■ 3月31日(月) ■ 寒い一日

枠だけを貼り付けた

ローラー台も付けたのでリハビリしよう
 昨日は朝3時頃まで本を読んでいたので、7時と遅い時間に起きて来た。
 今日も改造をやるためにまずは量販店に行き材料を仕入れる。帰ってきて直ぐに改造に取り掛かる。雨がぱらつき、おまけにかなり寒い。少し気分は乗らなかったが、作業を続ける。
 壁のデザインを考えるのに時間がかかる。色々なデザインを考えた中の1つにする。
 とりあえず少し作り、また明日考えよう。1日経過すると色々と考えが変わって、良いアイデアになる事が多い。

 まだ足の具合が悪くて自転車には乗れない。1週間前は毎日3km歩いたが、まだ歩くのは早いのか足首が腫れるので中止していた。
 大分良くなったので、歩く前に自転車でリハビリをしようと思い。MTBに負荷をかけるローラーをセットする。前タイヤがバースト寸前だったので、タイヤも交換した。
 これでリハビリをやろう。1週間くらい前に自転車に乗ろうとしたら、足首に力が入らず、乗れなかった。
 今日やってみたら以前よりは力が入るので、リハビリは可能になっただろう。
■ 3月30日(日) ■ HP作りたい!

大分出来てきた。これからは細部を加工する
 今日も朝から改造に取り組む。今日で、玄関付近を除き大まかな壁針は終了した。
 後は塗装と細かい部分のデザインはこれからだ。何か仕事をしていたら足のほうの力も少しずつはいるようになって来たような感じだ。
 午前中の仕事を終え、材料も無くなったので、休憩していたら、元の会社のTさんから、HPを作りたいが教えてくれないかと電話があり家に行く。
 関係先でHPを作り事になり、引き受けたがいざやってみるとなかなか思うように行かなかったそうだ。
 HP作成の口座に通ったそうだが、それを実際に移すのは難しいようだ。
 構造図の書き方を教えて、今回作成する項目のファイルを作り、リンクの仕方を教えて今日は終了した。
 後は必要な内容を書き込み、後にまたデザインを決めようとなった。
 終った後、色々話しをしたが、最近は新聞にスキーの結果が載っていないねと言われた。
 スキー事故で今シーズンはレースに出ていないと言ったら驚いていた。久し振りの温泉に行き家に帰る。
 日ハムは今日も負けて最下位になった。打てないのに守備も乱れている。
■ 3月29日(土) ■ ゲストハウス改造

今日はここまで出来た。上部は白にする予定。
 我家は朝が遅い。早く起きるのは私だけだ。皆は8時半から9時頃居間に降りてきて食事になる。
 そんなわけで1日の効率が悪い。今日は一人で食事を摂り、ゲストハウスの改造を始める。
 外に出たら凄く寒い。朝の気温が−1度なので、まだ2〜3度しかないのだろう。壁板を数枚張っては家に入り、暖かいコーヒーを飲んで体を暖め、また仕事をするといった事を繰り返す。
 壁は全て張り終え、下半分の壁にオイルステンを塗る。防水性を高めるのと、茶色にするためだ。
 オイルステンは手拭に染み込ませて、壁にこすり付ける。てもすっかり茶色くなって、部屋に入ったら、孫の瑞葵に「汚ねえ〜」と言われてしまった。
 化粧の板も半分は張って、今日はかなり進んだ。後半は材料が無くなり、量販店に行き買ってくる。
 前の日に用意しないと、店は10時頃始まるので、時間が勿体無い。
 日ハムの試合をラジオを聞きながら、仕事していたが、7対2で楽天、田中ま〜くんにやられた。
■ 3月28日(金) ■ ゲストハウス改造

今日はここまで。大分壁が張れた。
 朝からゲストハウスの改造に取り掛かる。考え考えの工事なので時間は掛るが、一応順調に進んでいる。
 板を張るのは楽なのだが、その後の表面のデザインをどうするかを考えながらやるので、そこに時間がかかる。
 昼頃には材料が切れて量販店に購入に行く。郊外の店なのでこれが結構な時間が掛る。沢山の材料を持ち合わせていないので、ネジが無くなっても買いに行かなければならないし、この行き来が大変だ。
 午後からは仕事を中断して、先日の葬儀で宮司さんを世話してくれた、隣町のAさんにお礼に行く。

