4月30日(金) 配管工事終了
 今日も風が強て寒く、時々雨が降ったりやんだりの天気になった。
 春はいつ来るのか?
 ホームセンターの開くのを待って、足りない配管部品を購入する。
 残っている工事は、曲りの部分でこの部分は、フレキシブルパイプを使う事にした。
 配管をきちっとやるとなれば、ネジ切りがなければ困難なのだ。
 パイプを丁度良い長さに切って、ネジを切り繋げば良いのだが、工具が無くて無理。
 そこでフレキシブルパイプとなった。
 配管はそれ程の時間も掛らず終了。
 難しい所はフレキシブルパイプを使用

 配管全体はこの様になった
 水漏れのチエックをしたら1個所のみで少し締めてOKになった。
 後は剥がした外壁を元に戻して終了。
 これで安心して水道を使える。

 夕方から日ハムの試合を見る。
 西武の初戦を勝って、3連勝。日ハムらしい試合になりつつある。
4月29日(木) 配管工事
 世間では今日からGWだそうで、TVを見れば多くの人出がある。
 北海道は全体が冷え込んでいるようだ。
 函館もどんよりした天気で寒い。
 折角の連休になる人と言う人に取ってはGWと言う雰囲気では無いだろう。
 毎日が休みの私にはGWも全く関係が無い。
 朝からゲストハウスの配管工事を行う事にする。
 いきなりのトラブルも対処出来た
 ビニールホースで給水していた
 既設パイプを掘りだす
 この様に配管した。蛇口も追加で付けた
 新しい配管を斜めに通す
 トイレの立ち上げ部分の穴を開ける
 水道の元栓を閉めたら、ハンドル部分が腐っていて、取れてしまった。
 最初からトラブルだ。
 幸いハンドルが有ったので、パイプを加工して穴径に合わせてはめ込み完了。
 最初は既設の配管を掘りだす。
 2本の配管がしてあり、1本はトイレ用で樹脂製のパイプ。
 残りの1本は台所用でビニールホース排水していた。
 鋼管は高いので苦肉の策でこの様になった。
 耐久性がないので、いつかは漏れるだろうとの心配があった。
 既存の配管を撤去後は順番に新たな配管を繋いで行く。
 蛇口も余ったのがあったので付けた。
 途中で雨が降って来たので、終わろうかと思ったが、「合羽を着てやれば良いでしょう」の一言に合羽を着てで作業する。
 トイレの中も床に穴を開けたりして、70%くらいは完成した。
 残りの細かい部分は、現物合わせで再度採寸して部品を購入する。
 ここで野球の始まる時間になり、今日の作業は中断した。

 日ハムはケッぺルの力投や稲葉のホームランで勝利。
 少しは明るさが見えて来た様な感じだ。
 野球が終わったら妹から電話が来て、家に来ないの?
 姪っ子の子供の誕生祝いをする事は知っていたが、身内でやるのかなと思っていた。
 早速車で駆けつけて、誕生祝いをする。
 敬人(ひろひと)君はぐっすり寝ていた。
 子供って可愛い。
 最初は遠慮がちで、近づかなかった長男の颯太も少しづつ慣れて来た。 
 帰る時には目を覚ましたので、初めて目を開けた顔を見た。
 敬人君
4月28日(水) 寒い一日
 朝から風が強く雨が降って、もう春なの?
 と言った天気になった。
 何処にも出たくは無い。
 こんな日はパソコンに向かう。
 「土方歳三の道」の本の原稿も最近は執筆が遅れている。
 今日は午前中一杯は頑張って執筆をした。
 今年の秋までには完成させたい。

 雨の中、家の漏れた個所の配管工事をしてくれた会社の社長さんが来た。
 ゲストハウスの配管材料を、快く引き受けてくれた。
 希望の長さに切ってネジを切り、テープまで張ってくれた。
 これで良いかいと、明るく話す社長さんに感謝だ。
 天気が良くなったら配管をしよう。
 今までは塩ビ管とホースで給水していたので、いつ破れるか不安だった。
 特に冬期は凍らないかと心配だった。
 これでゲストハウスの給水も安心して出来る。


 とにかく寒い。
 せめて日ハムの試合を見て熱くなろう。

 2連勝してくれ!!
4月27日(火) 川汲山道の本道発見
 今日は天気も良いし山に行こうとなった。
 目的は12月の土方ウォークで無くした眼鏡を探すことと、新たに上部だけ見つけた明治期の本道を探す。
 この本道は土方隊と箱館府軍が戦った貴重な場所である。
 車で川汲の登山口に行く。着いたら先着が2組いた。1組は札幌の車で登山中らしい。
 他の1組は年配の方で山菜採りだった。川汲はようやく雪が溶けたから、ふきのとうくらいしかないだろうな。
 2人は別に採れなくても良いそうだ。自然の中に来る事が楽しい様だ。
 今回はMTBで登る。雪はすっかり溶けたので快調に登る。
 走って直ぐに急坂があるが、ここは難なくクリア―した。以前登った時はきつかったのを覚えている。
 体力が増したかな??
 途中でご夫婦の方が下山して来た。少し立ち止まって話す。札幌の方で夫婦であちこちの山を登っているそうだ。
 途中で人に合った時と雪が有って押した以外は乗車して台場山裾野まで行けた。
 ここからは押しになる。急な斜面の押しで心拍が一気に上がり、休み休み登る。
 そして台場山山頂。
 台場山山頂で・・
 景色は最高だった
天気が良いので付近の山々や函館山と市街地がはっきりと見える。
 眼鏡を捜しに反対側に下る。
 下って直ぐの雪の上に熊の足跡があった。けっこう大きいので親熊の様だ。
 親熊かな?
 さらに下る。場所のイメージがはっきりしない。マークを付けてこなかった事が悔やまれる。
 それらしき場所を探したが眼鏡はついに見つからず諦めた。
 一度山頂に登って今度は旧道探し。
 残雪期に狙いを付けていた場所から下ると、いきなり人工的な物がある。
 どう考えても塹壕に違いない。
 塹壕の淵から下を覗くと、下には旧道が見える。
 敵との銃撃戦を考えたら最高の条件地だ。
 ここが箱館府兵が銃撃を加えた場所なのか?
 銃撃により土方隊本隊は立ち往生した。
 そこで迂回隊が台場山経由の間道を進み、台場山から下って敵を敗走させた。
 この塹壕は台場山から下れば直ぐ下にある。上から攻められたら一方も無いなとうなずく。
 道を下る。笹はまだそれ程伸びていないので、比較的歩きやすい。
 良い感じの旧道が残っていた
 ここが下の方で先は道が崩壊
 途中からジグザグで下るが、ここが古文書に出て来る九十九折れなのかと納得する。
 どんどん下って行くと道が崩壊していた。
 ロープか何か無いと、滑ったら数十メーターは落ちる。
 ここは単独下山は止めて元来た道を戻る。
 道の地図を書き、写真を撮りながら登る。
 MTBの置いた場所まで戻り、ふくのとうとカタクリを取って下山。
 大正道路は全面舗装なのでMTBなら最高だ。
 苦しい思いして登った御褒美は大きい。
 少し寒い風を切って一気に下る。
4月26日(月) 姪っ子の赤ちゃんに面会
 姪っ子に子供が生まれたのでお見舞いに行く。
 台湾から出産の為、一時帰宅していたのだが2日前に生まれた。
 丁度、前の日に旦那が会社のGWの休みを前倒して、休暇を取って函館に来たばかりだった。
 丁度ぴったりの日に生まれるなんて、親孝行な子供なのだ。
 私の娘も出産した病院なので良く知っている。
 早速見舞の行くと、子供はもう部屋にいた。
 ぐっすり寝ている子供の寝顔を見て一安心をした。
 子供はどちらに似ているのかは、私は判別がつかない。
 何れにしても母子とも健康で良かった。
 健やかに生まれた

