■ 5月31日(木) ■ 少々お疲れ気味
NO FHOTO  連日の忙しさに、今日は疲れ気味。朝から何もする気になれず、まったりしていた。
 それでものんびりは似合わず、虫が一杯付着した車を洗車し、図書館に本を返したり、妻のお母さんを病院から送って行き、お母さんの部屋で葬儀の写真を見せたりして帰宅。
 夕方になり眠くなったので、ベッドに入ったら2時間も寝てしまった。
 妻から年取ったねと言われるが、日ハムの札幌ドーム往復から、名寄まで往復運転、葬儀への参加とOB会の宴会と休む暇が無かった。
 日ハムの試合があるので、慌てて起きテレビを点けたら雨でまだゲームは始まっていない。
 やがて始まったゲームも1回のみで中止になった。今日は早く寝ようと思ったが、9時から函館ツアーのテレビがあったのでついつい見てしまった。
■ 5月30日(水) ■ 函館に戻りOB会に出席

元上長はここまでやるオヨネーズの「麦畑」

得意のスコップ三味線スナックに置いてある
 朝は何時もの通り別れがある。私が車に乗っても孫はバイバイとなるのだが、そこに妻が乗り込むと「おばあちゃ〜ん」と泣き出す。
 夜も一緒に寝るおばあちゃんっ子だ。ほろっとしながらも車を走らせる。孫は居なくなった後も、しばらく泣いているそうだ。
 何か疲れて、帰りの車は無口になった。高速道路を淡々と走り、午後には函館に着いた。モダ石油で120円でガソリンを入れる。
 ここのスタンドは表示は128円とかなっているのだが、実際入れると120円となる。このシステムが良く分からない。でも他社に比べ圧倒的に安いので助かる。
 3時に会社に行く。会社のOB会が開かれる。函館の工場に行くのは20年ぶりくらいだ。函館工場、千歳工場、津軽工場と転勤した。OB会は毎年行われているが、何時もこの時期居なくて、今回が初めての出席だ。工場見学しても造っている物や装置もすっかり変わっている。
 それでも知っている人は結構居て、懐かしく声を掛け合った。あちこちで新聞報道を見たよと言われた。嬉しかったが報道の力は凄いな。
 夜の会食も楽しく、このような企画に対して、会社に感謝しなくてはならない。
■ 5月29日(火) ■ 札幌に戻る

 朝6時に起こされた。昨日は通夜を執り行ったお寺で寝たが、さすがに朝は起きれなかった。
 午前10時からの告別式も終え、取り越し法要も終えた。我々もここまでで、帰る事にする。
 疲れもあるし、おまけに天気も良い。眠らないように気をつけて走る。
 札幌の娘から、今日は温泉にでも行って食事をしようと電話があったので、夕方まで札幌に着けば良いので、高速道路を80km/Hr程度で走る。軽にとってはこの辺りが丁度良いスピードになる。
 札幌に着いたがまだ旦那が帰っていなかった。やがて帰って来た、旦那はさらに町内会の総会にも出なくてはならない。
 遅くなったが温泉に行く。大人の取り決めで、孫の瑞葵はお父さんと入るとなったが、やはり泣き出しお母さんと入ると、強固に抵抗し、結局お母さんと入る事になった。
 ここの温泉の露天風呂には大型TVが付いている。そのため結構長い時間入る人がいるので何時も込んでいる。TVでは6桁暗算をやっていて「凄い!」とか言って、知らない皆が一体になってTVを見るのも面白いな。
 帰ってジロ・デ・イタリアを見てさらに、モナコGPを見るが、旦那が町内会の総会で貰ってきた、豪華なおかずを食べながら飲んだら、半分は睡眠状態。
 終わって直ぐに布団へ直行。
■ 5月28日(月) ■ 名寄着

葬儀はお寺で行われた
 朝札幌を出て、名寄に向う。MAXにはカーナビが付いていないので、高速に乗るまでは町の中を適当に走っていたが、すんなりと高速の入り口に入れた。
 名寄までは100kmくらいなので、普通車であれば1時間30分位で着くのだが、軽のMAXはそうは行かない。登りに入ればスピードが出ない。おまけに札幌〜旭川間には高速道路の最高所地点がある。ここはさすがにきつい登りだ。
 アクセルをかなり踏み込んでも80km/Hrがいいところだ。
 結局2時間で到着。着いたら丁度納棺が始まったばかりだった。まるで生きている様な変わらない顔に涙する。
 亡くなったおじさんは気さくな人で、私はここの家の雰囲気が好きで何度も宿泊している。近い親戚よりも多く泊まっているかもしれない。
 真冬にも来てスノーモービルに乗せて貰った。そんな思い出が次から次と蘇る。
 会場はお寺に移り、午後7時から通夜が行われた。会場は人で溢れる。高齢者の葬儀としては多い人数だった所に、おじさんの地域の人に溶け込んだ活動が分かる。小学校を出て直ぐに農業に従事し、民生委員や農業委員などの公職を長いあいだ続けてきた。
 葬儀は悲しいが、普段会えない多くの親戚が一同に集まる。夜は遅くまで故人の思い出を語り合った。
■ 5月27日(日) ■ 急遽名寄へ出発
NO FHOTO  朝7時頃電話が鳴った。妻が出たが、こんな時間の電話は珍しい。
 一瞬、何かあったなと不吉な予感がする。そうしたら案の定、名寄のおじさんが亡くなった。妻のお母さんの弟だ。直ぐにお母さんの入所している老人施設に飛んでいく。
 お母さんは、当然ながらびっくりしていた。名寄まで行くかどうかを確認したが、89歳と高齢なので、やはり長距離なので行けないと言う。
 私と妻が行く事になった。フレンディはマフラーが壊れたので軽四輪のMAXで出発。
 午後からの出発なので、今日は札幌の娘の所に一泊する。
■ 5月26日(土) ■ 執筆と日ハム観戦
NO FHOTO  何時ものように朝から、執筆活動で昼まで過ごす。午後からは日ハムの試合があるのでテレビに釘付けになる。結局野球が終わったのが4時過ぎになった。
 それにしてもヤクルトは不幸だ。2試合ともありえないようなエラーで負けてしまった。日ハムファンとしては嬉しいが、何故か2試合もとなると、ヤクルト可哀想という感じになった。
 早朝からパソコンに向うと、かなり進捗するのでこの調子で1週間もやれば、早く終わるのだが。パソコンに向うのは結構きつい。
 1日は絶対持たない。目が霞んでくる。やはり息抜きをしながらやるしかない。しばらくこんな生活が続きそうだ。
■ 5月25日(金) ■ マフラーが外れ暴走族

