3

 
9月30日(水) 健康サロンin明和園
 今日は健康でサロンin明和園の日だ。
 妻も一緒に行くはずなのだが、愛犬モモの身体を洗ってやろうとして手を咬まれて病院に行くので、後から来る事になった。これで何回モモに咬まれたのだろうか?とにかくすごく咬まれている。
 話は多岐に渡っていた
 病院に送って会場の明和園に行ったが、、忘れ物をして家まで走って帰り、また走って行ったので、最初に測る血圧は上がっているだろうと思っていたら、137mmHgでそう上がってはいなかった。
 日本高血圧学会による「高血圧治療ガイドライン」では、高血圧は、血圧が 140/90mmHg以上となっているので大丈夫だった。
 今日は食事の仕方だ。明和園の栄養士さんの話になった。毎日30種類以上のものを食べる。他にも量が凄く細かく、バナナは糖分が多いから一日1/3、リンゴは一日半分など、かなりこまいので、数値上はそうかもしれないが、実際となればばなな2/3を残して後に食べる人も居ないだろうなと思いつつ聞いていた。
 かなり色々な話があったが、ほとんどのお年寄りは、記憶に残らないだろうなと思った。それほど難しかった。内容を少なくして簡単に抗議した方がお年寄りには分かったと思う。
 そして昼食。今日は栗ご飯とニシン漬け、サラダ、味噌汁だった。ニシン漬けが美味しかった。結局今日も全てお代わりしたので、2人分食べてしまった。カロリーオーバーだ。

 帰りに事務長に会い、ここの施設にある会議室を使用できないか聞いたら、明和園に関係のある団体しか使え無いそうで、残念ながら諦めた。プロジェクターもあるので使いたかったのだが・・・・。
 「土方歳三 蝦夷を歩く」の実行前に、道に関する講演をして、賛同者を集めて、来年はこのコースを皆で歩くために、会員を募って実行したいと考えている。
 この道の存在を後々まで伝える、活動をしていこうと思っている。
 また違う場所を探すか。
9月29日(火) 旅人石井さん出発
 石井さんと記念撮影
上ノ国の花沢温泉で会った縁で、宿泊していた岩手の石井さんが、今日出発した。朝から色々な話をしたが、今年の大曲の花火も行っていて、私のおそらく20m近くで見ていたようだ。
 縁とは不思議なものだ。今度は奥さんを連れて函館観光に来たいと言っていたので、また会えるだろうし、来年の大曲の花火や青森ねぶたでも会えそうな雰囲気だった。

 ママチャリのパンクも直し、今度は名刺の製作。以前に作ったアメリカ人の弁護士マイケルさんの名刺の追加が来た。どうやら日本一周の旅に出るそうだ。
 車に寝泊まりし、炊事道具も一式を持っての旅で、その時に使う名刺のオーダーだった。10月5日には出発するそうだ。3日には激励会が行われる。

 プロの味だ
 午後から約束通り、中部高校と大野農業高校の事務局長さんが訪れた。10月15日に国際ホテルで行われる、公立学校の事務長研究会で、私が講師を依頼されていたが、その打ち合わせだった。
 講演は80分で、パワーポイントで行う。
 今度は資料作りをしなくては。
 手土産に大野農業高校で作ったポンドケーキとジャムを頂いた。今の高校は実践に即した、授業を行っている事を知った。JAS法に基づいた表示もしているので、何処かで販売もしているのだろうが、ポンドケーキは美味しかった。
9月28日(月) 函館開港150年記念パネルデスカッション
 駆越山のダウンヒルでパンクしたMTBのタイヤを修理しようと、チューブを獲りだしたら、バルブの根元が剥がれています、修理不可能な状態だった。
 仕方が無く明邦商会に買いに行って交換する。ママチャリもパンクしており、こちらはタイヤを外すのが大変で後日に持ち越し。どうも同じ状態が続けて発生する。

 フォーラムのパネリストもそうだった。初めてのパネラーに松前に呼ばれたが、今日も開港150年記念パネルデスカッションのパネラーに呼ばれた。同じ事が続く。1度ある事は24度あるか。
 会場の函館市地域交流まちづくりセンターに行くと、鈴木教授が既に来ていて挨拶。1時間の開港フォーラムの総括などを行い。
 慣れないパネラーだが一生懸命話した
 パネルデスカッションに入る。テーマは「国際交流都市函館のビジョン」「歴史の見せ場」「情報提供のあり方」の3点。
 パネラーの挨拶の中で、土方ロードについての取り組みなどを話す。他のグループも函館市内を散策する歴史の道として「はこだて開港ペリーロード」と称して、ペリーが函館に来た時の関係個所を回る、ロードマップを作成していた。その他にも開港ラリーマップとして、開港時の歴史を見て歩くマップを作製するなど、活動していた。
 一人Tシャツ姿だった
 コースを設定するのは良いのだが、問題は各ポイントでのガイドが全て載っていないので、回った人が理解できるかどうかだと思う。
 函館にはボランテイアガイドいるが、函館の特定の地域を全般にガイドしているようだが、この様に特化したコースのガイドも今後は必要人なるだろう。
 土方ロード全体をガイドするのは、大変な事だとつくづく思う。各市町村にまたがる、長距離のフットパスなので、広域の取り組みが必要だが、簡単にはいきそうもない。
 時間がかかるが、今は道の明確化をさらに進めなくてはならない。

 これが終われば同じ道で松浦武四郎ロードも出来ることになる。各地を歩いた日記と絵が残っている。それを現在に当て嵌めて、当時との違いや、同じ場所で絵を描いて歩く旅なども可能だ。
 松浦武四郎の講座も持っている岸先生が来ていたので「松浦武四郎書いた絵がはっきり見えないので、何処かで良く見える絵は無いですか」と聞いたら、函館中央図書館にマイクロフィルムに撮った絵がある事が分かった。
 
 帰って旅人と遅くまで話す。彼も今までは歴史に興味は無かったが、北海道に来てアイヌ文化や幕末の事に触れて歴史に興味を持ったそうだ。
 今日は雨の中を鹿部〜恵山を回ってきたそうでなかなか元気だ。
9月27日(日) 地域活性化フォーラム&出版記念祝賀会
 朝7時には出発して、原口の佐々木さんの家に行く。もうみんな起きていた。今日の地域活性化フォーラムや社会教育委員会の冊子「轍」の出版祝賀会も、佐々木さんが会長を務める、原口堺社会時から教育委員会の主催で、松前町や教育委員会が後援になっている。
 住吉教頭の司会で始まった
 地域活性化ファーラムは11時から始まった。会場は40人くらいの出席者がいた。パネラーは「北海道立森少年自然の家」の所長さんと私の2人だ。
 司会の館浜小学校教頭の住吉さんの司会で始まった。
 1時間の中で、この施設が研修施設なのか一般に使って貰いたいかのコンセプトが明確で無く。料金体系も少人数では全く、来れるような金額設定にはなっていない事を話した。
 他に地元の人との交流として、ANAが2007年にグランプリを獲った。少人数の受け入れと感動的な案内を出来る人の必要性を言った。
 私と森ネイパル所長
 他には四国お遍路にあるようなおもてなしの心などに必要性。歴史的な小砂子山道のフットパスの提案などをしたが、時間は少なくまだまだ言えない事が多かった。少しでも役に立って欲しいし、原口には何かと世話になっているので、協力はしたい。
 出版記念祝賀会
 この後出版記念祝賀会となった。編集した原口小学校の歴代校長先生のスピーチが続き、その他にも多くのスピーチがあり。開始から1時間以上過ぎてようやく、食べ物にありつけた。
 今までは酒を飲んでいたが、今はウーロン茶となってしまった。
 アワビと松前マグロ
 料理は仕出し弁当だが、漁師町なので地元の食材は凄い。アワビに松前マグロだ。活アワビはいつ食べたか忘れるほど食べた事が無い。新鮮な歯ごたえがありながらも柔らかな?味に堪能した。
 さらにマグロの山だ。今松前はマグロの最盛期だ。このマグロは今後日本海を北上して宗谷岬を回り、オホーツクを南下して、津軽海峡に入り、人気ブランドの大間のマグロや戸井のマグロになる。
 まだ若いマグロなので美味しい。これも沢山頂いた。
 テーブルには沢山の人が来てくれた。清水さんは毎回毛利さんの話を聞くのが楽しみだと言ってくれた。幕末の好きなSさんとも話すが、もっともっと話したいですねと言うほど幕末ファンは多い。
 道についても、調査している松前博物館館長とも情報交換した。渡島西部森づくりセンターのTさんから執筆いたら本が欲しいと言われた。
 歴代校長先生の一人に、今日のフォーラムは良かった。道の調査は大変だろうけど頑張って続けて下さいと励ましを受けた。
 本当に原口に来れば楽しい。そこには多くの仲間が居る。人口も少なく高齢者の多い地区だが、いつも温かいのでほっとする場所だ。
 元バスガイドさんいつも来てくれる
 そして毎回ステージで、歌やダンスを歌ってくれるボランティアの人とも馴染になり「毛利さん元気だった?」と声を掛けられる。
 本当は宿泊して行くのだが、、明日の函館の開港150年フォーラムがあるので、帰ることにする。

