3月31日(火)藤山峠から藪漕ぎ
 体調が良くなり、予定されていた山の案内に行く。
 今日は曇りのち雨なので早く登って下山したい。
 七飯町の藤城にある七飯林道の入り口から入る。

 雪もすっかり溶けて所々に雪を残すのみになった。
 今日はあまり急斜面を登りたくないと言うので、安政3年に出来た藤山峠に至る林道を歩く。
 道の周囲は新緑が少しづつ進んでいる。



 風は少し強く冷たいが、歩いて居れば丁度良い感じだ。
 ジグザグの道を辿って1時間少しで藤山峠に至る。
 本来の道はここから軍川に下るのだが、そちらには車が無いので別コースで車に戻る事にする。
 途中の高い場所に大きな岩が有ったので藪を請いで登って見る。
 裏は崖で木に引っ掛かった感じで辛うじて落ちないでいる様だ。



 七飯林道を少し下って、一度高台に出る。
 ここにはまだ綺麗なふきのとうが沢山なあったので採る。
 昼になったので昼食タイム。
 お日様も出てきて暖かい。
 昼食後は皆の言う「毛利ワールド」を行く。
 即ち藪漕ぎである。

 道なき道を下って行く。







 笹はあまり伸びていなくて歩きやすい。
 沢が合流する地点で行者ネギを発見。
 今年初めて見た。
 少しだが採る。
 その後は沢に沿って下って行く。

 福寿草は真っ黄色の凄く綺麗な花が多かった。

 エゾエンゴサクやコジマエンレイソウがもう咲いている。



 すっかり春を堪能しながら戻る。

 家に着いたら、新聞を見たよとの電話が数軒あって、本を買って頂いた。

3月30日(月)色々
 咳は時々出る程度で体調はすっかり良くなった。
 朝一で千葉のMさんに本を送る。
 新撰組ファンで一度台場を案内した事がある。

 山辺さんも調子が良くなったので図書館に行くと言う。
 私も解体中の家に置いている燃えるごみを捨てに行く。
 今日は月曜日だが、今迄にないくらい混んでいた。
 50kg捨てて259円なり。
 持ち込みは無料の所も多いのに、函館は持ち込みも有料だ。

 明日の山行きの電話が来た。
 かなり前からの予定で、明日は午後から雨模様だが、予定通り行く事になった。
 話の中で松前登城ウォークも2人増えて、合計8名になりそうだ。
 松前教育委員会に原口の交流の里づくり館の宿泊を申し込む。

 その後は久しぶりにGHの掃除をしたり、ギター練習をしたりで過ごす。
 料理もキンピラごぼうと味噌汁をもう作った。
 体調が良くなったせいで身体が動く。

 夕方孫の友瑛から電話が来た。
 「おじいちゃん何時来るの?」
 「今、風邪引いているから行けない。4月の1日には行くよ」となった。
 それからも暫らく話す。
 山で橇滑り、公園で自転車、キックボードなどなどやりたい事が沢山あるそうだ。
 でも荷物は4月3日に着く。
 他に
 「おじいちゃんに机を組み立てて欲しいと言う。」
 机買ったの?と聞いたら、僕が机を作るんだと言う。
 いったいどんな事なんだろう。
 市販の机を買うんじゃないのか??

 次女の愛葵は今日、幼稚園の面接に行っている。
 結果はどうなる事やら。
3月29日(日)本作り
 二人とも風邪の具合は良くなってきた。
 今日は娘夫婦が午後から函館に来るのだが、妻と話して風邪が治ってから行く事にした。
 妻は病院に行って薬を貰ったそうだ。

 朝から本作りをする。
 今日は高校野球と日ハムの試合があるので、それまで本作りに精を出す。
 私は昼食はパスタにしたが、山辺さんは連日ステーキ2枚も食べている。
 さすがに若さか?
 
 昼食後散歩を兼ねて佐々木さんの家に「松前登城ウォーキング」の計画書を持って行く。
 居なかったのでポストに入れてきた。
 
 夕方までに16冊作り終えた。
 16冊完成
 ずっと座りぱなしなので腰が痛い。
 それでも一段楽だ。
3月28日(土)本作り
 昨日はファイターズの試合が有ったので、二人とも夜は10時に寝た。
 朝起きたら大分体調が良くなっていた。
 山辺さんもかなり回復して来たようだ。
 もうじっとしていられない。
 今日は午後からファイターズの試合があるので、それまで本作りをしよう。
 ダイソーがオープンしないとテープが切れたので、開くのに合わせてチャリで買いに行く。
 帰ってからひたすら本作り。

 また違うテープが無くなったので今日は終了となった。
 午後からファイターズと高校野球を交互に見る。
 東海大四高校は逆転勝ち!
 ファイターズは負けだった。
 中田、陽が打てないな・・・。
3月27(金)味噌作り
 昨日は夕方6時から寝たのだが、布団に入った途端に咳が止まらず朝5時頃まで続いた。
 朝、5時に収まって7時まで2時間はぐっすり寝られた。
 今日は味噌作りの3日目で、出来た味噌を受け取ってこなければならない。
 9時開始なのだが、8時半に着いてしまったら1番のりだった。
 昨日は参加していないから流れが良く分からない。
 最初は暖めて置いた麹を取り出して、手でかき混ぜながら温度を下げる。
 15度以下まで下げなければならないが、なかなか下がらない。
 どうも室内だと気温が17度と高いので下がってくれない。
 窓を開けて風入れて16度台まで下げた。
 スタッフの方が言うには本来は外に置いて温度を下げるそうである。
 温度が高いと発酵が進んであまり良くないそうだ。
 でもリーダーがこれでも良いと言う事になった。
 美味しくするためだとシビアに作業したりするが、都合でまあまあにもなる。
 最後にフードミキサーに大豆と麹を入れて出来あがり。
 煮た大豆



 フードミキサーにかける

 取りだす
 持って来た樽におにぎりくらいの大きさに握って樽に叩きつけて入れる。
 空気が入らない様にするためだ。
 完成した味噌を車に運んで残りの仕事をしていたら、麹が大量に余っている。
 どうやら混ぜる具合を間違えたらしい。
 分配して家で混ぜるように言われるが移し替える容器も無い。
 すると落合(ぶんぽ研副会長)さんの奥さんが、「毛利さん、手伝ってあげるから今やってしまったら」と言われお願いする。
 車から重い味噌を持って来て総て容器に入れ替え麹を混ぜて今度は手でこね混ぜる。
 それにして随分の量を入れ忘れたものだ。

 午後2時になってお昼御飯だよと言う。
 今日はおにぎりを持って来るように言っていたらしいが「聞いて居ない」と言ったら私には言い忘れたそうだ。
 ここでも落合さんにおにぎりあるから良いよと言われご飯に有りついた。
 味噌の量は20kg位になった。
 完成
 後は夏頃に天地を入れ替える。
 1年後から食べられるが3年目で3年味噌になる。
 20kgもあれば3年は持ちそうだ。

 帰りに桔梗に寄る。
 風邪引いているのに来たの?という感じだった。
 自分も私から風邪が移ったと言う。
 1泊しようと思って来たが、早々にGHに戻る事にした。

 夜は阪神ファンの山辺さんと一緒にファイターズの試合を見る。
 大谷君にトラブルはあったが見事勝利した。
 阪神も逆転勝利とお互い良かった。
3月26(木)相変わらず不調
 今日も変わらず二人とも風邪で体調不良だ。
 味噌作り2日目は休むことにした。
 坂口さんのブログから斉藤さんの追悼登山の記事が函館新聞に載っていたそうだ。
 写真借用します〜

