5月31日(木 )5月も今日で終わり
 5月も今日で終わりである。
 寒い冬の1月から5ヶ月も経ってしまった。
 何と早いんだろう。
 昨夜は大坂と錦織のテニスを見てたが、特に錦織は最後まで目の話せない5セットマッチになった。
 最後は勝利したが手に汗を握る試合だった。
 お陰で目が冴えてしまい、なかなか眠られなかった。
 両者とも3回戦進出が決まった。
 
 昨日自遊旅に来た平神さんから頂いた、南茅部に関する資料をROMで頂いた。
 見たら凄い資料が入っていた。
 まだ全部見ていないが、一番感激したのは「南茅部山岳誌」だった。
 220ページに及ぶ大作で、三角点や水準点に行った時の記事と写真と、さらにその名に因んだ歴史が載っている。
 思わず見入ってしまった。
 パソコンだと読みにくいのでコピーした。


 下は記事の一部のハマナス岳だが、南茅部町の地番改正前以前に使用されたハマナス野に由来しいるそうだ。

 そんな事が沢山書かれていて、これは貴重な資料だ。

 また板木山と言うのもある。
 彼も全ての頂点には行っていないが相当数の場所には行っている。

 凄いな。
 この資料をもとに今度は機会がある度に行って見ようと思う。
 先週の日曜日には1等水準点を探しに丸山周辺に一緒に行ったが、発見出来なかった。
 その後、彼はまた行ったそうだ。
 その時同行したOさんの無くしたカメラを見つけたそうだ。
 点の記にある花崗岩の水準点は無かったが、黒い木が何か不思議なあったそうだ。
 丁度古部山道の道筋だそうだ。
 水準点は道の傍に設置するので、興味深い。
 古部山道の南側も一部発見出来たそうだ。
 
 函館中央図書館五稜郭分室に本を持って行く。
 今日は段ボールで12箱持って行った。
 図書館の方も、歴史物が多いので喜んでいた。


 午後から本を読んでいた。
 合田一道さんの「紅連のごとく」で仙台額兵隊の箱館戦争における秘史だそうだ。
 大野村の古地図の解析もしたので、大野には詳しくなった。
 箱館戦争で仙台額兵隊が大野に駐屯したが、隊長の星恂太郎は、名士の松兵衛の家に宿泊していたとなっている。
 大野町史や村史には時代時代の名士が書かれているが、松兵衛は出てこない。
 やはり小説なので、架空の人物なのかな?


 それでも土方歳三と共に行動した、額兵隊は明治元年の年末から春にかけて台場構築をし、守備を固めていたのに、4月9日の新政府軍が乙部に上陸した日に、矢不来台場転属になった。
 矢不来台場は大鳥圭介が守備していた。
 その直属の伝習歩兵隊と衝鋒隊が二股口台場の土方歳三の隊に転属になった。
 以前からこれは不可解と感じていたが、一体理由は何だろう?

 もう一つ。
 

 フランス軍人のブリューネと旧幕府軍の幹部が移っている写真が函館中央図書館にある。
 我々がこの写真を見ても余り奇異には感じないが。
 この写真を見ておかしいと感じた人がいた。
 前列中央の二人が顔を見合わせている。
 これがおかしいと、調査を重ねたら、最後はフランスに辿りつき、フランスには全員が前を見た写真があったそうだ。
 そして追跡記録を1冊の本に纏めたが、この本を先日来函した、宍戸先生に差し上げた。
 すると電話が来て、歴史を追求する姿勢に驚いたと喜びの声で使えて来た。
 控えて居なかったので作者や本のタイトルも忘れてしまってここに掲載出来ないのが残念だ。

 北海道新聞に秋田内陸線の記事が大きく載っていた。
 この新聞の様にかなりユニークな取り組みが多々あって面白い。
 毎年大曲の花火に行く時には、途中で長い大覚野峠を越えなくてはならない。
 自転車で鷹巣〜角館に行くには2日掛る。
 時には峠越えの道を行きたくない時もある。
 そんな時この鉄道を利用するのだ。
 自転車に荷物を積んだまま乗せられるのが最高なのだ。
 電車の中にはゴムが一本あるだけで超シンプルだ。
 他には自転車を乗せる為の何もない。
 ただ自転車を荷物のまま乗せて括ればOKだ。
 乗る時は何時も夏なので田んぼアートが何ヶ所かで見られる。
 電車は速度をかなり落とし写真が充分に撮れる。
 角館を出る時は駅長以下皆が見送ってくれる。
 途中の駅でお互いの電車が止まれば、乗客同士が手を振るなどかなりフレンドリーなのだ。
 歳とって峠がきつくなったら毎年利用しようと思っている。
 2017年の花火大会時
5月30日(水 )色々やったぞ
 今日は午後から雨の予報だった。
 朝から寝室の整理だ。
 寝室には亡くなったS氏の奥さんから頂いた本が段ボールで8箱もある。
 これを積んで函館中央図書館五稜郭分室に運んだ。
 ここは本の贈答を受け付けている。
 同じ函館中央図書館本館は本をリストにして持ち込まなければらない。
 そのりストの中から必要な物だけの贈答を受けると言う。
 100冊以上の本をリストアップするのは大変だ。
 そんな事で本はそのまま放って置いた。
 先日五稜郭分室にったら、本の贈答を受け付けますとあった。
 リストアップは不要で、図書館の方で判断して、必要な物は入庫し、他は処分すると言う。
 勿論OKして今日搬入した。

 帰って来て看板作りをする。
 二股口台場には、道の途中に案内板があるのだが、雪の重みで殆ど壊れてしまった。
 直す人も居ないので、自分でやろうと思っていた。
 先日適当な木があったので、黄色い色を塗った。

 今日は、クリア―ファイルに台場跡の名前をくり抜いた。

 5枚しか板が無かったが、まあ良いだろう。

 クリヤファイルを板の上に置き。黒のスプレーをした。
 100円ショップのスプレーは5枚塗ってぴったり無くなった。
 後は、3cm角のタル木が欲しい。
 もう少し待とう。

 自転車置き場は青空の下に置いているが、雨の時は濡れてしまう。
 これから来る旅人のためにも、屋根が欲しい。
 以前使ったキャンピングカー用のサイドオ―ニングがあったので、これを使う事にした。

 これで雨もしのげる。

 今日の最後の仕事は、外で使うホースを水道に繋ぐ事だ。
 向の古物商のお兄さんの所に行ったら、洗濯機用の水道に繋ぐホースがあった。
 これを貰ってくる。
 片側はカットする。




 今は水道栓に洗濯機が付いているが、これを交互に使えば良い。
 ホースリールと洗濯用ホースをつなぐ物が欲しい。
 イエローグローブに行ったら、5〜600円する。
 こんな時は100円ショップだ。
 あった!
 無事繋いで完成した。

 ついでにホースの先端に付ける散水ノズルも買って来た。



 これで外で水が使える。
 早速花に水をやった。
5月29日(火 )石油ストーブ修理
 今日は休養日だ。
 ここ4日間で3回山に行き。PGの例会もあり、少しのんびりしたい。
 家の中の事をやる事にした。
 まず洗濯ものを取りこみ、畳んでしまう。
 その間に洗濯をする。
 その後、居間を精力的に片付ける。
 すっかり綺麗になった所で、お客さんの敷き布団と掛け布団を外に干す。


 今度は支払いにチャリでひとっ走り。
 次にやる事は石油ストーブの修理だ。
 向の古物商のお兄さんが壊れたストーブを引き取って来た。
 動かないのから捨てると言うので取り敢えず貰って来た。
 表示パネルにはHHが出ている。
 再点火不可能だ。
 こんな時はメーカーに出す様に書かれている。
 出したら保障期間も切れているので、万金になるだろう。
 HHになっている。
 外カバーを外してさらにパネルを外す。
 解体する
 これで基盤も出て来た。
 基盤が出て来た。
 まずは電源を入れる。
 表示はHHになっている。
 調整と書いた基盤があり、線が2本見えている。
 これをクリップを使ってショートさせる。
 調整基盤をショートさせる。
 するとIL07の数字が出て来た。
 これが正解だ。


 次に温度調整のマイナス(-)のボタンを押す。
 するとIL00になった。
 ここまで順調だ。


 もう一度調整の基盤をショートさせる。
 下の様に- - - - -表示になる。
 これで治った。


 タンクに油が無いので、ペットボトル漏斗を作る。

 タンクに油を入れて点火してみる。
 しばらくしたら点火した。
 結構な火力がある。


 室温は17度で、22度に設定して自動運転してみた。

 21度まで一気に上がったが、かなり火力がある。
 FFストーブ並の高温が出て来る。
 これは冬でも使えそうだ。
 実際には薪ストーブで常時使う事は無いが、朝一番の時は薪ストーブに火が付くまで使いたい。



 昨日頂いたゴルフシャツを見て見たら、赤だが暗い感じの赤だった。

 あまり派手では無い印象だが、これでも派手だと言われるのか?。
 私にしたら地味な方だが・・・。

 夕食は鶏から揚げにした。
 マヨネーズと酢を加えたらまろやかな味になった。
 蕗があったので、生油揚げとこんにゃくを一緒に煮た。
 吸い物はニラの玉子とじだ。
 美味しく食べられた。
 

