3月31日(水) 釧路を立って白老ヘ
 今日は函館に向けて帰る日だ。
 朝から荷物を纏めて車に積み込み出発する。
 天候は曇りで太陽の眩しさも無く、走りやすい。
 今日は孫も居るので、伊達温泉までの400Km を走ろうと決めていた。
 道は空いていて快調に走り、三石に着く。
 ふゆさわ精肉店
 瑞葵も頂く
 私も頂く
 ここで三石牛肉の入ったコロッケを買う。
 前の日のテレビで紹介していたのだが、注文してから揚げてくれるのが嬉しい。
 熱々のコロッケは美味しかっが、牛肉は少なかったな。

 三石の道の駅に着いたら電話が入った。
 函館市役所のフイルムコミッションからだった。
 映像製作会社が「英雄達の姿」と言う番組を撮るのだが、その対象が土方歳三になったそうで、協力して貰えないかとの事だった。
 撮影が5月の連休前後だと言うので、特に予定も入っていないのでOKした。

 「土方歳三の道」を歩いて報道されてから、ますます忙しくなってきた。
 9月23日から26日までの4日間の土方ウォークのガイドも決まった。
 他に民間のバスツアーなどの計画やガイドも入りそうだ。
 でも忙しい方が、暇な人生を送るより増しか。

 今日の宿は伊達まで行くのは止めて、白老にした。
 白老の「ホテルほくよう」を予約した。
 朝食付き4980円だった。
 近くに住む娘の旦那の両親も、孫に会いに来た。
 孫も両親も喜んでいた。
 函館の帰りには、孫達も旦那の両親の家に泊まる。
 親戚同士で交流が多いのは、本当に良いものだ。

 明日は函館に向かう。
3月30日(火) 今日も朝日を見に行く
 朝の4時半には家を出る。今日は西の方に走るが、なかなか良い場所が見つからず、釧路の朝日撮りは不成功に終った。明日から天候は悪くなる。
 小鹿が気にいった
 トドもいた
 午前中は釧路博物館に行く。家から10分くらいなので、瑞葵と友瑛も連れていく。
 孫達は動物の剥製が沢山あるので喜んでいた。
 3階にはアイヌ関連の展示物が豊富にあった。
 アイヌ民族の靴カバー
 魚の皮で作った外套やわらじの上に履くカバー等も興味があった。
 土方歳三隊の冬季の履物を調べているのだがなかなか分からない。
 当時の道南にもアイヌが居たので、魚の皮の足カバーもあるかなと思ったが、400人もの分を作るのは不可能だろう。
 他には木をくり抜いた丸木舟もあったが、これは当時アイヌ以外の和人も使っていたのと同じだろう。
 博物館を見るのは楽しい。昔の物は現代でも十分使える物が多い。
 木や自然の物を使った生活も楽しいと思う。
 何でも便利になる世の中だが、少しは不自由な生活も良いではないか。

 午後から高校野球を見る。小樽北照がかろうじて勝ってベスト8になった。
3月29日(月) 今日も朝日を見に行く
 今日も朝日を見に行く。孫の瑞葵からは眠いから行かないと拒否された。早目に起きて駐車場に行ったら、車のフロントガラスが、がちがちに凍っていた。
 この日も途中で出てしまった
 解凍に思わぬ時間がかかり、今日も景色が良い場所での写真が撮れなかった。
 帰りに昆布森の海岸に寄る。
 なかなか良い景色だった
 海岸沿に岩肌が剥き出しの男性らしい、景色があった。
 鶴ヶ岱公園で遊ぶ
 帰って友瑛と歩いて公園に行く。本当に外に出るのが大好きだ。
 家に居ても私が居間から出ると、何処かに行くと察して追いかけてくる。

 朝食後は娘の旦那のMTBを調整する。瑞葵も友瑛もお手伝いだ。
 ブレーキは調整したが、リアのシフターのワイヤーは交換が必要だが、工具が無く直せない。
 自転車を函館まで持ち帰る事にする。
 MOOはくーちゃんが出た釧路川の側にある
 その後は瑞葵と歩いて観光お土産施設のMOOに行く。
 どこの観光施設も、やはり値段は高めだな。
 掃除をしていた、男性に話しかけられる。
 ペアーで良いねと言われたが、ダウンは二人ともピンク系だった。
 MOOで掃除を週3回して、その収入で埼玉の孫に会いに行くのが楽しみだと言っていた。
 みんな孫は可愛いが離れて暮らす人は多い。訪ねて行ける内は良いが、それが出来なかったら、来てくれるのを待つしかない。年寄りの唯一の楽しみも、なかなか得られなくなる。

 歩いたのは、往復10km程度だが瑞葵はかなりお疲れの様子だった。
 夕方は埠頭に行く
3月28日(日) 寒い中にも春の香り
 昨日、近くの鶴ケ岱公園に散歩に行ったら、ふきのとうが出ていたので採って帰る。
 それをを天ぷらにした。
 良い香と多少のほろ苦さに、寒い釧路にも春が来ているのを感じる。
 今日は快晴の天気予報なので、朝早く朝日を見に行く事にしたが、瑞葵も一緒に行くと言うので連れて行く事になった。
 良い場所には間に合わなかった
 朝5時に瑞葵を起こしたら、直ぐに起きてきた。
 着替えて直ぐに出発。東方向に向かうが路面はツルツル道だ。
 慎重にハンドルを握り走る。途中で綺麗な朝日が出てきた。
 海岸で写真を撮ろうと思ったのだが、間に合わなかった。
 海岸に出たがもう遅い
 こんな景色もあった
 帰り道に鹿がいた。
 最初は道端に2匹居たのでじっくり見れた。
 その後、10匹の群れが道を横断した。
 瑞葵は大喜びだった。
 家に着いて食事をしてから、遊学館に瑞葵と友瑛を連れていく。
 遊学館は室内の子供の遊べる場所で、寒い釧路では人気の場所だ。

 入ると直ぐにシールを作ってくれた。
 入学が始まるので、各人が名前を打ち込むとシールが出てくる。
 瑞葵も自分で打ち込み完成。
 友瑛は遊具やこまなどで遊ぶ。
 他にも沢山の楽しく遊べる物があり、子供にとっては天国だ。
 マラカスもある
 こんな着替えもある

 私は二人の面倒を見るのに疲れ果ててしまった。

 家に帰りファイターズの試合を見る。
 武田久が今日も炎上した。深刻だ!
3月27日(土) 散歩で大忙し
 朝起きて春採湖周遊散策路を歩く。ウォーキングコースはまだ雪だ。
 釧路は例年は雪が少ない所だ。
 今年は雪が多く、寒い釧路ではその雪が解けないので残る。

 高台から見た朝日の春採湖
 春採湖に朝日が出て綺麗だ。
 でも流石に釧路は寒い。風があったので、一層寒さを感じる。

 春採湖はまだ凍っていた
 雪の上を歩いても全く埋まらない位凍っている。
 1時間30分歩いて帰る。
 午前中は瑞葵がエレクトーンの練習なので、友瑛と散歩する。外に出るのが大好きな友瑛にはじぃじが好都合なのだ。