 朝起きて二人で話をしていたが、東海大四高校の野球試合が有るのを忘れていた。
 テレビを付けたらもう7回に入っていた。
 1時間しか経っていないのに早い!
 結局勝利して北海道まずは1勝だ。
 元気deサロンのY子さんがやってきた。
 毎年恒例の名簿作りを今年も頼まれた。
 追加で会長が止めた後の、会長を依頼されたが、組織の長はやりたくはない。
 しかし男性が二人しかいない現状ではやむを得ないので、節目節目の挨拶だけは行う事にした。
 挨拶係?なのである。

 その後、山辺さんは布団に入ってしまう。
 私は本作りを少しでもやろうと、表紙と表紙裏紙のを折ったりして糊付けの手前まで終わって終了。
 今日はここまで・・
 昨日函館元町ホテルの遠藤社長から貰った本と出版物を読む。
 出版物に依っては補助金が出る事もあるそうだ。
 その様なルートを知っている方はそれを利用しているそうだが、組織とかで無ければ無理だろうな。
 一般個人では無理だろう。
 自分でやるのも後から思えば良い思い出になるであろう。
 頂いた本や書籍
 私も布団に入ってしまい、夕方まで過ごす。
 身体の節々の痛みは無くなったが、関と鼻水が出る。
 それでも以前よりは回復してきている。

 夕方になって山辺さんも起きてきた。
 流石に調理は面倒なので、今日は弁当を買いに行くそうだ。
 昨日からリンゴしか食べていない筈だ。
3月25(水)味噌作り
 相変わらず二人とも風邪で体調不良だ。
 今日は味噌作りの初日なので出かける。
 北斗市の農業研修センターで行われる。
 行ったら先に来た人達で既に作業が始まっていた。

 入ろうとしたら「駄目駄目!ここからではなく、そちらの入り口から入って白の長靴を履いて」と言われ靴を履きかえる。
 確かにこの部屋に入るには必ず白の長靴を履くように書いてある。
 皆が集まった所で自己紹介をする。
 全く初めての人が私を含めて3人だった。
 作業の説明は一切なく、あれ持って来て、これをやってと言われるままにやっていた。
 味噌作りが初めてなので作業手順や何をやっているのか知りたかったが、何度も来ている人が次々と進めるのでその補助作業の様な形で手伝う。
 ガスでせいろを蒸すのだが、来た女性スタッフがスリッパのままで中に入って来る。

 この後に来た男性スタッフもそうだった。
 いったいどうなっているの?
 私の過去の仕事がら安全や規則を守ることは気になる。
 ついでに見たらコンセントは抜かないで下さいと大きな張り紙がある。
 しかしコンセントは抜かれている。

 どうなっているのかな?
 天井から下がっているコンセントは人の作業する位置に有り頭にぶつかる。
 これも不味い。
 
 9時から13時まで食事も取らず進んだ。
 もう帰る人も数人出て来たので私も帰る事にする。
 もう腹ペコなのである。

 帰り道、函館元町ホテルの遠藤社長の所に行く。
 「下二股口台場」の本が欲しいと言う事なので久しぶりに会いに行く。
 歴史が好きな方なので、歴史話をしていればあっという間に時間が過ぎる。
 このホテルには色々な歴史本が売られている。
 マージンは取らないで置いてくれるそうだ。
 私にも置いて良いと言ってくれた。

 家に帰ったら4時頃になった。
 夕食を作るのも面倒なので、体力を付けようとセイコマのかつ丼を買いに行く。
 食べたがなかなか入らない。
 1/3位残してしまった。
 余りにも空腹なのと体調不良なので胃が受け付けないのだろう。
 山辺氏はまだ寝ている。
 昨日から殆ど起きないで寝ている。
 夕方起きて来たので「夕食は?」と聞いたら「リンゴ」だった。
 やはり食欲はなく、リンゴにしたそうだが、確かに食べ易く一緒に頂いた。
 そして6時には二人とも寝てしまった。

 
3月24(火)登城ウォーク
 朝から松前登城ウォークの計画書を作る。
 山辺さんは風邪で不調、私も風邪気味と全く意気消沈。
 おまけに「下二股口台場」の本の注文が札幌を含めて、6冊きたので10部作った本も残り僅かだ。
 そこへ「箱館新選組」のしらとりさんが来た。
 蔦屋書店のフリーペーパーpeepsに彼女の記事が載り、その中に私が案内した二股の写真も入っている。
 その本を持って来た。





 山辺さんも居たので4月24-25日の登城ウォークの話になった。
 我々は石崎から1泊2日の歩きだが、山辺さんは函館から歩くそして松前城で甲冑パフォーマンスをする。
 「箱館土方組」は当日土方ファンを集めて松前で合流する。
 その事が決まった。
 賑やかな登城ウォークになりそうだ。
 昼食は山辺さんがお好み焼きを作ってくれた。

 今日も家庭用プリンターで本の印刷をしていたが、しらとりさんの事務所には業務用のレーザープリンタがある。
 それで印刷すれば10部なら1時間も掛らないと言う。
 そこで持ち帰ってやって貰う事になった。
 業務用は月幾らで、値段が決まっているそうで、多く印刷しても値段は変わらないようだ。
 紙はこちらの紙を持って行って、取り敢えず10部ほど頼む事にした。

 明日からの味噌作りに使うプラスチックの樽を買い、薬局で喉スプレーを買い、スーパーで食材を買って帰る。
3月23(月)登城ウォーク打ち合わせ
 今日は原口佐々木さんと親戚2名で、登城ウォークの最終打ち合わせ。
 一部変更して最終案が出来た。
 以前との変更点は
 1. 1日目の最後は駆越山の山小屋で大懇親会を行う。
   支援団体や役場幹部も入って行う。
   松前神楽や地元の方々のもてなしのがある。
   内容は当日のお楽しみだ。
 2. 歴史的古道の願掛澤歩き、願掛け駐車場に出てここで矢不来神宮の神主さんのお祓いがある。
   当日は他の魚つきの森の整備イベントがあり、それに参加した方々も出迎えてくれる。 
 3. 主催 環境省、農林水産省、国土交通主唱、環境省自然環境局の主催する「グリーンウェイブ2015」が3月1日〜6月15日まで行われるが、それの協賛事業イベントとする。
 4. 全国を歩いて城めぐりをしている、甲冑パフォーマーの山辺さんも松前城登城に合流して盛り上げる。
   「箱館土方組」の代表、しらとりみちよさんのコスプレ登場もあるか?
 以上の様な事が決まった。
 特に今年は最長26kmを歩くのでハードなイベントになりそうだが、町や地域団体、郵便局、郵便局OB会などの支援もあり、すこしずつ大きなイベントに育てたい。
 昨年の登城ウォーク

 人気の山辺さん

 私もコスプレで登場か?