 


 
5月28日(月 )PG例会
 内会パークゴルフの例会の日。
 年間成績に影響するので、練習日より参加者が多く20人を少し超えた。
 雨が少し降ったのか芝生は濡れていた。
 いつもの様に4人でスタートする。
 最初はまあまあので出だしだったが、全体的にはパターが入らず苦労した。
 結果は113とあまり良いレベルでは無かった。
 トップはKさんで105だった。
 まあ113でも2位なので、今回は皆さんがスコアを落としたようだ。

 トップになったKさんからゴルフウエアを貰った。
 理由は赤のウェアを買ったのだが、奥さんからこの年して赤のウェアは派手すぎると言われて着られなくなったそうだ。
 私のゴルフウェアは赤で、派手な色のものは普通に来ている。
 そこで赤の似あう毛利さんに上げるとなったのである。
 喜んで頂いた。

 自遊旅に戻って洗濯をして、頭を坊主にして、花園温泉に行ったら、車が居ない。
 本日休館日だった。
 残念。
5月27日(日 )恵山親子登山
 函館市主催の日「第50回親子登山会」の日だ。
 チャーターバスに函館アリーナから乗るので、チャリで走っていたら、自然倶楽部の鎌鹿さんが居た。
 今日のリーダーである。
 話しをしながら一緒にアリーナまで行く。
 まだ時間前なのに、もう既にバスが来ていた。
 バス利用が数人しか居ないので、早く着いたのだろう。
 毎年少ないので、マイクロバスでも良い様に思うが。
 殆どの人は自家用車で来るようだ。
 下海岸の道をバスに揺られ、うとうとしながら恵山に着いた。
 今日は恵山つつじ祭りもあり、賑やかになりそうだが、まだ準備中だった。
 賽の河原駐車場までバスで行っていよいよ登山。
 今日は親子39名が参加する。

 先頭に鎌鹿さんが行き、私は中間で後ろは支所のMさんがあたる。
 知っているものに着いては説明をしながら歩くが、何しろ列が長いので全ての人に伝える事は出来ない。
 登山口の急斜面に入る。
 小さい子は幼稚園の子供も居る様だ。
 階段道になればやはり足を上げるのが大変だ。
 また普段慣れていない、石がごろごろ転がっている道ので、ついつい踏んでしまい滑っている。
 大きな動かない石を探して歩けばいいが、なかなかそこまでは考えが行かない。
 それでも徐々に高度を上げて行く。



 始めて来た人は、良い景色に感動している。
 レピーターも数人いて、集合場所に来た途端、も〜さんと声を掛けられた。
 また孫と同じ小学校のHさん親子も居た。
 清野友瑛を知っている?
 と聞いたらクラスは違うが知っているそうだ。
 ペースが良いので子供達も疲れた様子も無く頂上に着いた。

 ここで記念写真を撮って昼ごはん。


 終わってから、私の歴史のお話しを少し。
 北海道の名付け親は松浦武四郎で、明治2年に明治政府から、蝦夷地の名前を変える新たな名前をどうするか求められ、6つ提案したが「北加伊道」が採用されたが、加伊は海に変えられた。
 本州では既に東街道、西海道4、山陽道などの名前があり、横にらみされた形だが、実は今お加伊の意味は「アイヌたちの自分の土地」であった。
 アイヌと親しい松浦武四郎がひっそり名前の中に忍ばせたのだろうか。
 帰りは皆さん良いペースで下山して来た。

 人気の山らしく、登って来る人も大勢いた。
 登山も無事終わって、スポーツタオルやお菓子や飲み物も貰ってみなニコニコだった。

 帰りのバスもうとうとしていたら、アリーナに着いた。
 自遊旅に帰り、先日取ったワラビと椎茸をもって桔梗に行く。

 夜11時25分からSTVテレビで私の出演した「ブグウギ専務」が放映された。







 アドリブの会話だが、吉本芸人ののりにつられて何とか付いて行ってた。
 来週の日曜日午後11時25分から後半の部分が放映される。
 
5月26日(土)一等水準点探し
 天気も良いのでバーベキュウコーナーのペンキ塗りをする。
 最初に塗った白色が太陽光に反射して眩しいのだ。

 ホームセンターで濃いめの色を買って来て塗った。
 これで目に優しくなった。

 バーベキューコーナーとしては完成だ。


 次に2段ベッドの梯子を解体して5枚の板が出来た。

 これに黄色を塗る。

 某個所の案内板を作るのだ。
 この上に文字を入れるが、プラスチックのクリアファイルを使って切りぬき、上から黒のスプレーで仕上げる予定。

 そんな所に電話が来た。
 平神さんからだった。
 水準点を探しに行くので同行しないかとの事だった。
 彼には各種資料を沢山貰っている。
 他に同行者が一人いる様だ。

 古部山麓の山中に入る。
 彼の軽は飛び跳ねるように走る。
 たまには大きくバウンドして車が壊れないか心配だ。
 広場に車を止める。
 ここから歩いて探すのだ。
 明治37年に設置した一等水準点だ。
 地形図に載っている場所付近を探しても見中からない。

 花も色々咲いていた。







 椴法華から古部に至る旧道は見つかった。



 その道の近くにあると言う地図もあるのだが、幾ら探しても見つからない。
 古道の一部は道が広げられた形跡もある。
 重機に依って埋もれてしまった可能性もある。
 暫らくあちこち探したが見つからない。
 国土地理院では撤去していないとの事なので、何処かに埋もれてしまったのか?
 車に戻る途中ワラビがあったので採る。
 そして車に乗ろうとしたら、同行の大塚さんのカメラが無い。
 さっき古道を撮ったのを見ていたので、そこと車の間だ。
 暫らく探したが無い。
 車で下まで行って写真の撮った場所を探したが、見つからない。
 二人は再びワラビの採った場所に向かった。
 私は他の場所探していたら、後ろからかすかな音がする。
 見たらキタキツネだった。



 全然怖がる様子も無く、直ぐ傍を通り過ぎて行った。
 人慣れしているのか怖さを知らないのか??
 更に古道を探していたら今度は子キタキツネが出て来た。

 帰る事になった。
 車の駐車した場所から恵山が綺麗に見えていた。



 椎茸があった。
 これは美味しそうだ。

 今回は見つからなかったが水準点探しも面白い。
5月25日(金)のんびり
 雨も降っていたので今日はノンビリを決め込む。
 昨日採ったウドを持って桔梗に行く。
 帰りに友達の家に貰ったアスパラとウドを届けてから帰る。
 家に着いたら財布が無い。
 色々考えたが桔梗のソファの上しか考えられない。
 娘に電話したらあった。
 また桔梗まで走る。
 帰りに花園温泉にのんびり浸かって来て自遊旅に戻る。
 洗濯をしてからはのんびりしていた。
 夕食は何にするか、やはり昨日採ったウドのてんぷらか?
 昨日同行したTさんは、うどんにウドの天ぷらが抜群に合うと言っていたのでそれを夕食にしよう。
 
 夕方からウドの天ぷら作り。
 そしてうどんをゆがいて、そこに乗せて頂く。
 ウドの香りがしっかりして、少しほろ 苦い味も山菜らしくて良い。
 ウドとうどん。この組み合わせは良いかも。




 ちょっと外に出て見たら、家の前の草が刈られていた。
 向の古物商のお兄さんかな、草刈りに行くと言っていたので、ついでに刈って行ったかな。


 STBテレビの私が出演した「ブグウギ専務」の放送が決まった。
 5月27日(日曜日)午後11時35分から30分間の放送だ。
 初めてドキュメンタリーコメデイにスペシャルゲストとして出たが、私の緩やかなテンポがバラエティに合っているのか不安でもある。
 出場場面は少ないと思うが、急斜面を藪漕ぎで登る姿が予告編で放映されたので、そこだけでも見どころだ。
 撮影の裏話しだが、急斜面の笹藪を登るコースがあるので、私が先に登ってザイルを張った。
 その時は上に居たので、下に居た人に向けて人差し指でピストルをバンと撃つ格好をした。
 流石に吉本だった。「うあーと行ってのたうちまわった」流石に反応は良いし、瞬間的に受けてくれるのが凄い。









5月24日(木)桂岳登山
 案内を頼まれていた桂岳に行く事にする。
 ここ1週間に渡ってひいていた風邪も、昨日の夕方から鼻水は止まり、咳も楽になってきた。
 やはり病院に行って薬を貰って飲んだお陰なのかな。
 Sさんが自遊旅まで来てここで同行。
 尖山以来の同行だ。
 そしてTさんの家に行く。
 一緒に山に行ったのは、もう1年前くらいになるのかな。
 石川県千枚田の可愛い草鞋のアクセサリーを頂いた。
 これはバックパックに付けよう。

 さらに湿布も貰う。
 Tさんは湿布が合わないそうなので、時々余しているのを貰っている。
 旅人からも大量の湿布を送って貰ったので、湿布に関しては随分助かる。


 天気は快晴で車内は熱い。
 国道を木古内町の国道から林道に入る。
 亀川温泉と言うのがあったのだが、今はもう朽ち果てる寸前になっていた。
 この林道も、新幹線工事の時に来た時にはダンプカーが大量に通行していて、交わすのが大変だったが、新幹線が完成した今は、閑散としている。
 林道も途中でゲートがあり、車は入れない。
 既に2台の車が居たが雰囲気では山菜採りかな?
 