 友瑛と野球で遊ぶ
 のんびり散歩してから帰る。その後は二人で部屋で遊ぶ。

 昼からは瑞葵と散歩。近くの公園で遊ぶ。

 たき火遊びをするという。細い木を沢山集めて来て、放射線状に並べた。
 これが焚火の木の並べ方らしい
 マッチも無いし、ここは公園なので火も使えない。
 すると木と木を擦り合わせて火を点けると言う。
 やるがそんなには簡単に点かない。
 でもそんな事を何処で覚えたのだろう。
 立派なアウトドアマンになるかな。


 帰ってから日ハムの試合を見る。延長で引き分けになった。
 ダルビッシュはなかなか勝てない。

 今日は随分歩いた。
 釧路は暫く快晴の日が続きそうだ。朝のウオークも楽しくなりそう。
3月26日(金) 虎杖浜から釧路へ
 朝にフィギアスケートのワールドカップが放映されると言うので、3時過ぎに起きてテレビをつけたが、何処の局か分からなかったと言うか、地上波では入らなかったのだろう。
 もう目も覚めてしまったので、書き物をして過ごす。

 こんな綺麗な朝日が出た
 朝5時30分には露天風呂に行く、今日は快晴の予報なので、朝日を見ようと言う訳だ。
 綺麗な朝日が出たのを、露天風呂に浸かりながら見て大満足した。
 朝風呂も良い

 朝食も沢山のおかずがあった。
 鮭の味噌漬けの焼き物、昆布煮、タラコ、大根とイクラの酢の物、ホッキともずくの酢の物、蟹味噌汁など。
 家庭的な食べ物に満足をした。
 シニアプランの5000円は安いし、食事も丁度良いので、シニアにお勧めの宿だ。

 モモも朝の散歩
 9時前には出発した。
 朝に車のタイヤを見たら空気が少なかった。
 以前から3ケ月位で抜けてくるのだ。かなり少量の漏れがあるのだろう。
 途中にあったタイヤショップで見てもらった。
 そうしたら、ホィールのリムとタイヤの間から微かに漏れていた。
 原因はホィールが錆びているので、タイヤとの接触が十分で無かった様だ。

 間にグリス系の油を入れて修理した。
 もうそろそろ交換した方が良いですよと言われてしまった。
 16万キロも走った車だから、ホィールもかなり錆びているので、交換時期なのは知っている。

 ここでタイヤ修理
 快晴の天気の中を順調に走っていたのだが、途中でカーナビが何時もと違うコースを指示する。
 何時もは天馬街道と言う車が少なく、信号もない国道を走るのだが、カーナビの指示は日勝峠経由だ。
 カーナビが壊れていたので、新しい携帯カーナビを9800円で購入したが、それを今回初めて使うのだ。

 立派なアイヌ民族の家
 日勝峠が近いなら、そちらを行こうとなった。ここは交通事故の多い峠で有名なのだが、今日は天気も良いし大丈夫だろうと思った。
 途中で日高の平取に寄る。アイヌ民族の住居が立派なのには驚いた。
 こんな家で体験宿泊させて貰いたいものだ。


 天気は良かったのだが、峠の遥か手前から雪が降り出す。
 それが峠に入ると吹雪になった。
 来なければ良かったと後悔しても遅い。
 大型車の雪煙りや地吹雪に視界を失いながらも何とか峠をクリヤーした。
 峠を下ったら、帯広の町の中を走ったので、結構な時間がかかり、5時前に釧路の娘宅に着いた。
 天馬街道は信号の無い道を走るので、距離が短いのを選択するより、時間が少なかった。
 玄関には孫の瑞葵と友瑛が出てきた。
 一気に言葉が飛んでくる。言いたい事が山ほどあるのだろう。
 瑞葵からは、彼女の持っている情報を全て聞かされた様だ。

 友瑛はまだ沢山は話せないが、じぃじは何とか言える。
 友瑛と二人で林檎を食べる。二人とも林檎が大好きなのだ。

 霜降り肉だ!
 夕食は霜降り牛肉のすき焼きだ。娘が葉書を出して当てたのだ。
 良く当たるなと言ったら、小まめに出しているからと言っていたが、娘は色々な物を当てる。
 私もたまには葉書を出すが、当たった事はない。
 殆ど食べた事が無い霜降り牛肉は美味しかった。

 夜は皆で日ハムの観戦。八木が火だるまになり、炎上した。
3月25日(木) 急遽出発して白老着
 明日、釧路に向かう予定だったが、今日の予定していたものが無くなったので、急遽出発する事になった。
 直ぐに荷物を積み込み出発する。今回は長期になるので、犬のモモも一緒に行く。
 天候は曇りだが、風も無く走りは快適だ。
 周りの風景はまだ春らしい緑の色は無く、時々見えるふきのとう以外は春らしさを感じない、灰色の雰囲気になっている。
 昼はセイコマの100円ソース焼きそばにした。
 最近、うどん、パスタ、そばの100円商品が出ている。
 最近はこの量で間に合うので安上がりだ。歳を取ったせいなのかな。
 腹いっぱい食べる事は、あまり必要としなくなった。
 順調に走って白老の虎杖浜に着いた。

 今日の宿は「民宿500マイル」にした。過去には大手温泉旅館を出し抜いて、道内人気ナンバーワンになった事もある。
 決して立派な宿ではない。普通の民宿である。 
 露天風呂は仕事で長期宿泊していた人が、仕事の合間に作ってくれたのだ。
 いかにも手作りといった露天風呂は、私にはその雰囲気がビッタリマッチする。
 いくら入っていても飽きない。さらに貸し切りとなっている。
 一人で海を眺めながら入る風呂は悪いはずがない。
 海を見ながらの温泉は良い気分
 料金は7000円代と9000円代なのだが、最近シルバー料金が出来た。
 60歳以上は1泊2食付きで5000円と安い。
 夕食はシルバーには十分だった
 料理が3品少ないが、何時もは多すぎて、無理して食べる事を考えれば十分な量だ。
 料理は、ばばカレイの煮付け、刺身、鮭の ちゃんちゃん焼き、野沢菜、それに蟹も足が3本と身が付いている。ご飯も山盛りだ。醤油味の汁は魚の肝も入っている。
 十分満足したのは勿論で、妻は余してしまった。今回はモモも連れて来たので、おこぼれで魚もモモに沢山当たった。
 食べ物も良いが、でも一番はきっぷの良いおかみさんだろうな。
 そんな所には人が集まる。
3月24日(水) 釧路行きの準備
 朝は4時半に起きる。
 我が家の周辺はすでに朝刊が入っている。相当に配達が早いのだ。
 北海道新聞を見たら、江差での講演の記事が載っていた。
 今回の講演は1時間20分程度だから、最後までトークのテンションが落ちないで済んだ。
 普段、あまり声を出していないので、時間の経過とともに、だんだんと声が枯れて来るのだ。
 水もあるのだが余裕が無くて飲めない。
 でも講演時間が短くて良かった。
 2時間の講演の時は、後半かなりテンションが落ちてきた。
 そんな経験があるので、今回はハイテンションで最後まで出来て良かった。

 
 新聞を読んだらウォークになる。
 太陽が出ていた。
 ぐっと春らしくなってきて、冬に感じていたぴりっとする感じが無くなってしまった。
 春らしいと言いながらも、海には緑がないから、今一つ春の雰囲気にはならない。
 太陽も何か柔らかな感じの光を放っている。

