1月31日(土)輪投げ大会
 町内会の輪投げ大会の日である。
 町内会には輪投げクラブがあるので、上手い人は沢山いる。
 入り口で抽選があり9組になった。
 妻は5組と別れた。
 本番前には練習がある。
 5〜6回やったがなかなか思う様には入らない。
 ユニークなフォームだ
 賞品は沢山ある。

 なかなか思う様には入らない。
 会長の挨拶の後大会が始まる。
 田中会長の挨拶
 大会委員長のルール説明もある。
 ルールもある
 10m位先に有る、木の棒が9本建っているボードに輪を投げて入れる簡単なものだ。
 5人が組なって1人3回ずつ投げる。
 3組には輪投げクラブが3人くらい入ったので、大本命らしい。
 私の番が来て投げるが思うように入らず27点くらい。
 次は10点、最後は20点台で終わった。
 妻の方は合計232点と我々よりは良い結果だ。
 左が妻

 この様に入る
 結果は1位が予想通り308点で、我がチームは182点で第9位となった。
 後ろから2番目である。
 我が組は9組だ
 賞品は1,2位は少し良いものだが、他は全て3位と云う事で同じ商品だ。
 でも賞品は3位。
 終わった後お汁粉を食べて解散した。
1月30日(金)ベコダテ山
 Seさんから頂いた本「愉しき山旅」を読んでいる。
 愉しき山旅
 筆者の高澤光雄氏は昭和7年生まれだから、現在82歳で、80歳になった時から、股関節病で山に登れなくなり、昔登った山の回顧録を書いている。
 山に登り過ぎて、股関節がすり減って突起が出てそれが刺激して痛いそうだ。
 山に登り過ぎたと言っている。
 何事もほどほどが良いのかも?
 彼の山登りは、未踏峰の新ルートを歩く登山であった。
 冬山では何度も遭難しかけている。
 昔の人は吹雪になろうとも登っていた様子が伺える。
 駄目だったら引き返すとあっさり登頂を諦めて下山する。
 そしてまた条件の良い時に登る。
 根曲り竹に赤い旗を付けたものを数10本持って登っていた。
 旗が途中で無くなったら頂上は諦め下山していた。
 沢もかなり登っている。
 兎に角凄いパワーを感じる人だ。

 道南の大千軒については名前の歴史が詳しく載っている。
 名前の由来だけで4ページも載っている。
 これは面白かった。
 私も歴史が好きだから共有できる部分はある。
 森一馬の『罕有日記』、菅江真澄の『ひろめかり』、『蝦夷歴検絵図』は私も読んでいた。
 また昭和47年には「えぞ山岳会」中村喜吉さん一行5名が大千軒岳石崎川右股ルートを登っていた事を書いていた。
 中村さんはGH「自遊旅」に泊まってくれ、今でも年賀状交換が続いている。
 彼も日本山岳会の記念イベントで北海道の分水嶺を歩いているクライマーだ。
 総て古き時代の登山の話しだが、藪を漕いで困難なルートを登る事が山登りの達成感になると書いている。
 「読み、歩き、書いた」という深田久弥さんの言葉が好きだそうだ。
 深田久弥さんの墓にはこの言葉が碑面に有るそうだ。
 私の所属する「地平線会議野宿党」の本体(組織は無く自由参加)の親分である江本さんもジャーナリストなので「行動したら必ず書いて残せ」と言う。
 文章のうまい下手では無い。
 誰かがそれを読んで参考になれば良いとの考えだ。
 私も出来るだけ書くようにしている。

 ルスツ行きの準備も終えて桔梗に行く。
 暫らく妻と話し、まだ時間もあるので、昼食のお餅を食べてから北斗市(旧大野)に向かう。
 べコダテ(牛立)と言うのがあって、塹壕が多く見られると大野町史に書いてある。
 多分旧道の近くの場所だろう。
 ルート
 三吉神社の前に車を置いて歩く。
 三吉神社横の旧道
 169.3mの三角点の有る山まで行く事にする。
 道は沢を登って行くが人の足跡があった。
 誰か歩いている
 何でこんな所に・・と思って登ったら、伐採の現場があった。
 更に登って行くと左手が深い沢になっている。
 この辺りに暫壕はありえないな。
 旧道からも外れているし。
 尾根を行く
 三角点が近付いた所の周辺は一面タラノ芽の木があった。
 これは春が楽しみだ。
 タラノ芽が豊富にある
 さらに登って169.3mの三角点に着いた。
 4等三角点「栗山」だ。
 三角点
 でもこの辺りだと暫壕は有りそうに無い。
 匠の森の管理棟が見えたので、そちらに下る。
 管理棟が見えた
 ここから焔哨の倉のある沢に下ろうと思ったが、かなり急なので止めて、他の降りる場所を探すがなかなか無い。
 こうなれば、五稜郭台場のあった場所の方から降りようと向かう。
 途中に熊の足跡らしいのが沢山あった。
 鹿にしては大きすぎる。
 鹿の独特の足の形状が無い。
 人間の足の幅を広くしたような形だ。
 熊の足跡?
 何か遊んでいる様な雰囲気だ。
 熊の踊り場かな?
 先日音威子府で熊に襲われ死んだ方が居るのでふと頭をよぎる。
 ここも冬に熊が冬眠しないでいるのだろうか?
 五稜郭台場の有った場所に行く。
 二股岳方面

 長い溝が数100mある。道?

 振り返った

 良い感じの風景

 五稜郭跡
 現在は形が無くなった。
 高圧送電線の工事でこの辺りがならされて消滅してしまった。
 残念な事だ。
 でも構造図は教育委員会に残っているのでまだ良かった。

 そろそろきじひき高原に至る道に出ようと下ったら、トラップの様なものがあった。
 トラップか?
 北斗市では熊取りに、紐を張ってそれを横切ったら、矢が飛び出す仕掛けがあって、昔は使っていたが、それなのか?
 弓矢は見つからなかった。
 仕掛けは2か所あった。
 下に出て旧道を探す。
 途中は既に歩いているが、きじひき高原に至る道が舗装されたので、その辺りに旧道が消えてしまった。
 以前からこの辺りの旧道を調べようと思っていたが、なかなか来られなくていた。
 今日は探すぞとなって、うろうろしている内に旧道が分かった。
 意外と簡単に見つかった。
 そこを歩いて戻る。
 この旧道を行って、左側には旧幕府軍の弾薬庫「焔硝の倉」ある。
 旧道があった

 山腹を行く

 旧道の雰囲気だ
 斜面の中腹に道は付いている。
 旧道を歩いて上を見ると五稜郭台場が頭上に見える。
 あそこから撃たれたら堪らないな・・。

 ようやく車に戻って帰宅の途へ向かう。
1月29日(木)家から出ず
 今日は一日家に閉じこもりでした。
 午前中は本の執筆でもうくたくたになった。
 90%は完成に近づいたが、まだ足りない写真があって、撮りに行かなくてはならない。
 でもまだ雪が多いから、暫壕の写真は上手く撮れないだろう。
 もう少し待たなくては・・・。

 午後からも写真整理や資料の整理をして過ごした。

 明日は桔梗に行って、31日には町内会の輪投げ大会が有る。
 その後3日にはルスツスキーリゾートに行くので、その準備もしなくてはならないがまだ終わっていない。
 1日か2日に発って車中泊で2泊し、その後でルスツに行こうと思うが、何処に行くのかまだ決まらない。
 どこか面白い所は無いのかな。
 道南は殆ど行っているので行きたい所がなかなか無い。
 礼文華旧道でも歩こうかな・・・。
 兎に角明日は、一生懸命準備をしなくてはならない。
1月28日(水)健康サロンIn明和園
 いつもの明和園で運動をする。
 今日はA女史が来たので、当然ながらきついとトレーニンになる。
 現役の女子サッカー選手なのだ。
 来月も全道大会に出る予定だ。
 ストレッチ&ラジオ体操の後は、簡単なエアロビをやる。
 簡単でも長くやれば汗が出てくる。
 久しぶりに良い運動になった。
 男性の若い指導員も来るが話が長くて運動量が少ない。
 余りにも軽すぎる運動に飽きていた。
 やはりAさんでなければ、運動をした気になれない。

 終わった後、ビンゴゲームをやる。
 賞品は各自が持ち寄った物になる。
 本来は昨年の12月にクリスマスのイベントとしてやる筈だったが大荒れの天気で中止になったのだ。
 折角用意した品物なので、ビンゴだけをやろうとなった。
 まずは会長さんの挨拶。