 出発する。
 林道は終点まで1時間くらいかかるので飽きてきそうだ。
 でも途中にウドがあったとか良い蕗があるとか、帰りに採ろうと目を凝らして歩いているので気分的には少しは楽そう。
 途中で年配の御夫婦が居た。
 やはり蕗を採っていた。
 少し話してまた前に進む。
 ようやく林道終点に着く。
 ここが登山口になる。
 林道はずっと鴉沢に沿って歩いて来たが、登山口からは川を渡れば、鴉沢は右手になり鴉嶽の付近に繋がっている。
 登山口は鴉沢を渡って山道に入るのだが、今日は水量があるので渡る場所は苦労するかなと思ったら、金属製の梯子風の物が川に渡されていた。
 そのため靴を濡らさずに、難なく渡る事が出来た。
 いきなり急登に入る。
 気温が高いので汗が出て来る。
 ここで同行の3人をおいて一気に少しだけ登って行く。
 汗が噴き出て心拍もぐっとあがる。
 風邪を引いている時は、汗を一杯かけばいいと言う自己神話だ。
 本当なのかな??
 皆を待って再び登る。



 山道の周囲には色々な花が咲いて鮮やかだ。








 鴉嶽
 やがて桂岳と鴉嶽の暗部に着く。
 鴉嶽は明治の地形図には載っていたが、今の地形図から名前が消えた。
 以前登ったが、結構な急な登りである。
 山道を探したが、草に覆われすっかり見えなくなっていた。
 
 再び桂岳への道を登る。



 この道は折れた木が山道を塞いでる館所が何ヶ所かあった。
 4月の強風であちこちの山の山道が、倒木で覆われている。



 ようやく見晴らしも良くなり、函館山や白神方面が見えて来る。
 珍しい紫色のシラネアオイが咲いていた。
 紫の色が綺麗なシラネアオイ
 最後の急登を一気に進めば、反射板に着く。




 まだ雪が残っている。
 反射板の下で昼食を摂る。
 虫が多いのであずましくない。
 蚊取線香を焚いたら虫も少なくなった。
 
 食事後荷物を置いて桂岳へ向かう。

 桂岳の看板が倒れていたので、仮に真っ直ぐに立つように直した。



 頂上からは函館山や駒ケ岳、青森の岩木山まで見えた。





 桂岳山頂から戻って下山するが、早くも山菜採りが始まる。
 笹藪の中に丁度手頃のウドが密集しており、ここで20本くらい採った。
 あっという間にバックパックがが一杯になった。
 山菜採りを想定していなかったので小さなバックパックで来たのだ。

 花を楽しみながら下って林道に到着。

 ここからまた車まで長い林道歩きだ。
 半分くらい来た時だろうか、突然ゴ―と言う音とバリバリけたたましい音が聞こえた。
 この時は4人がばらばらの位置に居たのだが、最後尾の人は急な斜面が崩れる現場が見える場所に居たので、びっくりしたそうだ。
 3回崩れ落ちたそうだ。
 私はかなり前に居たので大きな音の時しか聞こえなかった。
 沢を挟んだ向かい側の急な斜面が崩れたのだが、こんな天気の良い時でも崩れるんだと思った。
 そう言えば今歩いている林道も、崩れた跡があって、まだ道には大きな岩が散乱していた。

 急に足が速くなり、車に着いた。

 帰りは茂辺地から高規格道路を通って帰宅。
 天気も良く遠くは岩木山まで見られ良かった。
 花も沢山見られた。
 山菜もウド、アズキナ、蕗が沢山採れた。
 採ってきたウドを処理しなくては・・・。
 でも明日だ。

5月23日(水)妻の忘れもの
 昨日の夕方に電話が来て、妻が車の中に家の鍵を忘れたと言うので、車内を見たらあった。
 結局桔梗まで持って行く事になり、そのまま桔梗に泊まった。
 今朝はホームセンターでキッチンタオルが100円で売られていたので、妻と一緒に行って購入する。
 桔梗に帰る途中、親戚の家にアスパラのおすそ分けをして、コーヒーなどを頂きしばし歓談する。
 奥さんは腰痛になったそうで、鍼灸に行った。
 1時間くらい話して帰る。
 奥さんからお土産を貰ったが、長期保存が可能な豆腐だそうだ。
 こんな物があるなんて知らなかった。
 今年の11月まで良いらしい

 先日、箱館戦争関連を案内した仙台の宍戸先生が、蝦夷共和国国旗のコピーを持って来た。
 蝦夷共和国国旗
 実は私もこの蝦夷共和国の国旗の存在は分からなかった。
 この旗は実際に使ったシーンの絵も見当たらない。
 旧幕府軍は戦いの場では日の丸の旗が上がっていたし、船も日の丸の旗を掲げていた。
 誰がどういう目的で作られたかは明確には分からないが、旧幕府軍で作ったのであろうか?
 諸説あるが、北海道開拓使が旗を作る時に、黒田長官がこの旗を薦めたらしいが、実現はしなかったという。

 北海道開拓使は青地に赤の五稜星を描いた旗を用いており、この旗は北辰旗と呼ばれ道民に親しまれて来た。このデザインは当初、開拓使の公用船で船長を務めていた、蛯子末次郎が公用船の旗章として使い始めたものが開拓使全体の旗印として定着した。(1872年)
 1872年に黒田は開拓使長官の東久世通禧が辞任した後に、次官のまま開拓使のトップになった。
 黒田次官は政府に七忙星の旗を進めたが、採用され無かった様だ。
 1882年には五稜星も廃止された。
 10年の短い命だった。
 開拓使旗
 
時代が変わって、1960年になり、他の都府県旗が制定された事から、1969年の開道100周年を目前に道旗を制定する機運が高まり、募集したデザインの中から、栗谷川健一さんの案を採用する事になった。
 北海道旗
 その旗は七芒星であった。
 何と蝦夷共和国の旗で使われた七芒星がデザインに使われたのである。

 宍戸先生と同行して函館に来た、橋本さんがこの七忙星をデザインした、グラスをお土産に持って来てくれた。
 橋本さんは北海道日高出身の著名な陶芸家で、各種工芸展に入選している。
 他に伝統陶芸展の審査もしている。
 彼が宍戸先生の誕生日に作ったのが、60歳の歳に合わせて6角形で、七忙星がデザインされている素敵な作品だ。

 素敵なカップだ

 経歴は凄い
5月22日(火)病院に行く
 風邪の具合が今一つだったので、風邪薬でも買おうかと妻に言ったら、「病院の方が安いよ」と言われ近くの原内科病院に行った。
 予約なしなので1時間は待ち時間があると言う。
 まあ仕方が無いか。
 待っている人は少ないが予約時間に来るので次々やって来る。
 窓口の女性は暇なのか、二人でずっと私語で会話していた。
 こんな病院も珍しい。
 1時間半経過した。
 もうそろそろ厭になった。
 2時間の経過になる、午後1時までに呼ばれなければキャンセルして帰ろうと思っていた。
 後1分で1時になる時、呼び出しがかかった。
 行って診察する。喉を調べて、聴診器で前と後ろを調べたが音の異常は無い。
 それじゃ薬を出しますねと僅か1分位の診察だった。
 これを受けるのに2時間か。
 病院から帰ってくるが、風邪の調子は良くなっている。
 まあそれでも薬を貰ったので、飲む事にした。

 講演を2つ頼まれていたが、正式な連絡が無くほっておいていた。
 先日案内をして相馬邸に行った時に資料を貰った中に、私の講演予定が載っていた。
 ほら載ってるでしょうと言われたが、何かタイトルが違うでは無いかな?
 
 タイトルは「歴史古道を探る」だった。
 確か「二股台場」であった筈で、もう一つの学習センターの講演が「歴史古道を探る」筈で無かったかな?
 五稜郭の文化価値を考える会の講演だからね。
 まあ決まったのなら、五稜郭と関係の深い土方歳三の歩いた道でやれば良いか。

 メールが入った。
 世界的冒険者、安東浩正さんからだった。
 もうすぐねぶただね楽しみですと言うメッセージの他に、洞窟冒険家の松澤さんが7月末に行くので泊まれたら宜しくとの事だった。
 予定は無くあいているのでオーケーした。
 洞窟冒険家の話しも面白そうだ。
 久しぶりに安東さんのHPを見たら、相変わらず世界を飛びまわっている。
 HPには私も中央に載っている。
 アコンカグア、キリマンジャロ、エベレスト等の世界の山のガイドが主要な仕事なのだが、その他にも相変わらず動き回っていた。
 グリーンランド、パタゴニア、ヒマラヤともう既に地球を一周してた。
 北アルプス熱気球で横断飛行も成功していた。
 横断飛行
 もう直ぐねぶたで会えるな。