 冬の間見えなかったびっくりドンキーの土台も古材量を集めて作っていた。
 コンクリ―との大きいのから、ブロック、タイヤなど使っている。
 外観はそのユニークさは知っているが、こんな目に見えない裏側も、やっているんだ。
 コンクリートに上げて、ジャッキと併用
 16万キロ走ったエンジンル−ム
 今日は26日に釧路に行くので、そ準備をする。
 まずはオイル交換。
 ワゴンはジャッキだけでは危険なので、タイヤを石に上げる。
 エンジンルームを開けて、オイルチエックするが、やっぱりかなり汚れている。
 オイルパンからオイルを抜いて、新しいオイルを入れるが、1缶入れて足りず、チャリで買いに行く。
 その後はバッテリー強化液を入れる。液が結構減っていた。
 ショップでやっても、値段はそう違わないと思うのだが、自分でやらないと気が済まない。
 
 本もさらに5冊作る。頼まれているが、まだ渡していない人もいる。
 手作りも大変なのだが、購入してくれる人がいるので有難い。
 フットパスを作るためには、道の事をしって貰う事が大事なので、これからも売り込んで、道を多くの人に知って貰いたい。

 北海道新聞の「いさり火」欄の投稿締め切りは、25日なので、原稿を書きあげ、メールで送っていたが、内容 
 的には少しの訂正でOKになった。
 記事の最後の方に、本を売っているので、購入して下さいとの文書を入れてくれた。
 有難い。
3月23日(火) 姪っ子の子供と遊ぶ
 朝のどんよりした天候の中での、浜辺のウォークは今一つ気分が良くない。
 何か寒い日や雪の有った方が、雰囲気が良いのは何故だろうか。
 春だと言うのに海辺には緑が無いからかな。

 印刷をしていたらインクが切れる。
 インクってずいぶん減るが、印刷物が多いのかな。
 買いに行く前にパンクしていたママチャリを修理する。
 五所川原に住んでいた時に貰った自転車ももう8年になった。
 錆びはあるが整備はしているので何の不自由も無い。
 自転車も長持ちする
 昼におばあちゃんの1年祭の打ち合わせ。
 妻の弟や妹の家族での打ち合わせなので、私は姪っ子が連れて来た颯太と遊ぶ事にする。
 姪っ子は台湾在住なので、私も颯太とは年に何回か合うだけで、まだ気持ちは通じていない。
 颯太は何事も慎重なので、なつかせるのは簡単には行かない。
 私の車の中に載せるのも大変だ。
 今日は時間があるので、笑わしたりしながら少しづつ慣れさせる。
 30分も遊んだらかなりなついて来て、写真を撮るよと言ったらポーズを作ってくれた。
 ポーズを取って撮影
 これでもうすっかり仲良くなった。
 帰る時も手を振ってバイバイした。
 姪っ子が出産して帰るまで、半年もあるのですっかりなつくだろう。
 子供は可愛いな。
3月22日(月) お墓参り
 寒かった〜
 昨日は強風が吹き荒れていたので、墓参りは今日に延期にした。
 午前中に、立待岬の海の見える墓地に行ったが、来ている人は殆ど居ない。
 前日に来た人も少ないのか、周囲の墓にも花が少なかった。
 花を供え用としたが、花を入れる穴が凍っていて入らない。
 この何年も雪のある墓を見た彼岸は無かった。
 供え物をした墓には、取り囲むように10数羽のカラスが来た。
 他に人が居ないのだから、期待出来るのは、ここしかないのだろう。
 風も強く寒いので早々に引き揚げる。
 この後は妻の実家の方の墓に行く。
 こちらの墓は新しい墓地なので、多くの人がお参りに来ていた。
 雪が積っていて、誰も来ない墓もあって少し寂しそうだ。
 これから、子供が減って年寄が多くなったら、墓に来てくれる人も居なくなるな。
 墓というのは将来どうなるのだろうかと考えてしまう。
 子供たちも遠くに住むようになったら、そんなに簡単には来ないだろうな。

 午後からファイターズの試合を見る。2連敗のうっぷんを晴らすかのような点数だった。
 勝って良かった。
3月21日(日) 色々な一日
 まずは図書館に行く。借りた本を返して新たな本を4冊借りて来た。
 これで3日くらいは持つだろう。
 今回は土方歳三関連の本を借りて来た。
 作家の方が進攻した道を、どの様に書いているかを知りたかった。
 
 帰って来て、土方歳三の歩いた道の詳細本の執筆を開始する。
 これが完成すれば、旧道の事を多くの人に知って貰える。
 結構な時間が掛りそうだが、正確にしっかり書いて、後後に明治の旧道の事を伝えたい。
 
 今日の函館新聞の朝刊に、檜山支庁での講演の記事が出た。
 結構大きく出して貰ったので嬉しい。
 記事を見たら100人も来ていたのだ。どうりで人が多かった。有難い事だ。
 お世話になった人に、お礼のメールや手紙も書き終えた。
 道の事に係わってから、多くの人を知る事が出来て、人脈がどんどん広がって来た。

 函館新聞 2010.3.21朝刊


 午後からは日ハムの試合に釘づけになるが、惜しくも2連敗。
 好調の武田勝を変えたのが裏目に出た。
 明日は勝利だ!
3月20日(土) 函館に帰る
 江差ではニューえさしホテルに宿泊した。
 考えてみればビジネスホテルに泊まったのは、かなり久しぶりだった。
 現役中は厭になるほど宿泊したものだが、退職してからは殆ど無くなった。
 シンプルな部屋に何か懐かしさを感じてしまった。
 朝食付きだったが、ご飯が1膳と少ないな〜。おかずが余りそうだ。
 外に出たら雨だった。雨の中を車を走らせる。
 中山峠に差し掛かったら雪だった。路面も雪が積っている。
 北海道はまだまだ春は遠いなと思いながら走る。
 講演会の準備から発表して終わるまでは、かなりの時間を要する。
 それでも上手くいって、皆に喜ばれれば疲れも吹っ飛んでしまう。
 今日も疲れているのだろうが、気持ちはすっきりしていた。
 函館について、少しのんびりした所に妹が娘と孫を連れて、やって来た。
 子供の颯太はなかなか、家に入らない。車の中から私の車を見ている。
 いわゆる2424の車なのだ。私の車のナンバーをしっかり覚えている。
 2424のおじさんなのだ。一度フレンディの屋根をアップさせて載せたので、屋根が上がる処を見たいのだろう。
 屋根を上げてやる。満足そうだった。
 部屋で何時もの通り、話しに花が咲いて楽しい。
 台湾在住の姉も、6月の日航マラソンに来る。
 台湾のマラソンファンを沢山引き連れて千歳に来る。
 その中で、マラソンを通じて結婚したカップルも来て、走るそうで日航マラソンでは手を繋いでゴールする。
 日航マラソンが新婚旅行のようだ。
 そしてセレモニーも行うそうだ。
 私には何処かの新聞社に取材を依頼して貰えないかと言う事だった。
 詳細が分かったら、新聞社に伝えよう。
 