 帰りにはアワビやマグロもいただき、妻にお土産が出来た。妻も「アワビはいつ食べたかねえ〜」と言うくらいだ。
 夕方に温泉に行ったら駐車場が超満員。今までに見た事も無い車が居た。これじゃ女風呂は戦争だ。体も洗うのは大変だと言う事で、先日無料で入れた近くの銭湯に行く。行ったら男風呂は1人しか居なかった。
 浴室に入ったら、後から来た人に脱衣場の携帯電話が鳴っているよと言われ出たら、チャリダーだった。2日前花沢温泉で会った人だった。遅かったので今日は来ないと思ったがやってきた。
 とりあえず家までの道順を教えて家で待って貰った。
 夜は疲れていたので、明日にでもゆっくり話そうとなり、早めに引き上げた。
9月26日(土) 駆腰山MTB登山
9月25日(金) 上ノ国へ
 車に自転車を積むためのキャリアを、積みやすくするために改良を加えた、さらに車のオイル交換をして、午前中に荷物を車に積み込みこんだ。
 原口の地域活性化フォーラムと、教育委員会の冊子「轍」の出版記念祝賀会に出席するのだが、折角原口まで行くなら調べたい事があるので、2日早めに出発した。

 快晴の天気の中、着いたのは厚沢部の図書館だった。
 ここで以前に見た本をまた見たいので来たのだが、お目当ての本は見つからなかった。
 それでも、今までに読んだ事が無い本もあり、沢山の本を読みあさる。

 先週歩き旅をした砂原からの道が、2つあるのだが、それぞれの道の時代が何時なのか、はっきりしなかった。
明治元年の土方歳三の歩いた道を、知る事が重要なので、明治元年以前の道と以後では、大変な違いになる。今までは、道が2つあってどちらかの道を歩いたとなるのだが、調べが進むに従って、それでは満足できず、さらに深く追求して道を特定したい。
 それが、調べていた本の中に載っていた。砂原の沼尻から山を通る道は、明治2年に願出して、明治3年に作業が開始している。 本願寺が布教活動の一環として切り開いた道だった。
 これで一方の道が消えて、もう一方の道は残る。この道を土方が歩いたという事が明らかになる。
 他の道も考えればなかなか大変な調査になりそうだ。

 図書館から車に戻ったら、はこだて未来大学の鈴木教授から、開港150年記念のフォーラムがあるのでパネラーになって欲しいとの事だった。
 函館が将来取り組まなければならない事についてのフォーラムだった。28日と言うことは原口のフォーラムが終わったら翌日直ぐに帰らなくてはならない。 例年泊まっている原口1泊は出来なくなる。
 でも仕方がない。必要としてくれる人が居るのは嬉しい。でもパネラーが続くな。
 道の駅「もんじゅ」の夕日
 上ノ国の花沢温泉に200円を払って入浴。ここの温泉は安い上、露天風呂もあるし休憩場もある。中に客が1人入浴中だった。 外に自転車が有ったのでチャリダーというのは分かる。
話しをすると、岩手から来て北海道を一周して来たそうだ。
温泉を出て彼は道の駅でテントを張る。私は何時もの近くの何の変哲もない駐車場だ。
9月24日(木) ラベル作って-自転車直して
 義理の妹からラベル作りを頼まれた。友人とイチゴをたくさん作ってそれを手作りジャムにしたそうだ。それを友人にプレゼントするのだが、ラベルがあれば見栄えは良くなる。
 写真と原稿を持ってカメラの「キタムラ」に行ったそうだが、そこでは出来るはずは無い。印刷屋に行けばいいと教えてくれたが、印刷屋でラベルを作るには20枚程度では無理だろう。
 そこで私の所に回ってきた。早速デザインと言ってもシンプルだが、見本を作って持って行って打ち合わせ。まあ良いだろうとなったので、ラベル用の紙を買いにチャリで町に出かける。

 途中で自転車のパーツを購入するので函館では一番大きな自転車のプロショップの前でママチャリを止めたら丁度出てきたて店員さんに何?と声をかけられる。
「この部品の一回り大きいのが欲しいんですけど・・」
「あれ、これ外してきたの?」
「ええ」
「最初に付いてきた部品だからこれを使わなくては駄目だよ」
「でもA HEADを変えたが、、パラシュートも錆びていたので、家にあったのに変えたが、小さくて合わないんですよ」
「インチのサイズを言わなければ分からないよ」
「サイズは分からないが一回り大きいのが欲しい」
「これはオーバーサイズだからこれ以上大きいのは無いよ」
「・・・・」
「1個250円と安いから、合うかどうか買ったら?」
「はい」
何か歯車の合わない会話だった。部品があるんだから、合わせてみれば大きいかどうか分かるはずだ。
同じでも良いやと買ってしまった。
 出来あがったジャムのラベル
帰ってラベルを印刷する。まあまあの出来だろう。
 どうみても大きさが違う
そして自転車を直す。パやシュートを合わせてみたら、新しく買ったのは径が1mmくらい大きかった。
ほらやはりそうだろうと言いたくなった。ここで言っても仕方がないが。
サスのパイプの内側に入れたら、ぴったしだった。これでA HEADをキャップで締めれば良い。だんだんと締めて行ったら、良い感じでしまった。
きつくなるので締めたら、フロントフォークのガタはぴったし止まった。
それにしても店員の応対は何とかならないのか?メカをいじるエンジニアぽくない。

 向いの鉄鋼場の社長夫人が話しかけてきて「毛利さんは函館どっくに居たの?」
「はいそうです」
「電気の仕事をしていたの?」
「そうですよ。電気設計してました」
「うちの従業員のNさんが今日、毛利さんで無いかとぽっつり言うんですよ。もう7年も勤務しているのに」
私もここに戻って7年たった。その時から居たんだ。同じ函館どっくで機械の設計をしていたNさんだが、向いに居るのに今まで一回も会った事は無かった。目の前なのに・・・。
9月23日(水) 砂原の旧道探し
 朝早くから我家のお墓参りと、妻の実家のお墓参りを済ませる。天気が良くて春の様に気持ちが良い。
 三代前は毛利石太郎だった
 その後は砂原の旧道を探しに行く。砂原の95歳のおばあちゃんが教えてくれた道だ。早速中に入ると車の通れる幅はあるのだが、流石に道は悪い。
 最初に入った道は途中で行き止まりになった。他の分岐に入るもまたまた行き止まり。もう一つの分岐に入るがここも行き止まりになる。
 どこも車もほとんど通らない道なので、木の枝が道にはみ出していて、キィキィ車体に当たり泣いている。まあ古い車だから良いが、新しい車なら涙が出る。(こんな所には来ないか?)
 結局分からず、衛生センターの管理人さんが教えてくれた別な道に入る。
 分岐の都度入って見るが行き止まり。それらしき道は途中で道に木がかなり出ていて通行不可能。ここで一度戻る。
 砂原のばあちゃんの所に行く。どうも入った場所が違うようだ。おばあちゃんは明神川から入ったという。確かに道はあるがこの明神川が見当たらない。
 道の出口に自衛隊があると言う事だったので、国道から鹿部駅前を通って別荘地を抜けて山の方に行ったら、自衛隊があった。
 ここで地図を見ていたら、工事業者が来て、札幌方面に行くのかい? と話しかけられる。私の車が札幌ナンバーだったのでそう思ったらしい。
 旧道を探している事を告げると、この道は国道に出るはずだが、途中から道は悪くなるので、行けない様だったら引き返した方が良いと言われた。
 そこで行ける所まで行って、引き返しますと言って出発。かなりの距離を走ったら急に道が狭くなり、走行は困難になった。でも方向的には合っていると思うので、次回はMTBで走ろう。

 しかしこの道は大正時代の道になるだろう。箱館戦争とは直接関係が無いと言う判断が出来た。
 箱館戦争時の道はやはり、海岸を通った事が明確になった。砂原のおばあちゃんも途中までは海岸を歩いたと言うし、沼尻の人も、相泊の人も言っていたので間違いは無いだろう。
 明治の地図にも海岸を通る道は書かれている。
 今回の道は違うと分かる事も旧道探しには必要なのだ。
 駒ケ岳が綺麗だった
 鹿部から大沼に抜けるが駒ケ岳が綺麗だった。
9月22日(火) キノコ採り&温泉
 今日の天気予報は午前中は雨で午後は曇りの予報。
 久しぶりに車にワックスを塗ろうと洗車から始める。とにかく15万キロも乗った車なので、あちこち錆びたり、自分で行った板金の跡など、かなり傷みは激しい。
 それでもワックスを塗ったらかなり綺麗にはなった。日本一周では200泊位はした車なので、愛着はある。

 天気は雨どころか快晴になってきた。妻から、雨にならないようなので、キノコ採りに行かない?との誘いがあったので行く事にする。
 川のそばまで刈ってくれた
 いつもの南茅部なのだが、途中の川汲温泉の前に行き、千葉さんが草木を刈ってくれた場所を見る。かなりの範囲で笹刈がしてあった。入口は10mくらい刈っていた。旧道を川に下る道がすっかり見えて歩きやすくなっていた。いつもは背丈くらい草木が伸びていて、密集していたのだ。
 「毛利さんが登るので、笹を刈ったよ」と本当に心遣いに感謝する。1週間の掛って作業をしたのだった。私もあそこは台場山登山口の看板すら見えないんだよねと、普段から言っていたからかな。足が悪いのに迷惑をかけた。
 直ぐにでも登ってやりたいのだが、昨日はこの周辺で熊が道道83号線まで出てきた情報があるので、しばらくは山に入れないな。今年は熊が多い。
 今日はこれだけ
 キノコは3回くらい食べる分の落葉キノコが採れた。まだ早いのかな? でもその分綺麗なキノコが採れた。
 その後はいつもの南茅部保養センターの温泉に行く。途中の大船キャンプ場はかなりのテントが張っていた。そろそろ最期のキャンプになるのだろうな。
 私はここのキャンプ場には来ない。坂を自転車で登ってくるのが厭なのだ。

