6月30日(火) ついにデジカメダウン
 自転車旅の途中の秋田手前で、不調になったデジカメだが、メーカーに問い合わせたらレンズ部分の修理は一律12000円と言う事だった。
 故障は外の明るい所で写真を撮った場合、画像が真っ白になる。WEBサイトを調べたら絞りが不調で起きるようでCASIOのデジカメには良くあるようだ。
 12000円なら少し足せば、新しいのが買えるではないか。
 価格調査に町に出かける。リサイクルショップに同機種が8400円であった。今の機種でも満足なので良いのだが、信用出来るかどうかが定かでは無い。保障は3ヶ月付いているが・・・。
 コジマ・ヤマダ・ケーズ・ベストと各家電販売店を回る。当然今の機種は古いので絵店頭には無い。
 買うとすれば、バッテリーが同じ(予備が2ヶあるので勿体ない)、広角の24か28mmが良い。35mmは狭い所では画面に収まらない事が多くて苦労する。
 これだけの仕様で満足するのだが、バッテリーが同じなのはEX-Z300とEX-Z400しかない。
 価格はZ-300が1ヵ所にあり、店頭品で19800円、EZ-400は新品で24000円前後となっている。結構高いなと考えてしまう。
 家に帰ってパソコンで通販を見る。楽天市場に登録の札幌のショップがEZ-300で16000円。送料・代引き手数料が無料で最安値。今のより画質は静止画も動画もアップする。DVD製作に動画のHDは魅力的だ。サイズは1280×720なのでまあ良いだろう。
 パナソニックはHV(ハイビジョン)を出したが凄く綺麗だ。でも46000円と全く手が出ない。
 悩ましいこの頃だ。
 まあまあか?
 スタンプを作る。良く絵手紙などに赤い印鑑を押すと何となくかっこよく見える。それだけなのだが。
 軟い石のような材質のステックを削って完成。自転車の絵と名前の頭文字「も」を入れた。
 少しは恰好が付いたか?

6月29日(月) ボケてきたか?
 昨日の夜になって、財布とキャッシュカードと免許証が見えなくなり探した。居間から自室まで服やバッグなど全てを探したが見つからない。
 まあ明日で良いやと思いベッドに入ったが、何故か眠れない。7月4日には釧路に行くのに、免許証が無かったら、再発行などして貰わなくてはならない。如何にも大変だし、時間がかかりそうだ。
 12時を回ってもまだ探すが見つからない。
 いつ無くなったかを順を追って考える。27日の登山の時には無かったので、26日に不明になった。
 26日の行動を考える。MTBで袴腰岳・三角山を越えて赤川に下山した。下山して下の公園の自販機でジュースを飲んだ。鮮明に覚えている。家に帰る途中,果物屋に寄ったが林檎を置いてなかったので、買わずに帰る。家に着いてすぐに温泉に行く。温泉バッグに着替えと、財布(家の食費用)を入れる。自分の財布は入れたかな?とはっきりしない。
 しばらく考えたら、温泉の前の車の中で100円コインを出してポケットに入れた。ロッカー用である。財布は車に置かないからバッグに入れた。でもバッグを探したが見つからなかった。
 そうしたら、ロッカーに忘れたのか?でもバッグから出すはずがない。帰りにスーパーで買い物。エコバッグを持ってなかったから、着替えを出してバッグを持って買い物。その時車に落ちたのかなとここまで考えた。
 寝ようとしたらまだ寝れない。結局4時まで起きて寝た。
 起きたのは7時だった。車に行って中をチエックしたが無い。洗濯機の中をのぞくが無し。困ったな・・・。
 温泉バッグは2度も見た。でももう一度中に手を入れた。あっあっ・・・・た〜・・・。
 え〜2度も見たのに・・・焦って十分見なかったのかな?でも安心した。もうボケたくない!!

 午後から道新の久保記者が来た。色々な情報を話し合う。
 私の話題としてはMTB100座登山を目指している。50座登山で一度記事にしようかとなった。後は土方歳三の道を冬期270km走破する。これも記事にする事にした。後は歩いて日本縦断中の奈良県佐野実さんの取材。
 地平線会議のメンバーが青森ねぶたの後にゲストハウスに来たら取材。ここまで決めた。
 記者さんも毎日記事を書くので大変なんだろうな。

 先日、山であった自然公園の為、山道の草刈りが出来ない件については難しいらしい。関係者の要望を聞いてそれを官庁に行って話して、その結果を記事にするかどうかを決めるそうだが、双方の意見を聞き歩くので大変だな。
 問題点の調停も兼ねているような感じがする。一方的な記事は掛けないのだ。
6月28日(日) 雑用をこなして執筆も
 昨日・一昨日と山に登ったので、汗まみれの衣類が溜まっている。まあ疲れもあるし、今日は雑用をかたずけてのんびりぢようとなった。
 朝食は、御飯に目玉焼きとウィンナー、それにキャベツを沢山刻んで食べる。8年くらい前に、青森の病院で受けた、脳検査でキャベツは脳に良いよと言われ、なぜかキャベツをむしゃむしゃ食べるのが好きになった。
 我が家の妻の愛犬(実は娘が拾ってきたのだが・・)にもドッグフードと水をやる。尻の始末もしてやらなくてはならない。
 その後は洗濯だが、ベッド回りの物も一緒に洗濯をして、天気は良かったが面倒なので、部屋干しにしてしまった。
 そして居間に掃除機掛けをやって、ついでに掃除機も清掃する。
 明日は燃えるゴミの日なので、あちこちから集めたごみを有料袋に入れる。ゲストハウスにもゴミが溜まっていた。大袋に一つになった。主夫の仕事もやる事が沢山あるものだ。
 昼はカレーライス。まだまだ残っているので安心だ。

 午後は野球がある。これを見ながらパソコンをやる事にする。投稿用の原稿を書きながらテレビを見るが、どうしてもパソコンに気が行く。いつの間にか日ハムが雨でコールドゲーム負け。お陰で原稿も出来上がった。
 これが今日の一日だった。明日は北海道新聞の取材があり、資料を作らなければならないが、明日にしよう。ブログを書いたら20時過ぎ。早いな〜。
6月27日(土) 藪を漕いで鏡山へ
 カレー大好き人間だ
 朝の食事はカレーライスだ。妻はどちらかと言えばカレーはそれほど好みではない。そこで妻のいない時は必ずカレーを作る。カレー大好き人間で毎日食べても飽きない。
 当初は冷水岳に連れて行って貰う、予定だったが変更になり、鏡山に行く事になった。この山は私が興味を持っていた山だったが、登れるかどうかは分からないでいた。所が6/25の会合に参加したMさんが、登った事があると言われたので、行く事になったのである。
 参加者は冷水岳に行く予定だった、大野ぶんぽ研の仲間のNさんとKさんの女性と彼女たちの仲間の男性が1名だ。皆さんは多くの山を登っているベテランばかりだ。
 明治元年の箱館戦争の時、矢不来には台場があったが、新政府軍は山手と正面それに海岸と3方向から攻撃してきた。
 大鳥圭介の「南柯紀行」によれば
 「海岸は軍艦より飛び来る大弾雨の如くして・・・と海岸の守備から崩れた。山上にては身方一歩も退かず戦尚蘭なり。幸、額兵隊一小隊許り応援に来りしを以つて之を散開し戦ふ中、追々山手身方も引揚げ来る故、皆富川に帰り敗兵を収めしに、敵巳に尾撃しくりしによりて又有川に退きたり」と書かれている。
 この戦いの場になった鏡山を調査を兼ねて登山した。
 5万分の1の地図通りに、一ノ渡1号橋の傍に道があった。道は車が通れるくらい広く、細い道を想定していたがこれは楽勝だと思わせた。登りは緩やかで周囲の緑に囲まれて歩く道は森林浴だ。
 今日は気温が25度くらいまで上がるのだが、木々の影に入って日差しが遮られると、爽やかな風も心地よく順調に進んだ。
 右側が鏡山のピークだ
 どうやらこの車道は植林用としてか伐採用として作られたのであろう。植林された杉が林立している。
 所が道が行き止まりになる。
 植林された杉林の中を行く
 これは困ったが、山上の方向は分かる。杉林の中から急斜面を登って行く事になった。道は無いが杉林の中はまだ比較的歩きやすかった。
 所々には道であった事を伺わせる溝もある。それらを見ながら高度を上げて行く。
 斜面には土塁と思われる窪みが何ヶ所かあった。これだと断定は出来ないが、水原久雄が書いた絵の中には4ヵ所くらいの土塁がある。
 これが土塁なのか?
 この場所なら下から来る敵にとっては有利な場所で簡単には落とせないなと思う。
木々の中を進んだ道も無くなり、2mもある、笹の中を歩く。これが大変だった。
 笹をどの位漕いで歩いたのか?視界は全く無い。しばらく歩いたら上部の無い古木があり、登ってみたら周辺全体が笹で覆われている。
 熊の糞などがあったりする

