■ 4月30日(水) ■ ゲストハウス改造
 久し振りに孫2人と会えたし、娘の旦那も来ていたので賑やかになった。
 孫の瑞葵を乗せてホームセンターに行きペンキを買う。帰りに歯医者に行ったママを乗せて家に帰る。
 朝からゲストハウスの白ペンキ塗り。そして玄関の上がり口に台を設ける。
 これで一日は終了。温泉に一人で行く。帰って来たら娘が居て生まれたばかりの友君が居ない。
 娘が入院したと言う。顔が少し黄色かったので妻から病院に行ったほうが良いと言われていたが、ようやく今日行ったのだ。そうしたら黄疸が出ているので入院となった。
 旦那も小さいとき黄疸になったそうで遺伝なのかな??
■ 4月29日(火) ■ 登別〜函館へ
 硫黄系の温泉に朝から入り、のんびりする。そして8時には朝食が始まる。
 昨日この旅館に着いたときに、昔のVTRを見せてくれと言ったが、テレビがVTR付きで無いのに変わったのでビデオは見れないといわれた。
 この旅館には高田浩吉や坂東妻三郎、美空ひばりなど昔のビデオが一杯ある。
 おばあちゃんも見たいと言っていたのだが仕方が無いなと思っていた。そうしたら帰りにビデオテープをくれると言う。何とその数はダンボールに3箱分だった。
 これをおばあちゃんに見せたらあと20年は長生きするよと言われた。
 民宿を後にする。旦那は高速は乗らないで、一般道を行くと言う。そして何故かカーナビの電源を切った。
 車は登別に入る交差点を右に曲がるのだが、何といきなり右車線に逆走! 乗っていた3人が思わず「逆!」と叫ぶ。
 交差点の手前が中央分離帯になっていた。その右側を行ってしまったのだ。「標識が右になっていたから入った」と言うが、
誰もそんな所を入る人はいない。
 先ほど高速道路に何故年寄りが逆走するのか分からないと言っていたが同じじゃないか。
 やがて登別温泉街に入る。何度も来ているそうで、あれが何だとか説明するが、車の速度は30kmくらいで後ろに車だ一杯付いている。奥さんに叱られる。
 登別の市街地に入り、国道は右に曲がる。所が直進の位置に車は進み。信号でストップ。
 「何処に行くの?」と聞いたら、え!という顔をした。「右だよ」と行ったら右車線に入った。カーナビは何でつけているの??
 その後もまだまだ続く、東室蘭では右に曲がらず直進。まあそれでも行けるからいいやと思い黙っていた。
 そのうち白鳥大橋の案内が出て来た。以前も来ていて景色のいい場所だと言っていたが、大橋の目の前で左析する。
 道の駅があるからトイレでも行くのかなと思ったが、そうでなく白鳥大橋は何処から行くの?となった。
 さすがに私の妻も今目の前にあったでしょうと言う。本当に疲れる。
 長沼では黄色の信号で止まったら、一車線の隣に大型車が居る。多分行くと思って来たのが止まったので右にハンドルを切って回避したんだろう。まあ黄色は止まっても良いのだが、後ろを注意しなくては・・。
 直ぐ後ろに車が居たの?と聞いても見ていなかったようだ。
 その後もまだあるがきりが無い。無事おばあちゃんを届けて家に帰る。
 ふ〜疲れた。
■ 4月28日(月) ■ 奈井江〜登別へ

オロフレ山
 朝から雨だった。気温は5度でかなり寒い。朝食では皆が残したおかずが沢山集まる。何時もこうなのだ。
 私は余すのは勿体ないから全て食べる。だから満腹になり太るというパターンだ。
 名寄から登別へ向かう。ナビをセットしてスタートする。妹の旦那は直ぐに道を聞く。どっちの方に行くのかと聞く。何のためのカーナビかわからない。音声で伝えているのだからその方向に行けば良いのだが、ぼんやりしているのか全く聞いていない。
 そのうちカーナビが左析をするように言っているのに直進してしまう。その後も何度か同じ繰り返しをする。もう全く疲れる。
 一時停止も3回も見逃して止まらないで進む。その都度「一時停止!」と言うが本人は何も感じて居ないのか?
 奥さんに聞いたら何時もこんな状況なので喧嘩になると言っていた。奥さんも何度も言う。高速を降りて一般道に入っても高速と同じ速度で走る。その度に奥さんからスピードを落として!と言われて落とすが、次に高速を降りたときは同じ繰り返しになる。
 岩見沢で高速を降りてガソリン給油する。セルフスタンドで先に入っていた車が給油を終って車を置いて支払いに行ってるのを見て、旦那は何で車を置いて支払いに行くんだと怒っていた。まあ確かに車を移動してから支払えばいいのにと怒っていたので、いちりあるかな思っていた。
 そして運転手が戻り、車はスタンドから離れた。そして自分の番が来てガソリンを入れる。そして車を移動しないで支払いに行ってしまった。何だったんだ先程の言いぶんは?
 千歳市内では左析からいきなり直進に変更してタクシーにクラクションを鳴らされる。
 もう全く疲れる。車はまだ冬景色のオロフレ峠を越えて新登別温泉に着いた。
■ 4月27日(日) ■ 奈井江〜名寄へ