 シュークリームとジュースはあらためて用意したそうだ。

 和気あいあいと楽しめた。
 一番最初にBINGO

 皆楽しそう

 私は和風カップ2個とホッカロンだった。
 妻は洗剤がだったのでGHに寄付して貰った。
 洗剤は旅人様にだが幾らあっても直ぐに無くなる。

 午後から錦織圭の試合を見たが、今回は負けてベスト8で終わった。
 その後は薪作りをして、花園温泉に行ってくる。
1月27日(火)色々な日
 朝のTVで北海道標茶で伐採に来ていた数人の内、60歳の男性が熊に襲われるというニュースが流れていた。
 男性は搬送先の病院で亡くなった。
 昨年の冬に熊穴にハンターと共に行った時に、色々な事を教わった。
 冬の場合は音の出る物は持ってはダメと言って、熊除けの鈴も外された。
 会話も無しである。
 静かに熊穴に向かうのだ。
 音によって冬眠している熊が起きて来るのを警戒してのことだった。
 冬は雪に残った足跡で熊の存在を確認するという事だった。
 今回は5m近くにあった熊穴の傍で伐採作業をして居たので、音で驚き熊が起きてきたのではないだろうか。
 皆が逃げたのは熊を見てからだった。
 熊穴を知りながら作業するのは、危険極まりない。
 私も昨年Hi氏と熊穴を見た時はすぐに離れた。
 冬も熊には注意だ。
 最近、鹿を食べている熊も目撃されている。
 そうなれば冬眠しない熊がうろついているのも不思議でない。








 昨日夜からから古文書を読みあさっていた。
 事の発端はSe氏から頂いた、「函館碧血会」の会報だった。
 一昨日会った時に、宮地仙之助の墓が大圓寺に有って、明治元年11月22日に没になっている。
 彼が調べた「戊辰巳巳戦死者名簿」では二股で亡くなっているが、どうなんだろうと言う感じで聞かれた。
 私も「函館脱走海陸軍惣人名」や「蝦夷戦争戦死之輩」を見たら二股で亡くなっている。
 そうすれば間違いはないのかと思うが、その亡くなったのが明治元年11月22日とすれば、二股での戦いは明治2年の4月なので、行われていないのである。
 何でその日なんだろう?
 図書館から借りている、岩橋教章の「函館義士姓名覚」があったので見たら、何と松前で亡くなっている。
 それも明治2年4月17日だ。
 この戦いでは多くの旧幕府軍の兵士が無くなっている。
 ここで死んだ可能性は高くなった。
 そうだとしても、明治元年11月22日は何なのか、結局は今のところ判明しない。
 また何か資料が入る時まで保留だ。
 でもSeさんの家に行ってあれこれ、話したのは楽しかった。
 歴史をあれこれ語り合える場所がないからだ。
 他にも奥さんを交えて、山菜採りの話を初め色々な話しをして2時間くらい過ごした。
 奥さんは私と同じ年生まれで、相当なスポーツウーマンだったようである。
 今度春になったら山菜を持ってこよう。
 帰りに本とニシン漬けと蕪漬けととろろ昆布を頂いて来た。



 帰り道、佐々木さんの所に寄る。
 先日行われた出版記念の写真を頼まれたので置いて来た。
 帰りが遅くなったので、白菜・肉が入った簡単な煮込みラーメンにした。
 美味しい漬物があるので十分だ。
 本は80歳で山に登っている人の本らしい。
 これから読むがそんな年齢まで山に行けるだろうか?
1月26日(月)家でのんびり
 今日は家でのんびりした。
 GHに泊まった旅人から寒中見舞いが来た。
 雪の中で四国お遍路をしたんだと分かる。
 自転車はママチャリだ。
 葉書が来た
 旅の中ではなかなか葉書は出せないのだが、丁寧に出してくれる若者も居る。
 メール等でのやり取りが多い中でやはり葉書って良いなと感じる。
 四国お遍路は自分も自転車で回ったので懐かしい。
 旅人は冬になれば殆ど沖縄に入っている。
 皆元気で旅しているようだ。

 旭川出発で日本一周中のTくんはMTBが壊れ、貰ったママチャリに変えたが、それも壊れ今はバックパッカーで歩いている。
 大量の荷物はどうしたのだろう。
 2年くらいかけて北海道まで戻るそうだ。

 何か暖かくなってきたので、MTBを家に入れ整備する。
 昨年の旅でBBがごろついていた様だったので、クランクを外して見た。
 クランクを外した

 BBはスムースだ
 手で回したがごりつき感は無い。
 大丈夫かな?
 交換するかな??
 もう少し考えて見よう。

 昨日合ったSe元校長先生から、「北海道新道一覧双六」の復刻版を貰った。
 明治7,8年頃に浮世絵師に依って書かれたもので、函館から札幌までの双六になっている。
 2009年にイザベラバードの道を踏破したが、彼女の歩いたのは明治11年だから、この絵がぴったしあう。
 懐かしく眺めていた。
 


 この双六を見て、先日歩いた大沼学園の道が気になった。
 この双六は峠下から大峠(茅部峠)を越えないで、一ノ渡を経由し、札幌本道を通って蓴菜沼に出ている。
 すると大沼学園への道は、札幌本道が出来たので、大沼学園(鳳の湯)に至るために作った道なのか?
 この時点で大峠を越える道は廃れたのか??
 そんな事を考えながら眺めていた。 

 午後からは錦織のテニスを見ていた。
 強いな。
 ベスト8だ。
1月25日(日)出版記念祝賀会
 今日は午後から、佐々木さんの「親子二代 半世紀の活動」出版記念祝賀会があるので、何処にも行かず時間まで少しの仕事をしただけで家で過ごす。
 居間の電灯を交換した。
 今までは100Wの白熱電球だった。
 何か電気消費量の割に明るくない。
 雰囲気的には古民家風のGHに合っているのだが・・・。
 工作室に有った蛍光灯は普段あまり使っていない。
 そこで交換をする事になった。
 約1時間ほどで交換した。
 形的には良いのだが

 やはり明るい
 やはり明るい。
 蛍光灯は30W2本付いているが、1本でも白熱電球より十分に明るい。
 100W→30Wになったが、蛍光灯の効率は50%位なので実質60Wになる。
 これでも40%は節電が出来る。

 さらにカレーライスを作る。
 これは小分けして冷凍庫に入れて置く。
 ことこと煮た

 湯川温泉、ホテル万惣に出発。
 お酒は飲まないので車で行く。
 5時開始なのだが4時には着いた。
 ここの温泉に入りたかった。
 用意されていたバスタオルと手拭いを持って、早速入浴。
 特にこれといった特徴も無い温泉だった。

 5時から出版記念パーティが行われた。
 まずは全員で記念撮影。
 全員で
 その後、佐々木義之氏の司会で進められた。
 発起人代表挨拶、花束贈呈は2人で、今回札幌からかけつけた、Yo女史と原口郵便局長。
 佐々木さんも嬉しそうに受け取っていた。
 花束贈呈
 佐々木さんの謝辞の後、祝宴が始まった。
 佐々木氏挨拶
 少しして、私が本の製作のエピソードを話した。そして作成した色紙を渡した。
 凄く喜んで貰えた。
 そして原口小学校最期の元校長先生のSe氏が原口の思い出を話された。
  原口舘発掘など原口には多くの思い出を持っている。

 その後は宴が続く。
 会場風景

 会場風景
 郵政関係の方が殆どなので、皆知り合いの様で話は弾んでいた。
 私も松前登城ウォークで知り合いになった顔なじみの方も多い。
 会話の中で今年の登城ウォークも郵政関係者が支援してくれる事になった。
 最後にNi氏の乾杯で宴は終了した。
 最期の乾杯
 宴が終わってからも控室に戻り2次会。
 10人くらい居たが、最後は私と義之さんと札幌から来た紅一点のYoさんの3人になった。
 10時には終えて、義之さんを車で送る。
 Yoさんが玄関まで見送ってくれた。
 彼女は2連泊して友人と会うそうだ。
 家に帰ったら10時30になっていた。
 お土産もあった

 紅白まんじゅうだ
 久しぶりに遅い就寝。
1月24日(土)色々
 何気なしにGoogleの航空写真を見たら、解体中の我が家がもう撮られていた。
 写真から昨年の秋の様だ。
 屋根がもうなくなって、中のあばらが見えている。
 ゲストハウス「自遊旅」も名前が書かれている。