懐かしい写真・・左から2人目がも〜さん
 札幌から帰る途中、急に音がうるさくなった。まるで暴走族のように・・・。
 朝にチエックしたら、マフラーが中間部分で、離れてしまった。腐食のせいなのだろう。13万キロも走っているんだから、限界だろう。
 それでもまだ諦めないぞ。修理してやる。でも雨なので今日は中止。
 昼に佐々木さんと親戚の人がゲストハウスに遊びに来る。先日原口の祝賀会で撮った写真を渡して、しばらく雑談。
 今度飲みに来ると張り切っていた。そして原口に6月3日に遊びに来ないかと誘われる。その日は原口小学校の運動会なのだが、来年の廃校が決まっていて、最後の運動会になる。
 沢山の人が集まって盛り上げようとOBなども頑張っているそうだ。私もすっかり原口の住人になってしまった。
 午後から畑に行き、雨の中、とうもろこしなどを植えて帰ってきたらもう夕方だ。早い一日だ。
 最近ネブタがもう盛り上がりつつある。誰が来る誰が来るとの情報が入ってくる。
 今年で跳人は5年目。チャリダー軍団の最年長跳人としては、少し鍛えて行かないと大変だ。足が攣るだろうな。皆鍛えているやつばかりが来る。
■ 5月24日(木) ■ 函館に帰宅
NO FHOTO  朝起きたら、枕元に朝4時からサッカーのヨーロッパカップの決勝があるよと娘からのメモ。何時も早起きなので気を使ってくれた。
 所が起きていたが、本ももって来ていなかったので起きても仕方がないなと、布団に入ったままうとうとしていた。6時30分に電気を点けたら枕元にあったのを発見したが手遅れだった。
 ホテルに迎えに行き、娘宅でわいわいと話す。昼は皆で外食してから分かれる。
 この別れがだんだん辛くなる。以前はまだ小さかったのでバイバイと言えばばいばいと手を降っていたが、今は分かれる事が分かってきたので泣かれる。「ばあば、ばあば」と泣かれるが「じぃじ」とは言ってくれない。やはりばあばが好かれるかな。
 それでも普段手をつないだり抱っこはじぃじなのだ。役割分担を知っている。
 分かれて苫小牧に向う。妻の妹が苫小牧から敦賀にフェリ−で行き。小浜から京都までの鯖街道を歩く女一人旅なのだ。
 彼女は全国何処でも友達とか団体で歩いているが、最近は一人旅に嵌まっているようだ。私のHPも「男一人旅のすすめ」なので、似ている。
 私の妻は一人は駄目で、食堂にも入れない人なのだ。まして一人で旅行なので考えられない。妹の旦那も自分一人では何も出来ない、と夫婦は面白い。
 苫小牧まで送って行き、一路函館に戻る。夜8時になったが、ばあちゃんは体調も悪くなく。無事ホームに着いた。今度は大好きな相撲に連れて行きたい。
 家に帰って新聞を見たら、北海道新聞に先日の250kmウォークの取材記事が載っていた。販売店もサービスで掲載紙を10部も置いていてくれた。
■ 5月23日(水) ■ おばあちゃんを連れてハム応援