 昨日の新聞のコラムに自転車旅の文書が載っていた。
 若い時の自転車旅は本当に楽しかったのだろう。
 そして仕事を終えたら再び自転車で旅するのだろうか。
 幸い私は自転車旅が出来ている。いつも幸せに思う。
 児童公園で職務質問を受けたとあるが、町の中の公園はこの様な事がある。
 地域の人に一言言うか、児童公園は避けた方が良いのは、何回も旅を経験すれば分かって来る。
 私はまだ職務質問は受けていない。
 人のいない所にテントを張る方が多いので通報はされにくい。
 でも精神的な面では静かな場所も寂しくて難しい事がある。

 旅の準備も整って来た。
 一度近くを旅しようかな?
 旅の装備でいつも最後に悩むのは充電だ。
 WEBサイトを見ていたら、、色々な電池を充電できる装置が売っていた。
 これだと私が持つバッテリーの全てが充電可能だ。
 充電したバッテリーはUSB×2なで出力出来るので、どのバッテリーからでも各機器に繋げる。
 これは意外と良いかも。5000円少し。
 他に4000mAのバッテリーがあった。出力はUSB。これも魅力だが1万2000円と高い。
 小さくて持ち運びに便利だ。携帯電話のバッテリーの3台分くらいになる。
 携帯電話、カメラ、ポータブルオーディオなど充電する物が多い。
 旅館泊まりなら苦労はしないが、野宿だと充電は大変だ。
 ソーラー充電の効率が上がれば一番良いのだが・・・。
4月25日(日) 家の改造&クラス会打合せ
 朝から家の改造。
 こんな状態の棚にカーテンが掛っていた。

 扉が付いたが少しは良くなったかな??
 瞬間湯沸かし器からの配管をするので、棚の荷物を一度出して、完成後再び荷物を収納した。
 ここのスペースにはカーテンが付いていたが、あまりすっきりとしていなかった。
 ボロ屋なのだが、少しはすっきりさせようと、扉に代える事にした。
 たまたま余っていた扉が、丁度あったので取り付け、上の開いている部分をカーテンにした。
 扉にはパッチワークを張って、ごまかすが少しは見栄えが良くなった。

 午後からは日ハムの試合を見るが、応援の甲斐も無く壊滅状態だ。
 いつまでこの状態が続くのだろう。
 気分が滅入るが、これも試練だ。応援は頑張る。

 夕方から高校のクラス会の打ち合わせに行く。
 集まったのは5人で、話は直ぐに病気の話になる。
 糖尿病、高血圧、癌、りゅうまちなど、皆が病気を抱えている。
 階段を登るのが大変とか聞くと、何か別世界の話しの様に聞こえる。
 今の所、自分は元気で活動出来ている。
 肉体的にも精神的にも充実している。
 そんな現状に感謝しなくては・・・。
4月24日(土) ぶんぽ研総会&コンテストで優秀プログラム
 昨日は眠られ無くて、本を読んで朝まで起きていた。
 朝の4時30分から散歩に行く。
 最近は太陽の上がる位置が、海では無く湯の川温泉の建物の裏から上がるので、写真的には今一つだ。
 あまけに今日は波が岸の護岸まで押し寄せていつものコースが通れない。
 仕方がなく、砂浜ダッシュを5回行って心拍を上げて終了。
 
 最近我が家は故障が多い。
 家に帰って直ぐに工事。
 最初の工事は洗濯機の排水パイプが洗面台に当たり、洗濯機が奥まで入らない。
 そこで洗面台に穴を開けて排水パイプを迂回させた。
 これで完了。
 
 次はファックスがトラブっている。
 幾ら送っても受け付け無いと言われていた。
 見たら、紙送りのプラスチック台が割れて、紙が送れない。
 これはアルミ材料を使って電話機に紙送りのプラスチックを固定した。
 これで完了。何かとトラブルばかりだ。

 木下会長の挨拶
 午後からぶんぽ研の総会があるので、MTBで旧大野町まで走る。
 天気は良いので、快調に飛ばす。
 1時間で着いた。
 総会はいつもの通り淡々と特に変わった事もなく順調に終了。
 その後は懇親会になる。
 ジュースとパンやバナナとシンプルな懇親会。
 お酒を飲む人は物足りないかな?
 飲まない私は全く気にならない。
 近江さんと言う、函館では有名な歴史家の隣になったので、歴史の話などをするが、流石に豊富な知識があり楽しい一時を過ごした。
 以前に購入希望の有った方から 「土方蝦夷を歩く」の本も3冊購入して頂いた。
 有難い。

 快調に家に付いたら、お風呂の混合栓の下から水がぽたぽた落ちていると言われ見たら、パッキンが摩耗していた。
 予備パッキンが無いので、取り敢えずパッキンを裏返しにしたら止まった。

 家に封書が来ていた。
 見たら、観光コンベンション部観光振興課からだった。
 先日函館市役所で募集した、「地域で作る小さな旅」の選考結果だった。
 今回は市内のウォーキングコースを募集した。
 審査員意見として「距離は長いが、テーマもはっきりしており、内容も充実している」とのコメントが付けられ、
優秀プログラムに選ばれた。
 昨年は応募しなかったが、一昨年も市内の観光コースに応募して「優秀プログラム」に選ばれたので自分としては、2回連続優秀プログラムになった。
 タイトルは「土方歳三 散華の道」ウォーク。
 内容は土方歳三が銃で撃たれて亡くなった場所から、五稜郭降伏までの道のりをウォークする。
4月23日(金) 次々工事が入る
 流石に性能は良い。
 今日で瞬間湯沸かし器の工事が終了した。
 風呂に湯を入れてみたが凄い勢いで入る。
 シャワーも勢いがある。夏ならこれで十分かもしれない。今
 まの湯量が少なかったので、特に凄さを感じる。
 台所は少し離れているのだが湯は直ぐに流れて来た。
 今までは出て来るまで5分くらい掛っていたので驚きだ。
 ボイラーの湯温設定は、今まではレバーで設定していたが、デジタルになった。
 リモコンも使える。
 タイマーもあり、1時間使わないと自動的に切れる。
 良い事ばかりだ。
 今では当り前なのかも知れないが、我が家にとっては凄く新鮮だ。
 無料で付けて貰って感謝だ。
 地面を掘り起こして配管のルートを決める。
 配管屋さんと話しをした時に、隣のゲストハウスは、普段は使わないので、水道の基本料金を節約するのに、我が家から水道を引いている。
 配管は鋼管が高いので塩ビ管で引いている。
 今の所は問題は無いのだが、何れ強度は問題だし、凍結して配管が破れる恐れがある。
 そうしたら、配管屋さんが管をくれるとなった。
 管を必要な寸法に切って、ネジも切ってくれると言う。
 図面があれば直ぐに作ってくれると言う事になったので、直ぐに地面を掘って配管の寸歩採りを行った。
 これが完成すれば、ゲストハウスの水の供給も安心できる。
 流石に恰好が良い。
 一昨日来た、第9回土方コンテストに優勝した南部さんがやって来た。
 今月、東京で行われる「土方コンテスト」にう参加するが、その時に友達にプレゼントすると言う事で、本を追加で購入して頂いた。
 また向うに行ったら関係者の方に渡して下さいと差し上げた本は、日野市の「土方記念館」に送ってくれるそうだ。土方記念館はまだ行った事が無いので、一度は行ってみたいのだが、本が先に行く事になった。

