4月29日(水)パークゴルフ
 明日はぶんぽ研もあるので、パークゴルフの練習は出来ない。
 そこで今日も有川河川敷の無料ゴルフ場に行く。
 それもママチャリで行く。
 距離は10km程度だろうか?
 少し自転車足も鍛えておかなければならない。
 寒かったが一生懸命漕いだので汗が浮かんでくる。
 ゴルフは快調でパー2が結構あり、ショットも距離感方向ともかなり良くなった。
 町内会の例会が楽しみだ。

 帰る途中我が家の近くのY子さんが自宅で車を降りるのと遭遇し「コーヒーでも飲んで行かない」と言われ、お邪魔する。
 旦那と息子が居たが息子はまだ布団を被って寝ていた。
 少しの間話して帰宅。
 原口佐々木さんの本の表紙を50部印刷する。
 残りは製本だけだ。
 あと少しだな。

 最近FBでソーラーパネルが話題になっている。
 旅用に使うと言うものだが、従来のソーラーパネルは充電はなかなかしないし、高価格で評判は良く無かった。
 私も持っているが一日充電してもなかなか満杯にはならない。
 今回USAから出たGOALZEROは出力が7Wで定格出力は5V1Aある。
 1Aあればスマホを使いながらでも充電してくれる。
 2時間もあれば十分充電するようだ。
 旅用にはうってつけだ。
 収納時は23cm×16cmで厚さは2.5cmと小さくなる。
 価格も1万円を少し超えるが、実価格は5800円で売っている。
 従来の1万数千円もしたが性能が今一つの物に比べ格段に安い。
 小遣いを節約して何とか購入したい。
 5V1Aの出力があるのが魅力だ

4月29日(火)初の登山&旅人出発
 家の中を整理していたら、山日記が出てきた。
 1963年だからおおよそ51年前の19歳の時の日記だった。
 初めての登山の事が書かれていた。

 5月26日(晴れ) 鈴蘭ヶ丘
 「本日は晴天なり 初の登山、新しいリュックにキャラバンシューズ ガード下の店でお菓子を仕入れる。
 左右に田植えを見ながら一本道を行く 山の緑が目にしみる。
 左に松林のある所で初めての登り T時路に出ると右ははるか日浦の方まで見える。
 左の方には袴腰であろうか まだ残雪が見える
 ここから多少の登りが淡々と続く 三森山が段々迫ってくる まもなく鈴蘭ヶ丘に着く。
 その名の通り大きな鈴蘭が咲いている。
 そこから10分ほど歩くと道が無くなり、背の高さもある草木を分けながら行くと急に道に出ると松倉川に出る。
 意外な方向であった。色々なものの寄せ鍋である。途中で集めたミツバやワラビを入れる。
 ワラビの苦い事、肉まで苦くなった。 でも良い思い出になる事であろう。
 同行 田中征勝、佐藤満 」
 懐かしいが場所がはっきりしない。最初の登山から鍋を持ち歩いていたのと、藪漕ぎをしていたのが面白い。
 藪漕ぎは今でも好きだし、キャンプでは良く鍋をする。
 この辺りから今があるのだろう。
 ワラビは知らないとは言え灰汁抜きもせずに食べたのでは堪らないだろう。
 
 三重県と奈良県から来たカップルの自転車の旅人が今日出発した。
 深夜のフェリーで青森に向かい、太平洋沿岸を南下して沖縄に向かう。
 将来の事、仕事の事や家庭の事などなど二人で確認し合う旅の様だ。
 もうサラリーマンにはならないで、二人で出来る別な道の仕事を考えているようだ。
 男性も女性も礼儀正しく誠実な人なので、きっと良い人生を切り開いて行く事だろう。
 それにしても二人とも荷物は多い。
 夕方のGHを出発して行った。
 最後まで手を振りながら・・・。
 彼の荷物

 彼女の荷物

 記念撮影
4月28日(月)パークゴルフ練習会
 今日は今シーズン初めての町内会パークゴルフクラブ「マスターズ桔梗」の練習会。
 朝、早く起きて家の周辺を30分ばかり散歩する。
 普段目にしない物が色々見える。
 道端には名前は知らないが花が綺麗に咲いていた。
 何と言うのかな?

 町内会館前には約半年ぶりで、30名位が集まった。
 皆、元気で集まれる事が嬉しい。
 半年の間に入院した人、医者から煙草を止めないと命に関わると言われ煙草を止めた人など等。
 車に分散して桔梗高台パークゴルフ場に向かう。
 早速組み合わせを決めてスタート。
 Bコースからスタートしたが、今年初めてのコースに戸惑って34で廻った。
 今年の目標の30以下は最初からならず。
 次のCコースも33とほぼ変わらず。
 Aコースになって2パットホールが3回有り25で回った。
 25は自己ベストだ。
 Bコースは26とこれも良いスコアで昼食。

 午後から組み合わせが変わり、3コースを回って27、28,、27と良い感じで終えた。
 皆から昨年より格段に良くなったねと言われた。
 昨年は1年目と言う事もあり、フォームを何度も変えながらプレイしたので、結果は思うようにいかなかった。
 今年はフォームも決まったので、同じ打ち方しかしないためか安定してきた。
 町内会トップ3を目指して頑張ろう。

 夕方自転車のカップル旅人がやって来た。
 昨年北海道に来て、冬はバイトで過ごし、春に南下して来た。
 これから九州沖縄に向かう。
 女性の方が九州一周など自転車のキャリアが長い。
 彼女が日本一周すると言う事で、彼も同行する事になったようだ。
 暫らく歓談して、二人は温泉に行った。
4月27日(日)スパッツ製作
 昨日、五稜郭「天金」で遭難して亡くなった「斉藤さんを偲んで山を語る会」が行われた。
 故斉藤さん
 捜索に加わった懐かしい顔ぶれが集まった。
 何故か懐かしく感じるのは自分だけだろうか?
 捜索には44名が参加したが、その内26名が集まった。
 坂口さんのブログから借用
 遠方の方は出席が難しかったであろう。
 最初に斉藤さんが撮ったビデオが流れた。
 簡単な説明を入れながらのビデオ撮りだった。
 毛無山から縦走して設計山手前まで来た所の、590mポコが今回のポントだった。
 下の地図でスキートレースと書かれた場所で撮影して、その先に行って戻ったのか、同じ場所で再び撮影している。

 夕方17時だった。
 夕日に染まる駒ケ岳がアップで映っていた。
 音声が「やっと戻って来た。えらい目にあったな」と入っている。
 590m以降のビデオが全く無い事から、カメラを忘れて進み、何処かで気が付いて戻ったのだろうとの推定だった。
 確かにそうかも知れないし、行った先で何か大変な目にあったかの何れかであろう。
 そしてここにビバークしたのか、ツエルトも無いので寒くて眠られる状況ではない様に思う。
 寝ない様に徹夜で過ごしたのか?
 そして翌日出発に戻ろうとして力尽きたか?
 自分ならどうするのかなと考えた。
 ビデオを忘れたら戻るかどうかだがこれは難しい。
 やはり戻って回収したいと思うだろうな。
 でも時間が夕方になるので先を考えれば、難しい判断がいる。
 山で泊まるか暗闇の中を歩いて戻るか?
 何れにしても大変な状態は想像できる。
 結局はその時の状況になって見なければ、どんな判断をするか分からないと言う事だろう。
 会場にはブリガンズ山岳会会長の草刈さんが作った曲で、女優の壇ふみさんにお願いして朗読して貰ったものだそうだ。「満月の滑空」の詩の朗読が流れた。
 「・・・そして又 夜はいつも 静かに明ける 時には 君がそばにいるように・・・」
 自己紹介があってそれぞれが斉藤さんとの係わりを話した。
 その後は、山仲間として皆で歓談した。
 私の向かいに座ったSさんは、七飯岳〜鳴川を冬に歩いていたのを「ヤマレコ」で見た事があった。
 ロッククライマーで格好が良い、隣はTさん、GPSの話して意気投合。
 Nさんは私の「人生の楽園」撮影帰りに会った方で、彼はその時の事を良く覚えて居てくれた。
 その他にも色々な方と話して楽しかった。
 今度、山に一緒に行こうとの話しも出た。
 こんな仲間との山行も楽しいだろな。

