3月31日(金)関さんの御霊前へ
 奥さんが31日は大丈夫と約束していたので、関さんの焼香に伺う。
 遺霊は少し若い時の写真なのか今まで会っていた関さんとは、少し違う感じがした。
 奥さんは毎日病院に行っていたそうだが、彼はもう死ぬ事を意識していたそうだ。
 亡くなる少し前には、俺は死に向かっていると言ったそうだ。
 娘と孫が札幌から駆け付けたが、テレビ電話で途中から話しをしたそうだ。
 その内、あまり苦しそうだったの、病院で処置して少し楽にしてあげたそうだ。
 そしてそなまま静かに息を引き取ったそうだ。
 前の日には、奥さんが寝ている時に、何かが来たと起きたら、隣の部屋にうっすらと姿が見えたそうだ。
 篤実病院に行ったら、昨日は家に行ったと話していたそうだ。
 2Fにも行って来たよと話したそうだが、そんな事ってあるんだと驚いた。

 話しが終わってから、本を処理して欲しいと頼まれた。
 相当の本があるので、とても2階から持って降りる事は、足も痛いので出来ないと言う事だった。
 車に積んで帰る事にした。
 本の量は凄く多かった。
 階段を重い本を持って何回降りたか分からない位だ。

 車にばらばらに積んでGHに戻る。
 そして家で本の整理をした。
 歴史が好きだったので、その関係の本が多い。
 私の好きなジャンルの本が沢山あった。
 何と言っても驚いたのは、松前町史が全巻と椴法華町史、森町町史もあった。
 これらは1冊で8千円もする物0だが、我々には手が出ないのでいつも図書館で見ては、必要な所を写すだけだった。
 貰ったお陰でじっくり読めそうだ。




 後は、「紺血碑の会」の書類が段ボールで5〜6個あった。
 関さんが事務局長だったが、殆どを一人で切り盛りしていたそうだ。
 亡くなった後は、皆高齢で引き継ぎも決まっていない。
 関係者に電話して、取り敢えずGHにあずかる事にした。
 運営が難しくなりそうな雰囲気だ。
3月30日(木)登山は中止、地元の方と懇談
 鎌鹿さんと、坂口さんと私の3人で山に登る積りだったが、雨なので止める事になった。
 朝は朝日も出ていたのだが・・。

 ホテルで別れる事になった。
 恵山も頂上は見えない。

 私は昨日懇談会で会った、元観光会会長の家を訪問する。
 昨日是非来てと言われていたので、即実行だ。
 恵山の旧道の話しを暫らくしたが、その内近所に松浦さんという山に詳しい人がいると言うので、そちらの方を紹介してくれ、家を訪れた。
 元郵便局長で毎日山に行っているという。
 伺った時に山に行く時間は良いですかと聞いたら、もう行って来たという。
 早いな。
 旧道の話しをする。
 恵山から椴法華に至る旧道は、今の車道の他に道があって八幡川に至る道が旧道だそうだ。
 今の八幡川コースは登って来て尾根を進むが、尾根には上がらずに平坦地を歩いたそうだ。
 道は分かったが、今は道が崩れてしまって歩けないそうだ。

 他に旧道の椴法華に至る道だと思った道は、木の切り出しに使った道と分かった。
 お経岩を掘り直した飯島さんも知っていて、彼は歩いて峠を越えたのでは無く、自転車を押して峠を越えていたそうだ。
 菓子商だが、お菓子はサンプルだけを持って歩き、注文を取って歩き、次回に来た時に持って来ていたそうだ。
 自転車の後ろに箱を積んで、そこには飯島商店と書かれていたそうだ。
 お経岩については松浦さんも新しくなる前の物を見ていて、はっきり文字が読みとれる程では無かったそうだ。
 彫っている深さも浅く、墨で書いただけなのかと思ったそうだ。
 そんな事で新たに彫られた克明な文字は、誰の良い分が正しいのか分からないそうだ。
 3時間くらい話して帰る事になったが、奥さんが旦那さんに、しばらく振りにこんな長く話し会えてよかったねと言っていた。
 普段は本当に話す機会が無いんだな。

 帰り道は雨だった。
 天狗岳も雨に煙っていた。

3月29日(水)恵山観光に係わる懇談会
 函館市役所恵山支所の主催で、「恵山観光に係わる懇談会」に出席した。
 10時半にホテル恵風に集まり、11時少し前に私と、山のベテラン坂口さん、自然倶楽部の鎌鹿さん、恵山支所2名、北海道新聞記者、函館新聞記者の7名で出発した。
 歩く道は「磯谷道」でもう5〜6年前になるが、廃道になっていた道を発見する事が出来た。
 冊子に纏めて関係先には配布していたが、この旧道を恵山地区のイベントで使えないだろうかという事で、実際に歩く事になった。
 恵風から水無沢の砂防ダムを横切って、急な斜面をジグザグに登って行く。

 山道にはまだ雪が残っていた。

 急斜面を登れば道は緩やかになる。
 道の途中の倒木が鹿により綺麗に川が食べられていた。
 こんな見事なのは山のベテランの方々も見た事が無いと言う。

 周囲には鹿の糞が物凄い量落ちていた。

 やがて磯谷峠に到着。
 ここで皆で記念撮影をする。

 ここからは下りである。
 旧道の面影を残した、雰囲気のある山道を下って行く。
 古い瓶が落ちていて面白い。
 下の写真は巴商事のガラナ。
 今は会社は無い。



 そしてこのコースのハイライトである、「お経岩」出てくる。
 堀川乗経の作と言われる、見事な彫刻がある。

 これは既に風化した文字を、行商でここを通っていた飯島さんが、店の創業50周年を記念して当時で12万円を掛けて彫り直した。
 所が宗教関係の某氏から、この文字の一部が当時と違うとクレームが付き、現在は不明のまま推移している。
 そんな事が有るのだが、高さ7mの岩に書かれた文字には圧倒される。
 参加した皆さんも凄いの連発だった。

 昼食を広場で食べて下る。
 恵山支所から車が迎えにくれて全員乗る。

 途中作年ボランテイアで作った新しい登山道、恵山高原コースの入り口に新しい案内板が出来た。
 なかなか見やすくて良い。



 この案内板は今後他のコースにも順次取り付けるそうだ。

 ホテル恵風に戻って4時から懇談会を行う。
 奥平教授が座長で、市役所関係、山の関係、鳥の関係、観光関係、新聞社、旅行社等19名が集まった。
 最初に挨拶が有って、自己紹介が有って、懇談会に入る。
 寺沢課長から、今までの経緯や新たに作ったトレッキングマップの紹介があった。
 マップは畳めば小さくなって、広げればコース図や花などが書かれており便利だ。
 次に私が恵山の古道についてのプレゼンを行う。
 その次に自然倶楽部の鎌鹿氏から、はこだて東部・見どころ・食べどころのプレゼンが有った。
 その後自由討議をして閉会。