 温泉に入ったら、見覚えのある人が居た。でも眼鏡を外して温泉に入るので良くは見えない。相手もじっと見ている。相手が「毛利さん?」と聞いてきた。やっぱりMさんだった。
 函館工場時代は一緒に仕事をした。その後私は千歳→五所川原と転々としていたが、彼は今、本州の工場に、単身赴任中だった。
 露天風呂で長い時間話をする。工場はかなり忙しそうでOBとしては良かった。プリウスの部品も70万個は作っているそうだ。でもプリウスは今は売れているが、あまり増産はしないようだ。
 電気自動車になるのかな? 久しぶりに話が出来て楽しい一日だった。

 夕方、福岡のNさんと天狗岳ガイドの打ち合わせをする。10月1日に九州から函館に来て、10月2日に箱館戦争関連の場所のガイドをする。箱館戦争で重要な関わり合いのある旧道なので、新選組を研究している人にとっては、興味ある場所なのだ。
9月21日(月) やっと老人になれた-銭湯無料
 今日も外で仕事。
 フレンディの後部ドアが閉まりが悪く、1cmくらい隙間がある。後部ドアには自転車を積んで、跳ね上げた時に時に落ちないようにストッパーを自作で付けたのだが、知らない人が思い切り閉めようとして曲ってしまった。ドアを外して、ドアの取り付け部分の変形した個所を、板金して復帰した。隙間も無くなりOKだ。
 これで随分楽になる
 次に灯油をタンクに入れる場所の、再製作をする。今までは何とか寄せ集めで足場を作っていたが、不安定だった。これをしっかりした足場にした。
 灯油はタンクローリーで買えば高いが一発で終わるのだが、最安値の灯油を入れている。安いのと言うよりはトレーニングみたいものだ。20kgの灯油缶を上まで持ちあげれなくなったら、力が落ちたと言う事になるので、毎年の灯油入れは力の目安になる。妻は力がなくなったらタンクリーリーで入れると言ってくれているが意地でも頑張る。

 完成した「土方歳三 蝦夷の道」の本を2冊作る。A4で作ったが、大きすぎるのでB5に縮小して作った。
 来客用に作ったのだが、製本は機械なのですぐに出来てしまう。前回の本に比べあっという間に出来るので楽だ。印刷も裏表自動印刷だから、少し時間はかかるが楽な事は良い。
 印刷しながら日ハムの試合を見るが負けた。

 夕方方は無料銭湯に行く。敬老の日だから無料なのだ。対象は65歳以上の老人になる。こんな時は老人と呼ばれても喜んで受け入れる。「いこいの湯」に行った。無料だから混んでいると思ったが、4人しかいなかった。その内3人もすぐに出たので、2人しかいなくのんびりと入浴出来た。
 この銭湯は町内会にある、ゴミ処理場で発生する熱源を使って供給しているので、湯を沸かす費用はゼロなのだ。もっと安くしても良いのだろうが、周辺の銭湯とのからみがあり、値下げは出来ないようだ。
 明日も無料なので、さっと入ってくるか。
9月20日(日) 旅人が出発
 3人で沢山話す
 昨日は吉田さんが出発すると言うので、遅くまで話をして、そのまま寝ないで出発することになった。
 午前12時過ぎに滋賀の吉田さんが出発する。午前2時30分のフェリーで青森に向かう。吉田さんとは青森ねぶたと函館で会う事が出来た。良い出会いあった。送った後に寝たので、朝は7時ころに目が覚めた。
 夜中の出発だ
 今日の昼にはもう一人の山梨県の土屋さんも出発することになった。
土屋さんのシャツには寄せ書きが一杯
妻と記念撮影
 彼は一度甲府に戻り、バイトをして資金を貯め、来年の春には沖縄に向かう。沖縄ではsキューダイビングのライセンスも取るそうだ。
 改善前
 久しぶりに外で仕事をする。最近は室内での仕事ばかりなので、外での仕事は気持ちが良い。
 家の外に植えている野菜類の茎が伸びたので、今の棚を一部切ってしまい、野菜の鉢を下に置こうとなっていたが、なかなか出来ないでいた。
 早速仕事に取り掛かったが、30分も掛らないで出来てしまった。ついでに周辺を掃除したので綺麗になった。
 改善後
 この後は何をやろうかと考えた。車のオイル交換をしなくてはならない。でもフレンディのオイル交換は自分では出来ないと思っていた。
 と言うのは、相当前に東北を旅した時に、オイル交換をスタンドでしたのだが、そこのスタンドにはオイル交換の機械が無いので、係の人が、アンダーカバーを外して下からオイル交換をした。
 一般的にはオイルパンにボルトが付いていて、それを外せばオイルを抜く事が出来る。でもその光景を見ていたので、カバーを外すにはすごい時間がかかるのでやりたくなかった。
 でも車の下を覗いてみた。するとカバーの一部に開口部があり、オイルパンにはボルトが付いていた。これなら交換出来るじゃんと早速始めるが、最近は外した事が無いボルトはどうやっても取れない。
 諦めて、工場で外して貰おう。
9月19日(土) 旅人と話す−旅の整理
 今日は旅人と外で話す。なんだかんだで11時まで明るし日差しの中で話した。
 旅人同志はとにかく話が尽きない。共通の話題が沢山あるのでネタには事欠かない。
 まだ20代の若者とこんなに沢山の話を出来る事態が大いに元気を貰う。
 明日は2人とも函館を出て南下する。旅人はどんどん南に下る時期になってきている。
 それとともに北海道の秋は道南にも近づいてくる。
 まだ今後函館に来るチャリダーとライダーは2人いる。後自半月はかかりそうだ。
 2人は今日は天気も良いし、函館山に登るそうだ。

 私は午後から写真の整理や集まった資料の整理に没頭する。写真は道ばかりを撮るので草むらの道なんかは早く整理してタイトルを付けなければ、どこの道だか全く分からなくなってしまう。
 枚数も枚数なので、思い出しながらタイトルを付けるには時間がかかる。
 
 夕方になれば日ハムの試合が始まりテレビを見て今日の一日は終わる。
9月18日(金) 大岩出発し、函館へ

3日目のスタートは快晴だ
テントを張った場所は、静かだと思っていたが、朝方はやはり船の音で目がさめた。
引き船が海上クレーンを引いていたのでその音はかなり高い。
でも4時を過ぎていたので、いつも起きる時間なのだ。睡眠は十分なのだが、うとうとしていたら気持ちの良い2度寝をしてしまって6 時半に目が覚めた。
テントから出たらゴミが散乱していた。北キツネの仕業なのか?
確かに昨夜は何かごそごそ音がしていた。風でビニールが吹かれて音が出る位にしか思っていなかった。それにしてはテントが全く揺れていないのでおかしいとは思っていた。
最も食料は無いのでゴミを片付ける手間だけだったが。

眼に前の歩道をお年寄りが通った。お早うございますと言ったら、少し驚いて挨拶を返した。まさかこんな所に人がいると思わないだろうな。

三味線の滝
7時には出発する。今日も天気が良くて気持ち良く歩いていた。
ケカツ浜に着いたら男の人がいた。話をしていたら、奥さんも出てきた。
「何しているの?」
「古い道を探しているんです」
「野宿しながら?」

「そうです。昨日は大岩に野宿しました」
「あそこは国道に熊が出て撃ち殺されたばかりだよ」
「え〜そうなんですか」
もしかして昨日のゴミ荒らしは他の熊で無いだろうな。
この岩があって旧道は山越えだった
この浜に出る山道を知りませんかと聞いたら、知っていた。

この道は土方歳三が通った道で、仙台額兵隊隊長の星日記に出てくる。道は相当荒れて行けるかどうか分からないと言われた。
入り口が分かったので、少しだけ行ってみるとやはり道は分かりにくい。
今度じっくり来よう。でも道が判明して嬉しい。

再び歩きだすが、疲れてきたので、大船漁港で甘酒を飲もうと準備したら水が無い。少し前には有ったのに。残念!どこかで落とした。
あきらめて歩きだす。

大船に入ったら家を改築している大工さんが3人いて話しかけられる。やはりこのキャリアを押しているのが旅をしている雰囲気になっているのだろう。
「頑張って!気をつけてと言われる」元気が出る。

そこから少し行ったら、工事をしている人が3人いてまた話しかけられる。皆笑顔で話をするので、雰囲気の良い会社のメンバーだった。まだ20歳代の若い人も笑顔で話をしてくれた。
「頑張ってと言われる」

モサシ峠越えの道
臼尻に入った。ここはモサシ峠越えの道が分からない。今は豊崎トンネルが出来ている。その前は岬を迂回して通っていた。それ以前の道を知りたいのだ。
 一部旧道は調査しているが、下りの道が途中で判明して居ない。
 今回は南茅部町史に載っていた、明治37年の地図がある。この地図にはここの家の名前が書かれていて旧道も乗っている。
 表札を見ながら照らし合わせると、同じ名字が結構載っている。ウォーキングをしていた、若いお母さんと話す。流石に地元なので集落の事は詳しい。地図に書かれた名前を見て、ここの家はあるとか、此処が本家でここで別家とかいろいろ聞いた。
 そして道が書かれた家の間を入る。道と言う感じではなく、芝生が一面張られている。違うのかなと思いつつ入っていくと、雑草がかなり伸びていた。もう少し行ってみようと、入ったらそこには道があった。
 多くの人が歩いた証拠でもある、「うとう」がはっきりと確認される。「これだ!」と思いさらに登っていくと、道は続いていたが、今日は短パンでも有るし、ズボンはキャリアにあるので、後日調査する事にした。
 良い結果が得られて気持ちはルンルンだった。