 木に登ってピークを撮る
 その中で一番高そうな場所で2等三角点を探すが、笹の密集度が凄くて容易には見つからない。
 仕方がなく、下山する事にする。私が先頭に下ったのだが、左にずれていると言われる。山を登る人は道が明確でない所は、赤いテープを付けて迷わないようにするのだが、私はいつも土塁が無いかななどと見て歩くので、いつも登りとは違う道を歩く事が多い。いつも単独行だから良いのだが、山を登る人は同じ道を下って迷わないで下山するのが、鉄則なのだろう。
 下山方向には、下で見た景色があるので、どんどん下って行ったら、杉林に到着した。ここからは先ほど登って来た車道になる。
 すっかり汗をかいてしまった。アンダーパンツもぐしょぐしょになって、パンツの上まで濡れていた。
 下山後は湯ノ沢公園(オートキャンプ場)で昼食を食べてのんびりする。
 いつも単独こうなので、皆でわいわい言いながらの登山も良いものだ。
6月26日(金) MTBで山に出かける
 病院で何も問題がないと言われたら、何か元気が出て、MTBで山に行く事にした。気温は20度を超えるらしい。7時40分には、具無しおにぎり2ヶと5本のウィンナーを持って出発。
 今日のコースは袴腰岳から三角山を経由して、赤川に抜ける。もう40年くらい前に縦走した以来来ていないので、記憶がはっきりしていない。
 高速道路の側道を走る。国道から入れば入り口に看板があるのだが、側道を行ったら入る道を通り過ぎて七飯まで行ってしまった。
 戻って山への道に入る。緩い登りを走っていたら、後ろから来た車がハザードを点灯して停止した。そして窓から手を振る。誰だろう?と思って近づいたら、久根別のS子さんだった。横津岳から袴腰岳を往復するそうだ。
 彼女も本当に山好きだな。「お腹が随分引っ込んだね」と言われた。
 別れて再び登ったら、また後ろから来た車が止まって、人が降りてきた。「も〜さん頑張るね」と言って来たのは、北海道新聞の久保記者だった。取材で烏帽子岳に行くそうだ。某山岳会が、登山道の草刈りなどの整備をしているのだが、自然公園になったので、1本の草木も抜いたり、刈ったりは出来なくなったそうだ。
 その事を新聞社に取り上げて貰う依頼が来たようだ。
 確かに法律ではそうなっているようだ。以前危険な登山道があり、個人で修復したら逮捕されたと言う報道があった。厳しい法律に縛られた世界だな。
 私も経験があり、イベントで旧道を歩かせるのだが、そのコースにある邪魔な木の枝などを切るのに、関係役所から2人も来て、いちいちこの枝をどのくらい切るとか、話し合いながらやるので、えらい苦労をした。
 切ったのは、全て常識で判断できる程度のものであった。
 久保記者には、何度も取材でお世話になっている。少し立ち話をする。
 土方の道のほぼ全体が分かって、今まとめているという話をしたら、取材をしたいとなり、29日の1時に決めた。再び登る。
 函館山が霞んで見える
 暑さが増してきて汗が出る。真中あたりにあるゴルフ場のハウスが解体していた。不況なのかな?
 ゴルフ場を過ぎて、少し行ったら上からロードレーサーが降りてきた。挨拶をしてさらに登ったら、又ロードレーサーが降りてきた。
 「毛利さん」と言ったその人は七飯アルペンのスキーチームの仲間だった。ここでしばらく立ち話をする。先に降りた人も戻ってきて3人で話す。
 舗装路をひたすら登る
 結局登山ゲートに着いたのは、11時37分だった。家から約4時間も掛ってしまった。
 急斜面の舗装を目一杯登っていたら、上から車が来た。ゲート内だから関係者なのかと思ったら、久保さんが助手席に乗っていた。
 運転しているのは何処かの山岳会の幹部で取材の依頼者なのだろう。車が止まったのでMTBを降りるのに足を一杯伸ばして地面に着いたら、太ももが攣ってしまった。良くある事なのだ。
 少し話す。車を運転している人に年齢を聞かれたので65歳と答えたら、その方も65歳だった。「俺も頑張らなくては」と言っていた。
 袴腰岳に向かう平坦路を行く
 袴腰岳の分岐に着く。ここからは平坦な道が続く。調子良く走っていたら、向いの方からS子さんがやって来た。風が強いので座って話す。
 以前、殿様街道を歩きたいと言っていたので、行こうかとなった。もう1人の仲間のM子さんが仁山に登っているので、電話したらぎりぎりなのか通じなかった。S子さんはAUなのだが電波状態は良い。私のFOMAは圏外だった。
 別れて走る。道は平坦なので快調に走れるが、風が凄く強くなってきた。一度鞍部に下り再び登る。ここから道は一気に高度を上げて行く。最初はジグザグだったが、途中からは真っ直ぐに登る道になり、登りきったら頂上か?と思ったら、違っていてまだ先に頂上はあった。
 袴腰岳頂上

 もう一枚
 写真を撮り、おにぎりを食べて下山。今度は一気に高度を下げて行く。下の方になればMTBで走れる個所が多くなり楽しい。
 少し登って着いた所が三角山。ここからまた一気に下る。
 急斜面が過ぎればかなり乗れる場所が多く楽しく下れる。一気に車道に出てしまった。
 でもここから、登山口まで行かなくてはならない。余り良くない道を、乗ったり押したりしながら、登山口に着いた。アメダス登山口と言う。
 ここからはダートの車道で一気に下れる。気分は最高だ!
 登山口近くの川の藻が綺麗だった
 新中野ダムの横を通り下まで降りる。ここから町までも、下りになるので気分的には凄く楽だ。
 家に着いたのが16時15分。家を出て9時間近くも活動していた。
 でも疲れた〜。
 
6月25日(木) 病院に・・・・
 昨日の夕方5時半から、作家の合田一道さんとの懇親会に行って来た。数多くの本を出版している人気作家だ。元々は北海道新聞の記者だった事が分かった。
 新聞社を辞めて作家になったそうだ。話は多岐に渡ったが、その中でも仙台藩、額兵隊隊長の星洵太郎に興味があるようだった。
 さっそく名刺交換
 私も星洵太郎はかなり興味がある。土方歳三が幹部なので、戦果はどうしても土方の物になるのは仕方がないが、いつも先頭を切って戦うのは星だった。
 川汲峠の戦いでも、鶴の温泉(現川汲温泉)から敗走した箱館府兵を追って、1mの積雪がある川汲峠に追い詰めた。箱館府兵が逃げた後は、川汲峠は重要な場所であり、再び体制を立て直して、攻められれば五稜郭進出は困難になると、厳冬の川汲峠を徹夜で守った。
 大瀧での戦いでも難所を迂回し、松前藩を敗走させている。とにかく手柄の多い人物だった。
 話の後はフリーでの会話になった。私が星洵太郎の読んだ漢詩の「渡海」を読んだ場所について、1868年の月の出た方向から位置を割り出したと言ったら、「凄く興奮した、興味があると言ってくれた」。
 さらに冬の土方の歩いた道を、全コースあるくとの話には、是非結果を教えて欲しいと言われた。面白くなりそうだ。
 記念写真もばっちり
 また七飯に在住の郷土史研究家の長川さんが来ていた。以前から会いたかった人なので、早速話しかけた。箱館戦争初戦の峠下の戦いでの旧幕府軍の宿泊場所である。大畑屋や淡路屋の場所を聞きたかった。
 聞いたらすぐに分かった。大畑屋は私が考えていた場所と同じだった。淡路屋の場所は初めて知った。
 他に長坂杜峠の場所を聞いたら、峠は分からなかったが、新たな旧道が分かったので調査しよう。
 
