博物館館長は明治の写真を中心に街並みについて説明。
 興味ある写真もあったが、じっくり見る時間は無かった。
 質問で女性から新選組結成150年の節目なので、博物館として何かやるのかとあったが、大した展示は無いような回答だった。
 やはり新撰組ファンはいるんだと嬉しくなった。
 函館博物館五稜郭分館があったら、絶対特別展をやっていたと思う。
 箱館奉行所を再建した時に分館は取り壊してしまって、喫茶店らしい建物が出来てしまった。
 本当に惜しかった。
 残した方が観光のためには良かったと今でも思う。
3月23日(土)交流会に出席
 昼に交流会があるので、午前中は家で旧道資料を調査をする。
 鶉山道の古文書は多くあり、それを読むだけでも大変だ。
 古文書を読んで僅かな手がかりから、旧道を見つけ出さなくてなならない。
 例えば『江差人力紀行』(明治19年)
 この紀行文は新道を紀行した時の文書が載っているのだがその中に・・ 
「前略・・1里十一町ほど走り丸久の印旅籠あり。
旧道はこの横より山手に入るなり。・・後略」
 直ぐに距離換算すると、一ノ渡(北斗市)から約6.7kmになる。
 国土地理院地図で計測すると「天狗橋」付近から山に入る事になる。
 ここは先日入った場所で急斜面に旧山道らしき道の跡があった。
 余りにも急な斜面に雪が積っていたので、もう少し雪が溶けてから行こうと思っている。
 これで初めてその道が旧道なのだとなる。
 旧道を探す
 こんな繰り返しをしているので時間がかかる。
 鶉山道に関しては古文書と私の調査記録を掲載すれば、150ページ位の本をかけそうなボリュウームがある。
 官の資料が多いので良く保存されている。

 交流会に車で出かける。
 目指す先は赤レンガ倉庫群の一角に有る函館ビヤホールだ。
 少し時間があったので「北方歴史資料館」に行く。
 ここは高田屋嘉平の資料がある。
 今、ここを経営しているのは子孫の方の女性で、本州から移住してここを開いているとの報道を見た事がある。
 経営的には厳しい様である。
 300円を払って中に入る。
 銅像と同じ大きさだ
 2階が展示場でお客さんが来ないと照明は切っているようだ。
 私は高田屋関係の本も普段良く読む。
 昨夜も読んだので、大まかな事は分かるのだが、この館の資料を見ても、まずは読めない。
 解説も少ないので、何を見て何を知れば良いのか良く分からない。
 文書関係が多いので、もっと親切な解説が欲しかった。
 係の方もワンポイントで何かを説明して欲しかった。
 結局あまり得る物も無く後にした。

 レンガ倉庫に行く途中ロゴブロックのイベントが行われていた。
 孫のおもちゃの中にもロゴブロックはあるが、プロのロゴブロックは凄い。
 こんな物も出来るんだと感動する。

 照明も入っている

 凄いブロックだ

 交流会は函館市観光コンベンション部観光振興課の主催で行われる。
 中に入ったらもう始まっている。
 ??12時からの筈だが・・。
 テーブルに自然倶楽部のオーナーの鎌鹿さんが居た。
 それにまちあるきセンターの丸藤さんもいる。
 どうやら今年のガイドセミナーに参加した方達の会を先にやっていた様だ。

 佐藤さんの挨拶
 一會の会の会長の佐藤喜久恵さんがセミナーの幹事役で挨拶をされていた。
 今回のセミナーを受けた方々が、これからガイドとして活動して行くのだろう。
 12時から我々に案内の来た会が始まった。
 勿論合同での交流会になる。
 中尾仁彦さんにも久しぶりに会った。
 箱館歴史散歩の会の代表で、凄い回数のガイドを企画・実施している。
 人気も高くいつも数十人の人を連れてガイドしている。
 自然倶楽部オーナーの鎌鹿隆美とも久しぶりに会った。
 プロの登山ガイドでこの辺りでは超ベテランガイドだ。
 私はあまり函館市内のガイドはしていないが、何となく呼ばれたのかな。
 人と会う事も楽しい。
 函館コンシェルジュセンターの事業部長の小林さんが挨拶し皆を紹介したが、私の事を道なき道を冬でも山に入って歩いているとの紹介があった。
 まるで冒険家の様な紹介だが、実際は臆病なのだ。
 まちあるきセンターのセンター長の丸藤さんが来ていたので、「丸山さんはまだ勤務していますか?」と聞いたら、午後から出て来ると言うので帰りに寄る。
 「しばらく」
 「しばらくだね。痩せた??」
 私は多分痩せては居ないだろう。
 お世辞だろう。
 彼女はゲストハウスに取材に来てくれた元レポーターだ。
 私の親戚のSTVラジオアナウンサー「もなみ」の友達でもある。
 昨年も電話が来て「も〜さん、観光客が案内してくれって言うんだけど、頼める人はも〜さんしか浮かばないから案内してくれる?」などどくる。
 今日は久しぶりに「顔を見に来たよ」と言ったら「有難う!」
 元気そうだ。

3月22日(金)二股口台場案内
 今日は北海道新聞記者の方を二股口台場山に案内する日だ。
 天気予報は雨だったが、お日様が出る良い天気になった。
 途中、山仲間のKuさんとKoさんを乗せて待ち合わせ場所に行く。
 待ち合わせの台場山入り口付近の駐車場に到着した。
 北斗市学芸員の佐々木さんも車でやって来た。
 でも記者が来ない。
 どこに行ったのかなと電話したら、江差寄りの方に行っていた。
 場所を教えたらやって来た。
 ワゴンタイプのタクシーでやって来た。
 さらに入り口に近い場所に車で移動となって先頭を行ったが、急斜面の道の下はアイスバーンで我が2WDは登れず。
 下に置く事にして4WDの佐々木さんには上まで行ってもらう。
 タクシーは記者を置いて、他の駐車場で待つようだ。
 昨日降った新雪は10cm程積もっていて、スノーシューがいるかと思ったが、下は固かったのでつぼ足で歩ける。
 旧道も雪は20cmくらい積っていたがつぼ足でOKだ。
 途中弾薬庫?を見てから台場山まで上がる。
 稲妻形塹壕に行ったが、昨日降った雪が多くて塹壕は埋まっていた。
 その後、3つの塹壕を訪れたがみな埋まっていた。
 それでも地形は良く分かるので箱館戦争の状況を説明する。
 急斜面は最強の防御
 そしてハイライトの山の上にある塹壕に行く。
 途中数ヶ所の塹壕はあるのだが、ここも雪で埋まり僅かな土塁が見える程度だった。
 尾根の雪は多かったが、急斜面を登り切る。
 それでも最強の地形の急な斜面は見れるので、この台場の凄さは良く分かって貰えたであろう。
 尾根を登ってハイライトのF−10塹壕に到着。
 ここは指揮官土方歳三が居たであろうと思われる好位置の塹壕だ。
 敵陣も良く見え、味方の塹壕も全て見渡せる場所にある。
 皆で地形を確認
 その後も更に高いピークに行って戻る。
 下りに良い斜面があったので、全員で尻滑りをする。
 結構良いスピードが出て、大いに楽しんだ。
 豪快な尻滑り
 途中から江差街道を下二股川まで行く。
 この川を挟んで戦いが行われた。
 下二股側を渡る??