 歩いていたらトラックから昆布を降ろしていた女性から、笑顔で「こんにちは!」と声をかけられる。何と気持ちの良い人ばかりなんだろう。都会では消えてしまった挨拶や人との触れ合いが今でも続いている。
川汲の家の庭のオブジェ
 川汲に入った。道の右側を歩いていたら、毛利さんと呼んで車が止まった。

 いつも世話になっている、函館森林組合の副組合長の千葉さんだった。
 先に行っているよと、自分の土地に向かった。
 そこに椅子とテーブルが用意されていた。
 腰かけて話す。楽しい昔のこの辺りの話を聞いた。そして台場山の登山口に入る道を付けてくれていた。
 この場所は笹が伸びて、登山口に向かうのは大変だし、一般の人は登山口が分からないのだ。
 毛利さんがいつも調べに来るんで、行きやすいようにと刈ってくれた。1週間掛ったそうだ。本当にそこまでしてくれて嬉しい。
 千葉さんの土地は江戸時代の徳川幕府の金銀銅山があった場所の近くで、今でも川の上流に鉱山跡が8個所残っている。そして千葉さんの土地の中に道があり、金銀銅は馬に積んで川汲から小舟で沖まで運び大きな船で本州に運ばれた。
 そんな時代の遺産があるな所なのだ。松浦武四郎の「川汲温泉之図」にもその道は書かれている。
 1時間ほど話をしたが、車で送るよとなった。まあ今回の調査では収穫は沢山あったし、この先の道は調べる事も無いし、家に旅人が2人来ているので、好意に甘えて湯の川まで乗せて貰う。
 車は早い。あっという間に着いた。
 ここからキャリアを押して家に到着。汗の臭いが染み込んでいるので、旅人も連れて温泉に行く。
 帰ってきて、旅の話で盛り上がる。
 私の居ない間に来た旅人の一人は青森ねぶたに来ていた人だった。

9月17日(木) 砂原〜鹿部〜大岩まで歩く
原の公園の朝
 昨日の夜は暖かかった。モンベルの#3の-10度用が良かったのか。それともいつもは使わないシュラフカバーを掛けたのが良かったのだろうか。
 でもテントは朝露が染み込んでいたのだろう。何かポタンと滴が天井から落ちてきた。ゴアライトなので、今まではフライを付けていなかったが、雨でも漏れる事は無かった。
 1分くらいの間隔で落ちてくる。かなり使ったので、防水性が落ちたのかな?。防水スプレーで止まれば良いが・・・。
こんな看板が・・
 もうテントの外に飛び出す。流石に外は少し冷える。東から朝日が綺麗に出た。間違いなく快晴になるだろう。寒い朝は熱い甘酒が美味しい。今回初めて携帯用の粉末甘酒を持ってきたが、体が温まって最高だ。
 6時には歩きはじめる。昨日、砂原の平田おばあちゃんに聞い、た山側の道は入口が分かった。今回の旅が終えたらまた来よう。
砂原岳も綺麗に見えた
今回はもう一つあった、海沿いの道を調べる事にする。この道も明確には分からない。
沼尻に入ったらマキを割っている人を見つけた。年配なのできっと分かると思い聞いたら、やはり海沿いの道は有ったそうで、今の護岸工事が行われた場所が道だったそうだ。
昔は波打ち際を歩いていたそうだが、護岸工事で地形がすっかり変ってしまった。道の面影は残って居ない。

沼尻漁港から先の方は、まだ道はあると言うので行って見る。
道はあったが、この道も途中でゲートがあり立入禁止になっていた。
そこで迂回して反対側から行ってみたら、車が置いてあって、海には釣り人がいた。
イソメがたくさん
イソメを取っていた。この辺りのテトラポッドに沢山いるそうで、仕掛けは海に投げておいて、釣れない時はひたすらイソメを取るそうだ。
最近は漁師の人も知って、商売としてごっそり採るので少なくなったそうだ。
天気が良い中しばらく話しこんだ。かれは早朝来ているので、防寒着を着たままで、顔には汗がびっしり溢れていた。私は半袖Tシャツに短パンだ。その差は大きい。道を聞いたら、地元の人ではなく、函館の湯の川の人だった。
自分は足が悪くて長く歩く事は出来ないが、歩ける事は良いなと言って、「頑張って!」の声に送られて出発する。

少し歩き衛生センターから海側を覗いて見ようとなった。海沿いをあるけるかのかの確認だ。
近道のような道があったので脇道に入ったら、薪を割っている人がいた。
この辺りでは、冬に備えての薪割りがあちこちで行われている。冬が近くなっている事を感じさせられる光景だ。
センターへの近道だと思ったら、行き止まりだった。
しばらく話をする。話す度に道の情報が入るので嬉しい。
一度国道に出て、衛生センターに行き、奥まで行ったら道があった。早速下って行ったら海まで続いていた。
でもこの道がどのような道かは分からない。
戻ってセンターの管理人室に行く。
この辺りの道の情報を教えてくれた。
ここから砂原への道があった。砂原のおばあちゃんが言ってた道が此処に出てくるのだ。
砂原のおばあちゃんの話しと合わせるとぴったりあった。

次に行ったのが相泊。ここもおばあちゃんが言う旧道なのだ。海沿いの道を歩いて相泊の海岸も通った。ここには温泉があった。岩に間から出ていたと言っていた。
ゲートがあり車の進入が禁止の道を入って行ったら、言った通り廃家があった。でもここの集落に来る昔の道が分からない。この辺りをうろうろして戻ってきたら、エンジンカッターで草刈りをしている人がいた。
私の後から来たのだろうが、ゲートがあり鍵が掛かっていたのにどうして入れるのかなと思ったら、ここの元住人だった。ここにずっと住んでいたが、7年前に最後の住人としてここを出たそうだ。

まだ海岸に置いている船をだす事もあるので、道の草刈りをしているそうだ。仕事を中断したので「すみません」と言ったら「暇だから良いよ」と草原に2人で腰掛けて話す。
「国道は海の砂浜だったんだよ」
ここもそうだが、昔の国道は海が多い。アップダウンの多い山道より平坦な海を通るケースが結構ある。
温泉があるとおばあちゃんが言っていたと言ったらあるという

冷泉が出ていた
45年前はここは電気も無かったそうで、好きな人がいて風力発電機を3台作ったそうだ。家の天井の電球を点けるために作って重宝したのだが、強風で3台とも櫓が倒れてしまったそうだ。
45年前に風力発電機とは驚いた。電気の無い田舎ではこんな事も行っていたのだ。

温泉を見に行く。確かに岩の間から出ていた。でもこの温泉は昔から28どくらいでぬるかったそうだ。それでも漁を終えた漁師は体に良いと入っていたようだ。馬にも温泉を使わせていたそいうだ。
今はただ温泉が海に注いでいた。

昨日、今日と沢山の情報が集まり、収穫の多い旅だった。砂原〜本別までの道が明らかになった。やはり歩くに限るな、人との触れ合いが多い。

少しさびしい宿営地
 鹿部に入り、無愛想なおかみさんがいる「熊の湯」に入り、間欠泉の前の駐車場にテントを張ろうと思ったが、また鹿部漁港の船がうるさいと思い、そこから少し歩いて大岩の新しく出来た国道バイパスの歩道のそばの空き地にテントを張る。集落から離れた淋しい場所だ。
9月16日(水) 函館〜鷲ノ木〜砂原を歩く
 天気も回復したので、道南ミニ歩き旅に出る。今回は自作したキャリアの耐久性と不具合の洗い出しをする事、それにまだ不明の旧道を探す事が主たる目的だ。
 それもあるのだがやはり旅に出たいと言うのが本当の目的だ。歩きながらのんびりと旅したかった。
 45リットルのザックには、テント他の宿泊道具と衣類関係が入っている。後は15リットル程度のザックを背負って、こちらは物出入れの多い食料品などを入れた。
 重量は測定しなかったが、キャリアには結構な荷物が詰まれている。
 家の前で記念撮影して、函館駅に向けて歩きだす。
 キャリアを押したら、荷物を積んでも直進性はバッチリで、方向性も手を離したら真っすぐ前に進む。
 さらに前後のバランスも良いし、今のところ言うことなしだ。

土方歳三終焉の地碑
 途中、土方歳三最後の地碑に寄り参拝する。
函館駅で・・

 函館駅に着く。子供が大勢いる。臨時列車があったので駅員に聞いたら、団体なので乗車は出来ないと言われ、予定の電車を待つ。
 待っていたら駅の関係者が話しかけて来た。キャリアを見て「これは自作ですか?」と聞いた。
「そうです」と答えたら、「これは良いですね。タイヤも大きいし使い勝手が良さそうだ」と言われた。
 分かる人は分かるのだと、最初から気分を良くしてしまった。