ファイターズキッズ応援団の瑞葵

ピンバッジも一杯だ

おばあちゃんを囲んで
 朝8時に出発する、阿部さんを駅まで送る。阿部さんは二日酔いだ。私は多少の二日酔いで済んだ。駅で別れ「米沢に遊びに来て下さい」と何度も言われた。今度行きたいな。「成せばなる。成さねば成らぬ何事も」・・か上杉謙信の良い言葉だな。
 送って帰ってきたら直ぐに、札幌に向う。今日は妻のお母さんと妹を連れて、札幌で行われる日ハム対巨人戦の応援だ。
 実はおばあちゃんは大の巨人ファンで野球のルールは勿論、選手名なども良く知っている。
 そこでおばあちゃんに巨人の本物の試合を見せたかった。89歳になるおばあちゃんは、体調が悪いとか目眩がするとか中々行くとは言わなかった。
 そこで今日はドライブに行くとして、老人ホームには札幌に行くので、着替えや薬などの準備をして戴いていた。おばあちゃんのホームに行き、車に乗せる。
 「も〜さんが来たんだ」とおばあちゃん。最近は何時も妹が来るので、珍しかったのだろう。
 車は八雲、長万部を通る。おばあちゃんは懐かしそうに話したり、景色を見たりしていた。何処に行くかはまだ知らない。
 長万部からは高速に入る。時間が少し足りなくなってきた。そして洞爺湖。
 「随分遠くまで来たね」と言う。ここで札幌ドームに行くと行ったら、「洞爺湖まで来たらもう直ぐだもね」とおばあちゃん。目が眩むと言う事などすっかり無くて、元気一杯。
 やがて札幌の私の娘宅に着き、孫の瑞葵も乗せて、札幌ドームへ。内野指定席の見やすい場所だった。
 弁当を買って食べたり、トイレに行くなどしてあっという間に試合に突入。瑞葵はBB君のユニフォームから、ピンバッジの沢山付いたキャップを被り、手にはメガホンと完全ファイターズモード。
 応援も声を振り絞り叫ぶ。「がんばれ〜幸雄!」甲高い声が響くので回りも大注目。
 日ハムはエースダルビッシュ。いきなり2点を取られやばいと思ったが、その裏に田中幸雄がホームランなどで4点が入り、それ以降は0が続く。
 瑞葵は最初に、稲葉ジャンプで張りきってすっかり疲れてお寝んね。
 結局は4対0で日ハムの2連勝。おばあちゃんは残念だったが、始めて見る、生の野球と応援の凄さに驚いていた。これから帰ってテレビを見ても、この雰囲気を思い出すだろう。
 帰りにおばあちゃんと妹をホテルに送り。我々は娘宅に行く。
■ 5月22日(火) ■ 米沢から安部さん来る

外の水道から分岐した

トイレも和風のデザインです

記念写真
 今日は米沢から阿部さんが来るので、良いチャンスとばかり、トイレの配管をする事にする。ゲストハウスは人が時々泊まる程度で、水道基本料金が勿体無いので、トイレは自宅を使っても貰っていた。
 案としては自宅から配管をしようと思っていた。それを実行する事にした。何かきっかけが出来ないと腰が上がらない。今日はお客さんが来るので思い腰も上がった。
 配管は外の水道から引く。まずは穴を掘り、菅を埋める準備。その後、配管を始める。鉄製の菅は高いので、外に出る部分は鉄製で、地中に埋まる部分は塩ビにした。函館は寒くないから凍らない?だろうという安易な気持ちでそうしたが、どうなるか。
 菅にしたいのだが意外と高いのがそうさせた。配管も全て終わりテスト。
 水を一度出してかれら、トイレを見たら、天井まで水飛沫がある。漏れた?
 妻を呼んで見張らせ、サイド水を流したら、「父さん吹き出てる!」・・。場所は分かった。塩ビの部分でネジの締めすぎで、ネジが潰れ、そこから漏れていた。
 部品を買って再度取り付け。これでOKとなった。
 夕方安部さんご夫婦を迎えにトヨタレンタカーに行く。そしてゲストハウスに案内。本当に懐かしい。某大手電機会社の子会社で、当時は私と同じ、技術系の仕事をしていたので、会議などで何度も会っている中であった。今回は北海道を旅し終えて、帰りに函館に寄ってくれた。
 直ぐに、祝宴だ。お酒とワインは米沢から送って戴いていたので、それを開ける。
 酒が入るに従い宴は、盛り上がる。昔の話に花が咲いて、あっという間に一升瓶は空になり、2本目に突入。すっかり良い気分で、打ち上げ。
 爆酔した。あ〜楽しかった。
■ 5月21日(月) ■ 山菜採り

椎茸まである
 明日、米沢から友人が夫婦でやってくる。夕方からゲストハウスで宴を設けて、その日は宿泊する。何でもてなすか?・・妻から指令が出る。「父さん、山菜取ってきたら?」やっぱり来たか。
 天気も良いし、山菜採りに出発。ますますCD製作が遅れるな。
 川汲に着いて千葉さんに電話。直ぐに来てくれて一緒に山に入る。千葉さんは山菜は採らないいので、私だけが採る。最初の場所はそれ程無かった。
 それでは何時もの場所に行くかと車を移動した。駐車場には車が居て山菜採りのおばあちゃんが3人道路脇で採っていた。みつばと蕗だった。蕗は赤蕗で、おばちゃんもっと良いやつを採ればと言ったら、膝が痛いので山には入れないそうだ。
 それでは絶対採れるやつ。イタドリの先に着いている長い実?を教えてあげた。これなら幾らでもある。天婦羅にすれば美味しい。
 しばらく話してまだ居るんだったら待ってて、何か採ってくるからと分かれた。皆は昼ごはんを食べるから待つと言う。
 千葉さんと何時もの所にいったら、ウドがかなり生えていた。以前殆ど採ったと思ったが又出て来たんだ。
 結局ザックに入らないだけ採ってしまった。駐車場に戻り、おばあちゃんに分けてやったら凄く喜んでいた。普通山菜採りの人は知らない人には絶対にくれないからね。
 30分くらいで採ってきたので驚いていた。やっぱりプロだねと言ったが、彼女らは勘違いしている。
 千葉さんはこの人は新聞にも出た、有名人だと言ったのだ。確かに新聞には出たが、歩き旅だ。
 彼女らは山菜採りで新聞に出たと思っているようだ。沢山採ったのでルンルン気分で帰る。
■ 5月20日(日) ■ 掛腰山登山