 午後から日ハムの開幕試合。これから熱い1年がスタートする。
 試合は負けてしまったが、まだ1敗だ。昨年は開幕3連敗して最後は優勝だ。
 まだまだ。


3月19日(金) 桧山支庁で講演
 今日は桧山支庁での地域活性化の講演に行く。
 折角江差に行くのだから、早めに家を出た。
 最初に行った所は泊の観音寺。泊は古くから開けた地域で、今は江差と一緒になったが、当時は泊村と呼ばれ、上ノ国の武田信弘の出先の館があった場所だ。
 江差から泊までは旧道も残っている。
 寺の駐車場に車を入れてまずは準四国88か所を巡る。四国お遍路のお寺と同じ番号が書かれた、仏像が並ぶ。いつの時代に作られたのかは分からないが、かなり古い時代に作られたものであろう。
 昔は四国お遍路に行けない人たちの為に、各地に88か所が作られている。
 コースは小高い丘一帯に及んでいる。
 ここが入り口

 こんな道で繋がっている
 コースは結構なアップダウンがあり、なかなか良い心地の汗を流せる。
 道は整備されており、静かに般若心経を唱えながら回るのも悪くは無い。
  会場の桧山支庁庁舎に入る。キャリアも一緒だ。
 大きな題目も張って頂いた

 キャリアも展示した
 早速会場に行くが、流石に広い会場でプロジェクターのスクリーンもかなり大きい。
 これなら後ろでも十分見えるだろうと一安心。
 持ちこんだキャリアをセットし、パネル写真のセットもした。
 会場のセッティングも終わり、高橋支庁長と真山副支庁長に挨拶をして話をする。
 講演時間の5分前まで話し込んでしまった。
 急いで会場に行ったら、ほぼ満員になっていた。
 今日は65人の参加予定で、2列程度で満杯なのだが、3列にもなっていた。
 講師の履歴を紹介され、講演に入る。
 昨日の自宅でのリハーサルでは90分くらいになったので、スライドをかなり削除した。
 何とか70分には入るようにした。
 それでもハイテンポで話さなければならないと思っていたが、係の人は時間は少し伸びても構わないと言う事で、普通のペースで話す事が出来た。
 講演が終わり、質問を受け付けたが、多くの質問があった。
 今回の内容に関心を持っていた方が沢山いて嬉しかった。
 今回の参加者は観光協会、市町の政策・地域振興・教育委員会・企画・まちづくり推進・林務などの方が多かった。他に民間の観光業者の参加もあったし、一般の方々の参加もあった。
 昨年お世話になった、高級旅館「群来」の棚田オーナーも来てくれた、さらに打越江差観光観光コンベンション協会会長も来てくれた。
 終わった後、皆さんから今回の発表に感動を受けたとの、コメントを多く頂いた。
 喜んで貰って本当に良かった。
 講演参加者の女性の方からはお土産も頂いた。
 また他の町の関係者から、その地域の地域振興に関して、是非町まで来て話しをして欲しいとの依頼を受けた。
 特にフットパスに関しては興味を持たれている地域が多い様だ。
 箱物と違って、お金もかからないし健康にも良い。そんな街づくりが進めば良い。
 道南の市町が協力して「土方歳三の 歩いた道」をフットパスとして繋げて欲しい。
 皆が集まって具体的に協議する場を開くと言う頼もしい発言もあった。
 いつでも行きますと答えた。地域活性化の為、力になれる事は是非やって行きた。
 会場には報道陣の席もあり、2社が取材に来てくれた。
 大きな会場だった

 スクリーンもでかい

 こんなスタイルでやりました
 今回の旅の紀行文を書いた自作の本を持参して、購入して頂いたが、あっという間に売り切れてしまった。
 もう少し持ってくれば良かったが、売れない時の事を考えると、なかなか多く製作出来ない。
 購入出来なかった方には申し訳なかった。

 終わった後、懇親の場を設けて頂いた。
 味処「やまもと」
 そこの店は、江差でも唯一江差追分を聞ける店だった。
 ママさんが追分の名手で旦那さんは伴奏をしている。
 江差追分の歴史などを聞いた後、歌ってくれた。
 何か心にしみると言うか、声を聞いた瞬間に、背中にぞっとする気を感じた。
 何とも言えぬ哀調のあるメロディと歌詞に聞き入った。
 本歌の 
 ♪忍路高島 及びもないが せめて歌棄(うたすつ) 磯谷まで♪
 男性と分かれてが、昔女性は積丹岬を越えて行く事は許されなかった。
 そこでぎりぎりの、歌棄(うたすつ) 磯谷まで一緒に行きたいと言う健気な女心だ。
 そんな女性に見送られる男性の気持ちは、どうだったのかな?
 
 宴も終わってホテルに帰った。無事終わって一安心した。
3月18日(木) 講演の原稿暗記
 講演が明日に迫ったので、そろそろ暗記でもしなくてはとなり、温泉の割引券があったので、そこの温泉のソファベッドで寝ころんで暗記をしようかとなった。
 その前に図書館に本を返しに行ったのだが、入ったら図書館で暗記しても良いかとなった。
 一通り暗記して時計を見たら、11時21分だった。
 9時15分に入ったから2時間を6分オーバーしていた。
 2時間まで無料なので、追加分が100円掛ってしまった。
 まあついでに本も借りて来られたので良い事にする。
 土方の道が出るので楽しみだが・・。
 本屋さんで見つけた本のタイトルは「週刊歴史の道」だった。
 武将や偉人の歩いた道を巡ると言うので、今私の取り組んでいる内容と同じではないか。
 私は土方歳三だけの道だが、この本は50巻である。
 最初の1号2号は250円と安いのだが、次からは580円になる。
 そうなると3万円近くになる。
 とても買えないので250円の本を2冊購入した。
 39冊目に「蝦夷共和国への道」で土方歳三の鷲ノ木〜松前までの道が出る。
 1号2号を見た感じでは、道に関してはそれほどインパクトが無い。
 ほんの少し道が出るだけで、後は歴史や史跡巡り的な記事が多い。
 土方の道はどんな所が出るのか楽しみだ。
 難所の峠などを知っていて書いたなら凄い。
 私はもう5年も苦労して、調査していてもまだ完全ではない。

 土方歳三の道と言ったら、川汲旧道であろう。
 ここを載せているなら凄い。今まで作家の方は大正時代の道を書かれている方が多い。
 土方が通った明治の道はあまり分からないようだ。
 道の位置は全く事なるのだ。
 特に野田府に下る道は、知っている人はそういないだろう。
3月17日(水) 再び寒さがやって来た
 前の日は暖かくて、春ももう近いと思ったら、何と真冬になってしまった。
 久しぶりに朝の雪かきをする。でもそれ程積っていないので短時間で終了。
 朝から道の本「旧道シリーズ」の執筆をして、昼はどうするとなったので、以前新聞に広告の入っていた店にランチを食べに行く事になった。
 北斗市にある居酒屋「ぬの川」の、強烈ダブルどんぶりを食べようと行ったのだが、やはりその量は只者ではない。気が変わって日替わりランチ650円にする。
 甘いソースの豚肉とカスベのにこごり、赤魚の西京焼き、それに味噌汁、コーヒーも付く。
 にこごりは昔は良く食べたが、最近は全く食べていないので、久しぶりに食べた。
 安くてお腹も一杯になり、満足だった。その後は温泉でまったりしていた。
 「ぬの川」のランチ

 桧山支庁主催の講演会は今の所、60名程度の参加があるそうだ。
 江差町を始め、上ノ国、厚沢部町、乙部町、奥尻町、せたな町、今金町、北斗市、函館バス(株)など、広範囲に渡っている。
 旅の話の他には、江差の観光プランを多くしたが、他の町の事も少し入れなくては。