葬儀会場
 朝8時には奈井江温泉をでて名寄に向かう。まずはガソリンを給油するが、この辺りも120円とまあまあの値段だ。後数日で値上がりかと思えば淋しい限りだ。
 普段から鉄砲の弾のように飛んであちこち行くので、ガソリンはかなり消費する。
 最近は調べ物があっても、直ぐに調査には行けないのがもどかしい。
 チャリの活用が多くなった。でもチャリは好きなので良いのだが、余り遠くばかりだとやはり車を使いたい。
 高速に乗り名寄に向かうが、車は凄く少ない。これでは赤字ではないの?と気になる。
 2時間少しで名寄に着いた。
 会場のピアシリサンピラーホテルには懐かしい顔が沢山あった。普段はなかなか会えない人と会えるのも法事の良さと言える。法事も無事終わり、昼食会になる。
 凄く豪華なおかずにお腹いっぱい。もうメタボの世界だ。それでも食べきれず、残った物は今日札幌に帰る人に持ち帰って貰った。
 5人分なので凄い量になった。持ち帰る人も大変だ。クーラーボックスも一杯になり溢れてしまった。
 我々は明後日帰るので持ち帰る訳にはいかないのだ。会食が終わった後墓参りに行く。
 墓参り後、皆と別れてホテルに戻る。このホテルはビヤシリジャンプ台のそばなので原田などの有名ジャンパーの手形がホテル内に多数ある。90 歳になるおばあちゃんも元気でひと安心だ。
 皆がおばあちゃんが来た事を喜んでいた。
■ 4月26日(土) ■ 函館〜奈井江へ

あまり名前は書かれた事が無いな
 名寄で親戚の法事があり、妻と妻の妹夫婦とおばあちゃんの5人で出発。
 昨年おばあちゃんの弟が亡くなったのだが、高齢のおばあちゃんは葬儀に出席出来なかった。
 今年は90歳になるおばあちゃんを今回連れて行かないともう行く機会は無いだろうと、半強制的に連れて行く事にした。
 そのため一気には行かずに、途中で一泊して行く事にした。
 快晴の中、函館をスタートした。今回は私の車は出さないので、運転もしないのでのんびり行ける。
 理由は私の車がぼろなので故障でもしたら大変ということになったらしい。
 お陰でひたすら助手席にいれば良いので楽ではあるが、退屈でもある。
 助手席にいると退屈なだけに人の運転も気になる。車は何事も無く進んでいるが、途中で妹が旦那に「車が蛇行している」と言った。私も気になっていたが、ハンドルを小まめに左右に切る癖があり、その度に体が左右に揺れて気分は良くないのだ。
 更にアクセルが踏んだり緩めたりと小まめ過ぎてその都度体が前後する。左右と前後に体が揺れて快適とは言えない。
 運転の癖は色々あるものだと思いながら、車は今日の宿泊地の奈井江に着いた。
 一度高速を降りて、酒を仕入れ、奈井江温泉北ノ湯に着く。 
 着いて安着祝いし、温泉にも入り、何事も無く一日が終わった。おばあちゃんもそれ程疲れてはいないようだ。
■ 4月25日(金) ■ 塗装も今一つ

まだ白い部分と薄い部分がある
 暫定税率が復活すると言う報道に、桔梗に置いてあるフレンディにガソリンを入れに行く。普段はあまり使わないのだが、大きな荷物や遠出には使用する。今の内に入れて置いた方が良いだろう。
 激安店に行ったら、104.7円/リットル。この価格も今回限りかと、思わずため息が出る。
 帰り道に権現台場の写真と北海道神宮の手鉢水の器の写真を撮りに行く。ここには箱館戦争時の弾丸の跡が残っている。今校正している本に入れる写真が無かったのだ。
 帰って壁下部の竹の部分を完成。さらに壁の上部に白い色を塗る。
 塗って居る時に隣町のロードレーサーがやって来た。昨年私の熊野古道をMTBでという報道を見て家に来てくれた人なのだ。
 それから自転車の話しをしばらくした。まだ遠くは峠下まで行った事がないそうだ。
 今の自分は足の怪我が無ければ160km位は走れるが、いずれ歳を取ればその程度しか走れなくなるのかなと寂しい思いをした。
 再び塗装。木の上に白い色を塗るのはあはり大変だった。ペンキの宣伝には1度塗りで十分書いてあったが、白は透明感があるので大丈夫かなと懸念していた。
 安の定下の板が見える。2度塗りしてようやく良いかなという感じだった。2度塗りになったお陰でペンキが途中で無くなり、仕事はストップした。
 明日から名寄の法事に出掛けるので当分仕事は休み。その間我家には娘の旦那、旦那の両親が来る。両親は孫と初めての面会だ。

日記はブログで発信

 http://blog.mousan.com/

■ 4月24日(木) ■ 雨だ!・・改造中止
NO PHOTO  残り少しをやろうと思ったら雨だった。これは仕方が無いので今日の作業は中止。
 郵便局に行って注文のあったスキーのチューニング台を発送する。
 申し込みをしているときに80歳くらいの男性が来て大きな声で「俺の通帳から50万円が2回も落とされている。落としに来た人を見ていなかったか」としつこく聞くが、声が大きくてこちらの話しが聞こえない。
 さらに「何で支払ったんだ」と必要に食い下がる。郵便局も心当たりが無いらしく、交番に届けたほうが良いと言ったら「俺は交番が嫌いなんだ」そして「交番は五稜郭だから遠くて行くのが嫌だ」と全くどうしようもない。
 その内に帰っていったがどうするんだろうか?一見身なりはかなり良くない。でもお金は沢山持っているのだ。

 その後は家で昼まで本の校正やら手紙の返事や土方歳三のMLへの新情報発信などこなして、孫と図書館に行く。
 図書館で山仲間のMさんと会った。今度彼女の友人のSさんとゲストハウスに来たいと言うのでGW明けはOKだよとなった。
 26日から名寄で法事があり行かなくてはならないのだ。

 夜は日ハムが逆転サヨナラ!最高だった。
■ 4月23日(水) ■ ゲストハウス改造&雑用
NO PHOTO  朝早くから本の校正をして、メールのチエックをしたら、旅人小口君は世界一周自転車の旅に6月に出るのがチベットに入れず半年延期した。4年前の旅人ちゅんたは二人目の子供が誕生、東京の女性チャリダーが沖縄に行って、我家に泊まった女性チャリダーのAさんに沖縄で会ったとか日本は狭いな。
 そしてニュージランドに1年いたA君からメールが来る等、皆それぞれ活躍してる。そんな状況をメールしてくれる事が本当に嬉しい。皆我家の子供より若い人ばかりだ。
 