 最近になって、癌の話しが出てくる。義弟も先日癌で亡くなったばかりだが、スキー仲間のSさんが癌になったとメールがあった。幸い転移していなくて良かったのだが、夜になって神奈川のTさんからメールがあり、元彼から、「自分は癌で人生が終ろうとしている。長い間ありがとうございました」と連絡があったそうで、こんなに癌になる人が多いという事を実感した。
 そういえばお礼に行ったAさんの兄さんも癌だそうだ。最近は癌に掛る人が多いそうで2人に1人はなっているそうで、早期発見が良いのだろうが、実際に病気は兆候が無いとなかなか病院には行かないので、癌の様なあまり初期の兆候が出ない病気は早期発見が難しいのだろうな。
 小まめに検査すれば良いのだろうが、お金も掛るだろうし、難しい問題だ。
■ 3月27日(木) ■ ゲストハウス改造

今日はここまで
 昨日は日ハムの試合を見たが、大差で負けてる展開。見るのも適当で、その内こっくりこっくりやっていたら、孫の瑞葵に「じぃじ寝たら駄目!」と叱られる始末。3歳なのに回りには気がつく。もう寝ると布団に入ったら11時過ぎに目が覚めた。仕方が無いからベッドで本を読んでいたら、妻が来てサッカーやっているよと教えてくれた。そうだジャパンのサッカーがあったんだ。こちらも1対0で負け。すっかり目が覚め3時まで本を読む。
 
 午前中に墓の墓誌に名前を入れて貰うので、墓石屋に行く。33600円も取られる。何か葬儀に関する費用はお金が掛る。

 午後からゲストハウスの改造に取り掛かる。まずは玄関の下の土台を直そうと段取りを付けた。
 次にドアの周囲に囲い板を付けて、壁板を1枚張り、下地の木も張りなおして今日は終了。

 4月1日からガソリン税の減税になるが、函館の最安値スタンドのモダ石油は早くも4月1日から値下げを決定した。相当混雑するだろうな。
 マイカーのガソリンはそんなに入っていない。満タンに入れるチャンスではある。
■ 3月26日(水) ■ 10日祭・納骨祭
 義弟が亡くなってから早くも10日が経ち、10日祭が行われた。今日は雪の予報が出たり、雨の予報が出たりで寒い天候になった。自宅で玉串を捧げた後、高台にある新東山墓苑に行って納骨祭を行う。彼岸の中日を終えたばかりの墓苑は閑散としていた。
 墓苑は高い場所なので一層寒く、まるで冬並みだった。年寄りや子供には辛い納骨祭になったが、納骨を終えたので自分としては何かほっとした。
 この後も20日、30日、50日祭もやら無ければならないが、生活的にはかなり平常になるだろう。
■ 3月25日(火) ■ ゲストハウス改造開始

GHのこの壁を改造する
 温かい日と寒い日が交互にやってくる。今日は暖かい日だったので、ゲストハウスの改造に取り掛かる準備をする。
 改造の大きな残りは道路側の壁を張る事だ。こちらの方は手間はあまりかからないが、台に上がる時などは、怪我した足が安定しないので慎重にやらなければならない。
 まずは、不要な突起物などを撤去して、その後玄関周りをどうするか考える。ここさえ決まれば後は一気に出来る。
 午前中作業をして、午後から亡くなった義弟が5年間お世話になったグループホームにお礼に行く。
 長い間、通ったホームには沢山の思い出がある。ここに入っているお年よりは16人で、誕生会、クリスマス、敬老の日などなど多くの行事があるが、家族が来てくれる人は僅かだ。
 そんな中、殆ど欠かさず出席した。元気な時は「兄さんありがとう」と帰りには何時も、ようやく歩く状態なのに、見送ってくれた。そんな思いが脳裏を駆け巡る。
 帰りに妻の実家に寄り、明日の20日祭と納骨祭の打ち合わせをして帰る。
 夕方は図書館に瑞葵と一緒に行く。瑞葵も図書館は大きな声を出しては駄目だと分かっている。
 それでも大好きな紙芝居のような大きな重い本を持って来る時は「よいしょよいしょ」と声を出して持ってくる。
 
