箱館戦争−矢不来の戦いの場「鏡山」探索
                                      2009.6.28
                                      大野文化財保護研究会会員 毛利 剛


 箱館戦争の激戦地である、茂辺地の矢不来近くの鏡山(330m)に登ることになった。同じ大野文化財保護研究会に所属する会員の女性2人を含む4人での探索登山だ。
 明治2年に新政府軍が茂辺地の矢不来を攻撃した時は、矢不来台場の正面攻撃隊と海岸攻撃隊と山側攻撃隊の3軍により行われた。
 大鳥圭介の「南柯紀行」」には「陸軍(西)山手と海岸とより進み来り、追々戦いを交ゆる頃に至りて、海軍春日・朝陽・甲鉄より矢不来砲場に向かって発砲烈しく、陸軍も左右の山より襲ひ来りしが、身方も海岸と山手の胸壁に倚り之を防ぎ・・(中略)・・山上にては身方一歩も退かず戦尚蘭なり。幸、額兵一小隊許り応援に来りしを以って之を散開し戦ふ中、追々山手身方も引揚げ来る故、皆富川に帰り敗兵を収めしに、適巳に尾撃し来りしによりて又有川に退きたり」と書かれている。 
 この戦いの場所は矢不来台場の北西にある鏡山で、大正時代の地図にも鏡山の周辺には道があり、旧幕府軍が敗走した富川への道も書かれている。

 又岡山藩の水原久雄が書いた「箱館戦争図幅」には鏡山に胸壁が4ヵ所書かれて、その胸壁下の斜面には戦死者や負傷者の名が書かれている。その他の山にも2ヵ所の胸壁が書かれている。
 この絵を国土地理院の5万分の1の地図に当てはめるとぴったり一致する。鏡山と後部に書かれた山が実際の地図上にある事が分かる。
 最初はダートの車道になっている。
 車を道端に駐車して歩く。茂辺地川支流の市ノ渡沢川に架かる、市ノ渡橋のそばに川に沿った道がある。現在の道は植林や木材伐採のために作られた道なのか、車が通れる幅の広い道になっている。
 ここには昔の面影は無いのかなと思いつつ行くと、正面に鏡山が見えてくる。標高は330mある。







 右手のピークが頂上になる。
 この山の斜面で戦いが行われたのだと、しばし目に焼き付ける。しばらく道を進むと車道は行き止まりになった。
 これは困った。でも旧道探しはいつもこの様なものだ。ここは斜面を真っ直ぐに頂上を目指して登るしかない。  斜面の緩めの所から登り、植林された杉林を通って登る。杉の払った枝が大量に落ちていて足元がふわふわして歩きにくい。時々昔の道を思わせる形状が見えるが、はっきりはしない。
 茂辺地の市の渡地区から富川に抜けるこの道は、昔からそれ程の通行量が無かったのではないだろうか、通行量の多い道は、「うとう」と呼ばれ、多くの人や馬が歩いて、道がU字型に掘れている。
 道南では川汲峠や福島町の茶屋峠にその跡が見られる。U字型の深い道が無い事から、やはり矢不来台場を通る、北海道で一番古い、福山街道が主要道路であったのだろう。
 この鏡山の裾野を通って富川に抜ける道は、茂辺地の市ノ渡りに住む人が、箱館方面に向かう近道として使ったのであろうか。それとも鏡山の西南には、馬道という名の集落が昭和の初めまであったので、そこの住人が使った道なのか?
 写真は見えにくいが地面は掘れている。
 道は完全に無くなり、段々と斜度を増すが、木や笹に掴まれば何とか登って行ける。2/3くらい登ったら、斜面の下が良く見える棚状の場所があった。そこには、横に長い人工的に見える穴や小さい穴もある。
 他にも何ヶ所かその様な場所はあるのだが、胸壁と断定するには至らない。
 急斜面を登る
 胸壁らしい形状を見つけては「これそうだよね、この場所なら絶対攻撃に良いよ」等と気分は当時にタイムスリップしてあれこれ想像する。この斜面なら胸壁は深く掘らなくても大丈夫だ。敵と戦うには、絶対有利だと思える場所だ。
 熊の糞がお出迎え
 登っていると、熊の糞が我々を迎えてくれた。この辺りの斜面を歩きまわる熊さんも大変だなと同情する。
 さらに登って行くとピークに近くなってくる。斜度も緩くなってくるが、根曲がり竹が密集している。高さは遥かに身長を越えて、2m以上ある。根曲がり竹と格闘しながら、汗だくになりながら進む。
 根曲がり竹が長くて空しか見えない
 根曲がり竹の中は景色が全く見えない。青空が見えるだけだ。風も全く当たらない。
 頂上付近
 途中にあった木に登って周囲を見ると、この近くが頂上だと分かる。2等三角点がある筈だが、余りの竹の密集度で探すのは困難だ。景色も笹が無ければ360度見えるのだが、今は笹で見えない。やはり来るなら初冬か春の残雪期が良い。
 空が明るい場所もある
 諦めて下山する。今は人も歩く事が無くなったので、自然がそのまま残されている。
 戦いの場所の地形の凄さをあらためて感じた。旧幕府軍は山では守備したが、海岸隊が新政府軍の艦砲射撃で崩れたので、それに伴い山を守備していた隊も富川に後退する。
 歴史を現地で探索する楽しさを十分感じて帰宅した。