 私も所属している、地平線会議野宿党に新しい仲間が入りました。
 クッキー事、松尾由香さんです。ユーラシア大陸、女一人旅で自転車で1年7ヶ月かかって、14000km走りました。日本人女性では初めてなようです。最高気温は50度を越え、最低気温は−20度と過酷な条件をクリヤしましたそうです。
 最高気温の時は、隠れる日陰も無くて死ぬかと思ったそうです。
 今月号のBEPALの表紙も飾り、中に記事も入っています。
 彼女のHPはこちら
 それにしても最近は女性が元気だ。その元気を貰ってまだまだ頑張ろう。
3月16日(火) 眼鏡探しに台場山へ
 眼鏡が壊れているのだが、そもそもは昨年の12月の「土方歳三 蝦夷を歩く」の旅の時、川汲山道で枝にはじかれて、眼鏡が吹っ飛んだのが原因だ。
 眼鏡が見つからず古い眼鏡をかけていたのだ。
 もしかしたら雪も少なくなって、眼鏡が出ているかもしれない。
 なにしろ2万円もするものだ。簡単に諦められない。
 台場山に行く事にする。
 天候は曇りで気温は5度まで上がるようだ。
 川汲の登山口に着いたが、雪が思ったより減っていない。
 まあそれでも登山だけでも良いやとスタートする。
 最初からスノーシューが必要だった。
 まだ30cmは積っている。
 雪だんごは付かなかったが、雪は緩んでいるので重い。
 スノーシューも結構埋まったりする。
 天気が良くなり、汗が流れる。
 シャツ1枚で登る。帽子も手袋もいらない。
 途中の雪崩個所も雪崩が発生していない。
 今年はやはり雪が少ないのだろうか。
 最後の台場山の急斜面を登って台場山に到着。
 最後の急斜面を登る 頂上に着いた
 風が強くて寒い。思わず上着を着る。
 川汲温泉側に降りた所で眼鏡を無くしたのだが、その時よりも遥かに雪が多いので、探すのを止めた。
 帰りはのんびりと周りの景色を眺めて、ウォークマンで演歌を聞きながら下山。
 楽しい1日だった。
3月15日(月) 眼鏡が壊れた
 今日は天気も悪く、雨が降っている。外には出たくないので家で過ごす。
 今週の講演の打ち合わせを、桧山支庁と電話でして、書類などを作成して送付する。
 パワーポイントで作成したスライドのメモリーカードも送った。
 事前にプロジェクターでテストしてくれるそうだ。 
 後は北海道新聞の「いさりび」の原稿も書き終えて、メールで送る。
 これで少しはのんびり出来ると思って、階段を下りて下に向かったが、階段の途中で眼鏡のレンズが外れてしまった。
 また外れたか、くらいに思って外して見たら、何とフレームが切れてしまっていた。
 壊れた眼鏡
 今週の19日に、講演があるので江差に行かなくてはならない。
 車の運転が出来ないぞ! 直ぐにメガネ店に電話したら、3日から1週間かかり、約束は出来ないそうだ。
 これでは注文も出来ない。3店舗に電話したが何処も同じだった。
 度の強いレンズや乱視の少し厄介な物は、在庫が無いので取り寄せとなるので、遅くなるそうだ。
 仕方が無いので、サングラスで運転して行って、向うで近距離用の眼鏡に代えよう。
 昨年の12月の旅の時は、途中で枝に眼鏡が飛ばされ無くなってしまった。
 そこで古い眼鏡を使っていたのだが、それも壊れた。
 今年は眼鏡に何かが起こる年なのか。
3月14日(日) 松屋崎の旧道探し
 今日は鹿部ロイヤルホテルの温泉に、入浴に行く事になっていた。
 先週のホタテ祭りで、ホタテを買った時に貰った無料入浴券があった。
 昼にはホテルに着いて妻を降ろす。妻は1人で温泉三昧だ。
 私は沼尻まで車を走らせ、旧道の調査を行い、その後ホテルで合流する。
 今回の旧道は、松屋崎を回る海岸を歩けるかどうかであった。
 松浦武四郎の日記では海岸を歩いている。その文書の中に高台には野道もあると書かれている。
 その両方の道を探すのだ。
 この道は土方隊も進攻している。北西の猛吹雪で相当な苦労した道なのだ。
 土方隊は天候が悪くて海が荒れていたのだろう。野道の雪の中を歩いている。
 海岸にはテトラポットが、かなり長い距離に渡り入っている。
 石ころの道は歩きにくい。こんな道を歩いたのだろうな。日記に書かれた通りだ。
 道は小砂利の海岸から大きな石の転太浜になった。
 海の背面からは相当な落石があるので、大きな石が落ちていて歩きにくい。
 こんな石が落ちている。
 記念撮影
 崩落した崖にはあちこちにネットが掛けられている。人が全く歩かない場所なので、ネットなど必要ないと思うのだが、もしかしたら正式な道になっているのだろうか?
 そんな道をしばらく歩いたら、、半分埋まっている加工された石を見つけた。
 四角柱の石で、墓石くらいの大きさがある。土台の石は近くにあった。
 何か文字が書いてあるか探したが、裏の方は埋まっていて、見れない。
 これは何だろう。墓なのか碑なのか?
 これは一体何だろう。そして何処からここに来たのだろう。
 海側はテトラポットがあるので、背面の土手の上から捨てたのだろうか。
 でも車が入って来れない場所に、どうやってこんな重い物を持って来たのだろう。
 捨てる場所は幾らでもあるのに、わざわざ海岸まで持ってくる事は無いだろう。
 海岸にあった何かの標識なのだろうか。分からないな・・・。
 数人いれば石を起こす事は出来るだろう。
 石の浜が切れて、砂浜になる。松屋崎はすでに越えてしまった。
 テトラポットも無くなり景色が良くなった
 この辺りで上に登る。そこには道があった。旧道特有の深く掘れた道だった。
 地図の位置からして丁度有っている。そして下に降りるならここしかないと言う場所だった。
 ただ海岸の方は崩壊してしまっている。
 下にはっきりした道があった。
 今度は野原の道を歩くが、イタドリの枯れたのが密集している。
 それにバラの木があって引っかかる。パンツの一部が鉤裂きになってしまった。
 木々が密集して歩くのはなかなか大変だ。それにこの辺りはバブル期に別荘として売った土地なのだ。
 名前の書いた木柱が寂しそうに立っている。
 勿論家などは1件も無い。投機対象になっただけだ。
 松屋崎台場を通りすぎて沼尻側に行ったら、海岸に降りれる道があったが、ここも先は崩壊していた。
 これでこの辺りの道は確認出来た。
 額兵隊隊長の星恂太郎が漢詩「渡海」で読んだ「砂原岳の裾野が海に連なる処」の文書とも会う。
 砂原岳の裾野が海に連なる
 良い結果が出たので、車に戻って、鹿部ロイヤルホテルで入浴。
 最高の日だった。
 ここの部分だけが、執筆出来ないでいたので、これで書ける。
3月13日(土) 手作り展見学
 朝の3時に目が醒めた。
 家がぐらぐら揺れている。
 雪も降っているのかな・・・降っていたら朝は久しぶりの、雪かきになるのかなと思いながら。
 本を読むことにした。
 その内に眠くなり、2度寝になった。
 6時に目が醒める。
 新聞に掲載依頼された原稿を書くが、1200字にまとめるのは大変だ。
 昨年の旅の様子と今後の取り組みを書くのだが、字が溢れてしまう。
 原稿用紙3枚のところ、あっという間に5枚にはなってしまう。
 ここから文字を削って行く。あまり削ると内容が分からなくなる。
 文書を短くするのは、なかなか難しいものだ。
 