 この川を挟んで戦いがあった
 今回の現地取材は、雪が多くて塹壕の形が今一つはっきり見えなかったのは残念だが、最強の台場の地形は十分に分かって貰えたと思う。
 この結果を頭に入れて、箱館戦争二股口台場の戦いを書いた本を読めば、リアルに状況が理解出来るであろう。
 現地を知らないで本を書いている人もいるが、やはり現地を見た人には敵わない。
 新聞には4〜5日で掲載されるそうだ。
 今後、北斗市の市民を対象に皆で実際に歩いて貰おうと考えている。
3月21日(木)雪が降る
 今年は随分気温の変化が激しい様に思う。
 昨夜から雪が降り、春らしくなった雰囲気も一気に冬に戻り、久しぶりに除雪をした。
 夕方まで家からは出ずにパソコンに向かっていた。
 夕方に北斗市の「しんわの湯」に行きのんびりと疲れを癒した。
 調査中の鶉山道も徐々に、その歴史的背景が分かって来た。
 後は現地に入り調査をするのみだ。
 雪が完全に無くならない内に歩いてしまいたい。
 藪漕ぎばかりの調査は疲れるのだ。

 春らしいニュースもある。

 23日に行われる「まちあるきガイドセミナー交流会」の案内が市役所から来た。
 函館のまち歩き観光を支えるガイドの交流会だ。
 私などはそれ程まちあるきガイドはしては居ない。
 ANAの感動案内人だけだが忙しくは無い。
 函館には熱心なボランティアガイドのグループが数グループあり、それぞれ活躍している。
 以前、最初に行われたガイド研修セミナーで講演をした事が縁で続いている。
 新幹線を睨んで観光活動が活発になって来ているようだ。

 さらに24日には「函館まちあるきネットワーク」の設立総会の案内が来た。
 それぞれの立場で行っていた、観光ガイドを纏める組織なのだろう。
 主力はボランティアガイドなどが中心で活動するのだが、私はオブザーバーになっているので参加する。
 歴史ガイドと箱館戦争史が担当らしい。
 隣の市の北斗市でも新幹線を睨んだ、観光セミナー等も行っているし、先日講演を聞いて来た厚沢部町の館城も観光施設として館城復元もするようだ。
 皆新幹線の延伸を想定した活動なのだろうか、観光客が多く来てくれ活気つけば良いのだが。
3月20日(水)外は雪模様
 もう春だ!
 と思っていたら今日は一日中雪の予報。
 もうこんな半端な雪は要らない。
 家で鶉山道の資料調べをする。
 80ページを越す資料の内容は豊富なのだが、惜しくは道の詳細がなかなか書かれていない。
 紀行文的な物が多いので、書いてある道は何処?となればしっかりした資料が無い。
 松浦武四郎の地図くらいだが、これも詳しくは分からない。
 昔はしっかりコースを書き留めるといった必要なかったのだろうか。
 それでも大分判明はして来た。
 この調べた結果を一づつ現地確認して行かなければならない。

 函館工業高校電気科、卒業50年記念誌を発行すべき準備をしているが、かなり面白い内容になって来たので、良い記念誌が出来るだろう。
 今日は高校2年の時に発行されていた「電々虫」という、ミニコミ誌を纏める。
 担任の先生が今まで50年間も保管していてくれた貴重な物だ。
 紐綴じが懐かしい

 ミニコミ誌

 私の記事

 「電々虫」に私が投稿した記事が載っていた。
 何と「女子高校の文化祭を見る・・特派員だより」となっている。
 女子商業高校、大谷高校、白百合高校を訪問している。
 こんな事をして女子高を回っていたんだな。
 その一部
 白百合高校は玄関を入ったら、
 「そのままでどうぞ」と言われた。大谷高校では中に入った途端、ジロリと足元を見られ、サンダルに替えざるをえなかった。
 そのままでどうぞがすっかり気に入り、4時間余りもこの学校に居る事になった。
 腹が減ったので食堂の前でうろうろしていたら、女子高生がカレーライスを運んで来た。
 私は物欲しそうにしていたのだろうか? 
 「あんまりじろじろ見ないでや!」ときた。
 それを何と聞いたのかH君が「何このばかやろー!」とやったら相手も「ナニサ!」と言ってプイと居なくなった。
 食堂でトラピストクッキーを食べていたら、例の女子高生がやって来た。
 「お茶をサービスしてくれませんか」と標準語で言ったら、
 「水でいいべさ!」と函館語で言ってコップをドカッと置いて行った。
 その後3度ほど食堂に食いに行ったが、行く度ごとにサービスが良くなった。
 しまいにはやかんのお茶を給仕してくれた。
 彼女とはそれきりである。
 (思い出せないがどんな女性だったのだろう)
 
 他に学級日誌も残っている。一部を紹介

 4/23
 今日、4時間目は体育の時間に五稜郭を一周した。
 みな元気よく走りだしたが、途中で一人二人と抜けた。走り終わった後のみんなの顔に大粒の汗が流れ落ちた。

 5/4
 今日は開校記念日マラソンがあった。
 走り終わってさすがにみんな疲れていた。

 5/24
 太平洋沿岸に津波がおしよせる。被害者も数多くいるそうだ。
 そのせいかみんなの気持ちも落ち着かず。
 外は青空なのに教室内はどんより曇っていた。

 8/24
 今日もいつもの通り荻野先生が学校に来ていない。
 昨日などは荻野先生が居ないので、どの生徒の顔にも元気がなさそうである。
 私もそうであった。
 荻野先生早く学校来て下さい。

 8/25
 今日は荻野先生が元気に見えられた。皆もうれしそうであったが、ぼく自身もうれしかった。

 1/29
 砂子さんはどうしたか? 風邪でもひいたのかな。
 一日も早く出てきて欲しい。
 砂子さんの授業がないとどうもファイトが湧かない。
 残念。

 荻野先生は担任で数学の先生だった。我々年が11年ほどしか離れていない。
 試験問題はいつも難しかったが、皆に凄く慕われていた。
 今も元気で、旭川に住んでいるが、退職して間もない頃は一年の2/3日くらいは、周辺の山に登っていた。
 砂子先生も人気があった。彼は電気の授業だった。話し方が上手だった。
 日記を見て先生と生徒の関係が良く分かる。
 良い先生に恵まれ、楽しい高校生活だった。
3月19日(火)鶉山道調査
 天気も良さそうなので、旧道調査に出かける。
 今日は北斗市の毛無山付近の山道調査をする予定だった。
 車で登り口まで行こうと林道を入ったら工事中で行けない。
 大型重機が入って道路工事をしていた。
 仕方がここは無くまた来ようとなり、別な方面から探そうと鉛山を目指した。
 車の駐車場が無いので少し離れた発電所向かいに駐車する。
 車を出た途端、「ど〜ん」と言う大きな音がした。
 時計を見たら11時半だった。
 あの時は、考えた末警察に情報提供したが、その後グライダーは日高山系で遭難した形で見つかった。
 私の聞いた音はセメント会社の発破の音となったが、その同じ音が今日もしたのだ。
 鉛山へ行くには大野川を渡らなければならない。
 新幹線の地質調査看板
 平成20年の新幹線予定地の地質調査の看板があった。
 現コースとは全く違うが、ここも候補地だったのだろうか?
 川側をずっと歩いて行くが、雪解けで水量がありなかなか渡る場所が無い。
 雪解けで水が多い
 しばらく探したが見つからず諦めた。
 今日は予定していなかったので長靴は持って来なかった。
 今日はこれで2つも計画外れになった。
 でもスノーシューで林立する木を見ながら歩くのは気持ちが良い。

 帰り道、そうだ鶉山道の調査にしようとコースを変える。

 幕末の旧道位置は地図ロイドにインプットしている。
 その旧道の場所に向かって登ってけば行き当たる筈だ。
 天気も良くなり山も春の様な感じになって来た。
 しばらく登ってGPSで確認したら、地図にある旧道の場所に来た。
 すると左側に道があった。
 道がはっきり残っている
 右手にも道が見える。
 まずは左手に入る。
 GPSで旧道の跡を進むが、平坦な場所は雪の下になってはっきりしない。
 それでも木の間隔が広がっていて道がある事を感じさせる。
 やがて沢に出た。
 車の置いてある場所は反対側なので戻る。
 戻って右手の道を行く。
 ここに道がある

 ここははっきり付いている
 道の跡が残っている。
 その道も林道になってしまった。
 それにしても幅の広い林道だ。
 幅広の林道だ
 何か他の目的で作ったのだろうか?
 窪みがあった
 炭焼窯らしい大きな窪みもある。 
 林道も終わり、道は下って大きな沢に出る。
 ここにコンクリートの砂防ダムらしきものが出て来た。