 今日はスパッツを作った。
 登山のスタイルは下はロングタイツでその上に短パンなので、靴の中に木の屑などが入る。
 ロングスパッツは如何にも合わないので、ショートスパッツを手縫いで作った。
 手縫いだ

 これでごみは入らないか
4月26日(土)製本道具製作
 松前町原口、佐々木さんの本の印刷50部が出来あがった。
 今度は背表紙の糊付けなのだが、今までは本と言っても部数が少なかったので、印刷した書類を手に持って、糊づけしていた。
 今度は部数が多いので道具を作る事にした。

 (完成した製本道具)

 (揃えた紙をここに載せる)

 (紙の上にカバーを掛けて押さえ、ゴムで止める予定。出ている紙の背の部分にグル―ガンで接着させる) 
 家にあった廃材を使ったので、無料で2時間余りで完成した。
 これで製本の効率がかなり良くなるだろう。
 当分これで切る

 家の解体をしているがチエンソーのスプロケットが飛んで消えてしまった。
 以前から調子は悪くて、何度も調整していたのだが遂にダウン。
 仕方が無く木を切る鋸を買ってきた。
 これで切るしかない。


 地平線会議野宿党の仲間に山辺さんがいる。
 彼は歩いて全国の城を回っている。
 消息がなかなか分からなかったが、中国地方紙に彼の記事が載った。
 自分で作った甲冑を着て旅しているようだ。
 毎年青森ねぶたでは会っていてよく知った中なので応援したい。
 最期の城は北海道の松前城になるので来るのが楽しみだ。

 山辺さんの記事(山陰中央新報)
4月25日(金)旅人理江ちゃん
 昨日の夜、三十三観音100年記念行事主催の実行委員長から電話があった。
 彼の家に置いてきた小冊子「旧函館山西国三十三観音巡り 歴史と旧参拝ルートを探る」に凄く感激したとの電話であった。
 実は彼も同じく元となる「南部藩蝦夷地経営図」から旧観音コースを調査していて、一応の結論を出して数回は歩いたそうだ。
 小冊子を見た感想としては自分の調査と90%程度は同じだそうだ。
 GPS軌跡と地図との比較に凄く興味があったそうだ。
 お互いの違う個所をこれから検証して見るのも面白いなとの話しをした。
 来月の記念行事には伺ってその時に、まだまだ話しをしようと言う事で電話を切った。
 同じ資料を元にお互いが調査していた事が嬉しかった。
 両方の調査を纏めて一冊の本として残そうと思う。
 函館山の観音は要塞化で降ろされ、湯川町にに観音が移設され、今でも湯川寺に当時の観音がある。
 湯川の町にその観音が配置され、多くの人が参拝して歩いた。
 湯の川の事も含めて、何れ追筆しようと思っていたので、良い機会になった。
 小冊子

 詳細マップもある
 来月が楽しみだ。

 朝に旅人理江ちゃんから電話が来た。
 「今何処に居るの?」と聞いたら「四国にいる」と言う。
 「今年は函館に早く入るから・・」との返事とともに「あの手押し車ある?」
 聞いたら知り合いの(四国で知ったのか?)男性が歩きお遍路するので、貸してくれないかと言う。
 彼女は奥尻をこの手押し車で一周してすっかり良さは知っているから、教えてあげたんだろう。
 理江ちゃんの奥尻島ウォーク
 四国お遍路には最高に力を発揮してくれるだろう。
 一応メンテナンスして送るよと言った。
 出番だぞ!
 今家の解体をしていると言ったら、手伝いたいと言う。
 彼女には桔梗の旧家の屋根のペンキ塗りや2F屋根裏のハチの巣撤去など世話になった。
 高い所が全く持って平気なのである。
 私とは全く違うので、屋根の解体は彼女になるかな。

 私が所属する「地平線会議野宿党隊長」の冒険家安東さんは今、カトマンズに居てメールが来た。
 エベレストのベースキャンプに行っていたそうだが、シェルパ16名が大惨事に遭い亡くなったそうで、シェルパは今、エベレスト登山を止めているそうだ。
 日テレの「いってQ」のイモトアヤコのエベレスト登山チームも行っていたが予定したシェルパの確保が出来なくなった。
 急遽、行けるシェルパを用意したが、危険だとの話しが広がっているそうだ。
 安東さんはイモトには会えなかったが、平出和也、竹内洋岳、谷口ケイさんと会ったそうだ。
 平出和也・竹内洋岳さんはICI所属の登山家で竹内さんははプロ登山家だ。
 安東さんが強烈に青森ねぶたを誉めて誘ったのか、谷口ケイさんが青森ねぶたに来るそうだ。
 谷口ケイさん
 女性登山家で2008年にカメット未踏ルート南東壁初登攀で、女性初の第17回ビオレドール賞を受賞している。
 今年の青森ねぶたも楽しみだ。
 高所恐怖症解消の教えを請いたい。
4月24日(木)新聞が賑やか
 最近、私の活動している事に関連する新聞記事が何か多いように感じる。
 「まちあるき観光」のシンポジウムでは、私が最前列に座っている写真が載った。
 知り合いのガイドの鎌鹿さんがパネラーで出たので参加した。
 以前は町歩きガイドもやっていたので関係がある。

 黄色のウィンドブレーカーが私。

 その後「土方歳三ツアー」が新聞に載った。

 みなみ北海道観光推進協議会の集まりの中で決まったそうだ。
 知名度の高い土方歳三を使って活性化させようと言う事だ。
 江差の高級旅館「群来」の社長から、資料購入して頂いた時、この話はしていたので、何時になるかとは思っていた。
 江差には大変世話になっているので、何とかお手伝いしたいが、バス観光なのであまりマニアックな旅では無いだろう。
 協議会会長の打越さんにも、土方の道踏破の時、町民の方々と一緒にゴールで迎えてくれたので、大変お世話になっている。

 そして今日は函館山三十三観音が100年になるので記念行事をやると言う。
 是非見に行かなくてはならない。

 三十三観音は函館中央図書館で入手した「南部藩蝦夷地経営図」に書かれた三十三観音コースを解析して、巡拝コースを本に纏めたいきさつがある。
 今年が100年だとは全く知らなかった。
 私の書いた本の内容がどうなのか、多分実行委員会の中には詳しい人もいるかと思い、早速実行委員長に会いに行ったが、仕事で不在だった。
 取り敢えず本を置いてきた。
 来月の記念行事で会えるだろう。
 旧三十三観音コースが復活すれば楽しいだろうと思うのだが・・・。