 薪が無くなって来たのでどうしようかと思っていたが、そうだ海に行けば幾らでも流木があるではないか。
 でも海に入っていた木は燃えるのかな?
 早速行って木を集める。
 沢山拾っても燃えないと困るので、大小10本ほど拾ってくる。
 家で切って燃やしたが、乾いているのは普通に燃える。
 少し湿っているのは、ストーブががんがん燃えて居る時に入れれば燃えてくれる。
 これは良い。
 海岸清掃にもなるし、暖房にもなる。
 行った先だけでも相当の流木が流れ着いている。
 広い範囲で探せば、今冬は大丈夫だ。

 洗濯をして、家の掃除をして、冷凍するカレーを作ったりと忙しい。
 カレーも作った
 3時から錦織のテニスを見たらもう夜になった。
1月23日(金)GHに戻る
 GHに戻る。
 途中でガソリンを入れる。
 価格は120.8円ともう直ぐ120円を切りそうな勢いだ。
 このまま維持して欲しいものだ。
 GH戻って色々とやる事はある。

 まずは色紙作り。
 25日に佐々木さんの「親子二代、半世紀の記録」の出版記念パーティがある。
 何か持って行っても良いのだが、酒はあまり飲まないし、お菓子もそれ程食べそうにない。
 以前、脳梗塞で入院した時に、「夢をあきらめないで」と書いた色紙を送った。
 それを今でも大事に持っていてくれている。
 そしてリハビリィも頑張って、今新たなイベント「松前登城ウォーク」行う事まで出来るようになった。
 それで今度は、その活動の継続という事で色紙を書いた。



 これを持って行こう。

 その後は、家を解体した断熱材や石膏ボードを捨てに廃棄処分場に行く。
 ここの処分場は少し遠い。
 259円払って終了。
 その帰り道にある妻の妹の家に寄って、娘から預かったお土産を置いてくる。
 誰も居なかったので、玄関の取っ手に掛けて来る。
 更にホームセンターに行って、ガスボンベと焚きつけを買う。
 セールをやっていたので久しぶりにボンベが定価で26円だった。
 そのはスーパーに行く。
 鳥肉を買いに行ったのだが、大好きなイナバのタイカレーが何と一個56円で売っていた。
 セールは昨日までなのだが、売れずに今日まで伸ばしたようだ。
 一時はブームになって170円近くになり、なかなか買えなかったのに・・・。
 11個購入した。

 GHに戻って妻に電話したら、まだ沢山買いなと言う。
 また買いに行く事にする。
1月22日(木)大沼学園への道
 今日は北斗市の大沼公園小沼付近にある、大沼学園への道を歩く。
 今日はO氏と他に男性1人女性3人の6人で行く。
 大沼学園の所は鳳の湯が有った場所で、茶屋と旅籠があった。
 松浦武四郎も長坂峠を越えてここで一休みしている。
 今日行く道は、O氏に依れば以前からあった旧道で、北斗市(旧大野町)から北に向かう道だと言う。
 私の見解は札幌本道が出来たため、長坂峠を越えて来る人が居なくなったので、新たに作った道ではないかと思う。
 どちらが正しいかは今のところ明確にはならないが、この様にお互いの見解を述べあうのもなかなか面白い。
 O氏も資料をだしているし、私もだしている。
 お互いの資料を見ればその人の考え方があって面白い。
 下が明治の地図。
 大沼学園は前は訓育院だった。
 ここの鳳の湯が有った筈だ。
 明治の地図
 今回のGPSログ。

 スタートして入った所がとが少し上過ぎた。
 もう少し下に道が有る筈だ。
 もう少し行った先から見たら道が見えた。
 GPSのログでは途中で左に曲がっているが、ここは倒木が有ったので上を回った。
 倒木の上を行くとログは真っ直ぐだろう。
 後は尾根を下る所だが、もう少し早く沢に下りで斜めに行っている様だ。
 今回のログ
 車を置いて、私が自己紹介して出発。
 札幌本道を入って直ぐに右手に曲る。
 確かに道は明確だ。
 道の左側には木が並んで植えられている。
 ここは違っている

 道はあるが・・
 少し行ったら廃屋があった。
 使っている電線から見てそれ程古くは無いが、ここで何をしていたんだろう。
 この家に行く道だろう

 何に使ったのか?
 さらに行ってから右に下がる。
 確かに道がある。

 明治の地図からこの道が地図の道かなと思う。
 すると入り口は少し違う事になる。
 道が二手に分かれたので、人を分けて進むがまた一緒になった。
 沢の右岸の道を進む。
 良い感じだ

 倒木はある

 上から撮った

 更に行く
 なかなか雰囲気の良い旧道で、こんな所を歩くのは気分が良い。
 所々には倒木があり、歩きにくいが旧道歩きでは良くある事だ。
 まだまだ行く
 沢が無くなって未舗装の車道に出た。
 今は使われていない道だが、昔は大沼公園に抜ける車道だった。
 
 ここから大沼学園に向かう。
 道はしっかり付いている。
 車道後の道

 また倒木

 大沼学園
 その道を進んでやがて大沼学園が見えてくる。
 この辺りが小沢が入りくんでいる。
 地図から行けば大沼学園の手前で右に曲がって行く。
 道ははっきりしないが、大体の方向で進む。
 やがて国道5号線に出た。
 これで今日のコースは終わった。
 1時間半の短い道だったが、なかなか面白かった。

 帰りは国道5号線をトンネル中を通ってスタート地点に戻る。
 帰り道に七飯のリンゴ園で皆さんリンゴを買ったが300円で10個くらい入っている。
 私はミキライフと言う聞いた事が無いリンゴを買おうとしたが、同行の女性が奢ってくれた。
 サンキュー。
1月21日(水)健康サロンin明和園
 朝ぼんやりNHKテレビを見ていたら、新しいスキーを開発したと言うのを放送していた。
 札幌の「レルヒ会」だったと思う。
 そこのメンバーが新しいスキーを考えたそうだ。
 見たら色々な靴で履けるスキーだった。
 固定には金具は使わずにスノーシューとかんじきの組合わせの様な考えだ。

 ベルトもしっかり作っている。
 新たに製作したとなれば凄いな。
 アイデアは有っても個人ではなかなか製品に出来ない。
 何かのベルトを流用したのかな?
 かがとの下部分もスノーシューのパーツに見える。

 メリットは長靴で使用できると歩ける事と軽い事だろう。
 板の裏には登るときは滑らず下りは滑るといった溝が付いている。
 機械加工したのか、手掘りなのか?

 歩くスキーの様な感じの溝だ。
 でも板の幅は普通のスキーの様なので、溝を付けたのだろう。
 ゲレンデを歩いて登って滑っていたが、普通に回転して滑っていた。
 滑っているのは指導員の様だった。

 強い角付けは無理だろうが、山での登り降りに使えれば面白い。
 私もスノーシューとスキーを組み合わせて作ってみたが、なかなか上手くいっていない。
 今回の様なアイデアも考えたのだが、今一つ実現に至っていなかった。
 スキーの板にスノボの金具を付けたのは市販されているが、これも今一つの感が有った。
 重いのと歩けない事だ。
 スキー板に直接長靴を付けるのは、私が小学校の頃はやっていた。
 スキーの板に皮のベルトをネジで止めて、それで締めて滑っていた。
 でも歩くのは難しい。
 今回は長靴で使えるのが良い。
 山登りは長靴でスノーシューを使っているので、下りをスキーで降りられれば早い。
 また考えて見ようかな。
 札幌で体験会が有るので見たいが、これだけで行くのには遠すぎるな。


 今日は久ぶりの健康サロンの日である。
 妻が桔梗から電車で来て、私が駅まで車で迎えに行くパターンだ。
 10日ぶりの再会だ。
 GHに寄って、薪ストーブで暖を取って貰う。
 時間になったので妻が先に明和園に行く。
 私はストーブの火の始末をして行く。
 薪ストーブはすぐに火が消えないので、ある程度消えるまで待つしかない。
 明和園に行ったら、口々に明けましておめでとうだ。
 今年初めての集まりなのだ。
 いつもの通り最初はストレッチから始まる。
 今日は妻がリーダーだった。
 右端が妻
 壇上ストレッチの内容を説明しながら進める。
 その後はゴムベルトを使った運動だが、私には楽過ぎてあまり大した運動にはならない。
 会は早めに終わった。
 そして昼食を待つ。
 スマホを見ていたらHaさんから声を掛けられ、息子が10インチのタブレットを置いて行ったが、どうするか考えていると言う。
 使えば良いのにと言ったらが、使い方が全く分からないそうだ。
 どうしてもそうなるな。
 旦那さんはパソコンをやっているそうなので聞いたらと言ったが、毎日同じゲームばかりやって、他の事は何も分からないと言う。
 教えて欲しいなと言うが、私も超初心者に最初から教えるのは気が進まない。