 頭の切り替えにデパートで開催された手作り製品を見に行く。
 藤工芸・陶器・凧・りサイクル和風衣類・アクセサリー。パッチワークなどがあったが、樹脂粘土と言うのがあり、これは面白そうだった。
 紙粘土とは違う、綺麗できめ細かい人形が作られていた。
 これでチャリに乗るも〜さんでも作ろうかな。
 
 最近感じるのは、観光に関する事だ。
 観光庁が出来たせいなのかな?
 ゴールデンウィークを各地域で、ずらして取ると言う提案は、評判が悪いようだが、これも観光庁の提案なのだ。
 道南でも各市町が観光に力を入れると言う方向が出されている。
 体験観光などに力を入れるので、人を採用するところもある。
 他にも観光プランが計画されている。
 国からの予算が付いたのかも知れないな。
3月12日(金) 白神岳登山
 白神岳に行った事が無い、ダブルKさんと白神山道の旧道を通って、登山に行く事になっていた。
 函館を出る時は小雨が降っていたが、今日の予報は曇りで、夕方から雨であった。
 所が登山口のある福島の手前から、雨が強く降り出した。
 今日は駄目だねと、、1998年の「東遊奇勝」という古文書に絵書かれていた、ヲット岩を探す。
 これがヲット岩
 この海中から大きく出ている、岩が見つかれば、新たな旧道の発見に繋がる。
 3人で海岸線に目を凝らして、白神岬まで行ったが、岩は見つからなかった。
 210年前に有った岩は、すでに風化して海の藻屑になってしまったのだろうか。
 そうしている内、急に天気が良くなり、青空が出てきた。
 急遽、登山開始になる。
 旧道はスノーシューが入らないくらい、残雪が堅くなっていた。
 今日の最高気温は8度くらいになると言うので、登っていても暑い。
 今日は旧道の詳細マップを作りたかったので、紙にコースを書きながら歩こうとしていたのだが、紙が水に濡れて、いきなり書けない。
 仕方がなく諦めた。
 さらに途中で写真を撮ろうとしたら、メモリーカードが入っていない。
 バッテリーの充電はしっかりしてたのに・・・。
 旧道は笹も雪の下になっていて、歩きやすかった。
 結局は頂上まで、つぼ足で歩けた。
 下りは車道を下って来た。距離は長いので、結局登りと同じ時間掛った。
 でも下までおしゃべりをしてきたので退屈はしなかった。
 そして帰宅。
 山もすっかり春らしくなった。
 もうすぐ新緑だな〜。
3月11日(木) 快晴の天気
 暴風雪で40cmも積ると言った予報は見事外れて、さらっと雪が降った程度だった。
 釧路にいる娘に電話したら、釧路は雪が相当降っているようだ、孫の幼稚園は休園となった。
 釧路はスケートの町で、寒いが雪は少ない。それが今年は雪が多い。
 数年後はスキーの町になるかもしれないな。
 午前中に10冊の本の作成が終わり、直ぐに山に行く。
 先日行ったコースとは違うコースから旧道を探す。
 今日は、矢不来川に沿って登って行く。鏡山から富川に抜けたと古文書にある。その道を探すのだ。
 スノーシューを履いて、真っ白な雪の上を歩く。太陽がまぶしく、気温も上がって汗が出て来る。
 でも気持ちは最高だ。
 真っ白な雪の上を歩く
 気温が上がって、スノーシューの底にも雪が付く歩きにくい。
 しばらく歩いたら、道が無くなった。
 川は深く広いので渡れない。う〜ん、ここには旧道は無かったのかな?
 付近に旧道が見えないか探したが、それらしき跡は無かったので諦めて戻る。
 旧道探しはいつもこんなものだ。古文書に書かれた「深い澤を歩き、高山を凌ぎ・・」この程度の文書から道を探さなくてはならない。
 そう簡単には見つからないのが、見つかった時の喜びを大きくする。
3月10日(水) 新たな旧道が判明
 今日は暴風雪との予報なので、これは家にいた方が良いとの判断で、図書館から借りて来た本を読んでいた。
 福島に関する本は何種類か読んだのだが、今回読んだのは「概説福島町の歴史」と言う本だった。
 初めて読む本だった。
 あまり目新しいのも無いなと思いながら見ていたら、道とはあまり関係の無い、千軒の砂金採りの話が載っていた。
 あまり関係が無いかと、ぱらぱら見ていたら、長い砂金採りの歴史の文書の中に、たった2行に旧道の事が書かれていた。
 内容は「碁盤坂と言う地名だった。これは、国道228号線が綱配川にかかる鉄橋の下に旧道が通っていて・・・と書かれていた。
 この道のある事は知っていたが、いつの時代か判断が出来ないでいた。
 知内から一ノ渡(現住川)までの旧道は、今の所はっきりと解明はされていない。
 これで一部が判明した。
 秋に撮った旧道。当時は鍋毀坂と言われた。
 いつもここを通るたびに、この道を眺めては旧道だと思うんだけどと考えていた。道の半ばには小さな祠もある。
 この道を知ったのは3年くらい前で、5年目にしてようやく旧道と分かった事になる。
 旧道探しはやはり時間がかかる。
 これが旧道だと分かった事によって、この道の前後を調べれば、さらに新たな発見が有るかもしれない。
3月9日(火) お褒めの言葉
 今日は寒い朝で海岸を散歩していたら、サンピラーが出た。それ程光は長くなかったが、はっきり確認出来た。
 残念ながら、写真は取れなかった。携帯に入っていた、メモリーカードをパソコンに差し込んだまま忘れてしまった。

 自作本である「土方歳三 蝦夷を歩く」を沢山の人に買って貰ったが、その中の1人からわざわざ電話を頂いた。
 本を読んだ感想として、箱館戦争と旅の関係が良く分かり良かったと言われた。
 今、考えている旅のプランは、歴史のストーリー通りに巡る旅がテーマで、旅のシーンの中でどんな歴史があったのかを並行して書いている。
 山に登る時も、どんな山で何があったかの歴史を書くなど、一貫してその方針を貫いている。
 そ事を分かって貰えて嬉しかった。
 今週の12日には白神山に行く事になったが、その山に至る道の事を、古文書から引きだしたり、そこを歩いた時に書いた絵を見つけて来てA4版にまとめたが13ページにもなってしまった。
 山一つに登るのも大変なのだ。
 それでも、読んで貰って、その山や道にはこんな歴史があったんだ、と言う事を分かって貰えれば嬉しい。

 今日はまた「土方歳三 蝦夷を歩くの」本作りに精を出す。今月の講演会で販売する予定だ。
 すでに購入希望者がいるので、10部を作って行きたい。
 プリンターは黙っていてもバックグランドで、印刷をしてくれるので便利だ。

 明日は台風並みの風と、大雪の警報が出ている。家に閉じこもろう。
3月8日(月) 講演資料も完成し、山へ
 朝から頑張って講演用の資料は一応完成した。
 後は読み合わせて時間を図って、1時間10分くらいに収まるかっどうかになる。
 スライドの枚数から少しオーバーしそうなので、もう少し減らさなくてはならないかもしれない。
 でも減らすのは簡単なので、苦労は入らない。