 夜は安心して見れる点で日ハム快勝。
■ 3月24日(月) ■ 寒い日だ!
NO PHOTO  昨日は凄く春らしく半袖Tシャツでも暖かかったのに今日は凄く寒い。長袖シャツは既に入れ替えて半袖になったいたので、半袖にウィンドブレーカーを着る。
 今日は孫の音楽教室に行き、その後孫が風邪気味なので病院まで送って行く。治療が終った帰りに電話があり、七飯アルペンチームのAさんが遊びに来て、しばらくゲストハウスでスキー談義をする。
 Aさんも一昨年、スボーボードと衝突し、複雑骨折して歩くのはかなり不自由だが、それでも頑張ってスキーはやっている。 競技は無理だが、ゲレンデはゆっくり滑れる。その情熱は凄いと思う。自分だったらもうスキーは止めているかも知れない。
 彼の娘さんはプロスキーヤーだ。昨年はスキークロスのワールドカップレーサーだったが、今年からはアドベンチャースキーをやっている。スポンサーもウェアとスキーメーカーが付いて頑張っている。
 雑誌のグラビアにも出ている、凄いお嬢さんなのだが、家で会うとごく普通のお嬢さんなのだが・・かなり凄い。冬はカナダでスキーをしている。
 午後は娘の産婦人科の定期診察に行くので運転手。診察が終るまで1時間以上あるので、妻の妹の家に行ってコーヒーをご馳走になる。彼女は来週四国お遍路に行く。区切りでやっているので今回で3回目だ。1時間は楽しく過ごせた、山・旅と共通点が多いので話にはことかかない。
 今日はあっと言う間に一日が過ぎてしまった。明日から天候は下り気味だ何をするかな。
■ 3月23日(日) ■ 陽気な天気なのに・・
NO PHOTO  朝から快晴で春らしい天気だ。足さえ痛くなければ山に登ったり自転車に乗ったりしているんだろうが、まだ過激な事は出来ないので、じっとしているしかないのだが、やはりやらなければならない事がある。
 まずは灯油が切れた。単に入れれば良いのだが、入れる手作りのジョウロが冬に壊れたので、急遽作り直す。
 これは30分で完成した。直ぐに灯油を80リットル入れて終了。
 昼からは日ハムの試合を家族みんなで見たが、今日も負け。夕方に娘の旦那が札幌に帰宅するので駅まで孫と一緒に送っていく。何時もなら娘が送っていくのだが、もう出産がまじかであまり動かしたくは無い。
 出来れば4月2日以降に生ませたいから衝撃を与えたくない。後9日間後に生まれるように今日から、安静状態にしたいのだ。でもお腹は相当大きく何時出産してもおかしくない状況だ。
■ 3月22日(土) ■ 洗濯ホースの漏れ&講演

会長の挨拶
 洗濯ホースが漏れて洗濯が大変と言う事で、探したがなかなか見つからない。昨日から数軒回っていたが、合わなかったりしてなかなか修理が出来ない。
 今日ようやく見つけて、取り付け完了。とりつけ何て2〜3分で出来るのに、互換性が無いから苦労する。こんな部品は標準化して欲しいな。
 
 高校野球が始まった、初日の第一試合は岩見沢駒大付属高校。なかなかリズムのある試合にはお互いになれず、結局一回戦で敗退。その後直ぐに日ハムの試合を見たがここでも敗退。今日の野球は全滅だ。

 午後6時からの講演会を聞きに50km離れた木古内まで行く。会場に入ったら宴会モードだ。
 良いですよ適当に座って・・。今日は木古内の「咸臨丸とさらき岬に夢見る会」の定期総会を兼ねた、講演会だった。
 何か雰囲気が違い、遠慮して座っていたら、あれ何処かで会いましたねとの言葉。昨年の講演会であった人だった。
 あちこちで講演しているんだ。内容的には以前聞いた内容と同じだった。地元の活性化で頑張っている人で、こんな活動をしてみたいと思うな。
■ 3月21日(金) ■ 陽気な天気でタイヤ交換
NO PHOTO  もう既に地上の雪は無く、又降りそうに無いのに、葬儀が合ったので交換できないでいたタイヤ交換をする。
 北海道では冬の前と春には毎年やらなければならないが、店でやればお金が掛るので自分でやる。
 昔はタイヤを交換するので大変だったが、今はホィール毎、取り替えるので楽になった。
 それでもパジェロなどは相当タイヤが重く苦労した。今はフレンディのタイヤは少し思いが、MAXは軽なので軽い。年取ったら軽が楽になってくるな。
 今回は喪主の長男と私の娘の旦那が居たので、手伝ってくれた。毎回一人でやっていたが今回は2人の助っ人なので、2台の車のタイヤ交換もあっと言う間に終った。
 凄く楽では有ったが、何かもう手伝って貰う年になったのかと少し寂しさもあった。