 そんなこんなで廻りが賑やかな雰囲気になっている。
4月23日(水)NHK武野さん来る
 約束通りNHKのディレクター武野さんが自転車でやって来た。
 2007年の土方歳三の歩いた道踏破の時、スタート地点から森町まで取材をしてくれ、全道版のニュースで流してくれた。
 私自身もNHKの全道版に出たのは初めてであった。
 その時以来のお付き合いだ。
 暫らく部屋の掃除をしていないかったので朝から掃除したらすっかり綺麗になった。
 掃除したぞ!
 何か良い情報提供でもしたいのだが、今は下二股口台場しかない。
 旅の計画もあるのだが、何か色々とやり過ぎてなかなか時間が取れない。
 少し整理しなければとつくづく思う。
 「下二股口台場 報告書」の資料を用意して渡す。
 台場の映像を撮ろうかと言う話しも少しあったのだが、見送りになった経緯がある。
 彼も今年の夏には東京に戻る予定だそうで、そうなれば下二股台場の取材はもう無理かな。
 2時間くらい色々な話しをして帰って行った。
 転勤になる前にもう一度会いたいものだ。

 午後から家の解体をする。
 1Fの居間部分の天井が総て撤去で来た。
 ここは元々車庫で天井にはチエーンブロックが吊るせる鉄骨が入っている。
 その後事務所にして貸していたが、その後我々が戻って来て居間に使っていた所だ。
 解体に伴って薪が出たので切る。
 天井がすっきり

 ここは鉄骨が入っている
 終わって家に入った途端、桔梗の妻から荷物が届いてそれを、発送しなければならないので来てくれ!
 と言う事で桔梗に行く。
 相変わらずドタバタしている。
4月22日(火)本の印刷終わる
 今作成中の原口佐々木さんの半世紀を書いた本の印刷がようやく終わった。
 紙がなかなか入荷しない、予定した数量で足りなく、インクを追加発注したり、時間が随分掛った。
 その他に印刷機が故障したりもした。
 7000枚の印刷ってこんなに大変だとは思わなかった。
 それでもようやく終わって一安心。
 後はページを確認して、印刷不良が無いかを確認し、さらに背表紙の糊付けと、表紙の印刷及び糊付けが待っている。
 まだ10日くらいは掛るかな。

 昼前に妻の所に行く。
 生活費が無くなった。
 取り敢えず私の小遣いで生活し、無くなくなったら領収書を持って行き、使った分を貰ってくる。
 行ったついでに桔梗高台パークゴルフ場の会員申し込みと、回数券を買いに行く。
 来週から始まる桔梗町内会のパークゴルフは、今年は回数が大幅に増えた。
 そこで会員になった方がプレイ代が安くなる。
 写真を持って行ったら、ゴルフ場で撮ってくれた。
 仮の会員証と回数券

 昼食に久しぶりに回転寿司に行き、お腹一杯食べた。
 自炊では何となくマンネリになってしまう。
 でも不自由は全く無い。
 自分の味が出来てきている。
 それもあって100円寿司が高級料理を食べた感じになる。
 本当に美味しいのだ。
 帰りにス-パーに寄って食材を買って貰う。
4月21日(月)色々な日
 昨日ぶんぽ研の総会に行った際、有川パークゴルフ場がオープンして皆やっているよと言われた。
 このゴルフ場は北斗市の無料ゴルフ場で、コースはかなり難しい。
 ここで良い成績を取れれば、他のゴルフ場は楽だと言われている。
 やはり顔を出しておかないと忘れられてしまう。
 行ったらまだ早いので1ラウンドを一人で廻る。
 ショットが真っ直ぐに飛ぶので満足。
 皆が集まって来た。
 総勢17人だ。
 組を分けて早速廻る。
 相変わらずショットは良かった。
 途中でホールインワンも取った。
 結局4ラウンド回って帰る。

 帰って秋田六郷のかっぱりクラブへ行者ニンニクを送る。
 秋田では殆ど無いので喜ばれるだろう。

 次にチャリで処和タウンのショッピングセンターへ行く。
 無くなったインクは昨日入荷したので、次は紙だ。
 本を作る紙が無くなった。
 いつもの文房具屋に行ったらまだ入荷していない。
 ナチュラルが欲しかったが、アイボリーしか無かったのでそれで我慢して貰う。
 今後大量に紙が必要な時は、専門店に行かなければ駄目だと言うのが分かった。

 プリントをしている間に、食料を買いに行く。
 4時過ぎなのに人はまばらだ。
 モヤシ2袋で27円、他に肉やキャベツ、ソーセージ、パンなどを買って戻る。
 肉を3回分に小分けして2回分は冷凍庫に入れた。
 それにしても、プラ容器の底上げが凄い。
 薄い肉の厚さをごまかそうと言うのが見え見えだ。
 上げ底だ! 
 後は夕食を作って今日は終了。
 あっという間の1日だった。
4月20日(日)台場山ツアー
 箱館土方組主催の台場山ツアーのガイドをする。
 超土方ファンの方々ばかりなので、今日はハードな史跡巡りになりそうだ。
 スタートして鶉山道の話しをしながら、台場山登山口に入る。
 少し行けば弾薬庫跡がある。
 ここでしばし説明する。
 さらに登るとトイレ跡、土方も使ったかも知れないのに、ここは興味が無い様だ。
 F-12塹壕に行く。
 急斜面を登って着く。
 最初からハードだがまだまだ。
 下に降りて屯舎跡、米とぎ場、風呂場跡を見る。
 山中の戦いとは言え、風呂や米とぎ場も有ったのだ。
 今度は藪こぎで台場山頂上→F-3→F-4塹壕を案内。


 F-1塹壕
 ここは一般の人は連れて行かない。
 笹の藪漕ぎが延々と続く。
 土方ファンだから我慢して来るだろう。
 ここを見ないと台場の全容が分からない。
 ようやくF-4塹壕に着く。
 F-4塹壕
 そして戻る。
 今度は旧幕府軍と新政府軍の間にある下二股沢川に行く。
 この川を挟んで戦いが行われた。
 急斜面の連続だ
 またまた戻って、今度はハイライトのF-10塹壕を目指す。
 ここに行くには急斜面の連続だ。
 みんな喘ぎ喘ぎ登って来る。
 ようやく出てくるのがF-7塹壕、続いてF-8からF-9と進む。
 最期は尾根を直登してF-10塹壕に着く。
 ここは敵陣が真下に見え、自軍の各塹壕も見えると言った好位置にある。
 恐らく指揮官の土方歳三が居たのだろうとの言葉にファンとしては堪らない場所だ。
 「誠」の隊旗を掲げて記念撮影。
 F-10塹壕で
 更に奥のF-11塹壕を見て、もう下ろうとのリクエストでF-12〜F-15は見ないで下る。
 下りはコースを変えたが、滑って大変だ。
 土と格闘しながらようやく下山。
 ここも滑る
 箱館戦争慰霊碑の前で、水を巻き、お酒を巻いて霊を慰め下山する。
 参拝する

 記念撮影
 お腹が空いた皆が、とんかつ屋に行くと言うので動向。
 超大きいカツが有名らしい。
 910円でカツ定食を食べた。
 カツ定食は久しぶりだ。

 その後は大野ぶんぽ研の総会に出席する。
 会長挨拶
 集まったのは10人位かな。 
 あっと言う間に問題も無く終了して懇親会になる。
 ここで先日訪問した756年前の炭焼場の話しをされられる。
 まあ場が盛り上がれば良い。

