1月31日(土) 1月も終わった
 1月も今日で終わりだ。短かったなと思う。1月元旦から山に入り、今月だけで10日山に入っていた。勿論例年にない登山回数だ。
 昨日の登山で疲れもかなり溜まって、今日はゆっくり休みたいところだが、写真の整理や資料の作成を行なっていた。デジタルカメラになってからは写真を撮る枚数が増えて、整理が大変だ。のんびりあとからやろうなどと思えば、ここはどこだったかな?と長考になってしまう。
 朝早く、下関のYさんからメールが来た。下関は台風並みの大荒れの天気のようだった。そして今日は各地で雨が降っている。苗場スキー場などは凄い雨が降っていた。雪が無くならなければ良いのだが・・・。
 やはり最近の気候は異常だとつくづく感じる。函館は家の周りには雪は全くない。暖かい日が続くのだ。
 山に入っても、暑くて薄着で登れる始末だ。
 雪は少なく3月下旬くらいの感じで、春山と言った状況だ。冬の嫌いな人には良いだろうし、石油暖房の量が減って嬉しいのだが、その反面、何か地球がおかしくなっているんだろうと気になる。
 今、早々にどうにかなるという事はないだろうが、将来のためには憂いがある。

 イカの話だが、今時期はやりイカの漁業期なのだが、取れるのはマイカが多い。マイカはやりイカより気温が高い時に獲れる。お陰で少ない量のやりイカの値段が上がって、漁師さんは良いのだろうが、これも異常だ。
 これから松前のやりイカ漁が本番になるのだが、松前はアザラシが大量に沖に入り込んで、イカを根こそぎ食べてしまうので困惑だ。保護動物なので捕獲はできないので爆竹などで脅しているが効果はないそうだ。
 なにからなにまで異常が多い。
 一方、私が携わっていた半導体産業が大幅な落ち込みで、リストラの風が吹き荒れそうだ。日本から半導体が無くなるのではとさえ言われている。
 どこの業界も大変だろうな。どのような将来になるか見当もつかない。贅沢しないでつつましく生きて行くしか無いのだろうか。でもこころだけは豊かに持ちたいが・・・。
1月30日(金) 白神山&鏡山ダブル登山
 夜中に一度目が覚めた、近くのコンビニ、セイコ-マートに来る車の音だった。やけにマフラーの音がうるさくて目が覚めた。それでもその車が居なくなった後は、ぐっすり眠れて朝の6時半まで寝ていた。
 起きて、またレトルトカレーとパンで朝食は終わり。バッグに着替えや食料を詰めて出発。10分くらいで着いた。山に入る場所付近は車を止める所もないので、200mくらい離れた空き地に車を置いて、そこから歩く。
 今日は快晴の天気で気温がプラス5度くらいまで、上がるらしい。でも8時現在はまだ寒い。
 集落を抜けて山道に入る。以前来た時は無かったが、赤いテープの目印が付いていた。これは昨年の春に松前観光協会がイベントを行った際、付けたものだろう。

 こんな道を130年前に歩いていた
 やがて坂に入る。この辺りはまだ道が広い。それでも100mも行けば道は、如何にも旧道といった掘れた道になる。高度を上げて行くと、道はジグザグの連続になる。やはり積雪期の今は歩きやすい。暑くなってきたので汗も冬だというのにしたたり落ちる。
 道の途中で細い尾根が出てくる。幅は4〜50cm程度で左右は斜面が大きく落ち込んでいる。ここが昔の旅人が日記に書いてある、馬も行くのを拒んだという場所なのだろう。確かにもっと積雪があったら厳しい道だ。今は木が少しあるので掴まれば良いが、木が無かったであろう昔は相当危険な個所だったろう。
 道はさらにジグザグで高度を上げて行く。
 左側に広い道が現れる。これは植林のための道だろう。左には木が一本もない平坦な場所になる。
 そしてさらに登る。白神山が見えてくる。

 白神山が綺麗だ
 問題はこの辺りだ。道は斜面と同じ傾斜のまま付いている。でもどう考えてもおかしい。旧道は道が掘れて左右が高くなっている。
 これは植林で付けた道では無いだろうか? 前回も何か違うと考えていた。この道を止めて尾根に出る。尾根から反対側の斜面に行ったら、旧道はあった。はっきりわかる形で旧道は付いていた。
 やったこれだと元気が出る。尾根を登りきってピークに出る。景色は最高で、海岸線から周辺の山まで皆見える。

 白神山山頂で記念撮影
 最後に白神山の頂上まで行って記念撮影。着替えもしてすっきりして、来た道を下る。登り2時間、下り1.5時間だった。沢山の写真と動画を撮った。
 車に戻り、函館に向かう。途中の茂辺地まで来た時に、まだ時間は1時だった。先日行けなかった「馬道」に行こうと決めた。
 来る前に図書館で調べたら「馬道」は集落で昭和4年に名称は廃止になっていた。それから80年も経っている。分かるだろうか。先日と違うコースを行く。
 適当な場所に車を置いて歩く。植林のための道なのか車が通れる。少し行ったところが平らになっており、この辺りかなと思うのだが、証は何もない。
 雪が無ければ、家で植えるような花が咲いていれば家があり、人が住んでいたと判断できるが、雪ではそれも難しい。
 妻のお母さん(90歳)の新婚の土地である名寄に行って、家の有った場所に行ったら、その時に植えたイチゴがあった。70年も前の物でおばあちゃんも懐かしがっていた。
 道はどんどん山に入り、ついに山の頂上まで来た。この山は鏡山で今の地図には載っていないが、大正時代の地図には載っている。
 明治2年の箱館戦争の時には、この山に旧幕府軍が陣を構えたとの文書もあり、気にはしていたがようやく来る事が出来た。
 開発されて、塹壕などの後は見つけることが出来なかった。同じ道を下り、車に戻る。今日は二つの山に登る事が出来たが、結構疲れた。
 家に帰り、妻に用意して貰った、風呂にのんびり入って疲れを取る。
1月29日(木) 福島町へ
 昨日の天気予報では、今日は良い天気だった。朝早くから車に食糧や炊事道具、着替えを詰め込み、8時30分にはスタートする。天気は予報通り快晴だ。今日はまだ発見していない、不動滝コースを行くので気持はのっていた。所が30分も走って、北斗市近くまで来た時に雨が降ってきた。行く方向を見たら、雲が厚くかかっていた。
 ここで、タイミング良くラジオで天気予報がかかる。道南はこれから、雨かみぞれの天気予報だった。

 これはやばい! この雨では行っても山に入れない。仕方が無く家に電話をして、今日は天気も悪いので家に帰ると電話して、たまたま北斗市の図書館が近かったので、資料調べをする事にした。
 その前に、図書館の職員に、資料の名前を言って聞いたら無いという。こんな本に載っていて執筆者は北斗市の○○さんなんですが・・。と言ったら、電話をかけて聞いてくれた。
 結果は相当古い資料で一般の方には見せることが出来ないという。一般の方か・・・。と仕方が無く諦める。
 3時間くらい資料を調べて、図書館を出たら、え〜快晴だ! 中からは外が見えないので全く気がつかなかった。
 家に電話して、帰らないで福島に向かう。着いたのが2時過ぎなのでもう時間が無い。まあ少し様子を見ようかと雪の中を歩く。先日来たより雪がかなり溶けていた。途中迄は何度も行っているので、すいすい進む。
 それにしても暑い。大寒を過ぎたばかりと言うのに、気温は7度もある。地球が狂っているのか?
 何度も地図を見る。最近の地図には道が載って居ない道で、大正の初めの地図に載っている。地図には道ははっきり書いてあるのだが見つからない。
 しばらくうろうろしたら旧道跡らしい道を発見。

 ここからしばらく登り不明になる
 これだとばかり進む。あきらかな道なのだが、沢に突き当り道が分からなくなった。
 山肌が崩れたのだろうか? 付近には全く旧道らしき跡は見つからない。
 辺りが暗くなりかけたので、今日はここまでで帰る。