 ゲストハウスの街道が始まる。壁の下部の竹の貼り付けだ。半分ほどやったらおばちゃんが来て話す。
 山をやっている人で72歳になるといっていた。この家の改造の進捗状況を見ていたのだが、どんな人がやっているのか知らなかったが今日初めて私が工事をしていたのを見たそうだ。
 色々話したが100名山を登っている人だった。全国の山を登って歩いている。
 そんな事で話しが弾み、随分話した。熊野古道に行きたいと言うので、私の書いた本を数冊貸してあげた。
 それにしてもここで仕事をやっていれば色々な人が来る。まあ楽しい。

 今日も材料切れで仕事は中断。その後灯油を購入しタンクに入れたり、お客さんが来るので車は1台桔梗に置いて来いとなり、チャリを積んで桔梗に車を置いてきて、チャリで帰って来た。 
 郵便受けには振込み通知が入っていて、神奈川のスキー協会からチューンナップ台2台が発注された。感謝!感謝!明日送ろう。
■ 4月22日(火) ■ 雑用&ゲストハウス改造

壁の下部を竹でアクセントを付けた
 雑用がたまっているので。朝からこなす。まずは図書館7冊借りていたが期限はとうに過ぎていた。
 図書館に着いたら10時から開館だった。まだ20分もある。そこで郵便局に行き、通帳の再発行の依頼をする。普段はキャッシュカードを使っているのだが、期限が切れてしまった。そこで更新に行ったのだが、VISAが付いたカードは民営化で提携しなくなったので変わるそうで、通帳を持って来てくださいとなった。幾ら探しても見つからない。普段カードしか使っていないので何処にあるかわからない。
 そこで新たな通帳を発行して貰うというわけだ。手続きしたが1周間はかかり、その後にキャッシュカードが発行されるそうだ。
 図書館で本を返し、ホ−ムセンターで材料の購入。帰って改造にとりかかる。
 かなり出来たところで、近くだと言うおばあちゃんが良いね、この家、居酒屋やるの?
 自分は昔居酒屋をやっていたので、こんな家があったら又やりたいなと言う。
 家の中を案内しながらしばらく話してしまった。工事の方は半分が終了し、途中で材料が切れた。又明日やろう。
■ 4月21日(月) ■ チームレスキュー
NO PHOTO  友人の紹介で長野県白馬のワックスメーカー「チームレスキュー」の社長さんと長男が見えられた。
 今回はスキーの関係ではなく、幕末の函館の史跡を見たいとの事だった。
 10時過ぎに五稜郭公園で待ち合わせ早速公園を見学した。幕末の話は好きらしく、色々な話しをした。
 私の方は本州の出来事はあまり詳しくなく、調査関連は道南に集中しているため、本州での出来事は良く分からない。
 公園の後に「土方歳三最後の地碑」を見学して、立待岬、碧血碑を見て、時間も少ないと言う事なので打ち切った。
 折角ワックスの仕事で来たので、スキーショップを紹介した。店の方も興味がありそうな雰囲気だった。
 五稜郭で別れて家に帰る。午後からは本の校正を行う。
■ 4月20日(日) ■ 大野文化財保護研究会総会

Yさんとゲストハウス前で記念撮影
 朝7時に埼玉のYさんが出発した。今日は箱館戦争の戦いの場である。大滝の十三曲に向かって、夜の便で帰る。
 見送ってから、初めての総会に出席するため、ママチャリで大野に向けて出発する。昨日までの山歩きで疲れていたが、足のリハビリーと思いチャリにした。
 結局1時間半かかって到着。天気も良く半袖で走れて気持ちよかった。
 そこに電話が来る。千歳のEさんだった。長野県白馬の会社の社長さんが土方ファンで、明日五稜郭に行くのでガイドして欲しいと言われ承諾する。

 総会会場には新聞社も2社来ていてさすが歴史のある会と思わせる。総会の方は淡々と進み、何事も無く終了。
 その後懇親会が行われ、茶菓を頂きながら歓談した。会には上磯町地方史研究会の落合会長が来ていた。
 落合さんからは資料を沢山頂いており、大いに参考にさせてもらっている。
 今回も会った際に上磯の旧道に関して色々と教えて頂いた。 その中で1ヶ所旧道が自分の思っていたのとは違っていたので聞いて良かった。
 彼はかなり上磯の歴史には思い入れがあり、自分としては貴重な歴史研究家となっている。
 仕事も頼まれ、矢不来天満宮関連の石碑を探してくれるように言われた。2日前に行ったばかりなのだが、今後も機会があるので探してみよう。
 矢不来天満宮は最初には天神の森にあり、箱館戦争の際には衝鋒隊が宿陣していた場所で、「蝦夷錦」にその戦いの絵が書かれている場所でもある。
 
 帰りもチャリで家まで1時間半かけて戻った。結構足首が疲れた。やはり怪我の影響だな。
 今までは足首が疲れる事は無かったのに・・・。回復するのかな??
■ 4月19日(土) ■ 峠川汲本陣&見張り場&二股台場山

稲妻型台場の下には人工的な外堀がある

台場山の北峰頂上にある砲台跡
 今日は7時にスタート天気は快晴になる予報だ。Yさんのレンタカーで川汲向かい。まずは明治元年に川汲台場山を造ったときの本陣の跡に行く。
 ここで撮影を済ませて見張り場を調査に行くが、凄い急斜面で80%くらいは登ったが、残りは更に急で滑落の恐れがあるので今回は中止にした。別なルートがあるかもしれない。
 
 次に二股台場山に向かう。昨年発見した新土塁に登る。昨年より笹が伸びて登りにくくなった。
 足も急斜面で直らない足首を一杯に曲げると痛む。仕方が無いので歩幅を狭めて徐々に登る。

 台場の笹を刈り、綺麗になったところで撮影をする。この台場はまだ未発表の台場で今後が楽しみだ。
 
 撮影も終って帰る途中行者にんにくが沢山あったので取ってくる。まだまだ残っていたが今回は諦めた。
 他にも遺跡を数ヶ所回って帰宅。どっと疲れが出た。Yさんもかなり疲れているようだ。
■ 4月18日(金) ■ 矢不来台場&福島峠

熊の糞が2ヶ所あった。2日前くらいか?