 2次会になり、恵山の観光に対する自由討議は大いに盛り上がった。
 恵山を何とかしようとする熱い人が多い。
3月28日(火)山岸多吉の子孫調査2
 今日も山岸多吉の調査をする。
 今調査しているのは、勝五郎の子孫を追っているのだ。
 東京の日野市に生まれ変わりがあった事実があった。
 勝五郎という子供が日野市の程久保で生まれ、そこ子が8歳になった時に、姉や弟に自分は藤蔵の生まれ変わりだと言い、当時の出来事を克明に話した。
 その事について調べたら、藤蔵の家はあって、藤蔵は子供の時に疱瘡で亡くなっていた。
 それがあって、色々な人が聞き取り調査したが、全く言っている事に間違いなが無く、此の事を色々な方が書物にした。あの小泉八雲も書いて海外にも発信された。
 そちらの方は調査も全て終わって、かなりの膨大な資料が、日野市郷土資料館で色々な形で出版している。
 今度は勝五郎の子孫について調べを拡大して行く。
 調査はユークで市民調査団を結成して、市民の中で興味のある人が参加している。
 調査費用は市から出るそうだ。
 今回函館に調査来たのは、勝五郎の妹のツネの子供トメが森津周平と結婚し、その娘の一人が函館の山岸商店に嫁に来た事が判明したのだ。
 森津周平は目籠を作っており、その商品を函館の山岸商店に送っていた。
 勝五郎も籠を作るのが得意だったので、延々と続く歴史が面白い。
 函館で商売していた場所は図書館に行って、古い商工名簿を調べたら載っていて、その住所の昔の地番を、法務局に行って調べた。
 行ったら、その場所は函館ロイヤルホテルのベーカリー販売店になっていたが、店は既にやっていなかった。
 近所に聞き取りをしたが、山岸商店を知っている方が数人いた。
 でもその後、山岸の子孫は、どうなったかは分からなかった。
 函館の山岸性を調べて、廻り歩いたが、奥さんの事を知っている人は数人いたが、その後どうなったかは分からなかった。
 そんな事を今日一日やっていた。
3月27日(月)山岸多吉の子孫調査
 日野市郷土資料館で「ほどくぼ小僧勝五郎」という歴史上の人物について、市民参加の調査団を結成して10年経つ。
 その関係者が函館に移住して、その名前が山岸多吉と言う方で西川町で、雑貨店を営んでいた。
 その人の子孫調査に、日野市のIさんがやってきた。
 古い商工便覧から西川町で店を出していた。
 その場所の特定と彼が亡くなった後に奥さんが店を継いでいたという所まで情報が有る。
 その後、どうなったかを調査しに来たのだ。
 まずは船見町に行く。
 ここの古い地図に山岸さんという家が有る。
 その場所には山岸さんはいなく、付近の人に聞きまわった。
 しかし不在やもう住んで居ない家が物凄く多い。

 立派な石垣の上に家が有る。

 写真の家は庭が有って凄い建物だった。
 でも夫婦は既に亡くなって、放置されれていた。
 
 聞く事が出来たのは数件だった。
 その中の最後に、店をやっているおばあちゃんが、山岸さんを知っていた。
 その娘さんが近くに嫁に行っていると言う事だった。
 おばあちゃんが言うには前には時々店に来ていたが、最近来なくなったと言う。
 体調が悪い様だとも言っていた。
 家に行ったが誰も出てこない。
 明日にしようとなった。

 他の店をやっていた西川町に行く。
 店のやっていた場所に立っていた網屋さんに聞いたが、先代はもう居ないので良く分からないと言う。
 向かいの降るそうな店に行った。
 明治からやっている飴屋さんがあるのでそこに聞いたらと言ってくれた。
 明治の建物は内部も凄かった。
 でももう時代が変わって知らないと言う。
 なかなか難しい。

 図書館に行って明治8年の市内の地図を見る。
 山岸さんの奥さんの家の場所がった。
 でももう遅くなったので明日にする事にして調査は終わった。
 
3月26日(日)Sさんが亡くなった
 今日ものんびりTVを見ていたら、Sさんから電話が来た。
 Sさんは入院中で話しも出来ない筈だが・・と思ったが、出たのは奥さんだった。
 先日貸した本はもう返さなくて良いよという。
 聞いたらSさんの容態が急変して、19日に亡くなったそうだ。
 GHでは新聞を取っていないので全く分からなかった。
 家に伺ったのは15日で、その時は既に入院していた。
 奥さんが病院に行くと言うので、持って行った「丸山竜神の参拝道」の自作本を見せてあげて下さいと於いて来た。
 そして15日にSさんからメールが来て、「状態は妻に聞いて分かっていると思う。丸山の本は読んでいます」と書いてあった。
 本を読めるのならと安心していたが、その4日後に亡くなったそうだ。
 82歳だった。
 もう初七日は終えていた。
 娘さんが来ているので、対応が出来ないそうで。
 31日なら良いと言うので、伺う事にして電話を切った。
 昨年は随分家に伺った。
 歴史が好きな人で、お互い話しをすると長時間話し込んだ。
 懐かしい思い出が浮かぶ。

 多量の本が有るので、一度見に来て欲しいとの事だった。
3月25日(土)桔梗に行く
 朝から恵山の講演のスライドを作って何とかほぼ出来上がった。
 月、火と所用が入っているので、早く作らないと間に合わなくなるので急いだ。
 昼には桔梗に行く。
 孫たちとも会って、愛葵に「部屋は綺麗になっているの?」と聞いたら「がちゃがちゃになっている」言う。先週片付けたばかりなのに・・・。
 片付けようと2階に行ったらビーズが部屋中に散らかっていた。
 入れ物に入っていたのをひっくり返したのかな?
 こまいパーツなので時間が掛る。
 愛葵も手伝ってようやく片付ける。

 後は、孫達とトランプをやってしばらく遊ぶ。
 
 午後からはファイターズのオープン戦を見る。
 日ハム勝利だ。

 愛葵が靴を履いて見せてくれた。
 小学校に入学なので新しい靴を買って貰ったようだ。
 「可愛いね」と言ったら「何にか大人の様だ」という。

 こんな靴は今まで履いて無かったので、そう感じたのだろう。
 夕方美味しいカレーを食べて、風呂に入って9時には寝た。
3月24日(金)プレゼン資料作り
 今日は天気も良いので、外回りの清掃と薪作りをする。
 大きなべニア板が5枚あったので、これを電気鋸で切る。




 これでかなりすっきりした。
 今後は奥まった場所の清掃に入る。
 清掃も終えて家で一休みしていたら電話が入る。
 函館市役所恵山支所のM課長からだった。
 「29日は宜しくお願いします」との言葉と「プロジェクターとスクリーンは用意しておきます」
 との事だった。
 「今回は時間も短いし、言葉だけで話そうと思って居たのに・・・」
 どうやら地元の方と報道の方も聞くそうだ。
 「それじゃプレゼン資料を作ります」となり急遽製作した。