 今日、病院に行く。足の痛みがなかなか引かなく、活動も出来ないので病院を変えた。3年くらい前に痛風になったが、その時の痛みに似ているのだ。でも酒も飲んでいないし、豪華な食事もしている訳では無い。
 採血し、レントゲンも取った。
 その結果は、レントゲンは全く異常が無い。先生も痛風の感じがすると言っていたので、痛風だろうなと思っていた。
 血液検査の結果を見たら、痛風の値を示すUAは4.9だった。基準値は3.6〜7.0の間で全く問題ない。
 検査で唯一HIGHTが出たのはCRPでこれは、今炎症を起こしているので高く出るそうで、炎症が無くなれば低くなるそうだ。結局湿布をして様子見になった。
 でmp検査結果を見て安心した。酒を止める前はいくつかの高い数値が有ったのだが、今回の検査では全て数値内に収まっていた。総コルステロールなどはオーバーしていたが今回は全く問題なし。
 足の痛いのは何が原因だろう? 少しづつは良くなっているのだが・・・。
 足は痛いが検査結果については嬉しかった。夕食は弾んで豚丼にした。肉は日本産のステーキなら最高な
 豪華な豚丼
のだが、アメリカ産の薄くて安いものだ。
 でもご飯の上にたっぷりキャベツを載せて、丼の端から肉がはみ出るように盛り付け大満足。
6月24日(水) 老人の仲間入り?
 妻が急遽釧路に行ったので、今日の行事「元気deサロンin昭和園」に出席する事になった。要するに昼の弁当を既に頼んでいたので、お金を払わなければならない。だから行ってお金を払って、ついでに弁当を食べてくればとなった。
 弁当だけ食べに行くのも、何かおかしいから最初から出席する事にした。会場は自宅のすぐそばにあるので、大儀ではない。10時に会場に行く。
 妻の代理で来ましたと言ったら、初めて来たので聞き取り事項があると言う。名前や生年月日や入院歴などを聞かれる。「普段転ぶ事はありますか?」「普通では無いが、自転車やスキーでは転びますよ」と言ったら、「普段から運動しているんですか?」と聞く。
 今日の恰好は短パンにサッカージャジィだ。「運動の前に血圧を図ります」と言われた。「少し高めですね」と言う。若い可愛い子なので上がったかな?と思ったが、妻の血圧も高い。普段より30くらい高かった。
 どうやら皆高めに出ているようで、他の人も「おかしいな・・・」と首を傾ける。
 今日の集まりの内容を見たら、60歳以上の、普段つまづきやすい人を対象にした、函館市の新規事業で、高齢者の生きがいと健康つくりだった。妻がこの講座に申し込んでいると言う事は、衰えて来ているのか、集団でわいわい楽しくやりたいのかは分からない。
 今日は60名くらい参加していた
 まずは準備体操。椅子に座ったままストレッチ体操をする。
 その後は、椅子に座り、立ってから5m先の椅子を回ってきてまた椅子に座る時間を計る。普通に歩いて終了。
 次に開眼片足上げ、右は足が痛いのでパスして利き足で無い左をやる。制限は60秒まで。軽くクリヤー。
 次に5mを歩く。急いでも良いのだが、そんなに急ぐ事も無いなと普通通り歩く。
 握力検査は右が45kgで、今日の最高値だった。後は体重や身長、体脂肪率などを測定し終了。
 最後にアンケートに答える。
 1.バスや電車で外出していますか?
 2.15分くらい続けて歩けますか?
 3.週に1回は外出していますか?
 など25項目が並ぶ。
 BMIの計算式が載っていた。BMI=体重(kg)÷身長(m)と・・間違っている。係りの人に体重÷身長÷身長ですよと教えてあげた。
 昼はお茶漬け
 食事はお茶ずけだった。昼食には丁度良い。楽しく終了。
 今は何とか元気だがいずれは、こんな行事に参加する破目になるのかな?
6月23日(火) 旅人出発
 旅人2人が今日出発した。札幌のK君は北海道を走るのを変更して、急遽秋田に行く事になった。秋田能代が実家だそうでそこまで走って戻ってくる。
 朝起きたらもう自転車は無かった。4時30分発のフェリーで言ったそうだ。昨日はI君と遅くまで話してから、パッキングしたのであまり寝ていないようだ。
 台所には彼が置いて行った、洗いかごがある。そして壁には水の節水に関する張り紙がしてある。調理の学校を出て調理関係の仕事をしていたので、その辺りのノウハウはあるのだ。
 毎日料理も作っていたが、やはりきっちりした調理は、私のような旅人とは違う。
 I君が出発した
 I君は北海道一周の旅に出かけた。函館に居た時には、周囲を観光しては戻ると言う事を繰り返していた。 バイクならではでゲストハウスをベースにしたので楽に沢山観光出来て良かったと言っていた。
 これから日本海側を走り、温泉に入りながら、富良野を経由し宗谷岬に行く。北海道は1ヶ月半滞在するそうだ。
 これでクッキングの種類が増えるかな
 昨日は4時に歯医者に行く予定だったが、すっかり忘れていたので、遅れても良いですか?と電話を入れたら、来ても良いが17人待っていると言う。これは大変だと途中の本屋に入る。
 棚にあった本に笊カ庫の本があった。アウトドアーや自転車関係の単行本がたくさん並んでいた。「のんびり自転車旅」「自転車と旅しよう」「旅好きオヤジの自転車巡礼記」などなど。
「・・・自転車巡礼記」をちらっと読んだが、20番鶴林寺については、こんな厳しい山道を自転車で行けるわけがないと、自転車を置いて登ったが、確かにきつかったが私は登った。あの時は筆者と同じ年だ。
 自分の旅も文書が上手いと、売り込めるのかなと思ったりするが、文書はなかなか上手く書けない。良い言葉が浮かんでこない。事務的な言葉ばかりなので、内容は面白くないだろうな。
 結局買ったのはシェルパ斉藤の「ワンバーナー簡単クッキング」。今まで何度も自炊はしているが何かワンパターンなので、少し他人の作り方を参考にしようと思った。31のレシピが載っていた。その他に野田さんやホーボージュンなどの他の旅人のレシピもあった。まあ参考になりそうだ。
 
 以前旅人との話で、ゲストハウスには多くの旅人が来る。その人たちの旅のレシピはそれぞれ個性があって面白く、それを本にまとめたら良いねとなった事があった。
 やはり実行に移すかな。この本よりは遥かに多いレシピが出来る。それをここに来る旅人に配ろうかな。少しでも参考になるかと思う。
6月22日(月) 妻、急遽釧路へ 
 土方歳三の史跡めぐりのミニカードが完成した。実に116枚になった。コンパクトで見ていて楽しいとは思うが反応はどうだろう。
 今、土方史跡めぐりカードを作っていて完成した。そしてなかなか出来ない、土方の歩いた道の詳細を書かなくてはならない。
 そんな事を考えている内に、土方の歩いた道をもう一度歩こうかなと言う気持ちになった。
 それも土方の歩いた12月5日出発で、道南の難所である、川汲峠、茶屋峠、白神峠、小砂子山道を含む267kmの冬道を歩く。これらの峠は調査で冬に登っているので、コースは分かる。
 テントや寝袋は冬用が無いので、旅館泊まりにしよう。それであれば重量も軽減されて、歩くのは楽になる。
 6年間の調査した結果の集大成をしよう。だんだん年もとって体力が低下するだろう、今ならまだ歩ける。
 前回の2007年の春の時は、雪の川汲峠や、未調査の白神山道の白神への下りは、歩いていない。
 そんな事を考えていた。

 そこへ娘から電話が入り、孫の友瑛が入院する事になった。瑞葵は幼稚園もあるし、当然1人で家には置けない。妻が釧路に行く事になった。
 航空券を手配し、函館空港を出発したが釧路空港は霧で降りられず、女満別空港に着陸。ここからはバスしか無い。3時間のバスの旅になってしまった。
 7月5日には釧路に行って瑞葵の運動会を応援する予定だったので、その日まで妻は釧路に居る事になるだろう。
 一人生活が始まる。


 宗谷岬をスタートして1日目にして、キャリアが壊れたSさんだが、親切な「稚内サイクル」のお陰で直ったそうだ。良かった良かった。
6月21日(日) 父の日の贈り物
 毎年嬉しい心使いだ。
 今年も父の日がやってきて、娘からの贈り物が届いた。毎年贈ってくれるが、今年はひまわりの花とお菓子だった。家族みんなが風邪を引いて、何処にも出れないのでと、WEBサイトからの注文だった。
 ひまわりが来たからなのか、毎日ぐずついていた天気だったが、久しぶりの太陽が出た。

 我が家に来ている旅人の1人は、ママチャリで川汲を越えて鹿部まで行き、戻ってくると言う100kmオーバーの日帰りの旅に出かけた。帰って直ぐに疲れも見せずに、函館山の夜景を見に出かけた。若者はタフだ。こんな元気なのを見ていると、自分も頑張らなくてはと元気がわく。
 もう1人のバイクの旅人は、足の治療で今日もあまりハードな事はしていない。我が家に来る前に、千軒岳のオフロードをバイクで走って道を間違え、11時間もさまよい歩いたそうだ。足が腫れていて骨も痛いそうで湿布をしている。大分良くなって今日は歩いて函館山に登り、夜景を見に行くそうだ。
 それぞれが旅を大いに楽しんでいる。

 もう1人の歩いて日本縦断の奈良のSさんは宗谷岬をスタートしたのだが、キャリアが1日目に車輪のシャフトが折れてしまったので、修理するまで旅は中断になった。
 私も1台目のキャリアのシャフトが折れた経験があり、2台目は焼きの入ったシャフトを使った。
 Sさんのキャリアの写真を見て、車輪の格納部分の構造が弱そうだったので心配していたが・・・。
 自転車屋に持って行ったら、そんなの直せないと言われたそうで、自転車屋じゃ直せないだろうな。我が家に来れば何とかなるのだが稚内は遠すぎる。
6月20日(土) 山崎美緒さん講演会
 山崎美緒さんの講演会を聞きに行く。チャリで出発して30分前に到着した。美緒さんは食事に出て居なかった。ロビーにいた女性の関係者と話す。
 話していたら「テレビに出ませんでした?」と聞かれ「出ましたよ」と言ったら、「あのテレビには感動しました」と言ってくれた。お世辞でも嬉しい。名刺交換したらJICA国際協力推進人の旭川のIさんだった。
 美緒さんが戻って来た。美緒さんは私も知っている、山田君と目出度く入籍したので、ささやかなお祝の品を渡す。
 手振り身振りでトークする
講演会は50人の会場が一杯になった。90%は女性だった。
 大阪弁の混じった軽快なトークは相変わらず人を引きつける。
 話は日本一周から始まった。アフリカに行く前に自転車旅の実績を付けて、アフリカ行きについて、両親を説得するためだった。
 笑顔も素敵です
 旅費を計算したら、食費が一番掛る。その時丁度見たテレビに吉野家の社長が映っていた。BS感染で牛丼を止め豚丼に切り替えた時だった。これだと感じた彼女は早速社長に手紙を書いた。
 豚丼が如何に体に良いか等など書いて、女子大生らしい?可愛い封書で送った。3日後電話が来て、全国の吉野家の食事が無料になった。さらに丼ばかりだとカロリーも偏るので、大塚製薬に手紙を書いて、大量のカロリーメイトを入手した。
 会場は女性が多かった
 そして日本一周6000kmを5万円で達成した。旅の途中でこずかいをくれる人もいてそれが、2万円も入った。結局3万円で日本一周をしてしまった。
 そしてアフリカ縦断。頭は丸坊主にして胸にさらしを巻いた。男とは違う危険があるというのでそんな事をしたが、彼女は積極的に町の人と仲良くなり、友達になる事で危険を回避する方法を取った。
 結果、日本人女性で初めてアフリカをMTBで縦断した。
 今は中東を自転車で回る、フォローザウィメンの日代表で、仕事も辞め独立した。世界28ヶ国から女性が200名集まってツアーをするが、日本からは女子20名を連れて行く。その内の8名が道南の女性だそうだ。
 彼女の3つの思いは
 常に感謝する事。1人では何も出来ない大きな周りの支えにいつも感謝。
 思いを強く持つ。何かやろうと思ったらその思いを強く持って実現する。
 楽しくやる。雨でも楽しいと思ったら大丈夫。
 今後の予定は9月27日は函館でフォローザウィメンの壮行会がある。彼女は東北辺りからMTBで走って来て函館入りする。一緒に走る事になりそうだ。
 そして大阪池田市の市長に立候補し市長になると皆の前で宣言。彼女ならきっとやりそうだ。
6月19日(金) 旅人2人来る
 午前中はカード作り。約150枚くらいの土方歳三と箱館戦争関連の史跡めぐりカードが完成した。
 電話が来て今日の宿泊希望が入った。午後から来るそうで、今日はチャリのKさんと二人の宿泊になる。
 指定した土方歳三記念館に着いたとの電話でチャリで行くと人がいない。よくよく聞いたら土方歳三最後の地碑の方に行っていた。
 チャリでそちらに向かい会えた。群馬からバイクで来て、これから北海道を回るIさんだった。土方歳三記念館を教えそちらで再会しようとなった。
 チャリの方が早く着いて待っていたら、バイクが通り過ぎた。電話して戻って貰う。そこにまた電話が来てKさんがママチャリでやって来た。
 それを見たIさんは、松前で会った人だとなり、ここで再会を果たす。
 ゲストハウスに行き荷ほどきをしてしばらく話す。レンガ倉庫とラッキーピエロにIさんは行く。Kさんはかなりの幕末ファンだった。四稜郭に行きたいと言うので車で行く。ついでに権現台場や土方歳三最後の地之碑に行ってから帰宅。
 今日の夕食。良い匂いがしていた。