 瞬間湯沸かし器の工事も終わったので、一度どかした荷物を格納する時に、妻からここにドアがあった方が良いとなった。
 今まではカーテンだったので、見栄えが悪いのでドアにしたいとの事だ。
 丁度幅が合うドアがあったので、後日工事をする事になった。
 何かと仕事が増えてきた。
4月22日(木) サイドバッグの改良
 サイドバッグは、以前買ったがあまり使っていなかった物を使用する事にした。
 容量が少ないので、荷物の量を制限されるが仕方が無い。
 それとこバッグは使い勝手が悪い。
 そこで改良する事にする。
 まずは上のカバーをしる時、引っ張る位置がカバーの端でないため、ぐちゃぐちゃになる。
 そこで止め具の位置を変更する事にする。
 止め具をカバーの端に移動させるのだ。
 カバーの生地が厚いので、普通の裁縫針だとなかなか生地を通してくれない。
 時間をかけてようやく2バッグとも完成した。
 テストしたらばっちりと締まりOKだった。

 留め金具がカバーの上にあったので端がぐちゃぐちゃ。

 端に金具を移設する。これできっちり締まるようになった。


 次にテントのポールをセットする止め具を付けた。
 このポールはバッグに入らないし、いつもキャリアの上に載せていたが、ここでもはみ出すので厄介だった。
 そこでサイドバッグのサイドに締めバックルを付けて、ここに固定する事にした。
 これも上手くいってポールはしっかりとしっかりと邪魔にならない場所に付いた。
 これで旅の準備はほぼ完成した。
 
 テントのポールも収まった。

 旅の中で改良したい所が出て来るが、旅先ではなかなか出来ないので、帰ってからやろうと思うのだが、旅が終わると、ついそのままになってしまい、また同じ状態で旅に出る事が多かったが、今回は早めに準備しているので、いろいろ改良が出来ている。
4月21日(水) 取材&瞬間湯沸かし器取り付け
 今日は瞬間湯沸かし器の取り付け工事を急遽行う事になった。
 9時から業者の方が来て工事が始まる。
 我が家の古い瞬間湯沸かし器
 3年前のまだあまり使っていない瞬間湯沸かし器
 我が家の古い瞬間湯沸かし器は撤去され、中古だが殆ど使っていない、
 3年前に製造した瞬間湯沸かし器が取り付けられた。
 今度の瞬間湯沸かし器は減圧弁が無いので、シャワーは勢いよく出るそうで期待が出来る。
 湯の出力カロリーは43000kcaになり、l今までの30000Kcalに比べ大幅に能力が増した。
 壁かけになりスペースも少なくなりすっきりした。
 後は明日に配管工事が行われる。
 このバルブの有る製品はシャワーの圧が少ない

 午後からは朝日新聞社の取材が入る。
 いつもの様に私の経歴や旅の変遷などを質問し、土方関連の質問と取材のパターンは一緒だ。
 最後に写真を撮って終了。
 話しの中で二股口台場の新塹壕の話しをしたら、来週行こうかとなった。
 二股台場史跡を訪ねて・・なんてなるのかな?
 一般的には従来の稲妻形台場しか紹介していないので、みんながそこだけ行って帰って来る。
 さらに高い山に行かなければ、土方が守備した台場は何故最強だったか知る事は出来ない。
 この塹壕は紹介された事が無いので、新聞報道で何人でも興味を持ってくれれば良い。

 「土方歳三 蝦夷を歩く」も1冊購入して貰えた。嬉しいな・・。

 「人生の楽園」にも出演して頂いた、世界一周チャリダーの小口君が、ジャカルタで交通事故にあった。
 40km/Hrの速度で走っていたタクシーと正面衝突。
 前の歯が2本折れたが、幸い命に別条はなく旅を何とか続けられるそうだ。
 自転車もぐちゃぐちゃで修理が大変そうだ。
 タクシーといっても保険は入っていないので、自分の保険で治療したそうだが、そんな事を聞くと医療や保険に関しても日本は良い国なんだなと思う。

 小口君のブログ
4月20日(火) 雨降りは家で・・
 今日は一日中雨の予報で、強い雨ではないがシトシト降っている。
 朝から旅の調べ物をする。
 今回の千国街道には、横川の吊り橋がある。
 その橋については凄い高い場所に有ると書いてある。
 ところが本には何処にも写真が載っていない。
 高所恐怖症の私にとっては、通れるのかどうかが一番の問題だ。
 ましてMTBを押して行く。
 狭くてMTBが通れそうもない橋ならば、回避するしかない。
 当初は諦めて、別なコースを選択したのだが、やはりそちらの道の方が、旧道としては良い雰囲気を残していて魅力がある。
 しつこくインターネットで調べたら、1枚の吊り橋の写真が出てきた。
 橋の名前が書いてあれば問題ないのだが、名前は書いていない。
 吊り橋は立派で幅も広く、問題なく通れそうだ。
 記事を読んで行くと、間違いなく横川の釣り橋の様だ。
 コースを変更してこちらに決めた。
 こんな立派な橋だった。
 またまた変更した、コースの資料集めを行った。

 準備も進んで来たので、荷物をサイドバッグに詰め込んでみる。
 やはり不足品が出て来る。
 半分くらいパッキングして終了。
4月19日(月) 色々あった日
 午前中は旅の自転車の準備をする。
 数日前の日記では、スペシャライズで旅に行こうと思ったが、急遽ルイガノに変更する。
 スペシャライズは少し車体が小さいのだが、走りながらライディングフォームを見たら、やはり前傾が不足している。
 長距離走には風の抵抗が多ので急遽変更した。
 ネジ付きのテールライトは有難い。
 サドルを移し変え、テールライトを新たに設ける。
 テールライトは違う種類に代えた。
 以前のライトは蓋がパチンと閉まるタイプなのだが、直ぐに外れて無くなる事が再三あった。
 今度の物は蓋がネジで止まっている。これなら大丈夫だ。
 でも100円で買えるのが有難い。ダイソーに感謝だ。
 テーブルの椅子を利用した。

 自転車に取り付け。

 フロントバッグを載せるて固定。しっかり固定で来た。

 フロントバッグを付けるのだが、以前はバッグにベルトを付けてハンドルに縛っていた。
 安定感が悪いので、しっかりした物を作る事にする。
 バッグを取り付ける金具はあるのだが3000円もする。
 利用したのは、テーブルの脚だ。
 これを加工して完成した。
 しっかり固定出来て満足だ。
 ここまで来るには、色々な物を試作したのは言うまでも無い。
 
 お客さんが来た。新聞を見て「土方歳三 蝦夷を歩く」を購入したいと言う事だった。
 ゲストハウスで話をした。
 新選組や土方歳三のファンだそうで、背も高くかなりのイケメンなのである。
 土方コンテストに出たら良いだろうなと思っていたら、実は第9回のコンテストで優勝したそうだ。
 このコンテストは、今でも毎年行われている。
 最近は自前の服装になったが、当時は貸し出すダサイ服でイメージに合わないと、自作で出演したそうだ。自前服の最初だと言っていた。
 今では自前が多くなった。
 新選組や土方について詳しく、つい長々と話しこんでしまった。
 彼は最後まできちんと正座して話をしていた。
 今年の五稜郭際にも土方役で応募したが、背が高いの他の出演者とバランスが取れず、他の役に回ったそうだ。
 今月の29日に行われる。東京日野市の「土方歳三コンテスト」にも出演するそうだ。

