2月28日(金)615m無名峰登山
 9時に桔梗の家を出て北斗市に向かう。
 うずら山道調査をしてからGHに戻ろう。
 今日は出会の滝の中山峠側の道を探す。
 パーキングに車を入れて早速調査する。
 まずは出会いの滝の上側に行き道を探る。
 出会いの滝
 道がある様な無いようなはっきりした跡は見られない。
 まだ積雪が多いのも道を分からなくしているかも知れない。 
 しばらくうろうろしたが見つからないので今日は諦める。

 折角来たのだから地図を見ていたら615mの無名峰が近くにある。
 ようし行って見ようと出発。

(Google Earthにコースを描いた。山旅ロガ―)
 尾根をひたすら登って行く。
 最初は尾根道
 木は白樺の木が多い。
 それほど密集して居なく歩くコースはいろいろ選べる。
 一気に高度が上がって来て、国道向かいの山も見えてくる。
 途中尾根が別れる。
 どちらを行っても行けそうだが、右手の尾根を進む。
 大斜面が広がる
 尾根道も開けた斜面に変わってくる。
 頂上方向が見えてきた
 大斜面をトラバースして再び尾根になる。
 今度は西の尾根道になる。
 最期の登り
 ここは結構長いがその先には頂上がある。
 汗だくになりながら一気に登る。
 そういえばここまで一回も休まず一気に登って来た。
 やがて頂上に着く。
 北側の無名山

 別な角度から

 南側

 北東側

 南側

 北東側

 北方面

 記念撮影

 もう一枚

 北東

 北

 南西
 木は無く360度見渡せる。
 絶景が広がっている。
 三角山や無名峰の712m、天狗岳向かいの三角山などが見え景色は良い。
 頂上は強風が吹いていて寒い。
 写真を撮って直ぐに下山する。
 後は一気に下って駐車場に着いた。
 鶉山道は不調だったが、景色の良い山に登れて満足だ。
 GHに戻って家の解体&薪作り。
2月26日(水)体力測定
 健康サロンin明和園の体力測定の日だ。
 桔梗から電車で来た妻を迎えに駅まで行って一緒に明和園に行く。
 ラジオ体操の後に体力測定。
 5m歩行、座った椅子から立って一周して又座る。開眼片足立ち、握力測定、体脂肪、基礎代謝などを測定する。
 それらの結果から、体年齢が算出される。
 私は63歳と出た。
 現在70歳だから、7歳も若返ってしまった。
 昼食はエビたまと少し物足りなかった。

 今日は桔梗に行くので、終わった後妻と一緒に桔梗に向かう。
 明日は結婚記念日なので、一緒に食事でもしようとなった。
 
 桔梗でTVを見ていたが、何か退屈なので本屋さんに行く。
 最近何度も行っているが、あまり興味のある本が無かった。
 今回も本棚を徹底して探していたら、「百年前の山を旅する」があった。
 この本はアマゾンで買おうと思っていたが、本屋さんに置いてあった。
 昨年2月に彼の講演を聞きに、東京新宿スポーツセンターまで行って来た。
 地平線会議の例会で講演した。
 100年前(明治42年)に書かれた、田部重治と木暮理太郎の山行記録を書いた「甲部国境と雲取山と多摩川」の著書と同じ道を辿るのである。
 当時の服装や携帯品のみで同じ道を辿ると言うものだ。
 テントは無し、バーナーも無し、地図も無し、寝袋も無し、ランプも無し。
 和服に鳥打帽子、股引に脚絆、わらじ、着ござ、肩にはかばんで中には鍋とシャツと米のみ。
 これで100年前の道を探しながら登山するのだ。
 勿論道は今では廃道になっているが、かすかに残る道を頼りに歩く。
 蛙を獲ったり、蛇を獲ったり、岩魚を食べたり、山菜を食べたりしながら山を歩く。
 現在の登山は易しくなった。ゴアテックスやヘッドランプ、コンパス、GPSなどなど文明の利器がある。
 登山道も整備され簡単に歩く事が出来る。
 それに比べ100年前の登山は自然の中にずっぽり埋もれながらの山行だった。
 彼も何時も藪を漕いで登山している。
 私もスケールは違うが藪漕ぎは大好きだ。
 そんな所から彼に興味を持った。
 講演の後、恒例の2次会がある。
 50人くらいのそうそうたるメンバーが集まる。
 主催者のジャーナリスト江本さんに、呼ばれて席に行ったら、「服部君、北海道から来ているんだから、話しをして」と紹介してくれ、暫らく話しをさせていただいた。 
2月25日(火)石山連山縦走
 今日の函館は最高気温+5度の予報だった。
 頼まれていた山行きは、石山連山の縦走にする事にした。

(全長6.7kmのコース)
 まだ歩いた事のない初めてのルートも数ヶ所含む。
 いつもの場所に車を止めてスタート。
 雪も随分少なくなってきた。
 少し進んで新しいコースを行く事にする。
 一般的には沢の右を行くのだが、もう既に3回は行っているので、沢の左側にする。
 こちらには山道は全く無い。
 いきなりの急斜面が続く。
 雪はまだ20cm位あるが、壺足で登る。
 一汗かいて平坦地に辿り着く。
 急登の後の平坦地。山道もある
 ここから再び斜面を登るが、ここも山道を外れて直登する。
 この時期は何処でも歩けるので良い。
 ピークまで登って景色を堪能する。
 ここからは尾根道を行く。
 尾根道を行く
 雰囲気の良い尾根コースは歩いていても気持ちが良い。
 再び登りになり、ピークに到着する。
 石山の前山の西斜面

 2つ目のピーク

 函館方面は見えない
 ここからは初めてのコースになる。
 事前に地形図で確認して、山旅ロガ―に予定ルートを入力している。
 ずっと尾根道が続く。
 再び尾根コース

 小さなピーク

 またまたピーク

 ピークへの登り

 ピークで

 まだ尾根は続く

 開けた場所に出た
 始めて来たコースはワクワクする。
 尾根の途中で昼食にする。
 太陽が出て暖かい中での食事は気持ちがのんびする。
 皆からおかずを沢山貰った。
 私は時間が無くて昆布入りのおにぎりを握ってきただけだ。
 何時も沢山のおかずを頂いて有難い。
 昼食後スタートして間もなく、石山の取りつき地点に来た。
 しかしもう少し林道を歩きたいと言うので、石山は東斜面から登る事にする。
 鹿の足跡に枯れ葉が綺麗に埋まっている