 左がIさん。右がKさん。
 今日の夕食はKさんが作るそうだ。料理専門学校を出ているので料理は得意そうだ。米は新潟のコヒヒカリだった。ゲストハウスでは初めての高級米かな。
 作ったご飯はひき肉ともやし、知内のニラなどが入った丼だった。あったかいご飯に載せて出来上がり。
 食事後は遅くまで話す。Kさんが、今度お父さんが函館に来るので、その時このゲストハウスを紹介して良いかと言うので、良いよと答えた。
 何で来るのと聞いたら、自家用機で来るそうだ。めちゃくちゃ凄いな。免許は勿論の事、飛行機も持っているそうだ。Kさんが持っているカメラもお父さんから貰ったと言う、EOS KISS DEDITALだった。
6月18日(木) カード製作&カラオケをいじる
 昨日に引き続きカード作りに熱中した。午前中で80枚になった。残り20枚を作って終了としよう。今日も最高気温が15度と肌寒い。「リラ冷え」と言う言葉があるが、このリラはフランス語でライラックを表すそうだ。
 どうも札幌の事だとのイメージがあるのだ。札幌ではライラック祭りなども行っている。でも調べたら函館にもライラックはあちこちにあった。
 夏が来る前兆とも言えるので、少しの我慢で北海道にも大好きな夏が来る。

 午後から妻の付き合いで妻の実家の家庭菜園に行く。菜園は妻がするので、私は実家にあったカラオケのアンプをいじる。聞いた事が無いので、本当に音が出るのか分からない。
 おまけに葬儀の時に子供がカセットの蓋を壊してしまっている。
 配線をして、1個だけあったカセットを入れて鳴らしてみたら、良い音がする。35Wの大きなスピーカーが付いている。今ではミニコンポでもこの程度の出力は出るだろう。
 次にレーザーディスクを動かそうとしたが、アンプとレーザーディスクを繋ぐ音声ケーブルが無かったので、音を出せなかった。これはこの次だ。
 レーザーディスクの音が出たら、普段はしないカラオケでもやろうかな。60枚くらいのレーザーディスクの音楽は演歌で殆ど知っている懐かしいものだった。
 帰りにしんわの湯の温泉でまったりする。のんびりした一日だった。

 日本縦断歩き旅のSさんのキャリアの写真です。今頃北海道に向かうフェリーの中かな。
 私の作ったキャリアをりアレンジしたそうです。やはり日本一周となるので少しヘビィになったようだが、平地が殆どなので多少の重さは問題ないだろう。
 リヤカーの小型版的なイメージになった。
 ショルダーにはベルトがある。これは便利かも。
 空気入れも取り付けている。












 背負う事も出来るのは私と同じ。
 車輪はリンク状の金具があるのでワンタッチで上にあがるようだ。
 位置も良い所だ。腕を振っても車輪が当たらない。
 これは加工機械が居るので私には無理だ。
 フライすとボール盤があれば・・・・。
 担ぐのは重そうだが・・・。










 休憩する時は立てれる。そしてテーブルもあり、食事も出来そう日本縦断なら良いかも。
 椅子まで持参だ。
6月17日(水) 一日中パソコンに向かう
 2日もMTBで走ったら、全身がだるい。やっぱり歳だなと感じてしまう。特に昨日の函館山を上まで登ったのが効いて足の筋肉が張っている。
 今日はパソコンをやろうと決めた。作りたかったのは名刺だ。
 箱館戦争や土方歳三の一般的な史跡などの写真集などはあるが、私の所にはかなりの写真があって、それもマニアックなファンには嬉しいような写真がある。
 これを100枚選択し、名刺の裏の写真として使って貰えれば良いかなと考えた。
 名刺の名前部分はプリンターで印刷すれば良い。名刺用カードにしたのだが、これを100円ショップにある名刺用の透明ケースに入れて眺めても良いのではないか。 こんな感じで出来た
 写真の端には簡単な説明も付けた。どんな反応があるだろうか?
 今日一日で50種類くらいは作成した。

 奈良のSさんからメールが来て、今日、日本縦断の歩き旅に出発するそうだ。Sさんは私が出演たテレビの「人生の楽園」でほんの一瞬しか出なかった、私が製作した「土方歳三蝦夷の道&箱館戦争」の本の表紙を見て、これだと思い飛行機で函館に飛んできた。
 歩き旅用のキャリアが気に入ったのだ。今まではリヤカーで歩いていたが、私の作ったキャリアで歩きたいとなったそうで、我が家に来て寸法や構造の写真を撮って帰った。
 自分では作れないので業者に発注するそうだが、どんな物に仕上がったのだろう。興味がある。
 日本縦断は稚内の宗谷岬まで飛行機&電車で行き、そこから南下するそうだ。
 函館には7月20日到着予定なので待ち遠しい。
6月16日(火) MTBで入江山・地蔵山巡り
 今日は函館山に行く。函館山は山全体の通称で、函館山と言う名称の山は無く、いくつかの山がある。その中の入江山と地蔵山を巡ろうとなった。
 旧道の登山道を登って、入江山に行き、尾根を地蔵山に行き、七曲りコースを下る。
 自宅からMTBで走る。登山口は山の裾野にあり、位置も高い。登山口前の急斜面の舗装路をクリヤーして登山口のある駐車場に着く。
 ここからはMTBを押して階段道を行く。そしてダートの旧道である登山道に入る。
 この道は整備されて幅も十分に広くて登りやすい。欠点を言えば道を横切る溝がある事だ。雨水を流すために入れているのだろうが、これをMTBに乗ってクリヤーしなければならないが、結構な数の溝が入っている。  登山道に入って、すぐにMTBに乗る。20mも行ったら上から女性2人が降りてきた。「自転車で登るの!」「はい」と答え黙々と登る。
 1本目のカーブを曲った時に、上から大きな声が聞こえる。集団で来たなと思い、2つ目のカーブを曲がったら、7人くらいのおばちゃんが来た。
 それは大変だ。一斉に「旦那さん頑張るね!」「自転車で上まで行くの?」「凄いね!」などなど同時に複数の声なので聞くのも大変だ。通過した後からも、後ろから何か言っていた。
 ほっとしてまた登る。今度はご夫婦が来た。
 ここが5合目