 電車の出発まで30分となったのでホームに入ろうとしたら、義理の妹が送ってくれると電話が入った。キップは買っているし、キャンセル出来るのかと思い、駅員に聞いたらキャンセル出来た。
 妻と一緒に迎えに来た車で鷲ノ木に向かう。快晴の天気も、途中から雨になった。鷲ノ木はかなり降っている。

鷲ノ木の東屋にて
鷲ノ木に着いて急いで屋根のある東屋に荷物を運ぶ。
 妻と妹は温泉に行くそうだ。記念写真を撮って別れる。
 早速、レインウェアに着替えて、雨の中の出発になった。
鷲ノ木から見た砂原岳
 まずは徳川艦隊上陸の地の碑に行き、ここをスタートする。
 30分も歩いたら雨が上がってきた。レインウエアを脱ぐ。森から砂原までは、何度も来ている道なので、古い地図と現在の道を確認しながら歩くくらいで、特に興味のあるものも無く淡々と歩く。

 やがて砂原に入った。小学生の男の子が5人いた。
「おじさん何しているの?」
「歩いているんだよ」
「何処まで歩くの?」

「函館までだよ」
「カッコイイ!」
「夜はどうするの?」
「テントで寝るよ」
リーダーらしく男の子が目を輝かせて
「おじさん弟子にして!」
「でも君たちは学校があるからね、大きくなったら旅した方が良いよ」で別れた。

 少し歩いたら、後からセーラー服姿の女子中学生3人がママチャリデ追い抜いて行くときに、こんにちわと声をかけて行った。実に礼儀正しい。

 さらに行って、稲荷神社があったので、明治の地図にある神社か確認していたら、「おじさん!」と声がする。う〜んどこからなのかな? ときょろきょろしたが、遠くの家の前からお母さんが言ったのだ。
 家の方に行き話をする。
 元気ばりばりのお母さんだった。
 「何しているの?」
 「箱館戦争の時の道を探しているんです」
 「うちのおばあちゃんは鹿部出身なので鹿部に昔は歩いて行ったので詳しいよ」
 おばあちゃんは燐家で一人暮らしだった。94歳になるおばあちゃんは耳も口も頭も完璧だった。 全く普通の会話が出来る。話を聞いて道はかなり分かった。
 この砂原岳の裾野を通る道は昔の道で、今の国道が出来る前の道だった。この道の存在は知っていたが、何処にあるかは全く分からなかった。それがすんなりと分かってしまった。
 今回は詳しい地図を持って来ていなかったので、再度訪問することになった。
 「いつでもおいでと」ばりばり母さんは優しい。
 また昔の道が新たに分かった。
 
 今日の宿泊場所を決めなくてはならない。前回はハマナス台場公園の高台にテントを張ったのだが、朝に港を出るホタテ漁船の音がもろに聞こえたので早く目が覚めた。
 今度は、市街地の外れの綺麗な公園にする。管理人の看板が沢山ある。「自転車乗り入れ禁止」「犬の糞の始末をやりなさい」などなど。キャンプ禁止は無かった。
 東屋があったので、ここで夕食を作る。唐揚げをする予定だったが、鶏肉は切って油で炒め、そこにレトルトカレーとご飯を入れて加熱する。
 鶏肉一杯の入ったカレーが出来た。

 夕食作り
 テントを張って、日ハムの野球を聞きながら、「徳川慶喜」の本を読みながら過ごす。
9月15日(火) 天気予報通り雨
 朝の1時40分に目が覚めた。何て早いんだ。でも意外とすっきりしているので、そのまま起きてパソコンに向かう。10月の高校事務局長研修の講演原稿を作る。パワーポイントの講演になるので、昨年行った講演の原稿に手を加える形で、修正と追加を行う。
 でも前回と比べ、内容的には充実してきたなと実感する。新たに調査した白神山道が追加されるので、これで南蝦夷の4大難所が全て明確になったんだと感無量。
 朝食は久しぶりのイカ刺しだ。いつもの通りイカ売りが「イガ〜イガ〜」とやってきた。新鮮なイカがいつでも食べれるのは嬉しい。
 明日出発するので今日はのんびり温泉に行く事にする。10時半には出かけた。温泉で寝湯に浸りながら、瞑想するのが好きだ。今度は何に挑戦するかなとじっくり考えられる。

 上がって本を読む。昨日古本屋で買ってきた「毛利元就99の謎」250円で買ってきた。
 先祖(・・なのかな?)はどういう人だったのだろう?
 平城天皇の第一皇子・阿保親王で、その後の大江の末裔である。
 これで訳が分かった。北海道の余市の隣に大江村がある。ここでは毎年毛利祭りをやっている。何故大江村なのかと思っていたが、これが理由だった。
 大江から毛利になりさらに大江になって北海道に入植したのだ。
 毛利元就はどんな人?
 元就は頑丈な体で無かったが、当時としては珍しく75歳まで生きた。これは平成、節制につとめ、飲酒を慎んだから。・・う〜ん、私も節制して酒を飲んでいない。共通点だ。
 元就の妻は妙玖(みょうきゅう)だが、お妙(たえ)さんと呼ばれていた。・・私の妻も妙子で何か共通点。
 妻が生存中は側室を置かなかった。・・それは私も同じ(今の世で出来るはずがないが・・)
 最期の子は古希が過ぎた71歳の時の子だ。・・これはまだ可能性がある??
 女性に対しては濃(こま)やかな心遣いをする人だった。・・それは言えるかも?
 やはり私は安芸の毛利元就の生まれ変わりなのか? 広島のおばさんに聞いておけば良かった。
 などと・・温泉でのぼせたのか、可笑しな妄想をしていた。


 温泉から出たら雨だった。天気予報がぴたり当たった。明日の出発で良かった。
9月14日(月) キャリアに荷物を積み込み
 こんな感じで出発します
 今日は朝から、キャリアに荷物を詰め込む。今日、歩き旅の出発に決めたのだが、まだまだ足りないものなどがあり、購入しに行ったりしていたら、時間がだんだん無くなってきた。
 おまけに一昨日の七飯岳の山登りで、いつもは履かない革製の登山靴を履いた。中にはインナーソールが入っていて、そこに厚手の登山靴下を履いた。少しきついなとは思ったのだがそのまま出発した。
 登山途中で踵の上が擦れて、痛くなってきた。カットバンを借りて歩くには不自由無く歩けたのだが、家に帰って、水膨れまで行かないが皮がぷらぷらしているので、切ってしまった。
 そして消毒をしたのだが、今日はそこがやたらひりひりしていて、靴を履くのは厳しい。まあサンダルなら痛くないからそれで行こうとした。
 パッキングも終わり、テレビを見ていたら、明日は午後から雨の予報だ。「別に急ぐわけでもないのだから、晴れたら行けば良いでしょう」とのお言葉に・・ははぁ〜となり、今日の出発は止めて、明後日から1週間は天気が良いと言う、半信半疑の天気予報を信じて、明後日出発に決めた。
 傷薬を買ったり、旅先で読む単行本を古本屋で買ったり、こまごました用事を済ませてしまった。足の傷も良くなるだろう。
9月13日(日) 日ハム勝利-旅の買い物
 朝の5時からびっしり資料作成が続く。「土方歳三 蝦夷を歩く」の踏破計画書やPR用の資料を作成する。作業は朝食を挟んで昼まで続いた。疲れる〜。
 ごぼうのあく抜きが済んだら、汁を入れる

 卵とじして完成
 朝食はキャンプ料理のレシピ作りをする。使うのはさんまのかば焼き缶詰だ。
 これはシェルパ斎藤の「ワンバーナー簡単クッキング」のパクリなのだ。
 ごぼうを薄くスライスして、10分くらい水に浸しあく抜きをする。水を適量にして、さんまのかば焼き缶詰の汁のみを入れて加熱する。
 さんまのかば焼きを入れる。そして卵を溶き入れて終わりそれをご飯に載せて食べる。
 ごぼうの味がマッチするのだが、入手出来なかったら、たまねぎなどでも良いかも。
 さんま缶詰が好きなので、まあ好みの味に仕上がった。でも旅ではごぼうの少量入手が難しいな。
 今後旅のレシピの充実を図る。ゲストハウス「自遊旅」に来る旅人も、それぞれのレシピがあり、それらをまとめると面白い物が出来るとなったのだ。