 そう言えば登山家の栗城史多が8度目のエベレスト登山が失敗して下山中に低体温で亡くなったとの報道があった。
 昨年7月には、函館で講演があった。
 自転車で日本縦断した吉田夏江と一緒の講演だった。
 吉田夏江とはMTBで知り合って、MTB登山を教えた事がある。
 昨年も自遊旅にも来てくれた。
 遺愛高校の教諭の職を捨てて日本縦断をしたのだ。
 その彼女のお悔やみの記事が函館新聞に載っていた。
 亡くなったが、栗城ほどその登山方法に賛否両論が出ている人は珍しいかな。
 登山を余り知らない人には、何度も挑戦する姿に、勇気を貰ったとか褒められているが、いわゆる著名な登山家からは違う目で見られていた。
 最初から失敗ありきの登山で、それをパフォーマンスしていると。
 エベレストも今までは、春は簡単だからと、難しい秋の無酸素単独登頂を目指していた。
 しかし6度位失敗して、易しい春に昨年挑戦したが失敗した。
 今年も春には挑戦していたのは知らなかった。
 登山ライターの森山氏の記事では、北稜の無酸素登山は世界のトップクライマーが2人で無酸素登頂に成功した。
 今回栗城が目指したのは西稜で8000m以上は特に難しく成功者は居ない。
 それを実績が無い栗城が単独無酸素登山で挑戦するのは99.999%死ぬと書かれていた。
 0.001%はエベレストが崩壊して1000mになった時だと書かれていた。
 準備期間も1ヶ月しか無く、単独登山と言っていたのに、今回は単独では無く、ポーターを付けていたと言う事も分かった。
 失敗を前提にした栗城独特のパフォーマンス登山だったと言われている。
 結局は予定通り?7400mで撤退した。
 そして下山時に遭難死した。
 無酸素にこだわらずに、多くの美しい山からの景色を多くの人に発信してくれた方が良かったと言う人も多い。
5月21日(月)パークゴルフ
 町内会パークゴルフの日。
 風邪が一行に収まらず、咳で睡眠は充分にしていない。
 それでも出かける。
 午前中は107でまあまあのスコアで回った。
 ライバルK氏は104だった。

 午後は1ラウンド回ったがもう足元がふらふらだ。
 何とか全て回って、午前中と同じ107だった。
 ライバルK氏は106で午前午後とも負けた。
 まあ練習日なので負けても問題は無いが・・。
  
 午後の2ラウンド目はA、Bコースのみ回ったが、妻はまだ廻っている。
 私より長くやるのは珍しい。
5月20日(日)函館五稜郭祭
 朝に五稜郭のGホテルに宍戸先生一行を迎えに行く。
 ホテルのロビーで待っていたら、チエックアウト時に土方歳三のコスチュームで出かける方が意外と多い。
 今は見学する人もその主人公になり切っているのが良い。
 女性も土方の衣装は格好が良い。

 少しして皆が出て来た。
 ジャンボタクシーで相馬邸に行く。
 ここで今回宍戸先生と同行した、長野からの方が研究している、赤松小三郎に関して説明をして貰う。赤松小三郎顕彰会会長の林さんと副会長の香山さんが説明してくれ、質疑応答が行われた。
 赤松小三郎については全く名前を聞いた事が無かったが、
 彼は慶応三年に福井藩の松平春嶽、薩摩藩の島津久光、徳川幕府の三者に建白書を出している。
 この建白書は国のあり方を問う物で
 特に注目すべきは
1. 内閣府と議政局(今の国会)の設置。
  しかも儀政局は上下二局、今の衆議院と参議院と言う事。
  などなど国政に関する事を7項目提言している。
  今の日本の国政の原点みたいものだ。

 京都で土方歳三と接触があったのでは無いかと思われている。

 終わって相馬邸の中を見学して、碧血碑に向かう。
 草が綺麗に刈られていた。
 ここで記念撮影。


 急いでジャンボタクシーで中島廉売に向かう。
 もう五稜郭際のスタート準備をしている最中だった。
 宍戸先生は仙台額兵隊のファンなので、額兵隊の所に行って、パレードに参加する若者と話しをしている。
 仙台額兵隊として参加しているのは、入隊2ヶ月の若い自衛隊だった。
 仙台額兵隊の隊長は誰だと聞いたら○○ですと、自分の上長の名を言ったそうだ。
 星恂太郎が隊長なんて知る筈もないか。

 垂れ幕を持ってきているので、それを掲げて記念撮影する。

 函館新聞と河北新聞(仙台)が取材に来てくれた。
 函館新聞記事

 パレードが始まる。
 アナウンス嬢に仙台額兵隊の応援に仙台からわざわざ駆け付けてくれています!と何度も言って貰った。
 パレードが出発した後は、ジャンボタクシーで行敬通りに行き、ここでのパフォーマンスを応援した。
 土方コンテスト優勝者



 土方が切る

 銃で撃たれる
 さらに隊列を追って五稜郭公園内に行く。
 ここのステージで各参加者のパフォーマンスがある。
 丁度居た、昨日の土方歳三コンテスト優勝者と準優勝者と多いに話し、全員で記念撮影もする。
 土方コンテスト優勝&準優勝者
 皆さんすっかり喜んでおられた。

 その後、土方歳三が仮埋葬されたと言われる土饅頭に行く。
 ここに6〜7人の女性が自撮りで土饅頭を背景にぱちぱち撮っている。
 宍戸先生が誰か英語の分かるの人行って土方を知っているのか聞いてこいと言うので、私が言って聞いた。
 英語でこの場所は知っているのかと聞いたら、英語はあまり得意でないようだ。
 どこから来たと聞いたらコリアと答えた。
 もう一度簡単に聞いたら、ここはクライミング場所だち言っていた。
 やはり全く知らないで撮っているのだ。
 先生が来て土方の写真を見せて説明していたが分かったろうか。
 コリアの人々
 終わってジャンボタクシーで新北斗函館駅に行く。
 ここで皆さんとお別れになった。

 帰りはOさんに送って貰う事になっていたので、駐車場に行ったら、何処に車を置いたか分からなくなって3人で探してようやく見つかった。
 夕方4時過ぎに帰宅。
 風邪を引いているが、一層調子が落ちて来た。
5月19日(土)江差ガイド
 江差ガイドの日だが、予想通り雨の天気だった。
 老舗旅館一之松に行く。
 駐車場に入ったら同行の菅野さんも車から降りて来た。
 2年に1回、高校のクラス会をここで開いているので良く知った旅館だ。
 少し待ったら宍戸先生が来た。
 毎年来ているが私は3年ぶりに再開する。
 その後、同行の6人が出て来た。
 先生は仙台なのだが、今回は長野から初めて会う2名が来た。
 早速ジャンボタクシーでスタートする。
 運転手さんも昨年と同じだそうだ。
 菅野さんからスケジュールやらを皆さんに連絡する。
 私は大野からガイドをする事になった。
 
 大野の市街地に入り、まずは明治時代にあった本陣跡に行く。
 仙台額兵隊が宿泊した場所なので、仙台額兵隊のファンである先生にとっては嬉しいであろう。
 それからガイドブックに沿って説明して行くが、タクシーの早さに合わなくなってきた。
 仕方が無い簡単な説明で終止だ。
 後から資料を読んで貰えば分かる。
 江差の開陽丸に到着する。

 外観も随分錆びが増えて、少し見苦しくなったな。
 江差町の学芸員さんが来てくれて、案内をしてくれた。
 何年ぶりに見る開陽丸だが、中身は変わっていなかった。
 
 昼食は津花館だった。
 私はスープカレーを頼んだが、スパイスの効いた美味しいカレーだった。
 その後、江差追分会館に行く。
 実演の時間に合わせて行ったので15大名人の歌が聞けた。
 合図や手拍子を要請されるが、皆ノリノリで楽しんでいたのは良かった。

 少しだけ江差追分を教えてくれると言うので、女性名人に習うがそれはそれは難しい。

 途中で誰か歌いたい人の要請で、青森木造出身の方が、弥三郎節を唄った。
 私も隣町の五所川原に勤務した事があるのでこの歌は知っていた。
 懐かしかった。

 これで時間が無くなり、一路函館に戻る。
 アルコールの入った人も居るので帰りは疲れたのか、皆うとうとしながら戻る。

 今度は函館中央図書館にく。
 作家、荻尾農さんの講演があるのだ。

 女性作家で土方に関する本を出版している。
 講演はパワーポイントのスライドが5枚程度で、下を向きながら原稿を読みっぱなしだった。

 この講演の方法なら楽だな・・・。
 土方の猛烈なファンなので、土方賛美の内容だった。

 終わって、阿佐里?に行って夕食。
 久しぶりに霜降り高級牛肉を頂いた。
 先生がまだ食べて良いよと言ってくれたので少しだけと言って追加した。
 2人前なら9千円になる。
 普段なら絶対食べられない。
 最高の味にうっとりした。

 終わって函館山夜景に行く。
 雨も上がったので綺麗に見えるだろう。
 頂上に着いたが意外と空いていた。
 最前列が開く事は無いが最前列で見れて皆も良かった。
 写真も沢山撮っていたが夜景は難しい。
 上手く撮れたかな?