 その後病院に行き、先日、手術を行ったが、医療費が高いので「健康保険限度適用認定書」を組合保険から送って来たので届ける。こんな仕組みがあったのは全然知らなかったが、退院のとき、病院で組合保険に連絡して、手続きを全て行ってくれた。これがあって9万円くらいの治療費で済んだ。
 函館脳神経外科病院は凄く親切に何もかもやってくれる病院だった。

 バレンタインのお返しも出来ないでいたのが、今日娘の旦那と2人で合同で、近所の店から中華料理を5品を取って皆で食べてた。
 今日1日は、普通の生活に戻って来た。
■ 3月20日(木) ■ 葬儀終了・彼岸の中日
NO PHOTO  昨日で葬儀も終わり、やれやれと思ったら、今日は彼岸の中日だった。朝線香やロウソク、仏花、供物を準備して、墓参りに行く。凄く寒い日で震えてしまった。
 その後は妻の実家のお墓参りも済ませ1日が終わった。なんとせわしい日々が続いて、頭が混乱している。
 午後からは妻と娘の旦那と4人で日ハムの試合を見る。凄い迫力のある良い試合だった。ダルビッシュが好投して1対0で開幕戦を勝利した。久々に気持ちが明るくなった。
 この後も、葬儀の後始末もあり、当分のんびり出来そうに無い。
 スキーで怪我した足もまだ、治らずまだ歩く時は痛みがあるし、右足がはれている。まだまだ憂鬱な日々が続きそうだ。
■ 3月19日(水) ■ 告別祭・帰家祭

自宅葬でささやかに行われた
 今日は告別祭・帰家祭。親族だけなので、終った後の食事は仕出しではなく、寿司を配達して貰いみんなで食事をしようとなっていた。
 予定していた店に電話したら、何と定休日。そこで少し離れた知っている店に行ったら、休業の張り紙が出ていた。
 違う店に行ったら、そこも水曜日は定休日。そして次の店はまだやっていない。
 これはまずいと家に電話して、他の店は無いか電話帳を調べて貰ったら、配達専用の寿司店があった。電話したらもう営業していたので店に行き注文。何とか11時30分まで届けてと頼んで、何とか間にあいそうだ。
 葬儀も無事終わり、食事も間に合ってホットした。食事の時に宮司さんと話したが、彼は元プロのスキー選手だった。北海道には賞金レースが無いので、本州で大会に出ていたそうだ。
 その後お父さんが亡くなったので、後を継いで宮司さんになったそうだ。スキーの話で盛り上がってしまった。
■ 3月18日(火) ■ 通夜祭
NO PHOTO  通夜は自宅なのでなるべく、家族だけが集まってやる事になっていたが、それでも遺族の会社の方や故人が入所していたグループホームから沢山の人きてくれた。
 辛うじて全員が部屋に入れた。通夜の後に出す茶菓も少し足りないなと、近くのスーパーに買いに行くなど、裏方は葬儀どころでは無く忙しい。無事終了してほっと安心した。
■ 3月17日(月) ■ 納棺・火葬
NO PHOTO  午前中に納棺を済ませ、火葬場に行く。お棺の中には剣道の竹刀や小手あてや日傘を入れてやった。火葬場は函館の山背泊まりの高台にあり、景色の良い場所だ。
 故人は食事も取って居なかったので、筋肉が少なく短い時間であっという間に、火葬が終了した。
■ 3月16日(日) ■ 義弟の葬儀
NO PHOTO  今日は七飯アルペン恒例のシーズン最後に行う焼肉パーティがあるので準備していた。
 出かけようとした時に、病院から電話があり、入院中の義弟の血圧が下がったと言われ、妻と娘と孫の4人で病院に向かった。
 病院は家から直ぐ近くにあるので、時間はそうかからない。直ぐに病室に入ったら、呼吸をするのを全身で行っていて、かなり状態が悪いというのは分かった。直ぐに本人の長男にも電話して来てもらった。
 妻が何度も本人に問いかけるが、最初は僅かに反応もあったが、徐々に反応は無くなった。せめて孫が到着するまで、頑張って貰いたかったが、それもかなわず、自ら目を閉じて呼吸も止まっってしまった。
 11時23分だった。63歳の早い死だった。咽喉に癌が出来て、ホスピスに入った時には2週間くらいの命と先生には言われていた。
 最後は食事も取れなくなり、一気に体力が減退していく。ホスピスは延命治療は原則としてやらない。本人も苦しむ事も無くあの世に旅立てたのがせめてもの幸いだった。
 この後は忙しくなった。自宅で葬儀を行うので、家の掃除やら、葬儀屋への連絡、神主さんの手配。親戚への連絡と、悲しんでいる暇は無い。
 午後から遺体は搬送されて家に落ち着いた。
■ 3月15日(土) ■ 北斗市に関わった人々の歴史講座