 昼食は初めてパンだった。
 シンプルだ
 それと玉子スープだ。
 今一つ満足感が無かった。
 
 終わって一緒に桔梗に帰る。
 帰り道、蔦谷書店に寄って色紙を購入する。
 25日の出版記念パーティの時に佐々木さんに渡すのだ。
 昨年私が佐々木さんに製作してあげた本の出版記念で、関係者が20名位集まるそうだ。
 私は招待された。
 この本の出版記念

 以前彼が脳梗塞で倒れて、左側が麻痺して歩く事も出来なかった。
 私も自転車旅に出ていて、その事は全く知らなかった。
 ある日電話が来て「会いたいと言う」
 聞いたら闘病生活をして居て、初めての外出許可が出たそうだ。
 その時一番最初に私の所に来たが、車から出る事も出来なかった。
 「毛利さんのパワーが欲しい」と言い手を握ってくれと言われた。
 しっかり手を握って、その時色紙を渡した。「夢をあきらめないで」と書いた。

 それから彼の努力でリハビリィもして歩けるようになり、原口での一人での生活も出来るようになった。
 彼はその色紙を大事に持っている。

 そして彼の念願の「松前登城ウォーク」の第一回目を昨年開催した。
 さらに継続を考えて活動している。
 そんな彼に再び色紙を送ろうと考えている。

 蔦谷書店には色々な色紙があるので、その内の1枚とケースを買った。
 800円位になる。
 今回は100均の色紙とは違う。
 デザインは考え中
 お酒や菓子類を持って行くより喜ばれるだろう。
1月20日(火)函館山
 函館山に行く。
 旧三十三観音のまだ合わないコースを調べて歩く事にする。

 登山駐車場に車を置いてまずは碧血碑に行く。
 既に足跡が付いていた。
 碧血碑に行って参拝してまた戻る。
 千羽鶴や花がいつもある

 碧血碑
 そして旧登山道を登る。
 途中に一番観音がある。
 この観音が要塞の出来る前の観音になる。
 一番観音
 大坂大津屋新造と書いてある。
 高田屋嘉兵衛が大津屋に頼んで運搬したそうだ。



 4合目まで登って水元から入る。
 水元付近も色々探したが、道らしいものは無かった。
 ここは要塞の水確保に使われたので地形がすっかり変わったのだろう。
 仕方が無く姫塚を目指して登るが、雪が随分積もった。
 膝上までのラッセルになった。
 姫塚から上にある観音の位置が、全回かなり位置がずれていたので、違う場所に行く。
 そこには石の台座が有った場所なのだが、おおよその場所は合っているのだが、石の台座は探せなかった。
 雪が多すぎる。
 姫塚から6合目に至る道

 ここが水元山下の観音か

 函館山山頂も見える

 要塞近くの東屋も見えた
 姫塚まで下って6合目方向に行く。
 そこまで行ってログを確認したら、大体合ってきた感じだ。
 まだ微妙に違うが、150年前の測量精度とのからみもあるので、どの程度まで合わせ込めばいいのかが難しい。
 一応道のある場所や、道らしきトレースのある所を歩いている。
 今日はここまでで帰る。

 帰って家の解体をして薪作り。
 1Fの居間の床が全て解体してしまった。
 床板を剥がす

 タル木が出てくる

 これも解体

 薪になった
 そろそろ溜まって来た廃棄物を捨てて来なくては・・・。
1月19日(月)Miさん来る
 今日も朝の4時から布団の中で本を読む。
 九里のカヌーやMTb、登山の冒険旅の本を読み終えた。
 何かテンションアップする。

 起きて「下二股口台場」執筆をする。
 今日は気合いが入って10時までやった。
 10時30分頃だろうか、山仲間のMiさんがやってきた。
 家でしばらく話す。
 彼も一人登山が多い人で、私と同じ様な山登りをしているんだろうな。
 一人で山に登る気持ちは、自分自身としては自由があって楽しい。
 自分から他人を誘って登山する事は無いが、頼まれば直ぐに応じて行く方だ。
 暫らく山の話しをして、昼前に帰った。
 お土産にコーヒーを貰った。
 4セットも貰った
 彼は飲まないし、息子さんもいらないと言うので持って来てくれた。
 有難い。

 貰ったコーヒーコーポレ―タ―でコーヒーを入れて見た。
 最初は入れ方が分からず、おかしなやり方で作ったが味が薄い。
 ネットで調べたらやはり間違っていた。
 正規のやり方でやるのだが、どの程度湯を沸騰させるのか分からない。
 適当に火を止めて、注いでみたら結構色が濃くなっていた。
 飲んだがコーヒーの味が薄い。
 こんな質のコーヒーなのか分からないが、もっと香りのする方が良い感じだ。

 ふとこのコーヒーコーポレ―タ―のサイズは、私が旅に使っている湯沸かしに合うのではないかと思い持ってきたら、径はぴったし合う。
 これが貰ったもの

 これが旅用のもの

 蓋はぴったり

 中身も入るが・・
 蓋もぴったり合うのだ。
 しかし中のコーヒーを入れるパーツの背が高い。
 シャフトをカットすれば旅用に持って歩けるが、それも勿体ない。
 中身だけ売っていないかな。

 午後から又校正をするが、疲れて来たので表紙を作ってみる。
 写真がボケた
 まずは第一作目。
 これはどうだろう?
 もう少し考えよう。









 
1月18日(日)鳴川岳登山
 今年2回目の鳴川岳登山。
 昨日は早く寝てしまったせいか、午前1時に目が覚めた。
 これでは幾らなんでも早すぎる。
 アドベンチャー関連の本を1時間くらい読んで又寝たら、ぐっすり寝てしまい目が覚めたのは5時過ぎだった。
 ぐっすり寝てしまった。
 これは大変だ。
 ストーブを炊いて、昼の弁当を作り、山の服装に着替えて、食事をしてとやっていたら6時を過ぎてしまった。
 今日はスタートが早いので6時20分には出なくてはならない。
 何とか間に合って出発したが、やはりカメラを忘れていた。
 そんな訳で写真は無しだ。
 スタート地点に着いて、某民家付近に車を止めさせて貰う。
 そしてスタ―ト。
 気温は朝でマイナス7度で最高気温も0度だった。
 しかし風があるので出発前から指が異常に冷たい。
 林道を歩きだすと直ぐに指は暖かくなった。
 林道をしばらく行ってから、山道かなと言うコースに入る。
 赤いテープがあるのでそうらしい。
 登り切って尾根に出る。
 ここからが長い長い尾根道を登る。
 景色が余り変わらないので随分長く感じる。
 数人で歩いているような足跡がある。
 Kaさんが私の登った数日後に登っているのでその足跡なのか?
 いよいよ頂上が近くなった。
 頂上の雪屁は前回来た時より、遥かに大きくなっていた。
 廻りの景色も前回の登山時よりもはっきり見え綺麗だった。
 横津岳、七飯岳、三森山などなど綺麗に姿を見せている。
 みんな凄い良い景色だと感動していた。
 もう来れないかも知れない・・。
 そんな奥深い山た。
 登りが3時間30分掛った。
 昼食は雪屁の下で食べたが、風が当らなし陽が射していたので暖かい。
 
 昼食後は一気に下る。
 トレースがあるので早い。
 このまま下ったら2時間くらいで下りそうだ。
 しかしそうはいかない。
 必ず新しいルート探しをやるからだ。
 今回は南側の尾根に入った。
 やはり歩きにくく、時間が掛る。
 最後は藪漕ぎになり、そのまま林道に下る。
 車の直ぐ傍に出た。
 下りは2時間少しだった。
 かなり早い。
 登りより1時間半位早い。
 まだ行きたいと言う希望者が居るので、また行く事になるのかな?
1月17日(土)家で閉じこもり
 朝はのんびり起きて、資料作りをした。
 22日に行く、大沼学園への道の歴史的な背景を書き纏めた。
 当日の参加者に渡そうと思う。
 意外と面白い歴史がある事が分かった。
 大沼学園への道資料