これが山小屋

山小屋からの景色
桧風呂は景色を見ながら入れる
 朝起きたら枕元に懐中電灯があった。そう言えば暗い道だったな。貸してくれたんだと思い出す。
 又皆が集まってきた。昨日余したつまみや三平汁を食べて話す。その内、話も同じ話の繰り返しになったので山小屋に行く。
 原口の廃校になった小学校の廃材を使って山の上に小屋を建てたのだ。皆の自慢で、桧風呂も付いている。
 ここで良い景色を見ながら、ロマンを語り合うと言う事が行われている。
 二日酔いで辛かったが天気は良いのでまあまあ気分は良い。25分くらいで小屋に到着。
 確かに景色は良いが、部屋の内部は雑然としている。今ひとつだな。
 家に帰ったら、まだ話は続いていた。どうだった?と聞かれたので、景色は良いが、内部も外部も廃材やゴミがあって、今ひとつだと言ったら、そうなんだ。と少しがっかりしていた。多分凄い良い場所だから褒め言葉があると思っていたのだろう。
 これじゃロマンは語れないと言ったら、もう少し管理をしかりやろうとなったのは良かった。
 午後から大野町に向う。大野文化財保護研究会の総会に呼ばれている。
 総会終了後の懇親会で、会員に紹介される。40分くらいで終了し、家に帰る。
 
■ 5月19日(土) ■ 松前原口

記念撮影

松前音頭を踊るも〜さん
松前音頭組の記念撮影
 今日は原口の「桜松街道を創る会」が(財)日本さくらの会から全国表彰を受けたのを記念した祝賀会だ。
 朝7時に雨の中、家を出て原口に向う。2時間30分で原口到着。
 会場に張る写真の用意や、会場に飾る花(桜と松)を準備したりしている内に、昨年前知事の堀達也さんが植林した場所に行って、木の状態をチエックし皆で記念撮影。
 今度は祝賀会会場に戻り、最後の確認をする。まあまあ良い感じにセッテイングが出来た。
 祝賀会は来賓の挨拶から始まり、中央大会の報告、などが行われ、祝宴に入る。会費は2000円と安く設定しているが、。出たのはヒラメとソイの刺身。これが絶品なのだ。何しろ獲ったばかりだから身がぷりぷりとしている。他には三平汁が出たこれも新鮮な魚が入っているので美味しい。
 テーブルで一緒になったのは、斉藤さん、小川さん、佐々木さんだ。兎に角話しが楽しい。飲んで話して楽しんでいたら、96歳の甲谷さんが、「毛利さん、隣に居る小川さんは斉藤友一さんの娘の旦那だよ」と教えてくれた。
 この斉藤友一さんは小砂子の元町内会長で道について詳しいと聞いていて、いつか会いたいと思っていた。その娘の旦那が隣に居ると言う。早速話して今度会える事になった。
 宴も盛り上がり、最後は素人の集団がやる。踊りや歌がある。これも2回目だが楽しい。松前音頭を踊ると言うので飛び入りした。楽しいな〜。
 宴も終わり2次会だ。原口に飲み屋は無いから誰かの家に行くしかない。同じテーブルの斉藤さんの家に行く。ここでも話は延々と続き。何時か分からないが、ようやく今日宿泊する家に戻った。
■ 5月18日(金) ■ 執筆活動+大野へ
NO FHOTO  同じ毎日が続く。今日は雨なので結構進捗状態が良い。昼までやって、午後から大野町の文化財保護研究会に行く。6/5のバスツアーの後の講演の打ち合わせだ。妻も一緒に乗っていく。私の打ち合わせが終わるまで温泉に入っていると言う。
 1時間30分話して終了し、音温泉に行く。いつもより早く上がってしまった。
 最近は話題が無い。執筆が終わるまで我慢だ。明日は松前原口に行く。
 手帳を見たらスケジュールが一杯だ。
6/19、20、22、23日、24、30、6/4、5、6が決まっている。執筆は何時やるんだ?時間が足りない。
■ 5月17日(木) ■ 今日も執筆活動
NO FHOTO  雨だ!何故か嬉しい。どうせ外には行けないんだから、雨の方が諦めがつく。天気が良いと、いらいらしてパソコンに向わなければならない。
 最近は夜も遅くなったので、疲れが増してくる。原因は日ハムなのだ。この2試合はナイターなのだが、いつも勝つか負けるかぎりぎりだ。そして試合時間も長いのだ。10時を越えてしまうこともある。
 その分朝はゆっくり寝てればいいものを、朝はやはり同じ時間に目が覚めるのだ。
 そこから仕事を始めるので、仕事時間は長いし、さらにナイターが長い。
 どの位作ったか見てみたらファイル数1.017になっていた。サイズは90MBだ。これは画像もカウントされるのかな?何時の間にこんなに作ったんだろう。
■ 5月16日(水) ■ 1日中執筆活動
NO FHOTO  今日も朝早くから執筆活動。う〜ん疲れるな。気を紛らわすのに図書館に行って台場山の大正年間の地図を調べ、先日の書類の報告書の確認をしようとしたら、図書館は休館。
 又パソコンに向う。しばらく続きそうだ。お陰で資料はどんどん出来ていく。早く終わりたいな。
 部屋も工作室もちらかり放題だ。何とかしたい。
■ 5月15日(火) ■ 妻が丸木橋から転落