 え〜ここを渡るの?
 地図を見たら旧道はもう少し上流にあるようだ。
 川そばを登る。
 沢を登って上に出るのだが、その斜面はかなりの急斜面だ。
 急斜面だ
 道の跡ははっきり残っている。
 積雪はかなりあるのと、斜面は40度くらいある。
 距離は30mくらいだろうか。
 今朝のテレビで雪崩注意報が出ていた。
 雪下のつららが溶けている状態だと、全層雪崩の恐れがある。
 気温も上がって来てつららも溶け始めている。
 どうするかな?
 少しは木があるので大丈夫だろうと登る。
 雪は深くて足の付け根まですっぽり埋まる。
 トラバースを避けて、真っ直ぐ登る。
 ストックもグリップまで埋まって効かない。
 木に掴まりながら何とか登り終える。
 上から見たが下が見えない
 息が上がっていた、余程急いで登ったのだろう。
 登りきって平坦地を進んだら水力発電所の上部に出た。
 水力発電所
 この下に車を置いてある。
 さらに道があったので調査をし、大きな沢を再び越えて行くのを確認してから昼食にする。
 さらに道があった

 春らしい陽気に溢れてる

 記念撮影
 下着を着替えてすっきりして食事をする。 
 暖かくて気持ちが良い。
 その後、下山して車に到着。

 帰りに大野資料館に寄る。
 22日の二股口台場は佐々木学芸員も行く事になった。
 寄って鶉山道の資料を探す。
 「櫻鳥」と言厚沢部の町の歩み(巻の2)に80ページに渡って鶉山道が書かれていた。
 家のコピー機でコピーして製本した。
 なかなかの力作だ

 彼がかんじきを出してきた。
 味がある
 22日の二股口台場山に使うと言う。
 明治の塹壕見学には時代感覚も良い。
 資料館の資料で無いので使っても良いそうだ。
 先端のカーブが美しく作っているかんじきで、何と味があるんだろう。
 如何にも手作り感がありほっとする。
 スノーシューは性能的には上がっているのだろうが、アルミかんじきでも8000円位するのもある。
 お金をかけずに自分で作る・・私の好きなやり方だ。
 3セットあったので1セットを借りる事にした。
 これで山に行って見よう。
3月18日(月)雨の日はWBC観戦
 今日は一日中雨の予報で外での活動は止めた。
 丁度WBCの放映が10時からあったので、これを観戦する事にする。
 今回対戦するのはプエルトリコで、野球はどの程度のレベルは詳しく知らなかったが、解説者の話しを聞いていれば、投手力はそう大した事が無いので打てそうだ。
 打撃は良いが日本の投手は調子が良いので打てないだろうだった。
 だから日本は勝つ公算大だった。
 試合が始まったら、何か向うの力の方が上の感じがした。
 結局は3対1で負けてしまった。
 このプエルトルコの凄いのは、人口は370万人くらいしか居ないのに、野球場が2500個所も有るのだ。
 国の面積は世界169位と下の方だ。
 子供の非行が多かったので野球を推奨して、非行を減らしたそうだ。
 だからメジャーを目指す子供が多いそうだ。
 そんな背景があるので野球は強い筈だ。
 主要産業は観光とラム酒生産と農業だ。
 観光は良い収入源だそうだ(コンダード海岸とホテル)
3月17日(日)館城発掘調査報告会

 北海道新聞に館城の発掘調査報告があると言う記事が載っていたので行く事ににする。
 学芸員の石井さんとは、私の講演にも来てくれるなど交流がある。
 他の件で石井さんに聞きたい事も有った。
 早めに出て厚沢部の図書館に行く。
 江差山道(鶉山道とも)の事を調べたかった。
 図書館には地元の関連本は殆どなかった。
 パートのおばちゃんらしき人が「もう昼なので閉めます」と言う。
 ここの図書館は昼は1時間の昼食タイムがあった。
 仕方が無く図書館を出て館城跡に向かう。
 講演の前に見ておこうと言うわけだ。
 城跡はまだ一面雪で覆われていた。
 案内板
 館城跡は国指定の史跡になっている。
 国指定の史跡だ
 ふと付近の看板を見たら散兵壕の立派な看板がある。
 雪に埋もれながら歩いて行ったが見当たらない。
 看板は立派だが・・
 丘に登ったりして探したが見つからず、戻る途中に説明板があった。
 読んで見たら、調査の結果、木の倒れた跡で散兵壕では無いとの事。
 何とも紛らわしい入口の看板だ。
 写真を見ても、掘れてはいるが土塁は見当たらないので人工的に掘ったのでは無い。
 幻だった散兵壕

 館城跡から発掘された品物

 館城跡全景

 会場の館地域振興センターに行く。
 入ったら石井さんがいて挨拶をする。
 私の書いた「二股口台場」も購入してくれたのでお礼を言う。
 本を読んだが、興味のある人が何人かいるので、案内して欲しいと頼まれたのでOKとなる。
 石井さんに聞きたかった、コンプラ瓶の発見場所を聞いたら、毛無山道の登山道だった。
 コンプラ瓶は1820年代に盛んに造られた醤油や酒を入れる瓶で、海外に輸出するのに長崎の出島の商人が使った。
 その瓶が毛無山道の草刈りの際、壊れない状態で発見されたのだ。
 発見したのは醤油瓶だった。
 
 (これは他の画像。右がJAPANSCHZOYAヤパンセソヤー(醤油)左は酒)
 恐らく北前船で持ちこまれたと思うが、それで毛無旧旧道の使用年代が分かるかなと思った。
 明治30年には生産しなくなったので、明治3年には本願寺が毛無山道ではない道を改修しているし、明治19年に開拓使が新たな道路開削をしたので、毛無山道は幕末には使われていた感じがする。
 箱館戦争時も迂回路として使われた可能性も否定できない。
 因みにこの当時のコンプラ瓶は販売されていて1個約10万円もする。
 まだ毛無山道にあるかも??

 石井さんの講演が始まった。
 参加者は50名位いる。
 函館方面からも数人に参加がいた。
 資料も教育委員会作成なので立派な作りだ。
 石井さんの講演

 立派な資料だ

 この礎石により建物が判明
 館城の発掘は2005年から行っており、今回が最終報告になる。
 今後は復元整備し観光にも役立てたいそうだ。
 今回の報告の内容は
 1.城の外郭の遺構などの発見。
  調査の結果面積が4万平方メートルと松前城並みだった。
 2.礎石が発見され、江差増田家に残る『館築城図』とほぼ一致する事が判明した。
 建物のレイアウトで面白いのは、奥女中が殿様の部屋に行くには、奥さんの部屋を通らなければ行けない。
 殿の部屋に入る女性の監視をしていたのだろうか。
 興味深い。
 歴史的には急遽作った施設で、それも箱館戦争では旧幕府軍の松岡四郎次郎の一聯隊に、あっという間に落された城で、歴史的には価値がそれ程ある物では無かった。
 今回の報告の様な松前城と同程度の規模で作られていたと言う事は、この地に新たな松前藩の地を築く事を狙ったのであろうか、漁業に頼った藩の運営から農業への転換を図って行こうとしたのか、蝦夷地も幕府直轄になってきて、松前藩としては、藩の存続を願ってこの地を選んだのか。
 それは今のところ分からない。
3月16日(土)グライダー行くえ不明事件
 昨日旧道調査に行った時の話しだ。
 時計を見たら11時40分だった。
 昼食に少し早いかと思いながら、おにぎりを食べた。
 食べた後、車を出て山に入ろうとしたら、山の方からもの凄い音がした。
 一瞬何だろうと思った。
 初めて聞くような凄い大きな音だった。
 山で雪崩でも起きたのかなと思ったが、音は爆発した様にも聞こえた。
 その後山に入り旧道探しをしたが、道の発見は出来なく成果は無かった。
 家に帰ってテレビを見たら、女満別発のモーターグライダーが予定の時間になっても鹿部飛行場に着かなく、遭難したのではないかと捜索が入っている。

