鷲ノ木


川汲峠

箱館

知内嶺


白神山道

福山城


十三曲がり


開陽

江差
プロローグ
 明治元年10月20日、徳川艦隊は「開陽」他7隻が蝦夷地「鷲ノ木」に上陸した。新政府から800万石から70万石に減らされる処遇をを受けた旧幕府軍は、家臣30万人が路頭に迷う。
 そこで最終目的地を蝦夷にして、北方警備や開拓を行おうと考えた。鷲ノ木から箱館府宛ての嘆願書を持った、人見勝太郎以下32名が箱館に向ったが、途中の峠下で、箱館府側の攻撃に遭う。
 ここに箱館戦争の幕は切って落とされた。箱館攻撃隊は本道を隊長大鳥圭介が進攻。間道を隊長土方歳三が400余名の隊で内浦湾沿いの道から難所の川汲峠を越えて、五稜郭に進攻する。
 箱館府は知事をはじめ、既に青森に敗走していた。無血入城を果たした旧幕府軍は、松前藩に対して嘆願をするが、使者が切られる事態になり、土方隊は休む間もなく、福山(現松前)に向った。
 途中の知内と福島、松前で戦いが行われたが、これらを撃破し福山城を陥落させた。さらに厚沢部の館城に逃げた松前藩を追って、五稜郭から松岡四郎次郎隊が出発。土方隊も西から館城を挟み撃ち攻撃するため、江差に向けて出発する。
 途中の難所大滝の十三曲がりで、松前藩との戦いが行われたが、これを撃破し江差に向った。しかし、館城は既に陥落し、松前藩は城主共々、乙部から青森に逃亡した。
 土方隊が江差で見たのは、主艦「開陽」が座礁しているショッキングな姿だった。土方歳三はどのような思いで、これを見たのだろうか。
 この歴史的な事が行われた道について、2年間調査して来た結果をここに纏める事にした。150年前の歴史的出来事を思い浮かべながら、歩くのもロマンがあるのではないか。是非多くの人に歩いて貰いたい。
                          
                         旅人 も〜さん
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