 家に帰って妻と野球を見る。
 大谷君が2勝だ。
 ここに泊まろうかとも考えたが、まだ仕事が残っているのでGHに戻る。
4月19日(土)山菜採り
 最今日は山に登らず、山菜取りに徹底しようと出掛けた。
 函館市恵山方面の、私が良く調査で訪れた、古部山道をに行く。
 ここは行者ニンニクの宝庫で何人で行っても取りきれない位群生している。
 旧山道を登って行く途中にも有ったが、ここは採らないで、予定の場所に着いたら、あるある。
 早速取り始める。
 熊防止のため、スマホに収録していた演歌が、大きな音のスピーカーを通して流れる。
 自分としてはノリノリになって採れるのだが、他の人はどうかな?
 2時間くらい採ったであろうか、ザックは満杯で、手にも持つだけ取れた。
 もう止めようとなり戻る。
 せっかく来たのだから、来年のために他の場所も探して見ようとなった、そうしたらあるある。
 それも太くて良い物ばかり。
 またまた採り出すが、もう入れるものも無い。
 やはりもう止めようとなり、ようやく終わる。
 まだまだ凄く量がある。
 ずっしりと重いザックを背負って下る。
 格好が山菜採りだ
 下について車の傍で帰りの準備をしていたら、おばちゃんがやって来た。
 家は漁師をしているが、春鱒が全く捕れないそうだ。
 他の魚も捕れず大変らしい。
 自分の家で食べる魚も無いそうだ。
 燃料も高騰しているし、猟師も大変な状況なんだな。
 行者ニンニクをあげると言ったら、これは沢山採れるから要らないと言った。
 皆で昼食を食べて帰宅する。
 途中でキクザクイチゲ、アズマイチゲ、福寿草等の花を見て帰る。

 紫のキクザクイチゲ

 アズマイチゲ
4月18日(金)スノーシュー修理&家の解体
 昨日の今シーズン最初のパークゴルフで腰が痛い。
 やはり歳なんだな。
 今日は朝からスノーシューの修理。
 MSRのスノーシューの金具が外れて困ると言うものだ。
 MSRは使っている人が多いのだが、なかなか高価で買えない。
 MSRスノーシュー
 問題の部分はベルトを止める金具が外れてくると言うのだ。
 見たら、う〜んこれは設計が良く無いな。
 この様になっているが

 簡単に外れる
 どうするか案を考えたら6つの案が出てきた。
 さてどうするか?
 一般的な改善はあまり面白くない。
 案の中から簡単で、あ〜こんな方法も有るんだと言う案に決めた。
 コの字型の金具を入れた
 金具の入っている個所に隙間が多いのが原因だ。
 その隙間部分にアルミのプレートを入れ、両端を折り曲げコの字型にした。
 これで抜けてくる事は無いだろう。
 改善は30分も掛らなかった。
 高級品のMSRを直すのは良い気持ちだ。
 後は様子見だが、もう今冬はスノーシューを履く事は無いか。

 午後から家の解体。
 昨日買ったバールは軽くて楽だ。
 どんどん解体は進む
 もっと早く買っておけば良かった。
 薪も4箱出来た。
 薪は出来たが・・
 だんだん焚く事が無いから薪が余り気味。
 来年用に貯える手もあるかな。
4月17日(木)温泉&PG
 昨日のHTBテレビ「ナニコレ珍百景」にGH「自遊旅」に泊まったぱんぬさんが出演した。
 全国各地を預かった手紙を配達して日本中を回っている。
 旅はもう3年になる。
 今年の夏には旅を終える様だ。
 懐かしい顔にテレビを見入った。
















 今日は家の解体をする予定で居たのだが、バールが見当たらない。
 数日前から探しているが、何処かのごみの下になっているのだろうか?
 仕方が無いので今日は妻を誘って温泉&パークゴルフになった。
 町内会の練習や例会も27日から始まるので、少しは練習をしておきたい。
 着いた所はチャップリン館。
 温泉に入れば併設のパークゴルフは200円で出来る。
 申し込んで早速コースを回る。
 まあまあのショットでホールを終える。
 パー72の所を65で回った。
 続いて第2ゲーム。
 今度はショットがさえた。
 79mもワンオンになり、これを沈めてパー5が2打で打ち終える。
 次は90mでこれもワンオンはならなかったが3打で終わる。
 結局72ホールを54で終えた。
 18アンダーである。
 この調子で今年は行きたいが・・・。

 チャップリン館の温泉には男性は4人しかいなかった。
 ゆったり露天風呂で疲れを癒した。
 その後、食堂で韃靼そばを食べて帰る。

 途中宮崎の鯉屋で鯉の洗いを購入。
 宮崎鯉屋
 妻の亡くなったおばあちゃんが好きだった。
 我々も長女一家も皆この鯉の洗いが好きだ。
 ここの娘さんは妻の高校時代の同級生でもあるが、現在は店に出て居ない。

 GHに帰る途中バールを購入して帰る。
 最近は軽量化されて凄く軽くなった。
 軽量バール
 1300円程度なので早く購入しておけば良かった。
 明日から家の解体だ。
4月16日(水)炭焼場跡探し
 今日は炭焼場跡を探しに行く。
 北斗市市渡の中村さんが、75年前に仕事をしていた炭焼場跡が、今でも残ってるのか?
 物好きな? 女性3人も同行する。
 92歳の中村さんに聞いた話しを元に行くのだが、地形は全く分からない。
 今日のコース
 
 下二股沢川が分岐して東二股沢川を300m程行くと沢があり、そこを登って行くと広い場所があり、そこは笹小屋を建てた場所で炭焼窯はその上の方にあるという。
 二股岳に至る林道を行くと橋があり、そこにはゲートがあって車は行けない。
 駐車して歩いて進む。
 まずは川の側に降りたいが、かなり深い谷になっている。
 比較的緩い場所を探して、笹を掻き分けて降りる。
 こんなに深い
 西下二股沢川に出た。
 ここから川傍を行こうとしたが、深くて行けそうにない。
 仕方が無く戻る。
 付近を探しても行けそうな場所は無い。
 諦めて、予想される炭焼場跡の遥か上側に大野二股林道がある。
 そこを行って上から降りようと変更した。
 林道は平成2年に出来たものでかなり荒れていた。
 崖から石が散乱しているし、道路の橋は決壊して無くなっている。
 石がごろごろ落ちている

 道路も決壊している
 林道を進んで3つ目の沢の辺りに笹小屋を建てたというので、適当に下る。
 すると車道が出てきた。
 かなり古いので植林する際に使ったものだろう。
 もう24年も経過している。
 一帯は笹藪だが、まだ雪が少し残っていて、笹が起きていない場所もあり良いタイミングで有った。
 車道に沿って下って行くと、道が出てきた。
 これは人や馬が歩く道だ。
 道が出てきた
 道は沢に下っている。
 沢の向かいにも道が見える。
 沢を横切って行くようだ。
 崩壊している
 でも向かいの道は途中で崩壊して通れそうにない。
 この道が中村さんの言う、自分たちで作った道で、ここを馬への段付で炭を運んだのだろう。
 話しを聞いた時には、川の側だと言っていたが、そこは川から50m位はなれた場所だったのだ。
 沢を登って笹小屋があったという意味が分かった。
 沢についている道を登れば、平らな場所がある。
 ここが小屋の有った場所なのだろう。
 ここが住居跡か
 するとこの上の方に炭焼窯があった筈だ。
 登って暫らく行くとなにやら、窪みみたいな感じがある。
 入って見たらここだ!
 ここが窯だ