茶屋峠のイベント用茶屋で・・

難所だった四十八瀬の流れ

白い色のカタクリの花は珍しい
 今日は8時にスタート。気温が低く肌寒い天気になった。
 最初に行ったのは矢不来台場。何時もの七曲の看板からでは無く、高速道路工事の行われている方向から車で行けるとこまで行こうと進める。
 かなり入った所で、ぬるぬるの土に埋まる。どうしても脱出が出来ないので。私に運転を変わり前後にギヤを交互に細かく入れながら車を前後に動かし脱出。
 その後台場と弾薬庫を見て、さらに新たに発見した100mに及ぶ土塁に案内した。
 Yさんも土塁に間違い無しと言っていた。
 
 次に行ったのは福島の知内嶺と茶屋峠。この道も箱館戦争で使った道だ。
 ここは熊の出没の多い所なので、鈴や防犯ブザーを鳴らし、ラジオもかけて歩く。
 登りの中ほどで熊の糞を発見。2日くらい前のものか?その後も霧の中を歩き知内嶺に到着その後茶峠に向かうがその途中でも熊の糞があった。やはりここは熊が多い。
 茶屋峠から下って住川の車の置いた場所に到着。ここから福島川に移動し、林道を入って車を置き。四十八瀬を歩く。
 車が無ければ通しで歩けるのだが車があるので、両方から道を歩く結果になった。
 もう既に4時を過ぎた。今日はこれで終了。お酒を飲まないYさんに断ってお酒を飲みながら帰宅。
 明日は川汲のまだ発表されていない見張り場と二股口台場の新土塁の発見に行く。
■ 4月17日(木) ■ 天狗岳弾薬庫発見!

弾薬庫の中で・・大きさが分かる

底部にも基石がある

壁にも石は配置されてる
 今日は神奈川から箱館戦争研究家のYさんがやって来た。彼のレンタルかーで今日は最初に天狗岳の弾薬庫らしき跡に行く事にした。
 昨年の12月11日に天狗岳の旧道調査の際、発見した弾薬庫らしき物(雪ではっきり確認は出来なかった)が本物かどうかを調べに向かった。
 大野ダムへの道を登り旧道に入る。やがて到着。冬とは違ってその状況がより鮮明に分かる。
 笹を2人で刈ったら全容が良く分かるようになった。あらためて確認する。入り口が明確にあり周囲より低くなって多数の石が置かれている。
 直径は4〜5mで中央には石が置かれている。さらに奥の方にははっきり積み上げたという石が見つかった。
 間違いなく弾薬庫だ。今まで何処にも発表されていない弾薬庫が発見できた。
 その後土塁が近くにあるはずだが、笹薮をあちこち探したがそれたらしき場所はあるが明確では無い。
 土塁は諦めて大野で昼食を取るため戻る。
 
 昼食後、大野の五稜郭台場と四稜郭台場を調査に行く。この台場は現在は無いと言われている。
 昔、北海道に史跡として申請した書類を見ながら山に入る。斜面は急で足がまだ思うように動かない身としてはつらかったが、あちこち山を歩いた。
 その結果、場所は特定できた。でも土塁や穴が見当たらず平坦な地だけが残っていた。
 その原因は分からないが、文書にある場所とはかなり類似している。ここから見える景色の向野(当時は小川部落)の集落も見える。
 
 山を降りて大野町の郷土資料館に行く。学芸委員の佐々木さんと色々話す。Yさんも知り合いの人で話は箱館戦争になった。
 そのうち文保研の木下会長も来た。彼は新聞の取材だった。

 帰りに箱館戦争の初戦の地である、峠下に向かい土塁を見て家に帰る。
 久ぶりの山歩きは新鮮で足の悪いのも忘れて沢山歩いた。
 明日は福島峠に行く。
■ 4月16日(水) ■ ゲストハウス改造&孫と食事

下の処理はこんな形になった
 今日はやる事が多いので朝から張り切る。
 まずはゲストハウスの壁下面の処理を行う。色々と考えたがやはり竹を使ってやろうとなり。
 考えていた仕様で始める。竹をびっしり貼り付けると結構な数が必要なので間を空けて取り付ける事にした。苦肉の策になる。そのために下地も黒色にして竹とのコントラストが出るようにした。立に竹を止め、横に竹を配置し、黒い紐で縛る事にした。
 ところが紐の縛り方が良く分からない。色々なやり方でやって見て何となく見た目が感じの良い方法でやった。
 一部が出来たので今日はここまでとした。いわゆる材料切れだ。

 その後は工事で散らかっている材料や工具を片付ける。18日から箱館戦争関係の人が神奈川から来て案内をしなければならない。

 片付けた後は桔梗に石油ストーブを取りに行く。葬儀の際ストーブが点火しなくなり、急遽ゲストハウスのストーブを持っていって据えつけていた。それを外して再びゲストハウスに付け無ければならない。

 ストーブを外し、外の使わなくなった灯油タンクに入っている油を40リットル抜いて家に帰る。

 ストーブの据付完了後は娘の入院している病院に行く。今日は妻と娘が病院からのディナープレゼントがあるので参加するのだ。なかなか粋な取り計らいだ。

 2人した参加できないので、私と瑞葵はびっくりドンキーでハンバーグだ。みんなで行くと何時もは、落ち着かずあちこち歩いたりいたずらして娘や妻に注意のされどうしなのが・・・。
 私と行く時は何時も椅子に座ったまま降りないで普通にしている。話も良くして楽しい。

 忙しかった一日も終わり、今日はすこし飲んで酔ってしまった。 
■ 4月15日(火) ■ 雨の日は・・30日祭

嬉しそうなおばあちゃん
 雨が降っている。今はまだ午前2時だ。今日は寒波が来て寒くなるという予報と亡くなった義弟の30日祭があるので、ほぼ徹夜状態で文書の更正を行っている。
 箱館戦争関連のの本を一応仮完成させたが、今更正をかけているのだがゲストハウスの改造で遅々として進まない。
 
