4月30日(木) Tさん宅の修理
 天気の良い日だ。予報では終日快晴だった。Tさん宅は函館に編入された旧南茅部町になるので、自宅からは30kmくらいある。途中の川汲峠に入ると数日前に降った雪が道路の端に積もっていた。
 やがてTさん宅に到着。お茶を飲みながら世間話をしてから、作業にかかる。まずは落ちた天井の修理。台所の上の桁が10cmくらい落ちている。まずは車のジャッキを使い、天井とジャッキの間に柱を入れて、上げてみる。異常に重いが何とか上がった。でもこの状態で支え無ければならない。
 天井と台所の構造物の間に厚い板を入れて、ジャッキを静かに下げて見るが、板に力がかなりかかる。やはりこれだけだと強度的には厳しい。
 一度中断して2Fに行って天井の様子を見る。え〜見て驚いた。昔は卓球場にしていたと言うスペースはかなり広く、多分50畳くらいはあると思う。その大きなスペースに物がびっしり入っている。数えきれないくらいのガラス。各種戸も50枚はある。その他にかなり年代物のテレビが数台。工具類が数えるのも大変なくらいある。 兎に角凄い状況になっていた。この広いスペースが、足の踏み場もないくらい物で溢れていた。それも整理されていないから、まるでゴミの山みたいな感じになっていた。
 これだとあまりの重さにジャッキも上がらないはずだ。まずは屋根の落ちた所の荷物を移動する。これが大変だった。重いし置く場所もなかなか無いので苦労した。さらに木を切った屑が凄い量放置されている。物を移動する度に舞い散るのだ。
 物をようやく移動して、フローリングの床を剥がす。するとそこには高さで30cmくらいある立派な桁が入っていた。これでは強度的には問題ない様に思われたが、この桁には深い切り込みが入っていた。ここから折れている。
 この材料は何かの場所で一度使ったのもで、それを再びここで再利用したのだろう。折角の桁も切り込みがあるので強度下がったのと、凄い量の物の重量で折れたのだろう。
 原因は分かったが、今日はもう時間も無いので明日にする。明日は来客があるから午前中しか工事は出来ない。間に合うかな?
 実は長男の方が、京都の方と結婚して、GWを利用して、奥さんを連れてここに来るのだ。少しの時間しか滞在しないで直ぐに何処かの別荘に行くそうだが、この屋根の落ちたのだけは何とかしたいようだ。
 Tさんは奥さんと二人の生活だが、奥さんは足が不自由で、旦那さんは足の肉離れで歩くのがやっとだ。色々話を聞くと、旦那さんは物を集めるのが趣味で、どこかで余った物をずっと集めていたようである。
 もう70歳後半になるので、運搬する体力も無く、この処分は不可能だろうな。中には私的には面白い物も沢山ある。新しい薪ストーブ、工具類も全く使っていない新しい物が多数ある。どうやら気に入った物があるとすぐに購入するのだが、結局は使っていないようだ。
 先日もトイレの電気が点かないので、テスターを購入してきたが、結局使い方が分からないと、そのまま放置されていた。本当に勿体ない。こんな調子で物が集まったのだ。
 奥さんは塵くずにしか見えず、捨てて欲しいのだが、旦那さんにとっては宝物のようだ。私の見た限り、使いそうなものは5%くらいで後は使わないまま、ここに眠っていることだろう。
 お陰で私も家の引き戸を2枚貰った。ゲストハウスの玄関はアルミサッシになっていたので、昔風の木の引き戸に変えたかった。幾らでも持って行って良いよと言われたが2枚で良い。我が家も不必要な物は徐々に捨てているからだ。
4月29日(水) 板金塗装&サイクリング&孫が来る
 昨日車に塗ったパテの量を増やして張りつける。あまり部分的にやると研磨がしにくい。大きな面積の方しやすい。乾くまで数時間がかかるので、それまでの間、たまには自転車で走るかと、北斗市に向けて走り出す。天気は快晴なので気持ちが良い。
 北斗市の国道を走っていたら、教育委員会の看板があり、「松林」と書かれた内容は、文久2年(1862)に、箱館奉行支配組頭の栗本端見が自ら栽培した松苗をこの地の道の周辺に植えたとある。この松は七飯町の国道5号線にもあり、こちらは「赤松街道」と名付けられ、日本の道100選にも選ばれている。その同時期に植えられた、松がここにもも残っていた。箱館戦争で土方歳三が進攻した時は明治元年(1868)なので、道の端には植えてまだ6年の若木があったであろう。
 北斗市の道の周辺にはあちこちに古い松の木があり、この場所が旧道となるので、旧道調査をしている私には新たな情報だった。
 北斗市(旧上磯町)から北斗市(旧大野町)を回って帰宅する。気持ちの良いサイクリングだった。
 パテを塗った状態。これを綺麗に研磨する

 研磨も終わりグレーのサーフェーサーを塗る
 パテも乾いたので水ペーパーで研磨する。240番で研磨した後、1000番、1500番と駒い目変えていく。にここは段差や傷の出来ないように丁寧にやらないと、サーフェーサーを塗装した時にはっきりと下地の荒が見えてしまう。磨き終えてサーフェーサーを塗って今日は終了する。後は白の塗装をすればOKだ。

 そのうち、釧路から娘夫婦と孫がやって来た。GWで24日から休みになっていたが、長男が熱を出して延び延びになっていた。  昨日は登別の旦那の実家で過ごした。今日は焼き鳥をやろうとなり、ゲストハウスに準備をしていた。
 そこに大阪から電話。土方歳三の歩いた道を歩きたい、と言う女性からだった。以前にも函館に来たが、市内を少し見るだけで、鷲ノ木も松前も江差も交通の便が悪く行けなかったらしい。
 それは私も感じる所で、箱館戦争や土方ファンの方にとっては、函館は箱館戦争の歴史をしっかり案内出来る状況にはなっていない。一般観光客にはバスなどで、部分的には案内しているので、出来ているのだが、マニアックなファンとなればそれだけでは全く物足りない。何とか案内する体制作りをしなければとは思っているが、忙しさに紛れてついつい延び延びになっている。お互いの日程を合わして、案内する事に決めた。

 焼き鳥パーティの準備も終わり、皆で温泉に行く。GWのせいなのか凄い混みようだった。男風呂の方はかなり混んでも洗い場は確保できるが、女性の方は確保する事さえも大変だったらしい。
 孫もやってきた
 家に戻り焼き鳥パーティが始まる。煙がもうもうと部屋のなかに充満する中で、楽しいひと時が過ぎていく。そこにまた電話がくる。南茅部のTさんからだった。「もうりさん、頼みがあるんだけれど」と言うTさんは足の肉離れをしたそうだ。タイヤ交換に私の家の近くまで来たので、交換する間、歩いて私の家に来ようとしたが、足が痛くて家まで来れなかったそうだ。
 頼みは、家のテレビのアンテナが折れて倒れたそうで、その修理依頼だった。さらに部屋の天井の一角が落ちそうだと言っていた。時間を作って行くよ!と電話を終えた。
4月28日(火) ゴミの廃棄など
 今日は朝からカヌーの組み立て。そろそろ暖かくなるであろう。カヌーを組み立てておけば、いつでも行ける季節になった。カヌーを浮かべて大沼をゆったり巡るのは、時間を忘れる程楽しい。そんな季節がやって来た。
 プラスチック部品が破損して少々足りないが、函館では売っていないので、札幌に行った時に買うしか無い。不便だが仕方がない。
 錆びが出てきた

 サンダーで研磨してパテを塗る。
 次にMAXの板金を少しする。ボンネットの先端部分が錆びてきた。原因はボンネットの裏に水抜き穴がるのだが、その位置が少し上にあるために、水が溜まる構造になっている。
 これでは長い間水が入るのでどうしても錆びる。サンダーで表面を剥離するが相当錆びている。剥離したその上にパテを塗りこむ。これだけだと錆びが出るので、乾燥したら、銀テープを張って、錆びの浮くのを防ぎ、その上にさらにパテを塗って研磨する。今日は最初のパテで終わり、乾くのを待つので今日はここまで。
 その後は、ゲストハウス内の不要物の燃えないゴミを外に出し、すっきりになった。その最中に電話が来た。京都の近藤さんだった。
 2007年に土方歳三の道を歩いて走破の途中江良の民宿に泊まった。その時BMWのサイドカーで来ていたのが近藤さんだった。
 夕食を一緒にした時、私は今、土方歳三の道を歩いている話をした。その時彼が、「土方君、私は京都の近藤だ」と冗談気味に語った。しかし彼は本当に京都から来ている近藤さんだった。
 話は幕末の話で盛り上がった。その彼は、今バイクで会津若松に来ているとの事だった。あれ以来新撰組に興味を持ち足跡をたどっているそうだ。今回は来れないが今年の夏には北海道に来るので、その時は寄ると言う事で電話は終わった。楽しみである。
 