 一之松に車を取りに行ってから自遊旅に帰ったら10時少し前だった。
 直ぐに寝る。
5月18日(金)ガイド資料製作
 明日は、仙台の緑の里クリニックの宍戸院長他6名のガイドがあるので、資料作りに精を出した。
 午前中には完成し、印刷をしようとしたが、インクの出が悪い。
 何度クリーニングしても良くならない。
 カラーで出来たのは表紙1枚だけだった。
 宍戸先生は仙台額兵隊のファンなので、表紙を額兵隊にした。
 それに隊長の星恂太郎が、鷲の木から森に進行する際に詠んだ漢詩「渡海」を表紙に配した。
 額兵隊の軍服の赤が1枚だけ色が出たので良かった。

 明日はどうやら暴風雨になりそうだ。
 ジャンボタクシー函館〜江差を往復して、夕方函館での会食、さらに函館山夜景見学となる。
 外に出るのは大変だろう。
 私は合羽持参だな。
 実際いかなくてはどんな展開になるのか分からない。
 説明資料は北斗市(大野町)から江差までの箱館戦争の史跡めぐりや箱館戦争裏話などを掲載して28ページになった。
 結構読み応え有るし、地元の方の当時の戦争の状況も載せたので、他には無い資料が出来たであろう。
 北斗市生活課から電話が来て6月27日の台場ガイドは内部でやるので不要だと言って来た。
 元々、北斗市資料館の森さんから、北斗市生活課主催の台場ガイドをやってくれと言われていたが、さっぱり生活課からコンタクトが無かった。
 来たと思ったら不要との連絡だ。
 どうなっているんだろう。
 まあ25日、26日は碧血碑碑前祭があって、本州から来る方のガイドや、夜の箱館戦争関係者の懇親会のパネラーも頼まれて忙しかったので良かったか。
 27日は箱館戦争関係の子孫の方や土方ファンで残る方が居るので空けておけて良かった。

 午後からも暴風雨なので、昨日採ったヒドケを茹でて、冷凍庫に入れた。
 今日の分としてごま和えを作ったが美味しかった。

 3時からはLS北見のカーリングを見るが、やはり強かった。
5月17日(木)原木山道を行く
 昨日の夕食はウドの葉の天ぷらと蕗の味付けサバの炒めにした。
 天ぷらは美味しかったのは勿論だが、蕗とサバ缶を絡めたのもおいしかった。




 当初の予定通り原木山道に行く。
 天気は青空も見えて最高の天気だ。
 この山道は多くの人が歩いている。
 寛政11年(1799)徳川幕府奥詰医師、渋江長伯の『東遊奇勝』には
 「ハラキ村(原木町)砂浜にてハマキ川(原木川)を渡り、小沢を伝て山に上がる。路儉にして山も又高し、僕従牛の喘する如し、
漸山に上り、土人茶を煎して待つ、其味蔗汁よりも過く、水の佳なるには非す、渇の甚しきなり、山を下り秋羅村(日浦町)に出、・・・後略」と書いている。
 今では橋の架かっている原木川の下は砂浜で、旅人は皆ここを歩いていたんだと、昔に思いをはせる。小沢に伝って山に上がるが、この小沢も健在だ。
 登りは牛の喘ぐ如しとあるのが、それ程の急さは感じられない。
 山の上では地元の人が接待でお茶を入れてくれている。
 山の上から見る景色は良く、恵山や海向山なども見る事が出来る。
 この厳しい山道を避ける新しい道が作られる事になった。
 原木から海岸道路に7か所の隧道を作り、昭和3年8月に完成した。
 それまでの間は山越えの山道が使われていたのだ。
 昭和48年には日浦トンネルが開通して海岸線の道は廃道になったが、山越えの道は未だに健在だ。
 
 山を登る。
 山道の雰囲気が良く出ている道は、ほっとする。





 掘れた道の深さに多くの人が歩いた歴史を知る。
 今日は天気が良いのだが湿度も高い。
 汗が噴き出る。
 途中で溜まらずウィンドブレーカーを脱ぐ。

 道の左側の斜面はシラネアオイの群生地で、今まで見た中では一番多い。






 途中で木の葉の中に鹿の寝床があった。
 たっぷり積もった枯葉はさぞかし良いベッドであろう。

 まだ綺麗に咲いているシラネアオイを見ながら峠のピークに出る。
 ここには三角点があるのだが、国土交通省の地形図に書かれた位置とは違う。
 南茅部の学芸員の方に見つからないと言われ、探しに行ったら100mも離れた場所になった。
 

 ここから要塞跡に行く。
 戸井要塞の残骸が今でも残っている。







 出て少し歩いたら鹿の無残な姿が目に入った。
 頭が残って角もある。

 直ぐ傍にはアバラ骨があり、肉は綺麗に食べられている。

 熊に襲われたのだろう。

 この辺りはヒドケが沢山あるのでしばし山菜採り。
 帰り道には蕨や薇もあった。
 採って帰る。
 
 下まで来たが小沢の傍に道が見えた。
 こんな所に道がと思い登って行く。
 砂防ダムを二つ越えたら小さな滝が出て来た、
 
 その傍を登って行くと滝の上に出た。

 沢は水も少なく歩きやすい。
 道は右方向の急斜面を登っている。
 何処まで行くのか興味はあったが、今日は止めてまた来て見よう。
 この辺りは伸びて大きくなった行者ニンニクが群生していた。
5月15日(水)明和園健康サロン
 朝から土曜日の函館〜江差のガイド資料を作成した。
 27ページにもなった。
 後は必要部数を印刷するだけだ。
 印刷はぎりぎりまで待とう。

 天気も良いので外に出てバーベキューコーナーの蓋に取っ手を付ける作業をする。
 バーベキュ−テーブルの中央部の蓋を開けるのが大変なのだ。
 先日ホーマックに行って埋め込み型のハンドルを見て来たら、600円から1000円もするのだ。
 そんなにお金を掛けていられない。
 そのままにして待つ事にする。
 そうしたら、古物商のお兄さんの所に物があったのだ。
 これがあった
 早速貰ってくる。
 マーキング
 まずはマジックでマーキングして、ドリルで穴を開け、ジグソーでカットした。
 穴あけ

 固定する

 ここまで順調に来た。
 そこに明和園健康サロンの仲間が来た。
 話しをしていたが、この時は今日から明和園の健康サロンが始まるとは知らなかった。
 これは大変だ。
 電車で来る妻を迎えに行くのが遅れてしまった。
 電話したらもう1分で着くよだった。
 怒っているかと思ったが、表面上は怒っていなかった。
 ハムと蕗をお土産に持って来てくれた。
 
 急いで明和園に行く。
 今日は今年度の初めての日なので、挨拶を頼まれる。
 「私もすっかりボケて、今日健康サロンがあるのを知らなかった。皆さん健康サロンに通ってボケ防止をしましょう」と笑いをとって終わった。
 いつものストレッチを充分に行った。
 今日は結構効いたな。

 妻と買い物に行く。
 巨大ウドが2本150円で売っているのだ。
 これならわざわざガソリン代を掛けて採りに行く事も無いな。
 長いので家で短く切って妻が持って行く。
 私は葉の部分を貰った。
 早速天ぷらにした。

 貰った蕗はサバ缶と絡めて1品作った。

 最後に取っ手をビスで固定して終了した。
 使う時はこの様にする。

5月15日(火)やる事沢山
 随分忙しくなってやるべき事が沢山残っている。
 ますは整理整頓から始めなくては・・・。
 食料入れをプラスチックのものから木製の食器棚を使う事にした。
 以前はこんな状態
 重い食器棚は何とか中に入れたが、プラスチック容器に入った食料は整理しないままになっていた。
 この際だから食料を全てをチエックして要らないものの処分も行う。
 中には2011年の賞味期限切れの物もあった。
 全て整理したら意外と少なくなってすっきりした。
 すっきりした

 次に桔梗から貰って来たカーネーションをBBQコーナーの棚にセットする。
 貰って来た花入れは汚れているので、洗ってシルバーのペンキを塗った。
 汚れがある

 シルバーに塗った

 フックも作った
 そこにカーネーションを入れる。
 綺麗だ

 良い感じになって来たぞ

 向の古物商が持って来たタンスや収納庫などを解体してしまう。
 今日の解体分

 少ない薪も・・

 増えて来た。
 
長い側板が出たのでその板を薪小屋に使う事にした。
 これは勿体ない

 2段にする事にした

 少し間は開くが大して問題では無い。
 当面はゴミ置き場
 2段にした方が収納スペースが確保出来るので好都合だ。
 丁度サイズが良いので簡単に棚が出来た。

 女性の自転車が停まった。
 「毛利さんですよね。学童保育で一緒だった石川です。」と言う。
 あ〜懐かしいな。
 もう60年も以上の事だ。
 少し印象は違うが確かに面影はあった。
 私の事は新聞報道で見ていたそうで、元気にやっているんだと思っていたそうだ。
 新聞って意外と皆が見ているので、私の事も伝わっているんだ。
 今度またゆっくり来て下さいと言って分かれた。

 ペンキがあったのでBBQコーナーの椅子に塗る。



 色は錆び色しか無かった。これは仕方が無い。
 まあ綺麗になったのだから良いだろう。


 薪切りで屑を被ったので温泉に行く。
 丁度昼だったので、無料の福祉センターは空いていた。
 これでさっぱりした。

 帰って昨日古物商のお兄さんから貰ったものを見てみる。
 恒例で廃業した建具屋さんの道具で、その一部を貰って来た。
 見たら職人らしさが随所に見える。

 鉈を2本貰ったが、外観はかなり使い込んでいたが、刃はしっかり研がれていた。
 私のよりもはるかに使い勝手が良さそうだ。

 重さも丁度良い。

 ネジ入れが有った。
 昨日古物商のお兄さんとこれは何だ?
 からくり箱か?