 (今朝の新聞記事)
 予定到着時間は13時だが、余裕は持っているだろう。
 あの音を聞いたのは12時頃だった。
 鹿部ならここから近い。
 どうするかな?と迷った。
 警察に情報提供した方が良いのだろうか?
 間違っていたらどうしょうと考えた末。
 一応電話する事にした。
 警察に状況を説明して、その後夜にも電話が来て再び説明した。
 それでこの日は終えた。
 今日の午後に電話が来た。
 調査の結果、山に入ってみたがそれらしい形跡は認められない。
 12時少し前に、上磯地区のセメント工場の石灰の採掘場で、ダイナマイトをかけた事が分かった。
 それで多分この音だろうとなった。
 警察からは情報有難うございましたと丁重なお礼の言葉を貰った。
 モーター飛行機はまだ発見されていない。
 情報提供はなかなか迷うものだ。

 今日は桔梗町の老人の集まりである、桔梗マスターズの例会の日で、初めて呼ばれたので行って見る。
 64名も参加してなかなかの盛況であった。
 圧倒的に女性が多い。
 お菓子を食べながらおしゃべり、カラオケ、ビンゴゲームなど2時間ほど楽しんだ。
 カラオケで盛り上がる
 クラブも色々あって、囲碁、将棋、輪投げ、パークゴルフなどなどがある。
 何処かに参加して親交を深めよう。
3月15日(金)旧道調査
 天気も良いし旧道調査に出かける。
 まずは金山の沢から設計山方向への道があるのか?
 手書きの地図に書かれたルートの確認だが、設計山は多くの人が登っているが、このコースを登っている情報は見つからない。
 これしか歩けなかった
 車を何処に置こうかと探しながら行ったら、入口が除雪されて車の駐車出来るスペースがあった。
 早速スノーシューを履いて出発。
 除雪された雪を乗り越えて行ったら、林道らしき道がある。
 林道と思ったが・・
 この道は何処まで行けるのだろうかと期待して行ったら、20mも行ったら道が無く崖になっていた。
 仕方が無いので沢に下りて沢を渡ったり、沢伝いに歩いて進んだが、その内に沢も深くなり今日の靴では沢に入れなくなった。
 何度も沢を渡ったが・・
 長靴が必要であった。
 この先から尾根へ出るのか
 また次回に挑戦す事にする。

 諦めて次は江差山道の旧道を探す。
 台場山付近から歩いたが、少し行ったら道があやふやになり、はっきりしない。
 下の方にを探したが見つからない。
 GPSで位置確認したらもっと上だった。
 上を見たら道らしく雰囲気がある。
 急斜面をトラバースしている
 急斜面部分が雪で埋まって見えなかったのだ。
 違う方向から行って見たら下り側の道はあったがかなり急だ。
 ここも急斜面だ
 まだ雪が多くて歩けそうにない。
 一部は雪崩ているくらい急だ。
 
 さらに旧大野町寄りに行き、天狗橋から山に入る。
 道は除雪されていた。
 行ったら北電の小さな水力発電所があった。
 その場所が旧道になるのだが、ここも凄い急斜面だ。
 でも道の跡はしっかり分かる。
 道を辿って下方に来たらはっきりとまた道が出て来た。
 ここははっきり見える
 今日は諦めて次回はもう少し雪が溶けてから歩いて見よう。
 と言う訳で今日はあまり成果も無く終わってしまった。
 ただ旧江差山道はかなりの難所である事が分かった。
 これなら毛無山を越え設計山に縦走して中山峠に出る旧旧道も有りだと感じた。
 まだまだ調査は続きそうだ。
 今回調査した江差山道は安政元年と4年に改修されたのは古文書からはっきりしている。
 さらには明治3年には東本願寺によって改修された道になるが、今でもしっかり残っているのに驚いた。
 全容解明すれば面白そうだ。
 今の国道から凄く離れた山越えの道になるが、現国道には赤ハゲと黒ハゲと呼ばれる、岩場の大難所があって迂回したのだが、これだけ迂回したのだから相当の難所であったに違いない。
 国道工事の際にダイナマイトで全て崩壊させてしまった。
3月14日(木)資料調べ

 北斗市台場山周辺の旧旧道や旧道を調べているが、出て来る資料の内容が異なっていてまとまりが付かない。
 それでも何とか纏めて取り敢えず上の図の様になった。
 青線が国道で赤線が旧旧道や旧道を表わしている。
 地元以外の人には全く分からないローカルな話しだ。
 @ 上川汲川を登っ毛無山に行く道は沢筋は現存しているが、最後の毛無山への詰めは草木が多くて断念した。
  (本願寺道路調査のTさんとMさんの話し)
 A @からAを通ってBかC又はDに降りる道がある。Aの部分は未確認で推定になる。(TさんMさん)
 B CとDのコースは冬期登山が行われているコース。Cについては階段状に手を加えられている部分があり、馬道で無いかと言う。(TさんMさん)
 C BはAを通って来ればここを行くだろうと推定。この途中の沢には砂金採りがいた。
 D Gのコースは箱館戦争で使った道。
 E Eのコースは故二つ森さんが確認しているコース。
 F Fのコースは鉛鉱山の付近を通るコースで未確認になっている。明治2年の菅佐伯の図面に書かれているのであるかも知れない。 
 これら多くの道が存在するのは、赤ハゲと黒ハゲと言う難所の岩場があったためで、これを交わすために多くの道が作られた。
 本願寺道路の解明をしていた函館大谷高校のT先生が、歴史家は多くいるが道の歴史をやっている人は殆ど居ない。
 道の歴史を今、調べるのは大変だと彼が執筆した本に書いている。
 私も道を調べているが同感で、随分と資料を調べているがなかなか前に進まない。
 今なら道が分かればGPSのデータでも残せる。
 昔は文書で表わしているので実際の場所やルートはなかなかはっきりしない。
 文書から道を特定するのは、推理の連続で推理小説よりも面白い。
 でも時間がいくらあっても足りないし、これだとはっきり断定できないので、未解決事件になりそうだ。
 でも僅かな資料から情報を得て、現地に行き道を探しあてた時の快感は止められない。
 もう旧道の中毒患者になっているのかも知れない。
 明日もまた旧道探しに出かけよう。
 毛無山からの縦走路
3月13日(水)雨の丸山登山
 生憎の午前中は雨、午後からは湿雪の予報が出ていた。
 一緒に行く仲間から、本日は中止のメールが入っていたのも知らずに出発する。
 アフリカ自転車縦断娘(今では一児の母)の山崎美緒ちゃんの著書で、アフリカの子供は雨が降ると何でこんなに喜ぶのだろう。
 そして自分は何で落ち込むのだろう。
 と書いて、自分も雨が降っても楽しくなるようにしようと決めた。
 その美緒ちゃんも、今では世界の自転車仲間を日本に呼んで、国際イベント「四国ライド」を毎年開催している。
 美緒ちゃんも旦那さんも「自遊旅」に宿泊した旅人だ。
 雨も楽しめるようにしなくてはは、私も同感だ。
 自転車旅でも雨の中を走るのは毎度のことだ。
 そんな訳で車で出発したのだが途中で電話が入った。
 「今何処にいるの?」「車で走ってるよ(止まって返事しています)」「今日は中止だって・・」
 「私は行きますよ〜」
 いつもそうなのだが、1人でも自分が行きたかったら行くので、誰が来る来ないは問題でない。
 それぞれの都合で構わない。
 結局、それなら行くよと2人が参加した。

 車を出発点の浄水施設に駐車してレインウェアで出発。
 いきなり沢越えで苦労して、しばらくは杉林の中を進む。
 一般登山道まで行く予定だったが、2つ目の沢は深くて無理だった。
 そこで沢を渡らず尾根を直登しようとなった。
 いきなり急登
 いきなりの急斜面でゆっくりしたペースになる。
 一歩一歩足を運ぶが、雨のためか雪も重い。
 長い尾根が続く
 風が無いので寒さは無く、むしろ暑いくらいだ。
 中間あたりでかなりの急斜面が続く。
 10m位登っては一休みし、また登るといった感じだ。
 ま〜だ??
 自作のスノーシューは、急斜面でもしっかり雪をホールドしてくれる。
 急斜面だけあって一気に高度が上がってくる。
 曇り模様の中、下の景色も見えている。
 大きなピークを越えたと思ったら、さらに尾根は続いていた。
 まだまだ続く