 燃えないゴミをMAXに積んで東山の廃棄場に行く。ゴミのチエックが以前より厳しくなった。紙袋に燃えないゴミを入れても、紙袋だけは返される。プラスチックのごみも大きいものは良いが、小さいものは、燃えるゴミとしてお持ち帰りになる。
 さらに車のバンパーも持って行ったのだが、これはリサイクル法があり、専門業者に持っていかなければならない。この様にルールが細かく規定された。ゴミの廃棄場所もだんだん無くなり仕方のないことだろう。


 次に市役所に行き、戸籍謄本・住民証を取りに行く。警察共済年金の打ち切りに必要だ。これで何回市役所に来たのだろう。最初から必要書類が分かれば効率よくなるのにとつくづく思う。でもようやく一連の手続きは終わりに近づいた。
4月27日(月) 便利屋さんになる
 一日中小作業に明け暮れる。昨日は北海道の中札内で67cmの雪が降った。この時期にこんなに雪が降るなんて驚きだ。函館近郊の山々もすっかり雪が消えていたのに、真冬に戻ったように雪化粧をした。
 25日に函館の桜が咲いたのにこの雪だ。花見はいつ出来るのかな?
 
 朝から仕事。まずは妻から部屋の天井灯の引っかけ金具が壊れた。小球は2つとも点かないと言われ、ホームセンターに買いに行き、すぐに取り付ける。
 痛みがひどい

綺麗になった
 次にゲストハウスの、白い化粧パネルの痛みが凄いので交換する。高いプラスチックパネルを買えば良いのだろうが1枚4000円近くする。これには手が出ないので700円程度の白いパネルにするのだが、長年日光に当たるとばらばらと壊れてくる。でもこれで2年は持つから当面はこれでやるしか無い。1時間で完成。
 次に御霊を入れるスペースに蛍光照明を付ける。壁スイッチも付けて完成。妻のお父さん・お姉さんの写真も笑って見える。
 最後に折りたたみ自転車のブレーキワイヤーを2本交換して今日の作業は終了。ゲストハウスの清掃も行った。
 GWになるので旅人がやってくる。2005年に自転車日本一周したタンバリンが友人2人を連れて東京からやってくる。桔梗にゲストハウスがあった時に泊まったので、4年ぶりに新ゲストハウスにやってくる。
 当時大学生だったタンバリンも今は社会人だ。
 そして札幌のきよさんも東北自転車の旅の途中に立ち寄る。ゲストハウスで旅人同士が会い、新たな友達の輪が広がる。本当に楽しい時期になって来た。
 私もおばあちゃんの不幸が無ければ、今頃は静岡に居たんだろうな。葬儀も一段落して今は何もする事が無いので暇だ。何かと小さな仕事でやり残しているものをやっているがその内、全て終わってしまうだろう。
 30日祭が5月の14日に終了するので、納骨まで20日間ある。この間に秋田に行って自転車を持ってこようと思っている。函館から車で苫小牧に行き、苫小牧からフェリーで秋田に行き。自転車と荷物を積んで、苫小牧に戻り、そのまま車で釧路に行き、孫を見に行くついでに、道東でのんびりして函館に戻り納骨になるのかな?
 納骨の後に、自転車旅も考えたが、7月の釧路での孫の運動会、7月の秋田での姪っ子の結婚式とあり、その後は8月1日から7日まで青森ねぶた、さらに五所川原ねぶたになるので、長い自転車旅の日にちが確保出来ない。高校時代の2年に一回のクラス会も今年行われる。
 何かと予定が入るものだな。長い自転車旅は秋になるのかな?1年は早いなあっという間だ。
4月26日(日) 開港150年フォーラム&御霊入れ製作
 朝から寒い。今日の天気予報を見たら午後から雪だった。え〜この時期に雪なの? 今日は12時から「函館開港記念フォーラム・研究会」が地域交流まちづくりセンターで行われる。2日前にみらい大学の鈴木教授から、是非来て欲しいとの要請があったのだ。完成した函館の開港に因んだ歴史のDVDを製作したので、それを渡したいのと、食事も出ると言うので、OKの返事をした。
 外は雨でうっとうしいが車で出かけた。会場には50名ほどの来客があった。

昼食はみらい大学の学生が考えたオリジナルのサンドイッチ弁当。開港時交流のあった国に因んだサンドイッチなのだが、かなりしゃれた感じで、こんなサンドイッチは食べた事が無く、美味しく頂いた。女性向けに販売したら受けるかも知れない。
 開港サンドは美味しかった
 各国の特徴を出している

 DVDも頂いた
 DVDを鑑賞し、講演を聞いて帰宅。函館に50年以上住んでいるがやはり知らない事は沢山あり、歴史は奥が深いと感じる。
 帰りはみぞれだった。今週は花見が出来ると思った矢先にこの天気で、花も咲かないだろうな。最高気温は5度で冬並みだ。

 家に帰って日ハムの試合を見るが完敗した。昨日から製作している、御霊を置く場所の工事は寒いので明日にしようと思っていたら、妻からやらないの?と言われ、頑張るか!となった。妻としては親と姉の御霊を置く場所を早くでかしたいのは良く理解できる。 家の近くの公園も真っ白
 服を多く着込んで作業開始。仕事が始まれば寒さはそれほど感じない。2時間ほどで完成した。蛍光灯のスイッチが無かったのでそれは明日にする。
 扉も作った

 中はこの様になった
 後片付けも後にする。神棚や写真を掲げてようやく完了した。
4月25日(土) 遺骨は何処へ
 妻から、今日の11時には家に帰るので迎えを頼むとの電話が入った。昨日は10日祭が行われて、そのまま実家に泊まっていた。私は祭りの終了後自宅に帰宅していた。
 10日祭が終われば、20祭までは皆、自宅に帰る事になっていた。その際、遺骨はどうする?との問題がある。実家には誰も居ないので置けない。それをどうするか、昨日は兄弟3人で話し合った筈だ。
 話し合いの結果、仕事の関係で持って帰れない。家が仏教なので持って帰れないと、それぞれの都合が付かなかったようだ。結局、遺骨は我が家に来る事になった。我が家も仏教である。神仏を合同で置くのはまずいのか?と考えても、当面の問題として、遺骨を何とかしなければならない。
 妻が一番面倒を見ていたので、思いもあるだろうから持ち帰るには、私として依存は無かった。私自身おばあちゃんは好きだったし、色々応援してくれたので人一倍おばあちゃんに対しての思いはある。妻としては毛利家に入ったので複雑であろう。
 私の父や母は後年、秋田の妹の所で生活をしていたので、頻繁には会える状況ではなかった。そんな事もあり、妻の母親であるおばあちゃんは身近に居たので、私の母のような存在であったようにも思う。
 家に帰って来て妻と色々話す。妻は自分の部屋に置こうと思ったのだろうが、個人の部屋では人がお参りに来た時にはまずいだろう。色々考えた末、ゲストハウスに御霊を祭る場所を作ろうとなった。そうすれば宗教的な問題はないだろう。ゲストハウスは隣なので毎日でもお参り出来るし、外部からの人が来てもお参りしやすい。納骨が済んだら御霊はゲストハウスにしようとなった。
 早速、御霊を置く場所を作ろうとなり、材料を買いに行き作り始める。今日は扉のみを作って終了。明日からまた続きをやろう。

 扉部分が少しだけ出来た
4月24日(金) 手続き完了&10日祭を行う
 朝から自転車で市役所に行き、社会保険解除に使う、戸籍謄本、住民票を取って、社会保険事務所に行く。ここでOKとなる。帰って札幌の北海道警察に電話をかけて、手続きをしたい旨を言ったら、事務官なのか警察官らしくない?親切な声で応対してくれた。書類を送付するので記入して送り返してくれと言う事だった。
 これで手続きが全て完了した。私は仕事をしていないから、毎日のように対応できるが、仕事を持っている人なら大変だなとつくづく思う。人間死んでからも大変なんだな。