 食事中に漁船の後ろに夕日が沈んだ
 夕飯は漁港でレトルトカレーとおにぎりでおしまい。簡単で費用もかからないな。
 食事後は何度も来て、すっかり慣れた、吉岡温泉に入る。まずは温泉に入るが、やはり体は冷えていて、湯が熱く感じる。39.6度の湯に長い時間つ浸かる。
 その後は、いつものように休憩室で、地図やノートを広げ、今日の道の整理をする。
 休憩室にはたまに人が来る。高校生カップル、それぞれ温泉に入った後、休憩室で雑談している。グループで学習している中学生。吉岡は大きな集落ではないので、何処かに行こうにも行くところはないのかも?
 公営温泉に来れば400円で温泉に入れて、暖かい休憩室でのんびり話したり、勉強したりと健全ではないか。
 吉岡温泉は演歌が流れる。露天とサウナなのだが、その演歌がめちゃくちゃ古い。松島あきらの「湖愁」が流れていた。
 私が若い頃の演歌だ。古いな〜と言いながらも、何か口ずさむのは何故だろう。
 無料のマッサージ機を十分に活用して凝りをほごし、今日の宿泊場所の道の駅「ふくしま」に着いた。
 ワンセグで録画していた、TV番組を見ていたが、疲れて途中で寝てしまったようだ。
1月28日(水) 快晴の日に閉じこもり
 朝から快晴の天気だった。山に行きたい〜という気持ちは溢れるほどあるのだが、今日は来客があるので家を開けれない。
 おまけに妻は友人と毎月恒例のお食事会で不在だ。
 机に向いDVDの製作に取り掛かる。静かに熱中して出来るのは良いが、外の太陽の眩しい光がうらめしい。こんな日に山を歩いたら気持が良いだろうなと落ち着かない。
 パソコンにびっしり向かうと疲れるので、気分転換に、ザックに荷物を詰めておいた。もし午前中に来たら午後から行くぞ! と考えていた。時間の約束をしておけばよかったと後悔するが携帯を持っていないので連絡は不可能だ。
 ついでに車でまたミニ旅に出たいので、荷物や食料を一式積んだ。用意は万端整った。これでいつでも行ける。
 結局来たのは3時を過ぎていた。札幌からの帰りだった。他に人もいたので、ゲストハウスには10分くらい居て帰ってしまった。本人はもっと居たかったようだが、一緒に来た人が用事があるらしく慌ただしいひと時になってしまった。
 まあDVDの方も大分捗ったから良いとするか。

 昨日、一昨日と「馬道」について調べていたが、また新たな資料が見つかった。大正15年(1926)に書かれた「上磯郡茂辺地村大字茂辺地村境界査定図」の中に。「馬道」「馬道通り」「馬道沢」「馬道袋」等の地名が書かれていると、考古学という全く関連が無いような書物から出てきた。
 面白いものだなとつくづく思う。近々図書館か教育委員会に行って調べよう。
1月27日(火) 馬道調査PART-2
 今日も昨日に引き続き馬道の調査に行く事にした。行く前に電話して北斗市のOさんの家に寄る。Oさんから以来の馬道が見つかったと言ったら喜んで貰えた。
 家に着いて地図を出しながら説明。話は終わったのだが、道の話や歴史などの話をしたら留まらない。またOさんの家には貴重な資料が沢山あるので、見せて召せて貰った。
 かなり古い資料もあり、お父さんの代から引き継いだ資料は相当な量になるのだろう。ここの家にいたら何日居ても飽きる事は無いだろう。
 帰るのが遅くなり、奥さんに「とろろそば」を作って頂いた。結局家を出たのが13時を回ってしまった。今日もまた道探しは無理だと思ったが、一応行く事にする。
 大正時代にあった道が分かったので、地図を頼りに歩くが、道はすぐに無くなり、ブッシュの中を漕いで歩いた。

 こんな光景もあった
 そんな時に電話が来た。
 アルペンチームのT子さんからだった。
「どうして出てこないの?足の具合が悪いの?」
「大分良くはなっているがレースは無理だ」と伝えると、遊びで良いから出ておいでよと言われ、そろそろ行きますと答えた。他にもいろいろ長い時間話した。気を使って貰って嬉しい。
 そろそろスキーを出さなくては・・。
 藪こぎを続けていたら急に道が出てきた。それも車道だ。これは地図に載っていない。少し行ったら右手の斜面の腹に旧道が見えた。

 旧道はここの一部しか無かった
 でも車道はどんどん上に続いている。かなり行ってようやく判明した。現在新しい高速道路工事をしているが、その資材運搬用の道路だった。
 先の方は道路で切断され全く分からなくなった。あまけに時間も無くなったので引き揚げる。
 帰り道は吹雪になった。かなり気温も下がってきた。
 そしてようやく車に到着。今日も馬道集落に至る道は判明しなかった。
1月26日(月) 馬道調査
 昨日の夜、いつものように色々な資料をベッドに入りながら見ていた。何度も何度も見ている資料なのだが、量が莫大に多いから、忘れているものや、しっかり見ていないものなど色々ある。
 道立図書館からコピーして貰ってあった、大正時代の5万分の1の地図を見ていた。いつも見ている旧道から少し離れた所に「馬道」の文字があった。「う・ま・み・ち」・・・。何処かで聞いたことのある名前だった。考えたら思い出した。北斗市(旧上磯町)の郷土史研究家のO氏に頼まれていたものだ。
「毛利さんは道を調べているから・・馬道と言うのがあるのだが、こんな言葉は道の言葉として聞いた事がない。馬の道という表現はあるかも知れないが・・・」と言い、機会があったら調べてくれないかと言っていた。
 言われた時は調べたが、そんな道は無かったし、過去の調査の中でもその言葉は出て来てはいなかった。
 それですっかり忘れていたが、今回発見したのだ。

  名称は右から書いている
 馬道と言うのは道の種類とかでは無く、何か集落の名前のようだ。そこに至る道が2ヵ所付いているが、いずれも点線なので、細い道で人がようやく歩ける道だろう。でもこんな所に集落があったのかな?
 すぐに行かなくてはと妻と一緒に出かける。妻は途中の温泉に置いて行く。そうすれば、私が調査している間は十分温泉に入れる。温泉好きの妻にはたまらない。
 温泉で降ろし、茂辺地というところに向かう。ほぼ地図の辺りに道があったので、スノーシューを付けて入る。 しかしこの道は少し登って行き止まりになった。
 違うと地図を何度も見るが、それほどはっきり分からない。戻って他の場所から行くと、茂辺地川の淵に道があった。
 川のそばだったのだ。でも入る場所が無く、あちこち探してようやく入る道が分かった。でも今日は時間が無く無理なので、後日に再び来る事にした。

 茂辺地川でこんな光景が・・。
 温泉の帰りにダイエーの店内にある、ドコモショップに寄る。2週間くらい前から聞き取りの音声が極端に低くなった。月々360円程度の、故障したら無料で交換してくれる、サービスに入っているので、安心して行ける。
 ダウンロードがあるので30分くらいかかるので、店内を見て回る。店内はピンクや赤などの明るい色の物にすっかり模様替えしていた。お陰で冬物が安くなっていた。冬用の毛糸の帽子が525円と安かったので購入。 すっかり安物買いが定着している。
 電話を受取り帰宅。
 妻はミヤンマー料理講習会に出かけた。どんな料理なんだろう?
1月25日(日) 温泉&資料整理
 妻の妹の娘が、もうすぐ静岡から孫を連れてやってくる。冬だし何処に連れて行く?となったので、それでは我が家が時々行く温泉はどうだろうか?と言ったら、じゃ一度行って見ようとなった。
 妹の旦那を含めて4人で、昭和温泉に部屋の予約を入れてから出発する。この温泉は車で10分もあれば行ける。料金は1人1500円なのだが、部屋は和室の8畳くらいで、トイレも付いているし、お茶も飲める。そして昼食は食堂で500円の「天ぷらもりそば」等の食事が出来る。
 時間は10時から16時までと十分にある。部屋に入ったらすぐに温泉に入る。のんびり入り出てきたら、資料整理の仕事をする。女性陣はパッチワークなどをする。
 これを何度か繰り返す。子供がいても部屋で遊ばせれば安全だし、部屋も暖房が入って暖かい。まあ安く1日過ごせる。