 雪屁もあるぞ!
 それでも急斜面は徐々に緩くなってきた。
 ついに一般コースに出た。
 もう直ぐ頂上とだなと思ったら、本当に少し行って頂上だった。
 頂上にほぼ真っ直ぐ登って来た。
 一般コースなら1時間程度で登るのだろうが、2時間も掛ってしまった。
 それだけ急斜面だと言う事か。
 丸山山頂
 頂上は天気も悪かったので直ぐに下山する。
 急斜面の下りは早い。
 途中一気に尻で滑ってくる方も居て楽しい。
 下の方に来て杉林の中に入る。
 密集した杉林
 植林した所には道がある筈だと近道を狙った。
 杉林は見事に密集していた。
 小さな沢を渡って下ったら道があった。
 沢を渡る
 植林時に作った道だろう。
 少し下って一面真っ白な場所に出る。
 ここは恐らく牧草地になっているのだろう。
 その斜面を下って無事車に着いた。
 帰りにいつも講演を聞きに来てくれる、ギャラリー「夕日の丘」の上田さんに会いに行ったが留守だった。
 今日は雨だったがそれ程強くも無く、急な斜面の連続で一杯運動をした。
 雨もまた楽しだ。
3月12日(火)一日中資料調査
 関東から偶然に2人の女性が6月に函館に移住する事になった。
 函館に移住したら是非会って話をしたいとの事だった。
 いずれも新選組副長土方歳三ファンの方だ。
 ふるさとを離れて函館に移住してまで、土方歳三に思いを馳せる。
 凄いファンがいるものだ。
 函館市も移住受け入れに取り組んでいるようだが、この際、新選組ファンの移住を図った方が良いのかもしれない。

 今日は天気は曇りだが気温が上がったので何処かに行きたい所だが、、一日中資料調べをした。
 明日は山に行くのと昨日登ったので、今日はまあ良いかとなった。
 道南の台場山付近の旧道を調べているが、複数の道があってそれぞれの道の年代が判明しない。
 それでも少しづつ分かって来る。
 その中の一つである上川汲川〜毛無山〜設計山付近〜金山の沢に降りて中山峠に至るコースがある。
 この道は昔からアイヌの方が利用していた道で、この辺りでは相当古い時期からある山道になる。
 このルートを調べているのだが、金山の沢は先日、車で付近に行った時に道らしい跡があった。
 調べを進めたら、金山の沢は砂金採りが行われていたそうだ。
 昭和43年まで3〜4人が砂金を取っていたそうだ。
 調査をしていれば色々な事が分かって来る。
 今度行った時には砂金を取って見ようかな??
 一攫千金狙いは可能か?
 このルートはあるのか
 設計山へは登山道は無いものの、積雪期には多くの方が登っている。
 いずれも西側から登っている。
 この金山の沢から尾根に出て行けば設計山にも行けそうだ。
 しかし毛無山に行くには赤の点線の道になる。
 なるべく早く道探しに行かなくては。

 ついでに分かったのは、弥五兵衛岳の名前の由来だ。
 弥五兵衛岳
 弥五兵衛岳も山岳会などで登る山で私も既に登っている。
 しかし山の名前の由来まで分からなかった。
 たまたま他の調査の中で見た古い資料に載っていた。
 話しは北斗市の市渡神社の石鳥居から始まる。
 この石鳥居に書かれた名前の伝市ははり師の医者で、弥五兵衛の子供であった。
 もう一人の名前は嘉平で初代市渡の副戸長で、弥五兵衛岳で木炭を作っていた。
 弥五兵衛は地元市渡の人の名前だった。
 こんな事が分かるから歴史は楽しい。
3月11日(月)震災から2年
 震災から2年経ったが、復興は遅々として進まず、まだまだ先の様だ。
 自分自身も僅かな寄付をしただけで、他には何も支援は出来ていない。
 ゲストハウスに泊まった旅人も震災にあったが、その中のTさんは海に入って流されたお父さんを救助した。
 一昨年の青森ねぶたの時に、お父さんとお母さんを恐山のお参りに連れて行った帰りに青森ねぶたに来てくれた。
 「も〜さんに会いたかったと・・」
 本来はこちらから行くべきだったのに、震災に遭った人が来てくれた。
 彼はゲストハウスに泊まって帰る時には家を掃除して、シーツの洗濯までして出て行った。
 最近では珍しくきちっとした男性だった。
 お父さん、お母さんも本当に良い人で、初めて会ったとは思えないほど話しが弾んだ。
 最近どうしているか気になる。
 今年の夏は気仙沼に行ってみたい。
 もう一人のTさん(女性)連絡が付かない。
 今日のコース
 今日はまあまあの天気だと思って鏡山に行く事にする。
 箱館戦争の矢不来の戦いは鏡山にまで及び、山が激戦の場所だったとの文書がある。
 塹壕も山の周辺に多く作られた様だ。
 その塹壕探しと新たな茂辺地からの鏡山縦走コースを歩く事にする。
 戦いが鏡山で行われたとすれば、新政府軍は茂辺地から進攻しているので、可能性のある道筋を歩く。
 車の置く場所が無く、少し離れた神社の前に置いてスタートする。
 30mも歩いたら、「あら〜珍しい。ここから山に行く人はまずいないよ」「どこの山に行くの?」
 「私は80歳だがあんたは幾つだ?」「69歳です」と言ったら、「もっと若く見えたよ」とお世辞なのか?
 昔は山が好きで、この辺りは随分登ったそうだが、今は何処を歩いたか記憶にないそうだ。
 「まあ気をつけて・・」と別れた。
 あらかじめ決めたコースの入り口に行くために歩いて行ったら、犬が2匹居て盛んに吠えている。
 その傍を通るのも厭だ。
 山の方に入って迂回しようと進んだが沢があってなかなか渡れない。
 沢で苦労する
 ようやく見つけた楽な場所から渡り、犬をかわして山に入る。
 いきなりの急登を登って行く。
 急登続きだった
 雪はそれ程降らなかった様だ。
 尾根道を徐々に高度を上げて行く。
 尾根道は快適

 林道らしき道がある

 明るくなった
 時々林道が出てきて、そこを横切る。
 さらにずっと直登する。
 気温はマイナス4度くらいで、時々雪が舞っている。
 かなり登ったら、そこから一気に下る。
 もったいない。
 この辺りは雪が少なく、下は氷の様に固いのでスノーシューも滑る。
 そして再び登りになる。
 ここも長い。
 鹿の親子?が出て来たが直ぐに逃げる。
 やがてピークに出る。
 見覚えがある。
 前に1度来た場所だった。
 丸山が綺麗だ

 尾根を行く
 少し右側に来てしまったが、左は沢があって行けなかったからこれが正解だ。
 後は知っているコースなので安心だ。
 大斜面だ!

 のっぽの木と松

 函館山
 太陽も出てきて暖かくなってきた。
 303m峰から鏡山に向かう。
 ここで強烈なブリザードになる。
 ブリザードだ
 この山は遮るものがないので、強風と一緒に雪が横に一直線に飛んで行く。
 向かい風と雪を受けて頂上へ到着。
 鏡山頂上
 写真1枚を撮って直ぐに下山する。
 相変わらず風は強い。
 一気に高度を下げて杉林に入ったら風も当たらなくなった。
 ここで昼食を取る。
 着ていた上のアンダーを素っ裸になって着替える。
 即着替えを着てセーターも着たら暖かくなった。
 脱いだシャツは汗でずっしり重い。
 一人の時はいつもこうなのだが、女性を連れて行く時はなかなかこれが出来ない。
 先日借りて来た植村直巳の「山小屋で1泊」の著書の中に、植村直巳も同じことをしている事が分かった。
 アンダーとセーターは必ず持つそうだ。
 ここだけが植村直巳流だ。
 昼食を取って歩きだしたら陽が出て来た。
 暖かい!
 下りをのんびり楽しみながら、車道まで下る。
 通せんぼ
 ここから車道を車まで歩く。
 意外と長い・・。
3月10日(日)暴風と雨と小雪
 昨日の夜から強風が吹き荒れた。
 朝起きて雪でも積もっているかと思ったが、少ししか積もっていなくて除雪も必要なかった。
 こんな日には何をするかとなり、考えた末に午前中は執筆作業で過ごした。
 道南の旧山道を書いているが、普段はなかなかまとめられない。
 こんな時に資料を纏めなくてはならないのだが、パソコンに向かって長時間作業するのは辛い。