 昼には日ハムの試合を見る。何しろ6連敗なので、もう後がない。でも今日は病み上がりだがエースのダルなので期待が持てる。結局勝利して連敗ストップ。流石にエースだった。
 こんなにたくさん買って貰えた
 夕方に買い物に行く。明日から歩き旅に出るので、食料を少し買って貰える事になった。
 貧乏旅ほど楽しいと言いながら旅しているが、本当は貧乏旅しか出来ないが正解かも。
 でもそれだと恰好が悪いから、松尾芭蕉の「貧乏旅ほど楽しいものは無い」と言っているのを、拝借している。いずれにしても旅は楽しい。
 明日から道南をのんびり歩き旅をする。12月の「土方歳三 蝦夷を歩く」の事前準備で、キャリアの耐久性のテストと、今まで調査した道に変わりは無いかとか、新たなキャンプ地は無いか、食料品店はどこにあるか等をチエックなどをする。
9月12日(土) 七飯岳登山
 七飯岳に行かない?と誘われ、特に急ぐ用事もなかったので、義理の妹うを連れて参加する。
 待ち合わせの城岱に至る道に着いた。すでに3台の車が来ていた。後から1台来て出発する。
 参加者は6人で男女3 人づつの構成。
 早速上るが、このコースは数十年前に来たと思われるのだが、記憶には全く無い。
 幅広い道から、狭い道の登山道rに入る。左右を木々に囲まれて、お〜森林浴と十分感じさせてくれる。熊の糞も数ヶ所あり、熊が木の根に掘ったばかりの跡もあって、お盆も過ぎたのに、ぞくぞくする雰囲気なのだ。
 鳴らすホィッスルに緊張感が一層増してくる。
 急斜面は息が上がる
 たまには道なき道や砕石場の跡の急斜面を登ったりとワイルドな登山が続く。
 その内町有牧場が出てきて、鉄条網をくぐって中に入る。一度車道に出て、再び道がはっきりしない斜面を登る。野イチゴが沢山あるし、蕨も誰にも取られず伸び放題になって沢山あった。
 来年はここに来て採るんだと脳裏に覚えこませるが、ボケた頭に記憶が来年まで残っているのか?
 遠くに函館山が見える
 岩の間を乗り越えて頂上に着く。遠くには駒ケ岳が綺麗に見えた。
 頂上で・・
 ひと時休んで下山する。道の悪い車道を下り、舗装道路を下り、再び砂利道の長い下りを歩いて、舗装道路に出る。ここをしばらく歩いてようやく到着。
 距離的には10kmくらいなのだろうか。6時間歩いて、ちょうど良い運動になった。
9月11日(金) MAXのご苦労さん会
 ついにMAXが廃車になる事になった。そこで最期に今までの感謝の意を込めて、最期の遠出に出る。
 行き先は恵山のホテル恵風で、ランチパックで食事をして温泉に入る事だった。
 MAXは快調に走りだす。廃車になるとは思えないくらい調子が良い。
 これが江戸時代から幕末に金銀銅を運んだ道
 途中の川汲温泉近くに車を止めて、友達に千葉さんの土地に行く。旧道調査の中で、どうしてもここをもう一度調べておきたかった。
 松浦武四郎の古い絵を見たときに、道が書かれており、その道が自分の考えていた道と違うように思ったのだ。そこでサイド再度現地確認に行った。
 この場所は江戸時代から幕末にかけて徳川幕府の金銀銅の鉱山があった場所で、今でも川の上流に鉱山跡は残っている。
 この鉱山から運び出す道が、松浦武四郎が書いた道と似ているのだ。この辺り一帯を調査したが、間違いなく絵と一致する。ようやく謎が解けた感じだ。
 
 その後、先日行った落葉松の林に行ったら、少し落葉キノコが出ていた。後、2週間もすれば沢山採れるかな。それでも1回分は確保できた。

 そして温泉に向かう。昼なので館内は空いていた。ランチはエビ天丼にする。エビが3本入っている。
 お吸い物はエビの出しで取ったもので良い味がしている。

 しばらく3人(妻・妹)で雑談するが、私はいつもの資料調べをする。温泉場の休憩室は何故かのんびり資料調べが出来るので好きな環境だ。

 温泉に入った後も、女たちの長い入浴も気にならずに、資料調べに専念できた。疲れたらひと寝入りする。何と良いのだろう。
 赤飯と落葉キノコの味噌汁
 家に帰ってMAXをリサイクルショップに持っていく。手続きは簡単に終わった。
 積んでいった自転車で近くの桔梗町まで走り、そこでフレンディに乗って帰る。15万km走っているが、やはりフレンデインの方が力がある。

 家に帰って妹が作った赤飯と採ってきた落葉キノコの味噌汁で夕食。ご苦労さんでしたMAX。
9月10日(木) MAXも致命的な結果
 朝早くから12月に実行する、「土方歳三 蝦夷を歩く」の実行計画書を作りをする。日数で2週間かかる。資金的な面を考えれば旅館への宿泊は無理だ。1泊6000円としても、14日では8万4千円になる。この出費は痛いし、これだけの費用があれば、冬用寝袋もテントのインナーも買えるではないか。
 しばし考えてしまう。やはりテント泊しか無いかとなった。テント泊の場所は概ね公園を使えば良いし、時々は宿泊場所を提供してくれる家があったら、お世話になろうと思うが、今の所、原口の佐々木さんしかいない。
 これから探そう。
 このコースは田舎に入ると食料品店も無くなるので、店の場所の確認なども今後しなくてはならない。いずれにしても、綿密に計画を立てないとだめだ。前回は食料や水が無く苦労した個所もあった。

 まだまだ乗れるMAXなのだが・・・。
 今日は愛車MAXの車検日になっている。予約した10時にカードックに行って、車を検査して貰う。しばらく検査した後、重大な欠陥がありますとただ事ならぬ様子。
 話を聞いたら、ブレーキのハウジングの辺りが極端に悪く。完全にブレーキパットと接触している面積が少ないそうだ。これはすべて交換するしかない。
 他にはマフラーが破れている。確かに数日前から音は少し高くなったと思っていた。
 「溶接で何とかなりませんか?」と聞いたら「うちにはガス溶接しか無いので・・」確かにガス溶接だと薄くなったマフラーは溶けてしまう。電気溶接があれば良いのだが・・。
 他にもこれでもか! と言うくらい欠陥を見つけてくれた。前回は全くなかったので、この2年でこんなにもなるのかなと半信半疑だ。
 結局車検は止めて持ち帰る。でも車検は13日で切れる。
 帰って相談する。家にはもう一台のフレンディがある。2台持つのは大変なので一台にしようとは思っていた。そのフレンディは13年以上経っているので、新車の際下取りすれば、新車の値引きがある。
 これを活用して軽のワンボックスを買うことにしていたので、この際、MAXを廃車にする事にした。
 後何年運転するか分からないが、いずれにしても1回は乗り換えなくてはならない。
 その時期は今かな?

 でもまだまだ走れるのだけどね。廃車にすれば超安いし、MAXしか無いなら14万円出しても、修理して乗るんだけどな。
 勿体ないな。
9月9日(水) ヘイデンさん出発・・健康サロンin明和園
 大きな輪行バッグを持って出発だ
 ヘイデンさんが出発。朝7時函館発の普通列車で出発するので駅まで送っていく。自転車は昨日の夜に輪行バッグに詰めて車に積んでおいた。
 昨日は日ハムが5対0で西武に負けた。ヘイデンも日ハムファンでダルビッシュと稲葉が好きだ。2人で残念がって駅に向かう。
 駐車場に車を入れて、ヘイデンさんが輪行バッグを担いで駅に向かう。すぐにホームに入るという事で、改札の前で別れる。
 いつもの別れになる。会ったと思えば別れる。これが旅人の宿命か? 日本に居ればまた会うチャンスはあるだろうがハワイじゃなかなか無いだろうな。
 握手して別れる、お互いに元気で! 
 スピーカーの無いラジオもばっちりだ
 今回来た今井さんが、私の知らない100円グッズを持っていた。それはオーディオ機器のイヤホンに差し込むだけで、スピーカーから音が出るのだ。電池も何もいらない簡単なものだ。
 テント内や外で音楽などを聞く場合は、イヤホーンをして聞いていたが邪魔な時もある。ましてテント内では、わずらわしい。聞いたらセリアにあると言うのですぐに購入してくる。
 差し込んだら、ウォークマンもラジオも音が出た。これは重宝する。

 昼は健康サロンin明和園のウォーキングに日だ。実は私が東北を自転車旅していた時に、集まりがあり、私が提案したウォーキングコース3コースが採用された。
 班は4班に分かれるのだが、私の居る班のリーダーが、なかなか決まらなかったそうだ。そこで妻が私の夫にやらせますとなったそうだ。
 我が班は7人で私がリーダーで先頭を行く。みなさんお年寄りだから(私もか?)、後ろを見ながら速さを見たり、信号や道路を渡るときに注意が必要だし、歩きながら楽しくなる様な事も必要になるので気を使う。
 1.5km辺りの慰霊堂に着いたら、ここで慰霊堂の建立の経緯などを話す。歩くだけで無く学習も入れた。
 その後は海岸を通って進が雨が降ってきた。もう仕方がないので、そのまま進む。
 次はプリン山に行く。ここには三角点がある事はあまり知らない。
 三角点とは何ぞやと話し、ここの高さは幾らありますか?と質問。色々出たが、10mが一番近かった。本当は7.23mなのだ。こんな所に三角点があるのはみんな知らなかった。
 プリン山は誰が付けた通称なのか? でも何かプリンに似ている。結局57分で到着。他のグループは45分くらいで着いたそうだ。その分学習が出来た。
 これで350円だ
 昼は350円で食事が出来る。ヒジキと鶏肉の揚げたのともやしのセット。このソースが美味かった。事務長がお変わり自由なので、幾らでも食べてくださいと言うので、結局2人分食べてしまった。やばい!
 ソースが美味しいのを、管理栄養士さんに聞いたら、隠し味に酢を使っているそうだ。
 次回レシピを教えて頂く。
 帰りに我が班の参加者から、分からないことを説明して貰って嬉しかったとみんなに言われて嬉しかった。調べておいたかいがある。良かった良かったで終わった。

 帰りに事務所によって、プロジェクター付きの会議室が有ったので、無料で借りれるか事務長に聞きたかったが食事に行ったそうで居なかった。
 無料なら講演会に借りたかった。駐車場は大きいので申し分ない。「自転車旅講座」を開設したい。
9月8日(火) 今井さん本州へ・・白牡丹さんと会う
 キノコ三昧料理
 昨日はキノコが「ハナビラタケ」だった事から記念食事会を開いた。
 妻の妹が炊き込みご飯、妻がお吸い物と天婦羅を作った。食感はきくらげに似ていて歯触りがよかった。
 天婦羅は今一つ物足りなカttが、吸い物は最高で炊き込み御飯も美味しかった。
 隣の旅人2人にもおすそわけが出来た。