 しらとりさん 
 
3月22(日)追悼登山
 今日は昨年2月に毛無山で遭難死した、斉藤さんの追悼登山日。
 天気は快晴に近い天気だった。
 昨年彼が発見された日を思い出天気だ。
 参加者は25名と沢山の方々が集まった。
 皆が集合
 普段少人数で歩いているのでこんなに多くの方と歩くのは殆ど補ない。
 最初は林道を行くが、伐採で道が多く出来ているし、雪も無くなりドロドロ状態だ。
 林道を行く
 しばらく我慢して進み2km程行ってようやく雪道になった。
 周囲の景色を眺めながら進む。 
 やがて少し斜度の有る所を登る。
 広い斜面
 ここを登り切れば後は尾根道を下すら進むだけだ。
 遠くには駒ケ岳がはっきりと見えているし、二股岳は近いだけあって圧倒的な威容を示している。
 二股岳

 登りだ。

 長い列になった

 半分位来たかな?
 2時間くらいの所で親子熊の足跡を発見した。
 親子熊の足跡発見

 熊の足跡
 もう熊も冬眠から覚めて活動する時期になったのだ。
 最期の急斜面を喘ぎながら登って毛無山山頂に山頂に着く。
 最期の登り

 標識が埋まっている

 記念写真

 二股岳
 昨年は標識が胸くらいの位置に有ったのが、今年は辛うじて頭が出ているだけだ。
 30分くらい休憩して慰霊碑に向かう。
 駒ケ岳

 大石の沼

 駒ケ岳
 途中の大石の沼は雪に覆われていた。
 車の置いている場所の関係もあり、冬はこちら側に降りる事はないので珍しい光景だ。
 ここから急斜面を登り、更に急斜面を下る。
 改良を加えたスノーシューだが、下りは全くストップが効かない。
 これは苦しい。
 すっかり疲れた。
 和カンジキの方がよっぽど良かった。
 やはり安物のスノーシューは駄目からと思うと共に、欠点が見えたので又改良しようと言う気にもなった。
 慰霊碑の場所は2m以上の積雪が有った。
 埋もれた慰霊碑

 記念撮影

 慰霊碑
 慰霊碑が見えす坂口さん他の人が2日もかけて探しあてたのだ。
 皆で黙とうして、ここで昼食を食べる。
 亡くなった斉藤さんも皆に会えて嬉しいだろうな。
 下りはトラバースの場所は問題なかったが、急な下りは相変わらず滑りまくりだった。
 最後に橋板の無い吊端を蟹の横ばいで通過し、駐車場につく。
 S女史が今日も今日も豚汁を作って待っていてくれた。
 捜索の時は何度もお世話になった。
 具が沢山入った豚汁は美味しかった。
 今日は桔梗に帰る。
3月21(土)軍川新道
 昨日函館新聞のS記者から今日の朝刊に載りますと電話が来た。
 いつも取材をして貰っている。
 結構なスペースを割いて書いてくれた。
 感謝!


 昔、茅部峠(大峠もあり)を越えて、大沼湖畔を通って軍川に行く道は、大沼の湿原が難所で皆苦労していた。
 そんな事もあり、安政3年(1856)箱館奉行所竹下下野守が村人から陳情を受け、亀尾村の庵原(草冠に函)斎に道の開削を命じた。
 その道が軍川新道で藤山峠を越える道になる。
 大変な苦労をして開削した道であった。
 その道は古道研究家のH氏の本でも既に廃道となっていると書かれている。
 しかし道は辛うじて残っている。
 登山をしている者にとってはそれ程厳しい道では無い。
 その道を行く事にする。

 スノーシューは要らない様な雰囲気だったので、壺足で行く。
 ウバユリ沢線

 ウバユリ沢線

 埋まる様になった

 水が流れてる
 所が1kmも行ったらずぶずぶ埋まる。
 戻るのも大変なのでそのまま行く事にする。
 分岐で古道の道を取るが雪がまだ多い。
 古道の途中
 沢を暫らく登ったが、左右の斜面の雪が気になる。
 あちこち亀裂が入っている。
 あちこち亀裂が有った
 今日は気温が上がりそうなので、どうしようかな?と考え戻る事にする。
 古道
 戻って分岐を右に行く。
 少し行ったらSさんから電話が来て「函館新聞」に出ていたよと喜んでくれた。
 さらに行ったら左に入る道が有った。
 道を変えた
 この方向なら峠に出られそうだ。
 錆びた標識に「藤峠」と書いている。
 随分古い標識
 少し違うが似ている。
 どんどん登って行く。
 橋も耐えている

 どんどん登る

 この辺りは深い
 雪は相変わらず多くてずぶずぶ埋まる。
 頂上も近い

 ガイドレールが見える

 城岱スカイライン
 汗を一杯かいて最期の急斜面を登ったら、城岱スカイラインに出た。
 一部除雪していた。
 旧藤山峠とは200mくらい違っていた。
 ここが旧藤山峠
 どうやらこの道は古道が荒れたので後から作った道の様だ。
 軍川新道は軍川まで行くのだが、そちらに行ったら車に戻れない。
 同じ所を下るのも面白くないので、林道を暫らく歩いてから尾根を下って、スタート地点に戻ろうと考えた。
 林道は雪に少しは埋まるものの快適だった。
 林道
 GPSでそろそろ降りなければと言う場所まで来た。
 尾根は緩やかだ。
 この姉を下る
 しかし地図を見ると下には左右から来る沢がある。
 果たしてどうなっているのか?
 駄目だったら戻る覚悟で下る。
 下に植林があるので何とか道があるのではと言う考えだ。
 また電話が来た七飯町の方で本が欲しいと言う。
 下山してから連絡しますと電話を切る。
 尾根を下まで来たら右の沢は深くて急斜面で下れそうにない。
 ここは深い
 左は何とか降りれるがその先は分からない。
 うろうろしていたら何か道らしき雰囲気がある。
 道が有った
 ここを下ろう。
 沢の側に出て道は続いている。
 はっきりして来た
 何とか行けそうだ。
 すると赤テープが出てきた。
 赤テープだ!
 お!これは道だ。
 その後は川を何度も渡ったり、川の中を歩いたりしながら進む。
 道が悪くなる

 川も歩く

 ここも川を歩く
 GPSを見ると方向は間違っていない。
 時々ずぼっと埋まりながら何とか下って行く。
 するとゲートが見えた。
 ゲートが見えた
 やった!
 スタート地点だ。
 5.8km 4時間の山行だった。

 家に着いたら又本の購入希望者から電話が来た。
 そして妻から向かいの奥さんの知りあいの九州の先生が、幕末ファンで下二股口台場に案内した事があるそうだ。
 本をぜひ欲しいと言う。
 新聞の効果は大だ。
3月20(金)本製作と台所修理
 今日も朝から本作りをして昼までには10冊完成した。
 10冊完成
 午後から洗濯の排水ホースを直そうと見たら、やたら水が流れている。
 このホースは昨年旅人が修理してくれた。
 でも水が漏っていたので多分もう駄目になったと思っていた。
 洗濯機をどかしたら、なにやら台所の方から水が流れている。
 台所をずらしたら・・

 水が漏れていた
 台所の水を流して見たら、山辺さんが水が漏れてるという。
 そこで台所をずらして見たら、ホースが食いちぎられている。
 食いちぎられたホース
 そして床がぬるぬるになっていた。
 湯を掛け洗剤で綺麗に洗い流した。
 そう言えば昨年鼠が出て、鼠捕りの餌を捲いて退治した事が有った。
 その鼠がホースを食いちぎっていたのだ。
 交換するものお金が掛るので修理する。
 ホースを切ってサランラップを巻いて更にビニールを巻いた。
 サランラップで防水

 さらにテープを巻く
 排水は水圧が掛らないのでこれでOKだろう。
 ついでに洗濯機のホース修理部分もさらにがっちりテープを捲いて終了した。
 早速洗濯機を回した。
 洗濯が出来る!