ウドは沢山採れた
 執筆活動は朝の4時から昼まで行った。お陰で旅日記の写真貼り付けも完了してほっとした。
 目は霞んでくるし背中は痛くなるし、ストレスが溜まるな。
 そこで昼から山菜採りに行く。川汲の千葉さんの土地にウドが出ている筈だ。
 着いて千葉さんに電話したら、沢山取りなさいと言われ、早速千葉さんの土地に行く。ここの土地に行くには丸木橋を渡る。
 先日行った時は、妻にへっぴり腰だよと馬鹿にされている。私は高い所は嫌いで慎重に歩く。
 橋は無事渡って、ウド採りが始まる。結構あって、少しの時間でビニール袋3つになった。雨も降って来たので帰ろうと戻った。
 再び丸木橋がある。先日前を言ったらへっぴり腰と言われたので、妻を先にやる。
 何をびびっているの?とばかり、丸木橋に張られているロープを右手に、すたすたと早い足取りで進む。  やはり凄いなと感心していたが、真ん中辺りでバランスを崩した。
 そしてあっと言う間に、頭から落ちた。危ない!と思ったが、何と妻は右手1つでロープを掴み足は丸木橋に引っかかり、宙ぶらりん。後10cmで下の岩盤に後頭部を打つところだった。
 それにしても右手1つで身体を持ちこたえるとは・・・。さらに凄いのは左手に持っていたウドの入ったビニール袋はしっかりと握っていた。恐るべき山菜採りのプロ。
■ 5月14日(月) ■ 資料調査と執筆活動
NO FHOTO  昨日行けなかった函館図書館に行く。新たに発見した二股の塹壕は本当に新発見なのか調査するためだ。道立図書館で検索したら二股台場の調査報告書があったので、きっとそれには書かれているのだろうなと思い、函館図書館に行って検索して貰ったら、整理の仕方が違うのかなかなか見つからなかったが、係りの女の子が熱心に調べてくれてようやく見つかった。
 見たら大正14年に北海道庁で調査していた。道の権威の河野常吉さんの調査報告だった。
 私も彼の書いた旧道の書類は参考にさせて貰っている。これはしっかり調査しただろうなと思いつつ読んだら、彼は16ある塹壕の5ヶ所しか発見出来なかったと書いてあった。草が生い茂り発見は困難と書いてあった。
 塹壕は当時この付近に住んでいた、前田吉五郎と言う人が案内している。当時この辺りには家が7軒程あったのだ。今は1軒も残っていない。
 そして驚いたのが台場山が今の山と違うのだ。これには驚いた。歴史家、郷土家が訪れる台場山が違うなんて・・・。確かに今の5万分の1の地図では台場山は書かれていて、皆が行っている場所なのだが、彼が書いた時の台場山は、新しい塹壕が見つかった山だった。
 その調査書にも私が発見した塹壕は書かれていなかった。面白いな、今後調査しよう。
 午後からは執筆活動に専念。日記は書き終え写真の挿入を始めた。まだまだ長い道のりだ。
■ 5月13日(日) ■ 終日執筆活動
NO FHOTO  250km歩き旅の日記の執筆が遅れているので、何とかしなければと、朝の4時から午後2時まで、パソコンに向ってキィを打つ。
 実に7時間もやったら、目がしょぼしょぼ、背中は痛いで大変な作業だった。やっと文書の入力は完了し、後は写真の張り付けが残る。
 気晴らしに図書館に行こうと中央図書館に行ったが駐車場に入れないで待ち状態。
 急遽七飯歴史館に行く。ここで箱館戦争関連の資料をチエックして、先日発見した、二股台場の新しい塹壕の書いた文書を探したら、100年前に調査した、文書が有る事が判明したが、今回発見した台場は書かれて居なかった。
 家に帰って食事をしたらもう眠くなりダウン。
■ 5月12日(土) ■ 松前原口へ

サラキ岬の綺麗なチューリップ
 250kmウォ^クの際、壊れたキャリアを草むらに置いてきた事や最後に不必要になったテント類を知り合いに預かってきたので、取りに行かなくてはと思っていたが急がしくてなかなか行けないでいた。
 今日は空いているとなり、急遽原口まで行く事にした。珍しく妻も一緒に出発。
 木古内経由で行く途中、あの咸臨丸が沈んでいるサラキ岬でイベントが行われていた。
 色とりどりのチュウリップが綺麗に咲いていた。出店で生カキを食べる。1個120円。塩味が効いてて美味しい。次にホタテ焼きでこれは100円。身の厚いホタテだった。
 原口の先でキャリアを無事回収し、佐々木さん宅へ行く。ここで5月19日に行われる。日本さくらの会の受賞記念パーティの打ち合わせ。松前町や開発局や森づくりセンターに町民合わせて40人くらいのパーティになりそうだ。
 帰りに上ノ国でお酒を買う。ここに何故か「春霞」が置いてある。親しい秋田のかっぱり倶楽部の家に行ったとき良く、社長さんがお酒を持って来てくれたのだ。 江差経由で函館に向う途中、二股の台場山を眺める場所に行く。ここで写真を撮り、6月4日に行われるバスツアーの後のセミナーに使用する。
 途中温泉に入って帰り、食事してバタンキューと一気に爆睡。
■ 5月11日(金) ■ 新聞取材&小口君出発