 午後からはファイルの整理をする。
 旧道に関する資料がかなりの量集まっており、どこにあるのか分からなくなっている。
 結局半日かけて、ファイリングをし直した。
 資料を見ていればまた新たな事が分かって、ついつい手が止まって見てしまう。
 それでも書棚はすっきりとなり、資料も取り易くなった。
 明日も暴風雪で家に閉じこもりになりそうだ。
 あ〜憂鬱な天気だ。
3月9日(土)義弟の5年祭
 義弟が無くなってから早いもので5年が経った。
 今日は5年祭と言う事で、義弟の長男の家に親族が集まった。
 七飯町の三島神社宮司さんに来て頂いて法要が営まれた。
 義弟は公務員を退職して間もなく不運にも離婚が成立し、一人で老後を生きなくてはならなかった。

 それでもこれから老後の人生を大いに楽しもうと言う矢先に病気になった。
 数年の治療のかいも無く帰らぬ人となった。
 人それぞれ色々な人生があるのだが、私から見ても後年は何とも悔やまれる人生であった。
 私自身は、何事にも一生懸命取り組んで、少しでも悔いのない様な人生にしたいと思ってはいるが、どうなるのかは神が知るのみだ。
 皆で美味しい料理を頂いて、故人を懐かしみ歓談した。
 一番義弟に係わったのは我々夫婦だったので、一層彼に対する思いに溢れる。
 酒好きな義弟も酒が飲んではいけない環境になり、好んで飲んだのは甘酒だった。
 アルコール1%以下の甘酒しか飲めなくなった酒好きの彼の、ささやかな楽しみであったのかもしれない。
 その甘酒を沢山持って行った。

 午後からは登山ルートの作成をする。
 今後、登る山や山道を「地図ロイド」にマイマップとして登録した。
 アプリ「地図ロイド」は簡単に国土交通省の地形図にルート図を書き込めるのが良い。
 道の無いコースばかりなので、この「地図ロイド」にコース登録をし、そのコースをトレースする。
 一緒に使うアプリの「山旅ロガ―」のナビゲーションが頼りだ。

 (地図ロイドに登録した赤線で書かれた旧旧礼文華峠)
 赤線で登録された、礼文華峠旧旧道は幕末の旅人が通った道だ。
 明治11年に旅したイギリス人女性「イザベラ・バード」はこの山道を「日本奥地紀行」に残している。
 「しかし何という素晴らしい旅行だろう! 何一つ欠ける所のない天国にも比すべき絶好の風景が此処にある」と礼文華峠の景観に感激し「景色は壮大そのもので、これこそほんとうの天国です」と書いた。
 この礼文華峠は現在積雪期でなければ行けない。
 現在ある旧道の礼文華峠は、この道の後の改良された新しい道になる。
 その後にさらに礼文華トンネルを通る国道が出来た。
 1週間以内には行こうと思う。
3月8日(金)江差山道調査
 幕末から明治初期の江差山道の調査をしているが、この道を調査していた函館大谷高校のT先生の存在を知る。
 大谷高校は東本願寺大谷派の学校なので、本願寺が開削した道路に着いて調査研究していた。
 彼の書いた手書きの資料について聞きたかったが、既に退職して本州に転居したと言う。
 彼の資料が北斗市のMさんに送られている事から、Mさんに話しを聞きたかったが、その機会に恵まれた。
 北斗市の郷土資料館で初めて会った。
 私より1つ年下の昭和19年生まれだった。
 江差山道について色々貴重な話しが聞けた。
 今は故人となった方々に道について聞き取りした話しも聞けた。
 まだ歩いていない急な山道もある。
 彼の資料を見た時には、あまりの急な斜面なので、推定で書いたのかと思ったら、Yさんと言う営林局に居た方からの聞き取りだった。
 Yさんも資料としては何も残していなかった。
 毛無山山系の木の1本1本まで知っている人だったそうだが、人にはなかなか教えなかった方だったそうだ。
 聞いた話を元に、今度は実際に歩いて調査してみよう。

 話しの中で、花巻さんと言う方が出て来た。
 やはり道に詳しい方だったが、今は施設に入っていて、もう話しは出来ないと言われた。
 彼の書いた資料を貰ったが、その中に衝撃的な本があった。
 表紙

 本になった
 その花巻さんと言うのは「熊と戦った親子」という本の主人公だった。
 花巻さんのお父さんは大野牧場の牧夫をしていた。
 ここでは毎年50頭程度の馬が熊に襲われていた。
 熊を獲る仕掛けとして「アマッポ」が置いてあった。
 アマッポ
 熊が近づくと、張っていた馬の毛で作った糸が切れて、銃が自動的に撃たれるというものだ。
 これで撃たれた熊に弾が命中しなかったので手追いになった。
 手負いの熊は直ぐに駆除しなければならなく、お父さんが行くと言うので息子の源一郎さんも行く事にした。
 村田銃は親子しかもっていない。
 他に4人が同行するが、山刀も何も持たないでついて行く。
 そしてカーブになった見通しの悪い、笹藪の中にいた熊を見つける。
 息子が5〜6mの所から撃つが急所には当たらない。
 飛びかかって来た熊が歯をむけ真っ赤な口を大きく開いて顔面にかみついて来た。
 とっさに足を熊に絡ませ、熊の顎の下にしがみついた。
 そして山刀で腹を刺した。
 その時熊の前肢で強打される。
 頭部が17cm切れ頭から血が顔面に流れた。
 お父さんが熊に抱きついた息子を助けようと、山刀で熊を数度突いたが熊は倒れない。
 お父さんは熊の口に手を入れて、舌をねじりあげ「この野郎!図太い野郎だ!」と何度も叫んだ。
 熊はあばれたが息子は必死に熊にしがみついていた。
 5分くらいこの様な状況が続き、やがて熊は倒れた。
 現場は血の海で自分も血まみれであった。
 自分の命も危ないと感じた彼は、本で読んだ事を思い出した。
 生きた熊の血は人間の特効薬だと・・
 山刀で熊の喉を切ると血が噴き出してきた。
 それをごくごく相当量飲んだ。
 これで助かると思ったそうだ。
 熊の死骸をそのままに自転車で帰ろうとしたが、途中で自転車がパンクしたので押して走って帰った。
 家の前まで来た時に、同行者から連絡を受けた救援隊がリヤカーでやって来た。
 当時は車が少なく、人を運ぶとなればリヤカーだった。
 昭和19年の事だ。
 リヤカーに乗り病院に行って手術を受ける。
 頭を縛った風呂敷は血が傷口にへばりついて離れない。
 風呂敷を取ったら血が吹き出て来た。
 17cmの傷を縫ったが、麻酔無しで縫った。
 先生が言うには麻酔をかけない方が治りが良いと言う事だった。
 その熊は身長2.2mで体重300kg位であったそうだ。
 でかい熊だ
 その毛皮は家宝として家に保管されているそうだ。
 息子は3日間休んだだけで、再び当時の国鉄に出勤したそうだ。
 こんな凄い人が施設には入っているが北斗市に今も実在する。
 この方が道に詳しく、道に関する資料や大野町(現北斗市)の歴史を残していてくれた。
 教育にも熱心で、大野町教育委員にも選ばれていた。
 今後この方の資料を元に江差山道の調査を続ける。
3月7日(木)ぶんぽ研例会
 昨日の夜、北海道新聞の記者の方からから電話があり、土方歳三が守った「二股口台場」の現地取材に同行する事になった。
 以前取材された時に、この台場は現地を見なくてはならないと言ってあった。
 雪質が良くなったら行こうとなっていたのだ。
 18日に行く事が決定した。