 8時半には家を出て、おばあちゃんを迎えに行って、おばあちゃんの家に行き、30日祭を行った。
 無くなってから早くも30日が経つのだとあらためてその速さを実感する。
 予定通り30日祭は執り行われ、この後は50日祭で葬儀関連は全て終了する。

 おばあちゃんにひ孫を見せなくてはならないが病院の面会時間は14時なので、食事をして時間つぶしをする。
 そして病院に行く。娘にひ孫を抱いてと言われ、おばあちゃんは凄く嬉しそうだった。
 因みに私はまだ抱いていない。あの安定感の無い首を見ているとどうしても不安になるのだ。
 娘は2人目なので、長女のときは凄く身長だったが2人目はかなり気楽に扱っていると言っていたが・・・。
 おばあちゃんにとって9人目のひまごになる。幸せだな。
 私は多分ひ孫に会える可能性は無いだろう。
 唯一の私の子供の内で、娘の長女が瑞葵でまだ3歳だ。25歳で結婚したとしても、その時私は86歳になる。そこまで生きる自信は無い。
■ 4月14日(月) ■ 無事出産、母子とも健康

瑞葵はお姉ちゃんです

瑞葵に似ている

ママも元気です
 朝7時頃娘の旦那が起きた音が聞こえたので居間に下りたら、娘の出産が近くなったので病院に行くと出かけた。
 どんな状況か家に居ては何も分からないので、気持ちは落ち着かない。

 そうだ今日はパソコンを教えに行く日だと思い出し、行けないとの電話を入れたが出ない。困ったな・・・。
 約束の時間が過ぎて相手から電話が来た。丁重に断って一件落着。

 その内妻に連絡が入り、8時36分に無事男の子が出産したと連絡があった。身長は52cmで体重は3604kgであった。
 母子とも健康で良かった。
 その後、娘からメールが来て、「死ぬかと思った」と大変だったようだ。
 面接は14時以降となっているので、直ぐに行けなくじりじりしながら待って、ようやく時間になったので瑞葵も連れて病院に向かう。

 病室に居た娘はもう立って歩いていた。そのうち赤ちゃんが連れられてきた。肌は黒く男の子という感じで、孫の瑞葵に良く似ている。名前は友瑛(ともあき)と名づけられた。
 瑞葵は恥ずかしそうにして、なかなか赤ちゃんには触れない。今度はお姉さんになるのでしっかり頼むよ。

 しばらく居てから帰宅。旦那は札幌に帰って明日から仕事になる。
 帰る途中、鯉のぼりが揚っていた。瑞葵が「一番上はお父さん、2番目はお母さん、3番目は瑞葵、4番目はあかちゃん、5番目はばぁば」とあかちゃんもしっかり入っていた。
 「じぃじは?」と聞くと「無い!」とそっけない。

 夕方3人で温泉に行く。上がったらじぃじにソフトクリームをねだる。いつの間にかソフトクリームの購入はじぃじの役目になった。
 夜は何時もよりお酒を飲んで祝杯をあげる。
■ 4月13日(日) ■ 娘が出産入院
NO PHOTO  昨日からスーパーの買い物に家族で出かける予定でいたが、娘に陣痛起きた。まだ10分おきだというので買い物を済ませてから病院に向かう。
 診察を受けてから入院になるかどうかが決まると言うので家に帰ったが、しばらくしたら娘から入院の電話が入った。
 荷物を持って病院に行く。産婦人科専門の病院は初めて入った。待合室には妊婦さんが30人ほど居た。
 赤ちゃんが生まれた人の部屋は個室とグループ室がある。ここでもお金の問題なのかな?
 2階の部屋に行くがそこは、一般病棟ではなく出産前の準備室で、少し暗い部屋で如何にも準備室と言う感じだ。
 ベッドにいた娘にはデータを取る、計測機が繋がれていた。カチャカチャと音がする中で面会をする。
 娘の瑞葵はお母さんが何故病院に居るかは、まだはっきりしないだろう。お腹が痛いんだと言っていた。
 この部屋は家族以外は長時間滞在できないのでで家に戻る。
 札幌からは旦那が車で駆けつけている。旦那のお父さん、お母さんも登別からかけつける。
 家で待ってたら、旦那が病院に来たというので瑞葵を連れて行く。久し振りにお父さんに会えた。
 その後、瑞葵を置いて家に帰ったが、今度は子供は出産時は置いては駄目らしく、迎えに来てと電話があり、3度目の病院行きになる。
 行ったり来たりとなかなか忙しい。夜には旦那も家に帰って来た。今日の出産は無いそうだ。
 慌ただしい1日だった。明日は生まれるのだろうか?
■ 4月12日(土) ■ ゲストハウス改造

板壁下に板を張った
 今日はゲストハウスの壁の下の裾の部分の板張りを行った。張った板の上に何かをデザインしたいがまだ良いアイデアは浮かばず取りあえず板のみを張った。
 それと言うのも今日はスポーツ番組があり、午後は全く時間が無いからだ。
 13時からコンサドーレの試合。これはコンサが勝った。その後は日ハム。これは最後に逆転負けと一喜一憂の一日だった。
 今回のスキー事故で人間のパーツと言うのは何処が悪くても全体に与える影響が強いなと感じた。
 足の方はもう事故から3ヶ月近くになるのにまだびっこを引きながら歩かないと歩けない。
 痛みは無くなったが親指の付け根の裏に力が入らないので蹴れないので、かがとを上げる力が足りないからだ。
 自転車に乗っても足首がぐらぐらして安定しない。病院の先生は時間は掛るが直ると言うが、本当に完全に直るのか心配になってきた。直ってもどこかに影響が出そうな気がする。
 頭の方は手術の跡がまだ少し痛いが、内部なので分からないが大丈夫のような気がする。
 この歳で怪我の影響は大きい。憂鬱な日がまだまだ続くのだろうか?