 入江山から町が見えた
 ようやく5合目に到着した。ここから道は2手に分かれるが右を進む。
 以前登った時にこの先で、登れなくて足を着いた事があった。今日はどうだろうかと登って行ったが、何無くクリヤー出来た。減量のせいかな?
 以前より登るのが楽になっている。駐車場に着いてそのまま平坦な道を入江山に向かう。
 この入江山は箱館戦争の時に新選組が守備していた砲台があったのだ。
 さらに、明治32年(1899年)に要塞地帯法が制定され、舞鶴、佐世保、呉、芸予(呉の対岸)などの軍港を中心に要塞が設置されることとなった。函館の砲台もその時に作られた。
 やはり見通しの良い場所は時代を問わず、砲台が設置されるのだろう。
 入江山で
 細い道の両側にはツツジが綺麗に咲いていた。
 入江山に着いたら、ご夫婦が居た。また「自転車で登って来たの?」と聞かれる。それにしても函館山は手軽に登山を楽しめる山なので登山者は多い。
 雲が立ち込めていたのが、さっと引けて函館市市街地も見えてきた。
 ご夫婦が先に出発する。しばらくしてから出発したのだが追いついた。
 入江山から千畳敷見晴所までは尾根の自動車道(一般車は通行不可)なので、MTBには好都合だ。横を抜いて行ったら、奥さんが笑っていた。良いな〜と言った雰囲気だった。
 途中で観光客らしい年配の男性に道を聞かれる。展望台から歩いて千畳敷きまで行ったのだが、帰り道が分からなくなった。教えてあげて分かれる。
 あっという間に見晴所に着いた。ここにもご夫婦が居た。
 最近天気が悪くてなかなか山に来れずにいたが、今日は久しぶりの登山だと言っていた。しばらく話をしている中で、これから七曲りを下ると言ったら、以前にもMTBで七曲りを下る人を見たそうだ。
 まだMTB登山をやっている人がいるのかな?私も以前に下っているが、まさか私の事でないだろうな。
 地蔵山で
 七曲りは岩がごろごろありなかなか乗って降りれない。ブレーキを一杯掛けながら下るよりは歩いた方が早いような道だ。
 七曲りの下り
 やっと下に着いた。ここから家まで走る。
6月15日(月) 道に迷い袴腰岳には行けず
 曇り空の中、朝7時50分にはMTBで家を出た。今日は家から走って登山口まで行き、そこから押して登ろうと考えた。袴腰岳に行くのは約40年ぶりになるだろう。
 若い時に、砂原岳、駒ケ岳、七飯岳、横津岳、烏帽子岳、袴腰岳を山岳会の行事で縦走した。それ以来の事なので道の記憶は僅かにしか無い。
 町の中をMTBで走るが、通勤通学時間帯だったので、混んでいて走りにくい。ようやく町の騒音から逃れると、緩やかな登りが延々と新中野ダムまで続く。ここまでで1時間11分かかった。道は舗装道路の登りになりダムの管理事務所に着く。
 ここからダートになる。道は良いがたまには急な道もあり、乗ったり押したりを繰り返す。
 ダートの途中には分岐があり、赤沼神社の参道方向に行けば良い。
 その分岐も標識が無くなる。
 ここを左に行ったが、真っすぐで良かった。
 砂利の入った道は左に大きく曲がっている。真っ直ぐの道は荒れている。
 ガイドブックを見ても良く分からない。
 左の良い道に行く。かなりの時間歩いて高度も上がって来た。所がここに車止めがある。そして道は人が一人歩ける程度の細い道になる。ここなのかな?と半信半疑で進とやがて両側笹が覆っていて、道を完全に塞いでいた。戻るしか無い。
 ここまでダムから1時間10分も走っている。
 戻って先ほどの分岐を真っ直ぐに進む。最初は荒れていた道だが、少し行くと締まった道になった。
 そして再び分岐がある。標識は無い。右手に行ったがどうやら参道のようでここではなさそうだ。
 戻って左の道を行く。
 車道をしばらく走ったら、左手に登山道らしきものが見える。ここだなとなったが、ここにも標識が無い。
 ここまでで時間をかなり費やし、昼になってしまった。
 袴腰岳までは標準時間で2時間30分かかる。MTBを押すと3時間にはなるだろう。
 下りを2時間30分として、5時間30分になる。
 順調に登っても下れば夕方で家に着くのは6時を過ぎる。
 今日は諦めてまた出直そう。
 帰る途中に山菜採りのご夫婦に会った。道を聞いたら、先ほど登山口だと思った場所からも行けるが、さらに上まで車で行けるそうだ。
 これで分かった。今度再挑戦だ。
 自宅近くの果物屋リンゴの「ふじ」があり、ビニールに4個入って150円と安かった。キズものらしいが外観はさほどでもないので2袋購入した。
 私の泥だらけの、バイク用の上下のウェアを見て、「何処に行って来たの?」と聞かれ赤川の山に行って来ましたと言ったら、「泥だらけでも良いよ・・カッコいいよ」とお世辞?かな。
 店に来ていたおばあちゃんも「頑張るね、毎日行っているの?」と聞かれ、「いえいえ時々ですよ」と答え早々に立ち去る。
6月14日(日) 寒い日
 どうも寒い日になると活動が鈍る。冬の寒さの中でも山に行っているのだから、気温が14度なら全く平気だと思うのだが、やはり体が春気温に慣れているので寒く感じる。
 午前中は旧道の執筆に熱中するが、時間の経つのは早く、あっという間に昼になる。書いたのは10ページくらいだ。これではなかなか進まないが仕方がない。
 それでも続けていれば、いつかは終わるだろうと楽観主義になっている。
 午後も続ければ良いのだが、日曜日の午後は日ハムの試合中継がある。
 これは見なくてはならない。初回に4点も取ったので、今日は楽に見れるかと思ったら、すぐに9点を取られてしまう。これは素人が見てもピッチャーの交代だった。
 5点目を取られて逆転された時は、キャッチャーの構えている所には行かないし、打たれては四球を出す繰り返しで最悪パターン。
 早く2軍から上がった江尻を出せば良いのにと言っていたら、4点も取られた後で江尻を出した。
 ここで出すなら・・・と思ったがもう遅かった。後半日ハムは追い上げて1点差まで迫ったが負けてしまった。 
 投手交代が遅かった!
 これで今日の一日は終わってしまった。
 夕方電話が来た。松前原口の佐々木さんからだった。
 話は社会教育関連の本に投稿を依頼されて記事を書いたのだが、その本が出来上がった。
 そこで完成祝賀会的な事をやる事になったが、取りまとめをしていた人が二人とも癌になってしまって出席出来ないので、どうするか検討している。教育委員会は代理でも良いから出席して貰い、何とか会を開催したいとの事だった。
 さらに、廃校になった小学校を教育活動の拠点にしたが、活動内容はいま一つなので何とかしたい。そこで当日パネルデスカッションも合わせでやるので、毛利さんもパネラーで出て欲しいとの事だった。
 小学校の活用か・・・。何かネタはあるかな。
 そこのHPを除いて見た。研修内容は山登り500円、海岸散歩500円、浜の料理1000円、テント泊800円などなど。少し高いような気がする。
 さらに利用する方は松前の教育委員会まで来て、打ち合わせする事が条件になっていた。
 函館から100km離れた松前町に、研修の打ち合わせに行くかな?
 30人とかの団体なら行くかもしれないが、友人数人と行くのに事前打ち合わせか・・・。何かおかしい。
 メールとか電話とか現代社会には打ち合わせする手段はあるだろうと思う。
 明日は足の痛みも無くなったので、山にでも行くかな。気温は17度まで上がるし、曇りなので登りやすいだろう。MTBの調子も試してみたい。
6月13日(土) 烏賊墨染め講習会
 新聞に烏賊染め墨講習会の記事が載った時、これだ!となり、早速申し込んだ。妻も参加したいと言うので2人分申し込んだ。
 青森ねぶたに6年参加しているが、浴衣が古くなってきたのと、市販の浴衣のデザインは多くの人が来ているので、何とかオリジナルのデザインで作りたかった。
 でも染める方法は分からなかったので、それ以上進んではいなかった。でも烏賊墨染めで浴衣が出来るのかは行ってみなければ分からない。
 でも函館の海産物のナンバーワンは烏賊である。これも烏賊墨が良いのではないかと思った理由でもある。
 FAXで申し込んだのだが、受けたと言う返事が来ないので、昨日電話したら、申し込みは受け付けてあり、白い布と筆があれば良いとの返事だった。
 講師は版画家の平方亮一さんだった。私が最初に勤務した函館ドックの先輩で、私と同じ時期に希望退職で会社を去った。その後版画家として、函館では知れていた。
 どうもしばらくと中に入る。受講生は8人だった。
 講師が過去に作った作品を並べた。セピア色のデザインはなかなか良い味が出ていたので、これはいけると言う感触を最初に得た。
 まずはMTBの絵を描いてみた

 そしてLOVEの文字と合体させた

 フィルムをカットした

 ローラーで烏賊墨を塗る

 これで完成。布が適して居なく少し染みた
 必要な道具は、電話で言われた他に、カッターナイフや書き物が必要だった。そんな話は聞いてないと言ったら、何処からか調達してくれた。
 作り方は初めての経験で全く分からない。まずは気に入ったデザインの絵柄を描いて、その絵の上にフィルムを置いて、カッターで切って行く。
 注意する点は、Oなどはカッターで切れば、中が抜けてしまうので、落ちないような支えが必要になる。
 デザインのサンプル本も回って来たが、花などのありふれたものが多い。女性には好まれるようだが、私には合わない。
 やはり自転車を入れたい。まずは白紙に自転車の絵を描く。でもこれだけでは何か詰まらない。LOVEの文字を入れよう。自転車大好きの意だ。
 LOVEのOの所をタイヤにしようと決めて絵を描く。
 出来た絵の上にフィルムを置いてカッターで切る。あっという間に一番最初に出来てしまった。講師はもうやるかと烏賊墨を持って来た。
 そしてボトル内の墨をボトル混ぜようと、ボトルを振ったら、キャップが閉まっていなかった。
 墨が飛び散る。私の黒のウィンドウレーカーにも掛るし、床のマットも墨だらけになった。
 水で洗えば良いと誰かが言ったのでマットを持ってトイレに行き、洗い場で洗ったら何とか落ちた。一件落着である。
 染は白い布の上にカットしたフィルムを置いて、その上から烏賊墨を浸したローラーで塗る。これでセピア色の色が付く。
 その後、アイロンで加熱すれば、烏賊墨は洗濯しても落ちない。
 完成したが、布の種類がガーゼっぽいものだったので、少し染みて広がってしまった。他の人は白いTシャツなどを持ってきて、染めていたが綺麗な色が出て、染み込む事も無かった。
 生地の選択も出来あがりに大きく左右する。
 十分満足出来、浴衣も間違いなくオリジナルで出来る確信を得た。
 トーストサンドセット
 昼は講習会場の函館市地域交流まちづくりセンターの1Fにある、喫茶コーナーのcafeオタジィラに行く。
 オタジィラは何か外国語っぽいのですが、アルファベットで書くと、ota(g)ira となり、後ろから、ローマ字で読むと“ありがとう”になる。スタッフは女性でおしゃれなデザインの和服を着ているという、何か雰囲気がとても良いのです。
 トーストサンドセットにはサラダが付いており、函館近郊の厚沢部で作られた無農薬のベリーリーフが付いていました。
 