 泣面山?
 かなり暑くなり(自分だけ)、シャツ1枚で登る。
 多少のブッシュの中を頂上付近に出る。
 釜谷富士

 石山山頂
 春カスミの様で函館山も辛うじて見え、津軽の下北半島は見えない。
 石山頂上に行って、南斜面を下る。
 ここも夏は全く歩けない。
 途中には石山らしく大きな岩が、あちこちにかなりの数がある。
 スノーシューを履いていても、時々足がずぼっと埋まる。
 南斜面途中
 かなり下ってから、道を別尾根に取る。
 ここは初めての下りになるが、下まで行き川を渡れば車の方向に出られる筈だ。
 初めての尾根コース
 下って行ったら林道が出てきた。
 これは地形図にある。
 2つ横切って3つ目が出てきた。
 この林道を下れば良いと判断して進んだら、川が出てきた。
 幸いにも浅い川で難なく渡れた。
 川は浅かった
 川の先には林道が続いていた。
 道なりにったら人家が出てきた。
 ビニールハウスが沢山ある。

 ハウスの中に人が居たので聞いて見たら、椎茸栽培のハウスだそうで、今菌を植える準備中だと言う。
 道を聞いた突き当たりを右で、スノーシューはもういらないよと言われたので脱ぐ。
 直ぐに舗装路が出てきた。
 右に行ったらまたT字路になった。
 右か左か?
 富士薬品の家庭常備薬の車の運転手さんが居たので聞く。
 「石崎神社は右ですか左ですか?」と聞いたら
 「T時路を左に行けば神社ですよ、気を付けて」
 T時路に行ったら、見覚えのある道だった。
 あれ〜神社は右だった。
 まあ良いか場所が分かったので。
 車に到着。
 総距離6.7km 5時間20分の縦走だった。
2月24日(月)打ち合わせ
 佐々木さんが早く来てくれと言うので、9時に家に伺った。
 親戚の方が亡くなったそうで、原口に帰る事になるかもしれないと言う事で急いでいた。
 それにしても今年に入って親戚2人と友人1人が亡くなっている。
 もう一人103歳のKさんも危険な状態で、子供が東京から向かったと言う連絡も入った。
 子供は飛鳥の船長をしている。
 佐々木さんも落ち着かない日々なのだ。

 本の方は見て貰ったが、素晴らしい出来で良かったと喜んでいた。
 親戚に前回作成したのを見せたら、それぞれの子供にもあげたいと言うので部数が増えた。
 発行は5月1日にした。
 この日はお父さんが原口に郵便局を開局した日なのだ。
 そして出版記念パーティも開く事にしたそうだ。
 会場はもう決めたそうでやる気満々だ。
 85歳とは思えない前向きな生き方だ。
 自分も年を取ったら、自分の生きてきた軌跡を子供たちに残したくなるのかな。
 それともいらないよと言われるのかな?
 昼食の弁当を頂き、三色団子を土産に帰る。
 三色団子を頂いた
 同席した関さんからは、松前に関する古文書の資料を頂いた。
 道に関しての記述があり興味がある。
 これからじっくり読もう。
 こんな資料を読んで居るのが一番楽しい。
 Sさんから貰った

 他の打ち合わせは松前町の桜まつりの時に、イベントとして「松前藩成立の道ウォーキング」を行うと提案したら、松前町と掛けあって、歓迎をさせるようにすると言っていた。
 上ノ国から松前までの旧道70kmを2日間に渡って踏破する計画だ。
 宿泊は原口の旧小学校を使えるし、原口で歓迎式を行う計画だ。
 これから具体的な計画を作って、観光協会や町と打ち合わせなくてはならない。
 10人くらいが参加してくれればいい。

 夕方、本の製作に使う良質の紙を買いに行くが、6部しか無かった。
 後、20部は必要だ。
 お姉さんに早く入れてくれるよう頼む。
 他に背表紙用の接着剤を購入したりして、準備を整える。


 夕食は? と考えたが、カレーにした。
 最期の手段には最高だ。
 5日くらいは持つ。
 明日は天気も良いので山に行く。
 初めてのコースを縦走する。
2月23日(日)本の製作
 明日佐々木さんと合うので本の最終版を1部作成する。
 これをでOKとなれば50冊の製作に入る。
 完成した1冊

 カラー写真もふんだんに

 歴史も一杯
 材料費だけでも7万円位は掛りそうだ。
 何しろインク代が一番掛る。

 午後から調べ物をするのに図書館に行って2時間倉過ごす。
 なかなか思う様な資料が無いので苦労する。
 2時間掛って使える資料は半ページ位だ。

 夕方になったので夕食を作る。
 かつ丼にしたい所だったが、肉は高そうなので、先日カレーに生厚揚げを入れてたのを想い出し、厚揚げにした。
 作っている感じはかつ丼そっくりだ。
 見た目はかつ丼

 上手く出来た
 それでも美味しく食べられた。
2月22日(土)オープン戦
 しばらく掛っていた「鶉山道と箱館戦争」をようやくまとめた。
 A4で16ページにもなってしまった。
 道の歴史上では考えられない、新政府軍進攻ルートの完全な解明は、新たな資料が出てこない限り分からないだろう。
 戦いの事を書いた文書は多く残るが、道についての事はあまり書かれていない。
 それでもかなりの部分で推測も含め分かってきた。
 ようやく書いた
 資料作りが終わって家の解体。
 2Fの妻の部屋は屋根を除き解体を終わった。
 薪ストーブで燃やす量しか解体しないので、時間はかかるが解体は着々と進むものだ。
 もう外の屋根のみだ

 棟板も見える
 午後からファイターズのオープン戦があり、大谷君が投げるので見たくなり桔梗に行く。
 ケーブルテレビのGAORAが毎日キャンプの様子を放映している。
 試合は大谷君が今一つコントロールが無い感じ。
 3回投げて50球オーバーは先発では多すぎる。
 本人は感じ良く投げられたと言うが・・・。
 オリンピックが終われば野球と忙しくなる。

 夕方家に帰って来たら、凍っていた流しの排水が通る様になった。
 溜まっていた食器や鍋を総て洗う。
 夕食は佐々木さんから貰った、ホッケの1本まるごとの半乾燥品がある。
 ジャガイモと一緒に煮つけた。
 良い味が出て美味しかった。
2月21日(金)解体再会
 午前中は佐々木さんの本作りをする
 今月一杯で松前原口に戻ると言うので、来週の月曜日に本の最終打ち合わせをする。
 そこでまずは1冊を作ろう、ページ数を入れて印刷をする。
 糊づけはまだ終わって無く、明日にでも材料を買いに行こう。

 図書館に借りた本を返して、午後からは家の解体をする。
 薪が切れてしまったので、どうしてもやらなくてはならない。
 天井の断熱材を総て撤去した。
 たまたま鼠の古い糞が落ちてくる。
 今日は厳重防備で仕事をする。
 もう家にはとっくに住んではいないので、食料も無く鼠も引っ越したのだろう。 
 断熱材撤去の後は、天井の枠木を解体して薪にする作業をしていた。
  そこにKさんが来た。
 病院に来たついでに寄ったとの事で、お土産に長ネギを持って来てくれた。
 名前は忘れてしまったが、有名な名の長ねぎだった。
 明日のラーメンに大盛りで入れよう。
 断熱材がまだ残っている