 こんな状況の中、あちこちから登山の案内が来る。今までは単独登山が多かったが、今度は仲間と一緒に早く山にも行ってみたいが、今までより勇気がいる。
■ 4月11日(金) ■ どらえもん展&改造

入り口で記念撮影

アルミ窓のカバーが完成
 朝に孫の瑞葵に「どらえもん見に行く?」と聞いたら「行きたい」と言うので早速出かける。函館の美術館で開催されている。
 大人は900円と高いが小さい子供は無料だった。中に入ったら美術館らしく、気の利いた展示方法なのだが、子供にとってはやはり、映像が面白い様で小さなモニターに映るどらえもんの動画ばかり見ていた。
 何しろ会場内は撮影一切禁止、手で触れること一切禁止ななのだ。
 小さい子供は触ろうとすれば近くにいる目を光らした監視員が飛んでくる。何か窮屈な展示会だった。
 どらえもんと聞いたら興味を持つのが殆ど子供と思うので、もう少し触れ合う展示であって欲しかった。ピカピカに光った車やロケットを見ても子供は楽しくない。ボロでも乗れるほうが楽しいに決まっている。

 帰ってゲストハウスの改造に掛る。
 今日も立ち寄りの方が2名あった。皆興味を持つのはやはり 居酒屋やるのかと壁板のOSBボードに興味があるようだ。
 年配の人はこんな古風な感じの家に昔を懐かしんでいるのかな。
 向かいの鉄工所の奥さんも綺麗に出来たねと声を掛けてきた。本当はこちらの壁はやらないと思っていたのだが、昨年他の壁が出来上がった時に、次はこちらの壁だねとさりげなく言われていた。
 今日はアルミ窓にカバーをして回りの壁とマッチするようにした。
 残るは壁下部の処理と一番上の壁の色を白く塗る事だが天気予報は雨。出来るかな。

 夜は日ハムの試合。5連勝と絶好調。でも疲れと酔いで船を漕いでいた。「じぃじ寝てるよ」と孫に言われる。
■ 4月10日(木) ■ ゲストハウス改造

アルミ窓のカバー工事スタート

割完成。明日には完成する
 最近のパターンは夜は日ハムの試合を見るので9時頃まで起きて、それからベッドに入り本を読んだりしている。
 昨日も同じパターンで試合後本を読んだ。
 図書館から借りてきた、「車椅子でアジア」という本で、海水浴で飛び込んで脊髄損傷して、首から下を麻痺して、重度障害者になった。自分の生きる道を求めて、生活保護費や各種補助金を蓄えてアジアに行き、ネパール人の大学生を雇い、1年間アジアを旅するというものだ。
 介護の大学生との意見の食い違いや、過酷な移動などなどの困難を乗り越えて旅は終る。
 車椅子での旅の過去さを知ると共に、人間関係がいかに重要かを知らされた本だった。
 自分なら出来るかと考えたとき、多分出来ないだろうなと思ってしまった。世の中には前向きに生きている人が沢山いる。
 健常な自分はもっともっと前を見て歩かなければと感じた。

 ゲストハウスの改造はアルミの窓枠を木で囲う作業が始まった。今日も相変わらず、人が話しかけてくる。
「こんな所で飲めたら最高だな」
「昔の雰囲気が良く出ているね。熊野古道をMTBで歩いた新聞見たよ!」「焼き鳥屋だったら買いたいね」「大分出来てきたね」などなど。その都度手を止めて話すのでどんどん時間が無くなる。
 更に材料切れで2回も郊外のホームセンターに買いに行った。これも時間のロスが大きい。
 9割くらいの完成で本日の仕事が完了した。
■ 4月9日(水) ■ 冒険家、安東さんとおしゃべり
NO PHOTO  メールを見たら、冬のシベリア5000kmを自転車で横断した、初めての日本人である、冒険家の安東さんが函館に来ていた。直ぐに電話したら五稜郭近くのホテルに宿泊していた。
 滞在日程などを聞いていたら、急遽大樹町に戻る事になったと言うのでホテルに会いに行った。
 安東さんとは青森ねぶたのテントが向かい同士であったのと、ねぶたの後、函館に来てゲストハウスにも泊まってくれた。
 その後、東京の地平線会議野宿党の例会である、新宿野宿でも一緒になって、酒を飲み交わしている。冒険分野では植村直巳賞を受賞している。
 
 今回は九州から北海道まで飛ぶ予定の、ニッセンの飛行船の地上支援隊の一員として北海道の大樹に来ていて、整備などを行っていた。
 整備も終わり飛ぶ段階になり、予定では函館近郊の鹿部?に到着予定だったので、一足先に大樹から移動して昨日函館に着いていた。
 ところが大樹の天候が悪く2〜3日飛べないので再び大樹に戻る事になった。
 そこで函館を出る前にホテルで1時間くらい話した。

 飛行船はパイロットが少なく日本では3人くらいしか居ないそうだ。試験は航空機になるので、かなり難しそうだ。
 安東さんも熱気球をやっていて、太平洋横断等を計画していたが、機材など十分な対応が出来なく、一時中断している。熱気球の免許は航空機に比べては楽なようだ。
 ヘリウムガスは半月で1500万円分使ったそうだ。この気球はPRに使うのだが一回のイベントで1億くらいの費用が掛るそうだ。
 そんな話しをしたが、飛行船など全く分からないので楽しかった。
 
 安東さんは普段はチベットガイドをやっているのだが、今回のチベット騒動で入国が出来なく、失業するといっていたが、騒動が続けば入国出来る日がどんどん伸びて厳しそうだった。