 今日はぶんぽ研例会の日。
 早めに出て郷土資料館に寄る。
 学芸員の方と江差街道についての情報交換をする。
 資料館のファイルの中から古い江差街道を手書きで書いた書類が見つかって、それの調査をしている。
 この事を知っている人が北斗市に居ると云う事で、会えないか連絡を取って貰った。
 その結果、明日の午後2時に会って頂ける事になった。
 これで江差山道の何か良い情報があるかも知れない。

 ぶんぽ研の例会に北斗市の文化財指定になった、旧市街地の掛け軸と沢田雪渓の石版画を展示していた。
 掛け軸は明治2年の物で、一軒一軒の家が書かれている。
 これが2枚あった。
 2日前に歩いた天狗岳北側の旧道も書かれていた。
 旧道も載っていた

 北斗市のエリアは古図では宿野辺川が境界であり、今より遥かに広い面積であった。
 箱館戦争で旧幕府軍に協力したので削られて、現七飯町に編入されたと言う話しがあるそうだ。

 沢田雪渓の絵は48枚くらいあり、明治18年の大野市ノ渡から江差迄の道路開削時の絵が書かれている。
 天狗岳北側の旧道
 これらは旧道もしっかり書かれているので、私も時々参考にしている絵なのだ。
 一昨日歩いた天狗岳北側の旧道も書かれている。
 皆で熱心に見て結構盛りあがった。
 地元の人にとっては興味深い物だろう。

 例会が終わった後に道の調査に行く。
 最初は、先日歩いた出合いの滝から江差側の道を探したが、雪が深くて発見出来なかった。
 道は分からず
 もう少し雪が溶けてから探そう。

 次に設計山へ行く旧道を入り口を探す。
 この辺りは全く地形の土地勘が無い。
 設計山に登るには中山峠のトンネル付近から林道を歩いてから尾根を登るのが一般的だ。
 しかし手書きで書かれた図には別なコースが書かれている。
 この辺りの地形を確認に行く。
 手書きの地図
(3本ある道の内、右側に書かれた道の入り口を探す)
 地図ロイドにGPSにルートを入れて、車で走りながら山旅ロガ―で探す。
 丁度地図の入り口に来た所で車を止めて見たら、林道らしき道が見える。
 まさか道は無いと思っていたが、幅広い道があるとは・・。
 この辺りは車を止めるスペースが無いのと、今日は時間も無いので車から降りて歩く事無く確認だけで終わった。
 はっきりした道が確認出来る

 想定コース
 設計山に登れるとすればこんなコースになるのだろう。
 尾根への取りつき場所が急斜面できつそうだが・・。
 でも道が有りそうな感じにも見える。
 次回に行って見よう。
3月6日(水)今日はのんびり
 今日は火災保険の会社の方が来るので、何処にも行けず家で待機状態。
 午前中に昨日不具合の有ったスノーシューを直した。
 ネジロックもしたのでネジの緩みは無いだろう。
 ベルトの長さも再調整した。
 これで多分大丈夫だろう。
 これでOKか

 そんな事をしている内に火災保険屋が来た。
 以前の家に掛けていた保険だが、今回の家は1年少しで取り壊すので、保険は最小限と考えていた。
 説明をするがあれこれと細部まで説明して長い。
 家は1年位で取り壊すので、最低限の火災保険だけで良い。
 見積もりは地震・家財も付いて4万円/年くらいだった。
 取り壊す家なので地震で潰れた方が助かる?
 家具は新しい家になれば不良だ。
 火災の際、隣家に類焼した時くらい何とかお金が出れば良いかと考えたら、法律上は火災による類焼は保証しなくても良いとなっているそうだ。
 でも申し訳ないので、30万円位はお詫びとして出す様だ。
 そんな事で、火災になった時にごみとして捨てる費用として、最低限の300万円保証に入れば16000円/年になるそうだ。
 今の家は隣家とは離れているので、我が家が火災になっても類焼はしないだろう。
 来年にはここを一時引っ越して、新しい家が建つを待つ事になる。
 1年の間に火災が起きたらどうするか?
 あくまで確率の問題だ。
 どうするかな。

 一昨日の強風で北電の引き込み線のボルトが外れた。
 宙ぶらりん
 北電に電話したら、家のボルトはそれぞれの家に属するそうだ。
 そこを直すのは有料となるそうだ。
 北電で電線を引き込むために付けて行ったボルトなのに・・。
 「それなら自分でやります」と言ったら、少し待って下さいと言う。
 やはり感電を心配しているのだろう。
 ケーブル被服があるから大丈夫なんだけど・・。
 関係部署に電話したら、ボルトが外れた事により電線が垂れ下がっているとなれば、北電で修理するそうだ。
 ボルトが外れたから当然電線は垂れ下がっているだろう。
 面倒なやりとりだな。
 簡単なので自分でさっさとやれば良かった。
 北電の方がやって来た。
 でも作業車の手配がまだつかないそうだ。
 用事があるので出かけても良いですかと聞いたら、良いと言うので頼んで出かける。
 帰って来たら工事は終わっていた。
 工事完了
 無料でやってくれました。
 ありがとう。
3月5日(火)鏡山新コース
 天気も良いので、スノーシューのテストと新コース探索に出かける。
 午後からは妻の通院があるので、1時までに戻らなければならない。
 近場の北斗市にある鏡山に行く。

 (今日のルート)
 行ったら車が10台位止まっていた。
 沢山の車
 鏡山に何処かの山岳会が登ったのだろう。
 それにしても人気の山だ。
 山岳会が行ったコースは今まで何度も歩いているのでここは行かない。
 南に200m位離れた場所から山に入る。
 尾根は全く別な尾根になる。
 いきなり急斜面
 直ぐに急な斜面になる。
 今日は暖かいので直ぐに汗ばんでくる。
 新しいルートを地形図で見たら行けそうだとなり、地図ロイドにコースルートをインプットしておいた。
 道は尾根を行く道でなかなか良い感じだ。
 尾根道は良い感じ
 サイドの爪を付けたスノーシューも快調だ。
 アップダウンがあるコースで、誰も歩いていない。
 鹿の足跡が私の行く方向と全く同じに付いている。
 しばらくして足元を見たら、ベルトが外れている。
 あれ〜。
 昨日ベルトを交換したが、ロックネジが無かったので普通のネジで止めた。
 これが駄目だった。
 しかしこのスノーボード用のビンディングは前のベルト一つで、全く問題なく歩ける。
 これはすぐれものだ。
 普通の物はベルト無しで歩く事は出来ないだろう。
 尾根の斜面登りも一度平坦地になった。
 ここは知っている場所だ
 ここは他からのコースから来る時に、登るコースになるので、これから先はパスする。
 今日は新しいコースの確認出来たのでここから下る事にする。
 途中の急な斜面をスノーシューで登ってみた。
 雪質が重いせいか全く滑らないで登れた。
 ここは簡単に登れた
 やはり新雪でテストしなければならないかな。
 やがて車の駐車した場所に着いた。
 1時までに戻れそうだ。

 家に帰って妻の病院に行く。
 今日は2つの病院なので、1つの病院に置いてウィンドウショッピングでもしようかと思ったら、直ぐに電話が来た。
 先生が回診なので薬だけだして貰ったそうだ。
 薬だけなら超早い。
 次の病院に向かったら、バッグを忘れた!
 急遽戻る。
 前の病院に忘れていた。
 お互い忘れ物が多くなる年代だ。
 責めない責めない。
 次の病院は脳神経外科で初診になる。
 肩の神経が痛いのだが、今まで病院に行って居なく最近痛みが増したので遂に行く気になったようだ。
3月4日(月)スノーシュー製作
 いい天気で絶好の山日和になった。
 山に行くか、スノーシューの製作にするか迷ったが、スノーシューの製作にした。
 旧家に行って工作をする。
 今日はサイドの爪作りだ。
 昨日の雪中でのテストで良い感触を得たので、サイドの爪もこの際作ってしまう。
 3mmのアルミプレートを加工する事にする。
 まずは4枚のプレートにするが、これは金切り鋸で切る。
 3mmプレートをカット
  次に万力に挟み折り曲げる。
 その後は爪の形状に金切鋸でカットする。
 爪の長さは適当に設定した。
 スリットを入れた