 バッグは手製のキルトだ。
 妹が本を持って来た。「パッチワーク倶楽部」という本で、この中の取材記事に妻と妹が載っていた。昨年の11月6〜8日に横浜で行われた、「インターナショナルキルトウィーク横浜2008」を静岡に行く途中、見た際に取材されたそうだ。何かキルトの製品を身に付けている人が取材されたらしい。
 北海道から深夜バスで来たと載っていて、如何にも猛烈なキルトファンの様に思えるが、初めての深夜バスで青森から東京まで行ったのだが、本音はもう乗りたくないだった。
1月24日(土) 資料整理
 今日は一転真冬日になった。昨日は4月下旬とか言っていたのに、気温の変化が激しい。疲れはまだ残っているので、今日は資料整理をする。合計500枚くらい取った写真に動画の整理は大変だが、早くやらないと場所とかの記憶が薄くなる。
 午前中一杯かかって、写真の整理を終え、旧道の詳細図の作成も行った。大正時代の地図からその他の旅人の書いた絵や紀行文を読んで、旧道をさらに明確化して行く作業だ。
 こうして道の全体をまとめる事が出来た。この資料はこれから作成するDVDにも生かされる。何とか静岡に旅立つ前に完成させたい。

 午後から図書館に借りた図書を返しに行く。そのついでに、また松前町史を2時間読んで帰宅する。郷土史などの本は貸し出しをしないので、じっくり読めない。ながなが読んでいると、駐車場が有料になるので、函館中央図書館はあずましくないな。
 七飯歴史館や北斗市図書館が良いのだが、少し遠すぎる。でもこちらは本の撮影も出来るので便利だ。函館中央図書館はお金を取られる。
 念願の吉岡山道が明確になったので、残る旧道は後少しになった。今年の積雪期の間にすべての調査を終えたい。

 今回のミニ旅で意外に便利だったのがワンセグ放送だった。たまたま携帯電話のワンセグに録画しておいた、自給自足の特別番組があったので、寝る前に見られて良かった。農業の仕方が大いに参考になった。畑も手をあまり掛けないで、立派に出来るのは感動だった。
 畑は綺麗に畝を作って、手間暇がかかるとばかり思い込んでいたが、その観念は全く違っていた。売る物ならそうはいかないだろうが、自給自足分には簡単に出来る農業だった。
 本はすべて読んでしまっていたのでTVは退屈しのぎで良かった。今度は行く前にもっと録画して行こう。
1月23日(金) 雨だし一時帰宅
 昨日は随分暑かった。いつもの寝る服装から1枚脱いで、靴下も暑くて脱いで寝た。朝起きてもまだ温かい。何だろうこの気温は? 5時に目が覚めた。青森の深浦は朝で10度だという。まるで春だ!
 さすがに体は疲れていて全身に疲労感がある。それでも気持ち的には良い気分だ。まだ外は暗いので、寝袋に入りながらBEPALを読む。良さそうな商品がたくさん載っているな。
 登山ウィアもゴアテックスか・・上下で10万円近くする。防寒で通気性も良いので快適らしい。私のはパンツはボードパンツがリサイクルショップで1300円。上衣はボードウェアでこれもリサイクルショップで1800円だ。確かに温度とかの対応はそれほど性能は良くないが、こまめに着たり脱いだりして対応している。
 ゴアテックスは物は良いだろうが手は出ない。
 本をしばらく読んで外に出たら雨だ。これでは今日の行動は無理だ。おまけにソックスやアウターパンツが乾いていない。
 これじゃ仕方がないからと家に戻る事にする。近いので1時間30分で着いた。荷物を下ろして一段落してから今日の昼食は回転寿司にする。
 妻が「イカマイスター試験」に合格したのでそのお祝いをする。豪華と思われそうだが、ここの鮨屋(北方亭)はランチタイムが1皿126円と安くてネタも新鮮で良い。
 今までは100円回転寿司に行っていたが、そこが120円となった今は、126円の方がはるかに良い。沢山食べて家に帰り、写真と動画の整理をする。
 枚数が多いのでかなり時間がかかりそうだ。白神旧道などは、もう行けないと思い。300枚くらいの写真を撮ったし、動画もたくさん撮った。しばらくは整理が続きそうだ。
 でも気分的には高揚している。新たな発見は楽しい。
 そんなところに電話が来る。某市の教育委員会からだった。旧道に関する古い資料があるので、それらを選んでコピーをしてくれるそうだ。出来たら後日連絡すると言ってくれた。ありがたいな。
 どんどん協力してくれる人が増える。しっかり後世に資料を残さなくてはならない責務があるな。
1月22日(木) 140年前の道を登り降り
 凍ったフロントガラス
 朝は昨日より冷えた。車のフロントガラスは凍ってガチガチだった。朝方一度は目が覚めたが、寝袋のファスナーが開いていたせいだ。閉めたら温かくなり、もう一寝入り。
 6時半に烏の鳴き声で目が覚めた。
 朝は鍋だ。昨日の余り物がある。白菜、豆腐、豚肉、それにまだあるおにぎりを入れる。昨日の食事と全く同じだ。それでも味噌仕立てからすき焼き風味にしたら味は随分変わる。
 車内で煮炊きする。窓は開けて・・。
 それにしても食べる量は落ちた。減量のため酒を止めてから食事量も減った。 今まで飲みながらだらだら食べていたので量は増えていたが、酒を飲まないと簡単に終わってしまう。

 今日は白神岳に登る。140年前の旧道を登って白神岳に行くので、相当苦戦するのは想像出来ていたので早い出発となった。天気は晴れで、気温も高そうなので、時間がかかっても良いからのんびり行こうと思っていた。8時には登山口に着いた。と言っても何も標識等は無い。こんな所を登る人は皆無なので看板などは必要無いのだ。

 この道は、箱館戦争で土方歳三が松前進攻の時に歩いた道になる。明治元年の事だ。その後、明治6年頃には不動滝を経由する新しい道が出来たので、この道を歩く者は皆無になった。

 最初は車が通れる道だった。おそらくは砂防ダム建設で資材を運ぶための道だったのだろうが、それもかなり古い時代のものだろう。少し行くと道は全くわからなくなる。湿地帯をこの辺りかなと感で歩くしか無い。
 それでも旧道の調査を長年やっているので、道は見ただけで何となく分かるし、道の位置はこの辺りが良いだろうなと言うのは分かる。さらに動物の足跡が案内してくれる。本当に良い所に足跡がある。元々は動物を追って樵が歩いた道がそのまま、一般道となったのであろう。だから動物の足跡はかなり正確に旧道に沿って歩いている。
 それでも人が全く通っていない道には、細い木々が密集して枝が左右に張り出し、歩く邪魔をしてくれる。さらに毎度の蔦だ。これも異常に多い。何度も何度も格闘しながら歩く。
 そんな事で体力を使うハードな登山だ。沢は何度も渡った。そしてようやく斜度が増してくる。日が照ってきて暑くなる。しばらくして尾根の裾に出る。ここの左に折れる旧道が見える。過去に何度も見た形状に思わず感動する。左右が高くなり、真中が掘れている。人工的ではなく人が歩いて自然に出来た道だ。登ったらジグザグ道になる。道の中には相変わらず木が多く難儀する。
 5〜6回道を折れたら、ハイ松が道を完全に塞いでいた。ここは迂回する。この辺りの斜面は30度以上はあるだろうか? 木が多いので滑落しても下まで落ちる事はない。迂回して再び道に戻る。
 今度は先が無い。道がすっぱり切れている。その先は断崖絶壁だった。長い年月の間に山が崩落したのだろう。仕方がなく迂回して行ったら上の道も見つかった。この道と先ほどの道がつながっていたんだ。勿論先は断崖絶壁だった。
 ここに目印のテープがあった。元々は赤いテープだったのがピンクになり、今はくすんだ白になっている。どのくらいの年月が経っているのだろうか? 自分と同じように歩いた人が居たんだと嬉しくなった。
 雪の斜面はかなり急だが、木が多いのは助かる。つかまって登れば良いから楽だ。木が無ければ、滑落したら下まで相当な距離を落ちるだろう。
 尾根に出ると景色も良くなった
ようやく尾根にたどり着いた。ここから再び尾根の右手の腹を行く。道の右側は断崖絶壁だ。高所恐怖症の私にはかなり怖い。でも回りの景色はかなり良くなった。
 尾根のトップを歩くがここも相変わらず木が多い。ようやく登りきり車道に出る。松浦からアンテナのメンテナンス用の車道が付いている。ようやく頂上に着くが3時間30分の登りだった。