 総て撤去した

 残るは天井板の枠のみ
 断熱材を撤去したら天井が出てきた。 
 春になったら屋根の解体だ。
 これが出来れば勝負ありだ。
 外は寒かったが、電気鋸で箱に2つ薪が出来たので2日は持つだろう。
 少し解体のピッチを上げなくては、薪の消費に負けてしまう。
 気温も最高でプラスになってきた。
 そろそろ春山に良い季節になった。
 山にも行きたい・・・。
2月20日(木)GHに戻る
 久しぶりにGHに戻る事にした。
 咳が少し出ていたので、桔梗の桔梗内科病院に寄る。
 ここは女医さんだった。
 私は漢方が好みと言う訳ではないが・・と前置きして、漢方薬の薬を出してくれた。
 女医さんに漢方とくれば何か体に優しい事を考えてくれているのかなと思ってしまう。
 でも病院から出て以降、全く咳が出なくなった。
 薬はどうしよう??

 発注していたインクが今日入荷した。
 5色セットが10セットとブラックが10セットと初めての大量注文だ。
 2段になて入っている
 これで佐々木さんの本50冊の製作が間に合うかどうか?
 と言ってもCディスクが一杯でパソコンが不調なのだ。
 今日は筆グルメのはがきソフトをアンインストールした。
 住所録はバックアップした。
 どうせ1年に1回しか使わないのだから・・・。
 これで600MB空きが出来た。
 本来ならCとDのパーテーションを取りたいが、リスクもあるので少し様子見だ。
 一応パソコンは動かせる。
 
 ふとメールをみたら、近くのTさんからパーテーション編集をした事があるとのメールが入っていた。
 このFREEソフトが良いようだ。
 これは良い情報だった。
 あるのは知っていたが、実際やっていたので今の仕事が終わったら、やってみよう。

 GHに着いて直ぐに石油タンクから油を抜く。
 ホームタンクは不要になるので、残っている油を抜いてマイルームの石油ストーブに使ってしまう。
 取って置いても仕方が無いので冬の間に使ってしまう。
 取り敢えず60リットルは抜いた。
 タンク下の配管をカットした。
 まるで石油泥棒の手口だ。
 
 2時頃温泉に行ってのんびり。
 久しぶりに有料の温泉に行った。
 やはり広くて良い。
2月19日(水)パソコン不調
 パソコンが不調だ。
 元々はCディスクが一杯になり、もう限界に来ていた。
 50GBに対して49.9GBになっている。
 赤表示になっている。
 ディスククリーニングしたり、不要なソフトウェアを削除したりして、だましだましやっているがもう限界だ。
 残るはCディスクとDディスクのパーテーションを取る事だが、今迄やった事が無い。
 VISTからはパーテーションを、個人で取る事が可能にはなっている。
 これを取れば、130GB位になり10年は大丈夫だろう。
 しかしやった事が無いので失敗するかもしれない。
 その時はパソコンが起動しない事も考えられる。
 一応バックアップは取るが、GHにCD-RなどはGHにあるので桔梗で出来ない。
 帰ってから挑戦だ。
 そのためブログは旅用のブログに変えて発信する事にする。
 あ〜頭が痛いな〜
2月18日(火)だらだらの一日
 昨日から今朝までTVのオリンピック観戦。
 女子カーリングとジャンプ団体を見るためだ。
 何時もなら眠くなって夢の中に居る時間帯だが、しっかり目を開けて見た。
 カーリングは惜しくも負けて予選敗退になったが、ジャンプは良かった。
 それぞれがベストを出して銅メダルをとったが感動した。
 それぞれ普段は全く見せない、色々な事を背負って試合に挑んでいるんだと言うのが、試合が終わって初めて分かった。
 伊東大樹は膝が相当悪い状況だったそうだ。
 だからランディーんバーンの最後で転んだのだった。
 あんな所で何故転ぶんだと単純に思っていたが・・・そんな中での大ジャンプだった。
 竹内は120万人に一人の難病だった。
 何時発生するか分からない病気で、発生したら命取りになるそうだ。
 葛西はそんなみんなのことを知っていて、何とかメダルを取らせてやりたいと思っていた様だ。
 重い荷を持っているほど、それを上回る精神力が強いのだろう。
 それで無ければ到底メダルは無理だ。
 メダルを取れない人は放送されないが、ショートトラックの伊藤亜由子の親は娘の活動資金が無いので、退職してそれで活動資金を得ている。
 オリンピックの裏側に本当の人生があるんだ。

 試合が終わってから寝たので、起きたのは9時だった。
 GHに行き溜まった新聞を取ってきた。
 午後から日ハムの交流試合を見て一日が終わり、今日も夜はオリンピック。
 不規則な日がしばらく続く。
2月17日(月)デスクワーク
 昨日は夜中12時を過ぎでも資料を読んでいた。
 矢不来台場の集めた資料を見ていた。
 大きな第一、第二台場は簡単に行ける場所にあるのと、既に測量等行われているので、はっきりしているが、他にも塹壕が数多くある。弾薬庫もある。
 しかし全体を書いたマップなどは無いので、誰でも簡単には行けない。
 二股口台場も一段落したので、矢不来の台場の調査をしようかなと言う気持になってきた。
 ここの台場も古図を見れば山の上に多くの台場があるのだが、こちらは未調査に近いそうだ。
 少しやろうと言う気になった。
 今年も藪漕ぎか。
 調査して報告書に纏めるのは、地元の郷土史家に頼まれている事もある。
 矢不来の台場

 お陰て6時過ぎに起きてしまった。 
 そこから佐々木さんの本製作のための校正をする。
 99%は完了した。
 後は紙を発注して、インクを発注して、その後は印刷になる。
 50部×140ページ=7000ページ印刷だ。
 そして製本とまだまだ相当の時間がかかりそうだ。
 4月目標でやろう。

 引き続き「鶉山道と箱館戦争」を執筆している。
 この道の調査をしている方が居て、是非色々知りたいと言われていたので、何とか1週間くらいで完成させなくてはならない。
 既に17ページ執筆。
 後、5〜6ページで完成するだろう。
 そんな訳で山行きは少し先になりそうだ。

 家の解体をしているのだが、古い写真が大量に出てきた。
 幼い時から社会人まである。
 その中で記憶に無かったバイクで何処かにツーリングに行った時の写真があった。
 ホンダのバイクでドリームなのだが、誰かのを借りて旅に出たのだろうか。
 他のバイクで行ったのは知っているが、このバイクは記憶に無かった。
 私もライダーだったのだ。
 20代の青春時代 