 聞いた話と同じ

 排煙口
 中村さんの言うのと同じ形状の窯があった。
 これだ!
 幅4m、長さ8mで流石に大きい。
 窯の後ろ側には排煙に使った石があるし、窯の壁に使った石も散乱している。
 まさか75年前の窯がこんなに早く見つかると思わなかった。
 他にも3ヶ所ある筈なので探したが見つからなかった。
 でも1つで十分な成果だ。
 雪に埋もれた木を起こす
 写真を中村さんに持って行ったら、懐かしがるだろうな。
4月15日(火)資料作り
 昨日資料作りをしていて、印刷をしたら動かない。
 もうCドライブが満杯で動けないのだ。
 CドライブとDドライブのパーテーションを取りたい所だが、今大事な仕事があって、失敗してはいけないから我慢して使っていた。
 仕方が無いのでCドライブに入っている、DVD編集ソフトが350MBあったので、これをアンインストールする。
 DVDの編集はしないので必要は無かった。
 これでさくさく動くようになった。
 
 100円ショップに資料の表紙の紙を買いに行く。
 何か思しろそうなものは無いかとうろうろしたら、スマホ用防水ケースがあった。
 防水な上に、ビニールの上から操作が出来る。
 これは便利だ。
 おまけに首から下げられる。
 山に行った時GPSの地図を見る時に、いちいちバッグから取り出していたが、落としそうになるし、雨の時は故障の原因になるし出したくない。
 これなら雨でも大丈夫。
 早速購入・・108円・・
 便利な防水ケース

 今日はまずは炭焼小屋の資料の中身を改訂して印刷した。
 明日、下二股の山の中にある75年前の炭焼場跡を訪れる。
 中村吉三郎さん(’92歳)が若い時働いていた炭焼場跡は果たして残っているのか?
 興味のあるところだ。
 その直ぐ奥には6〜7mの滝もあると言うのでますます面白そうだ。
 炭焼資料

 次に「下二股台場口台場調査報告書」を10部印刷した。
 最初に発行してから、もう改訂4回になった。
 中身も充実して49ページ程度だったのが、70ページを越えた。
 そろそろホッチキスが届かなくなる。
 大きいのが欲しいが・・・。
 この報告書は20日に「箱館新選組」主催の「台場ツアー」があるので、その時に参加者に配布する。
 中学生から65歳まで10名が参加する。
 遠くは東京からも参加する。
 来るのは皆土方ファンだ。
 自称長州藩の私事毛利は如何に皆と戦うのか??
 多勢に無勢で返り討ちになるかも・・。
 内容も充実した報告書

 昼はホットケーキを作って食べる。
 このホットケーキだが、フライパンを暖めて油を敷き、一度冷ますのがポイントなのだ。
 そうしなければ焦げてしまう。
 この一度冷やす事をしなくても良い、ホットケーキの材料が出来たら便利だろうな。
4月14日(月)おばあちゃんの5年祭
 妻の母親が亡くなってもう5年になる。
 今日は神道で言う5年祭になる。
 一昨日から準備していたので、特に急ぐ事も無く、祭壇に供物を上げる。
 このレイアアウトが非常に難しい。
 供物の種類により変わってくるのだ。
 まあ最期は宮司さんが来てからチエックして貰えば良い。
 最初に妻の妹夫婦が来た。
 そして妻の弟が来た。
 銀婚湯温泉の調理をしている関係もあり、新鮮な卵と敷地地内に植えていると言う行者ニンニクを持って来た。
 もうそろそろ遅くなるそうだ。
 私は行く予定だがまだ行っていない。
 行者ニンニク
 最期に亡き長男の息子がやって来た。
 時間通りやって来た七飯町三島神社宮司さんにより取り行われた。
 亡くなって5年も経ったのかと改めて月日の流れの速いのに気が付く。
 亡くなる前の元気な時に、私はおばあちゃんに見送られ、自転車の旅に出た。
 塩の道とイザベラバードの道を走破するという計画だった。
 秋田の手前で危篤状態を知り、自転車を秋田に置いて急遽電車で函館に帰って来た。
 そして病床につきっきりで最期をみとった。
 あの旅はきっと危険な事が起きるので、おばあちゃんが帰らせたんだと本当に思っていた。
 翌年、旅を実行に移し79日間の厳しい旅を成功する事が出来た。
 これもおばあちゃんのお陰だ。
 玉串の捧げて無事5年祭を終えた。
 その後、皆で食事をしながら歓談した。
 本当に久しぶりに集まった。
 祭壇も質素に・・

 近所の寿司屋さんからとった
 妻も作り掛けのパッチワークの掛け布団を出して来た。
 妻の作品
 もの凄い手間のかかるもので、私なら気が遠くなりそうだ。
 多分孫の長女にプレゼントすると思うが、一生ものだし出来た子供にも引き継いで使えると思う。
 これが出来た後は長男用と次女用も作るそうだ。
 やはり妻はこんな趣味が向いているのだろう。
 外を出歩くより家の中で仕事をしている方が幸せなのかも。
 終わった後ゲストハウスに戻り、車に積みっ放しのごみを捨てに行く。
4月13日(日)今日も色々
 昨日の北海道新聞夕刊に斉藤さんの記事が載った。
 捜索隊長の坂口さんが取材を受けたものだ。

 今回の捜索は多くの仲間が参加したが、斉藤さんとか坂口さんとかの個人的な付き合いの人が多かったそうだ。
 私も斉藤さんについては顔を知っているという程度だった。
 何処の山岳会にも所属していない人も沢山居た。
 隊長の坂口さんも山岳会には所属していない。
 私もそうなのだ。
 そんな人が多かったせいか個性的な人が沢山居て、大変興味があった。
 今回の捜索を機会に、皆で会って交流を深めようとなった。
 楽しみだ。

 朝早くから家の解体。
 今日は1Fの天井を半分ばらした。
 屋根の解体
 そして燃えるゴミだけを焼却場に持って行こうと思ったが、考えて見たら日曜日ではないか。
 満載したが・・・
 完全に年金生活が板について土日の感覚が無くなっている。
 仕方が無く、湯川温泉老人福祉センターに出かける。
 天気が良いのでママチャリで行く。
 途中でロードレーサーのカップルが車道を追い抜いて行った。
 直ぐに後を追う。
 少し追いかけたら追いついた。
 私のママチャリのカゴにねぶたの鈴が付いているので、前を走っている女性が直ぐに気が付いた。
 「ママチャリに追いつかれたよ!!」
 前の男性はスピードを上げたが、まだまだ付いていける。
 そのうち温泉が近づいたので左に曲がって別れる。
 久しぶりに一杯漕いだ。
 温泉にのんびり浸かっての帰り道。
 今度は前をMTBが走っている。
 ヘルメットに脊髄パッド入れのレーシングジャージィで、ペダルもビンデイングだ。
 これをあっさり抜いてそのまま家に戻る。
 行きも帰りも目一杯漕いだので、家に帰ったら暑くて汗ばんだ。
 「あ〜折角風呂に入ったのに・・・」