 簡単な食事後、付近を散策する。実は気になっている事があった。平尾魯僊安政2年(1855)の「函館紀行」に白神山道の茶屋峠の絵を描いている。
 しかし、どう見てもあの絵の様にはならないのである。私の見ている場所が違うのか?? 再び絵と実際を比べてみた。見た場所は同一ではないかも知れないが、根本的に違うのである。平尾の絵では海岸を見て右手に漁師まちが広がっている。でもどう見ても左手に広がっているのが実際だ。
 自分でもスケッチしてみた。あれっと思い。平尾の絵を裏返しにした。するとかなり近い絵になった。平尾の書いた絵には礼髭村展望と普通に書かれている。
 何だろう? 故意に絵を逆に書いた? 写した誰かが逆に書いた? などなど不明だが・・・。
 記念写真
 下りは同じ道を下る。気温が上がったので来た時以上にスノーシューが埋まり、一歩一歩歩くといった感じになってしまう。急斜面を下る方がよっぽど楽だ。
 平地は下が笹になっているので、ずぼっと埋まってしまう。下り道の道脇に人工的な穴があった。以前旧道で何度も見た穴と同じだ。穴の内部には石が張られている。弾薬庫なのか炭焼きのあとなのか、今だに判断できない。何処を根拠に判断すれば良いのだろうか?

 ようやく車にに到着。もう午後3時だ。かなり疲れた。再び行く事があるかどうか分からない。そんな道だった。歴史的街道も埋もれてしまうだろうな。
 そのまま松前温泉に入る。全身が疲れて休憩室で横になった。夜7時過ぎに出て、再び道の駅「ふくしま」へ。明日は雨で活動は出来ないな。一度家に帰ろう。
1月21日(水) 旧国道228号線を登る
 昨日は車の中でぐっすり眠れた。家の自分のベッドで寝るより寝心地が良いのは何故なのだろう。朝は7時少し前まで寝ていた。家では4時には目が覚めるのに・・・。疲れと温泉が良いのかな?
 車中泊はとにかく暖かかった。ハードマウンティンとモンベルの寝袋をダブルで使い。上にアウターカバーを付けている。これで十分だ。道の駅は国道沿いなのだが、遅い時間には殆ど車が通らないし、人も歩かないので本当に静かだ。

 まずは松前町に向かう。旧幕府軍が大砲を設置した法華寺、激戦のあった及部川、そして松前城と写真や動画を沢山撮影した。

 朝食は松前漁港に行き広場に車を止め、インスタントラーメンで済ます。食事後、トイレに行こうと思ったが、公営トイレは何処も冬季閉鎖だった。北海道ならではの事情なのだろう。ようやく見つけて安堵する。

 今日は白神のスズキ川に沿った道を登る。この道は現在の海岸沿いの国道が出来る前の国道になる。車を止め歩きだしたが、直ぐにつぼあしでは歩けず、スノーシューを着ける。積雪は30cm位でそれほどは深くない。
 車が通った道なので、緩やかな斜面が続く。でも沢沿いの景色は変化が少なく飽きるコースだ。同じ傾斜で4kmは続くのだ。天気は曇り時々晴れ間が覗くが、風が強く冷たい。それでもスノーシューを付けて登れば、汗が出てウィンドブレーカーも脱ぐ。

 白神岳が遠くに見えた
 緩やかな斜面も徐々に急になってきて、ピークに達する。景色もそれほど良くなく、向には真っ白い雪に覆われた白神岳とアンテナが見える程度だ。ここまで1時間40分かかって登って来た。

 特に何もないので下山する。今日の道は第3白神山道と呼ばれている。第1白神山道は土方歳三が通った道、第2白神山道は間道で土方隊の迂回隊が通った道になる。
 さすがに下まで来たら疲れた。昨日の疲れも溜まっているかな?

 下山してスノーシューを外す
 3時の遅い昼食は鍋にした。白菜、豚肉、豆腐さらに固くなったおにぎりを入れておじやにする。
 美味しくいただいた後は、今日も吉岡温泉に行く。冷えた身体には湯が熱い!露天風呂にのんびりゆったり入り、休憩室で相撲を見る。今日も泊まりは道の駅「ふくしま」にしよう。
1月20日(火) ミニ旅に出発
 今日の函館は快晴だった。近くの箱館戦争関連の資料調査と冬山登山に行くのだが、久し振りに出かけるので、気持ちはルンルンだった。
 冬に車で泊まりながら旅に出るのは久しぶりだ。いつも、冬はスキーにばかり行っているので、旅に出ることは無かった。今年は足の怪我でレースは出来ないので、冬も旅に出れる。
 まずは北斗市(旧上磯町)で動画撮影をする。ここの大野川には明治元年当時、大きな橋がかかっており、蝦夷にこんな大きな橋があると、旅人を驚かせた。
 今は国道に大きな橋が掛っているが、当時のあった場所をカメラで追う。その後、町の中の景色を車内にセットしたカメラで走行しながら撮る。

 雪と知内川とのコントラストが綺麗だ 明治元年は渡し船だった
 次の撮影場所の知内に向かう。途中の木古内町に入ると、前から来る車がライトを点け、フロントが真っ白になっていて、吹雪の中を走行してきたのが分かる。前方の空を見れば、明らかに雪が降っている。
 少し走ったら猛吹雪に突入する。そんな中、知内の千軒に付いた。この辺りはさすがに雪が深い。車を降り雪の中をスノーシューで歩く。夏は車が通れる道だが、今は雪が40cm位積もっている。
 少し歩いただけで汗が出てくる。やがて知内川にでる。ここは明治元年時は船渡しだった。その古い絵と現在を比べる為に来た。船渡しの後には橋も出来たが、その足場が今までも残る。
 動画や写真を沢山撮った。特に川の流れと、川の中にある石に積もる、雪のコントラストが綺麗だ。

 次に入ったのが吉岡山道。時間も無いので軽く調査してみる。いつもは雪で車が入れないのだが、今日は除雪したばかりと言った感じだ。それでも少し行くとタイヤが埋まりそうになり、無理をしないで道路横の空きスペースに止める。

 不動滝は凍っていた
 歩いて不動滝に行く。旧道は当時の紀行文では滝から左に行くのだが、今はそのような道が無い。別な道を登っていく。積雪は30cm位あるが歩きやすい。しばらく歩きこの辺りかなと思うところで、山肌を観察するが道らしく形跡は見つからない。諦めて下る事にする。
 ここの近くに吉岡温泉「ゆとらぎ館」がある。ここに入る。丁度相撲を見るには良い時間だ。
 夕食を持ち込み、温泉にのんびり入った後は、テレビを見たり、本を読んだり過ごす。さらにここのマッサージ機は無料なのだ。疲れた体を揉みほごす。
 夜も7時になり、もう一度温泉に入り、今日の宿泊場所の道の駅「ふくしま」に行き、車中泊をする。
1月19日(月) キャリアの改造&DVD製作
 毎日の事だが、朝は4時30分には起きる。そしてパソコンに向かい、今日はDVDの製作を3時間は行う。その後、ウォーキングを1時間して食事をする。ここまではほぼ同じ繰り返しになる。
 同じような事なのだが、一番変化するのは砂浜だ。波の大きさにより、全くその姿が異なってしまう。全く違った光景になるのは当たり前だ。
 それが結構楽しい。今日はどんな形になっているかが楽しみになる。今日は西に向かうコースが追い風で、折り返しが強風。前に進むのもようやくと言った風が吹いて、砂も強烈に吹き付ける。
 冬だというのに、寒さは感じなく汗がじわっと出てくる。
 久しぶりに啄木像と写真を撮った

 午前中はキャリアの部分変更をした。背中の部分の当たりが、金属の部分があるので、そこにパットを張りつける。スポンジを要らなくなったバッグの生地で包み、それを金属部分に当てる。
 この台の部分が当たるのでパットを張った。
 こんな具合になった。これでOKだ。

 これで長い時間担いでも痛くはならないだろう。殆どの道はキャリアを押して歩けるが、どうしても背負わなければならない所も出てくる。岩場とか川とか狭い道などを歩く時は背負う。
 改造を終わって担いで見る。まあなかなか良いだろうとの結論に達した。
 車輪はワンタッチで外すことも可能だ。