 全然開かないので何処から開けるんだと二人で考えてようやく開けた。

 全くの手作りなのだ。
 今なら直ぐにプラスチックのケースなど買うのだろうけれど、昔は皆自分で作ったのだ。

 工具も一部を貰って来た。

 段々と増えるな。

 まだ大きな糸鋸の機械がある。
 これは相当高いものだが、使い道はそんなに無いだろうな。
 とりあえずは捨てないで、自遊旅の表の看板が割れたので新たな物を作ろうと思っている。
 それに使わしてくれとは言っておいた。

 午後からは土曜日の函館〜江差ガイドの説明書を作成したが70%位は出来たかな。
 仙台額兵隊のファンなのでそちらの資料も入れて作成中だ。
 明日には出来るだろう。
5月14日(月)パークゴルフ例会
 今日はパークゴルフの例会日。
 いわゆる町内会クラブの大会でもある。
 何回かの例会の成績が、年間通しての順位に影響する。
 やはり力の入れ方が変わって来る。
 私のメンバー4人で一番にスタートする。
 天気も良くて気持ちが良い。
 Aコースは27とまあまあ。
 Bコースは25と良い感じだ。
 Cコースは27とまあまあ。
 Dコースは26で終わった。
 合計105だった。
 皆で戻ってスコア集計をする。
 結果私は1位だった。
 昨年の総合優勝者は112と出遅れた。
 今シーズンの幸先の良いスタートになった。
 次回も頑張らなくては・・・。
5月13日(日)コンサートへ
 今日は孫のコンサートがあるので桔梗に移動する。
 その前に、昨日向のお兄さんから貰った食器棚を中に入れ、プラスチックのケースと入れ替える。



 食料を全て出して入れ替えたがまだ整理がつかないうちに桔梗に向かう。
 木の食器入れはやはり、プラスチックより風格があって良い。
 出した食料は帰って来てから整理するか。

 桔梗から娘の車で函館芸術ホールに向かう。
 コンサートはカピバラコンサートで、色々なジャンルの音楽があるが、孫の桔梗中学校の吹奏楽部が出演するのだ。



 音楽は詳しくは無いが他の出演者もそうそうたる経歴の持ち主の様だ。
 特にピアノDuo Noiの高実希子は桐明学園大学主席卒業で、パリ国立高等音楽院卒業と何か凄いそうな感じだ。蓑田なつきも履歴は凄い。
 二人で弾くピアノ合奏でのルトスワフスキ:パガニーの主題による変奏曲は難しい曲だそうで、手の動きがとてつもなく早かった。圧倒される演奏だった。
 音楽を知らなくても凄さを感じた。
 
 最後に桔梗中学校吹奏楽部の演奏だが、2年生と3年生による演奏だ。
 ビッグバンドなだけにボリュウム感は凄かった。
 前回よりも上手く演奏が出来た様だ。


 瑞葵はアルトサックス

 コンサートの後、同じフロア―にある「北洋資料室」に行く。
 孫二人と私が行く。
 大人100円、子供50円と格安だが、最初出来た時から中身は全く変わっていないようだ。
 愛葵はセイウチやトドが怖くて近づけず。






 最後に船の操縦室を模した部屋で、船が動くのを体験する。










  コンサートも終わって、母の日でもあるので、皆で回転寿司サムズに行く。

 食べる直前に友瑛の歯が抜けてしまった。

 少し待ってからようやく食べられる様になった。
5月12日(土)ペンキ塗りなど
 今日は天気も良いので、バーベキューテーブルのペンキ塗りをする。
 前回は中央の蓋はまだ塗装していないのと、外側は塗装したが、風が強くてゴミが混じっていたので再び塗装する事にした。
 今までの状態
 格安のホーマックブランドのスプレーを購入し塗装する。
 綺麗にペンキは濡れたが、白のペイントは明るい太陽の下では眩しすぎる感がある。
 外で塗装して家の中に入ったら、部屋が真っ暗に見えてしまうほどだ。
 これで良いのかな?
 眩しすぎる
 太陽を避けるオ―ニングが必要かもしれない。
 キャンピングカー用のサイドオ―ニングがあるのでこれを活用するかな。
 冬の屋根からの雪崩で薪小屋が壊れた時、サイドオ―ニングも少し破損しているので直さなくてはならないか?

 向のリサイクルショップのお兄さんが居たので行って見る。
 随分自転車が入っていた。
 大きい子供用のMTBがあったが、勿体ないが捨てるそうだ。
 登録証が無いと、新たな登録が面倒で自転車はなかなか流用できない。
 引っ越しの際に置いて行ったもので全て処分するそうだ。
 大人用のママチャリもあったので見たら、ハブダイナモ付きのLEDライトが付いていた。
 これは良い。
 今のママチャリは、電気が点かない。
 ホームセンターに球を持って行って調べてくれと言ったらテスターが無いと言われた。
 球のせいかどうか分からないで、球を購入する気にもなれずそのままになっていた。
 捨てる自転車を前輪のホィールまま交換しようとばらした。
 前輪をばらしたが・・
 そして私の自転車に嵌めて見たら、泥除けがこする。
 あれ可笑しいなと良く見たら何と27インチの自転車だった。
 私のは26インチなので合う筈が無い。
 仕方が無いのでLEDのランプは球切れが無いので使える、
 ランプのみを交換してタイヤを回して点けて見たが点かない。
 これが不調だった

 あれ〜おかしいなと良く見たら、夜間になったら自動で電気が点く仕様でスイッチがあった。
 今は昼間なので点く筈が無い。
 常時点灯に切り替えて、タイヤを回したら点いた。
 これに交換した
 スピードが遅いとフリッカーして、スピードが上がると常時点灯になるすぐれものだ。
 これで夜間の照明は確保出来た。

 他にサドル固定金具が綺麗だったので交換した。
 私のは錆びてる

 綺麗になった

 さらにシフタ―のグリップ部分が壊れてしまったので、多分合うだろうと交換したらぴったり合った。今まで回すのに手が痛かった。
 ゴムが壊れている

 こちらを使う

 ぴったし合った
 ここまでやって捨てる自転車はお兄さんに返した。
 明日、他の自転車と一緒に捨てに行くそうだ。

 他にポータブル石油ストーブがあった。
 故障で動かないから捨てると言う。
 まだ新しい様なので電源を入れて見たら、「HH」のアラームが出る。
 これは不完全燃焼の異常だ。
 灯油の臭いを検出してアラームを出す仕組みなので、灯油の臭いが強いので、中に油がこぼれているのかもしれない。それに反応して不完全燃焼のアラームが出ているのだろう。
 私が貰って直す事にした。
 直して使おう
 冬に寒い時に起きた時、薪ストーブが燃えるまでの間だけ、灯油ストーブにしたい。

 夕方外に出たら、食器棚がある。
 これは良い
 これも引っ越しの際に置いて行ったものだ。
 綺麗な棚なので使おう。
 食器の置く場所が無いので、これを使えばすっきりしそうだ。
 炊飯器の棚もあるがここは食料入れにして、今使っているプラスチックのケースは廃棄するか?


 これは解体して薪になる
5月11日(金)旅人出発&PG練習
 朝に起きてたら桃木も起きて来た。
 昨日は久ひ振りにぐっすり寝られたそうだ。
 良かった。
 シーツや枕カバーも洗濯してくれ、台所回りも掃除してくれた。
 外で記念写真を撮ってから、パークゴルフ場に向かう。

 彼女は私のママチャリでベイエリアから五稜郭を観光して一度自遊旅に戻り荷物を持って、バスで空港まで行くそうだ。

 チャリでパークゴルフ場に向かう。
 走っている途中で妻から電話があり、参加する人からまだ来ないと電話があったそうだ。
 9時半パークゴルフ場集合なので問題は無い筈なのだが・・・。
 最後の登り坂はきつい。
 やっとクリアして到着。
 20分くらいして皆がやってきた。
 全員で6人になった。
 今回は金曜日グループで、町内会とは別に金曜日に練習をしている。
 午前中1ラウンド半回り、午後から1ラウンド半回った。
 最後は男女ペアマッチを行った。
 これが実に面白かった。
 私と内藤さんチームが1位になった。
5月10日(木)ぶんぽ例会&総会
 ぶんぽ研会長が長期入院のために開催されなかった、例会が総会と同時に行われた。

 今まで例会の資料は会長が作成していたが、それも出来ず今回は簡単な資料が作成された。
 一人で今までやっていたので、入院されると大変な事だと思う。
 会長代行として副会長の落合氏が当面業務を行う事になった。
 今年の行事的には昨年と同じなので、それほど難しい事は無いだろう。
 最後に私の作った「大野村古地図」の話しを15分位させていただいた。
 今日の朝に大急ぎで作った資料は間違いが多かった・・。