 5時間くらい掛って80%は出来たので、今日はここまでにする。
3月23日(木)今日もTVばかり見てた
 朝から下海岸の国土地理院の地形図をコピーして、張りつけ今まで歩いたコースに赤鉛筆でマークをした。
 見て見ると随分歩いているなと分かる。


 今日は森友学園の、証人喚問があったのでこれもずっと見ていた。
 質問側も答える側も、お互いが証拠が無い中の発言で、結局はどちらが正しいのか素人には判断が出来ない。
 100万円を手渡した場面だが、かなり生々しい話だったが、結局は水掛け論になるので、もし偽証でも、証拠が無いから偽証罪にはならないのだろうな。
 安部首相夫人が出てきてもあげていないとなるだろうから、結局は真実は分からないと言う事になるのだろう。

 その後はWBCの野球の決勝を見ていた。
 多くのメジャーリーグがいる試合は迫力があって面白かった。
 結局はアメリカが大差で勝って野球発祥の地の面目は保った形だった。

 終わって薪ストーブの灰汁を金属のざるで灰汁以外のものと分離して袋に入れる。
 解体木材を使っているので、釘やその他の金属が多数混じっている。




 
3月22日(水)TVばかり見てた
 今日も朝からプレゼン資料作りをする。
 「函館の歴史的風土を守る会」の総会での講演を頼まれたのだ。
 5月の始めなのだが、4月の後半は忙しいので早めに作っておくことにした。

 旅の話ではイザベラバードの話しをするが、特に金山町の話しを重点的にしたい。
 イザベラバードがロマンチックな町と日記に書いた所で、今でも凄くロマンチックな町だった。
 古民家風の家を、地元産の杉の木で家を建てると数100万円の補助金が出るのだ。
 そこで街全体が古民家風で良い感じなのだ。

 良くあるメインストリートだけがリニューアルしていない。
 町の隅々まで古民家風になっている。
 役場の人に話を伺ったら、観光のためでは無く、地元の人が心地良く住める街づくりをしていると言う事だった。
 年に20軒立てば10年で200軒になると、ゆったり構えている。
 町の雰囲気が良いので結局観光客は来る事になった。
 何も無いが町を歩くだけで皆満足して帰るそうだ。
 そんな話をしよう。
 歴風会は古民家の保存を考えている会なので丁度良いだろう。

 10時過ぎからはWBCを見る。
 良い試合だったが、結局エラーで2点を取られて、負けてしまった。
 大きな試合でエラーをしないという事は重要だとつくづく思う。

 午後からは高校野球の札幌第一高校の試合を見る。
 こちらも完敗。
3月21日(火)家に閉じこもり
 今日は気温が2桁になると言っていたが、風が強くて体感温度は低い。
 朝から坂口さんから借りた、函館山岳会刊で阿部たつおさんが書いた「身近の山」を読んでいた。
 昭和37年の発行で、中身は昭和8年位からの山行記録が書いてある。
 非常に楽しく読める本である。
 それは私が高齢だからでもある。
 車の無い時代の歩きはどうであったかが良く分かる。
 私もこの車の無い時代を経験しているので、思わずそうだったなとなる。
 当時の横津岳登山は凄かったようだ。
 函館駅に行くと5000人もの人が居る。七飯の駅で降りると、駅前は大混雑になる。
 こんなに登山者がいたのには驚く。
 さらに山に登るのが主では無かった。
 戦時中なので健康増進の意味合いもあったので、とにかく歩く事が主なのだ。
 例えば恵山に登りに行くとなれば、湯川温泉終点で電車を降りて、後はひたすら恵山まで歩くのだ。
 そして原田温泉に1泊して、翌日は恵山に登って、椴法華に降り、海岸線を鹿部まで歩いて汽車で帰って来る。とこんな具合だ。
 とにかく驚く距離を歩いている。
 車が無いので殆どが縦走している。現在の様に車に戻る事が無いのだ。
 この本の中で雁枇山は非常に面白い。
 山に登る以外に、周辺に沢山の道があるのには驚いた。
 今年の冬に行った道も載っていた。臼尻街道と言う道だった。
 余りにも良い所なので、山麓に山小屋を作ろうかとの話しもあったのだ。
 本に書いてある道が今でもあるのか、調べながら読んでいるので、まだ全て読んで居ない。
 
 夕方に東京の学芸員の方から、山岸音吉さんの調査に行きたいので協力して頂きたいと電話があった。函館で商売をしていた方で、大火で焼けて場所を移し、その後どうしたのか知りたいそうだ。
 どうやら、箱館戦争とも深い関係があるようだ。
 昨年会った時に、少し話を聞いていたが、さらに色々な事実が分かったので、調査に来るそうだ。
 27、28日で良かった。
 29、30日は恵山で打ち合わせが有る。

 29日の打ち合わせ会で30分話しをしてくれと言われていたので、原稿を書いたが、恵山周辺の旧道だけでは30分持たない。旧道全体で話しをしよう。
3月20日(月)忙しい一日
 もう朝も寒さが薄らいできた。
 大森浜の太陽も汐首岬の沖に上がっていたのが、今は山の上から上がって来る。
 今日の釣り人は7人居た。



 皆、ルアーなのでサクラマス狙いだ。
 海岸そばのイエローハットで釣った魚のサイズを登録しているそうだ、昨日娘夫婦が行った時は60cm級のサクラマスが登録されていたそうだ。
 
 家の周りの掃除を今日もする。
 燃えるゴミは13袋もあった。
 これは近くの焼却場に持って行く。
 S君が居た。
 もう桔梗高台のPG場がオープンして凄い人が入っているそうだ。
 そろそろ練習もしなくてはならない。
 帰って来て、燃えないごみを七五郎沢の処分場に持って行く。
 昔の父の部下だった人が二人も居た。
 
 帰ってから赤飯を炊く。

 炊いている間に、冬タイヤを夏タイヤに交換をする。
 
 終わって先日山に登った皮の登山靴に油をつけて磨く。
 皮製は毎回油を塗らなくてはならない。
 でもきっと磨いている間に、登った山の事を思い出す。
 手入れが必要なだけ愛着が湧くのかもしれない。

 さらに薪ストーブから出た灰を、網かごで不用品を除去して、灰のみを集める。
 桔梗の畑に入れて、土と混ぜれば良い土になるそうだ。

 今日の最後は印刷インクを買いに行く。
 近くのダイソーに無かったので、五稜郭の方までママチャリで行ってきた。
 これで4時になってしまった。
 今日の仕事は終わりだ。
3月19日(日)大森浜で釣り
 桔梗を朝遅く出て自遊旅に戻る。
 家の周辺を片付けてから、TVで日ハム対広島の練習試合を見る。
 その内2時になったので、娘夫婦と下二人の孫が釣りに来ている筈なのでチャリで行く。
 友瑛は竿を使って釣りをしていたが、なかなか遠くまで投げられないので厳しい。