 明治の地図に載る

 藤山峠の案内書
 大沼学園の中に入る道なので何度も行ける道では無い。
 昔は大沼学園の所に鳳の湯があり、茶屋や宿泊も出来た。
 後年、大沼観音島めぐりの遊覧船の発着場でもあった。
 それが札幌本道の開削に依り大きく事情が変わる。
 それまで大峠(長坂峠)を越えて来た人が、札幌本道を通るようになった。
 そこで新たな道を作らなければ、温泉に来る人はいなくなる。
 そんな背景が有った道であろう。
 藤山峠の資料も作った。

 資料も完成してスパイク長靴の修理をしようと、100均にガムテープを買いに行こうと外に出たら、雪が積っていた。
 何時の間に・・・。
 雪かきをしてから100円ショップに行き、買って来たガムテープで修理した。
 耐久性は無いが暫らくは良いだろう。
 穴が開いた

 ガムテープで修理
 因みにファルトカヌーも底に穴があけばガムテープで修理する。
 それで水も入らずかなり耐久性も良いのだ。

 先日スノーシューの裏に付けたタブレットのケースが雪も付かず良かったので、両方に付けた。
 今シーズンもて!

 そんな事をして一日が過ぎた。
1月16日(金)色々
 朝から「下二股口台場」の校正をしていたが、追加がどんどん出てきて捗らず。
 朝食後、函館中央図書館に行く。
 岩崎教章の「函館戦争日記」を借りて来る。
 借りて来た本
 復刻版なので貸出OKなのだ。
 二股の戦いの図が入っている。
 1つだけ分からない絵が有って、また借りて来たのだ。
 
 午後から家の解体をして薪作り。
 1Fの居間部分の床が殆ど無くなった。
 薪も少ない

 床が無くなった
 後、2回解体すれば総て無くなるだろう。
 そうなれば薪が無くなるので、いよいよ2回の柱を切ってしまうか?
 3月頃にやりたいと思っているのだが・・
 薪が不足するかも。

 18日も山に行く事になった。
 スパイク長靴も藪漕ぎばかりしているので、破れてしまった。
 破れた!
 一昨日、函館山に行った時、靴下が濡れると見たら、破れていたのだ。
 スパッツを履いているのに破れるんだ。
 明日何とか修理しよう。
1月15日(木)キャリア完成
 作り掛けのキャリア製作をする。
 紙で型を取ったので、その方通りにアルミU字材料にマーキングし、それを金切り鋸で切って、やすりを掛けて終了。

 曲げもバッチリ
 次に折り曲げた材料の補強に、補強プレートを2枚作る。
 sらにリベット用の穴を開ける。

 補強プレート
 補強プレートをリベットで止め、左側のエンドも本体取り付け金具に合わせて加工した。
 取り付け完了
 これが本隊取り付け部。
 以前ここに付いていた車輪が、四国お遍路の時に貸し出した際、取れてしまった。
 この車輪が無くてもキャリアとしては使えるので、大きなダメージでは無かった。

 ここに取り付ける
 ここに製作した金具を取り付けて見た。
 ぴったり合ったので大丈夫だ。

 仮に取り付けて見た
 次に車輪を取り付けてみた。
 車輪は以前要らなくなったベビーカーから外して取っておいた。
 何時役に立つか分からないので、なかなか捨てられない。
 それらが溜まって部屋が狭くなるのは仕方が無い。

 車輪を取り付け
 車輪を付けて見たが少し強度的には不安がある。
 少し弱そうだった
 そこでアームの裏側に補強用のプレートを取り付けた。
 これで強度は相当増したであろう。

 ここも補強した。
 ネジ類はまだ仮止めだが完成した。
 仮止めにしたのは直進性のテストをするためだった。
 以前の壊れた車輪は、自動的に向きが変わる構造にした。
 良くベビィカーに採用されている、くるくる回るやつだ。
 方向が自動的に決まるので便利だと思ったが、長距離の旅をする場合。
 反応が良すぎて、先端が微妙に左右に振られ疲れる。
 今回は固定式にした。
 そのため直進性は取り付けの良し悪しで決まる。


 防水バッグを載せて直進性を試したら、真っ直ぐに進んだ。
 これで大丈夫だろう。


 このキャリアを使って歩き野宿旅もやってみたい。
 土方歳三の道250kmを歩いたのが、2009年12月だったので、もう相当の時間が過ぎた。
 取り敢えずは4月か5月に行われる、甲冑パフォーマー山辺さんの松前城登城に函館から一緒に旅したい。
 他にも歩く旅も良いなと思っている。

 旧道に興味を持っている人も居るんだ。
 七飯町に住む、Oさんとコンタクトが有り、明治6年完成の札幌本道から蓴菜沼に抜ける道を、途中で右に曲がって大沼公園に行く道が有った。
 昭和5,6年に完成した道だが、その途中から大沼学園に至る道が有る。
 おらくは昔大沼の三十三観音島めぐりが人気で、大沼学園の辺りに茶が有り、温泉も出ていた。
 宿泊も4,5人は出来ていた。
 当時移動できる範囲は決められており、外国人は蓴菜沼辺りまでしか行けなく、大沼公園には行けなかった。
 そこでこの茶屋が人気で大いに賑わっていた。
 外国人以外にも日本人が多く訪れ、遊覧船で三十三観音島めぐりをしていた。
 大沼公園の遊覧船に比べ相当高い乗船料だったようだ。
 蓴菜沼まで札幌本道を行く事無く、茶まで行けるようにした道に思える。
 この道を行けば大沼学園敷地内に入るので、今迄行って無かった。
 今回同行するOさんは学校の先生で、大沼学園の先生も知っているので、敷地内に入る許可を貰えそうだ。
 7人位行くそうだ。
 皆の歩いて居ない道を行く楽しみがある。
 Oさんは歴史が好きそうで私の下二股口台場の、講演会や台場ツアーに参加したと言っていた。
 また新たな出会いで楽しみだ。

 そう言えば函館山の花の本を出版しているFさんが丸山で花の観察をしたいと言っているそうで、春には案内したい。どんな観察をするのか興味がある。
1月14日(水)旧函館山33観音コース調査
 函館山旧三十三観音コース調査に行く。
 水元山から姫塚を通って水元まで行く道がはっきりしない。
 下の図は安政年間の「南部藩蝦夷地経営図」でこの図には旧三十三観音が書かれている。
 まずは水元山に登る。
 赤い線は今回の歩いたコースデータになる。
 水元山から参拝道を下るがここははっきりしている。
 観音跡も現在ある窪みとぴったり合っている。
 山裾を回って次の観音跡へ行く。
 その場所は6合目の木柱のある所だと言われている。
 しかしここはGPSのルート図と異なる。
 途中の図に書かれた場所に観音跡らしい広場があるのが気になる。
 次に姫塚に行くのだが、コースは微妙に異なる。
 似ているような所もあるが、この辺りは旧山道として整備されたのではっきりしないのかも知れない。
 姫塚は少しずれているが、まあ合っている。
 その上に観音跡が明確に有るのだが、図ではもっと上になる。
 150年前に書いた図なので精度的にはどの位正確なのかは分からない。
 下図にこの道はあると書いたがしっかりした道が残っているが途中で切れてしまった。
 どこに行く道であったのだろうか。


 まだまだ調査が必要だ
1月13日(火)吉野山登山
 吉野山に連れて行って欲しいとの電話が有った。
 吉野山? 
 もう数十年前になるが、吉野山スキー場で良く通った場所だが、山の頂上に登った記憶は無い。
 登山対象にはあまり考えていなかった。
 でもそれ程高い山では無いし、地形図を見ながら行けば大丈夫大だろう。
 4人を連れていく予定だったが、一人は足を痛めて3人になった。
 
今日のコース
 ヤマレコを見たら夫婦で登っている人が居た。
 これと同じルートで行けば良い。
 昔あったスキー場に向かって、少し手前に幅の広い場所が有ったのでここに車を置く。
 雪が少なくつぼ足でも行けるかなと思ったが、帰りはどこを降りるか分からないので持って行く。
 車を置いた先の林道を進む。
 直ぐに道は二つに分かれる。
 ここは左に行く。
 しっかりした林道が付いている。
 尾根に出る前は少し急な斜面になる。
 そこをクリヤすれば後は少し登りの尾根道になる。
 天気は快晴で風も無く、のんびりとした気持ちで登る。
 道の真ん中にモグラの死骸がある。
 モグラが・・
 冬に見た事は無いがどうしたのだろう。
 尾根をひたすら登って行く。
 尾根道は景色が良くない