 後ろから見たらこうなる

 明日から旧道の写真撮影と、MTB登山のミニ旅に出る。箱館戦争が行われた明治元年は冬だったので、その時進行した道の写真は冬景色の方が合っているので、撮っていない写真は今撮らないと、また1年後になってしまう。
 さらに動画は撮っていないので、それも撮っておこうというわけだ。途中の江差ではまだMTBで登っていない山があるので、そこを登る。2〜3日で帰ってくる。
 その間はブログで日記を発信します。
1月18日(日) センター試験受けるの?
 妻が「イカマイスター試験」を受けるので、車で北海道大学水産学部に送って行った。門を入ると係りの人がいて、車は駄目ですよ。中には入れないですという。
 車は校内でUターンして出て下さいという。センター試験の入り口は違うの北の方からから入って下さいという。
 「イカマイスター試験」は2度目なので、前回も来ていて知っている先入観念がある。
 妻が「私はここで降りるから帰って」と言う。
 妻を車から降ろしたら、係りの人が「ここから入れません」と言う。
 「イカマイスターの試験があるんです」と妻。
 「その試験はここでは無いですよ、今日はセンター試験ですよ」
 「でもイカマイスターの試験はここなので・・・」
 妻が通知書を取り出して見る。係りの人も一緒に見る。
 書いてあったのは「函館市水産物地方卸売市場」・・・え〜!!
 妻は全く試験会場のチエックをしていない。とんでもない恥を書いてしまった。
 1時間前に着く予定で来たので、まだ時間に余裕があり、急いで試験会場に向かった。試験の20分前に何とか間に合って試験会場に入る。
 試験の結果はどうだったのだろうか?

 今日は部屋の整理整頓をする。旧道調査の資料がものすごい量になって、ファイリングがばらばらになっている。最近は資料を取り出すのも時間がかかるようになった。
 ファイルは厚いので20冊くらいはある。3年間の調査の資料はこんなになるんだと、改めて調査の年月の長さを感じる。
 4時間くらいかかってようやく整理が完了した。
1月17日(土) キャリアが完成
 昨日の夜に娘の旦那が迎えにきて、今日の午前中に札幌に向けて出発した。娘や孫と一緒に賑やかに過ごした15日間に及ぶ長い時間も終わり、帰った後に散らかっていた居間を妻が掃除し整理をすると、物が溢れていた居間から、すっきりした空間になった。
 すっきり綺麗になったのは良いのだが、片付いたという事で、孫の居た時の雑然さが無くなり、年寄二人の静かな生活に戻るんだという、雰囲気になってしまった。

 帰った後はキャリアの改造に取り掛かる。寒い工作室だが、寒さも忘れて熱中してやったら、4時間かかってようやく完成した。今までのキャリアに比べ、外観はあまり変わっていないように見えるが、構造がすっかり変わってしまった。シンプルになったので、強度もかなり増し、車輪の取り外しも容易になった。歩き旅に出ても良い結果が得られるだろう。
 早く暖かい春が来ないかな・・・。
 完成したベース部分。すっきり出来た。

 組み立て完了。

 完成状態を正面から見る。キャリアを押す取っ手部分も幅を少し広くした。これはパイプをダブルにして重ね合わせ延長した。車輪は1分で2本は外せる。
1月16日(金)  キャリアの改造
 車のガソリンが札幌で上がったと新聞報道があり、多分函館も上がるだろうと、娘に言ったら娘の車を満タンにすると皆で出かけた。着いたら灯油の価格を教えてくれと言ったら、55.8円/リットルだった。近所のスタンドは65.8円/リットルなので、10円近い差がある。
 そこで安いスタンドに行って、20リットル缶で6缶を購入。ついでにガソリンが91.8円/リットルも入れた。折角安くなったと思ったのにまた値上げになるのかな?

午後からは歩き旅用キャリアの改造。キャリアは既に出来ているのだが、タイヤを外す時間の短縮をするための改造だ。昨日買ってきた材料で作り始める。2回目の製作は1回目の不具合も直すことが出来るので、出来も最初よりは良くなる。
 寒さも忘れて工作室で夕方まで作る。完成はしないが今日はここまで。
 
 現在のタイヤの固定方法。ナットをすべて緩めてから軸を外すので時間がかかる。
 
 改造後の車軸の取り付け金具。スリットになっているので、ナットを少し緩めるとすぽっと抜けるので早く外せる。
1月15日(木)  閉じこもり
 全国的にそうなのだろうが、函館も今年最低の気温。最高が−4度、最低が−7度で真冬日になった。外には2度出ただけだ。
 完成したキャリアだが、またアイデアが浮かんで改造をする事にした。そのための部品を買いにホームセンターまで行く。さすがにこの寒さでなのか、車は10台ほどしか居なかった。こんなに少ないのは初めてだ。
 購入したのは、プラスチックのケース。これはMAXの車内にキャンピング用品を入れて積む。天気が回復したら車中泊のMTB登山の旅に数日間出る事にした。
 後はアルミの角パイプを1本買った。これは明日からでも始める改造に使う。改造の内容は今付いている車輪をはずす際はボルトを緩めなくてはならないが、ねじを緩めるのは時間がかかる。そこでこの時間を短縮して合理化を図ろうという事だ。構造もシンプルになるし、多分良い結果が出るだろう。
 
 走行している車から音がからからする。ゆっくり走ってもするので以前妻に外にいて貰い、音の出何処を聞いてもらったら、前部の左から聞こえるという。調べてみたが、どこも異常は見つからない。
 今度は娘に聞いて貰った、そうしたら左の後輪から聞こえるという。そこでタイヤを外して見ようもホィールキャップの蓋を取ったら、1本のナットが緩んでいた。残りの3本は締っていたので、大丈夫だった。
 これを締めたら音が出なくなった。さすがに若い人の耳は違う・・・・。

 後の時間はDVD製作に熱中していた。大分良いペースで進んだ。でも全体的に見れば僅かで、まだまだ時間はかかる。あせらずゆっくりやろう。
1月14日(水)  動画撮影など
 朝早くから動画の変換を行っていたが、なかなか上手くいかない。HPに動画を乗せるにはデジカメの映像の拡張子であるWMAからAVIに変換しなくてはならない。変換ソオフとがあって、それで変換するがそれでも見えない。何度やっても駄目で今日は止めた。

 昼にDVD撮影のため、森の鷲ノ木に行く。戊辰戦争の旧幕府軍の上陸地だ。上陸時は30cmあったという雪だが、今日は10cmくらいと少ない。それでも海岸一帯の撮影を完了した。
 さらに鷲ノ木から森に行く道を探す。現在の道とはどう考えても違う。箱館戦争時の文書は無いが、古い旅人の紀行文を読んでも今の道ではない。
 鷲ノ木の海岸。この辺り一帯に上陸した。
 雪の中をあちこち行って探す。これかなと思わせるような道はあるが、はっきりしない。そもそもこの場所に旧国鉄の函館本線が出来たので、大きく地形が変わっている事が痛い。
 判別が出来ないまま、撮影だけは終えて戻る。
 帰り道七飯町に寄るので、妻のお母さんのホームに行く。娘や孫が来ている筈だった。車があったので中に入る。おばあちゃんは元気そうだった。お土産に大好物の「鯉の洗い」を持って来た。
 その後、七飯歴史館で夕方まで資料調査をする。今日も終わってしまった。
1月13日(火)  温泉&旅の計画
 昨日は夜から朝にかけて、大雪で函館は25cm以上の積雪との予報が出ていた。・・が朝起きたらあれ!雪が無い。さらっと降ったようで、2.5cmの間違いでないかい? と皆で喜ぶ。除雪で汗を流すのと何もやらなくて良いのとは大きな違いだ。
 今日はみんなで温泉に行こうとなった。温泉は最近行ってないので久しぶりだ。部屋を借りるというので、本を10冊ばかり持ち込んだ。
 女性組は温泉が長いし何度も入る。1回目は私以外皆が温泉に行った。この間本を読んで調べる。
 友瑛も温泉に入ってご機嫌
 静岡にチャリで行くのにどのような経路で行くかだ。
 苫小牧からフェリーで仙台まで行ってそこからチャリで福島、茨城、千葉、神奈川、静岡と行く。
 苫小牧から新潟に行き、そこから横断して福島に出て、茨城、千葉、神奈川、静岡に行く。
 函館からフェリ−で青森に行き、そこから日本海側をチャリで走る。
 青春18キップで仙台まで行き、そこから静岡まで走る。
 苫小牧から新潟に行き、そこから長野、静岡と走る。など考えたが、一長一短があり難しい。苫小牧行くにはそこまで走らなければならないので2日は余計にかかる。
 3月の青森はまだ寒そうだ。長野も3月は寒そうだ。青春18切符だと乗り換えが多くて、バッグを多くしたらきつい。などなど考えている。