近江さんの講演
 午前中は妻のお母さんの入所している施設に、整理タンスを運ぶ。今まで使っていたのが痛んで使用に耐えなくなった。そこで古いがしっかりしたものがあったので交換する。
 少し大きめなので、入りきらなかったものも殆ど入ってしまった。年寄りと言えどもやはり物はどんどん増えてくる。昔は施設に入ると言えば、家族から阻害されていると思われたが、今は施設に入るとイベントはあるし、友達は出来るで、本当に安心できる場所だ。
 私も将来は入りたいと思う。お金があればだが・・・。 立派なとこは無理だから良い住人のいる安いところに入りたいな。
 午後から北斗市公民館で行われた、北斗市(旧大野町)に関わった人の話で、講師は渡島地区では有名な近江幸雄さんだった。
 箱館戦争に関する内容があったので受講したが、内容的には浅く特に目新しい事もなかった。
 最近はパワーポイントでのプレゼンが多いので、ビジュアルに発表が出来るが、話だけだとどうしても後から分からない。人の名前がぽんぽん出てくるが、どんな字なのか判らない。
 プロジェクターはあるのだが、年配の方にはパワーポイントは難しいだろうな。
 体調は大分良いが足はまだ痛くびっこを引いている。やはり他の病院に行ってみるかな?少し直るのが遅すぎる。
■ 3月14日(金) ■ 郷土資料調査
NO PHOTO  今日は大野町の文化財保護研究会の調査で、北斗市「かなで〜る」と七飯町の郷土資料館の展示物等を見て廻った。大野町郷土資料館があるだが、今後の方向付けをするための調査だ。
 多くの人に来て貰う為には、相当な苦労が必要だろう。今後皆で議論して大野の郷土資料をどうするか考えなくてはならない。
 午後から妻の母の施設に行く。大好きな鯉の洗いと友達から貰った干し柿を持って行ったら凄く喜んでくれた。
 今年90歳を迎えるおばあちゃんは本当に元気だ。耳が悪いのを除けば歩くのも見るのも不自由が無い。
 自分はこの歳まで絶対生きられないだろうなと思う。
 しばらく色々な話をして家に帰る。元気で本当にうらやましい。
 夕方は知人と葬儀の準備で神社を尋ねる。人間は何時かは寿命が来る。このために準備しなければならない事がどうしても出てくる。葬儀は分からない事が多くて色々聞かなければならない。憂鬱な日がここ1〜2週間で訪れる。
■ 3月13日(木) ■ 春の準備
NO PHOTO  すっかり気候が良くなり、4月上旬の天気になった。最近はずっと良い天気が続き気持ちが良い。
 朝の散歩も段々足の運びが良くなってきた。早く走れるまでになりたい。
 午前中に義弟の見舞いに行くが、かなり体力的には弱くなってきた。食事も食べれないので、点滴をしているが芳しくは無い。
 気分一心で冬物から春・夏物に整理タンスの中身を入れ替える。着れなくなった物は捨ててすっかり片付いてしまった。それにしても夏物のTシャツが一番多い。Tシャツ短パンが一番大好きなので、早く着れる日が来れば良いな。
 ついでにスキーのチュ−ンナップ台や諸々の道具を片付ける。今年は1月に怪我をしたので、チューンもほんの少ししかやらないで終ってしまった。
 毎日のように色々な、どちらかと言うと悪い事が多く、ゆったりした気分になかなかなれない。外は快晴なのに・・・。
■ 3月12日(水) ■ 抜ホッチキス
NO PHOTO  今日はホッチキスで止めていた傷口も塞がったのでホッチキスを取る日だ。
 その前に予約しているMRIを待つ。これは予約のお陰で時間通り行われた。
 次は診断になるが、これが時間がかかる。昼も過ぎお腹が空いても食堂に行くわけにはいかない。
 ひたすら待つ。今日はそんな事もあろうかと野田知祐の「南の川まで」を持って行ったので退屈なく過ごせた。やがて診察。MRIの写真が貼られている。
 先生の診断は、頭のチューブを外す時は、少し血が残っていたが、今回は全く吸収されて無くなっていた。
「随分直るのが早いな・・1ヶ月は様子を見なければならないと思ったのだが、今日でもう大丈夫だ」となった。初めての入院や頭の手術と初めての事ばかりだったが、早く治って良かった。
 夕方温泉に行ったが、以前は手摺に掴まってようやく浴槽に入っていたが、今思えばその時も既に影響が出ていたんだと分かった。その時は足が痛いのでそのせいと思っていたが、やはり足が痛いのとは違う感覚だった。
 今日は手摺に掴まらなくとも入れる。早めに病院に行ったのが良かったな。
 もう少し遅れていれば麻痺などの障害が間違いなく出ていただろう。
 先日友人が昨年熊野古道の難行を行ったので神の加護だと言っていたが、本当にそう思える。 
■ 3月11日(火) ■ 土方歳三 箱館戦争物語完成