 波打ち際の少し先までしか行かない。
 愛葵は貝殻を集めたり、砂をいじって遊んでいた。

 砂に「まま?」を書いていた。
 やっぱりママなんだな。

 友瑛と愛葵は本当に仲が良い。

 友瑛もまだ集中して釣りが出来ないので、数回借りて釣りをした。
 そうしたら何回目かにカレイが釣れた。

 その内愛葵が寒がったので、GHまで歩いて連れて行く。
 そのままスーパーラルズに行ってチョコを買う。
 勿論友瑛の分も購入した。
 体も温まったので、今度は車で釣りの場所に行く。
 しばらくして旦那さんがカレイを釣った。
 娘は残念ながら今日は釣り果が無かった。
 風はまだ冷たいが、久しぶりの釣りは楽しかった。
3月18日(土)桔梗で孫と遊ぶ
 今日は特にやる事も無い。
 瑞葵と両親は中学校の指定ジャージィを買いに出かける。
 友瑛と愛葵は家にいると言うので、まずは子供部屋の片づけをする。
 部屋が片付いたら大きなスペースが出来る。
 いつもの野球をやる事にする。
 柔らかいボールとプラスチックのボールでお互いに攻撃と守備をする。
 おじいちゃんでも昔取った杵柄だ。
 函館工業高校野球部のメンツもある。
 とは言っても友瑛はまだ小学2年生なので、じいちゃんには叶わない。
 4ホームランを打って快勝した。
 まあその内に負けるだろうけど。
 結構長い時間遊んだのですっかり汗をかいた。
 子供の動きには付いて行くのは大変だ。

 午後からはコンサドーレの試合と日ハムの試合を見る。
 コンサドーレが待望の1勝をして勝ち点3を上げた。
 
 桔梗はWi-FIが使えるので、ここに来た時はやる事が沢山ある。
 まずは地形図を70枚くらい、国土地理院のHPからコピーした。
 国土地理院の地形図はロックが掛っていて、印刷できない。
 いつもFn+PrtScでコピーして、画像ソフトに張りつけ、必要な所を切り取っている。
 枚数が多かったので大変だった。
 この地形図を全て繋ぎ合わせて、調べた旧道や登山道を書き込んで行く。
 後は家に帰ってプリントアウトして繋ぎあわせよう。
3月17日(金)孫、瑞葵の卒業式
 昨日の夜中に、明日の瑞葵の卒業式に出るの?との妻からのメールが入っていた。
 17日が卒業式式だと知った。
 急いで朝食を食べて、スーツの用意などをして桔梗に向かう。
 瑞葵はおめかしして、8時少し過ぎて家を出て学校に向かった。
 友瑛と愛葵は友達の家に預かって貰う。

 我々は8時半に出発し、途中長男と次女を預かって貰って学校に行く。
 玄関で並んで待っていたが、風が冷たい。
 やがて校内に入った。
 廊下には卒業生の父母への手紙かな?写真と共に置かれていた。

 廊下で暫らく並んでようやく体育館に入る。
 体育館は椅子席で満杯状態だった。
 やがて卒業する6年生が入場して来る。
 入って来る瑞葵を撮ろうとしたが、見えないのでカメラだけを高く上げて撮ったがフレームから外れた。
 後は卒業証授与式だ。

 何人も前から構図を決めておいた。
 後ろ向きで受けるので、受ける姿と上の「70回 卒業式」の文字を入れる事にして1発勝負だ。
 上手く撮れた。

 全員で108名なのでかなり長く続く。
 中には号泣して受け取れない子もいて涙を誘う。
 我々の時代にはこの様に一人づつ貰った記憶が無い。
 人も多かったので、委員長が纏めて貰った様な気がする。
 校長先生の挨拶、PTA会長の挨拶、来賓挨拶と続き、卒業生と在校生の交換会があり、お互いに言葉で学校生活の事を、皆が一人づつ話す。
 式も終わって教室に入る。
 狭い教室が一杯になった。
 先生から最後のお話しがあった。
 瑞葵は担任の先生が大好きだったそうで、今日で別れる事で、号泣していた。

 今は悲しいが、将来にとっても良い思い出に残るだろう。
 自分の時は好きな先生は特に居なかったな。
 担任がかなりのおじいちゃんだったからかな?
 皆で記念撮影などをするが、皆直ぐに帰る雰囲気では無く、暫らく教室に居た。
 瑞葵の習字の作品もあった。





 ようやく外に出るが、廊下を歩くと在校生が拍手で送ってくれる。
 卒業生も嬉しいだろう。



 外に出ればまたそれぞれで記念撮影が始まる。
 太陽も出て青空になった。
 新しい中学校生活の前途を祝すかのようだ。

 一度家に帰って、夕食は焼き肉「番長」に行く。
 瑞葵が焼き肉大好きだから、良い選択だ。
 皆で乾杯しようとなったら、瑞葵が話しが有ると言って立ちあがった。
 「この6年間、お世話になりました。また中学校に行ったら見守って下さい」とお礼の挨拶をした。
 こんな事をしっかり考える年齢になったんだ。
 瑞葵は小さい時は良く一緒に歩いた。
 特に長い距離を歩いても平気だった。
 そんな小さい頃の思い出が蘇って来る。
 焼き肉や寿司や他にも色々と、皆、お腹いっぱい食べた。
 それでもまだまだ食べれなかった物も多かった。
 最後に友瑛が、クレープを作ってくれた。
 友瑛も気のきく親切な子だ。
 中を開けたら、マシュマロにチョコレートと掛けたのとパインが入っていた。

 勿論美味しかった。
3月16日(木)春の山道散策
 今日は頼まれていた山案内の日。
 天気は快晴で気温は+6度の予定で絶好の登山日和だ。
 戸井方面も雪は全く無く、春が既に来ている感じだ。
 弁財町から少し山側に入って駐車する。


  早速林道歩きからスタートする。
 少し行った砂防ダムの水も雪解け水が増えて綺麗だ。


  青空と山のコントラストも良い。

  戸井川に流れ込んでいる金掘沢川に方向を変える。
 昔砂金でも採れたのだろうかと思わせる名前だ。
 北面には滝がまだ凍りついている。


 道は急な斜面を登って行く。
 距離は短いのであっという間にピークに着いた。


 ピークからは尾根をひたすら登って行く。
 それほど急な斜面は無く、徐々に徐々にと高度を上げて行く。


 やがて山道野ピークに近づいてくる。

 この辺りは木々も無く展望の良い場所になる。
 松の木が所々にあり、良い雰囲気を醸し出している。


 展望は良く、西側と北側そして南側が良く見渡せる。
 汐首の電波塔の景色も裏側から見る事が出来る。(写真撮って無かった)
 北西にあるピークに道が付いていて、こちらに興味が湧いた。
 あの道を登ればピークに着けそうだ。
 また調べよう。


 この小さなピークは電波塔の北側にあるピークで、こちらも景色が良さそうだ。
 行きたい場所が次々出てくる。


 東側には恵山と海向山が頭を少し出していた。

 雪が増えて来た。
 今日は雪がもう無いだろうとカンジキは持って来なかった。
 壺足で歩くがズボズボっと埋まる。
 どうやら私が一番埋まっていた様だ。
 この写真の先までは何回か来ているが、今回は戻るルートを新しいルートを辿る事にした。
 道はあるかどうか分からない。