 旅の目的としては
1.旧街道を走り、古い街並みを見て歩く。
2.旅人や旧友との再会。
3.MTBで登山する。 この3つだ。
 日本一周の時は、町をじっくり見ていないので、今回はじっくり見て歩きたい。 
 そして今年の最大の目標である、MTB100峰登山の達成のために登りたい。 
1月12日(月)  閉じこもり生活
 全く閉じこもりの生活になった。まずは天候が悪い。雪なのか雨なのかはっきりしない天気ばかりだ。外に出ようにもなかなか体が行こう!とはならない。
 天候が落ち着いたら、江差の山に登る積りで準備はしているが・・・。でもここ1週間は天気が良くならないようだ。
 そんな訳で、毎日パソコンに向かい、旧道の資料を調べなおしている。図書館に行っては、旅人の古い紀行文を読み、その中に出てくる僅かな情報から、新たな事実を掴むという時間のかかる話だ。
 これを調べることによって、箱館戦争の道がますます明確になってくる。
 そればかりだと飽きてしまうので、他に沢山の本を借りてきては読みあさる。まあ本を読むのが好きなのだから、全然不満はない。今日も6冊を借りてきた。
 私がゴールする前なのだろうか?
 メールを見ていたら、小樽のバイクライダーから写真が送られてきた。土方の道を歩いた時のゴールの看板の写真だった。やっとHPを見つけたと添付してくれた。
 2007年の写真が手元に届いた。本当にうれしい。良く探してくれたものだと思う。
1月11日(日)  難しいな〜
 今日もパソコンに向かって、新しい事を始めているが、なかなか思うようには進まない。ひとつはSONYのWORKMANに動画を入れれないかと言う事だった。MP4だと入ると思われたので、フリーソフトのXMedia Recoderをダウンロードして、先日作成したDVDの原稿(MWV)からMP4に変換して、ホルダーに入れたが全く見れない。あれこれやっている内にSONYのWORKMANに直接入れれる拡張子がある事が分かった。それで入れたら動画は見れたが、AUDIOが聞こえない。う〜難しい!

 さらにCASIOのデジカメに旅の情報を入れれないかと思った。各地の観光情報やキャンプ場の地図を入れれば便利かなと思った。また旅にいつも持って行く、ツーリングマップルの地図をデジカメの中に入れれば便利かなと思った。
 いろいろ調べたら、Phtoo Trannsuportと言うソフトがあった。画像を一発でCASIOデジカメに送れる。無料キャンプ場の地図を沢山転送した。福島県や茨城県は無料キャンプ場が多い。神奈川県、静岡県は少ないな。これらの情報をSDメモリー1枚を専用にすれば、かなりの情報が入るので有効に使えそうだ。春に行く静岡までの旅の情報を少しづつ入れて置こう。

 そんな事をしている時に娘から電器屋に行こうと言われ出かける。孫の瑞葵も一緒だ。SDメモリーカードの4GBが1240円だった。随分安く売るものだな。
 妻と妹と娘で4枚。私が1枚の5枚買った。これで私のSDカードは8GBになった。これからDVD製作に使うので沢山欲しかった。静止画に動画を多用して楽しいDVDを制作したい。
1月10日(土)  湿った雪が降る
 北海道は大荒れの天気だが、函館は湿った雪が降っているが、それ程は積もらないだろう。1回は除雪したが、10分くらいで終わってしまった。函館は例年になく雪が少なく、昨日まで積雪ゼロになっている。大沼で2月に行われるクロカンも雪不足で中止もありえるそうだ。
 今日はひたすら家にいた。PCに向かってDVD作成だ。なかなか嵌ってきて面白くなってきた。妻の妹が来たので昨日出来たDVDを見せてやったら、良いねと言っていた。その内孫のDVDを作れば良い。
 そんな事で最近は部屋で過ごすことが多くて、運動していない。食事の量も少し増えている感じがする。そろそろ動かなくてはと思うが明日も天候は悪い。また閉じこもりか?

 正月の間に読むために、本を7冊借りてきたのを、昨日の夜で全て読んでしまった。面白かったのは九里徳泰の「人力地球縦断」だった。アラスカ−カナダ-アメリカ大陸縦断をMTB、カヌーを使い旅した。アマゾン川の長い苦痛な航海、人が全く住んでいない地区を何日間もMTBで走るとか、兎に角危険が一杯の旅だった。
 読んでいるだけでわくわくしてくる。冒険家と言うのは凄い体力と精神力があるのだとつくづく感じる。
 もちろん、普通のサラリーマン人生では全く出来ない。大学卒業の時には冒険家になるという進路を決めた。そこには必ず植村直己がいる。彼の生き方にあこがれて冒険している人は多い。
 こんな本を読んでいると、少しでも良いから冒険心を持って、これからやって行くんだという、気持ちの高揚がある。
 周りから見て、大した事が無い事でも、自分にとっては大きな冒険かもしれないのだ。いつも1人での行動なので、冬山にMTBで入ったりすると、どうしても慎重になる。本当は雪の急斜面をMTBで下りたいという衝動に駆られる。下まで行けなくても雪の斜面で転倒して転げ落ちても楽しいと思う。
 先日の丸山も、急斜面を下ってみたくなり、行こうかと考えたがやはり止めてしまった。
 一人だとアクシデントがあった場合、どうする事も出来なくなる。そこでどうしても安全サイドになってしまう。 
 冒険心は少しあるのだが、実行は難しい。
1月9日(金)  孫のDVDコピー&新たなDVD製作
 昨日はDVDへの書き込みは途中の28%くらい書き込むと、容量が無く来ませんとなり書き込み不調。仕方がなくデーターのみをDVDにコピーして、それを開けばメディアプレーヤーなどで見れるのだが、DVDプレーヤーでは見れない。
 今日は再トライした。容量は不足はローカルディスクC:ではないかと考え、不要なファイルの削除をした。かなりの量を削除して、書き込みをやる。いつも止まる28%くらいを通過した。書き込みは時間がかかるので、多分大丈夫だろうと本を読んだりしていた。
 しばらくして部屋に戻ったら、書き込みが終了していた。やったー! パソコン、DVDプレーヤーで確認したらOKだった。これで万事OKだ。
 後はDVDにタイトルや写真を貼り印刷した。娘に見せてOKとなったが、追加が2枚あり再び書き込みをして完成。
  完成したDVDには動画が一杯。
 これに味を占め、新たなDVDを制作する事にした。内容は「土方歳三 蝦夷の道&箱館戦争物語」で本の内容をDVDにアレンジする。何度か本を売って下さいという要望があったのだが、コストや手間の問題から、十分な対応が出来ていなかった。これで動画も含めて作れるので、分かりやすい内容になるだろう。
 でも大作なので時間がかかりそう。ナレーションも誰にやってもらうかな。男の声じゃどうもいまいちかな?
1月8日(木)  孫のDVD作成
 午前中は大野文化財保護研究会の例会。毎回会議資料を貰うのだが、今回貰った資料の中に興味深いものがあった。それは昭和53年に「新人物往来社」発行の「総司と歳三」の中で、飯田吉次郎さんが書いた「二股の戦いと土方歳三」だ。
 二股台場について詳しく書いてある。この辺りを昭和50〜51年に調査した結果が載っていた。今ある塹壕の他にも第2の峰にも塹壕があった書いている。私が登って発見した塹壕と一致するかどうかは、写真などが無いので、定かではないが、30数年前にも同じ様に調べていた人がいた事に興味を持った。
 会長は地元大野の人なので聞いたら、学校の先生をしたり、教育委員長などをしていた人で、すでに故人になられていた。
 この台場の第峰に関しての記述は初めて見た。この塹壕は二股台場を調査している人にとっては、かなり貴重な発見であると思われるのだが、なぜ写真が掲載されていないのだろう。塹壕の写真は撮ったのだろうか? 撮って掲載しなかったのか、それとも撮らなかったのか? 今となっては分からないままだ。
 さらに私が何度も行っている、天狗岳の旧道についても書かれていた。
 何か同じような事に興味を持って、いろいろやっている人が居たのには親近感を覚えた。