 ひたすら登る

 高度が上がる
 最後は少しの急斜面を登って頂上に着く。
 駒ケ岳が見える

 ここが頂上
 登山時間は1時間半くらいだろうか。
 汗もかかずに頂上に着いた。
 天気も良いので頂上で昼食を取る。
 私の持って行くのはいつもおにぎりに、今日は玉子焼きとチープな昼食だ。
 でも皆が、鮭ずしやニシンずしなどを持って来てくれるので、おかずには不自由がしない。
 いつもの事だが有難い。
 昼食が済んでこのまま、同じ道を下ったら早すぎるとなった。
 スキー場の斜面を降りている人もいる。
 急斜面だがコースは短い。
 でも新しいルートを行って見ない?と提案。
 南西に伸びている尾根があるのでここを行って、途中から右の斜面を下ってスキー場の下を通り、車に戻ろうとなった。
 早速スタート。
 尾根道は木が無く歩きやすい。
 南西尾根
 暫らく下ったら、全く木の無い場所に出た。
 木の無い所に出た
 植林を行ったばかりだ。
 ここから横津岳や城岱牧場が良く見える。
 横津岳が見える 
 吉野山頂上は木に遮られて景色は余り良くない。
 このコースは景色が良くて良いコースだ。
 かなり下ってから、右手の急斜面を下る。
 ここから急斜面の下りだ

 Yさんが先頭で行く

 大分降りて来た
 Nさんは得意の尻滑りだ。
 何度か滑って転びながらも急斜面は下り終えた。
 するとそこには何と赤いテープがある。
 赤いテープが有った
 ここって登山コースなの?
 この赤テープは恐らく吉野山山頂に直登して居るように見える。
 われれは途中からこのコースに出たのだ。
 駒ケ岳

 駒ケ岳
 赤テープに従って下って行くとかなり下まで付いていて、結局スキー場の下に着いた。
 旧吉野山スキー場
 こんな所を登る人が居るんだ。
 スキー場の下に来たらスノーモービルで来て、後ろのそりにパイプを積んでいた若者が居た。
 ここには大きな物置の様な物がある。
 聞いたらここの地主の方の建てた建物で、確かに景色は良いのだが今は使ってい無く、物置になっていた。
 林道を通って車に着く。
1月12日(月)色々と
 薪が無くなって来た。
 朝から薪作り。
 今は1Fの居間であった部分の板や角材を剥がしている。
 5箱分作って午前中は終了した。
 
 午後からはまずは移動用ケーブルの修理をする。
 何かに使っていたものを取っておいたのだろう。
 メス部分が付いていない。
 既に作った工作コーナーの電気機器用の電源が無いのでこれを使う。

 探したら1個コンセントが有った。

 これを繋いで完成した。

 後はキャリアの修理に取り掛かる。
 このキャリア―を四国お遍路をする人に貸しだしたが、前の車輪部分が破損してしまった。
 前の車輪部部分が破損した
 そこで構造を変えて新たに作る事にした。
 ホームセンターで材料を購入して、作業に取り掛かるが、午後から高校サッカー決勝とWCアジア予選がある。
 これは見ない訳にはいかない。
 作業を少しやってサッカーを見る。
 まずは紙で型取り

 この様に曲げる

 アルミU字材にマーキング

 サッカーを見ている間には、下二股口台場の本の印刷をする。
 もう何回印刷しているのだろう。
 校正校正で真っ赤になってしまう。
 余りにも校正個所が多くてなかなか前に進まない。
 今度はどのくらい校正個所があるのだろう。
 132Pになった

 明日は山の案内を頼まれた。
 続きは明後日にしよ
1月11日(日)孫達が出発
 2泊3日の函館滞在だった孫達が今日出発した。
 今年は少ない日数だったのでそれ程遊んでやれなかった。
 そり滑りに1回行っただけだった。
 11時頃に荷物を積んで出発する。
 今日は旦那さんの実家である登別に行く。
 愛葵が一番荷物を持つ

 ばいばい

 娘もピースサイン

 妻も撮影
 ここでも2泊3日してから北見に帰る。
 今年の3月には娘と孫が函館に住む事になるので、年末年始の移動は単身赴任の旦那さんだけになる。
 家を建てるタイミングが余り遅くなると返済が大変なので、それを計算して建てる事になる。
 旦那さんは何れ函館に来る事になる。
 3月末には北見に引っ越しの手伝いに行かなくてはならない。
 引っ越して来たら、何かと忙しくなる。

 皆が出発した後、私も桔梗を出る。
 帰り道、佐々木さんと会って今年の松前登城ウォークの打ち合わせをする。
 その後GHに戻って、工作室にある部品や工具の整理をする。
 3時間くらいやったが間に合わず、明日に継続だ。
 片付かなかった
1月10日(土)孫達といろいろ
 昼まで家でわいわいがやがやして、昼には買い物に行く。
 行き先はトイザラスだ。
 子供は貰ったお年玉で買い物をする。
 長女や長男はやはりゲームソフトが良い様だ。
 次女の愛葵だけはワゴン車に人が載っているおもちゃを買った。
 
 昼は蔦谷書店に行って食事する。
 7人のファミリーだと個室があるので、子供連れには良い場所だ。
 ランチプレートを頼んだ。













 数種類の中からメインデッシュを決め、他に副菜2品とデザート、飲み物も選ぶ事が出来る。
 約1000円とリーズナブルだ。

 その後、100円ショップで買い物。
 西洋凧のカイトを買った。
 一度家に戻って、孫3人を連れて遊びに行く。
 まずはプラスチックのそりを購入し、七飯町のあかまつ公園に行く。
 早速カイトを揚げたが、凄く高く上がる。
 凧は長女と長男に任せて、私と次女はそり滑りをする。
 そのうち凧の糸が切れて飛んで行ってしまった。
 余りにも高く上がっていたので、行くえは全く分からず諦めた。
 その後は皆でそり滑りをして帰る。













1月9日(金)孫がやって来た
 娘たち一家が朝の8時半に旦那さんの実家である登別を出ると言うので、到着待ちの状態だ。
 本の製作やギター片手に歌を歌って過ごす。
 昼頃、元気に到着した。
 しばらくぶりに見る孫達は一段と大きくなったように見える。
 長女はすっかりお姉さんになったし、長男ももう年長なって背も伸びた。
 下の愛葵だけはまだ抱っこを迫ってくる。
 孫達がどんどん成長するに連れて我々夫婦も年を取って来ているのだ。

 到着してからは幼稚園の演劇発表のDVDを見たり、国旗の絵と国名を合わせる、神経衰弱をするがなかなか国名が分からない。
 それでも長男の友瑛と引き分けに終わった。
 そろそろ暗記能力が落ちて来るな。

 夕方の娘夫婦と3人で歩いて生協まで買い物に行こうとしたら、愛葵も行くと言うので連れて行く。
 今まではたどたどしく歩いていたのだが、もうしっかり早く歩く。
 後ろを来た娘夫婦の追いつかれない様に頑張って歩き生協に着いた。
 そのうちじいちゃんは置いて行かれそうだ。
 生協で手巻きすしの材料を購入する。
 今日は妻の2回目の誕生日をやる。

 調理は長女の瑞葵も手伝ってくれるのでおお助かりだ。
 ほかの二人は皿や出来た食材をテーブルまで運んでくれる。
 成長の速さには驚く。
 逃げ廻る友瑛

 愛葵はいつもこんなポーズ

 瑞葵の指揮?で、ハッピバースディツユーの合唱をして、皆で食事を頂く。
 久しぶりに豪華だ
 長女の瑞葵は好き嫌いがあり、なかなか難しい。
 納豆や玉子焼が多くなる。
 長男は白飯を沢山食べる。
 キュウリやニンジンを生でバリバリ食べるのが好きだ。
 下の愛葵は何でも食べる。