 どの辺りから323mのピークの裾を回ろうかと、周囲を見ながら歩いていたら道が見えた。
 323ピークの反対側には林道が有るのは知っていたが左回りでは距離が長くなるので、右回りで生きたかった。


 これだと全く大丈夫だ。
 途中で熊の足跡と、木に新しい引っかき傷があった。
 先週も今週も熊の足跡があった。
 もう熊さんも出てくるし―ズンになったのだ。


 この山道の途中で昼食を摂る。
 食事を終えて出発前に一枚記念撮影。
 今日の登山服装は昭和の登山スタイルを意識した。
 ハンチングをかぶり、ニッカは背広のズボンを使って、手縫いで自分で仕上げた。
 長いストッキングを履いて、靴はかもしかスポーツの革製の登山靴だ。
 年寄にはマッチしている登山スタイルかもしれない。


 323mピークを回り込んで尾根道を行く。
 道は尾根にしっかり付いている。
 後はこのまま進んで行けば良い筈だ。
 カンジキを持って来なかったので埋まりながらの歩きも随分な長い。
 何度かのアップダウンを繰り返して進む。


 途中に面白い木が有った。木が紐を結んだようにぐるっと捲かさっている。
 まだあまり伸びていない時に何かが有ったんだろう。


 三等三角点の「上堤」が近かったので、挨拶に行ってる。
 初めて今回来た方も居たのと、前回は雪に埋もれていたので、寄る事にした。
 今日は頭だけが見えていた。


 さらに下る。
 この写真の道は前回来た時は通っていなかった。
 尾根を歩いて行ったが、こちらの道が正解だった。


 新しい道を行ったら、観音のあるコースから外れて行く。
 戻ろうかと考えたが,新しい道にも興味がある。
 そのまま下る事にした。
 このコ−スも事前調査で、下りの選択肢にはなっていた。
 途中でGPSを見ながら、今日のインプットした予定ルートから外れていないので、なんでだろうと思っていた。
 到着して気が付いたのだが、今回2つのルートを想定してコースインプットしたが、そのもう一つの方を見ながら歩いていたのだ。
 だから予定とは違うコースに来てしまった。
 でも自分としてはこちらの道に興味がある。


 途中には今年初めて見た、可愛らしい福寿草があちこちに咲いていた。

 道はしっかりり着いていて、結局車の直ぐ近くに降りる事が出来た。

 今日は長いコースを歩いたが、6時間の長い山行であったが、天気も良かったので楽しく歩く事が出来た。
3月15日(水)家の周辺の掃除
 今日も天気が良かったので、家の周辺の清掃をした。




 昼まで作業して家に入り、まったりしていたら、坂口さんから電話した。
 今日北斗市の天狗山周辺を歩いたが、国土地理院の天狗山の他に天狗山が有り、そこにテープで天狗山と書いているとの事だった。
 ここに行った人がヤマレコに投稿しているそうだ。
 投稿に付いていた地図はゼンリン地図だった。
 国土地理院の地図に書かれた天狗山の西の方にある。
 一体どちらが正しいのか?
 電話で話したが何か気になり坂口さんの家を訪問した。
 この天狗岳は箱館戦争で友野栄之助が新政府軍と戦った山で、水原久蔵氏の書いた絵には塹壕が3ヶ所書かれている。
 私も国土地理院の天狗岳を、戦いの場所と考えて、塹壕探しをしたが未だに見つかっていない。
 色々話したが、結論としては、どちらが正しいのかは判断が難しい。
 他の山にも深く掘られた場所が有ると言う情報も得たので、今度行って見ようと思う。
 この話の後は、色々な話しをした。
 坂口さんが出版予定の山の本の仮刷りも見せて貰った。
 文章は読まなかったが、山の写真が凄く綺麗で、構図も良く、こんな山なら登って見たいと思わせる本だ。
 もう直ぐ完成したら販売するそうだが、安い価格で提供してくれるそうだ。
 カラー写真満載で楽しめる。
 文書もきっと面白いに違いない。
 発行日が楽しみです。
  帰りに函館山岳会の阿部たつをさんの書いた「身近かの山」を借りて来た。
 昭和37年発行の本で、中身はまだ読んではいないが、目次を見てもワクワクする内容だ。
 概念図も6枚入っていて昔の登山ルートが分かりそうだ。



3月14日(火)病との戦い
 本州の歴史関係の方か、Sさんが事務局をやっている某会の会報が届かないがどうなっているか知らない? と電話が来た。
 私も親しくしていたが、そう言えば最近家に行っていないなと思い電話をした。
 呼び出し音は鳴っていたが、出なかった。
 翌朝も電話したが、今度は呼び出し音も無く、繋がらなかった。
 家に伺うことにした。
 奥さんがいて話したが、本人は昨年の9月に入院していた。
 血液に黴菌が入るという病だったそうだ。
 そちらの治療は直ったが、今度は以前から悪かった肺の具合が悪くなり、酸素を今まで1〜2(単位は分からないが)供給していたが、7位の供給になっていた。
 本人はもう覚悟している様に、奥さんに突然亡くなっても覚悟を決めておくように言われたそうだ。
 入院した当初は、退院したら車も乗ると言って、保険も継続し、ディラーに頼んで冬タイヤの交換もしていた。
 入院してからは体重が17kgも低下して、もうベッドから降りて歩ける様な状況で無くなっていた。
 面会したい思って話したが、本人はもうこんな姿を見せたくないので誰にも合わないと言っているそうで面会は諦めた。
 今回は私の作った小冊子を持って行ったので読んでくれるように奥さんに預けて来た。
 まだ82歳でまだまだと言う年なので凄く残念だ。
 原因もはっきりしないので、治療もはっきりした物は無いそうだ。
 何れ歳を取れば誰でも体力も落ちて病にもなる。
 でもそんな現実はなかなか受け入れられない。
 
 Sさん宅を後にして桔梗にく。
 今日はホワイトデーなので、お返しをしなくてはならない。
 なににするか考えたが、妻も好みが色々難しいから、ミスドーにしたらとなり、下の愛葵とミズド―に行く。
 長男と長女は友達に家に遊びに行った。
 孫も活発に動く様になった。
3月13日(月)家の周り清掃
 今日も良い天気だ。
 朝は4時から資料作りをして、食事後に清掃をする事にした。
 かなり綺麗になったが、まだ凍っている場所があって、そこが残っている。




 昼から気晴らしにママチャリで出かける事にした。
 行き先は蔦屋書店だ。
 秋田展をやっていて、大曲の花火も出展しているようだ。
 久しぶりのままちゃりは何か楽しい。
 入口にはなまはげが居て、その奥に大曲の花火ブースがあった。
 20号玉のサンプルが有った。
 今はこんな大きな花火は規制が有って上げられない。
 大曲は10号花火が一番大きい。
 打ち上げ場所と観覧席の間の距離によって決められている。
 10号より大きな花火を打ち上げれる大会もある。
 でも昨年、大曲よりも大きな花火を上げてた大会の花火が、観客席に飛び込む事故がある大会で有ったので、今年は難しいのかな?