 家で昨日孫と行った函館山登山のDVDを作成した。DVDは出来たのだが、DVDに書き込みが出来ない。最初は書き込みがスタートするのだが、途中で容量が足りませんと出てストップしてしまう。単にデータを移し替えると見る事は出来るのでそれ程の問題ではないかも知れない。
 このDVDを親戚に配って見て貰う。親は喜ぶだろう。これでDVD製作が出来たので、今度は「箱館戦争」関連のDVDを作成する。
1月7日(水)  孫と函館山登山
 気温が高いから函館山にでも行くか?と孫の瑞葵(4歳)を誘う。
 「暖かいって2度でしょう」と娘に言われたが「昨日より暖かい」からと瑞葵に言うと、瑞葵は「行く行く」となる。
 外で遊ぶ時はじぃじと決めている。他の人は外はあまり好きじゃない。まして冬は外に出たがらない。
 防寒AIRWALKのつなぎを着せて、マフラーに手袋、帽子、それにバッグを背負う。家からは車で出発し、函館山登山口駐車場に着いた。
 登ろうとしたら、上からおばさんが降りてきた。「これから登るのかい?」と言われたら、瑞葵は「チョコレ―トとマアムとおにぎりを持って登るの。そして途中で休んだ時に食べるの」と説明が長い。おばさんも仕方がなく付き合っていた。

 いざ出発
 スタートしてすぐの階段を登る。この辺りは快調だ。一度車道に出て次の階段は急だ。ここは立って登るのは難しく、這うように登る。何とかクリヤーした。
 その後は登山道なので、しっかりと踏み固められている。でも固められすぎて氷になっており、かなり滑る。女性などは軽アイゼンなどを装着している。

 地蔵にも手を合わせる
 2合目、3合目と標識の度に写真を撮る。こうすれば次の目標が出来て、瑞葵はどんどん歩く。上からは下山の人がかなり来る。その度に瑞葵は「こんにちは!」と元気が良い。そして「頑張っているね」と言われればますます乗ってくる。
 途中にある野鳥観察小屋が気に入ってしばらく入っていた。でも鳥の姿は全く見えなかった。
 5合目で休憩し、お菓子を食べる。手袋を脱がせたが手はぽかぽかだ。これなら大丈夫だ。子供は手が冷たいと辛い。私と同じ手が暖かくなる方なのかな?。
 休憩の後は頂上を目指す。ここで一度「家に帰ろうか」と言い出す。「頂上に行けば、お菓子を売っているよ」と言ったらまた歩き出した。そして最後の階段を上って頂上に着く。

 山頂で記念撮影
 館内に入り、函館山からの景色を見ながら、お菓子とおにぎりを食べる。曇り空だが、函館は良く見え、遠くの白い雪をかぶった駒ケ岳もはっきり見える。売店に行ってお菓子を買うかと行ったら、お菓子より、缶バッジが欲しいというので購入。お気に入りのピンクの色で210円也。これで満足だ。
 下りは早い。走りだしたりする。まだまだスタミナは十分だ。あっという間に駐車場に着いた。初めての登山は大成功だった。山が好きになってくれれば良いが・・・。
1月6日(火)  今年2登目-当別丸山
 今日は最高気温1度と寒いが天気は良い。当別丸山に行く事にした。当別丸山は、当別の男子修道院の裏にある山だ。高さはそれほど無いが途中、急な斜面が3ヵ所ある。
 夏なら苦もなく登るのだろうが、雪が積もっているのと、MTBを持って登るので厳しさは覚悟していた。車が一台あったので、誰かが登っている。足跡が付いているが数人はいそうな感じだ。

 ルルドの洞窟
 修道院裏の墓のそばを抜けて、階段を上りきると「ルルドの洞窟」がある。カトリックのフランス巡礼地のルルドの泉からとっている。ここから山道に入る。先に登っている人がいるので、足元は踏まれているが、MTBのタイヤ部分は雪の中に入るので押しても重い。
 展望台への分岐点がある。右の展望台の方が斜度は無いが、今回は急斜面を登る。さすがに押しては登れず、担いで数メートルづつ上げる。息がかなり上がる。
 そんな事を7〜8回繰り返したら、尾根に出た。尾根は冷たい風が当り、汗をかいた体が冷える。休まず歩いた方が、体が暖かくて良い。

 まだ1/3くらい
 尾根を少し歩いたら、また急な斜面が出てくる。これが結構長い。
 途中で休んでいたら4人が降りてきた。その中の一人が「毛利さん」と言う。サングラスをかけているので誰だか分らなかった。サングラスを外しながら「昨年の土方歳三の講演を聴かせて貰いました」と言う。何処で会うか分からないものだな。
夏ならどおって事がない道なのだが、足元が滑るし、担ぐMTBも重い。
 今度はご夫婦が下って来た。「自転車で登るの?」「ええ!」「ここに置いていけば・・」「いやどうしても頂上まで持って行きたいんです」と会話をして別れる。
 実はこの斜面をクリヤーしたら、頂上と思っていた。前回夏に登ったのはかなり前なので、記憶には無かった。登りきったら、緩やかな登りになり、その先には最後の急斜面が見える。
 少しがっかりしたが、気を取り直してまた担いで登る。心拍がかなり上がるので、数メーターしか歩けない。それを何度繰り返したか・・・。
 10回以上は繰り返した。さらに急なところは担げなく、MTBを横にしながら、少しずつ上げる事を繰り返した。
 そしてようやく頂上に着いた。すぐに裸で下着から全て交換した。1分くらいで着替える。こうすれば、火照った体が暖かさを保っていてくれるので、着替えの最中は寒くはない。

 やったー、頂上だ!
 着替えた後は、暖かくなるのでゆっくり出来る。写真を撮ったり、食事をして時間を過ごす。
 頂上からは函館山や駒ケ岳が遥か遠くに見える。
 15分くらい休んで下山。帰りは雪にタイヤが埋もれても、斜度がきついので、丁度良いスピードで快調に下れる。
 途中展望台により、下の方はMTBで下る。さすがに下りは早い。あっという間に着いた。結構きつい山行だった。冬はもう登りたくないな。
1月5日(月)  同じパターンの生活
 正月から毎日同じようなパターンの生活が続いている。朝は娘と孫もいるので一緒に食事をとらなくてはと思い、仕事を十分にこなしてから、食事になるのは9時頃になってしまう。
 生活パターンが全く違うから仕方がないが、もたもたしてるとすぐに昼になってしまう。そして孫と遊んでいる内に昼になり、皆で昼ごはん。テレビを見たり、孫とパソコンをやっていると、たちまち夕方になる。
 そして食事をして、1時間くらいテレビを皆で見て、その後自室に入り布団に入り本を読む。
 これが毎日ほとんど変わらないパターンになっている。

 瑞葵はパソコン大好き
 それにしても長女の瑞葵はパソコンに慣れている。いつも私の部屋に来て、一緒にパソコンをやるのだが、すぐに覚えてしまう。まだ4歳なのに・・・。
 今日はアンパンマンなどの塗り絵のダウンロードをした。
 アンパンマンを検索して、塗り絵のHPを見つけ、画像を右クリックで保存し、その画像に名前を付けて印刷する。その作業をしばらくやっていて、塗り絵が10枚くらい出来た。
 4歳でそんなに出来るのが不思議だ。確かに私のやる事をじっと見ている。そして分かるとすぐに自分でやる。その内にパソコンを、教えて貰えるようになるのかな? やはり今時の子は昔と違うな。