 昼食は会から出た。
 お稲荷さんとのり巻きだった。
 美味しく頂く。

 午後から総会が行われた。
 開会のあいさつは会長代行の落合氏。

 来賓として北斗市の八木橋課長が行った。

 平成29年度の事業報告・会計報告が行われ了承。
 平成30年度の事業計画・予算も了承された。

 総会中にメールが入る。
 桃木からだった。
 2013年の大阪の旅人で美瑛から6人でねぶたに参加するのにやってきた。
 桃木は足を骨折していたのに函舘まで来たのだ。

 この時の人は1人が、アメリカ縦断徒歩旅行し終えて、今再びアメリカの別ルートを歩いている。
 一人は気仙沼で社長をやっている。
 他の一人はバイクのレースに夢中だ。
 他のメンバーも自遊旅に何度か来ている。

 その時は凄い人がいるんだと驚いた。
 今日函館に来たので泊めて下さいとの事だった。
 OKして夕方帰る事を告げる。

 夕方桃木が来る。
 旅人だったのが普通の社会人らしい服装で来ると全くイメージが違う。
 今は航空関係の会社に勤めていて、格安の航空券が手に入るそうだ。
 本来は千歳から道東に行くつもりだったが、天候が悪いので諦めそれならと自遊旅に来てくれた。
 旅の話しを9時頃までして寝た。 
5月9日(水)家で資料作り
 昨日ぶんぽ研の副会長から電話があり、10日の例会で「大野村古地図」の話しをして欲しいとあり承諾した。
 時間は15分程度なので、簡単な事しか離せない。
 個別に解説したら1時間は勇に掛ってしまう。
 今回は作る事になった経緯や街並みの事、主な人物についての解説で終わりかな?
 完成版を1冊作って持って行く事にして印刷をする。






 他に説明用の書類を20部作って印刷したが、最後はインク切れで色が出なくなってしまった。
 100ページもカラー印刷すると大変だ。
 

 外は寒いがバーベキューコーナーに作った柵の看板に文字を入れる。
 色々と考えたがやっぱり「自遊旅」にした。


 自然倶楽部代表の鎌鹿さんから、恵山親子登山会のガイドを依頼された。
 今年は松浦武四郎が北海道と名付けて150年の節目なので、松浦武四郎のコスプレで行きたいが、衣装は無いな。
 因みに松浦武四郎も恵山に登っているので好都合なのだが・・・。
5月8日(火)野宿も失敗
 朝に桔梗から自遊旅に帰って来た。
 天気もまあまあだし、自転車で走りたくなった。
 最近なかなか乗る機会が無くて、遠ざかる一方だ。
 木曜日には文化財保護研究会の例会と総会があるので、行かなくてはならない。
 今日と明日は空いているので、1泊2日の野宿をしてこようと、サイドバッグに荷物を入れて出発した。

 方向は東の方向だ。
 下海岸通りを行くが、強烈な向かい風が吹いている。
 自転車がなかなか進まない。
 脚力が落ちたのだろうかと思うくらい進まない。
 それでも久しぶりの自転車で気持ちは高揚していた。
 暫らく走ってから気が付いた。
 テントのポールを積むのを忘れた!!
 最初サイドバッグの中に入れたが、以前のに比べ新たなバッグは小さいのだ。
 そこで長いポールは別に積もうと思っていたのだが、出したまま積むのを忘れてしまった。
 もう帰るのも大変なので、ただのツーリングになってしまった。
 途中、橡木山白木神社の看板があったので、ここを見て行く事にする。

 この付近の橡木坂は川汲方面から来る旧道で、何度も調査には来ている。
 神社の看板は知っていたが、今回初めて寄る事になった。
 自転車なのですっと入って行ける。
 山の方に入って行ったら何か説明板がある。

 「連理木」があった。
 連理木はあちこちに見る事は出来るが、ここの連理木は凄い!
 樹齢800年余りの連理木など見た事が無い。





 説明板を見たら、何と開拓使長官の黒田清隆が巡視の際、この木に感嘆し世に伝えたと言う。
 さらに厄を防ぐ霊木として「とちのきさん」参りが行われたそうだ。
 一般的には縁結びの木と言われているのだが、ここはそれは無い様だ。

 この木は一体いつまで連なって生きて行くのだろうか?
 縁が結ばれているとしたら凄い事だ。
 じいちゃんばあちゃんを遥か過ぎている。

 帰りは強い追い風で快調に飛ばしてきた。
 あっという間に自遊旅に着いた。
 結局20km程度のツーリングだった。
 
 帰って温泉に行き今日は終わった。
5月7日(月)PG練習会
 パークゴルフも本格的なシーズンを迎えたので、会員も今日は18名集まった。
 班分けをしてスタートする。
 天気は良くて気持ちが良い。
 教えながらやるので、なかなか集中は出来ないが、練習なのでどうってことは無い。
 パターも新しいやり方に変えたがまだしっくりこなくて苦労していいる。
 最初は気を付けているが、後半は違う撃ち方になっている。
 まだ体に覚え込ませられていない。
 スコアあ112と100オーバーしてしまった。
 
 午後からは昨年のチャンピオンと回ったので、流石に気合は入る。
 競り合って同スコアの105で回った。
5月6日(日)桔梗でテレビを見る
 昼には桔梗に移動したが、娘がタイヤ交換すると言うので、急遽自遊旅にタイヤを取りに行った。
 少し早く言ってくれてば積んで行けたのに・・・。
 午後からはファイターズの試合を見る。
 今日は勝利で順位は2位と昨年に比べれば良い成績だ。
 西武が余りにも強すぎる。
 夜テレビを見ていたら秘境への野宿旅という番組で、朝日の美しい場所でキャンプするという内容で放映されていた。
 見たら土屋アンナが神島に行って野宿をする内容だった。
 この神島には2007年に野宿した経験がある。
 親戚の姪っ子に函館から軽四の自動車を運搬を頼まれた。
 その時に自転車一式を積んで行って、車を送り届けた後、熊野古道をMTBで踏破した。
 その際、青森ねぶたであったMさんに来た事を話したら、神島に行ってキャンプしようとなった。
 釣り客を沢山乗せた船で神島に着いた。
 何処でキャンプするかうろうろして、このテレビにも出て来た学校の近くにテントを張った。
 翌日早朝に海岸まで行って綺麗な朝日を見て、島を一周して港に帰って来た。
 そんな思い出の場所が出たので楽しく見られた。
 土屋アンナは漁港にテントを張っていた。
 多分海岸だと誰も来ないので、映像的に面白くなかったのかな?
 岸壁なので大勢の人が来て賑やかだった。
 この学校の近くで野宿

 この海岸で朝日を見た

 こんな感じだった

5月5日(土)色々
 今日は午前中に2つの仕事をして、午後からはファイターズの試合を見ることにした。
 やる事は
 @ 解体した家の貰った柱の移動。(車を入れるのに狭いので)
 A バーベキューコーナーの看板のペンキ塗り。
 B バーベキューコンロのテーブルへの設置。

 家の柱の移動は30分位で終わったが、重いものなので汗をかいてしまった。




 ペンキ塗りはペンキが無かったので100均で買って来て塗った。
 後は文字を入れるだけだ。
 花は桔梗の庭にあったスミレを貰って来た。


 テーブルへのコンロの設置も無事終わり、今日の予定は終わった。

 今はテーブルの中に置いてる

 下には長い足が出ている

 コンロを裏返しにして

 コンロの乗る板を付ける

 コンロに金具を付ける

 切り込みを入れる

 これでフラットになる

 
 フラットになったので、前に切った板を上に載せれば、バーベキューをしない時は、テーブル全面を使える。
 後は色を塗るのだが、白でなく異なる色でも面白いかな?
5月4日(金)桔梗にに行く
 昨日採った山菜を持って桔梗に行く。
 少しの間テレビを見ていたが、妻も畑仕事でいなくなったので、私も自遊旅に帰る事にする。
 妻から温泉のチケットを1枚貰ったので昼に温泉に行く事にした。
 自転車でなごみ温泉に行って回数券を出したら、「他店の物です!」こちらを見ず下を向いたまま突き返してきた。
 随分乱暴な言葉で言うのだと驚いた。
 間違ったとはいえ「お客さんこの回数券は違いますよ」くらい言えないのだろうか?
 こんな温泉は入りたくないな。
 妻から回数券を貰った時「のぞみ温泉ならあるよ」と聞いたので、確認もせずに行ったのだ。
 まあ良いかと一度帰って、老人福祉センターのチケットを持ったチャリで行ったが、何と休みだった。
 今日はついていないなと思いつつ、諦めきれなくて車で「花園温泉」に行く。
 のんびり入って来て、夕食の準備をして後は、家でのんびりしていた。
 夕食は厚沢部の道の駅で買って来た、100円のアスパラの太い部分に豚バラを捲いて作った。