 パンフレットもあり頂く。

 日本だけでなく外国の花火もやるのが目新しい。
 日本の様に、わびさびは無いが、とにかく華やかに打ち上げるだろう。

 夏の花火と少し違って、夏は桟敷席があるが、春はパイプ椅子を並べてチケットを売るそうだ。
 4月29日は12000発上がって、スターマインもやる。
 打ち上げ時間は1時間20分になる。
 席は前売りで、3000円だった。
 夏の桟敷は6人で18000円だと思ったが、椅子で3000円は割高感が有る。
 
 4月25、27、28日は、前売りは無して当日券が1000円だ。
 時間は45分なので短いな。
 土地勘はあるので、無料の場所で見よう。
 たまに裏側の高い所から見るのも良いかも。
3月12日(日)春の陽気
 ようやく春らしい天気になった。
 今日は快晴の予報だ。
 外に出て見たら空が明るくなっていた。

 しかし何処にも行かないで、家の周辺の掃除や薪作りをする事にした。
 雪が溶けたら、雪降る前に置いていた、木材がようやく出て来た。

 午前中いっぱいかけて、薪になる物は切って薪置き場に積んだ。
 不要なゴミは袋に3個分詰め、束に纏めたのが3束になった。

 ここはまだ凍っていて処理出来居ない。
 明日にしよう。

 薪置き場に積んだが、最近は暖かいので消費が遅くなっている。
 これで1週間は持つだろ。




 もっとやりたかったが、下の方はまだ凍っていて、ひき剥がせない。
 諦めて明日にでもやろう。

 夕方スーパーに行く。
 玉子が無くなっているが、暫らく買えないでいた。
 自遊旅では新聞をとって居ないのでチラシが入ってこない。
 今日は日曜日だから、バーゲンをやっているだろうと、2時に行った。
 そうしたら玉子が100円であった。
 一度買って再び行って、2ケース購入した。
 これで暫らく大丈夫だ。
 何か100円玉子が買えると嬉しい。
3月11日(土)東日本大震災6年
 東日本大震災から6年経ったが、まだまだ元に戻るには時間が掛るようだ。
 あの日はTVにくぎづけになった。
 悲惨な画面をずっと見ていたら、具合が悪くなっていた。
 日本はこれからまだまだ地震が起きる可能性が高いそうだ。
 地震歴史学者と言う方がいるそうで、科学的な手段で無く、過去の津波の歴史から、はっきりした次の地震の発生が想定できるそうだ。
 北海道の根室沖が一番危ないそうだ。
 海と陸のプレートが60cmもずれていつ起きてもおかしくないそうだ。
 M9位の大地震が起きる可能性が高いそうだ。
 小さな地震は相当数発生している。
 確かにテレビで出る地震情報は根室方面が多い。
 準備をしなさいと言われても難しいだろうな。
 とにかく逃げるしかない。

 自遊旅に泊まった旅人も被災した。
 津波が家の中まで来て、お父さんが流された。
 それを救いに海に飛び込んでお父さんを助けたと言う若者だ。
 お父さんは流木に足を挟まれて、怪我をし不自由になった。
 そのお父さんを連れて、恐山に行った帰りに、ねぶたサマーキャンプ場に居た、私を訪問してくれた。一緒にお母さんもやってきた。
 足は不自由だったがお父さんも元気そうだった。
 親思いの良い若者だった。
 彼はその後、四国お遍路に行った。
 色々な思いが重なっての、お遍路なんだろうな。 

 向かいのお兄さんに引っ越しが入ったそうで、不要のタンスなどを持って来た。
 これから引っ越しシーズンだ。
 明日、色々な物が入るから来て見てと言われたので、行って見よう。
 掘り出し物が有るかな?
3月10日(金)天気が悪い
 今日も雪がちらついて天気は悪い。
 もっぱら資料作りに明け暮れる。
 あまりパソコンに向かっても疲れるので、カメラの修理をする。
 実はデジカメが壊れたと言うか、レンズの前のシャッターが上手く開かないのである。
 この手のカメラでは良く起こる現象なのだが、いくら調整をしても開かない。
 どうするか考えた末、レンズの前のシャッターを開けたままにしたらどうだろうかだった。
 カメラに依っては、センサーがあってシャッターが開いたままでは動かなくなる可能性がある。
 シャッターを手で閉めたまま、電源を入れたが入った。
 次にシャッターを開いたまま、電源を閉じたらレンズが格納された。
 これなら大丈夫だろう。
 シャッターを開いた状態で、ボンドで接着してしまった。


 乾いた状態で電源のON,OFFしたが問題無く動いた。
 せいぜい問題になるのは使っていない時にカバーが無いと言うだけである。
 (下の写真は電源が入っていないがレンズカバーは開いたまま)

 その状態でレンズに物が当たれば、傷つくが普段の撮影では当然カバーは無い。
 (下は撮影時で当然カバーは開いている)

 普段はソフトケースに入れておけば良い。
 あちこち探したらソフトケースもあった。

 カメラが使える。
 他に安いデジカメはあるが、倍率が5倍なので物足りない。
 直ったカメラは10倍でGPSが付いている。
 確か1万8千円くらいした。
 今では中古で5000円位で買えるのだが・・。
 我慢して使おう。
3月9日(木)今日もほぼ閉じこもり
 今日も湿った雪が降っていて、外に出るのは億劫になる。
 気温は4度と高いので、薪ストーブを焚くと熱くてシャツ1枚で過ごしている。
 止めると少し寂しいかなと言う状況だ。
 薪は材木屋さんから貰った事もありまだ相当残っている。
 10列薪を積んだが4列は使ったがまだ6列は残っているようだ。
 太い柱のまだ切らないものは、まだ30本くらいはあるので、3年位は現状のやり方で大丈夫だ。
 材木屋さんが又くれると言っているので、安定した感じで薪の確保が出来そうだ。

 向かいのお兄さんが居たので、暫らく話しをする。
 車を置いていた車庫がすっかり綺麗になっていた。
 やはりリサイクルショップをやろうと思っているらしい。
 今まで引っ越しなどを手伝っていた、仲間もみんな仕事についたので一人で手が回らないそうだ。
 それなら軌道に乗るまで手伝ってやるとなった。
 商品の写真を撮って、その説明を書いたものを外に張り出す。
 お兄さんも、引っ越しやら除雪やらをしているし、夜は自分の経営しているスープカレーの店もやっているので、忙しく常時居ないので、お客さんが来ても対応出来ない。
 商品説明とショップの開く日を書いておけば、欲しい人はその時に来るだろう。
 その方式で一度やって見ようとなった。
 土曜日に不要品が沢山入って来るので、その商品から始めようとなった。
 お兄さんは古物商の許可書もあるので店を開くには問題は無い。
 