3月19(木)本製作と願掛澤
 今日は朝から本作りをする。
 印刷だけで10部は作りたい。
 印刷だけで一日掛りだ。

 松前町原口に小砂子山道と言う所がある。
 道南の難所の一つで、その中でも特に願掛沢(鉤掛沢)は難所で箱根よりも厳しい日本一の難所とここを通った旅人の日記に書かれている。
 その願掛沢は地元「原口館を守る会」が老人からの聞き取り調査や実際に現地に当時を知る老人と行って確認出来た結果、2001年11月8日の北海道新聞で報道された。
 その後、大正10年の測量図が見つかり、頼まれて私が解析して新聞の道と一致する事が分かり、難所の願掛沢はもう既に明らかになったと思っていた。
 ただいつも気になっていたのは、日本一の難所と言う割には楽な山道であったのが心に引掛っていた。


 暫らく山道の調査は中断していたが、古文書を見ている内に新たな資料が数件見つかった。
 一つは下の原口の古老に聞きとり調査したものだった。
 恐らく40年か50年前の聞き取り調査であろう。
 この中に「特に鉤懸沢にはクサリがかけられ・・」と書かれていた。
 これなら難所と言うのは分かる。
 では今の道はと更に読むと・・。
 クサリがあった
 下の文の様に大正中期に新しく道が設けられた事が分かった。
 これで大正10年の地形図の意味が分かった。
 この道を作るための測量図で有ったのだ。

  大正中期に新しくなった
 では1400年代の武田信広の歩いた道は何処なのだろう。
 調査を続けて行くうちに森一馬の書いた「罕有日記」の中に願掛澤の絵がある事が分かった。
 早速手に入れてその絵をじっくり見た。
 願掛沢の両側の岩場に道が付いている。
 その道は一度海に出ている。
 やっぱりだ。
 2001年に発見した道は大正時代に作られた道であった。
 下の絵を見れば如何にも厳しい道だ。
 これなら難所と言うのは分かる。
 こんな道を馬で越えたと言う。
 旅人の日記では「前を行っている馬の鐙しか見えなかったし、話声は遥か頭上から聞こえてくる。馬が頭上から落ちて来そうな状況だった」と書いている。


  「罕有日記の中の挿入図=十五澤中 願懸彦四郎二澤之図」
  そうだ、何処かのイベントがあって、願掛澤を海まで降りた事が有った事を思い出した。
 その時の写真が有る筈だと探したら出てきた。
 何と絵と同じ風景が広がっている。
 2001年発見のコースは青線の様に遥か上に有る。
 赤で書いたルートが当時の道を推定したが、道らしき雰囲気も残る。
 これが道と分かれば、1450年に志濃里でアイヌの少年がマキリを鍛冶屋に注文したが、品質と価格についており合わずアイヌの少年が切り殺され、怒った静内のコシャマインが大軍を引き連れて道南の館を落して、上ノ国の花沢館に向かったコシャマインもここを通っている。
 これは歴史ではっきりしている。
 原口の大正の道で90年も前になる。それ以前の道で、武田信広時代から565年前の道になる。
 早々に行って調査をしようと思っている。
 鎖でも鎖を止めていた金物でも見つかれば大発見だ。

 写真の風景が似ている
  道はロマンが一杯だ。
3月18日(水)色々
 山辺さんの免許更新に行く。
 現住所が神戸なので手続きは少し違うようだ。
 更新通知は神戸から送って貰った。
 普通に手続きは行うが、地方の場合免許証の即日交付は出来ないのだ。
 そこで免許証の送り賃と旧免許証の返却代で2500円も取られるのだ。
 書留でも200円程度なので如何にも高い。
 多分手数料が入っているんだろうな。
 
 終わって藤山峠の下見に行く。
 今月末の登山は旧道を歩こうと思い、アプローチが何処まで行けるのかを調査。
 登山口の500m位手前まで車で入れた。
 後はスノーシューが必要だ。

 GHに戻って山辺さんの協力の元、色々な作業をする。
 まずは薪割り。
 これがなかなか難しい。
 真ん中に刃が入らない。
 エィ!
 次に高い場所の梁を切り落とす。
 一人作業でも何とか出来るのだが二人だと何か有っても対処が可能だ。
 上の桁を切る

 結構高い

 切り落した

 すっきりした。
 後残っている高所は2個所だ。
 今後少しずつ山辺さんがいる内に解体を行う。
 最近暖かいので薪の消費が少なく、どんどん溜まって行く。
 余ったら来年用の燃料として保管しておこう。
3月17日(火)ピザの会
 今日も良い天だ!
 まるで春の様な雰囲気で、10度くらいにはなるようだ。
 ピザの会に呼ばれていたのでチャリで行く。
 何か持って行こうと老舗の餅屋やである大黒餅に寄る。
 毎年一回行われる中学校の同窓会で会っているので顔なじみだ。
 塩大福とヨモギべっこう餅を各5個購入。
 1100円の所を1000円にまけてくれた。
 そして招待された家に行って開けたら、さらに黒糖のべっこう餅が1個入っていた。

 会場ではピザ作りの真っ最中。
 作り方は知らないがなにやら難しそうだ。
 そして完成したのは大きめのピザで、具もたっぷり入っている。
 美味しいピザ
 他に漬け物は色々あった。
 ボリュームのある出来たてのピザは美味しかった。

 お菓子やミカンなども戴いて満腹だ。
 せとせミカン
 帰りには焼いたパンもお土産に貰い15時には帰宅した。
 山辺さんはまだ寝ていた。
 GH「自遊旅」はぐすり寝られるそうだ。
 昨日は10時には寝たので何時間寝ていたのだろう。
3月16日(月)気温11度
 函館の気温が11度と4月中旬の気温になった。
 さすがに暖かい。
 昨日大量に薪を作ったのだが、なかなか減らない状況になった。
 今日も午前中に家の解体をする。
 さすがに暖かく仕事をすると汗ばんでくる。
 2Fは屋根のトタンの一部と一番上の桁が難工事になるが、頼もしい助っ人の山辺さんが今日あ札幌からやって来る。 
 午後一番でS氏の家に行く。
 歴史の話をして、饅頭と焼いたカレイを頂いた。
 他に箱舘山観音に関する資料を頂いた。
 2時半に甲冑パフォーマーの山辺さんが来るので早めに失礼して戻る。
 帰り際に薪まで貰ってしまった。

 家に着いたら山辺さんがもう来ていた。
 暫らく話に花が咲く。
 山辺さん
 彼は日本を歩いて城めぐりしている。
 冬期はニセコでアルバイトをして居て、春から松前城を皮きりに北海道を回り、出来ればねぶたに合流し、その後南下して城を巡る計画だ。
 夕食は彼が買って来たジンギスカンを頂く。