2月16日(日)写真プリント
 朝はソチオリンピックのジャンプラージヒルを見るのに午前2時に起きた。
 布団に入ったままでワンセグで見ていたが、1本目2位に付けたので、これは大変と起きて、居間の大型テレビを見る。 2度目も最高のジャンプで、最期の一人を待つ時点で暫定1位。
 最期のジャンパーも飛距離が同じ、どちらがに金メダルかとはらはら見ていたが、1ポイント代の僅差で銀メダルになった。
 それにしてもすばらしい。
 年齢が高くてもきちっと目標があればやれるんだを実感した。

 そう言えばバレンタインチョコを貰った。
 皆にはチョコは要らないと封じてある。
 だから妻からの送りものだけになる。
 ハート形の最中が入っていた。
 どこの業界もチョコに負けずと、あの手この手で売り上げを伸ばそうとしているのか。
 ハートの最中

 GHに行ってパソコンをセットして写真を印刷。
 折角だから文字や他の写真も入れて製作した。
  こんなに作った

 そして10部A4で印刷。
 直ぐに届けたら、葬式饅頭を頂いた。
 凄く喜んで貰えるから、何とかしなくてはとなってしまう。
 そのまま桔梗の家に返る。

 世界自転車一周中の小口からメールが来た。
 11万キロを走って、2070日目、100カ国目の西アフリカのマリに着いた。
 彼のメールにはアフリカの大変な状況が書かれていた。
 「政治家がお金を横領し、公務員に流れる給料が下がる。
 公務員である警察官は、自分たちの権力を行使して国民から「税金」という名目で賄賂を貪り取る。
 国境での入国手続きのたび、大使館でビザを取るたび、意味の分からないお金を要求されます。
 外国人旅行者はかっこうの餌食です。
 明らかに悪いことはしていないのに、「今、歩道を自転車で横切ったから罰金だ」と言われ、無理矢理に拘束されることもしばしばです。
 そのたびにたまたま通りかかった自転車少年が一緒に逮捕されるという犠牲被害にあっています。
 国民は良くないことだと分かっているのに、力のない彼らは為すがまま、されるがままなのです。
 ふと嫌なものが目に入ってしま いま し た。
 うさぎのような怯える目で、震えながら手にした100セーファー(11円)を警察官に渡そうとしている地元民の自 転車少年の姿です。
 「この国はこんないたいけな少年からもお金を取る鬼畜生かぁー!!!」
 思わず反吐が出ます。
 これは賄賂ではなく、カツアゲです!
 その警察官は、笑いながら吸っていたタバコをその少年に投げつけたのです。
 その出来事に私の頭の中に稲妻が落ちたように、轟音が鳴り響き、目の前が閃光でスパークしました。
 気がつくと、私はその警察官に掴みかかり、他の警察官が私を取り押さえているところでした。
 私は彼らを振り払い、持っていた札束を彼らに投げつけ、これで自転車少年を通せと抗議しました。
 警察官は少年を通し、予定外の大収入があったので、一方の警察官が倒れている警察官をなだめ、何事もなかったかの ように過ぎ去っていきま し た。」

 反骨精神旺盛な小口君らしいのですが、この様な行動で危険な目に遭わなければ良いなと思います。

 旅の雰囲気が出ているな

 砂漠も有る

 これはモニュメントか

 貧しくても笑顔が一杯だ

 こんな道は普通にあるそうだ
 
2月15日(土)「歴史講座」講演
 公演当日になった。
 12時に家を出て北斗市公民館に向かう。
 着いてパソコンをセットして事務室で、話しをしていた。
 もうそろそろ時間だと思って「行きますか?」と聞いたら、「1時30分開始なのでまだ大丈夫ですよ」と返って来た。
 何か勘違いしていた。
 でも早く着いたのだからこんな間違いは良いだろう。
 遅く着いたら大変な事になる。
 さらに事務室に居たら、Sさんがやってきた「も〜さんが事務室にいるよと言われて来たそうだ」山仲間なのだが1年ぶりの再会だった。
 つらら落しをしていて、右手をつららと道具の間に挟まれて、大きく腫れ山にも行っていない状況だと言う。
 だいぶ良くなったのでそろそろ行けそうらしい。
 会場に入ったらぶんぽ研の方、山仲間の方、歴史仲間の方と知り合いの方の他に一般の方も来てくれた。
 中でも同級生の三浦君が御夫婦で来てくれた。
 彼は北斗市のイベントである、合唱劇「あかとんぼ」に出演するので練習中なのだ。
 私にもチケットを2枚くれた。
 是非見に行かなくては・・・。
 事前の練習で時間が1時間40分だったので、何処かカットしないとならないが頭に入っていて、相当カットしてしまった。
 主催者あいさつ

 誠のTシャツは自分のスタイル

 講演中

 時間は1時間15分で終わってしまった。
 もう少し内容を絞って詳細に説明した方が良かったかなと反省する。
 表面的にさらっと行ってしまった感じがした。
 反省。
 講演をしていて時間調整が一番難しい。
 プレゼン資料を作る時は、あれもこれもと内容豊富に作ってしまう。
 100枚も作ると多いかなとおもいつつそうなってしまう。
 すると時間がオーバーする。
 いつもは会場の時計を見ながら調整するのだが、時計の場所が講演者から見えずに勘で進めた。
 次回は気を付けよう。
 主催者や郷土史家の方からは「良くここまで調べたね」と言われて嬉しかった。
 途中休憩を入れる予定が、すっかり聞き入って忘れたとも・・。
 これで肩の荷が下りた。
 講演は何度やっても反省がある。
 家に帰ったら佐々木さんから電話があって、葬儀に持って行った原口での記念碑の写真が遺族の方に好評で、その写真には宮司さんの他に参加者も写っていたので、その方も写真が欲しいとなり10枚追加してとの事だった。
 明日GHに戻りプリントする。
2月14日(金)桔梗に行く
 明日、北斗市で講演があるので、一通り練習をしてみた。
 そうしたら電話が鳴った。
 佐々木さんからだ。
 昨日は親戚の宮司さんが亡くなり、矢不来神宮に葬儀で行った。
 葬儀は滞りなく行われ、今日は告別式の日なのだが、お願いがあるとの事。
 昨年の行われた内閣府受賞記念碑の建立の時に、お祓いをしたのが、亡くなった宮司さんのお孫さんだった。
 そこで記念碑建立の時の、宮司さんの写真が欲しいと言う。
 宮司さんの表面から撮ったのは私しか居ない。
 今日の告別式に持って行き、親族に見せ、孫がこんな大きな行事のお祓いをしているよと、亡くなった方も喜ぶだろうし、親戚の方も成長した孫を見て感動するだろう。