草履作り用台
ゲストハウスで新聞記者の取材を受ける

小口君出発

畑は2むねに苗を植えた
 朝、早くから旅日記を清書して、今度は草履作りの台を製作し、出来たと思ったら道新の記者がきて取材を受ける。
 昨日要点をまとめて於いたのでスムーズに取材は終了した。来週辺りには「みなみ風」に掲載される予定だ。
 取材の際に、先日発見した二股台場の事を話したら、やはり興味を持ってくれた。纏まったら又取材してくれるようだ。
 取材が終わってから、小口君が出発する。家の前で記念写真を撮り、手を振ってペダルを漕いで行った。  過去に多くの旅人が出かける時は何時もこんな光景だ。彼はこれから右回りで北海道を1.5ヶ月かけて回る。又函館に戻る時は元気な姿を見せて欲しい。
 一段落して今度は妻の実家の畑に苗を植えに行く。こちらは妻に任せて私は倒れそうな塀の修理。スコップで穴を掘って丸太を真っ直ぐにする。今日は穴を開けたのみで終了した。
 これで一日が終わった。疲れた〜
■ 5月10日(木) ■ 大野文化財保護研究会の例会参加

北斗市教育委員会 森氏の説明

この図に旧道が書かれている

小口君と最後の夜。Tシャツにサインもした。
 大野文化財保護研究会の会員に紹介をしていただけるとの事で例会に参加する。この会には先日天狗山や焔硝倉(えんしょうくら)の沢を案内して貰った。
 10時に会場に着いた。例会資料を見たら、4月例会で函館図書館の近江幸雄さんが、「大野二股口・台場山で頑強に戦えたのは何故か」との話しをされたと書かれていた。出版物もあり新聞にも連載をされている方なので、先日発見した新しい塹壕も知っているんだろうなと思った。
 そこで会員の方に講演の内容を聞いてみた。結果はその塹壕の話は無かったと言う。そうなんだ・・・。でもあの塹壕は台場山の塹壕より重要だと言うのは明らかで、この塹壕を語れなければ、土方隊が強固に戦った事を語れないと思った。
 栃木のYさんが興奮していたのが良く分かった。
のは、例会で自己紹介をして直ぐに北斗市の「かなで〜る」に移動。そこで矢不来台場や矢不来舘の話しを聞く事が出来た。
 舘の説明から発掘した物の説明などあったが、私が一番喜んだのは福山街道の旧道が書かれていたことだ。前からこの辺りに旧道はあると思っていたが、道がはっきりして最高の情報をゲットした。
 終わって再び例会に参加して会の活動状況などの説明を聞く。
 帰りに隣接する図書館に行く。随分通った図書館だ。ここで確認する事があった。
 蔵書の中に「戊辰役戦史 下巻」大山柏著と言う1000ページに及ぶ本がある。戦いの戦術的な事が多く書かれている本なのだが、これには書いてあるだろうと思って読んだら、全く記載が無い。今までの台場山の事しか書かれていない。
 他の本を見ていたら、「土方歳三波冬涛録」釣洋一著があった。その中に「土方歳三が歩いた来たの道 完全踏査へのこだわり」と鷲ノ木から函館まで歩いている。お〜やっている人がいたんだと記事を読んだら、内容的には全くお粗末で、旧道とは程遠い。作家故に表現は良いが、道がまったく違う。
 川汲峠などは大正道路を歩いている。下りの旧道も歩いていない。なんだこんなもんだと思った。調査が全くプアーだ。でも人気作家が来ると役場や色々なグループがサポートするんだな。そして本になり販売される。上辺だけの旧道歩きだな。これで完全踏査
って言えるのかな?。でも自分のやった旧道歩きはそれなりに価値があると分かり安心した。
 帰って小口君と最後の夜になるが、大いに語り合った。今日は妻も中に入り賑やかだった。
■ 5月9日(水) ■ 小口君のチャリ整備

世界一周チャリダー小口君

見学中、火災が発生した。

夕日が綺麗だった
 世界一周チャリダーの小口君がチャリの調子が悪いと言う。そこで今日はチャリの整備。まずはフロントのシフトが効かないので、1枚ギアで走ってきたそうで、その調整をする。シフトワイヤーも新しいものに交換・・・だが合わない。チャリを買った自転車やから買ったそうだ。仕方がないな、半端ながらも取り付け、調整完了。次にブレーキシューの交換をしようとしたが、あれ?この自転車はカンチブレーキなの?新しいグレートジャニー2にカンチブレーキが付いている。今時、ママチャリでも付いていない。今の主流派Vブレーキだ。「小口君ブレーキ効かないでしょう」「そうなんですよ、荷物が重いから下り坂でオーバーランをするんですよ、手が疲れて仕方が無いんですよ」・・でもどうしてこれが付いているの?彼も分からない。全国でも有名な東京のS自転車店だ。
 Vブレーキに変えたいと言うので知り合いの店に行く。ここでも新聞見たよと言われた。
 Vブレーキとワイヤーを購入して取り付ける。今度は効くぞ。彼は試して大感激。こんなに効くの!!
 彼に「東京で買ったワイヤー見せて」あれやっぱりだ。パーツが違っている。グレートジャーニー2はドロップハンドルなのでロードレーサー用のワイヤーを使わなければならないのがMTB用のワイヤーを売ったのだ。全くひどい話だ。ここで分かったから良いものの途中でワイヤーが切れて交換する時、どうするんだ!
 雑誌にも大々的に載っている店なのにいい加減だな。全て完了してから、観光に行く。
 場所は函館山。勿論チャリダーは歩きだ。静かな山道を少し汗ばみながら登る。夕方から見て夜までずっと見る。特に夕方の景色が綺麗だ。以前より照明が変わっているのに気がついた。あちこちに照明が増えている。山はアジア系の観光客で大賑わいだった。
 小口君もすっかり感激して歩いて下山。帰りに谷地頭温泉に行き、妻と合流し温泉に浸って帰る。
 夜遅い食事は小口君の作ったカレーライス。う〜ん美味しい。少し飲んで寝る。
 夕方北海道新聞から取材申し込みがあった。明日は大野町文化財保護研究会の例会に呼ばれている。忙しくなった。
 又駒ケ岳の風景写真が大手玩具メーカーのT社で開発中の商品「プラレール運転士 新幹線でいこう」に採用された。
■ 5月8日(火) ■ 箱館戦争史跡巡り