 娘からメールが来て「瑞葵が新聞デビューしたよ」との事だった。
 釧路動物園がオープンしたので見に行ったら、取材を受けたそうだ。
 本人も新聞に出たのを喜んでいて、「じぃじと同じ様に新聞に出れた」と言っていたそうだ。
 私も自分の新聞記事を送った事はあるのだが、子供って良く見ている。

 瑞葵は観覧車が大好きだ。私は高い所が大嫌いだ。
 一度、一緒に乗る事になった時に「じぃじ大丈夫だよ」と瑞葵に言われてしまった。
4月18日(日) 給湯配管が漏れる
 先月の水道料金が25000円になった。
 原因が分からずに、市の水道局に来て貰ったら、元栓に付いているメーターは回っていないと言う事で、25000円は平均水道料金にして貰った。
 それからしばらくは使っていなかったが、愛犬モモの体を洗うと言う事になって湯を出した。
 特に変わった事も無く終了した。
 翌日の朝に、何も使っていないのにメーターが回っていたので、取り敢えず元栓を止めた。
 そして今月検針で23000円になった。
 これは何処かおかしい。
 水道局に電話して、業者を紹介して貰う。
 来た業者の方が色々と調べたら、床の下の部分の配管が漏れているのと言う事だった。
 確かに給湯器に水を入れると、止まらずに水の流れる音がする。
 
 配管を新たにする事で見積もりを貰う事になった。
 話をする中で、使っている給湯器もかなりの年数がたっているので、そろそろ故障するかもしれない。
 この様に減圧弁を使っている給湯器は、もう無いと言うほど古いそうだ。
 確かに減圧するので、シャワーも勢いよく出ない。
 業者で給湯器の少ししか使っていない物があると言う事だった。
 お客さんから引き揚げた給湯器でお金を取るわけにはいかない。
 取り付け料のみで良いと言う事になった。
 22万円の給湯器だそうだ。
 全て配管をやり直して、給湯器も交換して見積もりは17万円だった。
 良い業者で良かった。
 名前が珍しい名前なので、私の知っている人で同じ名前の人がいると話したら、その人の親戚だった。
 その人は私と席を並べていた人だった。世の中狭いな。

 今日の北海道新聞「いさり火」に私の執筆した記事が載った。
 取材は何回も受けているが、記事を書くのは初めてだった。
 この記事の中で本を売っていますと書いたら、早速女性の方が購入に来てくれた。
 私の出た記事は殆ど読んでいるそうで有難い事だ。

4月17日(土) 山菜採り
 朝に「函館元町ホテル」に自転車で行く。
 おしゃれな函館元町ホテル
 遠藤社長から「新選組の屯所」の看板を作りたいので、相談に乗って欲しいとの事だった。
 「函館元町ホテル」は、現在の称名寺が以前にあった場所で、大火により現在地に引っ越した。
 箱館戦争が行われた明治元年には、称名寺が箱館市内を治める新選組の屯所であった。
 その場所にホテルが建てられているのだ。
 そこで観光用に案内板を作ろうと言う事になり、相談の話が来た。
 函館には新選組や土方関連の史跡が多いのだが、確かに案内板は少ない。
 そこで少しでも観光に役たてばと言う事なのだそうだ。
 資料を持参して社長に渡し、少し歓談して帰る。
 川汲の明治時代の旧道

 岩魚も釣れる川汲川
 直ぐに山菜採りに向かう。
 川汲に行者ニンニクとふきのとうを採りに行く。
 いつも取らして貰っている千葉さんの土地で、行者ニンニクを採り、ふきのとうも採った。
 今、函館に来ている姪っ子が、ふきのとう味噌が好きなので作るのだ。
 帰って早速作る。
 妻と私がそれぞれ別に作る。
 ふきのとうを細かく刻んで、油で炒める。
 そこに砂糖を入れ、味噌を入れて混ぜ合わせれば完成だ。
 同じように作るのだが、妻と私のは味が結構違うのが面白い。
 私のはこれから外に出かける時のおにぎりに入れる。
 今までは味噌のみをおにぎりに入れていたが、今度からはふきのとうの香りがする。 完成したふきのとう味噌
4月16日(金) 快晴の二股台場山
 いつもの朝日
 いつもの早朝ウォークに行ったら、先日の強風で海が大しけになり、木の板が流されてしまった。
 その場所に土嚢が入っていた。
 土嚢が入って良かった
 これが無ければ越えるのに一苦労するのだが、行政でやったのだろうか?

 以前からう約束をしていた、行者ニンニクを採りに、あの土方隊が守備した二股台場山に行く。
 もしも行者ニンニクが無かったら、同行の2人がまだ見た事の無い、塹壕に案内する事にした。
 ぶんぽ研の仲間のKさんとKさんの、ダブルKさんを車に載せて台場山に向かう。
 天気は快晴で気持ちが良い。
 台場山の入り口に着いたら雪がまだ30cmくらい積っている。
 靴は登山靴と長靴を持って行ったが、迷うことなく長靴になった。
 スノーシューは持って行かなかったが、雪は締まっていて、それ程埋まる事はなかった。
 15分くらいで一般の人が行く、塹壕の場所に着いた。
 ここから旧道を下がって下二股川の周辺を歩く。
 普段行けないところが、残雪があるため行けるのが楽しい。
 行者ニンニクのある場所に行ったが、まだ雪があって全く形もなかった。
 仕方なく、山の上にある塹壕に案内する事になった。
 山の上の塹壕は、明治の古い書物には書かれているが、写真などは無く、世間には知られていない。
 沢沿いに登り、いつもとは異なる急な斜面を登る。
 そうしたら新たな塹壕が1つ見つかった。
 新塹壕で記念撮影

 ここから敵陣や旧道が良く見える
 敵陣が見え、旧道も真下に見える良い場所に遭った。
 さらに上の塹壕に案内し、他の場所も散策した。
 上部の塹壕

 二股岳が良く見える
 この付近は熊が多く出る場所で、春先には1人では歩きたくない場所だ。

 二股台場を下って、今度は北斗市大野の「煙硝の沢」に入る。
 ここには旧幕府軍の弾薬庫の跡がある。
 煙硝の沢で
 草木の伸びたシーズンはとても行ける場所では無い。
 「箱館戦争史跡めぐり」と言う本の中にも、プロのカメラマンがこの場所は行けませんでしたと、写真は無かった。
 枝を払いながら残雪の中を進んで行く。
 福寿草が一面に咲いて綺麗だ。
 弾薬庫に到着。誰も来る人が居ないのだろう。木々が散乱していたので少し整備した。
 その後は江差旧道を歩き、カタクリで有名な「匠の森」に出る。
 カタクリはまだ花が咲いていなかった。
 あと1週間くらいかな?
 帰りは沢を下って戻る。
 女性と行くと花を色々と知っているので楽しい。
 でもなかなか覚えられない。
4月15日(木) 寒い日
 日本列島が寒さに震えた。
 東京が9度で函館が5度とそう変わりは無い。どうなっているんだろう。
 函館は雪がちらつく天気だった。
 こんな日は家に居るのが良い。
 パソコンに向かって旅のルート作りに励む。