 エベレストを目指している三浦雄一郎もコースを変えてチベットに入ったようだ。

 いずれにしてもチベットは当分行く事は駄目らしい。

 ゲストハウスの改造はアルミ窓をかくして、古風なデザインにする仕事に入った。
■ 4月8日(火) ■ 観音山調査

土塁がしっかり残っている

ーターに外壁と同材料でカバー
 箱館戦争の始まりとなった七飯町峠下の戦いで、箱館政府軍などが使用した、観音山に調査に行った。
 峠下の「庚申塚」の横を登って行けば裏に細長い土塁がしっかりした形で残っていた。
 その他にも1〜2人入れる土塁と思われるものが点在していた。
 観音山の名称は地図上でも無く、七飯歴史館の学芸員である山田さんと話しをしたが、通称観音山と地元の人に呼ばれていたのだろうと言う事だった。
 他にもこの辺りには、遺跡が出た「聖山」なども通称で正式な名前はなかった。
 観音山は当時は山の上に観音などを祀っていて、地元の人々の信仰の山だったのであろう。
 観音がまだあるのかなと付近を探してみたが見つからなかった。あったのか無かったのか?
 この山に砲台を設け、鷲ノ木から箱館に向かう、旧幕府軍の先発隊の宿泊所に大砲を打ち込み、箱館戦争の開始になった場所だ。 

 途中ホームセンターで材料を購入し、ゲストハウスの改造を行う。時間が無かったので、電気メーターへのカバーと玄関下への板の貼り付けを行った。

 夜は日ハムが2回に7点も取られたのでもう駄目と思っていたが、何と8点も入れた、奇跡の大逆転で盛り上がった。
■ 4月7日(月) ■ 終日改造

ようやく塗装を塗り終えた
 今日は天気も快晴で、気温も10度を超えるので、朝から改造に取り掛かる。
 今日は板に塗装をする。狭い所を丁重にやって、簡単な面などはあっと言う間に出来る。
 今の改造している部分は交通量も多いし、人も多い道路側なので、良く人が来る。
 今日は朝から向かいの奥さんが来た。それから5km位離れた人見町から77歳のおばさんが来た。毎日散歩していて、家の改造を毎日見ているそうで、今日はここまで出来たとか楽しみにしているそうだ。しばらく話しをする。
 その後少しして身なりの綺麗なおばさんが来た。何をするでもなくこの辺りをぶらぶらしている。
 そのうち改造場所に来て、この材料は何?などと質問する。そしてこんな場所が有るのは良いね。
 男は仕事している時は亭主留守で良いのだが、退職したら毎日家に居て邪魔なのよねと言う。こんな場所で男同士が飲んで話すのは良い事だねと言う。
 別にゲストハウスは男同士にこだわっていなく、女性も多く訪れる場所なのだ。
 何か本州ぽいので聞いてみたら、千葉県から3年前函館に移住したそうだ。旦那が渓流釣り好きで移住になったのだが、癌が見つかり、もう末期だと言われたそうだ。
 先日義弟が亡くなったホスピスに入っているそうだ。最近癌の話しが多いな。
 汗もかいたので夕方温泉に行き、のんびりする。
■ 4月6日(日) ■ スキー場で抽選会

一気に平らげた
 昨日クラブの仲間と電話した際に、スキー場の最終営業日にお客さん感謝デーとして沖縄旅行が当たる抽選会があるというので出かける事にした。
 出ようとしていたら、向かいの奥さんが。「バッテリーが上がったのでエンジンが掛らない」と言われ、ブースターケーブルを探したが、最近は使っていないので、なかなか見つからない。
 ようやく探したのは30分後だった。エンジンは直ぐに掛った。
 快晴の天気の中、スキー場に向かう。1月に衝突事故を起こしてから、久し振りのスキー場行きだ。でもスキーは持って行かない。
 まずは食事とレストランの2階に行く。そこにはUさんと勇樹君が居て、一緒に食事をする。
 しばらく話しをしたら、今度はSさんが来て、またまた話す。
 下に行ったUさんが、皆は下に居るよと言うので移動する。
 下には私の中学校時代の部活担任のN元先生が居た。彼女は75歳で全日本マスターで2連勝している凄い人なのだ。
 たくさんの人の中で先日64歳で準指導員の資格を取って今度は正指導員を目指しているというIさんが居た。
 顔は何処かでお互い見ている。お互いの記憶を辿ったら同じ中学校の出身で同期生になる。
 彼は私の名前も知っていた、私は名前に記憶は無かった。そして目の前に居るのは当時の中学校の先生だ。
 何とも狭い世の中だ。3人で中学校時代の話に熱中する。
 その後、先生と2人でかなりの長い時間話しこんだ。そのうち抽選会が始まると連絡を受け、会場に向かう。
 抽選が進むが、私の名前は呼ばれない。唯一「函館市日の出町の・・・」まで呼ばれて来た来た!と思ったが人の名前は違っていた。残念!
 家に帰ってのんびりしていたら朝にエンジンをかけてあげた奥さんが生きた、稚貝のホタテを持って来た。
 妻が「踊り食いだ!」と言って生きたホタテを食べる。私も食べたが美味しい。
 娘も食べ、結局貰ったホタテ全てを「踊り食い」で食べてしまった。酒もすっかり進んだ。
■ 4月5日(土) ■ 20日際
NO PHOTO  今日は義弟の20日祭が行われる。朝はこの時期随分と冷え込んだ。一般的には仏教で言う取り越し法要が行われて、一度に全部を済ませてしまうのだが、ここの宮司さんは正式にやるのが良いと言う事で、正式にやる事にした。
 集まるのは義弟の長男夫妻と子供。それに我々夫婦と長女と孫と人数的には少なくなったが、現代では仕方が無いことであろう。
 それでも神聖な気持ちで20日祭を済ませる事が出来た。この次は30日祭になる。
 終った後、宮司さんと色々な話しをしたが、普段は宗教的な中身には触れる機会が無いので有意義な話であった。
 