350ページは厚いな

 この際は酒も断ち(何時までになるか?)、基礎トレーニングを始めた。
 昨日の夜は、2kgのバーベル2個を持って、立ち屈伸をやったが結構きつい。かなり体力ダウンだ。歳を取ればダウンするのは早い。あの熊野古道をチャリで走破した体力など何処か遥かに飛んでしまった。
 500回やったら、太腿が持たないので1度休んで再びやって何とか1000回クリヤーした。
 森光子も1000回やると言う。80歳を過ぎた年齢でやるのだ。やはり凄いな。
 今日も朝から散歩した。昨日と同じ3kmコースだが今日は海岸の砂浜を歩いた。霧雨だったが波の音を聞いて砂浜を歩くのも悪くない。
 昼は孫の瑞葵と図書館に行く。瑞葵もアンパンマンの本を読んでいた。私は古風な家の本を見て、そろそろ改築するゲストハウスのアイデアを探る。
 
 数ヶ月掛けて執筆していた「土方歳三 箱館戦争物語」が一応の完成を見たので、自作本にした。
 特に史実と現在の場所や旧道を合わせて見れるようにした。出来てみて問題は本が重い。350ページの本は市販の両面印刷しなので厚くなる。
 ずっしり感があり、どうするかなと迷う。項別にばらしても良いのだが・・。もう少し考えよう。
 思えばかなり辛かった。殆ど朝の3〜4時には執筆を始め、夜の7時頃までやっていたので、大変なストレスだった。普段はこんな長い時間椅子に座って居ないので、苦痛でしかなかった。
 でも出来てしまえば、やったなと言う感じで何か清清しい。
 これからはまだ判明しない場所の、現場に入ってさらに充実した内容にしていきたい。
■ 3月10日(月) ■ 春らしい気候

瑞葵はパソコンが大好きで勝手にやってる
 朝起きたら暖かい。久し振りの気温だ。日中は10度を越える予報が出ている。
 ひさし振りに歩こうかなと7時過ぎに家を出る。以前はジョギングをした3kmのコースを歩く。
 足の方はびっこを引いている。どうも癖が直らない。右足が痛いので、つい荷重を早く掛けるのを止めるので、左足の滞空時間が短いのだ。
 これを何度も修正しながら歩く。久し振りに見る景色はそんなに変わっていないが、それでも朝の空気は新鮮で良い。本当に久し振りの散歩だった。
 少しは汗が出てきた。1時間少しかかって家に到着。昨日買ったマーボー豆腐を作る。
 今年のバレンタインは幸か不幸か余り貰わなかったので内心ホッとしている。
 妻と娘と瑞葵は仕方が無いが、それ以外は無しだ。  ただ14日に来たプレゼント(チョコではなくお礼?)があったので、何か送ろうと思い。自作の本を送る事にした。今日は本作りで終った。
 何時も返すのに苦労するのだが今年は楽に済んだ。
 家族には手料理でも作るかな?
■ 3月9日(日) ■ 高橋尚子も駄目だった
NO PHOTO  今日はマラソンがあるので楽しみだった。前評判の高い高橋尚子が何処までやるのか興味があった。でも前半の9km地点でスピードダウン。何かトラブルが発生した。結局てんまやの中村が初マラソンで優勝。2位も初マラソン。
 高橋は高地トレーニングなどで相当な効果を上げていたと思ったが・・。
 最近は若い人が凄くかく分野で頑張っている。今日の中村の力強い走りに元気を貰ったな。
 調子も良くなったので、手紙を出しに歩いて行くが、平常に近い感じで歩けた。
 今日でお酒を4日間飲んでいない。飲んでも良いのだが、この機会に少し止めようかと思っているが、気負って居ないので何時か再開するだろう。
 本当は体重を落としたい。全然運動をして居ないので、飲んでばかり居たのでかなり増えているだろう。
 こんな機械にセーブするのが一番いい。
■ 3月8日(土) ■ 急遽退院が決まる