 夕方に少しの買い物に行く。
 レタス100円
 ホウレンソウ100円
 モヤシ23円
 白菜1/4 130円
 キュウリ 3本 100円
 こんなに買って453円だ。
 これで暫らく持つ。
3月8日(水)家で色々と
 昨日山に行ったので今日は休養日。
 昨日はWBCの日本対キューバの試合を見た。一人だと盛り上がりに欠ける面はあるが仕方が無い。
 勝って良かったのだが、一番の感激は中田翔が盗塁した事だ。
 昨年も1年で2盗塁だから全く走らないと思ったのだろうか。
 サインが出たのか自分の判断なのか分から無いが、痛快だった。
 
 雪が降ったり晴れたりと、変化の多い一日だったので家で過ごす。
 洗濯をして、資料作りを暫らく行った。

 今月の29日は恵山で、旧道である磯谷道を、函館市恵山支所や山関係、報道陣と一緒に歩く事になった。新たなイベントとして調査するのだろうか。
 磯谷道は旧道調査の中で見つかったもので、御崎町から恵山岬は回って行けないので、舟で行くか山越えしか無かった。
 山越えの中の旧道の途中に、高さ7mの石の正面に「南無阿弥陀仏」と書かれている。
 見た瞬間は驚く大きさである。
 諸説あるが、函館市の願乗寺川を作った掘川乗径が掘ったとされる。

 磯谷道を歩いた後で、旧道の話しを30分位して下さいと言われているので、どんな内容にするかストリーを考えた。
 話せば長くなるな。
 30分でさらっとやろう。
3月7日(火)新ルートを歩く
 今日は以前から頼まれていた、「村中」への案内をする。
 天気予報は曇り時々雪で、最高気温は+1度であった。
 前に日に雪が降ったので山はどうなっているか?
 前回は雪が無かったが、スタート地点からもう雪が有った。
 でも積雪は少ないので、かんじき無しで出発する。
 今日はいつもの4名の案内だ。

 平坦な道を40分進むが、新たに降った雪が真っ白で綺麗だ。
 二股から川を歩いて尾根に取り付く。
 ここからはひたすらほぼまっすぐに登って行く。



 景色を眺めながらのんびり登れば、厳しくは無い。
 山頂まで300m地点で右に折れる。
 こちらが明治の道だからだ。
 あくまでも旧道踏破は忠実に行かなくてはならない。
 ただ山頂に行くならば真っ直ぐに登れば早い。
 広大な広場に出るが、ここでは休まず一気に頂上に向かう。



 雪は結構締まって来ていて、それ程埋まる事は無かった。
 つつじの密集する頂上直下を越えれば山頂だ。
 結局2時間10分で登った。
 景色は良く見えて恵山や海向山、汐首岬などなど広範囲に見渡せる。
 


 頂上下にある三角点を探したが、まだ雪が深くて幾ら掘っても探し出せなかった。
 頂上から少し下った斜面で昼食。
 太陽も出て、木々の間で摂る昼食に春を感じて来た。

 下りは同じ道を下りたくは無い。
 新道コースもあるが、他のコースを提案する。
 広大な広場に下って、さらに登り尾根を行く。

 振り返れば今登った「村中」が見えた。
 登りは長いのに下りはあっという間だ。

 尾根の北側には松を植林した場所が有り、雪をかぶった松林が綺麗だった。



 尾根を少し進んで下りに入る。
 勿論初めてのコースになので、未知の世界だ。
 明治コースと新道コースの中間にある尾根になる。
 下って行くが、道は無いので適当に下る。

 藪は雪に埋まっているので難なく下れるが、粘土質の土もあり時々滑って転びそうになる。
 斜面も急なので、慎重に下る。
 半分くらい下ったら道が出て来た。

 尾根を横断している道だ。
 考える。
 左に行けば上に行きそうだ。
 ここは右に行く事にした。
 少し行ったらまた二股に分かれる。
 ここも右手は上に登っている。
 左の下に向かう道を下る。
 ここははっきりした道で深く掘れていて、昔から多くの人が歩いた道だと考えられる。
 斜面は急になり、ジグザグで下って行く。
 道はしっかり付いている。

 やがて沢に出た。

 どんな沢だろうか?
 近づいたら浅い沢だった。



 道が有るのだから深い沢に入りこむ事は無いとは思っていたが・・。
 沢は水も少なく長靴で充分に歩けた。
 暫らく澤の景色を楽しみながら下る。









 やがて登って来た道に出会った。
 後は平坦な道を車まで歩く。
 途中1個所だけ滑る斜面が有るので慎重に下る。

 トータル5時間の道のりだったが、楽しかったし、新たなルートも発見出来た。
 このコースは他にもコースが有りそうだ。
 また行って見よう。
 でも最初の登りコースに熊の大きな足跡を見た。
 もうそろそお目覚めの時期かもしれない。
3月6日(月)Fさんの家を訪問
 朝から三等三角点「村中」のガイドブックを作っていた。
 たったひとつのピークなのに、歴史や登山コースの多様化を加えれば、どうしても内容が増えてしまう。単に山に登るだけではなく、その場所に繋がる歴史を加える事に依って、登山の楽しみ方も変わって来る。
 まだ雪の中ばかりしか歩いていなので、花情報は入って居ないが、それらを含めると15ページ位にはなるだろう。花についても○○の花だと言うだけでなく少し掘り下げた内容で記載すればさらに楽しくなるだろう。


 9時頃に近くのFさんの家に遊びに行く。
 考えてみれば冬になって一度も行っていないので、本当にしばらくぶりだった。
 旦那さんと奥さんの3人で話すが、楽しい時間を持てて良かった。
 奥さんが言うには「家に一人で居るのでは無く。10人くらいの人と親しくなって、話す様にするのが良いと言われている」そうだ。
 考えてみれば私も一人で1日中居る事も多いので、話しをしない事も多い。
 これに慣れてしまえば、確かに人との付き合いが薄れてしましそうだ。
 夏には旅人も来るので、話す機会は多いのだが、冬時期にはどうしても家に閉じこもりがちになる。
 自転車旅などしていると数日間一言も話さない事もある。
 たまに人にあっても言葉が直ぐにで無い感じになる。
 もう少し人と接触しなくては・・。

 帰って薪の整理をしたりして、家の中に入れたりしているとあっという間に時間が過ぎて夕方になってしまった。
 もうすぐ夕食の準備だ。
 今日はじっくり煮込んだスジ肉にジャガイモを加えた料理があるのでOKだ。
 レタス100円、ホウレンソウ100円も1購入して来た。
3月5日(日)家の外の片付けなど
 朝起きたら洗濯ものを畳んで、同時に新たな洗濯をして干す。
 薪ストーブなので、直ぐに乾燥するのは有難い。

 その後は、昨日発見した明治の山道をガイドブックに追加した。
 つでに手直しもしたので、3時間も掛ってしまった。

 次に家の外回りの片づけをする。
 雪が有って処分出来なかった材木を薪用に切ったりして、半分くらいは処理した。
 雪が溶けたので雑然としている。
 3〜4日で片づけなくては。