 午後から久しぶりに温泉に行ったが、超空いていた。平日にしても空いてい過ぎる。春になり外も暖かくなったのも原因しているのかな。冬は家に居ても暖房費はかかるし、温度を下げているので寒い。そこで温泉でのんびり過ごせば費用も400円程度で安くし、体も暖かくなる。
 そんなつつましい生活から救ってくれるのは春なのか。
 温泉を出て、実家に行き10日祭をする。仏教で言う初7日に当たる。供え物の並び方が少し違っていて直される。7品の供え物が並ぶので順番などどうしても忘れてしまう。魚の頭の方向一つも向きが決まっている。宮司さんの祭事が始まり、玉串奉納して式は終わった。
 今後は20日祭、30日祭、50日祭がある。仏教では49日取り越し法要が一般的になって省略する傾向だ。神事でも50日祭までまとめてやる事も可能なのだが、今回は正規のやり方で執り行なう。50日祭は6月3日になる。
 妻の妹から、兄さん旅に出ても良いよと言われたが、今はそんな気持になれず、気持ちが落ち着いた時点でまた考えよう。少なくとも50日祭を終えて納骨が済むまでは、静かにしている。
4月23日(木) まだまだ手続き
  修理完了
 午前中はベッドの修理。ベッドの天板の一枚が壊れて穴が開いたのだ。体重が10kgも減ったのに何で穴が開くんだ!と思いつつ修理。クロスを剥がし、壊れた天板を外す。全て工業用ホッチキスで止めているので直ぐに外れる。天板は家にあった4mm厚のべニアを切って使う。これを工業用ホッチキスで止める。これで手作りベッドが蘇った。

 亡くなったおばあちゃんの手続が今日も続く。まずは市役所に行く。後期高齢者保険からの埋葬料申請書類を置いてくる。次に同じ市役所内の2階にある介護保険の返還手続き。これも書類を提出したら、なにやらパソコンをいじりだす。でも扱いが分からないのか、先輩らしき女性を呼びに行き指導を仰ぐ。
 しばらくパソコンをいじっていて、最後に「この書類は受け取るだけで良かったんですね」と言う。パソコンを開く事は無かったのだ。勉強不足だな。
 市役所の窓口はパートなのかな?最初に来た時もそうだが、余りにも業務を知らなすぎる。

 次に行ったのが消えた年金で名を上げた、厚労省の出先機関である、函館社会保険事務所。入り口を入るとスーツを着た中年の男性が「いらっしゃいませ」と声を掛ける。そしてそこまでしなくてもと思うが番号札を取ってくれる。言葉も過ぎるくらい丁重になった。問題が起きて依頼こんな状態だ。
 番号が呼ばれ行くと、立って「宜しくお願いしますと」丁重な挨拶から始まる。私が退職して手続きをした時はこんな事は無かった。
 死亡時の手続きは、本人が行けないのは当然なので、申請者は子供である私の妻になる。そして私が代理で届ける。
 まずは年金未支給申請書。年金証書がおばあちゃんの手元に無かったので、年金証書添付不能事由書を書く。さらに何故必要なのか分からないが、子供と生計を同一にしていないので、生計同一申立書がいる。
 その中に生計同一の実態という欄があり、「生活費、入院、施設入所費を申請者(妻)が負担していた」という項目に○を付けれと言う。おばあちゃんは夫の遺族年金で生活していたので金銭の面倒は見ていないと言ったら、ここに○を付けなければ駄目だと言う。可笑しな話だが、もう面倒なのでそのまま○をした。
さらに第3者の証明がいる。第3者がおばあちゃんは誰かと同居していないことを証明してくれと言う事だ。友達か町内会長などに頼まなければならない。
 さらに私が代理で手続きをするので、委任状が必要。これで終わりと思ったら。申請者の貯金通帳、印鑑、請求者の戸籍謄本、請求者と死亡者の住民票がいる。
 市役所の手続きが済んだと思ったら、また書類を貰うに行かなくてはならない。行ったり来たりだ・・・。

 次に警察共済年金の支払い停止手続き。函館中央警察署に行ったら、ここではその手続きはしていないので分からないと言う。手続きしないと共済年金は払われ続きますよねと言ったら、手続きは札幌の本部だと言う。札幌の何処に連絡をすれば良いのかと聞いたら、本人も分からないという。それでも、電話して調べてくれてようやく分かった。もう時間も無くなったので明日にでも手続きしよう。
 この様に死亡した際の手続きは大変な労を伴う。亡くなった人の身内で動ける人が居れば良いが、居ない人は大変な事になるなとつくづく感じる。
4月22日(水) 各種手続き
 朝から手続きに走りまわる。人が亡くなると色々な手続きが必要だと改めて感じる。
 最初は、定額給付金の申請をする。2月1日現在で支給されるので、これは申請書に書いて送れば良い。次にNHKに行く。受け付けは全面ガラス張り。行くと窓を開けるが、中からは凄い暖かい空気が流れてくる。暖房が相当効いているのだろう。
 NHKを解約すると言うと、係りの男性が出てきて手続き。これは本人が亡くなっているのですんなり解約。でもそれ以外に解約となれば、そう簡単にいかない。NHKに支払う義務があるからだ。最近は解約した人を簡易裁判で訴えるケースが出て、争いになっている。
 次に市役所に行く。まずは国民保険の証書を変換する。すると次は後期高齢者の受け付けに行き、埋葬料の書き方を教わるが、胸に研修中と書かれた女性の声が蚊のように小さい。ようやく分かり、書いたらまた持ってくるんですかと言ったら、送料無料の封書をくれた。
 送る際添付するのは、振込貯金通帳のコピー、会葬ハガキのコピーがいる。会葬ハガキに書かれている遺族の中の誰かの通帳に振り込む。
 だがここでは終わらなかった。今度は介護保険の解約。これは2階に行ってくださいと言う。ここでは申請書類に記入すればOKだ。新族は誰でも受け取れる。貯金通帳のコピーも会葬ハガキも要らない。
 なぜ同じ市役所内で違うのだろう。窓口の係りの人は、パートのおばさんなのか、業務を全く理解していない。質問すると全く回答出来ない。すると係りの人を読んでくる。その人は私に説明するのでは無く、そのおばさんに説明し、そのおばさんが私に説明する。
 また質問すると係りの人に聞いてと、まるで外人との話を通訳を入れて話すと同じだ。あまりにもお粗末でしっかりして欲しいな。
 そして皆保険なので、窓口も3ヵ所でなく一元化して欲しい。お客さんにあっちへ行け、こっちに来いは無いと思うが・・・。
 
 まだ手続きはある。NTTの固定電話の解約だ。これが大問題になった。116に電話した。亡くなった人の名前は当然私も分かる。でもその電話の契約者は私は誰か分からない。既に亡くなっている、おじいちゃんか子供のいずれかしか無い。しかしNTTのオペレーターから、不正に解約されると困るので、契約者の名前は教えられないと言う。
 おじいちゃんの名前と、子供の名前を言ったが契約者は違う人だと言う。それじゃ電話の解約は出来ないし、請求が来ても亡くなった人の貯金通帳は解約するので、当然引き落としは出来ない。
 どうするのか聞いたら、請求し続けると言う。そんなら一向に解決しないではないか。電話を切って東京のNTTのお客様センターに電話する。
 内容的には同じだが、そこでは調べられないので、札幌のNTTの電話番号を教えて貰う。そこの上長と話をしてくれと言う事なので、オペレーターに言ったら、ながなが待たせられてようやく女性の上長が出てきた。
 訳を話したら、やはり上長らしく解決の方向に考えてくれた。
 結局、私の言った名前が、契約者の名前になっていたそうで、あっさり解決。最初のオペレーターは何なんだと頭に来たが、今話しているオペレーターではないので、文句言っても仕方がないが、このやりとりで1時間もかかった。フリー電話だから良いものの、情けない対応だ。
 まだ、厚生年金と共済年金の手続きも残っている。いろいろとあるものだ。
4月21日(火) 静岡の姪っ子も帰宅
 今日はおばあちゃんが世話になっていたケアハウスに行き、おばあちゃんの生活道具一式を実家に引き揚げる。1人暮らしで8畳くらいの部屋で、ベッドやタンスも備え付きなので大した荷物は無いと思っていたが、やはりこまごました物があり、3階から1階までの運搬は台車で10数回になった。
 仕事の最中に仲の良かったTさんが来たが、本当に寂しそうで、こちらもついつい涙ぐんでしまった。ばあちゃんが最初に施設に入った時は本当に不安そうだった。その時に色々と話しかけてくれたり、面倒を見てくれたのはTさんだった。
 生前のお世話になったお礼を言う。この歳の年齢になると友達はそんなに多くは無い。仲の良い友達が1人減る事は大変なショックだと言うのが分かる。
 荷物は結局ワゴンで2回運んで終了した。雨の中の作業になったが、2時間程度で終了した。