 朝食後、サンリフレに行く。
 今日は「函館まちあるきネットワーク」の第2回定時総会だ。
 鎌鹿さんがパネリストで出るし、箱館新選組のしらとりみちよさんも来るので、その時に台場ツアーの打ち合わせをする事になっている。
 代表幹事の佐藤喜久恵さんの後に、基調講演で函館高専の奥平理准教授が話した。
 佐藤喜久恵さん
 新幹線開業に向けての函館の取り組み方や観光客を迎えるホスピタリティの話し等。
 駅名もまだ決まらないもどかしさ・・
 話しの中で2040年には道南の人口が半分になり、限界集落も2つほど出そうだ。
 高齢者比率も高くなって、観光客を迎える担い手も無くなりそうな状況だそうだ。
 新幹線で人が増えてもそれに対応出来るのかどうか?
 色々な問題を抱えているようだ。
  右端が鎌鹿さん
 この様な場所に来れば色々な方と会える。
 函館国際交際センターの池田さんは、アフリカ縦断娘の山崎美緒ちゃんを呼んだ人だ。
 彼女は地平線会議でもあったのでGH「自遊旅」に泊まったのだ。
 新しい人では函館市公式観光情報 はこぶら の編集長 足立真由美さん。
 彼女もパネラーをしていた。
 Bit&Inkの代表取締役 星野裕さん。
 北斗市観光協会の及川修さんが、函館観光コンシエルジュセンターに転職した。
 北斗市観光協会にはラミレズ麻衣さんが入った。
 フィリッピンの方だった。
 こんな事で横の広がりが増えてくる。
4月12日(土)墓参り
 3月の墓参りは雪で行けなかったので、今日行って来た。
 妻の妹夫婦も一緒だった。
 4月14日には妻の母親の5年祭があるので、その前に行っておきたかった。
 天気が良い中での墓参りは、春らしい雰囲気だった。
 帰りに14日に祭壇に飾る野菜類を購入して帰宅。
 妻は輪投げクラブの例会に行ったので、私はGHに戻る。

 会長の挨拶
 春になったので町内会の「桔梗マスターズ」の活動が始まる。
 我がパークゴルフクラブは例会、コンペのほかに自主練習日が増えて、月4回は活動がある。
 昨年は1年目と言う事で最後は7位に終わったが、今年は何とかもっと上位を目指したい。
4月11日(金)斉藤さんの葬儀に出席
 松前町原口の佐々木さんの自分史的な本を50部製作しているのだが遅々として進まない。
 その原因は本の紙が入荷しないのだ。
 ある本屋で見つけた上質の紙だったが、10冊(2000枚)売っていたので購入した。
 その後、直ぐに補充されると思ったがなかなか補充され無い。
 結局1ヶ月くらい補充されなかった。
 昨日行って見たらようやく5冊入荷していたので即購入。
 これで1000枚確保した。
 次はいつはいるのやら・・・。
 まだ印刷が半ば

 夕方6時から斉藤さんの葬儀が平安ホールで行われた。
 捜索に加わった一員として出席した。
 斉藤さんとは面識はあるのだが、話はした事が無い。
 スキーの方も函館スキー連盟の指導員で先輩で、登山に於いても大先輩だった。
 そして偶然にも今回縦走したコースは、私も今春には縦走しようと計画していたコースだった。
 私の場合は山と言うよりも、このコースが安政五年に出来た旧山道であったからだ。
 道南の旧道を調査している私にとっては残されたコースがここ鶉山道であった。
 そんな色々な事もあり、何かの縁を感じて捜索に参加した。
 北海道警察に発見された日も毛無山に登っていた。
 そして近くで発見された。
 今日は最期のお別れに行った。
 綺麗に飾られた祭壇に彼の穏やかな顔の写真が置かれていた。
 綺麗に飾られた祭壇
 参列者に今回大変な苦労した坂口さんや鎌鹿さんも居たが、5年ぶりに会う事になった先輩の時兼さんが居た。
 同じ会社に勤務していた事もあり、スキーをまだ始めた頃から世話になり、ずっとスキーを教えて頂いた。
 私もスキー連盟に所属していた時は時々会っていたが、レースに転向して、クラブのポール練習をしているのを見ている時後ろから追突され、硬膜下出血で手術し、足も右足のアキレス腱が伸びたままなのだ。
 それ以降レースは無理でスキーは引退した。
 歩くのは最初は10km程度だったが、訓練で40kmは歩けるようになった。
 しかし足元は安定しない。
 狭い道や岩場など足場の悪いところを歩く時は左右のバランスが取れない状態なのだ。
 それでも何とか山歩きや自転車は続けている。
 スキーを引退したので会う機会は無くなったが、今回会えた事が懐かしかった。
 今度夫婦で伺う事にした。
 サッカーのクラブも一緒にプレーしていたので、妻も良く知っているのだ。
 葬儀は天理教で、私は初めてだった。
 妻の実家は神道なのだが、良く似ている。
 新道は2礼2拍1礼なのだが、天理教は2礼4拍1礼4拍1礼だった。
 3人が演ずる雅楽がながれる。
 最後に焼香は無く、玉串を奉げて終わった。
 式そのものは凄く早かった。
 家に帰ったら妻が「もう帰って来たの?」と驚いていた。 
4月10日(木)斉藤さん発見のアップが遅れた
 斉藤さんが見つかったのに、まだブログにアップしていないと連絡があった。
 発見したので安心してしまって、アップしていない事をすっかり忘れていた。
 遭難した斉藤さんは4月7日の警察による捜索で、ヘリコプターにより発見された。
 私は同じ日に毛無山に登っていた。
 わずかでも手掛かりは無いにかなとの思いと、彼を知っている方が捜索には参加出来ないが、何とか辿ったコースだけでも歩きたいとの思いがあった。
 そして毛無山に登ったのだが、我々が頂上に着く少し前に斉藤さんが発見された。
 直ちにヘリコプターに収容し、函館空港に飛び、その後函館中央署に運ばれた。
 日には焼けていたが、綺麗な顔だったと聞いて安心した。
 遭難場所
 見つかったのは赤の三角地点だった。
 この付近には夏の毛無山登山の一般コースがある。
 彼はかなり遠い設計山方面まで行って、細尾根から落ちたのではないかと推定して、捜索を行っていた。
 スキーやかんじきの跡もあった事もそう思わせた。
 しかし彼はそこから戻って来て、この場所で力尽きたのだ。
 戻ってくるとすれば相当の距離があり、恐らくここに来た時は暗くなっていたのではないだろうか。
 知っている夏道を降りようとしたが、冬は地形的に厳しいコースだ。
 滝の傍はロープ場だし、尾根の腹を巻くコースは冬期は滑落の危険があるので歩けそうにない。
 そこを避けて尾根に逃げて、東側の比較的緩い斜面を下ろうとしたのであろうか。
 登山シートを敷いてその上で亡くなっていたので、ビバークでもしようとしたのだろうか。
 色々と考えて見るが分からない事が沢山ある。
 もうこの事はいくら考えても彼しか分からない。
 発見された日は山は快晴で遠くまで見えた。
 彼の魂も綺麗な景色を見て収容されたと思う。
 心から冥福を祈りたい。
4月9日(水)色々やった
 今日は朝の3時からパソコンに向かっていた。
 「下二股口台場調査報告書」の改訂版を作っている。
 台場の調査報告のほかに、箱館戦争の事や鶉山道の事も入れて、内容の充実を図っている。
 20日の台場山ツアーの際に渡せるように何とか間に合わせたい。
 でもこればかりだと疲れる。
 外も明るくなってきた。
 今日も天気は良い。
 そろそろ冬タイヤを代えなくちゃとなり、急遽タイヤ交換。
 毎年の事なのであっという間に出来てしまう。
 30分もかからない