 式典には松前町長や各界の名士がずらりと並んでいる。
 それならと引き受けて、プリントアウトして持って行く。
 佐々木さんはしっかり手を握り喜んでいた。
 お菓子を持って行けと手渡された。
 最近お菓子が多いので気をつけなくては。

 家に帰って明日の講演の原稿を読んだら、何と1時間40分になった。
 予定時間は1時間30分なので10分のオーバーだ。
 これは何とかスライドを飛ばせば良いだろう。
 荷物を纏めて桔梗に行く。
 でも何か風邪気味だ。
 早朝からオリンピックを見ているからかな?
 マスクをして、しょうが湯を飲んで安静にしている。
 何とか良くなってくれ!
2月13日(木)佐々木さん宅へ
 葬儀で原口に戻っていた佐々木さんが昨日函館に帰って来た。
 直ぐに電話が来て話しがしたいと言う。
 今日の11時に行きますと電話したのだが、その直後に電話が来て、矢不来神宮の宮司さんが亡くなったので、急遽葬儀に行くと電話が来た。
 矢不来の宮司さんは親戚なのだ。
 90歳だと言う。
 そこで少し早めに打ち合わせをしたいとなり、9時に佐々木さんの家に行く。
 先日原口に持って行った本を皆さんに見て貰っだが、凄く評判が良くて、欲しい人が沢山出たそうだ。
 すごく良い本が出来たと喜んでいた。
 それで松前町にも贈呈するので、50部欲しいとの事だった。
 50部作るぞ!
 う〜んボリュームがあるな・・・。
 訂正個所と新たに追加する写真が10枚ほどある。
 第42回さくら祭り中央大会で全国表彰された時の写真だった。
 衆議院議長河野氏と

 ミスさくらと


 モンゴルの方と・・
 何れの写真も晴れ晴れしていて良いな。
 まだ未執筆の佐々木さんの巻頭言もノートに書き終えていた。
 本の話しも終わった所に、元原口小学校の関校長がやってきた。

 現在は函館碧血会の事務局長や函館博物館友の会の副会長もやっている。
 今年の碧血碑慰霊祭は140年の節目に当るので、土方家の六代目である、土方愛さんが来る予定だそうだ。
 写真を見た事があるのだが、土方歳三に凄く似ているのではっとする。
 慰霊祭に来た時は紹介してくれるそうなので、下二股口台場を案内するかもしれない。
 私に電話が来た時も、土方歳三の歩いた道に興味があると言っていた。
 私の書いた「土方歳三 蝦夷を歩く」の本はプレゼントする事になった。
 関さんは他に道南十二の館の中でまだ不明の、原口館の発掘作業を陣頭指揮してやった方なのだ。
 最終的な鑑定により、もっと古い時代の遺構だったが、かなり迫力ある発掘だった。
 兎に角話しをしていても楽しいのだ。
 何か歴史に関する書き物を、必ず持って来るのが良い。
 他人から聞いた事をしっかりメモしている。
 私も見習わなくては・・・。
 私がメモを取って帰って見ると、読めないなんて事は時々ある。
 
 今日は原口の昔話しを佐々木さんが熱弁でしたのだが、これが原口の根幹に触れる話しで、何故原口の住民が一体感が無いのかの原点が分かる話しだった。
 結局私は4時間位滞在した。
 GHに戻って老人福祉センターの無料温泉に入って帰宅。
2月12日(水)健康サロン
 いつもの健康サロンの日。
 今日は運動会が行われる。
 と言ってもミニ運動会なのでゲーム的な運動会だ。
 会場に行ったらいきなり、今日の大会会長をやって欲しいと言われる。
 健康サロンの会長が来なかったためだ。
 仕方がなく挨拶をして、選手宣誓を受ける。
 そして大会が始まる。
 今日は北大生の女性4人が来たので、少しは華やかになる。
 今日は若い人が来た
 運動会は札返し、輪の足リレー、玉入れ、うちわに乗った瓶運び、障害物競争と5種類。
 瓶運びゲーム

 玉入れ
 最初は負け、次の輪の足リレーは勝ち、女子大生と足が触れあうのは楽しいではないか、玉入れは一勝一引き分け、瓶運びは勝ち、障害物は勝ちで総合優勝だった。
 ロビーにはお雛様が・・
 昼ご飯を食べて帰る。
 今日は餃子定食だった。
 腹いっぱい食べた
 丼に一杯ご飯を盛って食べる。
2月11日(火)完全休養日
 二日も活動したので今日は完全休養日。
 TVでオリンピックを見たり、本を読んだりして過ごす。
 こんな事は余り無い。
 読んでいる本は、西村淳さんの「面白南極料理人」だ。
 なかなか面白い
 我が生活と似たところがある。
 一番大変なのは水作りだそうだ。
 毎日何度も雪を取って来て、融雪槽に入れるが、それでもなかなか水にならない。
 融ければ体積が一気に少なくなって1/10程にしかならない。
 GH生活も水道が凍った時は、雪を溶かして食器などを洗ったが水の確保は苦労した。
 食器を洗うのは水をあまり使えないので、あまり汚れていない物は、軽く湯を掛けてキッチンタオルで拭くだけだ。
 でもこれはキャンプ生活で当たり前だから気にならない。
 お陰で水は20.リットル入りのポリタンクで5日くらいは持つ。
 本当にエコな生活に馴れて来た。
 
 薪は家を解体して出てきた木材を使うので、燃料台代はゼロだ。
 その代わり、薪ストーブは木が無くなれば持って来なくてはならないし、火力の調整もこまめにやらなくてはならない。
 食事も質素な料理に馴れてくれば満足だ。
 現在はあまりにも便利な生活に馴れ過ぎてしまっている。
 こんなエコな生活をして見るのも良いものだとつくづく感じている。

 南極では平均気温がマイナス55度で、最低は75度くらいになるそうだ。
 そんな中でも裸になって写真を撮ったり、裸で自転車に乗ったりと、みんな楽しむ事は上手だ。
 凄い人がいるが・・

 何か私と似ている。

 昔、会社のスキー部でニセコに行った時には、毎回イベントがあった。
 それは旅館の2Fのベランダから、全員がパンツ1枚で雪の中に飛び込むのだ。
 雪は1m以上もあり落ちた時の痛さは無い。
 そんな青春があったなあと、この写真を見て思い出した。
 