 孫を真ん中に歩く光景。両親はしばらく寂しいな。
 颯太は笑顔が可愛い

 昼食を食べる間もなく、静岡から来ている姪っ子が帰ることになり、空港まで見送りに行く。静岡に帰ってから10日くらいで台湾に旅立つ。旦那が5年間の台湾勤務になるので当分は会えない。話の合う姪っ子だったが・・・。
 勿論私より両親の方がもっともっと辛い。長女、次女とも台湾在住になるので、孫らとも年に1度くらいしか会えない。家族が核家族化している、こんな状況は何か寂しい限りだ。昔の日本は家族が沢山いて楽しかったな。
 今日から私も家に帰り1人で生活だ。妻と妹は24日までお母さんの御霊を見守る。そして24日には10日祭が行われる。
4月20日(月) 台湾の姪っ子は帰国
 朝の1時過ぎまで話し込んで5時30分には起床したので、普段は健全な睡眠時間を取っている私にとってはかなり眠い。
 葬儀も次の祭りが10日祭(24日)なので、普段は何もする事が無い。御霊を見守っているだけの毎日になった。今日妻の妹の長女が千歳空港経由で台湾に帰国するので見送りに行く。なにしろバッグが重いのだ。平地はキャスターが付いているので、問題なく運搬は出来る。
 所がもつとなると、ようやく持てるくらい重い。日本に来た時は色々と購入品も増えるので、いつもこうなるのだ。
 その荷物を持って五稜郭駅から電車に乗り、千歳に向かうのだが、五稜郭駅は線路をまたぐ階段がある。そこで私が荷物係をするのだ。
 入場券を購入し、バッグを持って階段を登る。背の低い私は荷物を一杯に引き上げても、階段に付きそうになる。ようやく登り切ってさらに行くと今度は下り。ここでも階段に底をぶつけながら、ようやく降りる。
 追い討ちをかけるようにホームの電車の止まる位置は、1番遠い1号車の自由席。やがて来た電車に乗り、千歳に向かった。
 彼女の旦那は台湾の自転車メーカーに勤務しているが、今回彼女がゲストハウスに来た時に、私のキャリアを見て、こんなので自転車の後ろに付ける、コンパクトなリヤカーを作っているよと言われ。帰ったらすぐにカタログを送って貰う事になった。
 