 ファイト!!函館に掲載
 夕方、110ページもある、函館では充実したフリーペーパーの「ダテパー」スタッフが新年号を持ってきてくれた。今月号に私の記事が載っているのだ。
1月4日(日)  娘の旦那が帰札
 今日は妻の誕生祝いを買いにケーズ電機に行く。日替わり格安品が2日から出ていて、今日の4日はデジカメが出ていた。私と同じ機種で機能がアップされたものが、9800円と安かった。
 ちょうど妻のカメラが壊れて孫の写真が撮れないと言うので、プレゼントをカメラにしたのだ。
 先着20名限定で整理券が発行される。又いつもの様に、たくさん並んでいるんだろうなと思い、まあ有ったら買えば良いかと思い、開店時間の1時間後に行った。
 所がカメラはまだ10台くらいは残っていた、他にも液晶テレビやその他もろもろが残っていた。2日の限定日替わり品もまだ残っていた。
 そんなに売れないんだと思い、今年も大変な年になりそうだと実感した。カメラと売れ残っていた2GBのメモリーカード1枚680円を購入した。

 帰って娘が孫をおばあちゃんに合わせるというので、妻の妹の家にいる、おばあちゃんの所に行く。長男の友瑛を抱っこさせたら、泣いて泣いてしまった。長男は人見知るので、最初はなかなか大変だ。
 帰りにラーメン屋「北浜商店」に寄ったら超満員で溢れかえっていた。変えて「高橋屋」に行ったらここも超満員。ラーメン屋ってこんなに忙しんだ・・。
 仕方が無く、かなり前に行った事のあるラーメン屋に行ったらようやく入れた。

 夕方娘の旦那が電車で帰札。車は次回来た時に持って帰る。娘と孫は長期帰郷になる。当分賑やかな孫中心の生活が続く。
 娘がいれば私も気が楽で・・何処かに行こうと考えだす。
1月3日(土)  お年玉
 お正月なので、孫たちにもお年玉をやらなくてはならない。入れる袋はプリティキュアとアンパンマンとなり、昔の様なのしの付いた袋ではない。
 最初に長女の瑞葵に渡す。
 神妙に受け取る瑞葵
 「お年玉を渡します」と言うと「ありがとう」と、答えるがその意味は分かってはいないだろう。
 早速袋を開けて一言「5円だ!」 まだ大きさの単位は分からない。
 じぃじすかさず「じぃじの10円と交換しようか?」と言ったら、「いやだ!」
 単位は良く分からないが、価値観は感覚で分かるようだ。
 次に長男の友瑛に渡す。まだ赤ちゃんだ。手に取ったら、ぐちゃぐちゃにして、床にぽとりと落とした。本人にとっては有難さは分からない。おもちゃなら喜ぶだろうが・・。
 友瑛は興味はない
 これらのお金はお母さんが貯金してくれる。いずれ大ききなったら有効に使えるだろう。

 娘夫婦が買い物に行くと言うので、炬燵の電源コードを買ってくれるよう頼む。480円で売っていたのだ。これで炬燵も暖かくなり、暖房の温度を16度にを下げている我が家も、少しは温かくなるか。でも慣れって凄いのは寒さに徐々に慣れてくる。服を着れば十分に生活出来る。

 午後からみんなで温泉に行く。やはり混んでいた。冬になると温泉は人が多くなるし、正月休みは一層人が増える。男は妻の旦那と長男の友瑛が入る。友瑛をジェットバスに入れたら、驚いたのか不思議なのか表情が全く動かず固まっていた。
 今日も6人での賑やかな正月生活が終わった。
1月2日(金)  娘一家が来る
 午前中は昨日の登山の後遺症で、足腰が筋肉痛。久しぶりに45リットルのバックバッグを背負ったので、肩や背中が痛いと、のんびりテレビを見て日本茶をすすっていた。
 足の筋肉痛は登山よりも、31日に函館山からの下りを走ったのが原因だと思われる。

 午後になって札幌の娘夫婦と孫2人がやってきた。自分の部屋で仕事をしていたら、いきなり長女の瑞葵が「じぃじ!」と言って部屋に入って来た。「良く来たね」と行ったら「うん」とだけ言って出て行った。
 下に行ったら沢山の荷物と長男の友瑛が居た。
 前回札幌に行った時は、一目見ただけで大いに泣かれたが、今日はにこにこ顔でほっとした。今回は旦那は仕事の関係で一度札幌に戻るが、娘と孫は2週間くらいの長期に渡って滞在する。
 普段は老夫婦で、静かと言うか・・会話が無い言うか・・そんな状態の我が家も一転、賑やかで明るくなる。 
 長女はアンパンマンを卒業して、プリキュラと言う何か今風な、新たなキャラクターに嵌って、何やら沢山のグッズを持ってきている。
 説明されても、横文字が多くて何が何だか分からない。でもおもちゃの世界は楽しいアイデアが一杯ある。 
 何かに利用したら面白いだろうな。
 
 昨日はインターネットがつながらなくて、どうしたのかなと考えていたが、妻の部屋にあるモデムのPCランプが消えていた。外部から信号が来ていないと思い。プロバイダーに電話する。
 そうしたら、「ケーブルの接触が悪くないですか」と言う。パソコン側のケーブルを再度つなぎなおしたらランプが付いた。そんな事か・・。

1月1日(木)  初日の出を見に・・恵山に登る
 ここ数年、天気がどうも優れなく、初日の出は見ていない。今年の天気は・・と言うと、初日の出予想は太平洋側の、室蘭、襟裳岬、釧路である。函館は曇りで見えないという。
 それでも行く事にした。2009年の新年にあたり、やるぞ!という表現をしたかった。行先は過去にはまだ一度も見ていない恵山だ。
 予想は函館で表現されるが、この恵山も市町村合併で函館に編入された。函館からは40kmくらい離れた、太平洋に面している。何か出そうな予感がするのだ。
 大晦日は妻の妹の家で、おばあちゃんも含め、合同で忘年会をやろうとなった。今年はどちらの子供たちも年末に帰郷しない。今後は年寄りばかり集まって年越しをするしか無い。
 夜10時には私は家に帰った。仮眠して2時に山に出かける事にした。タイマーをセットして布団に入る。そして予定通り目が覚めた。3時間くらいだがぐっすり眠れた。
 車をスタートしたら、突然吹雪いてきた。う〜んこの雪が続けば厳しいなと思いながら車を走らせる。
 途中から雪は上がった。そして無事恵山に着いて、公園の駐車場に入れる。風が随分強い。そう言えば強風注意報が出ていた。
 ザックを背負い、MTBを押してスタート。夏は空いているゲートは閉まっているので、登山口までのアプローチが長い。
 最初は雪が全く無かったので、順調に進んだが、途中から雪の路面になった。斜度14%の登りが続く。寒いのだが汗ばんでくる。道はところどころ凍っていて滑る。
 1時間時間かかり上の駐車場に着く。ここから登山口まで30分かかった。
 いよいよ登りだ。いきなり吹き溜まりで30cmくらいの雪の中をずぶずぶと足を潜らして歩く。MTBはタイヤが埋まるので、前論を持ち上げて一歩一歩進む。今回は雪が少なかったのでスノーシューは車に置いてきた。
 高度を上げるに従って、南茅部や函館方面の明かりが見えてくる。年越しで賑わっているのか随分光が多い。
深い所で30cm程度中間地点
 途中から風がまともに当たるようになった。そのせいで地吹雪状態になる。寒さも風のせいで一段ときつくなった。空が少し明るくなってきた。雲が多く出ていて、初日の出は困難なかな?と思いつつ登る。
 やがて頂上に着いたが、先に神社に行く。ここまで3時間かかった。ここで上衣をすべて着替えた。汗でかなりの重さになっていた。着替えると暖かい。
 写真を撮ろうと三脚をセットして、シャッターを押すが、強風で何度も三脚が倒れてしまう。
 その内に、少しだけ朝日が出てきたが、それ程ではない。駄目かと諦めて、恵山山頂の看板の方に行った。写真を撮っていたら朝日が出てきた。まあまあの朝日だ。見れただけでも良かった。
三脚が何度も倒れて人は入れなかった。
ようやく写真が撮れた。
この後、突風が来て飛ばされそうに・・。
この辺りが感じが良かった。
 下りは、写真を撮りながら、ゆっくり下る。最初の14%の下りは、雪が積もっていたが、MTBは乗って進めた。こうなれば早い。一気に駐車場まで下りた。下りは2時間30分。合計5時間30分の登山だった。
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