 今井さんが出発
 今日は今井さんが14時のフェリーで青森に向かう。今後本州の日本海を南下する。朝のまったりした時間をヘイデンさんも含め会話で過ごす。
 朝のまったりしたひと時
 午前中は二人とも観光で出かけた。その後今井さんだけが帰ってきて、パッキングをして出発する。今後はしばらく北海道には来れないが、また冬に来る事を約束した。
 北海道最後にこんな良い場所に宿泊出来て良かったと行って貰え、こちらも嬉しい。目的としている、旅人が安らげる空間の提供が出来ている。
 握手して別れる。いつもの光景がまた今起きている。

 柳川風さんまのかば焼き丼
 昼食はキャンプ食を作る。これからキャンプ用簡単クッキングをまとめて行くが、最初に作ったのは、シェルパ斎藤のレシピ。
 ごぼうをささがきにして10分水に入れあく抜き。さんまのかば焼き缶を開け、汁を鍋に入れる。そこにごぼうを入れ、水を少々入れる。さんまのかば焼きも入れて加熱。
 そこに溶き卵を入れて少し加熱して完成。
 簡単だしいける。


 午後から東京から来た白牡丹さんと会う。16回目の函館訪問という、土方歳三ファンだ。
 FMイルカの1FのCaffeで話す。2年ぶりの再開になる。
 今回は私が執筆した本を見て貰った。新選組や土方の本は多数持っているものの、道に関する本は持っていないので、喜んで見て貰った。
 早く売ってほしいと言われたが、まだ具体的にはなっていない。一応出来てはいるが、さらに充実させた方が良いのか、このままの方が良いのか考えている。
 その他に、名刺サイズの函館戦争史跡めぐり158枚の写真も面白いと言われた。裏にマップも入れるとさらに良くなるかも。

 夕方からはヘイデンさんと話す。
 彼はこれからスポーツキャスターを目指すそうだ。
 彼のお父さんもスポーツキャスターをしているそうで、かれも今後勉強して目指すそうだ。
 ヘイデンさんの曾おばあちゃんは福島の人で、曾おじぃちゃんはドイツ人だった。彼は今回の旅で行き当たりばったりだが、曾おばあちゃんの知っている人を訪ねて歩いて、おばあちゃんを知っている人を見つけたのだ。すごい粘り強い人だ。
 その後、北海道を回って、函館からは青春18キップで東京に帰るのだが、12回の乗り換えがあるハードなスケジュールだ。
 北海道ではテントとライダーハウス泊まりだった。札幌では中島公園に泊まったが、警察の職務質問を受けたが、火を使わなければ良いとなったそうで、日本の警察は親切だと言っていた。
 アメリカはすぐに撃たれたりと怖いと言っていた。
 日本は公園、川、海浜のどこでもテントを張れる。日本人は親切だ。ハワイなどは色々な国の人がおて、治安は良くないと言っていた。
 英語と日本語の混在した会話は上手くいく。多岐に渡って話をした。
9月7日(月) 幻の?キノコだったー旅人来る
 月曜日になったので保健所に行く。行き先は食品衛生担当だ。
 係の人にキノコの鑑定を依頼したら、間違いなく「ハナビラタケ」だった。早速一緒にキノコ採りに行った、妻の妹の家に行き報告する。
 大量のキノコなのでどうするかと思案の結果。それぞれで料理して我が家に集まり、キノコ三昧の食事会を開くことになった。楽しみだ。


 ハナビラタケ(ハナビラ茸)という幻のキノコとは?
 ハナビラタケはハナビラタケ科のキノコで、白い花がぱっと開いたような外観かからその名がありまり、ヨーロッパでは『カリフラワーマッシュルーム』と呼ばれています。一般にあまり知られてないのは夏キノコであり、主に千m以上の高山に生えるという特徴と、自然に生える量が比較的少ないため、人目に触れることが少なく、このことが『知るひとぞしる幻のキノコ』と言われる由縁です 豊富なβ-グルカンを含んでおり、免疫力の低化を抑制する働きがあるとされています。
と書かれている。

 陽気な二人だ

 今井さんと


 これは大きな鮫を意味する。彼はサーファーだ
 昼に昨日電話のあった旅人が函館に着いた。いつもの待ち合わせ場所の啄木小公園に行って少し待ったらやってきた。
 神奈川の今井さんとハワイのヘイデンさんだった。今井さんはランドナーに乗る。ヘイデンさんは私と同じカナダのルイガノだった。
 「自遊旅」で、訪れた旅人のノートを見ていた、今井さんが我ゲストハウスに来た時の、山崎美緒さんの写真を見て、彼女の「マンゴーと丸坊主」の本を持っているそうで、彼女のファンだそうだ。世の中は確かに狭い。
 ヘイデンさんは日本語は余り分からないが、函館で今回の旅は終えて、明日のフェリ-で青森に向かい、後は輪行で福島に帰るそうだ。
 2人は函館山の夜景を見たり、ベイエリアに行って海鮮ものを食べたりするそうで、自転車で町に出て行った。
 帰って来てからビールを買ってきて、宴会をすると張り切っていた。私もコーラで付き合おう。
9月6日(日) ミニ旅に出るか?
 大分色々な事が片付いて時間に余裕が出来てきた。
 そうなればまた何かをしたくなる。
 そんな時、キャリアで日本縦断している奈良の佐野さんが、2度目の車軸折れが発生した。私のキャリアを参考に作ったのだが、車軸は焼きが入っていないので、繰り返し荷重かかればやはり弱い。

 私の1号機も200kmくらいで車軸が折れた経験がある。
 2号機は焼きの入った軸にしたのだが、何か心配になる。12月の土方ウォークで使うので今のうちにテストしたほうが良いだろう。そこで耐久テストの旅に出ようと考え支度を始めた。8日は土方関係者が来函するので会う用事があり、10日には車検があるのでそれ以降に道南のミニ歩き旅をしようと決めた。
 早速荷物を詰め込み準備は完了した。

 人力車のカップルから貰った風プロジェクトのハンカチが綺麗なのと、メッセージが入っているので、額に入れることにした。正方形の適当な多さの額は無いので余白に写真を入れて完成。
 額に入れれば立派に見える。
9月5日(土) 部屋で閉じこもり
 今日は快晴の天気だが家に閉じこもり。
 本も完成して一段落
 まずは「土方歳三 蝦夷を歩く」を製本した。以前の様に体裁の良い本の形は止めた。Asimixのパーソナル製本機で作成した。印刷した書類を指定のカバーに入れて、機器に入れるだけなので簡単に出来る。
 本と言うよりは技術書を見る感覚でも良いかなと思う。これなら増刷がかなり楽になるので、体裁よりも実を取ったと言う事になる。
 内容が充実の「KAI」だ。
 今、札幌のホッカイドウマガジン「KAI」から取材依頼が来ている。この本については知らなかったので、どんな本なのか送って貰った。
 担当者に聞いたところ、「来た道と行く道と。道から眺める北海道」という旧道に関する記事があると言うので、興味深々で送られてきた本を見た。
 歩く道の文化、フットパスを訪ねている。気になるのは今、自分が調査執筆した、「福山街道が」載っているのかと言う事だった。
 見たら、北海道のフットパスは19ヵ所掲載されているが、「福山街道」は掲載されていなかった。ある意味ほっとした。6年間調査した内容が載っているものなら、苦労も水の泡になる。
 やはり「福山街道」は奥が深いので簡単には書けないだろうな。
 本をじっくり見たら、なかなか面白い本だった。季刊誌でまだ3巻しか出ていないが、北海道の自然・グルメ・人・歴史などが載っており、写真も凄く綺麗で楽しめる本だった。
 こんな本に「旅人も〜さんの足跡を訪ねてみよう」と載る。内容的には少し褒めすぎで恥ずかしいが、取り上げて貰えて素直に嬉しい。

 私の持っているウォークマンは演歌が入っている。いつもはゲオでCDを借りて、コピーするのだが、家に近いゲオは演歌のスペースが極端に少なくなってしまい、ほんの僅かしか無い。これでは曲が全く増えない。
 考えた末、You Tubeの動画サイトから音声のみを切りだす事にした。You Tubeには凄い量の動画が入っている。音楽動画だけでも凄い量だ。
 ライブの映像もあるので、音はCDとまで行かないが、私の音楽レベルでは十分だ。
 動画をダウンロードして、切り離してFLVからMT3に変換する無料ソフトを使い、やってみた。
 最初は苦労したが、何とか出来るようになった。これで演歌が増えるな。
 水戸黄門・巨人の星を入れた。これは自転車で坂を登る時に聞く音楽だ。古いな〜
 記念写真を撮っておいた
 昨日のキノコが痛まないうちに記念写真を撮った。もし、幻のキノコ「ハナビラタケ」だったら、キノコ三昧の料理を作って振る舞う事にした。
 大丈夫かな?
9月4日(金) キノコ採りへ
 今年は雨も多いから、キノコがもう出ているかも知れないから行って見ようとなった。もし駄目なら温泉にでも入ってのんびりすれば良いだろうと考え、妻と妻の妹同行で出発した。
 いつもの道を走って行ったのだが、鉄山と言う所で道を間違える。・・と言うか新しい道が出来て従来の道は行けなかった。
 それに気がついて、Uターンをしようとしたら、その場所に変な案山子?がある。どう見ても箱館戦争の兵隊の案山子だ。畑に来るカラスなどが来ないようにと言うような感じでもない。
 かなり面白い雰囲気が漂っている。皆で車を降りてしげしげと眺める。
 近くに家があるので、その家の人が箱館戦争が趣味で作ったのかどうかは分からない。
 雰囲気がなかなか良い

 これも兵士だろう

 これは兵士で無いが、何か表情が良い
 道を変えて、キノコのある場所に行く。ここは旧道探しで知り合いになったTさんの土地で、ここのキノコは採って良いとなっている。
 落葉松の中に入ったがまだ早いのかキノコは出ていなかった。
 これは駄目だねと諦めていた時に、これ舞茸でない? と妻の声。
 キノコがびっしり固まっている。舞茸で無い事は確かだが、判明しない。とりあえず持って帰ろうとなった。
 これが「ハナビラタケ」なのか?