 午後からもう一人の姪っ子とゲストハウスに行く。何度か来ているのだが、今回でしばらくの見納めになる。5月に台湾に行ったら年に1回くらいしか帰ってこれない。
 その内に寝ていた子供が眼を覚まして泣いているとのメールが入り、急遽実家に戻る。そして私も夕方まで布団に入って寝てしまった。
4月19日(日) 皆で遅くまで歓談
 おばあちゃんは家に戻って来た
 郵便局からの香典の書留が来たが、家に居なかったので受け取れず、郵便局に連絡したら今日の午前中になるそうで家で待機。その後桔梗の妻の実家で、昨夜泊った妹と交代する。
 香典を貰った人の名簿作りをしたが、後は何もする事が無くだらだらとテレビを見ていた。夕方になって妹と長女、次女が来ると言うので、ショートケーキを買いに行く。
 普段は買う事も無いので、ややこやしい名前に苦労しながら、6個注文した。そして清算しようとした時にお金が足りるかなと?気が付いた。
 今日、家を出る時1000円しか持ってこなかったのだ。済みませんお金が足りないので、今すぐ取りに行きますからと言ったら、計算だけはしますね。と言ってキャッシャーを操作したら、2030円になった。
 財布を見たら、1000円札と小銭が入っているので、出してみたら小銭の中に500円硬貨が入っていて、何とか2030円はあったのでほっとする。
 家に帰って、日ハムの試合を見たいが、今日はNHKBSで放映。実家では入らない。どうするかなと思ったが、どう考えても見れないので、ラジオを聞く事にする。
 ただ聞いてもなんだし・・と、車のタイヤ交換をしながら放送を聞く。でも試合は不利で、タイヤ交換を終わった時点で、家に入ってしまう。
 夕方に姪っ子がやって来た。スーパーダイエイーに行きたいと言う。そこでオジサンが連れて行く事になった。店では子供の服の選択。子供服はかなりのスペースがあり、色とりどりの服があり、見ていても楽しい。私の孫にも買おうと言う気になる。今日はお金を持っていないので、良さそうな物をチエックするのみにする。姪っ子たちをそれぞれ購入した。この姪っ子2人は長女は台湾住まいで、次女は来月台湾に移住する。やはり日本の製品は人気なので、来日した時には購入するそうだ。でも子供服は高いな。ナイキやミキハウスは大人用とあまり変わらない感じだ。
 家に帰って皆で食事。女4人に囲まれての歓談はその中に入る隙もない。延々と夜遅くまで続いた。
4月18日(土) 徐々に人が少なくなる
 朝の便で長男は東京に帰るので、車で空港まで送って見送りに行く。ここ2年くらいは話もする機会が無かったが、昨日は久しぶりに沢山話が出来た。
 仕事は忙しいらしく、この後の50日祭も来れないようだが、この大変な時期仕事が忙しいのは良いことだ。その内に行くかも知れないよと言っておいた。
 帰って、今度は娘夫婦と孫が、旦那の実家の登別に寄って泊まってから釧路に向かう。ETCが付いているので、料金は安いので助かるが、釧路までの600kmはやはり遠い。
 今日は沢山の人に見送られているので、瑞葵も泣かずに出発して行った。その後、函館の姪夫婦も帰り、札幌の姪も帰り、どんどん家の中が寂しくなっていく。
 夕方、台湾から来ている妻の妹の長女とウィンドゥショッピング。彼女とのウィンドウショッピングは楽しいのである。他の人はなかなか彼女とは付き合ってくれない。時間が長いのである。私もあちこち見て歩くのが好きなので、二人であれこれと見歩くのは全く苦痛ではない。
 ゼビオスポーツ、ユニクロ、本屋と昼過ぎから夕方まで回って歩いた。明日台湾に帰るが、葬儀中はゆっくり話す時間も無かったので楽しいウィンドウショッピングだった。
 彼女は今台湾のスポーツクラブでマラソンをやっているが、台湾のマラソンは賞金が出るそうで、先日も3位だったかな?入賞して賞金を貰ったそうだ。
 クラブにはスポンサーのアデダスが付いていて、ウェアはアデダスを着なければならないそうだ。今回はゼビオで練習用のランニングシューズを購入した。
 レースの時は、レーシングシューズと言うものがあり、持ってみたら軽い!でも足への負担が大きいので練習は、底が厚めの物を履くそうだ。
 台湾にも行きたいが、まだ1回しか行けないでいる。出来れば自転車で回りたい。彼女の旦那が自転車製造メーカーに勤務しているので、自転車は借りられるし、宿泊は素泊まりの安い所が沢山あるので、テントも要らないだろうし、暖かいから荷物もディバッグで収まるかも知れない。
 今回企画した自転車の旅の行き先の静岡の姪っ子も、5月には旦那の台湾転勤に伴い台湾に引っ越すので、台湾に長期に滞在できる環境は整った。面白そうだ。
4月17日(木) 出棺際、出棺&告別祭、帰家祭
 今日は朝から忙しい。8時から火葬祭が始まるので、食事が7時からになる。まだ寝ている者を起こし、布団を片付けて、何とか皆が食事を済ませる。
 本来の函館の火葬は、通夜祭の前に済ませるのが函館の風習なのだが、今回は遠方から来る人におばあちゃんの安らかな顔を見せてやりたいと言う事で、火葬を伸ばして貰ったのだ。
 函館が通夜祭の前に火葬を済ませると言うのは、函館大火の時か洞爺丸台風の時に大量の死者が出たが、その際に防疫上の問題から、早くに火葬した事に始まるという事ではないかと葬儀場の人が言っていた。
 告別祭
 12時から告別祭、これも無事終了して、帰家祭になるが、ここから2礼2拍1礼1拍が、今までの2拍と1拍は音が出ないように行うのだが、ここからは音が出るように行う。
 これで葬儀は終了し会食になる。昨日準備したお善も2席分は余ったが、間になって良かった。多く頼んでも無駄になるしので、足りなければ大変な事になるしこれが難しい。
 3時には会食も終了し、皆が次々に帰って行った。おばあちゃんの遺骨や祭壇に上げた供物などを実家に運ぶ。供物は毎回の変えるので相当な量になる。
 実家は人も物量も溢れている。その内に人の方は徐々に帰って行った。おばあちゃんの遺骨と共に10日歳まで実家にいる妻と別れ、私も長男と家に帰る。
 家には娘の旦那もやってきて3人で楽しく過ごすが、、疲れで11時には寝てしまった。
4月16日(木) 通夜祭
 午後になって札幌からの親戚も集まってきた。葬儀屋さんがやってきて、おばあちゃんの入った棺を、葬儀会場に運ぶ。その後、1Fの電気は点灯したままの状態で家を離れる。これが神道のやり方だそうだ。
 全て自分たちでやるので、受付の準備を身内に頼んだり、今日の宿泊人数の予測など、やる事はたくさんあり、てんてこ舞いだ。
 会場のセッティングも出来た
 6時の開始時間が近づくにつれて、人が訪れ受付が忙しくなる。親戚の分の受け付けは済ませているのだが、今日初めて来る人もいる。
 北海道のしきたりは受付の際、香典を貰ったら領収書を出すことになる。他の土地ではあまり見当たらない風習と思う。そのため、書くのに時間がかかり、待たせる事になる。その内に追いつかなくなり、先に会場に入って貰い、後から持って行くのだが、これも溜まってくると、顔と名前が一致しなくなり、会場で「何々さ〜ん」と呼んで渡すことになる。
 依頼されて持って来た香典などは、必要かも知れないが、それ以外の本人が来た時は必要が無いと思われるのだが・・・。中にはそれをしていて、香典は要りませんと言ってくれる人がいる。
 祭りが始まった、祭司さんが祭りを順調に進めて行き、玉串奉納になる。ここでまた仏教と違う事がある。仏教の場合は、遺族の喪主、兄弟と順に進めて行くが、神道場合、男性を立てるという事がある。
 今回の場合、おばあちゃんの子供は喪主をしている二男、三女、四女になる。仏教ではこの順番に焼香するのだが、神道では二男の後に三女の夫(私)、四女の夫、三女、四女の順となる。
 妻は夫を立てなさいという事があり、夫が優先されるそうだ。
 この日は、会場で遠路から来た人が、無きおばあちゃんの思い出を語り合い、深夜遅くどころか朝まで語り明かした人もいたようである。
 私の方は用意した蒲団の数が間に合うのかとチエックしたり、今日来た人の人数から見て、明日の帰家際のお善の数を予測したりと、やる事が色々ある。
4月15日(水) 納棺祭&納棺
 納棺がしめやかに行われた。亡くなったおばあちゃんも皆に見守られて、綺麗に化粧もされて納棺された。まるで生きているで、生前と全く変わらない顔を見ると、涙が止まらない。
 孫の瑞葵も納棺されたおばあちゃんの周囲に沢山の花を添えた。いつもは歩きまわって落ち着かない、4歳の子供なのだが、周囲の雰囲気を読み取ってか、一番前で正座をし、前をしっかり見て納棺を見ていた。
 親戚も次々集まって来て、普段は疎遠な人々が葬儀を機に、会える機会をおばあちゃんは与えてくれた。
4月14日(火) 函館に向う
 9時6分発の特急かもしかに乗る。自由席はかなり空いている。おばあちゃんの病状は相変わらず、良い状態では無いが、話しも出来ているようだ。
 でも妻の携帯の電池が切れて連絡が取れない。そのうちに、釧路の娘から、おばあちゃんが亡くなったとの知らせが入る。電車は函館まで4時間以上かかる。
 おばあちゃんとの色々な思い出が脳裏をよぎる。
 私が旅に出るときは何時も応援してくれたし、新聞に私の記事が出た時などは、入居している施設の仲間に新聞記事を見せていたので、施設を訪問した時は皆に新聞見たよと言われた。
 自分の子供と同じ位可愛がって貰った。凄く長く感じた電車が函館に着いた。
 タクシーを家まで飛ばし、車で向かうが、おばあちゃんは既に自宅に搬送されていたので、ばあちゃんの実家の桔梗に向う。家には宮司さんや葬儀社の関係者と妻と弟がいた。
 おばあちゃんは安らかに眠っていた。最後は少しの苦しみはあった様だが、亡くなる時は先生も分からないほど穏やかだったそうだ。妻一人が最後を看取った。
 亡くなる少し前まで話しが出来ていたそうだ。妻の姉が幼い時に亡くなっているが、その時姉に母親は自分が看取るから安心してと、心に誓ったそうだ。それが果たせた事で妻も少しは安堵しただろう。
悲しむ間もなく、親戚の連絡や普段使っていない家の掃除やストーブ付けまで、慌ただしくなる。
 娘夫婦が釧路から9時間かかり、車でやってきた。明日は台湾から妹の長女な静岡の次女もくる。 おばあちゃんの回りが賑やかになる。
4月13日(月) 秋田に向う
 白っぽく映る写真。これはまだ良い方だ
 田代オートキャンプ場の朝は明けた。昨日は食事後、隣接の温泉に行く。300円でサウナ、露天風呂も有り、シャンプーやボデイソープも付いている。
 のんびり入り、休憩所で8時まで過ごし、テントに戻る。体も暖まったのと疲れでか、ぐっすり眠れた。
 朝におかしな現象が起きた。デジカメで写真を撮ったら画像が白っぽくなる。そして露出オーバーの表示が出る。設定を初期値に戻してもその現象は現れる。
 仕方がなく携帯電話のカメラで撮ろうとしたが、待ち受け画面から変えると、画面が薄くなり動作しなくなる。これも何度やっても治らない。カメラが無いとこの先々写真が撮れないので困ったなと思いながら自転車を走らせる事にする。
 8時には出発する。気温は6度で少々寒いのでウィンドウブレーカーを着て走る。所が自転車のサイクルメーターがゼロを示したままで動かない。昨日まで作動していたのに・・・。センサーの位置を何度も変えたが復旧しない。仕方がなくそのまま走る。これで走行距離も分からなくなる。どうしたんだろう。
 やがて鷹ノ巣に着くが、今回は、県道25号線を走る。車は空いていて静かに走れるのが良い。秋田北空港の側を通り、さらに田舎道を走る。
 やがて小阿仁の道の駅に到着。ここで昼食を採る。この後がいけなかった。農道を走って途中から国道に合流しようと思ったが、道がどんどん山に向かっている。
 道が間違っているのは分かったのだが、誰も家の外に出ている人はいない。どんどん登って行ったら、選挙ボスターの撤去をしている人がいた。聞いたらこの先は行き止まりだった。
 聞いた道の通り行ったら、国道に戻れた。この先で峠越えが待ち構えていた。
 さほど厳しくは無い峠なのだが、向い風がきつくてなかなか前には進まない。
 ようやく峠を越えて五城目町に着いた。ここにある道の駅「ごじょうめ」で一休み。
 そこに妻からメールが来た。「今何処にいるの?電話下さい」
 すぐに良い事ではない何かが起こったと感じ、すぐに電話をした。入院中の妻のおばあちゃんの容態が芳しくないと言う。秋田で旅を中断して待機して下さいと言う事だった。
 五城目町を過ぎたら急に寒くなり、ウィンドウブレーカーを着る。その後もアップダウンを繰り返し、ようやく秋田の妹の家に到着。私が料理を作る事になり、食材を買いに行く。

 たら鍋にする。スープは食材のプロショップで買った物で、これが良い味だった。
 おばあちゃんの容態はその後も変わらず、明日の電車で函館に帰る事にした。
4月12日(日) 旅立ち