 甲冑姿は格好が良い
3月15日(日)観音コース調査
 天気が良い。
 箱館山旧三十三観音コースの調査に行く。
 コースを探す前に碧血碑の写真を頼まれていたので10数枚撮影する。
 碧血碑
 函館山七曲から谷地頭温泉(旧浅田楼)に行くコースがはっきりしない。
 浅田楼に30番観音が有った。
 谷地頭温泉に行くコースが「南部藩蝦夷地経営図」のコースと微妙に違う。
 一応歩いてGPSログを取る。
 帰って見たがやはり何か一致しない。
 家が建ったため道が消えてしまったのか・・。
 150年前の測量技術がどの程度なのか分からないので判断が難しい。

 午後から家の解体。
 腰も良くなって来たので、やらなくては。
 薪も全く無くなった。
 2時間くらいやって薪も5箱出来たので今日は終了。
 ここを解体

 外壁1枚になった

 これだけ薪が出来た
 外壁1枚になった。
 押せば直ぐに取れてしまう。
3月14日(土)斉藤さんを偲ぶ会
 私は鉄道ファンでも無いのでトワイライトエキスプレスが最終運行と言っても「そうなんだ」と思うだけだが、鉄道ファンは凄い。
 日本一周の時にお世話になった下関のヨッシーさんから記事の載っている新聞を全部買ってとメールが来た。
 コンビニで新聞の中をチエックしながら買うのも面倒だ。
 店に有った5紙を総て買った。
 5紙購入
 帰って見たら総て載っていた。
 本州の人にとっては地元記事が良いのだろうな。
 レターパックを買いにったら、郵便局員が何か疑っている様な。
 「これは書類しか送れませんよ」
 そんなの分かっている。
 あれ!もしかして振り込み詐欺に引かかりそうになった年寄りに間違われたかな?

 今日は昨年毛無山で遭難した斉藤さんを偲ぶ会がある。
 昨日は斉藤さんが滝ノ山に登山した際、宿泊した掛越山の山小屋を訪れた。
 ひっそりした山小屋は窓やドアが1重なので雪が吹きこんでいた。
 斉藤さんが宿泊したのも冬だったので、恐らく同じ状況で、こんな寂しい寒い所で宿泊して山に登ると言う山に対する情熱と精神的な強さを感じた。
 
 午前中はホワイトデーと言う事もあり妻の所に行く。
 ささやかな妻の好きなチョコレートをあげた。

 夕方から偲ぶ会が始まった。
 昨年以来の懐かしい顔ぶれに出合った。
 隣がTaさんでその隣がToさんだった。
 昨年知り合って桂岳手前の山岳崩壊現場にも一緒に行った。
 今年もまた行こうとなった。
 新たな道が有ると言う。
 捜索を機に知りあった方々だがフィーリングが合うので楽しい。
 山中をああでもないこうでもないと、自由に歩きまわるのが皆共通している。

 札幌からSさん他2名が来た。
 GH「自遊旅」に宿泊してくれた方々だ。
 来た時は、明日は何処の山に行こうかと夜遅くまで地図を見ながら検討。
 この時間が楽しい。
 道なき道の山なのでどのルートを攻略するかが山に登る以上に楽しいのだ。
 そして結果はどうなったか?
 計画と合ったか、駄目だったか?
 今年は道南の全山登頂目指して来るのでGH「自遊旅」にも相当来てくれそうだ。

 函館山の会のYさんとも知り合った。
 今度旧道を歩きたいので教えてと言う事だった。
 多くの人に歩いて欲しいので情報提供しますとなった。

 ブリガンズ山岳会のEさんに、箱館山旧三十三観音を歩きたいとの申し入れ。
 今度行く事にする。

 あっという間の3時間?だった。
 おしゃべりが楽しくて写真も撮るひまがなかった。 
3月13日(金)掛越山登山
 昨日からの吹雪が収まっていないが、行く事にする。
 駄目だったら温泉にでも入ろうと温泉道具も持参だ。
 函館は雪が少なかったが、北斗市に入ったら凄い雪だった。
 すっかり溶けていた雪も真冬並みの量になっていた。
 中山峠を越えて厚沢部に入り道の駅で少々のお買いもの。
 江差に出たら北西の風が強い。
 海は大しけで有った。
 山に登れるかなと車を走らせる。
 原口に近くなったら強風とみぞれになってしまった。
 これは駄目だとばかり原口交流の里に行く。
 ここで一休みを決めた。
 森田さんの姿が見えなかったので探したら和室の宿泊室に居た。
 ここで織物をやっていた。
 猟師の方が海苔を採る時に使うバッグと言うか、入れ物なのだ。
 これが見本
 網ひも見たいのを使って作る。
 色々な糸を集めた

 桂の重り

 こんなのもある

 昔から使っていた物
 20数年前から使っているサンプルを元に製作している。
 そこがすけすけになっている。
 これは海苔を採った際に海水が抜けるような作りになっている。
 この作り方をマスターして交流の里のイベントの一つにしたいそうだ。

 われわれも交代で体験させて貰った。
 体験中

 熱が入る
 これは嵌りそうだ。
 海苔入れでなくおしゃれなバッグとして使えそうだ。

 その内近所のお母さんが製作に来た。
 お母さんの作りかけ

 こうしようかな?
 お母さんのバッグの色合いが凄く良い。
 このお母さんも嵌ってしまったそうだ。

 暫らく話をしてもう食事に松前まで行こうとなった。
 少し走ったら山に少し登ってみたいとなった。
 みぞれは上がって風が強いだけだった。
 登り始める

 いつの間にか椅子がある

 ここにも
 まあ途中で引き返しても良いかと登ったが、結局は山小屋まで登ってしまった。
 雪が入っている

 広くて良い

 薪もある

 外のデッキは夕陽が綺麗

 滝ノ山方面

 原口漁港

 東の山容

 松前方向
 この山と山小屋は私が懇意にしている佐々木さんの所有なのだ。
 昨年山で亡くなった斉藤さんも滝ノ山に登るときに1泊している。
 彼は飯場だと思っていた様だ。

 誰でも泊まって良いが流石に冬は隙間から雪が入っていた。
 暫らく景色を眺めて下山する。

 松前に向かう途中西国三十三観音を見て、レストラン矢野へ行く。
 ここでそれぞれが注文。
 私はマグロの三色丼を注文した。
 三色丼
 それぞれ美味しく食べて函館に戻る。
 途中も猛吹雪だった。
 18時過ぎに到着した。

 明日の斉藤さんの追悼登山は延期になった。
 積雪が90cmあるそうだ。
 スノーシューでも膝上になるそうで、毛無山までのラッセルは厳しいそうだ。
3月12日(木)今日も吹雪
 朝起きたら又雪が積っている。
 妻が計ったのか15cmあるそうだ。
 食事を終えてから除雪をする。
 今日も雪が重い。
 後数日で二桁の+気温になる予報なのであまり丁寧にやりたくない。
 道の端に寄せて終了した。
 何か余計な降雪だ。
 昼前に桔梗を出る。
 GHに戻ったら雪が殆ど無い。
 2日間で数センチ程度で除雪は必要ない。
 同じ函館でもこんなに違うんだ。

 登山用のフロントバッグの改良をする。
 タブレットをベルトに挟んでバッグに入れていたが、丁度使う所がベルトの陰になっていちいちベルトをよけて使っていた。
 そこで改良する。
 とっておいたスマホのホルダーが有った。
 これがあった
 これだと幅がタブレットには合わない。
 全く合わない
 そこで延長工事。
 アルミのアングルを加工して伸びるようにした。
 アルミで延長
 これでタブレットもOKだ。
 邪魔なベルトも無く操作性は良くなった。
 ぴったり収まった