 塩の道の静岡側が良く分からなかったが、anazonで見たら、在庫が2冊のみあった。
 静岡新聞で出版した本だった。
 早速注文したら2日で送られてきた。
 2万5千分の1の地図に旧道が書かれていて分かりやすい。
 旧道はなかなか面白そうだ。
 最高地点は南アルプスの標高1000メートルを超える。
 ここをMTBで踏破しなければならない。
 他にも旧道の良い雰囲気の道が沢山あるので楽しみだ。

 旧道に関しては、なかなかしっかりと道を書いた本は少ないので、有難かった。
 旧街道の本は色々出ているが、道が連続して居なかったりして、分かりにくいのが多い。
 今回の本は道を歩く人に分かりやすい。
 私も今書いている「土方の道」の詳細な本は、こんな形が良いなと思ってしまった。
 2万5千分の1の地図の使用は、国土地理院の承認が必要なので、手書きで書いているのだが、やはりこちらの方が分かりやすい。
 思案のしどころだ。
 寒い日が続くが、冬に比べればかなり暖かい。
 明日は二股台場山で行者ニンニク採りと、土方隊の塹壕をさらに調査する。
 新たな塹壕が見つかれば良い。
4月14日(水) 強風の川汲台場山登山
 今日の天気予報は「発達中の低気圧が日本海北部を北東に進んでいる影響で、北日本を中心に14日から15日明け方にかけて、風が非常に強く、海上では大しけになると予想され、気象庁は、暴風や高波、吹雪による交通障害に警戒を呼び掛けている。(読売新聞)」
 となっていた。
 朝、ベッドから外を見たら、隣の家にも雪が積り屋根も白くなっていた。
 朝にメールが来てSさんは今回は遠慮しますとなった。
 もう一人のMさんも当然行かないと思っていた。
 私は最初から行くつもりだったので、昨日から用意はしていたので、予定通り出かける。
 待ち合わせ場所のダイエーの側を通ったら、一瞬見た事の有る車が駐車場に入って来た。
 通りすぎるのを止めて駐車場に入るとMさんだった。
 私の携帯電話にかけたが出なかったので、待ち合わせ場所に来たそうだ。
 私は行くよとなったら、家に荷物を取りに行くとなり、戻って来て出発する。
 風は強く吹雪だ。
 函館市内から郊外の方に行く二従って、吹雪も強く周辺には雪も積っていた。
 午後からは晴れ間も出ると言う事だったので、直ぐには登らず、鹿部に行く。
 旧道の一部が分からない所もあり、その調査だ。
 ついてしばらく野原を歩き回ったが、確証は得られず引き返す。
 帰りに知り合いの千葉さんの山で行者ニンニクを取ってから、台場山に向かう。
 雪も全く無いので登山靴でいいやと登った。
 しばらく歩き、北側の道になったら、雪がまだかなり残っていた。
 長靴に知れば良かった。足はずぶずぶ埋まる。
 スノーシューも持って来ていない。
 埋まりながらクリヤして、頂上の最後の斜面を登る。
 強風がもろに吹いていて、風の音も物凄い。
 頂上は雪が少なかったのだが・・。強風だった。
 頂上に着いたら、立っていられない。
 風に飛ばされる、写真を一枚取るのがやっとで、セルフタイマーでの写真は取れなかった。
 こんなに雪が残っている
 目的であった無くした眼鏡探しは、雪が以前より積っていて、まだ探すのは無理だった。 
 早々に下山する。
 下りも風を正面から受けたりして苦労したが、無事下山した。
 採った行者ニンニクは餃子に入れて食べる。
 自然の行者ニンニクは香が強くてGOODだ。
4月13日(火) 旅の準備
 天気が悪く朝からぐずついている。
 一日中80%との降水率なので、今日は旅自転車の整備をする。
 ホームセンターで購入
 まずはサドル。堅いサドルが付いているので、旅向きでは無い。
 いつも長距離を走っていると、交換すれば良かったと思うのだが、帰ってくれば忘れてしまっている。
 今回は、自転車ショップでは無く、ホームセンターで購入した。
 安いし、丁度良い堅さの物があった。
 これで尻の痛みも軽減されるだろう。
 でかボトルは便利だ。
 次にでかボトルのキャリアと空気入れを付ける。
 普段は小さな水入れなのだが、自炊の旅になるとデカイボトルの方が便利だ。
 これ一つでラーメンは作れる。
 これは他の自転車から移動した。
  フロントバッグは貰ったのもを改造
 フロントバッグは、以前ツールド北海道で貰ったバッグがあったので、改造してハンドルに付けれるようにした。手縫いで針で固定金具を付けた。布地が熱いので手が痛くなる。
 以前のバッグより体積が増したので便利だろう。
 他に前後のタイヤをパターンの少ない物に交換した。
 転がり抵抗の軽減だ。これは長距離の旅では大いに効果がある。
 
 こんな事をして一日が過ぎた。
4月12日(月) MTBで函館山登山
 今日は函館山にMTBで登る事にした。
 8時には家を出て走る。
 函館山登山口に着いた。
 車道は現在冬期通行止めになっている。
 開通していても車道は自転車禁止なので入れない。
 階段などがあるので登山道を押して登る。
 途中から階段の無いダートの登山道になるので、乗って登る。
 昨年は全て乗って行けた。今年はどうだろうか?
 ギアーは最初からインナーローでこれより軽いギアは無い。
 登れなくなったら押すしかない。
 2,3,4合目と順調に登る。寒いので汗もそれ程かかずに5合目に到着。
 5合目にて
 記念写真を撮って再スタート。途中に残雪があり少押したが、それ以外は全コースを乗って走れた。
 体力は昨年と変わらないので安心した。
 生憎函館はガスが掛っていた

 防空壕跡や砲台跡もある

 山頂で記念撮影
 山の高所のあちこちを走りまわった。やはり自然の中を走るのは気持ちが良い。
 時間を忘れて走りまわった。
 下りは快調だ!
 でも人が登って来た時は降車する。中にはMTBを嫌う人もいるからだ。
 降りて止まっている時に挨拶を交わす。
 2回目に会った人とは随分話した。
 MTBで山に登った事が凄いと思ったそうで、60歳代くらいの女性に、
「良い足してるんでしょう、太ももの触らして!」と言われ応える暇も無く触られてしまった。
「凄い!」と言ったら他の男性にも触られてしまった。
 話しの中で、「土方の道を歩いた人?」と聞かれた。
 新聞報道は全て読んでくれていた。有難い。