 出発が延び延びになっていた自転車旅が始まる。夕べは日ハムの試合を見ていたので、寝るのが10時を過ぎてしまったので、朝は起きれるかなとの思いはあったが、。3時に枕元の携帯のアラームが鳴り目が覚めた。
 まだ眠いのでゆったりした動作で起き出す。ウィンドウブレーカーを着て手袋も履く。 まだ日の出ていない、外に出たら流石に寒い。
 タクシーくらいしか走っていない、暗い町をペダルをゆっくり回し走る。ウィンドウブレーカーだけではまだ寒い、手も徐々に冷たくなってくる。30分位で青函フェリーターミナルに到着。乗船申請書を書いて、WEB割引劵を添付する。WEB割引券は青函フェリーのHPから印刷すればOKだ。
 金額は自転車込みで2400円。隣の道南フェリーより1900円も安い。食事が3回も食べれる。 乗船場所にチャリを移動したら、札幌ナンバーの車から人が降りてきて声をかけられた。「釣にきたのかなと見ていたが釣竿も無いので、何をするのかな?」と思い声をかけたそうだ。
 これから横浜まで行くと言う彼と暫く話した。
 別れ際に「気をつけて旅して下さい」と言われた。
 旅のスタートから出会いと暖かい言葉があり良い旅のスタートだ。
 今回の旅を「ビンボー自転車旅紀行」とタイトルを付けたが、少しは解消されそうだ。それは定額給付金の前借りと妻が4月5月分の食費が私の分、浮くので少し還元してくれた。
 これは今までに無い事だ。定額給付金は色々物議をかもしているが、それはそれとして、やはり貰えれば嬉しいものだ。
 ビンボー旅が基本的に変わる事は無いが、少しはゆとりが出来た。あの有名な俳人、松尾芭蕉が「貧乏旅ほど楽しいものは無い」と奥の細道の旅に出た精神は、今でも続いている。
 我が家の財務大臣には深々と頭を下げたのは言うまでもない。
 青函フェリーに80歳で、日本一周7回の人の額がある
 予定通り青森フェリーターミナルに到着し、早速走り出す。気温は15度で走るには丁度良い。
 何度も走った道なので苦労することも無く、淡々と走る。大鰐温泉に着いた時は、昼食も採っていないのでハンガーノックになり、足が回らない。道の駅「碇ヶ関」で持って来たパンや缶詰で長い昼食を取る。
 元気が出たとこで今日の唯一の峠である矢立峠を越える。登り切れば一気に下りになり、大館市に着いた。
 町を走っているとき話しかけられた。
 私より少し先輩かな?「何処から来たの?」
 「北海道函館です」
 「頑張るね、どのくらいかかった?」指を折って数える。
 「6時間半ですね」
 「あまり頑張るなよ」「分かりました、ゆっくり行きます。それじゃ!」
 「頑張れよ!」
 え〜頑張れ?
 それから30分で田代オートキャンプ場に着いた。オープンはまだだが、水道も電気もオーケーだ。
 キャンパーは誰もいない。今日は一人かな?
4月11日(土) 準備完了-明日旅立ち
 朝から、自転車の荷物の積み直しをする。重量物が上にあってバランスが悪い。そこで荷物を入れ替えて重量物が下になるように配置を変える。そして走行テスト。以前よりは良くなった。
 それでも久しぶりの荷物の搭載にはハンドルがぶれる。何度か近場を走っている内に、ハンドルもぶれなくなった。いつも最初はこんな状況だ。逆に荷物を下ろしてしまうと、軽すぎてハンドルがふらつく事になる。
 これで準備も終わり、明日の早朝のフェリーで出発する。

 昼はおばあちゃんの見舞いに行く。4日間釧路に行っている間に、酸素吸入をしていた。リハビリィをしているのだが、疲れたせいか胸が苦しいと言うので、付けたそうだ。食欲もあり、熱も無いので大丈夫だろう。
 帰って温泉に入り、函館最後の日をのんびり過ごす。明日からは温泉もなかなか入れない日が続くだろう。
4月10日(金) 釧路から函館へ600kmほぼノンストップ
 今日は早朝に釧路を立つことに決めていた。起きたのが5時。妻ももう起きている。でも妻と寝ている瑞葵との別れが大変なのである。出る時に必ず泣かれるのだ。昨日から函館のばぁばは、明日帰ると言われて泣いていた。
 両親も起きてきて、瑞葵を起こす。まだ眠くてしかたが無いのだろう。うつろな感じで起きてきた。そして別れが来る。
 もう泣いている。「ばぁば帰らないで〜」と言う声がまだぼやっとしているのか、いつもより元気はないか?
 さっと別れて車を走らせる。早朝の釧路市内を抜け国道38号線を走るが、車の量がやはり少ない。快調に飛ばす。その後、太平洋側に抜ける天馬街道を通るがここは全く車が走っていない。
 以前国会で、北海道の国道は車より熊の方が多いと言って、大問題になった事があったが、本当にそうだと言いたくなるほど車が走って無い。さらに信号は全く無いので、あっという間に太平洋に出た。
 この道の途中には中川一郎生誕の地の碑が建っている。先日大いに物議をかもした、中川昭一の父親の生まれた地だ。周囲は家も少なく畑だけという所に生まれて、そこから国会議員にまで登りつめたのだ。
 この全く車の通らない道も、その力が作用したのかと思うが、有難い道ではある。
 ETCが付いていれば1000円であっと言う間に進むのだが、付いていないので意地でもひたすら下道を進むしかない。
 そんな具合で、結局止まったのはガソリン給油とトイレタイム1回だけで、食事も前日購入したパンですませ、600Kmをほぼノンストップと言った感じで走りきってしまった。11時間の走行であった。
 疲れはそれほど無く、まだまだ走れると言う感じだ。昨年自転車で徹夜をして340km走ったのと比べれば楽で仕方がない。
4月9日(木) 入園式
 函館から600km走り、翌日は朝から自転車で20km走り、午後から丹頂鶴公園、動物園と目一杯遊んでいたので、今朝は疲れがたまっていて、7時まで寝ていた。
 今日は瑞葵の釧路短期大学付属幼稚園の入学で朝から忙しい。入園式の最初の日は持って行く物も沢山ある。
 準備がようやく整い出発。幼稚園は家から車で5分と近いのが良い。幼稚園には続々と、入園者や父兄人が集まってくる。
 教室に入ると色々な飾り付けをしていた。幼稚園に入るのは自分の子供の時以来だから、27-8年ぶりになる。クラスはコアラ組で16人。先生が2名付く。教室では早速おもちゃ等で遊ぶ子供や走り回る子供やらで賑やかだ。
 やがて遊戯室での入園式が始まる。
 年長さんが入場して椅子に着いた後、今年、入園した子供が並んで入る。雰囲気に圧倒されているのか静かな入場だった。それでも中には泣き出す子供も出てくる。するとお母さんが飛び出して来てあやす。そんな光景が幼稚園の入園らしい。
人通りのあいさつや祝電披露、年長さんのコーラスなどが行われ、式も無事終えて家に帰る。

 幼稚園の前での記念撮影

 妻も瑞葵と記念撮影
 昼食は釧路のB級グルメの人気店、「泉家」に行く。パスタの種類が凄く多い。今まで聞いた事のないトッピングもかなりある。
 私はカツスパを注文。ミートソースパスタの上にカツが乗っている。出て来て驚いた。ウィンドウの中のサンプルとは全く違い、パスタの量が3倍もある。 美味しいのだが、とにかく食べるのが大変で、ようやく完食した。
夕方から温泉に行くが疲れがドット出て来た。最新マーサージ機のお世話になる。

 家でお祝い
 花や寿司などあり豪勢だ
 家に帰って入園のお祝い。今日も疲れた!
4月8日(水) 瑞葵と遊ぶ
 朝は6時に起きた。直ぐにチャリに乗り幣舞橋に向かう。息は寒さで真っ白になる。駐車している車のウィンドウグラスは凍っている。そんな寒い中、素足にサンダル。手袋無しで走る。直ぐに手がかじかむ。だましだまし何とか幣舞橋に到着。
 ミィハァ的に見に来た、ラッコのくうちゃんは見えない。
しばらくうろうろしていたら、散歩のおばちゃんがあそこにいるよと教えてくれたが、50mくらい先に見えるのは、丸い黒い頭のみで、顔の表情などは見えるはずもない。
 写真を撮ろうとしたが直ぐに見えなくなってしまった。やはりテレビで見るのが一番良いようである。

 一度家に戻り、食事後、再びチャリで街中を散策。今度は手袋に靴下も履いたので万全だ。往復20kmくらい走ったので町の様子が分かった。
 野球のグラウンドがやたら多い。河川敷にも多くのグラウンドがあるし、最近出来た郊外の運動公園も立派だ。
 家に帰って来たら、今度は孫の瑞葵を連れてドライブ。