 私は冬でも山で頂上に着いた時に、汗をかいたシャツを取りかえる。
 一瞬は寒いが濡れていないシャツを着ればすぐに暖かくなる。
 そしてその上にセーターを着る。
 飲み物は暖かい紅茶だ。
 実はこれは植村直巳と全く同じやり方だった。
 彼の本を読んだ時に、その事が書いてあって、同じことをしているんだと感心した。
 女性を連れて行った時は着替えを迷うが、まあそんな若い女性も居ないし、大目に見て貰う。
 先日、石山に一人で行った時に、記念に裸で写真を撮ったが、ひんしゅくをかうので載せられない。 
2月10日(月)石山に登った
 東斜面を登る
 朝起きて一仕事して外に出たら快晴だった。
 もう我慢が出来ない。
 直ぐに登山用具を準備して8時には出発した。
 遠くには行く積りはなく、近くの何処かの山に登られると良い。
 行き先は何度も行った石山の向かいの山にする事で出発した。
 最初はこの山だった
 いつもの場所に車を置いて準備していたら、山の方から人がやって来た。
 散歩だろうか?
 声を掛けて話す。
 「石山って石があるから石山なんですか」
 「石はあるが、山の石を昆布の養殖用に切りだしたので、石山と言うようになった」そうだ。
 「今日は向かいの山に行く積りなんだが、景色はどうでしょうか?」
 「あそこはあまり景色は良くないな」
 そんな会話をして出発する。
 雪は少ない。
 林道を登って行く。
 この林道は亀尾に出るそうだ。
 天気は快晴で気持ちが良い。
 時々鹿のピー!と言う鳴き声が聞こえてくる。
 時々林道を外れた山道が出てくる。
 旧道が残る

 まだまだ続く

 鹿の足跡が長い

 まだ続く
 そこを行くとショートカットになって再び林道に出る。
 昔の車の無い時代は皆が歩いた道だが、今もしっかり残っている。
 やがて林道のピークに達した。
 ここに来て石山方面に道がある。
 う〜んどうするかな?
 石山の向かいの山は景色が良く無いと言うし・・。
 それでは石山から縦走コースを探そうと、まずは石山に登る事にした。
 石山に向かう

 まだ道らしい

 最後の斜面を登る

 登った

 函館市街地
 最初は道も付いていたが、やがては低い木の間を通りぬける。
 道は無いが何とか行けそうだ。
 少し登ったら、あれ〜もう頂上?
 石山はあっけなく近かった。
 石山山頂で
 頂上で記念撮影をして、北斜面を下る。
 北斜面を下る

 石が多い

 大きな石もある
 何とか縦走コースを見つけようとしたが、木が多くてなかなかコースが分からない。
 そのうちまあ良いか?となって北斜面を下る。
 下に行けば林道がある筈だ。
 降りたら予想通り林道に出た。
 林道があった
 ここからは再び同じ道を通り戻る。
 暖かくて気持ちの良い登山だった。
 高い山が北に見える

 家に帰って直ぐに市役所に行き「ごみの分別マニュアル」を貰って、その足で「まちづくりセンター」に行って催事場のパネルの寸法を測る。
 パネル展をやりたいのでレイアウトの検討をしなければならない。
 その足でFさんの家に行く。
 近所の人が私の本を欲しいと言うので配達だ。
 「街道踏破」と「下二股口台場 調査報告書」を購入してくれた。
 高齢の歴史好きな方だと言うが本の内容が合うだろうか?
 暫らく話しをしてGHに戻る。
2月9日(日)湖上ウォーキング
 先日のぶんぽ研例会でパンフレットを貰った。
 「大10回湖上ウォーキング」だ。
 北斗市の「自然に親しむ会」が主催し、教育委員会が後援している。
 車で大沼国際セミナーハウスに向かう。
 会場には相当の人が集まっていた。
 500円で申し込む。
 大沼湖を横切って帰りは、バスに乗れるので便利だ。
 一人で往復はしたくは無い。

 スノーシューや歩くスキー、靴のみと様々だが、今年は雪が少なく5cm位なので、スノーシューを置いて登山靴で歩く。
 風が少しあり冷たいが、私の服装は長そでシャツ一枚にウィンドブレーカーのみで、まるで夏の仕様だ。
 距離は4.5kmなのでそう長くは無い。
 全員でスタート。
 全員でスタート

 景色は余り良くない
 知り合いと話しをしながらののんびりウォーキングになる。
 途中で御神渡りを見る。
 丸岡さんの解説
 凍結した沼や湖の氷が堤状に盛り上がるものだが、大沼は氷に線が入り少し段が出来る程度だ。
 寒暖差が少ないのでこの程度らしい。
 御神渡りもある
 さらに途中で氷用のドリルを使って氷に穴を開ける。
 私も押さえるのを手伝って、多くの方にドリルを使って貰うが、女性は2人やりたい方が居た。
 どこでもそうだが、積極的にやりたい人って良いな。
 皆で厚さを測る

 リーダーは大変だ

 丸岡さん
 氷の厚さは30cm位だった。
 その後再び歩いてゴールの東大沼キャンプ場に着いた。
 ここからバスでゴール地点に戻る。
 リーダーの丸岡さんも伝説なども含め、色々説明しながら、皆に楽しんで貰おうと言う気持が表れていた。
 因みに大沼の深さは最高で13mだそうだ。

 帰りに宮崎鯉店に寄り、鯉の洗いを買って妻のいる桔梗に行き、一緒に昼食を取ってそれからGHに戻る。
2月8日(土)大量の薪作り
 今日はマイナス13.3度と冷えた。
 昨日は7時に寝た。
 そして午前1時に起きてソチの開会式を見ようと思ったが、目が覚めたのは5時だった。
 既に終わっていた。
 本の印刷を3冊する。
 まだ「下二股台場調査報告書」欲しい人が居る。

 寒さでトイレの排水が凍ってしまった。
 人が住まない家は寒いのだ。
 ポータブルストーブをトイレに入れて解凍。
 凍っている水が少しづつ流れ出した。

 昨日解体して出た木材を総てカットして薪にした。
 かなり大量の薪が出来た。
 こんなに薪が出来た
 Y子さんが車を置かせてと来た。
 近くの美容院に行く時に何時も家の前に車を置いて行く。
 しばし立ち話し。
 「随分薪が出来たね」と感心する。
 今回は気合いを入れて作業したが、陽も出たので気温ほど寒くは無かった。
 1時過ぎの遅い昼食はカレーを作った。
 今回は珍しく肉が入っている。
 妻が買ってくれた。
 ストーブでじっくり煮て作ったので美味しい。
 じっくり煮たカレー

 美味しかった
 作業を終えて早めの温泉入浴をする。
 2時半からスノーボードの男子スロープのTV放映がある。
 帰って来て見る。
 4位で決勝進出だ。
 5時半からの決勝が始まる前に夕食を作る。
 鳥肉と玉ねぎを炒め、だし汁で煮込んで、最後にトマトケチャップで炒めながら味付けした。
 鳥肉と玉ねぎを炒め