 家に帰って、サイドバッグに適した物が無いか探したが、3軒行っても無かった。
 その中の1点で軽量サンダルが売っていた。
 315円は安い
 当初売りだしたのがクロッカスというメーカーで私も購入したが、4000円くらいした。
 その後、模造品らしきものが大量に出た。
 今年も店頭に並んだが、何と315円で売っていた。
 早速購入した。
 自転車での長旅の時は靴下を履かないで使えば靴下のい洗濯もいらない。
 サンダルも洗えば臭いが出なくて好都合だ。
 これもデフレなのかな?
 喜んで良いのかどうか?
 家に帰って自転車の整備をする。
 フロントキャリアを付けた
 リアキャリアとテールライト(100均)
 フロントキャリアとリアキャリアを取り付けた。
 今回のMTBは初めての長距離を走るので、旅の装備が必要なのだ。
4月11日(日) 旧道探しやら
 海岸で記念撮影
 今日は天気も良いので、旧道の確認に行く。
 いま書いている道の本で、書けない部分と写真が無いので現地に行く。
 鹿部の海岸に降りて海岸をチエック。
 昔の道は海沿いの道が多かった。
 この場所も松浦武四郎や伊能忠敬も歩いている。
 紀行文からそれは分かっているのだが、現地を確認に行った。
 砂の海岸を気持ちよく歩く。
 この先も昔の人は歩いた
 しばらく歩いたら、松屋崎と言う所を越えるのだが、波が赤崖まで押し寄せて通行は困難だ。
 夏なら行く事は可能だが、土方隊は冬の進攻だ。これは絶対にあり得ないと結論。
 この崖の手前から野原に出た事だろう。
 それにしても伊能忠敬は凄い。彼は測量をしたと言う事もあるので、出来るだけ沿岸を歩いている。
 彼の歩いた地図を見ると、海の中も歩いている個所もある。
 それで正確な地図が出来たのだろうと感心する。
 人は誰も来ない様な瓢箪沼
 調査を終えて、地図には道の無い瓢箪沼に行く。
 細い道を通って行ったら、いきなり家が出て来て無数の犬が買われていた。
 折の中に居るもの、放し飼いになっている物、その数は数10匹と異様だった。
 犬にほえられながら沼には辿り着いた。
 帰りに家の窓を見たら、ここには猫が沢山日光浴していた。
 驚いた。
 川汲着くと千葉さんが居た。
 土方の道を歩いた時は、千葉さんの土地にテントを張らして貰った。
 それ以来の再会だった。
 彼は私の新聞に載った、土方の道の出発時の記事や講演会の記事、けあらしの太陽の記事など、みんな車に積んでいた。人に会うたびに見せているようだ。
 彼と一緒に山の中に入る。川汲一帯が彼の持っている土地なので、かなり広範囲だ。
 年齢も76歳になったので1人では奥には入れなくなった。
 私が来た時は一緒に山に入る。
 一回りして、帰りには木を担いで戻る。
 彼の家は薪ストーブなので、薪が必要なのだが、倒木が沢山あるので不自由はしない。
 ただ切った木を下まで運ぶのが大変なのだ。
 私が行った時はなるべく下に運んで来るようにしている。
 来月旅に出ると言ったら、その前に一度来てくれと言われた。
 また来よう。
4月10日(土) 旅の準備
 今日は天気が悪い。
 そこで室内で出来る事をやる。
 旅の準備も進めなければならない。
 自転車はスペシャライズのMTBに決まった。
 そこでサイドバッグを付けてみようとしたが、サイドバッグはかなり古い。
 日本一周を始めかなりの期間使っている。
 内部の防水シートは完全に切れて、外の生地も破れて太陽の光が見える。
 これはやばいな。水に濡れない様に、中にビニールの袋に入れてパッキンはするものの、かなり危ない。
 このバッグ自体はそう難しい構造でも無い。
 登山用のザックを付けても使える事は使える。
 今のサイドバッグの金具は外せば良いので、作ることも可能だ。安物のザックが見つかれば良い。
 自転車用のサイドバッグは勿論売っているが、高価ななので手が出ないのだ。
 最近の完全防水のバッグなどは2万円もする。こんなのは買えないので、何か代用品を探すしかない。
 アルペンスポーツに行ったが、高級登山バッグばかりで手が出ない。
 大きさもなかなか適した物が無い。
 色々探したら20リットルのクーラーボックスが良い。
 サイズもぴったりでクーラーボックスだけあり、防水になっている。
 しばらく考えたが、今日はまだ購入しないで引き揚げた。
 1日経過するとまた考えも変わるのだ。
 まだ時間は十分ある。
 すっかりボロになったサイドバッグ


 夕方風呂に行く。最近年に24回入浴出来るチケットを町内会から貰った。
 65歳以上の人に無償配布したのだ。
 銭湯の湯は町内にあるごみ焼却炉での熱源を利用しているので、幾らでも湯が出て来る。
 浴槽も綺麗だし言う事ない。さらにいつも空いている。
 老人福祉センターの温泉も無料になったし、どんどん年寄の域に入り込んでいる様な気になる。
4月9日(金) 姪っ子が台湾へ帰国
 今日は姪っ子と子供2人が台湾に帰国するので、見送りに行く。
 行ったが祐華はまだ学校に行っていた。今日で4日目なのだが今日で取り敢えずはお終いで、今度はいつ来るか分からない。でも在籍はしているのだ。
 やがて帰って来た。たったの4日だったが友達が出来たそうで、数人の名前を言っていた。
 台湾に帰りたくないと言っていたが、現実はそうはいかないので悲しい。
 でも台湾に帰れば又友達が居る。
 大量の荷物を持ってお父さんの車に乗っかって出発する。
 またしばらくは会えない。
 祐華(ゆうか)、台湾名でよーは―
 家に帰って自転車の整備をする。
 もう春だしきちっと整備して乗らなくては。
 今年の旅の自転車はどの自転車にするかを決めなくてはならない。
 日本一周車と熊野古道踏破車が違うのだ。では今回の旅は旅に出た事の無い、スペシャライズのMTBにしようと思っている。
 形は一番古いのだが、今はMTB登山に使っている。
  これがサス用ののエアーポンプ
 シフト関係とブレーキ関係の調整をした。
 他にサスペンションにエアーを入れて圧を調整した。
 荷物があるので堅めにセットした。
 後は、土方歳三の道の歩き旅で使ったキャリアを、後ろに付けるかどうかだ。
 所謂リヤカータイプにするかどうか迷っている。
 自転車で関東まで行って、自転車を預かり、長野の塩の道は歩こうかなという思いもある。
 そうなればテントや自炊道具を背負うのは厳しいので、キャリアで歩きたい。
 旅が一気に楽しくなる。
 そうなれば連結金具を考えなくてはならない。
 なかなか連結する金具は知っているが、ホームセンターでは置いていないのだ。
 どうするか思案だ。
 自転車も完成し、一回り走り途中の図書館で雑誌を読んで帰って来る。
4月8日(木) 函館周遊
 天気も良いし、風邪もかなり回復したので、MTBで出かける。
 まずは五稜郭タワーに行く。今回台湾のANDREWにお土産を貰ったのでお返しだ。
 土方歳三のTシャツで、黒字に胸に白色で「誠」と書いてあるやつで、私の着ているのと同じものだ。
 土方歳三は分からなくても「誠」の意味は分かるだろう。
 その後も市内を回り続けて、湯の川温泉の方まで行ってしまった。
 そこで思い出したのが、親戚のSさんの話しで、60歳を過ぎたら、温泉がただで入れるそうだ。
 老人福祉センターに行って申し込むと直ぐにOKだよと聞いていた。
 近かったので申し込みに行く。
 受け付けは誰も居なかった。
 管理人の名前を見たら、聞いた事の有る名前だった。でも以前の会社の人なので、ここに入る筈は無い。
 しばらくして管理人がやって来た。
 あれ!Iさん。やっぱり知った人だった。
 会社を55歳で辞めて、今月からここに来たそうだ。色々とあったらしい。
 少し雑談している間に、女性の方が利用券を作成してくれた。
 名前が老人福祉センターでこれからは老人の仲間入りだ。
 利用券
 これで市内4ヶ所の温泉に無料で入れる。
 センターでは舞踏・手芸・民謡・華道・茶道・書道・囲碁・カラオケ教室などを定期的にやっている。
 何かやるのも楽しいかもしれない。