 バッグに付ける

 完成だ!
 午後から整骨院に行き腰の治療をする。
 かなり良くなっている。
 明日は松前方面の山に行く。
3月11日(水)吹雪の日
 朝起きたら雪が積っていた。
 桔梗に避難したのは正解だった。
 雪は10cm程度積っていたので、まずは雪かきをする。
 ママさんダンプで押すがやたら湿った雪で重い。
 腰をかばいつつ何とか終了。
 その後も終日雪が舞っていた。
 午前中は「第2回松前登城ウォーク」の計画を作る。
 1日目は上ノ国〜石崎で13km。
 2日目は原口〜松前で26kmになった。
 2日目の距離を見て参加者は引くかな??
 五所川原ウォークを毎年やっているが、これは一日で40km歩く。
 最後はかなり厳しいがやった!という気持ちにはなる。
 26kmは普段歩き慣れていない人には少しきついかと言う感じだ。
 まあ駄目だったら回収車を付けるので良いか?
 食事は支援団体でおもてなしてくれる。
 宿泊は快適な原口小学校を使った交流の里になる。
 個室シャワーは4つあるが綺麗だし、大広間は2つある。
 布団あり暖房も使い放題で10人迄8000円になる。
 10人居れば一人800円、8人だと一人1000円と不思議な料金設定だ。
 因みに一人だと8000円になる。
 勿論食事なし。
 近くに有る掛越山は先日のみなみ風に載ったが、東北から学生が来て宿泊して行った。
 ここは無料で、檜風呂もある。

 交流センターを1000円として合計車代込みで2000円でやる。
 募集は車の台数との絡みで8人から10人迄くらいかな。
 
 午後からは日ハムのオープン戦だったが、主力選手が昨日の吹雪で飛行機が飛ばず間に合わなかった。
 投手は大谷君が先発だったが、メロメロだった。
 大丈夫かな??
 打線はやはり2線級では点はなかなか取れないで大敗。
 この後、侍ジャパン、五輪予選侍ブルー、なでしこジャパンとスポーツが目白押し。
 また寝るのが遅くなりそうだ。
3月10日(火)桔梗に避難
 昨日から強風が吹いていた。
 今日から明日に掛けて猛吹雪とか言っているので、桔梗に避難する事にした。
 薪が無くなったのである。
 腰を痛めてから家の解体もやらずにいたら遂に無くなった。
 今日も整骨院に行って電気治療、マッサージ、超音波を受ける。
 200円なり。

 その後、桔梗に行く。
 今日は妻に手作りの餃子を持って行く。
 知内産のニラが沢山入っている。

 桔梗では何もやる事はないので退屈だったが、本を読む事にする。
 戊辰戦争がどうして始まったか?
 事の起こりは関ヶ原の戦いではないかとの説。
 確かに東軍は徳川家康で西軍は毛利輝元が大将で、薩摩藩も西軍である。
 戦いには破れて石高を減らされ、外様大名にされてしまった。
 この後、藩同士が合議などしてはならぬとのお触れが出たのだが、長州藩と薩摩藩は薩長同盟を結んだ。
 そして徳川倒幕に動くのだが、戊辰戦争は長いリベンジの戦いだったのだ。
 最期の将軍徳川慶喜も大政奉還について、それ程悲観的では無かったようだ。
 彼の母親は有栖川の登美宮吉子女王で、父親は水戸藩である。
 徳川藩にはそれ程の愛着は無かったと書かれているが、そんな事もあるのだろう。
 歴史は奥が深い。

 早く腰を直さなくてはならない。
 13、14日と登山だ。
 もうかなり良いので大丈夫だろう。
3月9日(月)資料の解析
 あさ6時に起きた。
 最近は起きるのが遅くなった。
 夜中にもトイレに行くために起きる事もないので、睡眠は十分すぎる。
 6時から資料の解析をする。
 昨日博物館からコピーを頂いた資料だ。
 この絵は今までも歴史本に載っているが、解説した人は見た事がない。
 学研の「歴史の群像 土方歳三」に小さな絵が載っているが、この絵に旧幕府軍の位置と新政府軍の位置を書いているが、これも陣地は反対だ。
 結局解説を書き終えたのは13時であった。
 7時間もパソコンに向かっていた。
 この絵は滝川充太郎率いる伝習士官隊が抜刀して敵陣に切り込んだ時の絵だ。
 敵陣で戦っている様子や右の山から撃ち降ろしてくる場面は古文書の内容と一致する。

 少し紹介すると

 本陣とトイレが書かれている。
 今までもトイレは書かれていたが、この絵では入り口も書かれている。


 本陣の新政府軍側には高い塀を設けているが、兵は踏み台に乗って銃を撃っている。
 これも今までには無かった事だ。


 下二股沢川には橋が架かっているが、良く見ると木を切り倒して川に敷いた仮橋の様に見える。
 ここには橋が有った事は事実なのだが、春になると雪解け水でいつも流されていた。
 箱館戦争当時も流されて無かったので仮橋を作った可能性がある。
 

 暫壕の前には騎兵を防御する馬柵が設けられている。

 他にも色々あるが、歴史って面白い。

 夕食は久しぶりに餃子を作る。
 一昨日、激戦ツアーの下見に行った時に、厚沢部でキャベツ、知内でニラを買ったので、これは餃子しかないだろうと、ひき肉や餃子の皮を買って来た。

 結局60枚の皮の内59枚をぴったり使った。
 この数を合わせるのが苦労する。
 皮も材料も余したくないし、足りないと困る。
 途中で様子を見ながら量の加減をする。
 それがぴったり出来た。





 10個程食べて残りは冷凍庫に入れた。
 1ヶ月は持つ。
 明日は妻の所に行くのでお土産に持って行こう。
3月8日(日)自転車で・・
 腰痛の方今朝はかなり良くなって、何か動きたくなるようになった。
 朝から頼まれていたスノーシューの補修を行う。
 高級品のMSRでもトラブルンだと感激?
 MSRスノーシュー
 我がスノーシューはホーマック安い物に改良を加えて使っている。
 それでも思い通りの物になっているから使いやすい。
 MSRの上下するプレートを止めている、軸のダブルニングが切れてシャフトが無くなったのだろう。
 この様になっていた

 こちらが無くなった
 どうして良いか分からずホーマックに持って行ったやって貰ったが、ネジで止める方法にした。
 これだとネジがゆるんで又取れてしまう。
 ホ−マックには部品が有るんでそれを使えば良いと思うんがだ、加工が出来ないのかな?
 この様に直した
 ネジを使って穴を開け、ダブルリングで固定した。
 これでOKだ。
 ついでに靴を固定するベルトの根っこの方の金具が良く抜けて履きにくいそうだ。
 このベルトが外れる