旧幕府軍宿営地
 今日はYさんと鹿部の教育委員会に行き、鹿部の台場跡を案内して貰う。ここは熊が出ると言う事で、皆鉈や鈴を下げて出発。道なき道を歩くこと30分位だろうか高台に平らな場所が出てきた。ここが旧幕府軍の宿営地で、ここで隊の訓練が行われ、箱館からの召集を待っていたと言われる。
 S52年に立てられた木柱が今にも倒れそうに残っていた。
 教育委員会の方と別れて、松屋崎台場に向う。Yさんが行った事が無かったので案内した。ここも薮漕ぎで一汗かく。
 写真も撮り終え、函館に向う。途中で山瀬泊の旧検疫場に向う。ここは古くなった建物を民間委託してリニューアルし、喫茶店として営業している。
 検疫場の後、捕虜収容場にもなったが、我々が関心を持つのは、ここが新選組が守備した台場の場所であった。高台にあり、湾を通る船が良く見える。明治2年の新政府軍の箱館総攻撃に際は向いの富川から2隻の船が出て、山瀬泊と寒川に兵が上陸し、弁天台場や市街地に総攻撃をかけた。そんな事があった場所でもある。
 Yさんと別れ、今度は自転車日本一周中で、これが終われば世界一周に出る、小口良平君(26歳)と待ち合わせ、ゲストハウスでキムチ鍋をつつきながら遅くまで楽しい話が続いた。
■ 5月7日(月) ■ 大忙しの日

い急斜面で私は止めた

橋もTさんが作った

こんなに貰った
 早朝から旅日記の書き込みをするが、いろんな事があったので、内容豊富?で1日の日記が凄く長くなり、遅々として進まない。全て終わるのは何時になるのかな?。
 本来は今日、川汲のTさんの山に山菜採りに行こうとなっていたが、妻が天気が割るそうだし・・・。と曇り空の天気に乗り気でない。
 そこで注文のあった。草履製作用の台を作る事にし、ホームセンターに材料を買いに行き、ついでに灯油を買ってくるが、随分値上がりした。前回入れた時より10円/リットル上がっている。今年は変化が激しい。帰ってタンクに給油し終え、台を製作し始めたら、天気が良くなった。今度は山菜採りに行くと言う。
 途中で作業を止めて、車で川汲に向う。着いたら予め連絡して於いたTさんが来ていた。
 今度はTさんと話になる。実はこの辺りの山に箱館戦争の際の、旧幕府軍の見張り場があった。
 これは書物にも書かれている。Tさんも以前に地元の85歳の方に確認したら、昔はあったと言っていた。
 そこでTさんは山に登ったのだ。ここは急な斜面で道は無い。這うようにして登ったら、僅かだが木片が残っているそうだ。そして川汲温泉の共同アンテナがあるそうだ。ここのTVの受信先は室蘭なので、丁度この見晴らしの良い場所がアンテナ設置に向いていたのだろう。この事を話したら森づくりセンターの人が是非行きたいと言うので案内したそうだ。
 これも面白い史跡と言うか、世の中に写真の1枚も出ていない。さらに旧幕府軍の本陣があった場所が川汲市街地にあったそうで、その場所も教えてくれた。これも一般的に知られていない。
 話は更に進み山菜どころではない。妻も車でイライラだろう。
 川汲に住んでいない家と土地が100坪以上あると言う。持ち主は高齢になり、管理も出来ないので家を解体出来る人がいたら、土地もあげると言うのだ。
 そこで私にどうかとなる。実際はただで貰う事にはならないだろうが、破格の値段では買えるだろう。
 我々年寄りが持っても仕方が無いので、孫名義で買えば先々何かに役立つだろう。今度見に行く事になった。
 山菜採りになる。登る途中で今度は電話が鳴る。大野文化財保護研究会の木下さんから、6月5日にバスツアーで史跡めぐりが行われるが、その際講演会をお願いしたいと言う。さらに5月10日例会時に会員に紹介したいので参加出来ないかと言われOKする。
 何時もの場所に行ったが行者ニンニクは少ない。降りて沢沿いの場所に行ったら、たらの芽と行者ニンニクがあった。さらにTさんの土地に行って、行者ニンニクと栽培している身の厚い椎茸を沢山貰う。
 帰りに土方歳三も入った川汲温泉で入浴。銭湯より安い値段でホテルの温泉に入れる。こじんまりしてるが、綺麗だし綺麗な湯が浴槽から掛け流しになっている。
 帰って焼肉。椎茸、行者ニンニクとなったらこれしかないだろう。
■ 5月6日(日) ■ 二股台場の塹壕発見