 食事後もゲームしたり
 テレビを見て、お風呂に入って、お休みになった。
1月8日(木)ぶんぽ研例会
 大野文化財保護研究会(ぶんぽ研)の今年最初の例会。
 いつも会の進行をしているSuさんが、昨年から入院してまだ退院できないそうだ。
 進行はOさんが行う。
 今月は話題も少なく30分で終了した。
 その中で私の体験した熊撃ちの話しもさせて頂いた。
 それと今執筆中の「下二股台場」の本の途中経過を簡単に述べた。
 本の方は校正の真っ最中でこれがなかなか手間が掛る。
 140ページを何度も何度も読み返す事になるので時間が掛る。 
 読めば読むほど気に入らない文書や間違っている文書が出てくる。

 例会は早く終わって北斗市郷土資料館に皆で行く。
 新しい資料館の展示物について教育委員会のMoさんに説明を受けるのだ。
 説明を受ける

 新しい資料館
 私の興味のあったのは、
 戸切辺陣屋のコンロ
 松前藩は徳川幕府との関係が強いので、葵の模様かと思ったが、何故か菊だった。
 明治維新前なのにどうしてなのだろうか?
 葵でなく菊だった。

 新政府軍の臼砲の弾

 GHにも同じのがある

1月7日(水)妻の誕生日
 昨日からの予報は猛吹雪なので朝起きたら雪がどっと積もっているだろうなと思って外に出たら雪が無い。
 家の前の舗装路も少し出ていた。

 強風が吹いたので飛ばされて積もらなかった様だ。
 簡単に除雪を済ませて、桔梗に行く準備をする。
 今日は妻の誕生日なのだ。
 今日の夕食は私の作った握り寿司の予定だったが、コストパフォーマンスが悪いので、100円回転寿司に変更になった。
 価格は殆ど変わらないし、多くの種類が選べる回転寿司の方が歩が良い。 
 家を出る頃になったら猛吹雪状態になった。
 町の中は車ものろのろ状態で、途中では強風でホワイトアウト状態になっていた。
 途中でTUTAYAに寄って妻へのプレゼントを買おうとしたが気に入った物が無くてパスした。
 
 桔梗に着いて七草粥を頂く。
 函館は七草粥だが、松前町ではお汁粉で、青森等ではけの汁が多いと全国まちまちなのだ。
 外は相変わらず吹雪いているので1度除雪をする。
 その後、どんど焼きに行く。
 しめ縄を燃やす行事で、函館は7日なのだ。
 近くの大中山神社に行ったが、空いていたので車も直ぐに駐車で来た。
 地方の神社はやはり来る人も少ない。





 焼いた後、神社に参拝して帰る。
 帰って二人でテレビをのんびり見る。

 吹雪は相変わらずで、回転寿司に行く前にお腹を減らそうとばかり、2度目の除雪を行った。
 凍った道の上に親切なので車も滑りやすいので歩いて回転寿司まで行く。
 途中の下りの踏切手前は滑って止まらず線路に入って行くくらいなのだ。
 寿司屋は流石に空いていた。
 ノンアルコールで妻の誕生日を祝いの乾杯をして、寿司を沢山頂いた。
 お腹も一杯になったので店を出て、生協でケーキを購入。
 ショートケーキが5個入って1140円のお買い得セットが有った。
 これに決めて家に戻る。
 空には星も出ている。
 猛吹雪はもう収まったのだろう。
1月6日(火)閉じこもり
 今日は雨と言う事で、家に閉じこもってパソコンのキィボードを叩く。
 「下二股口台場」も夕方までに校正用が出来あがり、まずは第1段階を終えた。
 これから内容をチエックして誤字、脱字、おかしな文章などなどをチエックして校正する。
 これがまた色々と出てくる。
 135ページにもなると、もの凄い時間が掛りこれも億劫だが仕方が無い。
 文字数にして7万文字ある。
 これを総てまた読まなければならない。

 夕方に握り寿司を作る。
 明日は妻の誕生日なので、手作りの寿司を作って持って行く事にした。
 そんなのより回転寿司でも行った方が良いと言われるかもしれない。
 寿司飯を作り、ネタは取り敢えずサーモンを買ってきた。
 ネタを切るが、スーパーに有るのは幅が小さいので、寿司飯も少なくしなければならない。
 握るのも加減が分からないので、少ししっかり握った。
 生わさびを載せ、ネタを載せて出来あがり。
 ネタは430円で11カン出来た。
 1カン約40円。
 2カンで80円。
 シャリ代は抜いてだ。
 100円回転寿司は1カン50円くらいでしゃり付き。
 自分で作ってシャリも入れればごくわずかの差になる。
 回転寿司の方が良いかもしれない。
 これでネタだけで550円分
 夕食で試食した。
 寿司めしは少し多すぎたかな。
 もっと小さくて良い様だ。
 握りは少し硬めだった。
 明日はもっとソフトに握ろう。
 マグロやエビ、軍艦も作りたいし、出汁巻き卵も作る。
 でも明日は猛吹雪だ。
 どうなる事やら。
1月5日(月)鳴川岳登山
 朝起きてパソコンに向かい執筆作業をしていたが、外が何か明るくなってきた。
 もしかして朝日が出るのかなとドアを開けたら、空が赤くなっている。
 そこで大森浜に出かける。
 久ぶりだ。
 朝日が出るのを待ってぱちり。






 家に戻って天気予報を見たら何と1日中快晴ではないか。
 直ぐにご飯を炊いて、出来あがった所で食事をする。
 山に行くに良い天気ではないかとなり、おにぎりを2個とおかずを作る。
 鳴川岳の新ルートを考えていたのでそこを行って見よう。
 もう既に2コースを確認しているが、今一つコースが好きでない。
 時間はもう9時半だ。
 途中までで良いから行って見よう。
 途中ホーマックでドライバーを買って昨日付けた金属爪の裏に張った樹脂をしっかり止める。


 車を置いて出発。
 地形図にある道を進む。
 最初は林道

 車止め

 暫らく林道を歩いて行ったが、藪の中に赤テープがある。
 ここから入る
 これって登山道なの?
 地図を見ればこのまま行って尾根を行けば先日のコースに出そうだ。
 道は何となく窪んでいて、夏道が有る様にも思える。
 道らしい

 斜面が急になる
 テープはずっと付いている。
 そのうち林道に出る。
 林道を横切って更に尾根を登る。
 そして再び林道に出た。
 ここは林道を行けば先日のコースに出られる。
 まだ足跡が残る

 七飯岳
 予定通り出て尾根を少し登り廃棄物処理場の車道を少し歩き、再び尾根に入る。

 ここからはまずは506m峰を目指す。
 506m峰
 ここは先日来たので予定通り。
 ここからどうするかな?
 遅く出たのでもう午後1時に近い。
 これから往復して明るい内にスタート地点に着くだろうか。
 頂上はまだ遠い
 もし時間が無くなったら、横津岳に至る車道を下ろう。
 ライトは有るし車道なら迷う事も無い。
 頂上に向かってスタートする
 ここからは尾根を延々と歩くことになる。
 コースは迷う様な所はないが長いコースでいい加減厭になって来る。
 その内、木の無い広い場所に出た。
 スキーの跡が2本付いている。
 車道の方に下っている。
 地図を見れば頂上は近い。
 100mも歩いたら頂上だった。
 七飯岳

 横津岳

 泣面山?

 鳴川岳頂上

 頂上

 頂上
 頂上からは七飯岳、横津岳、恵山等が見える。
 平坦な場所なので頂上と言う感激は少ない。
 写真だけ撮って下る。







 時間は午後2時なので何とか明るい内に着けそうだ。
 下りは急ぐ。
 途中でコースを変えた。
 ここに赤いテープが付いているのだ。
 いつの物かは分からないが色あせてオレンジ色になっている。
 窪みは有るのだが、道はかなり荒れ、倒木も多い。
 昔の登山道?
 下まで下って少しコースを間違える。
 余計な所を登ってしまった。
 戻って暫らく歩いたら、登った時のコースと合った。
 後は来た道を下るだけだ。
 毛無山

 陽が落ちる
 夕陽も出てもう直ぐ陽が落ちそうだ。
 16時に車に戻った。
 往復5時間20分だった。
 歩行距離は11km
1月4日(日)色々お仕事
 今日は色々とやった。
 まずは家の解体をする。
 薪が無くなってきたからである。
 3時間やって3箱が出来たので3日くらいは大丈夫。
 その後は洗濯をして、薪ストーブの空く取りをしてと主夫の仕事が続く。
 