 トマトケチャップを和える

 完成だ
 簡単で良い味だ。
 
2月7日(金)GHに戻る
 昨日はオリンピックンのスノーボードを見たので、夜12時過ぎまで起きていた。
 私にとってはかなり遅い時間だ。
 それでも5時には目が覚めた。
 早速雪かきをする。
 冷えているので踏みつける雪が、きゅきゅっと音を立てていた。
 雪は5cmくらい積っていた。
 手袋が無かったので素手でやっていたが、マイナス7度でも手は冷たくならない。
 昨日借りた西村淳さんの「面白南極料理人」を読んでいたら、南極に行く前に氷の冷水に指を入れて、音頭を測るテストがあるそうだ。
 皆の指の温度が冷えて行くのに、西村さんは途中から温度が上がってくるそうだ。
 私も同じ様な現象になる。
 私も米を冷水で洗米していても手は暖かくなる。
 それなので冬も寒さは余り感じない。

 10時過ぎに桔梗を出てGHに戻る。
 家の前の雪かきをする。
 こちらは二日分で多い。
 その後は家の解体を先にしてしまう。
 ストーブを焚くと腰が重くなるからだ。
 今日はまだ残っている天井の板を総て外した。
 解体前

 まずは表面を剥がす

 板も総て剥がした

 薪が溜まった
 かなりの木材が出たので薪は沢山作れる。
 最近は家の解体をするのが目的である筈だが、薪を作る喜びがある。
 薪が無くなるとやはり淋しくなって、家を直ぐに解体する。
 今回の様に沢山材木が出ると、解体したと言う喜びより、薪が出来たと言う気持の方が強くなった。
 解体は順調だ。

 解体を終えて資料作りをしていたら「居るの?」との声。
 友人のFさんの奥さんだった。
 近くを通りかかったら車があったので寄ってくれた。
 ブログを更新していないのでどうしたのかと思って・・。
 上がって貰いストーブを囲みしばらく話す。
 話題が豊富なので話していて楽しい。
 時間があっという間に過ぎて行く。
 さらにお土産まで貰ってしまった。
 TV観戦に良い
 ソチオリンピックのテレビ観戦に丁度良かった。
 ぽりぽり食べながらテレビ観戦だ。 
2月6日(木)ぶんぽ研例会
 ぶんぽ研の月例会に行く。
 途中桔梗の妻の所に寄って行こうと早くGHを出たのだが、道は渋滞していて寄ってもあまり時間が無いので、例会場の公民館に直接行く。
 早く着いたが15日の講演の面倒を見てくれる、Iさんが既に出勤していたので、打ち合わせする。
 当日配布資料と講演原稿を説明してOKとなった。
 北斗市広報から
 例会は何時もの会長の報告はすぐに終わり、皆でロビーの展示会を見に行く。
 1月4日に亡くなった花巻源一郎さんのパネル展をやっている。
 25歳の時に熊と戦って勝った人なのである。
 頭にはその時の傷が大きく残っているそうだ。
 旧大野町の山道に詳しく、私も話しを聞きたかったが、その時は既に施設に入っていて、話しが出来ない状況だった。もう少し早くコンタクトを取れば良かったと悔やむばかりだ。
 実は亡くなったのは4日だが、前日の3日に20年前に録音した花巻さんのテープが資料館で見つかり、家で聞いていたのだ。
 テープで旧道や旧大野町のの歴史を話す花巻さんの声は、はっきりした力強い声だった。
 会長の説明

 皆で見た

 熊と戦った時の新聞記事

 例会が終わって桔梗に行く。
 妻から米や食料を買って貰った。
 米は無洗米を10kg買ってくれたので助かる。
 水は解体している家から持って来るので大変だし、水はかなり冷えている。
 これで随分と楽になる。
2月5日(水)今日も家の解体
 今日は真冬日の予報。
 朝はマイナス10度で日中はマイナス4度くらいの真冬日。
 こんな日でも解体作業をやっていれば汗がひたたり落ちる。
 今日は天井を剥がす準備をする。
 天井の一部を剥がしたら下には板が張ってあった。



 この板を剥がせば天井が無くなる。
 今迄の作業で大分ノウハウを得たので、これから先は楽になるだろう。
 天井を支えている縁の木がなかなか外れない。
 釘の撃ち方が2方向になっているので、なかなか上手く外れない。
 苦戦してようやく4コーナー分を外す。
 後は天井板だけなので簡単に剥がせる。

 先日外した灯油のホ-ムタンクの取り付けボルトを取って欲しいと言うので、サンダーでカットしてきた。
 突起を4ヶ所カットした
 剥がした板も溜まったので薪作りをする。
 外は風が強くて寒い。
 それでも1時間くらい薪作りをやった。
 これを続けたら寒さに強くなるな。

 午後から一休みする。
 家の近くの図書館に行って本を借りる。
 最近ずっと古文書ばかり読んでいたが、少し頭を休めたいので、山の本などを借りて来た。
 これだけ借りて来た

 天井を剥がすとやはりごみが多い。
 ヘルメットを被っているが、服もすっかりごみだらけ。
 老人福祉センターに行って無料温泉に入ってくる。
 今日はこれで作業を終わりのんびり過ごす。
2月4日(火)GHに戻る
 快適な家に居るとついついのんびりしてしまう。
 朝からTVに釘づけになってしまった。
 特にやる事も無いので、資料作成を2時間くらいやってGHに戻る事にした。
 帰りにホームセンターによる。
 べニア板を電動のこで切っていたがどうも面倒だ。
 いっそのこと内張りだけは捨ててしまおうかと思った。
 しかし待てよと考えて、ホームセンターに向かう。
 強力なカッターナイフならべニアは切れるかとなった。
 カッターと代え刃を購入する。
 ついでにごみ袋も買う。
 
 家に戻って早速解体する。
 今日は天井を剥がした。
 これも意外と簡単に剥がれてしまった。
 天井板を外す

 吊用のタル木を撤去

 天井が見えた
 天井裏が見えた。
 上の板の外側は屋根のトタンになる。
 外の工事は春にやる。

 剥がしたタル木はすぐに薪にするためカットする。
 そして剥がして溜まっていたべニア板を、購入した強力カッターで切ってみた。
 それ程力を入れなくても、切れ目だけを点ければ後は手で簡単に折れた。
 これは早い。
 強力カッター

 簡単に折れる
 捨てるのを止めて、薪に使うことにした。
 これが以外と良い。
 燃え具合が良いのだ。
 直ぐにぱあっと燃える。
 タル木と組み合わせて燃やせば良い感じで燃える。