大野町教育委員会の方々と

これが塹壕の一部

塹壕から敵を撃つも〜さん

 今日は栃木から来ている土方歳三や箱館戦争を研究しているYさんと大野町近郊の史跡や旧道を、大野町教育委員会の人と回る事になった。
 大野町郷土資料館で説明を受けて、出発する。まずは「焔硝倉(えんしょうくら)の沢」に行く。ここは大野村に星恂太郎率いる額兵隊が新政府軍の攻撃に備えて、陣地を構築したが、弾薬庫も作ったとされており、その弾薬庫跡がある。深く掘られた場所の床面と壁面には自然石が多く残されており、弾薬庫であると確信出来る。
 次に行ったのが天狗山だ。ここは以前も行って旧道の調査をしているのでこの辺りは詳しい。
 教育委員会の方も天狗山に登ったそうだが、急斜面を登って大変だったと行っていたが、北側に回れば旧道があり、そこからは緩い斜面を登っていけると教えてあげた。
 さらに降り口の出会いの沢に行き、旧道を一緒に歩いた。その後郷土資料館に帰ってお礼を言って分かれる。今日は日曜日だ。Yさんが依頼したものに私が同行させて貰ったものだが、4人も出て来てくれて嬉しい。
 Yさんと食事をしようと「しんわの湯」の食堂に行く。Yさんに「本当はもっと見たい所があったのでしょう?」と聞き、もう一度行こうと言ったら行くと言うので、再出発。
 まずは二股台場に行こうと向った。この台場は土方歳三が新政府軍と戦って最後まで陥落しなかった台場で、土方ファンや箱館戦争に興味ある人は結構訪れる場所だ。
 Yさんはもうかなりの回数来ているし、私も来ている。でも以前から二股には、他にも台場がありそうだと思っていた。それは岡山藩士の水原久蔵所描箱館戦争図があり、その中に台場山よりもっと高い場所に塹壕が描かれているのだ。さらに箱舘方面とも書かれており箱館が見える場所なのだろう。
 その場所を探索する事になった。最初は大きな道を行ったがここは北電の高圧線の保守用の道だった。でも思わず発見。箱館方面が見えるのだ。Yさんの望遠レンズで覗いて貰ったら五稜郭タワーが見えるという。これは大発見であった。図の正確さが分かる。
 塹壕は分からなかったが、次に通り過ぎようと思ったのだが、気になる所があった。沢で水は無いが、歩けそうだと思い。少し行ってみるかとなった。急な沢道を登って行ったら、まだまだ上がある。何となく上上と登っていくが、急斜面で息が切れる。おまけに熊が生息している場所として有名だ。二人で鳴り物をがんがん鳴らしながら登る。
 そして遂にピークの少し下に着いた。ピークまではブッシュが凄く行けそうに無い。西側は急な斜面で二股川の流れる音が聞こえる。
 汗をぬぐって一休みしながらも、尾根の周辺を歩いたら、塹壕だ!「Yさん塹壕があるよ!」急いで来たYさんも、これは凄い・・・。
 写真を撮って、これなら台場山の方向に行けば塹壕が有るはずだと、今度は尾根を歩く。細い尾根なので塹壕が無くても敵の銃弾は防げるねなどと話していたら、大きな塹壕を発見。「Yさん塹壕だ!」もうこれは凄い凄いで、Yさんはもう来れないだろうからと、かなりの写真を撮りまくっていた。
 Yさんは箱館戦争写真集も出している方なので詳しいが、この塹壕は今まで発表されていないそうで、1級の発見だった。
 地形的には凄く良い場所で、台場山に攻撃に向う新政府軍を側面から真下に狙い撃ちが出来る。土方の台場山が何倍もの兵士で攻める新政府軍に打ち勝つ絶好の場所だった。敵の来る方向は凄い絶壁で絶対上がってくる事は出来ない。
 土方歳三はここで指揮をとったのは間違いないだろう。下ってさらに旧道を行ったら、川の水がいつもより、多くて渡るのは困難。ブッシュを漕いで疲れ果てて道に出て来た。それでも今日の発見の前には疲れも吹っ飛ぶ。
■ 5月5日(土) ■ v孫の瑞葵が帰る
 昨日土方歳三の道を250km歩いてのゴールとなり、久しぶりに瑞葵に会えた。ゴールの時は自分で摘んだタンポポを手渡された。
 高給な花より嬉しい花だ。久し振りに抱いたら重かった。もう15kgになっていた。前に抱いた時は12kgだったので一段と重くなった。
 朝はじぃじの部屋に来る。いつもある所に瑞葵の好きなチョコやキャンディが置いてあるのだ。それを知っているのでやってくる。そして部屋で遊んでいく。
 午後から出発するので、公園に自転車で遊びに行く。補助輪付きの子供自転車だが、まだ漕げないので押して歩く。その後ラーメンを食べに行って出発。
 今回は会える時間が少なかった。でも今月札幌ドームに行くので、その時会えるから良いか。
 今回の旅の日記はかなりの量になる。これを今作っているCDの中に入れるので、早く入力したいが相当あるので時間がかかる。
 明日は東京から来た、Yさんと大野の旧道に行く。

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