 午後の部は、出来上がった皆の作品を染めて終了しました。
 すごく楽しい一日でした。
6月12日(金) 色々雑多な日
 朝ベッドで目覚めるのは、カーテンのしていない窓が明るくなるからだ。今日は晴れだなと思いつつ起きて、まずは新聞を読む。 この地域の新聞は配達時間が超速くて、4時過ぎには郵便受けに入っている。
 私にとっては凄くありがたい。
 じっくり読んだ後は、パソコンに向かう。再開した旧道に関する執筆作業を始める。8時頃まで作業をして朝食を食べる。
 今日は函館の西の方にある「北海道国際交流センター」までチャリで走る。天気が良くて気分は最高。寒そうだったので着てきたウィンドブレーカーは邪魔になって来た。
 センターに着いたら若者の外国人グループが数グループ見学していた。国際交流の集いもあるので、その下見なのかな。外見からすると国もまちまちのようだ。日本語で案内していたので留学生なのだろう。
 事務所に行ったら、事務局長の池田さんが「やあ〜と」椅子から立ちあがって来た。前回、山崎美緒さんが函館に来た時も、彼が世話をしていた。
 山崎美緒さんの講演やアフリカ太鼓の講演のチケットを購入し、しばらく雑談をする。外に出ると流石に暑くなりウィンドブレーカーを脱いで帰宅。

 日ハムの2軍戦のテレビ中継を見ながら、朝に執筆した旧道の原稿をチエックする。
 2軍には少し前には1軍に登録されていた選手もいた。2軍では流石に良い成績だが、今の日ハムの1軍は好調で、ポジションがなかなか無い。そんな状況でも出番を待って必死にやらなければならない。
 プロ野球の厳しさが伝わる。そして19歳とか20歳の新人も凄く出ている。この中から1軍に上がっていかなければならない。4〜5年も2軍に居たら、1軍に上がるチャンスはどんどん遠くなるのだろうな。
 早く1軍に上がり、その少ないチャンスに結果を出さなければならない。プロは厳しい!
 この斜面で練習
 夕方にはチエックも終わったので、MTBで出かける。ダウンヒル用に色々変更したがまだ試してはいない。何処に斜面がないかなと探しながら、湯川温泉方向に行った。山までは結構あるし何処か小さな斜面でも無いかなと探したら、ラグビー場があり、その端の方に芝生だが表面が凸凹の綺麗に整地されない斜面があった。
 斜面は結構な斜度はあるのだが、いかんせん短いのが難点。あっという間に降りてしまう。まあそれでも練習だから徐々に慣れる事からやって行こうと来り返す。
 慣れれば最初は急に感じた斜面も徐々に感じなくなる。ここに慣れたらまた違う場所を捜せば良い。MTBの調子は良いようだ。後はダートでのブレーキの効きを試したい。
6月11日(木) MTB整備完了&執筆作業
 完成したMTB
 昨日から天気予報は雨だと分かっていたので、今日は午前中はMTBの整備。昨日手に入れたシフトワイヤーの張替とヘッドパーツのボルト交換。
 いつもながらの作業なので順調に整備は完了した。サドルも硬いものから軟いものに交換した。これでもう多分大丈夫だろう。

 午後からはしばらく手を付けていなかった、旧道の執筆作業を4時間やる。やはりパソコンに向かうのは疲れるが、気合いを入れてやらなくては・・。雨の日は外に出るのを諦めるので、まだストレスはたまらない。

 6月20日に国際交流センターで講演する、山崎美緒さんのパンフレットがあった。アフリカ縦断MTB娘の講演は大阪弁で快活で楽しいですよ。
 函館の自転車ファンやアフリカに関心のある方には是非聞いて欲しいですね。入場料500円です。
 私と同じ地平線会議野宿党でもあります。

 もう1人の話題は同じ地平線会議野宿党の○子さんが会社を辞めて、剣岳の近くの剣山荘の山小屋で働くとメールが来た。最近話題になっている映画「剣岳」の舞台である、北アルプス剣岳で働けるというのは、勿論厳しさはあるとは思うが、自分としては何か羨ましい感じがする。
 私はもう高齢だし、山小屋で使える特技も無いので、この様な事は叶う事は無いだろうな。
 彼女は大学でワンゲル部に所属していたし、社会人になってからも、いつも北アルプスに登っていたので、庭みたいなものだろう。たまに送ってくる写メールは私の登っている山とは、全く異質のものでいつも美しい。
 毎日山の上で北アルプス連峰を眺める生活も悪くは無いのだろうな。
 も〜さん遊びに来てと言われてるが、行けるかな?
 元気で頑張って欲しい。
6月10日(水) 箱館戦争戦死者追悼会&史跡巡り
 先月の道東MTB登山で7番目の山を登った後、足が痛くなった。釧路に居た時なので、函館に帰ってから治療しようと思っていたのだ、戻ってきてからも忙しく。病院に行かずにいた。
 痛みの方も少なくなったのだが、スキーで痛めた足に使う湿布薬も無くなったので、病院に行く事にした。
 今日は折りたたみバイクで行く。病院は某総合病院。先生は知り合いのN先生。
 整形外科は、今まで他の診療科とは離れたエリアに居たので、待っている人の人数などが分かったのだが、場所が移転して、外科や内科と一緒の待合室スペースになっていた。 
 待合スペースには大勢の人がいた。これでは整形外科の患者が何人いるか分からない。
 診察カードを出して待つ。3人目に呼ばれたのでこれは早い。ここはおおむね早く診察して貰える。
 診察室の中に入る。
 「やあ元気だったか?」
 「はい元気にやっています。足が痛くて・・それにスキーで痛めた足の湿布薬が無くなったので・・」
 「じゃあ薬と湿布を出しておくよ。湿布薬は多い方が良いんだろう」
 「はい。」
 この間僅か1〜2分程度で終わった。かなりシンプルだ。
 それでも病院での清算と薬局での薬の受取には40分もかかった。
 薬局は処方箋を出して、一度帰って後で薬を取りに来てくる人が多いので、○○さ〜んと呼んでもいない。 
 後で受け取る人の薬も順番に作るので、待っている人の分も順番になる。何度も何度も居ない人の名前が呼ばれ、人待ちの薬を入れる棚には薬が増えて行く。
 最初から分かっているなら、直ぐに受け取る人と、後で受け取る人の処方順番を変えるとかの、工夫があれば良いと思うのだが・・。
 薬を受け取って出発。まずはホームセンターに寄って、自転車のシフトワイヤーとヘッドキャップ用のボルトを購入。さらに国道5号線を大中山に向けて走る。
 このボリュームで500円
 ここで腹も減ったので昼食にする。昔勤務していた会社の近くの食堂で、日曜出勤の時など利用していた。
 注文したのは串カツ定食で500円と安い。所が出て来るまで少し時間がかかった。
 食べ終えたら、追悼会の集合時間まで残り、26分しか無い。
 今いる場所から相当ある。ここから一気に漕ぎ出す。食事を終えたばかりなのに・・・。
 汗も噴き出るし、足も張ってくる。そして26分漕ぎっぱなしで、北斗市公民館に到着。バスはまだ居て間に合った。会長と副会長が公民館から出てきて、これからバスに乗るところだった。
 バスに乗っても汗が止まらない。

 追悼会は34名の参加だった。今年で31回目になるので31年も継続している事になる。さらに今年は箱館戦争終結140年の節目になる。
 バスは天狗岳の麓に到着。天狗岳は箱館戦争の際、旧幕府軍の前線基地があった場所で、塹壕があったとされている。
 清水三四郎碑の前での説明
 でもここでは清水三四郎の追悼。役場の人で書類が不足したので、箱館まで取りに行き、80kmを24Hrで歩き、吹雪のこの場所で遭難死した。
 案内看板が新しくなった
 二股台場での説明
 二股台場の慰霊碑
 この後、二股台場に行く。もう何度も登った道だ。この時期は緑が一層鮮やかになっていた。この二股台場に俳句の看板が建てられた。昨年発刊された「函館俳壇史録」に載っていた「シノピリカ いずこを見ても 蝦夷の月」とあり土方歳三が読んだとあるが、出典元など全く不明だ。
 新撰組に関する情報はメーリングで全国に発信しているが、新選組ファンや土方歳三ファンも、全く聞いた事が無いとの返事がきた。
 作家の釣洋一さんは根拠の無いものは、全く価値が無いと言っていたが、二股台場は多くのマニアックなファンも訪れる。この看板を見てどう思う事だろう。
 光明寺の永井蠖伸齊の墓
 この後、光明寺、戸切陣屋などを巡って終了。
 五稜郭祭実行委員会の宮古さんも土方の恰好で参加
 終了後、皆に牛乳や墓に供えたバナナやお菓子が配られる。函館から来たSさんに話かけられる。昨年の私の講演を聞きに来てくれたし、出演したTVも見てくれていた。しばらく話をしたが、彼自身も西部方面でボランティアガイドをやっていた。こんどゆっくり話がしたと言う事で別れた。
 帰りも大野から函館までチャリで走る。
6月9日(火) 姪っ子一家台湾に帰る
 昨日の夜に伯父さん明日台湾に帰りますとの電話があった。そして明日は伯父さんの家に寄ってから行きますと・・。
 朝に今年最初のイカ売りが「いが〜いが〜」とやって来た。漁は6月に入って早々解禁になった筈だ。これでまた新鮮なイカが食べられる。
 優華は恐る恐る持った