 その後はまずはかんじき修理をした。
 先日の遭難者の捜索で自作のかんじきが壊れたので、人から借りた。
 しかしそのかんじきも、捜索の最期に紐が緩むといったトラブルがあった。
 これを直して、7日に毛無山に行ったのだが、又違うベルトが緩んで無くなってしまった。
 よくよくかんじきトラブルが起きるものだ。
 そのかんじきを別なベルトを付けて直した。
 色は黒になったが・・

 その勢いでかんじきの自作を始める。
 先日片側を作ったがまだ爪は付いていなかった。
 ふと作業場を見たら、2×4の材木固定用の金具がある。
 これは錆びないし軽く丈夫そうなので、爪に使おうとなった。
 適当な長さに切ってリベットで止めたら良い感じで出来あがった。
 爪も90度曲った金具で丈夫になるし、上下方向の滑り防止にもなる。
 後は靴を固定するベルトを付ければ出来あがり。
 これでテストして見よう。
 良かったら後片方を作ろう。
 
 上は自作品で下はメーカー品。
 爪はメーカー品の様には出来ないので2×4の金具をカットして作った。

 自作品の爪は90度折れているので、強度アップと前後の滑り防止。
4月8日(火)炭焼の続き
 北斗市の中村さん(92歳)に炭焼の話しを聞いたのを資料に纏め、家に届けて読んで貰った。
 その中で多少の間違いがあると言うので、今日伺って話しを聞いた。
 凄く元気そうな中村さん
 更に炭焼についての詳しい話しと、炭焼窯の場所について聞いた。
 場所ははっきり分かった。
 二股岳に行く途中の林道の下二股沢川が2手に別れる所があり、東の方の川を200m行くと3番目の支流があり、そこを上がって行くと平らな場所がある。
 そこに笹小屋を立て、炭焼窯を3つ作って仕事をしていたそうだ。
 川を更に150m程登ると6〜7mの高さの大きな滝があるそうだ。
 良い所だと言っていた。
 先日捜索で一緒になった瀬川さんが滝好きと言っていたが、ここの滝は知っているだろうか。
 いろいろ話を聞いて楽しかったし、随分勉強になった。
 時間を見て窯を探しに行こう。
 そして綺麗な滝も見たい。

4月7日(月)捜索を兼ねて毛無山へ
 昨日で合同捜査は終わったが、今日は北海道警察の遭難救助隊が上河汲川登山口から入ると言うので、後を追って入った。
 地元の捜索隊に同じレベルで協力出来ないが、少しでも何かをしたいとの気持ちを皆さん持っていた
 以前から毛無山登山も計画していたので、今日捜索も兼ねての登山になった。


 上河汲川の林道入り口には遭難救助隊のパジェロが止まっていた。
 道警の捜索隊
 車内には山スキーや登山用具が満載されていた。
 まずは壺足で歩く。
 遭難救助隊は二手に分かれている林道を分けて登っている。
 人数は5〜6人だろうか。
 少し林道を登ったら、防水バッグが落ちていたと言うより、雪の下から最近出てきた感じだ。
 一応回収して進む。
 長い長い林道を進むが、気温は快晴で山登りには最高の気温だ。
 道の端から谷に落ちていないか確かめながら歩く。
 捜索隊も谷を見ながら進んでいるのが分かる。
 斉藤さんが遭難したのはもっと設計山寄りの細尾根が推定されて捜索しているが、まだ他にも手掛かりがあるのではないかと思って登っている。
 林道を歩いている時捜索のヘリコプターがやってきた。
 随分南側の斜面を重点的に探しているんだと気になった。
 尾根に入る

 緩やかな尾根を登る
 尾根に入って進むが、駒ケ岳や横津岳、きじひき高原などが良く見える。
 林道途中から全回捜索した時と同じ尾根への道を行くが、捜索隊は林道を詰めて来ている。
 やはり以前私が登ったコースと一緒だった。
 再び同じ足跡を歩く。
 機動隊はスノーシューだ
 途中から機動隊の足跡が縦隊で歩いていた。
 周囲を捜索している感じはしない。
 少しの急斜面

 きつつきも活動始めたのか

 毛無山の斜面

 最期の急登だ
 ここから少しの急斜面を登り、尾根を歩いて最期の急斜面を登って毛無山山頂に着いた。
 山頂に着いた
 登り3時間だった。
 風は尾根で強風が吹いていた。頂上も風があった。
 景色は最高に良くうっとりしながら、記念写真を撮ったりした。
 捜索隊の足跡は途中で一回も休む事も無く、頂上についても一息入れて等は無く、そのまま夏道登山道を下っている。
 さすがに凄い体力があるんだろうな。
 我々は山頂で折り返しになる。
 駒ケ岳

 これも駒ケ岳
 ふと気が付くとヘリコプターの音が随分前から聞こえなくなっていた。
 捜索を中断して、彼らも昼食を取るのかななどと話をしながら、我々も昼食を取る。
 その後頂上付近を散策する。
 上河汲川を詰めるコースがあると言われているので、その源頭部付近を覗いてみた。
 確かに澤を詰めれば、その後は緩やかな斜面が毛無山頂まで続いている。
 道らしき跡も見えるので道があるかもしれない。
 ゆっくり春の景色を楽しみながら、帰りは捜索隊と同じコースを下山した。
 途中で雪に埋もれたストックを改修した。
 繋ぎ式の物で半分しか無かった。
 猿の腰掛

 木が頼りあって人になった
 下山も3時間で往復6時間の山行だった。
 下にあった捜索隊の車は既に居なかった。
 もう縦走して帰って来たのだろうか。
 随分早いな。
 でも彼らの足ならそうなのかな?
 平地での足の歩幅の広いのにも驚いた。
4月6日(日)第2回捜索2日目
 昨日に引き続き捜索に参加する。
 今日は中山橋の澤〜中尾根〜キレット下に入る。
 安平や札幌、岩見沢、北広島から応援が駆けつけてくれた。
 天候は冬に戻ったかのような寒さになった。
 今日のルート
 中山橋から澤に沿って歩きだすが、雪は4月2日に来た時よりかなり少なくなっている。
 川の水も少し増えたが、長靴で有れば川中は歩けた。
 暫らく歩いて尾根コースに入る。
 いきなりの急斜面だ。
 捜索しながら登って行く。
 昨日は自作かんじきが壊れてしまった。
 やはり穴の部分が弱い。
 また改善が楽しくなる。
 今日は借りて来たかんじきだが、めちゃくちゃ登り易いし、歩きやすい。
 やはり自作は負けてしまうな。
 でも今回のシンプルなかんじきを経験で来たので良かった。
 私のよりも3倍は体力が消耗しない。
 昨日は自作のかんじきが歩きにく、皆から遅れてばかりいた。
 いつものんびり歩いているので気にならなかったが、集団で歩くと早いペースに着いて行くのは大変だ。
 重いのとビンディングががちっとしているので歩きにくいのだ。
 これは次回改善する。
 また新しいアルミプレートのシノ―シューもあったので写真を撮らして貰った。
 始めて見た型だ
 尾根を探しながら登るが随分長い尾根だ。
 尾根の途中で
 ピークまで行ったが手掛かりは全くなし。
 A班の設計山コースの方が時間が掛るかと思ったが、こちらの方が遅かった。
 澤を挟んだ向かいの設計山に来たA班が見えた。
 向かいに着いたA班
 ピークからキレットに向かう。
 ここでA・B班が一緒になった。
 一緒になる
 ここから600mピークまでの尾根を捜索する坂口さん他2名と一緒に行動する。
 特に手掛かりは無かった。
 あちこち亀裂が入る