5月3日(木)江差方面に行く
 今日は強風、大雨の予報が出ていたが、予定通り出かける。
 雨雲レーダーを見たら、雨は弱いのと、午後になれば曇りになりそうだ。
 今日は登山では無く軽く歩く程度にしたいとの要望だ。
 トレッキングは地形図を見たら江差の東の方に沼が点在していたので、その沼を回って見ようと考えていた。
 雨の中中山峠を越えるが、ゴールデンウィークの後半なのに車は少ない。
 途中厚沢部の道の駅に寄る。
 結構な人が居て賑わっていた。
 私は特に買う物も無かったが、太いアスパラの茎だけを売っていたので購入。
 100円で20本くらいは入っている。
 色々な料理に使えそうだ。
 江差に入って東に向かう。
 GPSで沼の入り口を確認したら道があった。
 車は入れないと思ったら入れそうだ。
 1kmくらい走ったろうか。
 沼方向に向かう細道があったので、車を置いて入る。
 長靴に履き替え入ったら直ぐに沼がある。

 良い感じだ。
 どうやら整備された道もあり、この辺り一帯を整備した様子がある。
 その後、2つの沼があり、建物もあったがもう使っていないようだ。
 沼をずっと巡る。
 コンクリートの立派な橋があるのにはびっくりした。
 ここでユートピアを作って、のんびり生活しようとやっていたのかなと思うが・・。






 橋は立派だ



 ボートもある



 桜もあった

 江差市街地に戻っていにしえ街道を回ったが、ここは大型バスが数台到着したばかりで、人がどんどん降りていた。
 これから賑わうのだろう。

 上ノ国に向かう。
 道の駅もんじゅに寄るがここは混んでいた。
 札幌や室蘭ナンバーの車が多くいたし、本州の車も少し見られた。
 特に購入する物も無く、雨も上がって来たので、山に少し入ろうかとなった。
 木の子の大安在川に沿って入る。
 この道は以前に登った高山(355m)の登山口にもなる。
 シラネアオイ
 更に冬には丸山をこちらから登れないか試みたが、藪が深くて失敗した事もある。
 適当な所に車を止めて、山菜を少し採る。
 行者ニンニクはもう伸び過ぎていた。
 ヒドケや蕗を採って、道の駅もんじゅに戻る。
 ここで昼食を摂る。
 時間も12時を大きく回っていたので空席が2つあった。
 てっくい(ひらめ)が名物でそれを使った料理が多い。
 てっくい天ざるをいただく。


 
 揚げたてのサクサク感のあるてっくいの天ぷらは美味しかった。
 帰る事にして函館に向かうが最後に、仁山スキー場に寄る。
 に山スキー場は久しぶりだ。
 に山スキー場ロッジ
 アルペンチームでの練習を見ている時、上から来たスキーヤーに衝突され、右足を怪我して今でも自由では無い。
 それ以来アルペン競技は無理で、スキーも止めてしまったいきさつがある。
 に山でも大会が何度もあり、優勝した事もあったので懐かしい。
 今見るスキー場は施設が随分古くなったなとの印象だ。
 少し登って行ってアズキナを採って帰宅。
 アズキナ

 ヒドケ
 今日一日は雨にも少ししか降られないで良かった。
5月2日(水)鈴蘭が丘PG場で練習
 今日は午後から雨の予報になっている。
 それではとばかり、今年初めてのMTBを出して、PG練習にMTBで出かける事にする。
 PGセットを積んでスタートするが何か重い。
 見たらブレーキシュ―がタイヤホィールに接触している。
 ブレーキシューを調整して出発したがまだ重い。
 何と後輪の空気がかなり抜けていた。
 満タンに入れて出発する。
 久しぶりのMTBは気持ちが良い。
 でも足にかなり負担がくる。
 暫らく乗っていないからな。
 自然倶楽部の横を通るので、寄って先日の尖山のコースを聞こうと思ったが、店は閉まっていて車も無い。
 山の仕事でも入ったのだろう。
 競馬場前から左に下りて坂を登り、道道100号線(通称産業道路)に出る。
 ここから緩い登りを行き、大きく下って長い登りになる。
 結構急でインナーローで走るが、足を付く事も無く登りきった。
 今日はパターの練習なので、パター専用の練習場で行う。
 先日、やり方を変えたパターだが、まだしっくりこない。
 そこで最初のスタイルと今のスタイルの中間で練習をする。
 なかなか感じは良いが、ここはグリーンも平らで整備も良いので思った所に行く。
 100球くらい練習をして良い感じになったので終了。
 次回の町内会のPGでやって見よう。
 帰りは下りが多いのであっという間に着いた。
 調子も良くなり結構なスピードで帰って来た。

 午後から、夕食の準備をする。
 一昨日作ったみつ葉の玉子とじは美味しかったのでもう無くなった。
 香りが良く美味しかった
 再び作る。
 
 午後からTOKIOの記者会見を聞きながら、一本木関門の調査をする。
 事件を起こすと大変な事になるんだとつくづく思う。
 本を探して入るうちに、「函館のいしぶみ」と言う本が出て来た。
 非売品なのだが古本屋の価格札で1400円になっていた。

 亡くなったSさんの遺品の本を沢山貰ったがその中にあった。
 道南の歴史研究協議会の相沢勝三郎さんが書いたものだ。

 明治34年生まれで、大正5年には若松小学校に居た。
 この本の中に「土方歳三最後の地碑」の事が書いてある。
 昔は今の場所では無くグリーンベルトの中になったのだが、その当時の写真も載っていた。

 土方歳三の亡くなった場所として一本木も考えられているが、この本では1本木関門で銃弾を受けたと書かれている。
 「若松町の電停「若松橋」左側の角に、昔(大正二年頃)大宅という格子ばかりの2階建の旧家がありこの家の脇に小川が有って橋が架かっていた。」と書かれている。。

 先日ここに行った時平屋であるが大宅の家は有った。
 大宅家のある小路

 もう少し先

 現在の大宅家
 この家の前に水路があったのだ。
 この家は明治9年の地図にも「大宅民蔵」の名前で載っている。
 箱館戦争の時もあったのかも知れない。
 それとも明治2年以降に建てたものだろうか?
 この水路は松川街道を通って、亀田川に繋がっていた。
 下の地図で大宅家を囲んで水路があり、その先は松川街道の傍を通って亀田川に繋がっている。

 古図で箱館戦争を書いた絵があるが、その中にも水路は書かれている。

 今ある碑は若松小学校の隣に、鶴若稲荷神社という、この辺一帯の守護神があった。
 無格社ながら奉還されたのが寛政年間(1848-1750)というから、今から288年前に祠が建てられたのだ。
 大火でこの辺り一帯が焼けた時、若松小学校は再建されたが、この神社は再建できずに終わってしまった。
 この土地は個人が購入して住宅になった。
 昭和30年頃にこの家の改築が行われ、土台下から「土方歳三最後の地碑」の一部と3つに折れた猿田彦大神の碑が見つかった。
 発見したのはこの若松小学校の同窓会会長の藤野藤太郎氏で彼は子供の時、この神社でよく遊んでいたので碑の事は知っていたそうだ。
 同窓会が協力して土方の碑はグリンベルトに、猿田彦大神の碑は現在の函館市総合福祉センター前にある。
 現在の碑
 この猿田彦大神の碑は箱館と亀田の間の境界にあったもので、一本木関門はその碑の延長線上にあったと考えて良いのではないか?
 下の地図は文政4年で神社が書かれている。
 桝形も書かれており、ここで検問が行われた。
 一本木関門も桝形付近と思われる。

 尚一本木の名称の由来は、前述の大宅家と小川の間に大槲樹(かしわ)の木があったのと、鶴若神社の境内裏手に樹齢100年を越える大銀杏の木があったので、どちらかに依って名前が付けられた様だ。
 
 リサイクルショップで貰った小物入れは、テレビボードと食器ボードの間にぴったり収まった。

5月1日(火)自遊旅に戻る
 朝に桔梗から帰ろうとしたら、今日は近くのほっともっとの開店記念で、お弁当を購入したらサラダ油が付いてくる。
 これは行かなくてはならない。
 妻と二人で向かう。
 店内は10人程が弁当の出来るのを待っていた。
 注文したのはのり弁だ。
 380円位するのが300円で買える。
 二つを注文する。
 妻も二つ注文する。
 家に帰れば娘夫婦が居るからだ。
 外で待っていたら妻が97番を呼んでいるよと言われ入って受け取る。
 少しして妻も受けとって出て来る。
 1個の弁当を貰って自遊旅に帰るが、その前に材惣に寄って廃材を貰う。
 ぶんぽ研の中原さんを通じて溜まったよのアナウンスがあった。

 家に帰って車から降ろして薪小屋に入れる。
 1/3位は溜まったろうか、冬までには満杯になるだろう。


 これは何かに使えそうだ。

 自転車で支払いに行こうとしたら向かいのリサイクルショップのお兄さんが居た。
 引っ越しで色々物が出たので持って言って良いよとの事だった。
 薪にする椅子やテーブルもあったが、その他にも色々あった。
 テント紐は使える。

 良い香りで歩くか?

 これも新しい

 部品入れに良いか?

 テントも新しいのがあったがもう家には5個もあるので要らない。

 支払いに行った帰りに「土方歳三最後の地碑」寄る。

 相変わらず土方ファンに寄る花が供えられていた。
 近くにある箱館と亀田の境界であった石柱の写真を撮る。

 ここの境界に一本木関門があったのだ。

 他に願乗寺川からの水路が流れていた場所の写真を撮る。

 6月の碧血祭の時、本州から来る人のガイドを頼まれているからだ。
 資料を作らなくてはならない。
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