 下二股台場の執筆も合間を見て、3時間はやった。
 一番大変だった所はほぼ出来た。
 でも校正が結構大変だ。
 文書の不揃いや同じ言葉で書いて居ない所(旧幕府軍と土方隊など)、変換間違いなどなど切りが無いくらいある。
 でも少しづつ仕上がって行くのは楽しい。

 執筆ばかりだと疲れるから改善も行う。
 今日はスノーシューの金属爪の裏部分の雪付着防止プレートの取り付け。
 先日100均で良い材料が見つかった。

 I Podのカバーなのだが、シリコンっぽい材料で低温でも固くならない。

 強度も有りそうなので、片側は取り敢えず取り付けた。

 後は明日、もう1個材料を買って取り付けよう。
 これで一日が終わりだった。

 今日はNHK大河ドラマ「花燃ゆ」がある。
 長州藩毛利も関係するので見ない訳にはいかない。
 寝るのが早い私だが、8時ならまだ頑張れる。

1月3日(土)GHに戻る
 朝に七飯町三島神社に初詣に行く。



 宮司さんは元プロスキーヤーと言う変わった経歴だ。
 もう3日なので祭壇には誰も居ない。
 お参りをして100円でおみくじを引く。
 妻は大吉で私は吉だった。
 願い事・・早くすれば人の助けで調う。 それ程特別な願い事は無いな。
 待人・・来ず。おとずれあり。 来ないが訪れる? 分からない。
 失物・・出にくい。 要注意だ。
 旅行・・さわりなし よろし。  良かった!
 学問・・努力すればよろし。   これは継続してやろう
 恋愛・・未来に幸福あり。   未来って何歳??
 病気・・気を強く持てば治る。 居間の所は良いが
 まあそれ程インパクトは無いが普通に行けば良い。

 家に帰って山用のバッグを直す。


 少し糸がほつれて来た。
 妻から幅広のゴムベルトを貰ったので交換だ。

 これで夕方になった。
1月2日(金)色々修理日
 元旦には年賀状が届く。
 毎年来ている年賀状は、お互いに出しあうのでの問題は無い。
 相手の近況など読んで、元気な事が確認出来れば良い。
 所がGHに泊まりに来た旅人から年賀状が来る。
 誰から来るのか分からないので、こちらから出してはいない。
 でも来たらだす事にしている。
 その年賀状を出すにはプリンターが必要だ。
 そこでGHに戻って年賀状の作成や、送受のチエックをする。

 次に補修をする。
 昨日先端が取れて来たスノーシューの修理。
 先端が取れた
 これは先端を嵌めてリベットで固定したこれでOKだろう。
 リベット用の穴開け

 リベットを打って終了
 心配事はリベットを開けた穴から折れる事だが、暫らく使ってみなければならない。
 パイプが2重に嵌っているので恐らく大丈夫だろう。
 
 次にバックパックのベルト交換。
 ウェストのベルトのバックルが割れて、接続が出来なくなった。
 このバックパックはもう15年くらい使っている。
 青森県の鯵が沢のナイターカップの総合3位で貰った商品なのだ。
 レース用具一式を車に積んで、会社を終えたら直ぐに車で鯵が沢まで飛ばす。
 急いで着替えて7時のスタートになるのだが、シニアからのスタートなので時間が無い。
 たまにはワイシャツネクタイでその上にウェアを着て滑った事もあった。
 道の状況が悪かったり混んでいればレーシングウェアに着替える時間が無い事もあった。
 今でも良く通ったなと思う。
 でもナイターレースって照明で起伏が良く見えて好きだった。
 賞品のバックパックはヘッドのものだった。
 この時鯵が沢スキー場に居た、佐藤久哉や田中良子に会って、田中良子の指導も受けた。
 彼女のターン後ろを滑って付いて行くが、その切れの凄さになかなか同じラインで着いて行けなかったが、徐々に着いて行けるようになった。
 この時のイメージが後々まで付いていた。
 十和田湖スキー場出身でリフトに一緒に載る時は、津軽弁で喋りまくる彼女は面白かった。
 全日本のデモンストレ―タ―でもあった。
 バックルが壊れた
 バックパックは不要になった時にベルトとバックルだけは取ってある。
 その中から同じ大きさのを探してベルトごと取り換える。
 これが有った

 縫いつけて終了
 途中で針が折れ、100均まで買いに行く羽目になったが、これも修理して今日一日が終わった。

 夕方桔梗に帰りTVを見るが、最近は遅くまで起きている。
 でも朝の起きる時間は変わらなく目が覚める。
 そんな事で寝不足気味だ。
1月1日(木)正月登山
 夕食はきりたんぽ鍋だった。
 妹が秋田に居るので昔は取り寄せて随分食べたが、最近はあまり食べて居なかった。
 まあ久ぶりに美味しく頂いた。
 昨日はNHKの紅白歌合戦を見ながら、外の様子を見たが、初日の出は出そうにもないので、今日の午前2時には寝てしまった。
 起きたのは6時で4時間はぐっすり寝た。
 雑煮やらお正月料理を頂いたが、それ程多くは作らず、少しづつ色々な物が添えてある。

 一段落してTVで社会人の駅伝が放映されている。
 少し見たが飽きて、やはり山に行く事にする。
 遅い時間なので頂上まで行く積りは無くルート探しだ。
 山は鳴川岳で作年もルート探しをして見つかったのだが、石切り場を通るのが何か面p白く無く、他のルート探しとなった。
 スタートは前回と同じ、途中から右手の尾根に上がり506m峰まで行こうとなった。

 雪の少ない車道を快適に歩いて行く。
 最初は車道
 七飯岳も見える。
 七飯岳
 送電線があったのでその下には道があるだろうと言う事で、下に行ったら道があった。
 送電線下に道はあった

 急斜面
 急な斜面を登りきったところで、あれ〜スノーシューがおかしい。
 昨日修理したばかりで、張りきって持参したのに・・・。
 アルミパイプは接続式だった、
 その先端が外れたのだ。
 仕方が無いので、そのまま歩く。
 まあ何とか歩ける。
 
 道は全く無いので取り敢えず尾根を行く事にする。
 しかし雪が少なくまだ笹は出ている状態だ。
 と云う事は雪はすかすかだ。
 足がずぼずぼ埋まる。
 これなら相当時間が掛りそうだ。
 固めの所を見計らって進むが、なかなかそうはいかない。
 あちこちうろついているうちに、大きな溝に出た。
 深い溝

 長く続いている
 深さは1m位で幅は2mくらいだ。
 何だろう?
 植林の道にしては、車は通れない。
 馬に積んでなら通れるかもしれない。
 でも道としたらそんなに深く掘る必要はない。
 峠下にある箱館戦争の塹壕とは似ている。
 長さも200mくらいある。
 そこを歩いて行く。
 最後はL字型に曲がって、この窪みは終了した。
 L字で終了
 目的が分からない。
 七飯・大中山で箱館戦争の戦いがあったが、こんな上まで暫壕を作るのだろうか?
 ニンニク沢にも塹壕が沢山あるがここも少しは高い位置にある。
 そんな事を考えながら、窪みから出て尾根を行く。
 尾根を行く

 まだまだ行く

 更に行く

 この下にルートがあった

 尾根をまだ行く
 暫らく行くと石切り場の道に出た。
 少しその道を歩いて行く。
 先に有ったのは石切り場で無く、産業廃棄物の処理場だった。
 廃棄物処理場
 関係者立ち入り禁止の看板があるが、ここに入らなくても上に行ける。
 上に出たら道らしい窪みが続いている。
 尾根が続く
 暫らく登ったら右下から道が付いている。
 赤いテープがあり、これが本来の道なのだろうか?
 地形図にも道は載っている。
 この道は大中山から来ている。
 さらに尾根の緩い登りを進んで行く。
 この辺りになればもう埋まる事無くスノーシューで楽々行ける。
 そして50.6m峰に着いた。
 ここが506m峰

 記念写真を一枚
 景色は木々に遮られて良くは見えない。
 風も強いし雪も降ってきた。
 予定の場所に来たのでこのまま下山する。
 帰りも同じコースを下る。
 壊れたスノーシューがさらに悪化し、使えなくなったので外す。
 足がずぼずぼ埋まる。
 本当に一歩一歩歩く感じだが、股まで埋まるのでなかなか前に進まない。
 相当な時間を掛けてようやく下山。
 桔梗に帰って風呂に浸かる。
 音楽プレーヤーを持ちこんで暫らく入っていた。

  
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