 釧路市丹頂鶴公園に行った。ここは誰も人は来ていそうもない。受付の人に「丹頂鶴はいるの?」と聞いたら、居ると言う。400円を払って入る。
 丹頂鶴は自然のままの姿を見て貰うと言う事で、かなりかなり広いケージに入っているが、そのケージは8つあり、全部見るにはかなりの距離を歩かなくてはならない。
 でもそのケージにいるのは1羽か2羽だけで、何か寂しさを感じる。名前や生まれた日にちは書いているが、それを見ても鳥の明確な違いは分かるわけもない。
 さらに道は、そのケージを往復しなければならないのでかなりの距離を歩かされる。

 内容的にはいま一つだった。「単調?」
 北極クマの「ツヨシ」君
 タイガとココアは足に障害がある
 次に行ったのが釧路動物園。ここは500円かかる。展示は得に斬新さは無く、従来型の動物園と変わりはない。
 ただ人気のアムールタイガーがいる。3つ子が生まれたが1頭は死亡し、残りの2頭は足に障害をもって、後ろ足が自由にならない。可哀相なのだがこれだけはどうにもならない。
 それでも無邪気に遊んでいる姿を見れば、動物は逞しいと思う。動物園で生まれたから生きられる。野生だったら弱いものの命はとうに奪われていただろう。
 そのあと北極熊のツヨシ君を見に行く。当初雄だと思われていたのだが、婿入りを前にして、雌だと判明したのだ。それで動物園も大騒ぎになると言う事が起きた。
 名前が私と同じつよしなので親しみをもっていたので会えて良かった。やはり身は細いし顔も小顔なので雌だな。
夕方まで十分遊んで帰宅。孫の瑞葵は帰りの車でぐっすり寝てしまった。
4月7日(火) 函館から釧路へ
 今日は釧路まで走る日だ。昨日は早めに寝たので3時ころには、誰かが階段を歩く足音で目が覚めた。
 何時もならここで起きるのだが、今日は長距離運転をしなくてはならないので、しっかり睡眠を取りたい。何時もはしない2度寝をする。これが上手くいって6時までぐっすり眠れたので睡眠時間は十分取れた。
 朝7時にはスタートする。天気は快晴で気持ちが良い。何度も走っている道なので何処にも寄らず快適に走る。登別のモダ石油でガソリン補給し、登別のマックスバリューに入る。ここで手土産を購入して、娘の旦那の両親の家に行くつもりだった。
 娘が何度も家に電話したが繋がらない。その時、瑞葵を見つけて、声をかける人がいた。
 旦那のお母さんが同じスーパーに来ていたのだ。本当に驚いていた。弁当を買って皆で家に行って食事をする。
 お母さんは孫を連れて寄ってくれたことを凄く喜んでくれた。その後。お父さんの会社に行き、孫に逢わせる。
 ここからはひたすら釧路に向けて走る。

 日高山脈が綺麗だ

 途中で夕日が沈む沈む沈む
 途中、道の駅でトイレタイムを一回取っただけで、釧路まで走りきる。走行距離600km、走行時間11時間と久しぶりの長距離走だった。疲れた〜!
4月6日(月) 瑞葵と遊ぶ
 毎日同じパターンの生活だ。朝起きて今日は旅のパッキングをすべて終えた。明日から釧路に行くので、今日中に旅の準備は完了する。
 昼はばあちゃんのお見舞い。ばあちゃんは1人で食事を出来るようになったので、少しは安心だ。帰りに旅に使うSDカードのケースが欲しかったので、ベスト電器に行く。先日500円の割引券を貰ったので有効活用だ。
 750円のSDカードケースとプリンターのインクを購入して2160円になる。そうすると500円の割引券があるから、1660円になる。そうするとまた500円の割引券が貰える。何か凄く安いと思う。毎回25%引きで購入しているようなものだ。SDカードには13GB分入ったので動画をとっても撮っても大丈夫だろう。
 荷物を積んでテストした
 旅の自転車に荷物を積んでテスト走行する。久しぶりの荷物を搭載した自転車は重いのでぐらつく。今回は食料も持ったので重い。体重が10kg減ったのでその分積めると思うのだが、そうはいかない。
 やはり人の重量と荷物の重量ではバランスが違うのだ。重い食料を上にしたので、バランスが悪い。小分けにしてバッグの下にも入れよう。
 お姉ちゃんが遊んでくれた
 最後に手を洗って終わり
 夕方から瑞葵と公園に行く。公園には小学校5年生のお姉ちゃんが2人いた。すぐに近寄って遊ぼうとなり、お姉ちゃん方も付き合ってくれた。7歳年上なのに何か自分と同じ世代と思っているのか、「ともちゃん遊ぼう」と言ったら、その子がともちゃんだった。「え〜何で分かったの、偶然だね」とびっくり。それからぶらんこ、鬼ごっこ、鉄棒、滑り台、砂遊びとお姉ちゃんたちは遊んでくれた。
 5時に分かれたが、飴を一つ貰って大喜び。遊んでくれたお姉ちゃん有難う。
4月5日(日) 日ハム開幕3連敗
 午前中かかって「塩の道」の資料が十分かどうか纏まった。後は現地に入って状況に合わせて対応するしか無い。それにしても距離の長さと、峠の多さは熊野古道を越える印象だ。熊野古道も滝沢王子から25km程度の距離を連続して歩く個所もあったが、峠の高さでは熊野古道を上回るかも知れない。
 崖崩れの場所なども結構あり、その場所を自転車で越えている情報が無いので、越えれるのかどうか判断が出来ない。まあこれ以上考えても仕方がない。資料の収集は終わりにした。
 瑞葵はおばあちゃんが大好きだ
 昼は皆でおばあちゃんの見舞いに行く。良くも悪くもない。どうやらばあちゃんにとっては病院は居心地が良いのかも知れない。しばらく歩いていないので自力では歩けない。
 このままケアハウスに戻ったら、殆どの事は1人でやらなくてはならない。または介護保険を使って人を頼んでやるかのどちらかになる。
 病院に居れば、お風呂は入れてくれるし、何かと面倒を見て貰える。そして看護師さんや係りの人がいつも声をかけてくれる。そんな事で居心地が良いのかも知れない。
 でもこれに甘んじていては歩く事も出来なくなり、ベッド生活になってしまう。そろそろリハビリィが始まる。ケアハウスに戻れるくらいまでになるのが目標だ。
 病院の帰りに荷物を満載したチャリダーが南下していた。この時期南下するのは北海道のチャリダーだろう。私もあと1週間で旅立ちだ。

 午後からファイターズの試合を見る。打撃戦で負けて3連敗。う〜ん5時間近く見ていたが、疲労感も漂う。
 ソフトクリームに満足
孫の瑞葵と温泉に行く。皆で行く時は絶対男湯に入らないのだが、じぃじと二人なら、ソフトクリームを買う事を条件に一緒に行く。
 でも子供と入るのは疲れる。あちこち歩きまわるし、体は洗ってやらなければならないし、何か疲れる。
 今日は疲れっぱなしだ。
4月4日(土) 娘と孫とで、おばあちゃんのお見舞い
  朝の太陽も春らしい
 朝の大森浜も釣り人が増えてきた。これも暖かくなったせいなのか?それにしても早朝の大森浜は気持ちが良い。今日、定置網の舟が戻って来て、陸揚げしていた。舟には生きて飛び跳ねているホッケが入っていた。でもあまり量としては多くないのかな。
 釣りをしている人と話すが成果は全く無かった。潮の回りは良いのだが、波が高過ぎて不適らしい。この沖合100m所の海底に幅広く構造物を入れたので、そこに波が当たって、陸に押し寄せる時に大きな波になるようである。そんな話をしばらくしてから家に戻る。
 1人で食事をして余りにも暖かいので、炬燵に足を入れ、うとうと眠っていた。その内皆が起きてきて、朝食が始まる。私は友瑛に食事をさせる。お粥一杯とヨーグルトをぺろりと平らげた。なかなか食欲のある子供だ。
  おばあちゃんのお見舞い
 その後、皆で七飯のおばあちゃんの見舞いに行く。丁度昼食の始まる前だった。おばあちゃんは凄く喜んでいた。遠い釧路から来た事は良く知っている。本当に懐かしそうにひ孫と接していた。
 年寄りを元気づけるのはやはり、子供が一番だ。他に入院している人もみんなにこにこ顔になっている。
 帰る時におばあちゃんは寂しそうだった。明日もまた来るからねと言ったら喜んでいた。