 刃の形にカット
 これをスノーボードのビンディングに固定して完成した。
 良い感じになった

 長さはこの程度
 後は実際に歩いて爪の長さのテストをする。
 昨年、キャンプ用椅子で使っているアルミポールを加工して作ったが、靴を固定する部分にベルトを使ったので、強度が無くて、上手くいかなかったが、スノーボードのビンディングの活用で一気に完成に近づいた。
 今回で一応使えるようになるが、今後は爪の長さをワンタッチで交換できるようにする事も考える。
 買えば有名品だと数万円もする。
 廃物利用で気に入ったマイスノーシューを作るのも良いだろう。
3月3日(日)スノーシューテスト&鶉山道調査
 昨日は温泉に入ってから、寒風の中を歩いてクラス会の打ち合わせに行った。
 それが見事に効いて、朝起きたら風邪気味だ。
 鼻水が出て、少し寒気がする。
 天気は快晴になった。
 山に行こう!
 汗をかいて着替えればすっきりするだろう。
 昨日完成したスノーシューのテストもしたい。
 行く先は「鶉山道」で明治初年のまで存在した道だ。
 今、明治初年に開削した、本願寺道路を調べているが、その調査資料の中に昔の道が出て来た。
 その道を探しに行く。
 これが出て来た資料
 
 Yahoo地形図
 上は今日のルート。
 Yahoo地形図は天狗山の表記が間違っている。
 下の国土地理院地形図が正しい。
 国土地理院地形図

 大野ダムの入り口に車を駐車する。
 先客の車が1台止まっていた。
 何処に行ったのかな?
 スノーシューを付けて歩く。
 雪は湿って重い。
 スノーシューは初めにしては快適だ。
 最初は違和感があるのかなと思ったが、すんなりと歩く事が出来た。
 かがと部分は浮くようになっているが、シューが軽いのでスムースに作用している。
 天狗山山頂方面
 ダムに至る道の山側は急斜面で、今にも雪崩が起きそうな雰囲気だ。
 最初は林道を歩く。
 積雪は30〜40cmくらいだろうか。
 天気が良いので気持ち良く歩ける。
 林道を行く
 しばらく林道を歩いて行ったら、道が右下に下がって行く。
 林道は右下に行く
 方向は違うので旧道を探す。
 正面に高い山があるので、道は左側の平坦地であろうと方向を変える。
 旧道は生活道路だから、山の頂点は滅多に通行しない。
 道が出て来た
 平坦な場所に入って探したら、僅かな雪の窪みがあった。
 長年の感で道だと直ぐに分かる。
 その道を下って行く。
 しばらく下ったら一度沢に降りて、そこを出たら道がはっきりしない。
 どちらへ行くか迷う所も・・
 少し探して何とか道を見つけた。
 コースからは三角山が見える。
 三角山
 ここから少し行ったら、国道227号線が眼下に見える。
 国道が見えた
 道は国道と平行に高台を行く。
 さらに進む
 そして着いた所が出合いの滝だった。
 安政元年(1854)市渡大悲庵(現・円通寺)の道仙と木間内の麓長吉はそれぞれの地元より開削し、ここ小滝の沢(出合いの沢)で再会する事を約束して着工したが、資金難で挫折した。
 国道に有りるのには雪壁があった。
 スノーシューを脱いで下に落としたら、車道まで出て行った。
 慌てて尻滑りで降りたが、車が来なかったので事なきを得た。
 出合いの滝

 スノーシューの今日の結果は全く問題は無かった。
 ただ改良点としては、雪が粉雪の時はあまり沈まない様に、フロートを付けられる様にする。
 ワンタッチで付けたり外したり出来れば便利だ。
 今日は側面の爪は無かったが、今日の雪では全くずれなかった。
 固い雪の場合もあるので、側面の爪は付けよう。
 急斜面も滑らないで登れたが、雪が湿っていたからか。
 今度粉雪で試して見よう。
 スノーボード用のビンディングは少し重いがホールド感は良い。
 しっかり固定出来る。
 今後は、毛無山、設計山の鶉山道や、中山峠を越えた江差側の山道も調べよう。
3月2日(土)スノーシュー製作
 今日は大荒れの天気なので、家で書き物に徹しようとパソコンのキィを叩いていた。
 そこに知り合いから、無料で差し上げ事になっている家を見たい人がいるとなり、旧家に行く事になった。
 昨日は落雪で入れなかった入り口を除雪して待つ。
 その間に近所に配送に来たトラックが埋まってしまい、脱出のお手伝い。
 空荷のトラックはウェイトが掛らず滑って脱出出来ない。
 諦めて会社の車を呼ぶ事になった。

 家を欲しい方が来た。
 話しを聞いたら、現在ハーレーダビットソンの整備の店をやっているのだ、今年夏までには大家さんから出てくれるように云われているので物件を探しているようだ。
 しかしここは住宅街だし、普通の民家なので希望には合わないので、不調に終わった。
 バイク整備の店は音の問題で、行政の許可を受けなくてはならないが、住宅街は難しいらしい。
 北海道のバイク事情を聞いたが、冬期は仕事が無く大変な様だ。
 東京に行った仲間二人は、今年は店を構えるそうで遅れを取ったと嘆いていた。
 やはり北国はバイクに不利なのか?
 函館の全国チエーンのレッドバロンも冬期は店を閉めて、従業員は暖かい地域で仕事をするようだ。

 家に行ったついでに、スノーシューの製作をする。
 今日は爪の製作とスノーボード用のビンディングの取り付け。
 ボール盤や金属カッターがあるので仕事はやり易い。
 2時間位で完成した。
 
 爪は従来あった金具に抱かせた。
 これで良ければ一体もので製作する。
 後は爪の長さを何種類か作り、雪質や行くコースによって爪の交換が出来るようにする。

 フロントの爪

 ここまで出来た

 残る作業は横側にずれないように爪の製作をする。
 これを行って完成する。
 
 完成後久しぶりに元近所の温泉「なごみ」に行く。
 今日はファイターズのオープン戦初日でテレビに放映される。
 見たいなと思っていたら、スタッフのおばちゃんが「今日はファイターズのオープン戦があるのでチャンネルを変えるよ」と言って変えてくれた。
 流石北海道だ。
 テレビでファイターズの試合をじっくり見てから、高校のクラス会の打ち合わせ。
 50年記念誌の原稿も徐々に集まって来た。
 今回、50年ぶりに同級生が確認出来た。
 私の家の近くに住んでいる事が判明したのだ。
 分からないものだな。
 こんな近くに居たとは。
3月1日(金)混合栓の取り付け
 一昨日は結婚記念日だった。
 バックパッカーが来たので、つい忘れてしまっていた。
 バックパッカーに「何年目」と聞かれたが、43年?44年?とかなりあやふやになって来た。
 昨年のブログを見たら、温泉に一泊していた。
 今年は計画なしに終わってしまった。
 それでも何かやろうとなり、昨日ロールケーキを買ってきてささやかな結婚祝い。
 ささやかな祝い


 今日は旧自宅でスノーシューの加工をやろうと家に行ったら、ゲストハウスの屋根の雪が全て落ちて、ドアの1/3は埋まっていた。
 昨日除雪して中に入れたので、今日はスコップも持って行かなかったので入るのは無理で戻って来た。
 屋根の雪が全て落ちた

 家に帰って混合栓の取り付けをする。
 以前15000円程度の品を特売の5000円で購入して置いてあったのがある。
 
現在の蛇口の水用と湯用を外し、間に食器洗い用の分岐を付けようとしたら径が合わない。
 現在の蛇口

 外した

 右を購入
 (左の分岐は径が大きくて取り付け不可、右の物を購入)
 以前の物を活用しようと旧宅から外して来たのだが・・。
 仕方が無くホームセンターで5000円を出して購入。
 取り付けは簡単であっという間に出来てしまった。
 完成
 明日から北海道は大荒れの天気になりそうで、山には行けそうにない。
 2〜3日は閉じこもり生活になるのか。
 折角屋根の雪も落ちたのにまた積もったら厭だな。
 HP TOP