 今、台湾から姪っ子が子供と一緒に来ているが、国籍が台湾と日本の両方を持っているので、今日は日本の入学式なのだ。台湾は9月が新学期なので、すでに1年生になっていて、授業もやっているし、今回は宿題も沢山貰って来た。
 これが小学校1年生の教科書
 日本の学校は明日1日行って終わりで、台湾に帰る。年に2回くらいしか来ないが、それでも卒業になるそうだ。子供は祐華と言うが、彼女は一生懸命宿題をやっていた。
 でもそれを見て驚いた、中国の国語は漢字なのは分かるが、その漢字が半端じゃないくらい難しい。
 私でも分からないのがある。でも1年生の優華はすらすら書いて読む。
 凄いレベルだ。算数もかけ算や加減算はすでにマスターしている。2年生から英語が始まるそうだ。
 これを見て日本の教育は大丈夫だろうかと思ってしまった。
 祐華が英語を話せば、日本語・中国語・台湾語・英語と4ヶ国語を話すバイリンガルだ。
 日本に来た時は日本語を話しているが、弟の雄達と喧嘩する時は、お互いに中国語でやる。
 滅茶苦茶言葉が早いのと大きい声なので迫力がある。
4月7日(水) 風邪も快方に向かう
 少しづつだが、風邪は良くなってきた。
 鼻水が出なくなったので、後少しで治るだろう。
 今日も外は寒い。
 家でひたすら、本州の旅行計画を立てる。
 走行予定の羽州浜海道と三国街道の資料を集める。
 国道を走れば簡単なのだが、すでに走った道もあるので、旧道を中心に歩く事にする。
 旧道には必ず難所の峠が控えている。
 それらの旧道がまだ残っているのが嬉しい。
 羽州浜海道には三崎峠がある。
 「曾良日記」には「是より難所。馬足不通。」と書かれている。
 別名「駒泣かせ」と言われていた。
 かっては天下の儉箱根よりも厳しいと言われていたそうだ。
 北海道の松前町にある「小砂子山道」もそのように言われている。
 そんな厳しい道を、MTBで越えれるのかと考えなくてはならない。
 皆は歩くのを想定した文書なので、その辺りが分からない。
 まあ食料を沢山持って、山中での野宿を考えれば、そう気にする事も無いだろう。
 
 色も良いな
 台湾から2人の姪っ子が帰国しているが、そのうちの姉の方から自転車用のジャ-ジィを貰った。
 彼女の旦那は台湾の自転車メーカーに勤めている。
 不良品が手に入るそうだが、どこが不良なのか良く分からない。
 私も旦那とは仲が良いので、早く会いたいなとは思っているが、なかなか台湾には行けないな。
 他に自転車のテールライトを貰った。
 カーボン製のレース用サドルもくれるそうだが、今回は荷物が一杯で持って来れなかった。
 自転車メーカーが友達とは私にとってはこの上ない良い環境だ。
 ちなみに自転車は社員価格で30%オフで購入出来るそうだ。
 会社には自転車が沢山あるから、台湾に来たらそれを使って、各地を回ればとは言われている。
 早く行きたいものだ。
 妹の方の出産が今月で、その後も日本に居て、10月頃帰国するので、その時に一緒に台湾に行く手もある。
 とにかく沢山の荷物と子供2人での帰国は大変なのだ。
 姉が出産した時は、私が姉と一緒に荷物持ちで、台湾に行った。
 今度は妹と一緒かもしれない。
 そうすれば、台中の姉と台北の妹の家を行き来して1ヶ月は居れる。
 どちらも好意的で、おじさんがきたらいつまで居ても良いよと言ってくれる。
 親戚だけど有難いし、どちらとも気が合うので楽しい。
4月6日(火) 風邪で一日不調
 昨日の夕方から風邪で不調になっているが、今日も一日不調でベッドに入って過ごす時間が多かった。
 起きていても構わないのだが、鼻水が止まらないので面倒なのだ。
 寝ていれば、鼻をかむわずらしさが無くなる。
 風邪の原因を考えてみた。
 4日は朝の5時からウォークとランニングを1時間30分した。
 帰って来て温泉に入った。そこまでは良かった。
 その後、孫の友瑛と朝の散歩に出た。その時はTシャツに薄い上着のみだった。
 これが影響したのかなと思う。結構長い時間外にいたので・・。
 
 でも図書館で本を7冊も借りて来ていたので退屈はしない。
 イザベラ・バードの「日本奥地紀行」や「伊能忠敬を歩く」を読んだ。
 「日本奥地紀行」は明治10年にイギリス人女性の紀行文で、横浜から北海道の日高までのものだが、文書の証言力や旅の先々での観察能力などは素晴らしく、感動ものだった。
 当時の日本をここまで観察した本は読んだ事が無い。彼女が歩いた道を歩きたいのだが、地名が今とは違うなど、まだまだ分からない所がある。少し時間を掛けないと、旧道を歩く事は難しいかな。
 伊能忠敬は地図を残しているので、コースが分かりやすい。
 感心するのはかなりの街道を歩いている。
 奥州街道210里、、羽州街道145里、、蝦夷の道200里、太平洋沿岸450里、日本海沿岸420里、東海道沿岸180里を歩いている。
 人生を2度楽しんだ男と書かれている。
 50歳までは商人として仕事に精出し、50歳からは測量で全国を歩いたが、これも最初は趣味であった。
 全く異なる生き方をしたので、人生を2度楽しんだと表現した。
 現在は一般的には定年が60歳で、これも厚生年金の支給の関係で、65歳まで延長の傾向になって来る。
 多分65歳過ぎてから、人生2度目を楽しもうと思っても、元気で何かをやるにしては遅すぎる。
 体力や気力はあっという間に衰えるのが現実だ。
 私は58歳で希望退職したので、ここまで8年も人生の2度目の活動をしてこれた。
 早期退職して、今は良かったと思うこの頃だ。

 今年の旅は、羽州浜海道(秋田〜新潟)、三国街道(新潟〜甲府)、千国街道(塩の道=糸魚川〜静岡)
、姫街道(浜松〜御油)、羽州街道(白石〜青森)
 このコースで効率よく回れるので、ほぼ良いのかなと思う。
 旧道を巡る旅になりそうだ。
4月5日(月) あれこれの日
 おばあちゃんの1年祭で留守にしていた時に、同級生から家電にメッセージが3回も入っていた。
 そこで会いに行く事にした。
 彼は高校時代の同級生でモリと言う。私がモーリなので席は前後だった。
 彼はお父さんが経営していた喫茶店を継いでいる。
 その喫茶店の名前が何故かモーリなのだ。
 多分同窓会の話しだとは思っていたが、その通りで3年に1回の同窓会は今年が開催になので、そろそろ打ち合わせをやろうとの事だった。
 同級生の情報では、1人が喉頭癌で今月手術をする。他に1人はりゅうまちで、動く事も出来なくなったと、こんな話が多くなってくる。
 「元気なのは毛利だけだよ」と言われたが、私だっていつどうなるかは分からない。

 打ち合わせの日にちを決めて、図書館に向かう。気温も暖かくなりMTBで走るのも良い時期になった。
 本を選んで7冊借りようと思って、カードを出そうとしたが持って来ていなかった。
 仕方が無く家に帰る。こんな事があってもMTBで楽しく走れるので嬉しい。
 
 家に帰ったら、妻も孫の誕生日プレゼントを買いたいと言うので一緒に出かける。
 ゼビオスポーツで、男の子なのでアデダスのジャージィの上下を購入。
 帰りに図書館で予定の本を借りた。
 6月からの旅で走る、塩の道は決まっているが、北上するコースがまだ決まっていない。
 イザベラ・バードの道も4候補になっているが、なにせ明治10年の旅なので、旧道や峠が歩けるのかはっきりした情報が無いので苦労する。
 関連の本を2冊借りて来たので調べる。
 それと伊能忠敬が歩いた道も候補なので、何れかを走りたい。
 