 鶉山道がはっきり残る

 山の中腹にも鶉山道が1
 安政五年に開削した「鶉山道」がはっきり残っているのに驚いた。
 このコースは不明だったが、やはり設計山経由で開削された事が分かった。
 帰りは、ザイルを回収する坂口さん他2名と別れて、尾根を下って下で合流した。
 急斜面を下って来た
 今日も見つからなかったが、後はデブリが無くなる6月頃に函館の有志のみで探そうとなった。
 駐車場に戻ったら北斗市のS女史が豚汁を作っていてくれた。
 暖かい豚汁に皆、喜んでいた。
 本当に感謝だ。
4月5日(土)第2回捜索1日目
 今日のルート
 合同捜索の一日目は大和橋から入り、沢沿いに登っていく。
 いつも単独行動の私にとって、総勢17名もの大勢のパーテイを見るのは久しぶりだ。
 雪は2日に入った時より相当溶けて、川がかなり開けた。
 その分スノーブリッジも不安な状態になっている。
 A班とB班の構成で行って途中でA班は尾根に登ってスキー跡のあったピークまで登る。
 我々B班は沢の源頭まで詰める。
 途中に見たことがない大きさの猿の腰掛けがあった。
 皆も見たことが無い大きさだと言っていた。
 源頭に着いてゾンデリングをする。アルミの棒を雪に差して埋もれていると思われる斎藤さんを探すのだ。
 積雪は深いところで3mある。
 交代で55mやったが手掛かりは無かった。
 他の場所もやったが手掛かりは無し。
 今日の予定は全て終わったので戻る。
 途中もう一ヶ所の沢に入ったら滝が出てきた。
 ここで引き返す。
 本部のある駐車場に戻り、ミーテイングを行っていたら急に吹雪になった。
 今日も差し入れが沢山あった。
 シュークリーム、べこ餅、バナナ、お菓子、飲み物等々。
 有難い心尽くしだ。
 今日は最後に手作りかんじきが折れたので、急遽Kさんに借りてきた。
 明日は二日目の捜索で地元並びに各地から来る。謝
4月4日(金)かんじき試作
 今日は久しぶりにGHに戻ってきた。
 かんじきの試作をする為だった。
 2日の捜索に高橋さんが履いてきた昔風の木のかんじきが、クラシックだが何だか良い感じだ。
 以前かんじきをあげても良いよと言う人が居たのだが、転勤で居なくなり手に入れる事は出来なかった。
 それなら作ろうか?
 勿論木では出来ないので、アルミ材を使って軽量のものを作るのが目的。
 角材を使ったので強度は有りそうだが、使ってみなければわからない。
 7時間ほどかけて片側だけ完成した。
 ベルトも今まではスノボのビンデイングを使っていたので重かったが、今度は布製にして軽くした。
 重量は測っていないが、履いているか居ないか分からない位だ。
 一応応力の掛る部分は補強しておいた。
 爪はまだ付けて居ない。
 急斜面の登りに有効なものを先の方に付け、横滑り防止用にさらにプラスしてサイドに付けるか・・。
 もう少し考えて見よう。
 明日の捜索に持って行って試して見よう。
 簡単な構造が・・。

 明日の天気予報は雨かみぞれになるかも・・。
 少し風邪気味で病院に行ったら、B型肝炎では無くただの風邪だった。
 漢方薬で直すそうだ。
4月3日(火)ぶんぽ研例会
 今回は3月26日に北斗市市渡の中村吉三郎さん(92歳)に聞き取り調査し た「炭焼について」の報告をさせていただいた。
 例会が終った後、資料を中村さんに届けて貰ったら、まだ少し手直しがあるそうなのでもう一度うかがつて、より完成なものに近ずけたい。

 今日の新聞に斎藤さん捜索の記事が載った。

 昨日も見つけられなかったが、今週の土日に大量の捜索隊が入る。
 天候は雪になりそうだ。
 何とか見つかって欲しい。
 私も二日間捜索に加わる。
4月2日(水)斉藤さんの捜索
 坂口捜索隊長と高橋さん、私の3人で土、日に行なわれる合同捜索がの前に、ルート調査と捜索を兼ねて出掛ける。
 天気は快晴で見つかつてくれれば良いなと言う気持だ。

 初めに大和橋から入る。
 ここの沢を源頭まで詰める。
 雪も大分溶けて川の流れもはっきり見える。
 川に落ちて居ないか慎重に見て歩く。
 雪崩の後のデブリがあちこちで見られる。
 最後迄沢を詰めたが何の手掛りも得られない。
 ー度戻って車で移動し、金山の沢に入る。
 ここは昭和40年代に流化水素を取つて居た場所で、それが金色に光る事から金山の沢と呼ばれている。
 以前は道があった場所なので、恐らく下には道跡があるのであろう。
 設計山下の源頭は雪崩の可能性が有るので、入って行けず徹退する。
 ここでも手掛りは得られ無かった。
 今日は諦めて戻る。
 私の車を置いた出会いの滝駐車場に行ったら誰かが手を振って来る。
 サングラスにマスクなので誰だか分らなかったが、S女史だった。
 今日3人が捜索に入るので、差し入れを持って来てくれたのだ。
 バナナや茹玉子、飲み物だった。
 嬉しい気遣いだった。
今日は成果が無かったが、土、日で見つけたい思いだ。

4月1日(火)原口佐々木氏と打ち合わせ
 佐々木さんが原口から函館に出て来たので、諸々の打ち合わせをする。
 原口願掛澤公園駐車場の側に設置した、桜松街道の看板や内閣府表彰記念碑の付近を公園にしようと計画している。 
 イメージ図は私が書いて、佐々木さんに渡し、彼はそれを持って歩いて松前町は前向きになったようだ。
 後は土地を管理する、開発局の許可を得らなくてはならない。
 さらに私も含め現地に行って、具体的なレイアウトなどを決めなくてはならない。
 
 もう一つは長距離ウォーキング。
 上ノ国から松前町まで花見の期間に合わせた、イベントをやる方向で考えている。
 名称は「登城ウォーキング」で60km位になる。
 途中の原口で願掛澤駐車場で歓迎会を行い、原口の学校跡宿泊所に宿泊して、松前ではゴールの歓迎会を行う。
 
 この辺りの打ち合わせを行った。
 まだ計画はしっかり立てて居ないので急いでやらなくてはならない。
 やる事がだんだん溜まって行く。

 斉藤さんの捜索だが、日曜日の捜索隊がスキーとかんじきの跡を発見したので、大分範囲が絞られて来た。
 本格的な捜索は5日と6日に行うが、そのための、ルート調査に明日は山に行く。
 もう残雪も少なくなりつつある。
 雪が無くなれば捜索は全く難しくなるだろう。
 ここ1週間が最期のチャンスなのか。
 HP TOP