 この様にした
 ビニールで止めていたがこれだとすぐ取れる。
 そこで金具に穴を開け、ダブルリングを通す。
 これで抜ける事はないだろう。

 午後から天気も良いのでチャリで博物館に行く。
 函館博物館
 見たい古図があったのだが、箱館土方組のしらとりさんが行った時に聞いて貰って下さいと言ってあったが、見せても良いと言ったそうだ。
 行ったら今日は無料だった。
 無料だ!
 ラッキー!
 個人だとなかなか見せない事もあるので「大野文化財保護研究会の毛利ですが・・」と言ったら、3人も出てきて、A3位の資料をカラーコピーしてくれた。
 効果てきめんだ。
 この図は「四月二十四日二タ股大合戦士官隊勇戦の図」で作者は不明になっている。
 旧幕府軍から見た絵で、わざわざ士官隊の戦いを書いているので、伝習士官隊を滝川充太郎が兵を引き連れて敵陣に切り込んだ時の様子を書いた絵と思われる。
 敵陣で両軍が戦っている姿が見える
 この図を載せた本が学研の「新歴史シリーズ 土方歳三」なのだが、中にこの絵が入っていた。
 見たら新政府軍と旧幕府軍の陣の説明が逆になっていた。
 地形を良く理解していないようだ。
 A3の絵だ
 また良く絵を観察して見よう。
 少し見たが、全体は他の絵とほぼ同じだが、三角のトイレ見たいものが、他の絵では三角のみだが、この絵では中央に入り口らしき物も書かれている。
 これで予想された通りトイレの可能性が高くなった。

 終わって観音コースの調査に行こうと持ったが、チャリには寒すぎて手が冷たく、家に帰る事にした。
3月7日(土)激戦ツアー下見
 箱館土方組で5月17日に行う激戦ツアーの下見に行く。
 もう既に本州から8名他地元も含め17人の応募があるそうだ。
 費用が4万円程度と言うのも好評なようだ。
 他のツアーは簡単に同じコースを回っただけで9万9千円も掛るそうで、それに比べたら超格安だ。
 まずは久根別から大野に向かう、ここは旧道で土方隊もここを通っている。
 大野の市内を回って下二股台場へ行く。
 当日は台場山に登らないで入り口だけだ。
 その後は江差に入り、開陽丸に行ったが休館日。
 カモメ島
 箱館戦争ではいち早く逃げた、箱館府知事清水谷公考の詩が有った。

 姥神神社に有るミニチュアの山車。

 江差には古い建物が似あう。


 天の川の白鳥

 上ノ国から大瀧古戦場に行く。
 大滝古戦場

 そして原口市街地を通って松前に行く。
 途中カリスマガイドのラビット飯田さんのいる茂草で会ってから松前に到着。
 行き先は矢野のレストラン。
 なかなか洒落た感じのレストランだ。
 若女将の杉本夏子さんに会う。
 爽やかな感じの若女将だった。
 ここで当日のツアーと同じマグロ定食を食べる。
 美味しかった
 やはり松前のマグロは美味しい。

 その後松前城に行く。
 ここで館長の久保さんと会う。
 松前登城ウォーク以来だ。
 原口の佐々木さんの話が出た。
 温泉で会ったそうで、話をしたが「松前登城ウォーク」は彼が一人でやるのは無理で、支援している郵政で実行委員会を作った方がいいと提案した。
 私も賛成である。
 しかし高齢で頑張っている佐々木さんを考えると少し考えると・・・。
 食事後、法華寺に行き砲台跡や会津藩士、水戸藩士の墓、更には合奏塚を見る。


 大庭、関の墓

 赤羽音吉の墓
 これで終わり、帰りは富川塁土を見て函館に戻る。
 富川土塁
 約10時間掛った。
 空の雲が夏雲の様だった。
 入道雲の様だ
3月6日(金)函館新聞取材
 朝に桔梗から妻と一緒に車で出発。
 妻を病院に置いて私も整骨院に行く。
 電気、マッサージ、超音波をかける。
 まだ痛みがあるので歩くのも大変だ。
 風呂に入っても良いか聞いたら、短い時間なら良いと言うので温泉に行く。
 ここで電気風呂などに入ったが、凄いビリビリ感で、感電するんじゃないかと思う位だ。
 GHに帰って来て暫らく布団に入ってラジオを聞いていた。

 夕方函館新聞のS記者が来て取材をする。
 前回の「二股口台場報告書」以来の取材だ。
 1時間位取材して帰る。

 その後「甲冑パフォーマー」山辺さんの荷物が届いた。
 これで今日は予定通り終わった。

 兎に角今日は一日静かにしていた。
3月5日(木)ぶんぽ研例会
 ぶんぽ研例会は先月ルスツに行って行けなかったので2ヶ月ぶりだった。
 今日、完成した「下二股口台場」の本の紹介をさせて頂いた。
 終わった後、本を欲しい人がいるので増刷して欲しいとなり、幾らにするかとなった。
 価格は自分で決めにくいので、人の意見を聞いたら2000円と言う人もいたが1500円が良さそうだったので、この値段に決めた。
 資金がふんだんに有れば、皆なに配りたい所だがそんなには裕福では無い。
 まあ手間は相当掛っているので、良いのかなとなった。
 10冊の注文があった。
 他から来ている注文を合わせて、取り敢えずは15部位作らなくてはならない。
 また忙しくなる。
 でも来月の例会までなので時間は十分ある。

 例会の後は旧郷土資料館の書類を新資料館に運ぶ。
 旧郷土資料館には興味ある資料が沢山あるのだが、普段は締められているのが残念だ。
 腰が痛いのであまり十分な働きは出来なかった。

 帰って、姿勢が楽な布団に入って本を読む。
 読んでいる本は「アマゾン漂流記」で冒険家の坪井慎吾さんから頂いたものだ。

 筏を作って流れにまかせてアマゾンを下ると言う方法で、かなりの危険が伴う。
 何度か危険な目に会い、最後は筏も座礁して動かなくなり、そこから脱出しようとしたカヌーが沈没して流され、かなりの危険状態だったが何とか助かる。
 そんな坪井さんは会うと本当に大人しくて物静かな方だ。
 どこにそんなパワーがルのかと思ってしまう。
 しかしやる事は凄い。
 サインには「何とかなるよ」と書かれている。

 この気持ちが無ければ冒険や旅は続けられない。
 自己完結能力が求められる。
 私も自転車旅も国内でやっているが、山中でトラブルが起きた時はどの様に対処するかが腕の見せ所だ。
 このような何でもやると言う気持が、今の生活にも有るように思う。
 他にも冒険家の安東さんも知り合いだがが、彼も本当に物静かな方だ、冒険家共通なのかな?
 安東さんも独立して海外登山のガイドをやっているが、アコンカグア、キリマンジャロ、南極などなどのツアーを行っている。
 何れも凄い方々と知り合いなのは、自分の力は勿論レベルは違うが、励みになる事は間違いない。

 明日はGHに戻って甲冑パフォーマーの山辺さんの荷物を受け取り、函館新聞の取材を受ける。
 「もう北海道新聞の取材を受けたんですが・・」と行ったら「そんなの全然構わないですよ」と言っていた。
 新幹線開業が目の前だが、3年後は箱館戦争150年の節目になる。
 その時まで、本もさらに充実させたい。
 書いた後に、また新しく資料が出てきたり、現地でも新たな発見がある。
 何か永遠に続きそうだ。
3月4日(水)腰が痛い
 日ハムのオープン戦を見たくて桔梗に来ているが、夕べは大谷君が炎上して最悪の試合だった。
 それでも打線が追いついて1点差まで詰め最終回に一打逆転の場もあっさりアウトで負けてしまった。
 心配なファイターズだ。
 試合終了後、布団に入ったら悪寒がする。
 かなり寒くて身体をマッサージしたりして何とか眠れたが、夜中か朝方か分からないが、強烈に汗を書いて着ている物もびしょぬれになった。
 着替えるのも寒そうなので、朝まで寝て起きて着替える。
 体温計で計ったら36.5度と平熱で風邪の兆候も無い。