 午後から山に出かける。
 以前手に入れた、矢不来の旧道を書いた絵があるのだが、その道は有るのかどうか確認したかった。
 スノーシューを持って出かける。
 雪道を歩いて、高規格道路を作っている個所に来た。
 トンネルはすでに完成していたが、まだ少ない人数で工事はやっていた。
 「入り口でこの道を歩いて良いですか?」と聞いたら
 「歩いても良い」との返事だったので、歩きながら左右を見て道を探して歩く。
 そこへ前から車が来た。
 通り過ぎてから止まって、降りてきた。
 「一般の方ですよね」と言う。
 「そうです」と答えたら、携帯電話で何処かに連絡していたが、「一般の方は入れないの」との事だった。
 「入り口で良いと言ったから来たのに」と言ったが、謝るので出る事にした。
 付近の山に登り道の確認をするが、収穫は無かった。
 どうも高規格道路の出来た部分が、道で有った様な気がするが定かではない。
 仕方が無いので、今日は打ち切りにした。
 高台にも土塁は見つからず

 函館山が見えた見えた
 帰りに図書館で本を5冊借りて来た。
 気になっていたのだが、いつも貸出中だった「イザベラ・バードを歩く」の本も借りて来た。
 明治10年頃、イギリスの女性が旅した道を、当時と同じ道を自転車で走破したと言うので興味があった。
 自分も調査して知っている、函館から蓴菜沼に出るコースを見たら、国道5号線の舗装路を走っていた。
 当時の道である無沢峠は、頑張れば自転車で越えれるのに、そのような道が有ると文書に書かれているだけだった。鷲ノ木からの道も旧道は通らず、やはり国道5号線の舗装路だった。
 少しがっかりだった。当時の道を走ると言うので、やるなと思ったのだが期待外れだった。
 今年、長野県の塩の道を踏破する予定だが、その後の、北上のコースを考えていた。
 奥の細道は東京から東北まで来て、また戻るのでどうするか考えていた。
 イザベラバードは東京から北海道の日高まで行ったので、良いと思って検討する事になっていた。
 すでに自転車で踏破したのだったら、別な道を考えていたのだが、今回の本を執筆した人が踏破していないので、自転車踏破も検討しよう。

 今、世界1周自転車の旅を続けている、小口君からメールが来た。
 サイクルスポーツに8ページの記事が載ったので、読んで下さいと言う内容だった。
 彼が日本一周の時「自遊旅」に来たのだが、自分の事をアピールする事は大事だから、駄目元で投稿した方が良いよと言った。
 そして初めて日本一周の紀行文を投稿したら、サイクルスポーツに4ページに渡って掲載された。
 彼は凄く喜んで、それから積極的に投稿するようになった。
 今回のメールにも、私に言われて投稿したのが本当に良かったと書かれていた。
 最初は、確かに躊躇するが、何事もやってみると言う気持ちが大事だ。
3月7日(日) 鹿部ホタテと温泉祭り
 昨年も行ったが、今年も行く事になった。
 天気は快晴なので、海岸線の道を走った。海も穏やかで、北海道にも春が少しづつ、近づいてきていると感じられる。
 やがて会場の鹿部ロイヤルホテル前のイベント広場に着いた。
 車はすでにかなり来ていて、駐車場は一杯だったが、少し待って入れた。
 早速会場に行って、まずは無料の焼きホタテの列に並び、3枚貰って食べる。
 新鮮なので生でも食べれるが、さっと焼いて食べるのも、甘みが増して美味い。
 ホタテを焼く人は大変だ
 次にホタテ2年物18枚で500円と、格安販売の物を4セット購入。
 買うと温泉無料券と抽選券が付く大サービス。
 今度は400円のホタテカレー。ロイヤルホテルの調理なので味は申し分ない。
 さらにホタテ汁が130円。出汁が一杯出ていて、寒い日には打ってつけだ。
 妻はその後2回も並んで焼きホタテを食べた。私は1回だけだったが1枚貰ったので4個のホタテを食べた。。
 妻は普段は小食なのに6個のホタテを食べた。こんな時に張り切るのは、おばちゃん根性なのだろう。
 最後は無料チケットで、ロイヤルホテルの温泉に入ってと満足の一日だった。
 ここのホタテ祭りの良さは、品物が無くならない事だ。
 直売場は大人気で長蛇の列
 無料の焼きホタテも500円で売っているのホタテも、無くなれば直ぐにトラックで持ってくる。
 一般的な祭りでは、30分で物が無くなったとかになるが、ここはお客さんが満足するまで、幾らでも出て来る。
 これが鹿部ホタテ祭りの凄いところだ。

 今回は韓国の団体や、ツアーのバスが沢山来ていた。観光コースとして定着して来たのだろうか。
 帰りの駒ケ岳は綺麗だった
3月6日(土) プレゼン資料作成に熱中
 今日は朝からプレゼン資料作りに熱中する。
 山に行こうかとも考えたのだが、日ハムの試合でダルビッシュだ投げるので、午後の野球観戦まで資料作り
をする。お陰で90%くらいは出来てしまった。
 やれば出来るのに〜。
 いつも切羽詰まってからエンジンが掛るのだが、今回は早くエンジンが掛った。
 後、2日位で出来るかな。

 試合はダルビッシュが完璧に6回投げて安心。3対0で勝った。良い出来具合で一安心。
 ヤクルトもエースの石川なので面白い試合だった。
 昨年の優勝予想では、日ハムを下位にした評論家が多かったが、それに反して優勝した。
 今年は優勝に上げた評論家が多かった。評論家はあてにならないようだが、今年は的中して欲しい。

 最近の新聞を読んで気になる事がある。
 今、私が取り組んでいるのは、観光的な事なので、気になるのかもしれない。
 桧山支庁で講演会をするが、依頼の際に、地域活性化の話しもして欲しいと言われ、江差の観光プランを話す予定になっている。
 新聞では北見江差観光協会では、観光けん引役の事務局長を募集しているし、知内では体験観光の調査費を計上した。
 他に、奥尻町では観光推進の為3人を雇用と、何か観光に関しての動きが多くなった。
 函館でも「観光セミナーin函館」があり、観光カリスマに選ばれた方の講演がある。
 観光庁が出来たので、何か動きがあるのかな?
3月5日(金) 来客あり
 おばあちゃんの1年祭の案内状が完成したと思ったら、年月が間違っていた。
 あ〜今年は平成22年だった。いつも西暦で書いているので、平成は勘違いしていた。
 そんな言い訳をして、店の開くのを待って、再び案内状を買いに行く。
 
 帰りに上磯ダイエーに寄るが、すっかり店内は春の雰囲気だった。
 特に購入する物は無いだろうと思って、ぶらぶらしていたら、靴下が2足で180円だった。
 買わなくてはと思っていたので良かった。
 今までの安値だ。生地も悪くは無い。安売り店の物よりも大きな店のバーゲンの方が品物は良いようだ。

 帰って印刷を終え、郵便局で出して終了。
 夕方まで講演の資料作りをする。だんだん凝ってきたかな?
 枚数もどんどん増える。参ったな〜1時間半の予定なので、まだカットしなければならない。
 