 雄達は全然平気だ
 折角だから、今日帰る姪っ子に食べて貰おうと、イカを持って行く。姪っ子の子供はイカを知らない。長女は手に取ったらヌルヌルするし、滑って落としたりする。長男は怖がりもしないでしっかり握り、悦に入っていた。
 この長男は何にでも興味を持つ。食べる物も生のマグロなどを、平気で口にしてみる。その結果厭なら食べないといった具合だ。台湾人の逞しさが感じられる。
 皆で記念撮影
 姪っ子が旦那と電話で話したので、旦那の勤務している自転車メーカーを聞いてもらったら「TOPEAK」だった。「GIANT」とも関係があるそうだ。
 そして最近GIANTのMTBを購入したのだが、社員価格で9万円のバイクが3万円で帰るそうだ。これは美味しいな。これなら買って貰い送っても安くつくかも知れない。
 函館ドック展
 分かれて家に帰って、イカ刺しを食べる。久しぶりのイカ刺しは新鮮で美味しかったのは言うまでも無い。
 今日は、街づくりセンターに行く。ここで私が高校を卒業して最初に勤務した。函館ドック(現函館どっく)の古い写真展をやっていた。MTBで行き見学。会場には3人ほどが熱心に見ていた。年配の方なので昔、ドックに勤務していた人なのだろうか?
 土方が箱館で生活した場所
 この後函館どっくに向かう。途中箱館戦争で土方歳三が箱館に居た際、宿泊していた場所に建てられていた黄色の建物が、すっかり変わっていた。

 函館どっくに着いた。この中にある大型のゴライアスクレーンが、撤去されることになったのだ。函館のシンボルとして保存の動きもあったのだが、維持費も大変で結局撤去が決まった。
 このクレーンは私が勤務していた時に設置した物で、函館ドックの全盛時代だった。30万トンタンカーと言う恐ろしくでかい、石油運搬船の電気設計に携わった。
 数隻造った後、韓国の造船場が低価格で受注したため、価格競争に負けて国内の造船は衰退した。その後、会社から希望退職募集の提案があり、函館ドックの将来は無いと判断し、退職に応じた。
 ゴライアスクレーンの解体準備が進む
 最後なので良い所から写真を撮ろうとすると、必ず立派なカメラを持った人がいて写真を撮っていた。
 Vブレーキーに変わった
 帰り道馴染みの自転車屋に寄る。やはりMTBのブレーキをVブレーキに変えたかった。
 探して貰ったがなかなか出てこない。ここの店はどちらかと言うと、ロードレーサーの店なので、MTB用品は少ない。あちこち探してようやく見つかった。
 でもブレーキーのメーカーと箱が違っている。箱はシマノなのだがブレーキはTECTOROだった。それで値段は分からない。しばらく考えて2000円でどうだろうとなった。
 まあこんなものかなとOKする。
 さっそくブレーキーを付けた。これはOKだった。さらにステムを長くした。そうしたらワイヤ関係が短くなり引っ張られる。後ろのブレーキーワイヤーと、右のブレーキーワイヤーは交換したが、後部のシフトワイヤーが無くて、近くのイエローグローブに行ったが無い。今まで置いていたのに、レイアウトがすっかり変わり、部品棚が狭くなった。
 またまた仕事を明日に延ばす。
6月8日(月) 日記の校正、MTB登山記録掲載
 旅が終われば、日記の校正などこまごました、やらなければならないことが出てくる。旅の最中は携帯からブログを発信しているのだが、なかなか上手く発信できない。
 キーボードがパソコンと異なるので使いにくいのだ。携帯からの発信は旅先に於いては負担になる事もある。特に山に登った後などは疲れて、キィを打つのがつらくなる。
 帰って来てから、ブログを見てみると内容的には誤字や脱字があったり、内容がおかしかったりで、いま一つきっちり伝えていない。
 今日、MTB登山記録を掲載して、ようやく日記と登山記録が終わった。
 それでもまだ旅の荷物は、帰って来たままで、その片付けもしなくてはならない。我が部屋はゴミ屋敷化になりかねない。
 それなのにMTBで出かける。MTBをダウンヒル用に組み立て直したので、乗って具合を試したくなる。
 近くには高所など無いので、近くのグリーンベルトに行く。ここには国土地理院の正式な、標高7.23mの四等三角点がある。標高は海抜なので、道路からの高さでは2〜3mくらいしか無い。
 この小山が数ヵ所あり、ここを登ったり下ったりする。少し物足りないなと石川啄木公園に行き、ここの階段を降りる。
 さらに慰霊堂に行く。ここの周辺は2段の土手になっていて、短いが急な斜面もある。ここでしばらく遊んで、新川沿いの土手を、上がったり下ったりと遊んだ。
 ブレーキがカンチブレーキなので効きがいま一つだった。そこでスポーツアルペンの自転車コ−ナーに行って買おうとしたが置いてなかった。
 函館は自転車パーツを買うには不便だ。またネットで買わなければならないが、代引き手数料や送料を考えると、どうしても高くつく。
6月7日(日) おむつケーキ完成&MTB整備
 今日も雨模様。おむつケーキをそろそろ完成しなければならない。
  完成したおむつケーキ
 足りないパーツを求めに100円ショップへ行って調達する。それを飾り付けてようやく完成した。
 このおむつケーキ作りもやっている内にだんだん嵌ってくる。デザインを色々考えるのも楽しい。この次はこうしてやろうというアイデアが途中で浮かんでくる。
 完成したケーキはまあまあの出来だろう。名前に合わせて黄色をベースに作ったのだが、何とかその雰囲気は出せたのではないだろうか? 発送も完了して1つ作業が減った。
 タイヤはダウンヒル用に変更
 ペダルもダウンヒル用に変えた
 MTBをダウンヒル仕様に変えてきたが、今日で最終的に組み上げて完成した。
 これからは今まで以上に下りには安全サイドになるので、かなり乗れるトレールがが増えるだろう。これからが楽しみだ。
 これでMTBのセパレート化が出来た。ダウンヒル専用はライズドハンドルにDH用タイヤ&ペダル。旅用は細めのタイヤにキャリア付き、高速用は抵抗の少ないスリックタイヤにしたのとレース用のビンディング化にする。舗装専用だ。ダートの時はXCタイヤに履きかえる。
6月6日(土) おむつケーキ作り
 今日は雨の天気。おむつケーキ作りに専念する事に。
 まずは手芸店に行く。ここで布を購入した。手芸店には凄い種類の布が売られている。布を探すよりも、普段目にしない色々な物があり、そちらを見るのも忙しい。
 オーブンで焼ける陶芸の粘土があり、これも楽しそうだ。色付けも色々出来るので、穴のあいたランプシェードを作りたいと思っていたので、買おうかなと思ったが、色の付かない白は売れてしまって在庫が無かった。うん〜残念。
 ケーキの横に張る布は、熊のデザインにした。黄色をベースに2種類を購入。次に100円ショップに行く。ここでひまわりの花の造花を購入。

 これで揃ったので家に帰って作業にかかる。
 まずは台に巻いたおむつを並べる。それを糸で縛る。一番下は3重にして、2段目は2重、3段目のトップは1列にした。
 今度はこのおむつに掛けるカバーの製作。針と糸で縫う。運針をするのは久しぶりだ。針の後ろを押す小物(名前は分からない)が無いので、針を押すのを何度もやっていると手が痛くなる。
 それでも何とか完成した。今日はここまでにする。
 ここまで出来たおむつケーキ
 野球中継があるので、そちらに専念。試合はダルがまさかの敗戦。その後、岡田ジャパンのサッカーがあるので、その間の時間つぶしにドラマを見る。私がこの時間ドラマを見るのは珍しい。でもすっかり嵌まってしまい最後まで真剣に見てしまった。
 そして岡田ジャパンのワールドカップ最終予選のウズベキスタン戦。開始間もなく岡崎が果敢な攻撃で1点を先取。今日は行けるぞと見ていたのだが、中盤は球をキープ出来なく、かなり攻められる。
 それでも何とか凌いで勝利。時間は午前1時を過ぎた。眠〜い。
6月5日(金) 会社のOB会
 午前中はベビィの誕生祝いに送る品物作りをする。贈り物は凄く苦手で、何を送るのかは迷ってしまう。先日釧路に行った時に娘から、おむつケーキの作り方を書いたWEBサイトを教えて貰った。
 高価な物を送れない私にとっては、手間暇かけて物を製作し送るのがあっている。
 おむつをフィルムで巻く
 軸になる台を発泡スチロールで作る
 まずはおむつを買いにサツドラに行く。色々なメーカーが出している。サイズもLから新生児用まで色々な物がある。娘からSサイズが良いのではと言われていたので、ムーニーのSサイズを購入。81枚も入って1300円弱だった。
 そして100円ショップに行く。透明フィルムだが巻いたものは無いので、袋を買ってそれをカットする。さらに発泡スチロールの丸棒と板状の物を購入。まずはここまで購入し、家に買って作業をする。
 おむつ1枚1枚を透明フィルムに巻いて、それを輪ゴムで止める。この作業をしていたが、完成前に次の予定の、以前勤務していた会社の年に1度のOB会に行く。
 バスの時刻を見たら、丁度良い時間が無いので車で行く。会社の駐車場に入れて会社に入る。守衛室の前には懐かしいMさんが居て挨拶。
 会社の応接室に通されるが、すでに4人程来ていた。その内に続々と来社し、今年は13人がやって来た。
 会社の会議室で状況説明。最近の情勢をどこも同じで、最大40%操業ダウンも行っていたが、最近は少し明るい見通しも出てきてほっとする。
 ここでもプリウス関連の部品が増えていた。ハイブリットカーは自動車販売が伸び悩んでいる中でも、売上を伸ばしているが、そんな恩恵がここにも出ているのだなと感ずる。
 工場見学の際は、生産ラインの他にスタッフルームも回れたので、昔一緒に仕事をした懐かしい仲間に会えた。自分も年取ったが、皆もそれなりに加齢していて、昔の面影とは変わりつつある。
 見学後、懇親会となったが、1年ぶりの近況などを話しあい、短い時間だが楽しいひと時を過ごす事が出来た。
 来年はどの様になるのか分からないが、業績が上向くようになってくれるのを祈るばかりだ。
6月4日(木) 大野文化財保護研究会例会
 月1度の例会の日。チャリで行こうと思ったが、雨模様なのと箱の修理を頼まれたので工具を積まなければならないので車で行く。
 予定通り例会が始まる。箱館戦争関連の事項は、6月10日に「箱館戦争の戦死者追悼会&史跡めぐり」がある。今年は箱館戦争終結140年になる。箱館開港が150年目なので、開港後10年の時に戦争が終結した。
 6月24日には札幌の歴史家「合田一道さんを囲む会」が行われる。どんな話になるか興味があるので参加する。
 10月3日には新人物往来社の大出編集長主催の第18回戊辰役東軍殉職者慰霊祭が行われる。そして翌日は激戦ツアーとなるが、どんなツアーなのだろうか。
 こんな具合にスケジュールがあるが、箱館戦争に興味ない人にとっては、何のことか分からないだろうな。