 これが図鑑にあるキノコ
 キノコはそれ1固まりだけで後は何も無し。
 そこで南茅部保養センターに行く。ここの温泉は、硫黄泉で乳白色温泉で結構気に入っている。10時過ぎに入ったので誰もいない。
 持ち込んだおにぎりを食べながら雑談し、楽しいひと時を過ごす。
 風呂に入って、持ち込んだ資料のチエックや新たに頼まれた原稿をチエックして過ごす。
 何故か一番効率が上がる一時だ。

 十分堪能して家に戻る。そしてキノコ図鑑を調べる。食用キノコで一致するものがあった。「ハナビラタケ」だ。
 でもなかなか自信が無いのがキノコだ。市立保健所に電話をする。
「採って来たキノコが食べられると思うんですが・・見てほしいんですよ」
「分かりました。でも今日は5時半で終わるので無理ですね」
「明日はどうですか?」
「明日、明後日は休みなので、月曜日になります。洗わないで保存してくださいとなった」
結局月曜日にならないと結論が出ない。

 仕方がなくWEBサイトを調べたら・・・・
 何と「
ハナビラタケ」であれば、希少価値の高い幻のキノコで抗がん剤に使われているそうだ。
 図鑑やWEBサイトを見ても間違いはないようだ。
 何処かにキノコ博士は居ない? 月曜日には保健所に行く。
9月3日(木) MTBで例会へ
 今日はぶんぽ研の例会。
 その前にと朝から完成した「土方歳三 蝦夷を歩く」の印刷を行っているのだが、プリンターがすこぶる調子が悪い。シアンが出なかったり、全体的にインクの出が悪かったので印刷が出来ない。
 その内に黒が無くなって印刷不可能。疲れた時間を費やした。

 チャリを出して北斗市に向かう。例会の1時間前に出たが、風は追い風だった。それでなくとも細めのスリックタイヤを履いているので、走りが軽いのに追い風だ。心がルンルンして走った。
 北斗市(旧大野町)の町の中に入ったら、前にバックパッカーが居た。足の黒さから日本縦断だろう。でも国道を歩かないで、ここの道を歩き人はあまりいない。
 声をかける。やはり日本縦断で宗谷岬を目指している。
 しばらく並走しながら、話をする。リタイヤしたので記念に日本縦断を決めたそうだ。
 普段は山登りをやっているそうで、かなりの健脚と見た。
 でも歩くのはもう飽きたとも言っていた。
 声を掛けられたのは殆ど無かったそうで、大変嬉しそうだった。
 お互いの名前を交換したが、埼玉の福来さんだった。
 自身のブログも出しておられた。
 http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~fukurai1/
 元気で旅を続けられるようにと握手して別れた。今年はリタイヤ組の歩き旅が多いな。

 ぶんぽ研の例会には、昨日の道新みなみ風に出ていた、欧州最高峰のエルブルース(5642m)を登頂した内城さんが来ていた。皆から凄いねと言われていた。
 私は今までせいぜい2000mクラスしか登っていないので、そんな高さに登ったらどうなるかは分からない。
 一度だけフランスのトロアバレーの3000mのゲレンデを滑ったが、100m滑らないうちに息が上がって滑れなくなった経験がある。その時は酸素濃度が低いって言うのは大変な事だとは思った。
 登山では経験がないし、今後も3000m以上の高い山には登る事はないだろう。
 「土方歳三 蝦夷を歩く」の12月決行を発表した。う〜大丈夫かな?
 プレッシャーをかけてやるか、ひっそりやるかだが、やはりプレッシャーをかけられた方が自分の性格には良いかも。
 葉書と本は完成した。後は詳細な日程計画を立てなくてはならない。
 そしてトレーニングも必要だ。
 問題は宿泊。宿泊まりは金銭的には非常に厳しいし、テントになれば冬用の寝袋やテントのインナーが欲しいがこれも高価だ。
 宿泊設備の無い場所も多いので、どうにかしなければならない。
 思案のしどころだ。まだ時間があるのでじっくり考えよう。

 家に帰ってきて再び印刷にトライ。今までのカートリッジを変えてみた。詰めたしばかりやっているので出が悪くなったかも知れない。
 シアンとマゼンダをあまり使っていない空カートリッジに替えたら、無事印刷が出来た。
 万歳だ!
9月2日(水) 天気が良い!

 今日は快晴で25度にもなる。今年は真夏日がついに来なかった函館だが、今日は暖かい。
 朝の5時には起きて資料作りをする。もう完成には近づいてきた。
 根気良くやればやればいつかは終わる。それにしても天気が良い。
 昼過ぎまでびっしりやったので、お疲れ気味だし、どこかに行きたいと言う気持ちが湧き出る。

 2時過ぎから北海道新聞の取材で久保さんが来た。以前来た時は嫁さん候補がいないかな? と言っていたが結婚したそうだ。お目出度い。
 MTB登山の記事を載せるにも、新聞社としては慎重になる。
 一般的にはMTBで山に登れば、草木を傷めるとか人に迷惑をかけるとかの危惧があるので、掲載は慎重にしなければならないそうだ。
 日本マウンティンバイク協会は、登山者の迷惑にならなければ基本的にはOKだ。後は、森つくりセンターだが、山によって車馬の入山が禁止されている。自然公園も車馬は入って行けないそうだ。
 MTBなので車などが入るのとは違うのだが、官公庁には融通がきかないだろう。
 今、MTBで登山している人は羅臼の方と昨日仲間から情報のあった方のみだ。
 羅薄の方もかなり注意して登山および下りを楽しんでいる。何かあったら必ず言われるだろうから、普通の山登り以上にとレールを外さないようにしている。
 今、登山用のストックが花や植物を傷めると問題になっている。山に登る以上、誰でも自然を破壊しないように慎重な登山が求められる。
  
 久保さんが持って来たMTBに関する道新のデータベースに、中村信也の100名山を自転車で回ると言う記事があった。彼は数年かけて100名山を登ったが、自転車は移動のための手段で、山には登っていない。
 記事を見て懐かしく思った。どうしているかな?

 今後の活動として「土方歳三 蝦夷を歩く」のタイトルでの12月の踏破を出発前に記事にしてくれるそうだ。
 さらに自転車旅講座も開きたいので、その時も掲載してくれると言ってくれた。やる事は一杯ある。
9月1日(火) サイドカーが勢ぞろい
 我家に近藤さんのサイドカーが来たが、サイドカーで来た人は初めてである。それもBMWと聞けばビビってしまいそうだ。何故サイドカーかを聞いたら、バイクは好きなのだが乗れないそうだ。
何の事故か聞かなかったが、目をやられて不自由だそうで、平衡感覚が分からないので、サイドカーにしたそうだ。
物が二重に見えたりするそうで、走る際は飛ばさず普通の速度で、のんびりと走っているそうだ。
サイドカーは凄く癖があって、アクセルを吹かすと、このサイドカーは少し右方向に進むそうだ。逆に緩めると左方向に行くので、常にハンドルでコントロールしてやらなくては、ならないそうだ。
だから他人のサイドカーには簡単に乗れないそうだ。

 今日で2日間の観光を終えたので、江差に向いそこから奥尻に渡って賽ノ河原でキャンプするそうだ。2日間の観光もサイドカーは面倒だと言って、電車とバスで観光をして歩いていた。
この方がのんびり出来て自分には合っているそうだ。

 近藤さんの友人も夫婦で函館に来ていて、こちらは湯川温泉に宿泊した。昨日私が留守の時に訪問して、こんな場所があるなら楽しそうで酒もはかどるなと言っていたそうだ。
 そのご夫婦がここまで来て一緒に江差に行って、そこでまた別れて、京都に帰る時は同じフェリ−で帰るそうだ。
 8時過ぎに、黄色いサイドカーがやって来た。
 メーカーは聞かなかったが高そうだな。
 チャリは何台買えるかな?







 まるで未来志向の車の様で、空を飛べるのかなと思ってしまった。
 メーカーは分からないが(聞いても忘れそうだから聞かなかったが)コクピット?から奥さんも出て来て、皆で話す。
 皆さん、毎年北海道に来ている人達で、来年はここに泊たいと言っていた。
 皆で記念撮影

 近藤隊長も出発。
 やがて出発の時間が来て、車とはかなり違ったフィーリングで走って行った。
 今日も朝から、礼状や写真整理などで、びっしりパソコンの前で過ごす。
 快晴の天気なのに・・・。
 HP TOP                  前へ         次へ