朝からベッドの絵を描いていたが・・
 朝は4時頃起きたが、又寝て起きたらもう6時半だった。随分寝るなと思いつつ、起きてもする事が無いからとなれば寝ているのが普通かも。
 看護士さんが血圧測定に来た。寝たままやって貰う。掃除の人も来る。窓の外を眺めていると、同じ景色でつまらないでしょうと言う。確かにマツダの会社となびいている旗しか見えないのだが、何故か新鮮なのだ。
 風に吹かれて動いている旗を見てても、元気だなあと思う。早く出たいとの気が強くなる。
 9時頃だろうか総見が来る。良くテレビの白い巨塔などでやっているやつだ。
 来る前に病室のスピーカーがなり、今来ますと案内する。次に看護士さんが来て、これから来ますと言いに来る。そして院長を先頭に10人くらいやってくる。特に診察はしなく雑談をするだけなのだ。担当医師が病状を説明する。
 終った後私の担当医師が「毛利さん退院しようか?と来た」「え!退院ですか」「もう良いですよ」と言う。
 随分急だなと思ったが、家に電話したらもう病院から連絡が来ていた。午前中に退院するそうだ。
 急いで着替えて、荷物をまとめていたら家族が来た。
 先生の話しがあるので行ったら、沢山の写真の前で、「今回の手術の結果は順調です。毛利さんは脳が若いですね。大体は1週間かかるんですが・・もう元に戻ってますよ」と言われた。
 「スキーはまだ無理だが普通の生活して良いよ」と言われた。
 終ったら直ぐにナースステーションに行って挨拶して帰宅。やはり我家は良いな。
■ 3月7日(金) ■ 退屈な病院生活

心拍などを取る。4ヶ所くらいあった
 朝起きたらというか、眠れないまま朝を迎えた。トイレに行かなくてはならないが、動けないので尿瓶になる。朝食は8時だから前日の夕食から14時間経っている。
 朝一番でお茶が来る。ワゴンに沢山のポットを積んでやってくる。
 熱いお茶と冷たいお茶がある。いつも熱いお茶を頼んでいる。
「毛利さんは昨日手術したんですよね?」「そうですよ」「随分元気でそのようには見えないですね」と言われた。
 確かに皆回りは寝ている。ベッドに座っていれば疲れるからだ。私は確かに何時もベッドに座っている。
 お腹かが空いている。食事は質素にご飯、味噌汁、ほうれん草、モヤシ炒め、煮豆、牛乳だ。それでも動いていないので十分なのかも知れない。
 10時から手術した。頭の中に入っている、チューブを取り出す、血が張り付いているのか結構痛い。
 最後にがちゃがちゃがちゃと音がした。結構痛かった。傷口を塞ぐためらしいが、ホッチキみたいですねと言ったらホッチキだと言う。この方が後から傷が残らないそうだ。
 終了して一般病棟に移される。この時手術後初めて歩く。点滴のポールを押しながら、歩いたが以前より安定して歩ける。
 昼食はご飯、味噌汁、納豆、モヤシ炒め、鱈の焼いたのが着いた。
 昼からは全く暇になった。時々は看護士さんが来て、血圧や体温測定をする。
 暇なので一階下の売店に行く。新聞、ノート、ボールペンを購入。
 3時に家族が来た。着替えや、洗面道具が持ち込まれた。何しろ急な入院で何も持って来て居ない。
 でもそれ程不自由は無い。旅のテント暮らしを考えたらまるで天国だ。
 夜は久しぶりにテレビを見て、9時には寝た。普段はスポーツ以外あまりテレビは見ないので、目が疲れるな。
■ 3月6日(木) ■ 脳神経外科に行く・・緊急手術