 終わった後、七飯町歴史館で行われている、「装いに見るくらしと道具」展に行く。ここには昔の履物から手袋、かぶり物、衣類などが展示されていた。
 勿論相当古いものであるが、知っているものが多い。今の小学生に見せれば分からないものばかりは当たり前で、先生すら知らないものもあるそうだ。
 知っている人はお年寄りだな。自分もそのグループに仲間入りになっ入る。
 一升瓶を2本包む

 レイアウトもカラフルで綺麗だ
 最後の所に風呂敷の展示と実際に物のを包んで見せていたが、私が見た事のない包み方が沢山あって興味が湧いた。
 1升瓶を2本包んで持つようにしたのは良く見たが、本を2冊くくって持つ方法は知らなかった。風呂敷は奈良時代にすでに使われていたと言うが、こんな便利物は再び陽の目を浴びれば良いなと感じた。

 家に帰ってバイクのパーツの変更をする。MTB登山の旅をしてきたが、武佐岳で会った西村さんに刺激された。最近はダウンヒルをあまりする事が無く、ただ山の頂上にバイクを持って行けばいいと思うようになっていた。下りは押しても良いやとなっていた。
 でも下りを果敢に攻めてくる、西村さんを見て自分ももう少し下りを攻めてくる姿勢が必要でないかと思って来た。バイクはフルサスは無いから、フロントサスのMTBを使い。アップハンドルにして、ダウンヒルレース用のタイヤを装着した。
 これだと以前より下りを攻めれるだろう。このバイクで練習をしよう。
6月3日(水) 50日祭&納骨
 子供も来てくれた
 おばあちゃんが亡くなってから50日が過ぎたが、あっという間だ。
 おばあちゃんの写真や骨箱、花などを車に積んで実家に行く。既に妹が来ていて祭壇には供え物や花が飾ってあった。
 神主さんがやって来た。いつもは宮司さんだったが、子供の風邪が移ってダウンしたそうだ。参列者は親族のみだが集まって来た。台湾からは姪っ子も子供二人を連れてやってきた。
 いつものように、神主さんの祝詞が行われ、無事50日祭が終了した。
 東山墓苑での納骨
 その後、東山の墓地に行き、納骨をする。東山墓地は高台にあり、函館市内の景色が良く見える。今日は天気も良いのでなおさら良く見える。
 墓を洗って綺麗にし、供え物や花をあげて、納骨する。いつも感じるのは骨を入れる口は墓の横向きに付いているのだが、口の大きさも問題なのだが、凄く入れにくいのだ。
 画用紙を丸めて使い、入れるのだがなかなか入らない。もっと構造を何とか出来ないものだろうか?
 納骨後、神主さんの祝詞が行われ、皆で玉串を捧げて無事終了。
 これで一連の葬儀は無事終えてホッとした。
 今晩は姪っ子が台湾から来た事もあり、温泉に宿泊するそうで、姪っ子のおかあさあんと私の妻が出かけた。家でのんびり野球中継を見る。日ハム完勝。遅くまで旅の日記の更新をした。
6月2日(火) 三石から函館へ
 昨日は何もする事が無かった。野球中継もなし、持って行った単行本はすべて読んでしまった。
 まだ8時なのに寝ることにした。さすがに速くて寝れずにいたがその内に寝てしまった。朝は5時に目が覚めた。天気は良い。
 起きて出発する。道道235号線はさすがに空いている。背後からは朝日が出ているので、景色もはっきりしていてすがすがしい。
 ノンストップで苫小牧、白老と走る。登別では娘に頼まれた、旦那の両親宛のお土産を渡す。お父さんは出社済みで、お母さんがまだいた。
 お土産は孫の瑞葵が書いた、手紙や工作物や自作のDVDなどが入っていた。お母さんは大喜びだった。やはり孫の物が一番喜ばれる。
 20分くらい話してお母さんの出勤時間になったので、再び出発する。洞爺湖の道の駅の前のトンネルの中でチャリダーを追い越した。
  台湾の石さん
 少し先で待っていたら、やって来たので話す。日本人と思っていたら台湾人の石佳弘といった。台北の人で、札幌以南を回っているそうだ。今日は大沼公園、明日は函館だったが、宿泊場所はすべてビジネスを予約していた。
 レーサージャジィを着ていたので聞いたら、自転車チームに入っているそうだ。中国語は分からないが、英語は同じようなレベルだったので、片言で話が出来た。
 なかなか話し相手も居ない外国での出会いに喜んでいた。最後に握手して別れる。
 韓国の金さん
 さらに淡々と走っていたら、森の道の駅の手前でチャリダーを発見。話をすると「日本人ではありません、外国人です」と言う。金さんと言う韓国の留学生だった。以前にも観光で回った場所を再び自転車で回っていた。彼はすべて野宿だった。
 7月には日本を離れ、オーストラリアを自転車で回るそうだ。留学生だけあって日本語はペラペラだった。
 今日は珍しく外国人二人と出会った。今まで白人は何度か会ったが、アジアの人とは初めて会った。どんどんお互いの国に行き気出来れば、サイクリング環境も良くなっていくだろうな。
 
 久し振りの我が家に到着した。家には妻の妹と台湾に嫁いだ長女が、子供二人を連れて来ていた。

 鎌本さん
 夕食を食べてのんびり野球の中継を見ていた。そこに電話が来るがはっきり聞き取れない。十日町に聞こえるが、礼文島で会っている人は、色々いるが自転車では鎌本さんが居て、年賀状はづっと続いている。
 すぐに駅に車で行く事にする。待っていた人はやはり鎌本さんだ。東北町を十日町と聞き間違えたのだ。
 12年前、姪っ子と二人で礼文島に渡った。そこで出会ったのが鎌本さんで、当時はオペルの会社にいたが、その後退職して東北町に住んでいた。
 キャンプ場は違っていたので、じっくり話す暇は無かった。
 礼文島ではあの有名な「愛とロマンの8時間コース」を無謀にもMTBで走破する事になった。私はそれほどで無かったのだが姪っ子にしては、凄く厳しいコースで、「もう伯父さんとは来ない」と言われてしまった。
 それは今では凄く心に残る思い出になっている。そんな事があった。
 鎌本さんとは、9時過ぎまで話に花が咲き、駅まで送って行った。明日は弘前に行き、その後青森に行くそうだ。みんな旅で知った仲間と交流している。
 旅って良いな、チャリ旅が・・・。
6月1日(月) 釧路から三石へ
 午前中に孫の友瑛が病院に行き診察を受ける。その結果は函館までの長距離は行かない方が良いとなった。
 留守をしていたら、電話が来た。NHK函館放送局からで、TV番組の取材をしたいとの事だった。
 旅人がゲストハウスに来た時が良いとなったが、いつ来るかは分からないと言ったら、後で再度打ち合わをしたいと言う事で終った。
 友瑛は元気だが熱がある
 函館へは明日出発する予定だったがを変更し、今日1人で函館に戻る事にした。瑞葵は幼稚園で、友瑛も寝たので、午後1時頃まで娘と色々話す。二人で長い時間話すのは久しぶりだ。
 たまには、こんな時間があって良いものだ。
 快晴の釧路を出発する。国道の所どころ深い霧がかかっていて、やはり釧路は霧の町だと思わせる。
 車の流れは制限速度+10Km/Hr以内であり、このペースに付いて行く。一日で函館迄行く予定だったのだが、一日早く出発したので、距離的には半分も走れば良い。
 天馬街道は相変わらず車はほとんど通らないし、信号も60Kmくらい無いので、のんびり走れる。

 ここに年配のチャリダーが走っていた。70歳くらいだろうか? 話しをしたいと思い車を止めて、手を挙げて今日は!と言ったら頭を下げて止まらず行ってしまった。
 追い掛けてゆっくり追い越しながら、そばに行ったが本人はキョロキョロして気がつかない。
 「止まれ!」と言う訳にもいかずまい良いかと先に行く事にした。
 車は太平洋側に出た。少し走ったら蔵ノ湯があり、道の駅「みついし」があった。今日の宿泊をここに決め、温泉に入る。
 漁師町らしく会話を聞いたら入浴している皆さんが漁師だった。漁も魚や昆布の値段が安く大変らしい。
 今はどこも大変なのかな?
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