 体調は今一つで、日曜日に風邪を引いてしまい。咳と鼻水を出しながら、本を読んでいる。
 早く治して山に登りたいのだが・・・。
4月4日(日) 銀婚湯で1年祭
 同室の方の、強烈な睡眠時無呼吸症候群で眠られない。
 しばらく呼吸が停まって静寂になり、その反動で大きないびきになる。
 それが何度も繰り返されるので、ついじっと聞き入ってしまう。
 大丈夫なのかと心配になり、なかなか気になるのだ。
 朝の5時には起きてしまった。外は明るかった。
 布団に入っているよりは、外の方が良いだろう。
 ウォーキングを始める。空気は良いし、それ程寒くも無く気持ちが良い。
 40分ほど歩いて折り返す。
 細い滝が流れる
 この折り返し地点は岩盤がそびえたっている場所で、一筋の滝も流れている。
 折り返してからはランニングで戻る。
 途中山の方向に出来たばかりの、急な舗装路があったので登る。
 一部アイスバーンになっていて、滑る個所もあったがピークまで登る。
 新しい三角点
 そこには出来たばかりの、三角点があった。
 
 戻って露天風呂に入る。朝のすがすがしい空気の中での露天風呂は最高だった。
 じっくりと温泉を楽しむ。
 その後は孫や他の子供たちと遊ぶ。これがなかなか疲れる。
 友瑛はこの椅子が気にいった。

 台湾から来た、ゆうたつ
 神主さんも七飯の三島神社からやって来て、11時から1年祭が始まる。
 亡くなってから、あっという間の1年だった。
 その時の事が脳裏に浮かぶ。
 打撲で入院はしていたが、すこぶる元気だった。
 旅に出る挨拶をした翌日、長野県の塩の道に向かって自転車で出発した。
 丁度秋田の手前まで来た時に電話が入った。肺炎を起こして危篤になった。
 あっと言う間の出来事だった。
 秋田から電車で帰る途中亡くなった。
 今回の旅はきっと良くない事が起きるので、おばあちゃんが帰してくれたんだ。

 それから1年経って、無事1年祭を行う事が出来た。
 今年は6月に旅立つ。今度は行かしてくれるだろう。
 会食は美味しかった
 昼食を皆で食べて、それぞれが故郷に帰って行った。
 一番遠い方は名寄だ。本当に遠い所を来てくれて感謝感謝だ。
 函館まで50kmの道程を帰る。家に着いたら少し寝てしまった。
 この10日間、孫を抱いたので、背中が痛い。湿布を5枚張って凝りを和らげる。
 妻も肩こりだそうで、孫相手の10日間は年寄には厳しいのかな?
4月3日(土) 銀婚湯へ
 おばあちゃんの1年祭の行われる銀婚湯に向かう。
 途中の中島廉売で花を購入。やはり地元の人が行く店は安い。
 孫達は早くも車で寝てしまう。天気も良いし、振動も心地よいのだろう。
 すでに数名は来ていた。
 秘湯を守る会の銀婚湯
 その後もぞくぞくとやって来て、にぎやかになった。
 子供は5人。男3人女2人だ。
 年齢が2歳から6歳なので、それ程差は無いので、遊びに夢中だ。
 夕食さらには、宴会と夜遅くまで続く。
 酒の飲まない私は、10時半には引き揚げて布団に入る。
 これでもいつもより相当遅い。
 あっという間に寝てしまったのだろう。
4月2日(金) 函館公園へ
 今日は瑞葵と友瑛を連れて函館公園に行く。
 最初に行ったのは函館動物園・・と聞けば何か立派な物を想定するだろうが、規模はかなり小さい。
 最近新しい建物が建って、周辺も整備されたが、肝心の動物は羆が1頭いるくらいで、後は鳥や小動物しか居ない。
 子供にとっては動物園より、新しく隅っこに出来た、滑り台の方が楽しい様だ。
 滑り台は大好き

 ハンドルを回して楽しそう
 瑞葵はここで友達になった、あやちゃんとずっと遊んでいた。
 1時間も遊んだろうか、あやちゃんはおじいちゃんと来ていたのだが、おじいちゃんが高い場所から、帰ろうと言ったのに帰らないので、降りて来て捕まえようとしたが、足は早くなかなか捕まらない。 
 ようやく捕まえて、かなりマジで怒っていて、あやちゃんは頭を殴られてしまった。
 おじいちゃんも、すっかり切れてしまったようだが、少しやり過ぎだな。
 新幹線に乗って満足
 その後は子供の国に行く。ここには有料の乗り物がある。
 きりが無いので、4回と決めた。
 そのうち1回は友瑛と一緒に乗り面倒を見ると言う事を約束した。
 友瑛と乗ったのは新幹線。これは速度も遅いし安全だ。
 2周して終了。
 でも友瑛はすっかり気に入り降りないと言いだす。
 そこは何とか騙して、アンパンマンの100円を投入して動く車に乗せる。
 お金は入れなくても、音楽や映像が流れるので満足だ。
 その間に瑞葵はコーヒーカップや飛行機、空中ブランコに乗って終了。
 駐車場までは自作のキャリアで移動。このキャリアは友瑛もすっかり気に入っている。

 明日から八雲の銀婚湯でおばあちゃんの1年祭を行う。
 親戚が沢山集まる。台湾からも姪っ子が参加する。
 子供も5人くらいあつまり楽しみだ。
4月1日(木) 自宅に戻る
 白老のホテルほくようで目が醒めた。
 4時30分なので、まだ皆は寝ている。
 早速温泉に行く。勿論誰もいない。内湯に入り暖まってから露天風呂に行く。
 露天風呂は歩いて30mくらいあるんだ。
 この時期、裸で歩くのは寒い。辿り着いて湯にしたる。
 夜が明けようとしている、薄灯りの中での温泉も良い感じだ。
 部屋に帰って交代で、妻と娘が温泉に行く。孫達はまだまだ夢の中だ。
 女性の露天風呂は、内湯からは行けず、脱衣所から歩いて行くので、相当寒かったと言っていた。
 帰って来て、今度は起きた子供たちと再び温泉に行く。

 朝食はバイキングで、それ程高価な食材は無いが満足だ。
 子供たちはご飯と納豆で満足。

 外は雨だった。雨の中を淡々と函館に向かう。
 車内は皆ぐっすり寝ている。
 温泉に入って食事して、暖かい車内だから眠くなるだろう。
 遊び用具は沢山ある
 子供には安全な場所で良い所だ
 途中の八雲ではパノラマ公園に行く。ここは室内でj子供たちの遊べる広い場所がある。
 今日は雨のせいか、かなり混んでいた。
 それでも広いので遊ぶには十分だ。
 よその子供に「パパパパ」と何度も言われてしまった。
 すっかり私に懐いてしまった。1パパも直ぐそばにいたのに・・。
 1時間くらい遊んで再び函館に向かって走る。 
 
 ようやく函館到着。休む間もなく。台湾から帰っている姪っ子の家に行く。
 娘から子供服を沢山渡した。
 親戚どうして、お下がりを回している。
 同じ服を4代に渡って着る服もある。
 相当の有効活用だ。
 子供同士はすっかり慣れて遊びまわっていた。
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