 全て終了して女性達はばあちゃんを連れて家族風呂に行くと言うので、私は風邪を引いているので、近くの量販店でゲストハウスに塗る塗料を品定めして購入。
 結局は下地の見える濃い目の色にした。明日天気が良かったら塗ろう。
■ 4月4日(金) ■ 病院通い
NO PHOTO  足がなかなか直らないので、整形外科に行く、ついでに風邪も引いて咳が出て、鼻水も出るので内科にも行こう。
 某病院の整形外科は11時頃行けばいつも空いている。その時間を目がけて行ったら、案の定1人の患者が診察を終って、出て来たら直ぐに私の番だ。
 足の具合を説明したら、アキレス腱と骨が接触する際痛むそうで、やはり時間を掛けなければ直らないそうだ。
 その次に同じ病院内の内科に行く。ここも患者は2人しか居ないので早かった。待っている間に問診書書きと体温測定を行った。
 診察は聴診器で前後ろを当ててぜえぜえが有るかどうかを聞くだけで、咳と鼻水の薬を出すという事で終了。
 待合室で料金の支払いを待っていた時。一人のおばさんが切れた。
 調剤の所で待っていたが、時間が大分掛っていたらしい。
 責任者の様な人に
「ここは一体どうなっているの! 料金計算と支払いで80分も待って、調剤でもう20分も待っているのに出てこない。何時になったら出来るの! これから外の薬局でまた1時間はかかるんだよ。一体どうなってるの」と食って掛った。
 慌てた責任者が出て来て、言い訳をするがおばちゃんは聞かない。そのうち書類が出て来たと連絡があった。どこか違う場所に置かれっぱなしだったようだ。
 おばちゃんはさらに怒って、薬はあんたが取ってきて家まで届けてくれと言った。
 至急薬局にFAXして直ぐに受け取れるようにしますからと言ったがおばちゃんは聞かない。
 仕方が無く責任者は薬局に行き、早く薬を出せるように交渉していた。その後はどうなったか定かでは無い。
 確かに以前から料金計算が終るのはかなり遅かった。私も以前行った時には不満があった。
 今回は窓口が新人に変わっていたのだ。それで遅いのがさらに拍車を掛けたのだ。
 おばちゃんの苦情のお陰で、料金計算の所には3〜4人が配置され、私は直ぐに清算出来た。
 明日は義弟の20日祭なので遠くのおばあちゃんを迎えに行き、今夜は我家に泊まって明日の朝に20日祭にに参加する。
■ 4月3日(木) ■ 大野文保研例会
NO PHOTO  昨日自転車に乗れたので、今日は大野まで自転車で行くぞ! と思っていたが生憎の雨となり車で行く。
 例会は郷土資料館をどのような方向にするかと言った話が中心だった。
 後は第30回箱館戦争戦死者追悼会が6月14日(土)に決まった。昨年は人数が多かったので、今年はレピーターも多いことから新聞には載せないかとなった。
 昨年は私がセミナーの講師を務めた。

 帰り道灯油を購入。ガソリンはレギュラー115円、経由は103円と下がっているのに、灯油は89.8円と変化無しだ。
 
 夕方図書館に行って本を5冊借りてくる。古い民家の写真集があるので、ゲストハウスの窓部分をどんなデザインにするかの参考にする。
 通りすがりのおばさんが、居酒屋なら良いのにと言ってしばらく話す。向かいの6階建てのアパートの人も入っているそうだ。
 でもそこまでやる元気は無いな。気楽に友達とゲストハウスで楽しめれば良い。
■ 4月2日(水) ■ 自転車に乗れた!

全体のデザインはこのようになった

ダミーの通風孔
 今日は気温も11度まで上がり、昨日とは打って変わって暖かくなった。
 改造に取り掛かる。今日は壁のデザイン部分を貼り付けた。以前より随分雰囲気が変わってきた。
 ダミーとして作った風を入れる開口(穴は無いが)部を壁に取り付けた。改造も大分進んだので後は塗装と玄関のドア並びにドア周辺をどうするかだ。

 昼過ぎまで作業して温泉に行く事にする。自転車で行けないかなとふと思った。
 1週間前くらいに乗ろうとしたら、右の足首がぐらぐらして、全く乗る事は出来ず、直ぐに諦めた。
 風呂道具を前の籠に入れて、左足を地面に置いて、右足をペダルに乗せる、左足で押して、右足に負担を掛けないように直ぐにシートに座る。
 お〜乗れた。右足はまだぐらぐらするが以前よりは力が入る。そのまま2kmくらい離れた温泉に到着。
 何か自転車に乗れるのが嬉しくなった。これからはなるべく自転車に乗り、リハビリーしよう。
 ガソリン価格が25円下がったと同時に乗れるようになるなんて・・。でも少し気持ちが明るくなった。
 のんびり温泉に入り、休憩室で書き物の校正をして2時間くらいいて家に自転車で帰る。
■ 4月1日(火) ■ 道東猛吹雪

ダミー風通風孔。これに開閉蓋をする。
 4月に入ったのに寒い天気になった。函館は最高気温5度とかなり冷え込んだ。さらに凄かったのは道東で、真冬並みの猛吹雪になった。ウトロでは69cmも積もった。幾ら雪に馴染んでいる道民でも、さすがにこの時期の雪には参っただろう。
 今から5年位前知床峠で8月に雪が降り、当時そこを走っていたチャリダーの「しゅんたく」は防寒着を買って凌いでいたのを思い出す。
 今しゅんたくは世界一周チャリの旅に出て世界を走っている。

 昼は娘を産婦人科に連れて行く。孫の瑞葵と娘が病院に行っている間、新しく出来たリサイクルショップに行く。
 お客は誰もいないく閑散としている。一通り見たが大した掘り出し物は無い。
 最近リサイクルショップにある物が大体同じ様なもので、あまり掘り出し物が無くてつまらなくなった。
 私の買った、モンベルのカヌーが2500円、新品のリッジランナーのMTB1万5000円などの様な掘り出し物はもう出ないだろうな。
 
 家に帰ってゲストハウスの改造だが、外は寒いので室内で材料取りを行った。18本の板を切ったので、右腕がすっかりだるくなった。
 ついでに壁からの空気入れを作る。壁に穴を開けるのは大変なので、これはダミーにする。
 昔の家は、外からの空気を取り入れる開口部があり、普段は蓋をしておき、暑いときは蓋を開けて空気を流通させる。
 これを壁に付けて雰囲気だけでも出そう。

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