 今日は健康サロンin明和園の日なので二人で車で向かう。
 妻を明和園に送って、私は整骨院に行く事にした。
 先日重いものを持って腰が少し痛かったが、その後山にも行ったせいか少し悪化した。
 電気治療とマッサージと超音波治療をして、湿布薬を貰って帰る。

 夕方から北海道新聞の取材が2時間あった。
 いつも世話になっているU記者も6月には転勤になるそうだ。
 最初の頃、良く取材してくれたK記者も、今は留萌の支局員になっている。
 新聞記者もあちこち転勤があるので大変な仕事だ。
 それでも4月に行う甲冑パフォーマー山辺さんの松前登城は取材してくれるし、私が5月に行う上ノ国〜松前の登城ウォークも取材してくれるそうだ。
 
 夕方から日ハムの試合を見るが、何と12対0圧倒的に負けた。
 投手は打たれるし、守備はエラー連発。
 キャンプの成果は出ないのか??

 夜11時からなでしこジャパンの試合を見る。
 各下のオランダに2対1で負ける。
 終試合が終わったのは午前1時。
 あ〜眠い。
 3月3日(火)清水山登山
 急遽山に行く事になった。
 行き先は清水山だ。
 先月雪が残る新たなルートを登って来たのでそのルートを案内する。

 下りはまた新たなルートを降りてくる計画にした。
 車を置いてスタートする。
 先月真っ白な平坦地だったスタート地点付近は、雪が溶けて畑が起こされていた。
 半分は牧草地だった。
 雪がすっかりなくなった
 フェンスは有るのだがゲートは開いていた。
 地面に穴が6個あいていて、金属製の丸い筒が埋められている。
 同行のMさんが動物を獲る仕掛けでない?と言うが分からない。
 ゲートを出て山道に入る。
 雪は全く無くなっている。
 登山道も雪が無い

 ここは少し雪が

 もう直ぐ尾根だ
 その分笹が出ているがそれ程長く伸びない笹なので歩きやすい。
 ジグを10回ほど繰り返し尾根前の分岐点に出る。
 前回は左に行ったが今回は右に行く。
 人が全く歩いて居ない様子なので道は荒れていた。
 ブッシュを抜ける
 ブッシュを抜けて尾根に出る。
 汐首岬方面
 最後は短い笹の原っぱを歩く。
 起した畑が綺麗 

 下北半島も見える

 尾根の笹を登る

 もうすぐだ

 この先が頂上

 笹は短い
 獣道は付いているが登山道ははっきりしない。
 やがて頂上に着く。
 頂上で記念撮影
 ここまで1時間10分だ。
 まだ昼食に早いので302m方に向かう。
 恵山が見える

 清水山
 何となく獣道が有ったりなかったりでピークに出る。
 ここは余り景色は良くない。
 少し移動して昼食をとる。
 函館山を眺めながらの昼食は良い感じだ。
 空港が近いので頻繁に飛行機が飛んでくる。
 飛行機が着陸
 昼食後下る。
 この西に向かうコースは初めてで机上で計画したコースだ。
 最初はツツジの多さに閉口して歩くが、ここを越えたら短い笹の尾根道で快適だった。
 獣道は鹿が多いせいか幅が広く歩きやすい。
 下りは良い尾根道だった
 もしかしたら登山道で有ったのかもしれない。
 快適な尾根下りも最後は杉林で終わった。
 ゲートに行ったら、紙が落ちていたので見たら、やはり動物を獲る仕掛けが掛けられていたのだ。
 鹿の罠がある
 無事到着。

 帰りに石倉神社による。
 400年近い歴史のある神社で、雰囲気は最高だ。
 石倉神社

 石に掘られた鳥居

 拡大
3月2日(月)スノーシュー改善
 今日は天気は良さそうだが風が強い。
 道東は猛吹雪になるそうだが、今年は随分道北に雪が降る。
 函館は本当に雪が少ない。
 除雪で苦労する事も無かった。
 もう春が近いと言う雰囲気だ。
 
 朝から函館山旧三十三観音を執筆するが、長い間やっていると腰が痛くなる。
 途中からスノーシューの改善をする。
 昨年使っていたスノーシューはホームセンターで売っている安物なので改造を加えて使っていた。
 サイドの爪はジュラルミンの長い爪が付いていて横にはめっぽう強い。
 急な斜面でもなかなかずれない。
 前の爪は無かった
 これは良いのだが、前後は爪を付けていないので、やはり滑る。
 急な斜面なると特に滑るので何とかしなくてはと思っていた。
 そこで今日改善を加える。
 使った材料は在庫の有ったアルミのU字鋼だ。
 アルミのU字鋼
 これを半分に切り、爪の部分を加工した。
 半分に切る
 多分弱いので、固い部分に弱い筈なので、ジュラルミンの刃依りも短くした。
 2枚出来た
 これで固い部分を歩く時は、ジュラルミンの刃がカバーしてくれる。
 取り付けて完成

 前の爪が少し短い
 2時間ほどで完成した。

 昼は何にしようか?
 食料箱に餅が2個あった。
 これを使う。
 フライパンに餅を2個入れる。
 餅を2枚焼く
 片側を焼くと餅は二つがふっつく。
 そして反対にしてまた焼く。
 裏返し
 焼けた所でアルミホィールを敷き、餅を乗せピザソースを掛ける。
 ピザソースを乗せる
 その上にスライスチーズを乗せる。
 スライスチーズを乗せる

 アルミで包んで加熱
 そしてアルミホィールで包む。
 少しするとチーズも溶ける。
 これで完成。
 これで完成
 なかなか美味しい。
3月1日(日)家の解体
 燃料が切れてきた。
 朝早く大森浜に行く。
 前よりも沢山の木が有った。
 この繰り返して行ったら幾らでも流れて来るので、薪には困らない感じだ。
 近くの同じ浜でもこうなのだから、少し離れた所に行けば幾らでもありそうだ。
 今日のは太い

 次に家の解体。
 2Fの8畳がフローリングだったので、早速外して薪に使う。
 今迄雪が積って剥がせなかったのだが、すっかり雪も解けたので作業開始だ。
 フリーリングを外す

 下にはまだコンパネがある
 ついでに北側の石膏ボードも剥がしてしまう。
 これは手で簡単に剥がれる

 すっかり剥がれた
 剥がした石膏ボードを袋に入れたが使い切ってしまった。
 まだ足りない。
 一時中断だ。
 石膏ボードは重い

 解体が終わって木を切る。
 太いのはまさかりで割る。
 だんだん命中率が上がってきた。
 結局プラ箱に6箱も出来た。
 まだ切らないフローリング板が10枚くらいある。
 暫らく持ちそうだ。

 外仕事が終わった後、製作した本の発送を行う。
 北海道新聞や函館新聞、北斗市の教育委員会や郷土資料館などなど。
 ヤマトメール便が3月31日で終了になる。
 お客さんが違法な物を入れて送るためだそうだが、郵便局しかなくなれば送料が高くなるな。

 仕事やり過ぎと思い荷物を持ったので腰が痛い。
 HP TOP