 午後からは塔方面の調査した道を、地形図に書き込む作業をした。
 歩いた個所を赤鉛筆で記入したが、随分歩いたものだ。

 もう少しで戸井方面は全て歩いた事になりそうだ。
 春からは花の調査をする予定だが、戸井は道南でも暖かく、花の種類も多いので楽しみだ。
 今まで歩いた山道を徹底的に歩く予定だ。

 日中もストーブを焚いているが、もう暖かくなってきたので、汗が出る位だ。
 消して置いても良いのだが、桔梗から貰ったスジ肉を煮ているので、それも出来ない。
 明日までは全開で木を入れよう。

3月4日(土)明治の山道調査
 今日は村中方面の明治の山道調査に行く。



 気温は最高が+3度で丁度良い様だ。
 いつもの駐車場に入れてまずは、林道調査に行く。
 先日、藪を漕いで下って来た際に別な林道を見つけたのでそれの調査から始める。
 林道を歩いて行ったら川の手前に軽トラックがいた。
 何だろう?
 鹿撃ちか?
 足跡は自分の行く方向に向いている。
 間違って撃たれたら大変だ。
 きょろきょろしながら注意深く進む。
 林道を上がって行く。

 かなり良い感じで高度が上がって行く。

 暫らく行ったら木の枝が払われていた。
 そうか境界線の整備か。
 もうすぐ右手から地形図にある道路が来る筈だ。
 林道は行き止まりになり、右手には地形図にある道が見える。
 でもここから上に行く道は見当たらない。
 林道の上を広範囲に見たがやはり道は無い。
 何故かこの斜面には松が多い。



 村中もはるか遠くに見える。


 諦めて、来る途中に山の上側に登っている林道があったので、そちらを行く。
 しばらく歩いて行ったが、この林道も行き止まりだ。
 藪を漕いで上に登って行ったら、また林道が出て来た。
 右手に進んで行く。
 二股に分かれた。
 あれ見た事が有る。
 そうだこの林道は反対側から来ている。
 これ以上調査する事も無いので、以前上がって来た林道を下る。
 私の付けた赤テープもあった。

 しばらく下って行ったら、山手に上がる道が有る。

 行って見よう。
 ここも境界らしく、赤テープが付けられている。
 それに従って進む。
 かなり上まで登ったが、道は右手の方向に行く。
 私としては左手に行く事を期待したのだが・・・。
 左手に行けば尾根に出て、そこから村中には直ぐに行けそうだ。
 道が無くても藪は笹も無いので、直とすれば良い。
 地形も分かったのでさらに下って川に出た。
 ここはもう何度も来ている。

 また道探しだ。
 今度は明治の山道を探す。
 前回来た時は、ジグザグに曲がる道の最初のカーブを真っ直ぐに行けば、明治の道だろうと思っていたので、探したが全く道らしい雰囲気の場所は無い。
 かなりうろうろした。
 お陰で新道の尾根直登コ−スが見つかった。
 かなり急な道だ。

 この先は上から途中まで降りたので分かる。
 再度明治のコースを探す。
 いくら探しても見つからないな・・。
 もしかしたら川を登っていくのではないか?
 川は浅いので容易に歩けた。

 少し行ったらテープがあった。
 そうか道が先にある筈だ。
 さらに行ったらはっきりと道が見えた。



 早速登って行く。
 尾根を真っ直ぐに登る道なので結構きつい。





 テープはずっと付いていた。
 汗だくになりながら、村中の頂上まで300mの所まで来た。
 明治の道は頂上には行かずに、右手方向の鞍部に出る筈だ。
 右手に道はあった。



 それを辿って行くと、広場に出た。
 前回行った時も通った場所だ。





 後は、目の前の斜面を登れば村中に着く。
 今回は行かなかった。
 山道としては、新しい林道に吸収されてしまって、快適な林道になってしまった。
 やっと分かってルンルンで下る。
 急な斜面なので下りは、あっという間だ。
 結局4時間も山中をさ迷っていた。
3月3日(金)自遊旅に戻る
 朝に自遊旅に戻った。
 帰り際に大根とジャガイモといも餅を貰って来た。
 早速料理を作る。
 ひき肉があったので、「大根のソース煮」を作った。
 オイスターソースがあれば良いのだが、中農ソースで作った。

 沢山作ったので、残りは冷蔵庫で保管した。
 
 さらに洗濯をする。
 旅人用の布団を整理したが、その際に余った布団カバーも洗濯をした。
 洗濯を終えていたものを畳んで一連の洗濯業務は終了。

 山のガイドの執筆をする。
 結局3時過ぎまで掛って10ページを作った。
 単なる登山コースのほかに地名の由来など歴史関係も掲載するので時間が掛る。
 もうかなりのガイドが出来ている。




 夕方になって、向の整備工場のフリーウェイに行ってオイル缶を貰ってくる。
 これは車の版金に使う。
 後ろのフェンダー部分が腐って、風前の灯だ。
 このオイル缶を切ってフェンダー部分を製作するのだ。




 工場長に聞いたら全て捨ててしまうそうなので又貰いにくるよと言っておいた。
 実はこのペール缶はロケットストーブの製作に適していて、みなこれを使って作っている。
 暖かくなったらロケットストーブも作って見たい。
3月1日(水)3月になった
 今日から3月に入った。
 3月4月は三寒四温である。
 3日寒い日が続き、その後4日は暖かい日が続くと言う事で、春が近づいてくる様子を表している。昨年の3月の平均気温は3度である。
 今年は暖かそうだ。
 今日から1週間の予報でも4度になっている。
 地球温暖化が進んでいる値だとしたら心配だ。
 今日は平成28年度の「元気でサロンin明和園」の最終日になる。
 ストレッチらた始まる。
 昨日の山の筋肉疲労もあるので、丁度良かった。
 充分に筋肉を保護した。
 次の運動は新しく来たスタッフの若い女性の指導だった。
 大学時代少林寺拳法部だったそうで少林寺の型をやったが、これは結構運動になって楽しかった。
 最終日と言う事で、最後に決算報告や来季の計画など話し合った。
 私も最後の挨拶を頼まれていたので、数分話して終了した。

 昼食は赤飯だった。

 明和園の創立40年記念日が今日だった。
 いつもよりおかずも良かったかな。

 GHに戻って、台所の用品が欲しかったので100均に行って来る。
 金属たわし、流しの前に付ける物置はちょっとサイズが合わな草だったが、直せば良いかと購入。
 他に車にパテを塗ったが、研磨する耐水ぺ−パーも売っていた。
 1000番と600番を購入。
 これで塗ったパテの研磨が出来る。
 最近100均も良い物が増えている。
 自転車のボトルケースも100円であった。
 普通購入すれば1500円位する。
 デザインも良いし、今度行った時に買おう。
 LEDライトはかなり種類も増えた。
 ヘッドランプも15lmで100円で買えるのは凄い。
 やはり合わなかったので、曲げてカットしてぴったりに合わせた。



 HP TOP