頭に穴があけられ血を出す

手術直後の状態
朝から目眩はするが、天気は快晴だし、娘からも少し運動でもしたらと言われていたので、散歩に出かける。少し歩いたが、どうも歩きにくい。
 思った通りに歩けない。足が思うように出ないし左右にふらつく。これは駄目だなと家に戻って、娘に運転を頼み函館脳神経外科病院に行く。混んでいて受付をしたが終了は夕方になると言う。
 検査が始まった。安定度の確認。低い台に乗り、前の一点を見つめる。ふらふらする。さらに目を瞑ってやるが、もうぐらぐらだ。汗をかきながら、各1分間にようやく耐えた。その後はMRA、MRI、X線、CT、首のレントゲン、採血などなど終ったのが2時になった。
 腹も減ったので食事をしていたら、看護士さんが探していた。10分で行きますと答えたが、家族は何処に居ますか?と聞かれ、時間が長く掛るので帰りましたと言った。何かあるのかな?
 診察室に行ったら、写真が沢山並んでいた。これですね原因はと1枚の写真を指差し、「慢性硬膜下血腫」との診断。
 原因は頭部が激しくぶつかった時に、内出血して、それが徐々に増えてきて、脳を圧迫しているそうで、もう脳の中心が左にそれているとの診断だった。
 そして直ぐに手術しますだった。手術の承諾書は本人と家族があるのだが、妻の携帯も、娘の携帯も通じない。何度かけても通じない。
 先生も仕方が無く、本人の同意でやろうと言い、準備が進んだ。私は病院着に着替えて採血した。
 手術は頭に1cmの穴を開けて、中にチューブを入れ、洗浄液を入れて脳を洗浄しながら、血も一緒に外部に出すというものだった。
 局部麻酔が掛っているので、痛みは全く無く、むしろ心地良い感じで手術は進行し、無事終了した。
 病棟は手術後なのでナースステーションが目の前の個室で、中に入れられて、各種計測器の端末が付けられた。
 モニターがあり、各種データが見れるし、同じくナースステーションでも監視している。
 その内に妻と娘と瑞葵と妻の妹が来た。娘と妻の妹は看護士なんで、こんなのは当たり前と言うか慣れているので、全く普通だ。少しして帰っていった。
 食事は18時に普通に出た。本当に質素な食事だった。
 これからは何もする事が無い。麻酔が効いているのか眠い。うとうとしているが、時々看護士の方が来てチエックしていく。
 夜9時には消灯になる。隣の部屋では大きな声で叫ぶ患者が2人いるので、睡眠はなかなか出来ない。
 この人たちも不幸だなとつくづく思う。結局朝まで叫んでいた。
■ 3月5日(水) ■ 本の印刷と読書
NO PHOTO  完成した本の印刷を始める。体調もぱっとしないので少し印刷して、後は終日本を読んだ。
 桂三枝の書いた本で400ページ有る。結構苦労して芸人になった人なんだな。でも運もかなり重要だと書いてあるし、頑張れば必ず結果が出ると書いてあった。当たり前なんだろうが、少し元気を貰った。
■ 3月4日(火) ■ サーバー復帰、体調不良
NO PHOTO  今日の昼にサーバーが復帰した。昨日料金を振り込んだら直ぐに復帰だ。当たり前か?
 体調は良く無いが、少しづつパソコンを叩いている。孫の瑞葵は私のパソコンに来る事は無くなったが、隣のデスクトップをいじっている。
 結構覚えていて、電源を自分で入れてアプリケーションも開いてる。まだ3歳なのに末恐ろしいな。
 凄く熱中してやっている。何も教えていないのに出来るんだ。
 今日は病院に行く予定だったが、内科に行くのか外科に行くのか脳神経に行くのか分からず、明日に延期になった。あ〜憂鬱だ。
■ 3月3日(月) ■ サーバー使用料切れる
NO PHOTO 最近サーバーに繋がらない。調べて見たらレンタルサーバー料が既に切れていた。
 今日、入金したが、いつ繋がるかな?最近体調が悪いので、何かぼっとしている。やはり病院に行くしかないかな?憂鬱な毎日だ。
■ 3月2日(日) ■ 今日もだらだら
NO PHOTO  朝起きたら、相変わらず目眩がする。下の階にトイレに行くのも大変だ。しっかり手摺に掴まって行かなかればならない。
 昼まで布団に入ったままで過ごす。起きたのは朝ご飯と昼ご飯のみだ。
 今日はホタテの特売があったので鹿部まで購入に行く予定だったが、これも取りやめ。
 足が少し良くなってきたと思ったら、風邪とは全くどうなってるのかな。
■ 3月1日(土) ■ 風邪でダウン
NO PHOTO  風邪でダウンした。本が出来て気が緩んだのか、風邪の模様だ。目眩がするし、吐き気もする。
 娘たちには「血圧高いんじゃない?」とか「熱は無いの?」とあれこれ聞かれるが分からない。
 体温計を持って来て計ったら37度くらいで普通の熱だ。でも体調はすこぶる悪い。何もする気が無く、だらだら過ごす。

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