 帰って瑞葵と粘土遊びをしたり、絵を描いたりと付き合いが何かと忙しい。瑞葵はじぃじの部屋に入り浸りだ。紙は色々とあるし、ボールペンなどの書く物はあるし、セロハンテープ、カッター、ホッチキス、はさみなどが主な使用するもので、これらを駆使して物を作るのが好きなのだ。
 4歳になればもう、色々な事が出来てくる。今が良い時なのかもしれない。その内じぃじとは歩かない何て言われるかもしれない。
 でも娘は高校まで一緒に歩いて、町にいったりしてたな、友達から、え〜お父さんと歩くの?等と言われたようだが、娘は平気だったそうだ。そちらを遺伝するかな?
4月3日(金) 娘と孫がやってくる
 大森海岸から見た函館山
 朝の海岸散歩で見る函館山も春霞なのか、ぼやっとして見える。気温も最高気温が2桁の13度の予報なので、春が来た事をいっそう感じさせる。砂浜を歩いていても直ぐに汗ばんでくる。

 朝食後、「塩の道」の資料を整理する。コピーもかなりして揃える。この道はかなり難解な道である。土地勘が無いのと距離が430kmあるのが大きな原因で、さらに道が複雑に絡み合っているので、簡単には行かない。
 一度ガイド付きで、歩いた人の資料も入手したので全貌が分かりかけてきた。現在の県道や国道と複雑に絡んでいる。道の地図だけでもA4で30枚になると言う凄さだ。2007年にMTBで走破した熊野古道を思いださせる。でも峠の高さでは「塩の道」は南アルプスを通るので熊野古道よりは遥かに高度があり、崖崩れや、吊り橋、さらに5月一杯は雪があり、通行止めの個所もある事が分かった。
 ここを通るのは遅らせて、6月にした方が良いようだ。静岡の姪っ子は5月2日に台湾に出発するので、家に居候は出来ない。その間何処に行こうかとまた計画をし直している。
 友瑛君はいたずら盛り

 瑞葵が持って来たくぅちゃんクッキー
 中味はラッコの型のクッキー
 午後に娘と孫がやって来た。釧路を朝早く出て2時に着いた。特急で7時間もかかる。やはり釧路は遠いな・・。改札出口で待っていたら瑞葵が手を振ってやってきた。手にはお土産を持って・・・。長男の友瑛はママにおんぶだ。瑞葵は今年幼稚園に入るので、すっかりお姉ちゃんになった。話も随分する。
 家に帰り、お土産を貰う。釧路名物くぅちゃんのクッキーだ。先日新聞やTVで報道されたラッコのお菓子だった。ラッコのお陰で見物人が大勢押し寄せ、川の傍にあるフィッシャーマンズワーフは1億円の売上増になったそうで、凄い経済効果だ。
 各地にラッコが現れれば、下手な経済政策より効果が大きいかも?

 夕方から皆でプロ野球開幕戦の日ハム対楽天を見る。ダルビッシュと岩隅のWBCピッチャーの投げあいになった。1回の楽天の3点が重くのしかかって敗戦。攻撃陣が良い所で攻めきれなかった。
 残念だ!
4月2日(木) 大野文化財保護研究会例会
 今日は快晴の天気だ。自宅から北斗市(旧大野)まで自転車で行こうと思ったが、明日は娘が釧路から来るので軽四輪には全員乗れないので、ワゴンに交換に桔梗町に行く。そこから自転車で旧大野町公民館に向かう。行く途中の農家は苗を植えてビニールで覆った風景が出てきた。これで春を感じとれる。
 風は少し冷たいが、走れば体は温かい。予定の30分前に着いたので、公民館の図書館で資料調査をする。
 特に新たな発見が無いままに、時間が来て例会に行く。
 会の報告の後、落合氏の話があった。落合氏も同じ会に所属していて、彼は上磯地区の歴史に詳しいので家に訪問して、色々話を聞いている。とにかく地元の歴史に詳しい。
 彼から多くの資料も頂いている。今回の話はその資料の一部だったので、すでに頭には入っていた。その資料はおそらく20回以上は繰り返して読んでいる。
 何度読んでも新たな発見がある事に彼の資料の面白さがある。
 例会が終わって、また山に行こうかの話があった。歴史を感じるのはやはり現地に行ってその場所に立たなければ駄目だ。机上で誰かの書いた書類の中身を覚えていてそれを語っても感動は少ない。やはり現地主義に徹して歴史を感じて行きたいと思う。
 先日亀尾の鍋毀坂を発見したが、松浦武四郎の蝦夷紀行にも出てくるが、文書からはその鍋も毀れるという凄さは実感として湧かない。
 その坂の急峻な地形を見て初めて実感として分かる。ただ机上で蝦夷紀行を読んでも、自分としては面白くも無い。
 チャーハンだ!
 桔梗でワゴンに自転車を載せて帰る。腹も減ったので冷蔵庫を探して具一杯のチャーハンを作る。

 その後久しぶりに乗るワゴンにワックスを塗り、室内を清掃し、オイルチエック等をする。何しろ16万キロも乗っている車なのだ。錆びが出てきたら板金したり、フロントバンパーは雪に突っ込んで壊れたので、メーカーから部品を取り寄せ自分で塗装したりと愛着がある。
 日本一周では室内をすべて取り外し、手作りでキャンピングカーにした。そして150日も寝た車だ。


 自転車旅の計画もほぼまとまった。多分この通りとはならないのだが、今回は東京や静岡は日にちが決まっているので、そこに合わせなくてはならない。
 新宿で行われる「地平線会議」に出席。報告者は、世界最高峰の犬ゾリレース、ユーコン・クエストに3度目の出場をし、たった1頭のリーダー犬でよくもあと少しでゴール、というところまで行った本多有香さんの報告→2次会→新宿公園での地平線会議野宿党の新宿野宿となる。
4月1日(水) 自宅に戻る
 今日から4月になった。まだ旅に出れないでいる。
 結局は娘と孫たちが3日に函館に来て、その後7日に釧路に帰る際は。車で送って行き、孫娘の教育大学付属幼稚園の入園式に出席し、函館に戻ってから出発する事に決まった。
 今は、少しでも遅い方が良いとなっている。「塩の道」大峠や大綱峠は5月まで雪のため閉鎖している可能性もある事が分かった。雪の中を歩いて突破は出来そうだが、今回はフル装備の自転車が一緒だ。雪の中を押して峠を登るのは長い距離では厳しい。車輪が埋って前には進まないかもしれない。硬い雪になっていれば可能だが・・。
 もう少し情報を集めなくてはならない。雪が無ければ1000m級の旧道なので、何とか行けそうだが、雪道が長いと自転車では困難だ。迂回するコースもありそうなので、兎に角現地に行かなくては駄目のようだ。
 スニーカーでは無理で登山靴か長靴になるかも?そうすればまた荷物を増やさなくてはならない。そんな事で結果的に旅を送らせて考えるのも良いだろう。
 今日も朝から露天風呂に入る
 朝は6時に起きて散歩。大岩の方に行く。昨日のニュースで全国で10ヵ所くらいの国道工事が中止になったと聞いたが、その鹿部新道がすぐ近くにある。
 チャリで出発。玄関に居た掃除中のおばさんから「昨日森で自転車で雪の中を走っているのを見たよ」と声掛けられた。おばさんは森から鹿部に通っているそうだ。
 鹿部新道はあった。新しい橋が出来ているし、山に道が伸びている。確かにこの道は近道だ。もう少しで完成なのに・・・。いまさら止めるの?確かに必要で無い物の見直しは必要だが、もう少しなのに今やめたら、今までの工事は何だったんだと言いたくなるな。せめて今後はしっかり計画すると言うのなら良いだろうが、あと少しの道路も止めるのはどうなんだろう?
 途中で山の中に入り、ふきのとうを撮る。開いていない良い物が沢山採れた。
 ふきのとうも採れた
 昼食後、のんびりして宿を出る。「鹿の湯」は本当に良かった。若女将も楽しいし、何と言っても廊下や階段がピカピカに磨いている。決して新しい旅館ではないが、綺麗なのだ。薬師堂もあり、中の仏像も古いものだがピカピカだった。これで宿の思いが分かる。
 記念撮影
 途中の西部プリンスホテルに入ってパンを買う。そこに団体が大勢入って来た。みな紺色のスーツだ。
 何処かの研修? と思いつつ駐車場に戻った時にバスを見たら「富国生命御一行」だった。凄い人数を採用したんだ。
 その後は入院中のおばあちゃんが大好きな「鯉の洗い」を買って行く。丁度昼なので食べさせてあげたら、美味しい美味しいと喜んで食べていた。良かった!
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