 ストーブの中には釘が一杯溜まる。
 釘つきの木だから仕方が無い。
 綺麗に灰汁とともに取り出す。
 これで薪も入れやすくなった。

 夕方郵便局に行く。
 レンタルサーバーが2月で切れる。
 2年分6300円を振り込んだので当分大丈夫だ。
 これも消費税がアップすれば上がるそうだ。
 
 夕方食材を買いに行く。
 もう少量は尽きてしまった。
 白菜が安くなった。1/4カットで70円、それにごぼうすり身がグラム50円、油揚げが50円、豆腐が50円だった。
 これで今日は鍋にする。
 味はばっちりだった。
 美味しい!
 ご飯は2合分しか米が無かった。
 そろそろ買わなくては。
 具が一杯の鍋 
 GHに帰ればやる事は一杯ある。
 やはり体を動かしている方が性に合っている。
2月3日(月)本を渡してのんびり
 朝起きて外に出たら、路面はつるつるでまるでスケートリンクだった。
 昨日は雨で雪が解け、夜中に冷え込んだためだ。
 歩くのも容易でなく、本当にそろそろと歩く。
 まるでスケートリンクだ
 8時頃になったら気温はプラス3度になった。
 朝方にプラスと言うのは、今迄滅多に無いが、最近は時々こんな現象が起きる。
 佐々木さんの家に行く。
 早速渡したら喜んでいた。
 昼まで行くよと言っていたのが、早く来て良かった様だ。
 清水さんの葬儀で弔辞を読んでくれと言われたのだが、資料はみな原口にあるので早く行きたかったようだ。
 送る人が生憎いなかったので、タクシーで行くそうだが、大変な費用が掛る。
 どうせ暇なのだから送っても良かったが、既に予約しているので送るのを止めた。

 桔梗に帰って「鶉山道」の資料の執筆を行う、
 暫らくパソコンに向かったら疲れたので、気晴らしに近くの本屋に行く。
 箱館戦争関連の新刊が出ていた。
 あまり目新しい事も書いて居なかったが、二股台場の戦いの所で、安政五年開削の鶉山道を何故迂回路として使わないで、落部への道を選んだのだろうと言う疑問が載っていた。
 落部に行く道の途中の沢が、国土地理院の地形図の中に「官軍の沢」として名が残る。
 官軍の名が残る
 面白いな〜と思った。
 私と全く同じ発想なのだ。
 本当にそうなのだ。
 しかし更に調べて行くうちに、使わなかった訳が分かって来た。
 今度の講演の内容に入っている。
 何度読んでも新しい事が出てくるので、歴史は面白い。

 夕方恵方巻を買いに行ったついでに、温泉「花の湯」に行く。
 妻と温泉に行くのは久しぶりだ。
2月2日(日)輪投げ大会
 町内会の輪投げ大会に出るので昨日から桔梗に来ていた。
 9時過ぎに午前中の練習に妻も一緒に行く。
 準備を既に出来ていて練習を始める。
 投げ方は色々あるが一般的には、フリスビーの様に投げる。
 この練習をし、後はソフトボールスタイルで投げる。
 2時間くらい練習して一度家に帰る。
 食事後再び会館へ。
 皆が集まってくる。
 何と50人が参加だ。
 5人1班に分ける。
 私は8班で妻は10班になった。
 まずはマスターズの会長の挨拶。
 マスターズ会長の挨拶
 競技開始。
 元同じ会社の幸美ちゃん

 こんな的がある
 なかなか入らない。
 練習よりは悪いスコアで終わった。
 結果発表。
 妻の10班は何と203テン優勝だった。
 10班が妻のGr,8班が私のGr
 我々は165点で6位辺りだった。
 妻も良い成績だったようだ。
 優勝の票品授与
 練習の時、スナップスローをしていたが、コントロールが定まっていなかった。
 それで下手投げを教えたのだが、しれが功を奏して良い成績だったようだ。
 妻は大喜びだった。
 記念撮影

 ミカンとお汁粉をご馳走になって帰ろうとした時に、松前原口の佐々木さんから電話が来た。
 原口の清水弘平さんが亡くなったと連絡が来たそうだ。
 清水さんは原口の歴史に詳しい人だった。
 特に古道や山川等に詳しかった。
 私も2回くらい話しをした事がある。
 彼も文書で歴史を残していたが、地図を書けば分かり易いので、何れやりたいと言っていた。
 しかしそれも出来ないままになってしまった。
 私も必ず絵や地図に書いて、分かり易く残しているのは、彼の思いに習っている面もある。
 残念だ。
 佐々木さんは今、函館に居るが、明日には原口に行くと言う。
 今、作り掛けの本を何とか一冊だけ作れないかと言う。
 まだ佐々木さんの巻頭言も原稿が来なく掲載していない。
 それでも良いから欲しいと言うので、急遽GHに戻って本の製作をする。
 表紙の紙などまだ用意して居なかったので、あり合わせのもので表紙を作った。
 そしてグル―ガンデ背中部分を接着し、製本機で表紙を付けて完成した。
 仮完成だ
 明日10時まで家に持って行けば間に合う。
2月1日(土)桔梗に移動
 今日は久しぶりに桔梗の妻の元に帰った。
 明日は桔梗町内会の輪投げ大会があって、それに申し込んでいるし3日は節分だ。
 鬼は外!にはなりたくないので、節分が終わるまで居ようと思っている。
 朝から持って行く物を車に積んで、次に帰ってくる時のために薪を準備した。
 さらにごみを捨て家の中を綺麗にした。
 後はパソコンと大量の資料も持参する。
 まだあった。
 解体する家から天井灯を外した。
 新宅の私の部屋には天井灯が無い。
 最初は食堂のテーブルは可動式の天井灯を付ける予定だったが、今の固定式のままに何となくなってしまった。
 私の部屋に来る予定の天井灯が無くなったので、今迄使っていた天井灯を移設する。
 他の部屋は総てLED照明になったが、私の部屋は従来の蛍光灯だ。
 部屋で天井灯を点ける事も少ないので、電気使用量的には問題は無いだろう。
 外は吹雪だったので雪が積ったので、雪かきをしてから出発する。

 桔梗について、昼は近くの回転寿司で済ませ、格安衣料品店で靴下と発熱タイツを購入する。
 さらに本屋に行き、ソチ五輪の見どころとTV番組の書いた本を購入。
 GHではBSが見られないので、オリンピック期間は桔梗に来るのが増えるかもしれない。
 北斗市出身のアルペンスキーの佐々木明の滑りを久しぶりに見たい。
 他にも色々と見たいものは有るのだが、カーリングも好きで嵌っている。
 競技時間は夜中から明け方に多い。
 また寝不足が通常的に発生するのか、起きる時間を時間を少し早めれば良いのか。

 ブログは普段はパソコンから発信しているが、桔梗にはインターネット環境が無いので、スマホのWi-Fiテザリングで行っている。
 これが意外と速度が速いので満足して使っている。
 スマホは使い放題契約なのでインターネットの契約を辞めて、スマホを使ったテザリングで良いのかなとも思う。
 使い過ぎると速度が遅くなると言う欠点はあるのだが・・。
 Wi-Fiテザリングが生きている
  
 HP TOP