 夕方、原口の佐々木さんが弟と従妹を連れてやってきた。
 今年原口で、集落を活性化させるために、行事をやる事にした。
 4年前に植えた、魚付林の間伐をやる事になった。間伐をしなければ折角植えた、木が生長しない。
 所が、問題が発生。植林は小学生も行った。
 その木が切られると言うので、子供たちは困惑している。
 これではまずいので、木を良く知っている人に間伐の意義を教えて貰う事にした。
 間伐作業の後は、大人が残り宴を開く事になった。
 普段、家に閉じこもりの人を、何とか外に出て貰って、元気を出して貰いたい。
 今回の行事には、外部の方も呼んで交流を図る。
 2000円の会費で、弁当とお酒、それにプラスアルファで、地元の漁師の方が、新鮮な魚介類を提供する。
 宴の後は、掛越山の山荘に宿泊出来る。
 希望者がいたら是非行きましょう。原口は良い所です。歓迎してくれますよ。
 今回の結果次第で、運動会を開催する。これも住民が一体となり、楽しもうと言う事で、原口を出て行った人にも声を掛ける。何とか地元が明るくなれば良いな。
3月4日(木) ぶんぽ研例会
 恒例の例会に行く。今日は車で行くが、必ず誰かに自転車で来たの?と聞かれる。
 期待されているのかな??
 例会で興味があったのは、学校ボランティアの募集。
 以前北海道新聞の記者に、自転車旅の面白さを子供たちに伝えて欲しいと言われていて、いつかやらなければ駄目かなと思っていた。
 そこで資料に目を通したのだが、自転車旅なんて受け入れられるかなと思うのだ。
 狙いは、地域の教育力の向上。体験活動により学習意欲を向上させるなどである。
 自転車で旅して、学習意欲が向上しましたと言ってくれれば良いが、そうはならないだろうな。
 講師の注意事項=服装や言動は学校現場に相応しいもの・・か。短パンT、シャツは駄目かな。
 まあ他にも色々あるのだが、問題は自分から積極的に活動が出来ない事だ。
 何処かから依頼が無ければ出来ない。それはいつになるか分からない。
 自分で計画していついつやるから希望者は集まって!などと出来ない。
 一般人を対象に、生涯学習の講師もやっているが、依頼がいつ来るか全く分からない。
 突然依頼があったりして慌てて、プレゼン資料を見直したりする。
 本当は自分でいついつ主催してやりますと言って、開催したいのだがそれが出来ない。
 積極的にやりたくても、出来ないのが現状だ。
 今月、生涯学習講師の更新がある。やろうかやるまいか?

  本を買って下さいとお願いする、も〜さん
 今日はぶんぽ研の会員の方に購入して頂けると言うので、「土方歳三 蝦夷を歩く」の本を持参して行ったのだが、12部も購入して頂いた。
 つたない文章だが一生懸命作成したので、多くの人に読んで貰いたい。
 仲間って良いなと思う。感謝感謝だ。
3月3日(水) 暖かくなってきた
 朝起きたら雪だったが、気温は−0.2度と暖かい。
 もうすぐ春が来るのをひしひしと感じる。
 春よ来い・・早く来い!
 今日は雛祭りだ。3月3日にやるのはやはり季節感が無い。本来の3月3日は太陽太陰暦だから、現在の太陽歴に換算すれば4月になる。桃の花が咲くから桃の節句ともいう。
 だから北海道はまだ雪があったりして季節感が異なる。
 娘も居ない我が家では、雛段は飾っているが、皆で何かやろうと言う事も無くなった。
 まあ元々は子女の遊びであったのだが、一生の厄払いを人形にさせようと言う事で、武家の子女が嫁入りに持つようになってから、競って豪華な物になったそうだ。
 まあ我が家は武家でも無いので質素だが・・。
 でも・・毛利元就の子孫だったら、もっと豪華になったかも。

 今日はおばあちゃんの1年祭に出す案内状を買いに行った。
 文具の専門店には、結婚式から葬儀に至るまでの、案内状が揃っている。
 4月の3日に行われるので、もう出さなくてはならない。
 亡くなって1年が近づいたが早いものだ。
 和風の感じの良い用紙を見つけて購入。ついでに店内を一回り。
 特に興味が有ったのは、生地に書ける絵具やクレヨンだった。
 パソコンでTシャツプリントが出来る事は知っていたし、やっていたが、絵具やクレヨンで出来るなんて全く思いもよらなかった。クレヨンで綺麗な絵をTシャツに書けば、なかなか恰好が良いではないか。
 今度試してみよう。
 もう日ハムモードになりつつある
 日ハムの函館の公式戦のチケットも買った。
 もうすぐプロ野球のシーズンになる。
 また試合の日はテレビに釘付けになる。
 今年の日ハムはどうかと気になるこの頃。
3月2日(火) やっぱり結婚記念日
 実は結婚記念日が、2月27日だった。お互いに何かしようとの話しも無く、2月28日の夕食はラーメンの王道「北浜商店」で外食をした。
 何となくこれで結婚記念日は終わりだった。昨年は出前鮨を取ったので、今年はラーメンで終わりか・・とお互いに思っていた。
 その後、やはり何かしようかとなり、安くて豪華なプランは何かと考え、啄木亭の10時間プランを申し込んだ。ランチとバイキング夕食が付いて、個室10時間貸し切りで4500円だった。
 ホテルに行く前にガソリンを入れる。
 実は昨日の山の帰り、燃料タンクのメーターが突然下まで下がってしまった。
 これは電気系統かなと思い、ヒューズチエックや配線が外れていないか見たが、何処も異常は無い。
 困ったなと思い、キィを差し込んだら少しメーターが上がった。
 あれ! 少し動いた。でも半分は燃料が入っていたので、上がりは少ない。
 そこで少し燃料を入れた。そうしたら入れた分くらいは上がった。
 そして走ったら、メーターが前の燃料プラス、今回の入れた分くらいに一気に上がってしまった。
 これでOKなのだが原因は何だったのだろう。
  チエックインは11時からなので、時間通りホテルに向かった。
 温泉でも先に入ろうと思ったら1時からだった。
 昼食は12時なので1時間もする事が無い。もっと遅くても良かったな。
 
 廊下でマネージャーと会う。昨年のオンパクのガイドは啄木亭の主催だったので、良く覚えていてくれた。
 「来るなら、事前に言ってくれれば良かったのに・・」
 もしかして安くなった??
 ランチは釜めしで、オンパクガイドの時と同じだった。ウニ入りで美味しいのだが、昼から3膳も食べてしまった。もうお腹が苦しい。夕方はバイキングだが、それまでお腹が空くかな?
 この釜めしを全て食べってしまった。
 温泉に入り、講演のパワーポイントを作る。「土方歳三 蝦夷を歩く」の旅の様子より、江差を活性化するプランの方が重要の様子だったので、旅プランの提案を多くした。
 
 夕食はバイキング。卒業旅行なのか若い女性のグループが多かった。
 食べた食べた・・・やはりバイキングは食べ過ぎる。
 お腹が一杯になった上にスィーツも一杯食べた。
 スィーツは別腹と言うが、同じ腹に入っているようだ。
 ぱんぱんになって部屋に戻る。
 苦し〜い。やはり老人にはバイキングはきつい。押さえようと思っても本能がでてしまう。


 時間も8時を過ぎた。9時まではOKなのだが、下でビンゴ大会が有るのだ。
 500円でカードを買ってビンゴに参加。
 7回目までにビンゴになれば、PSPが当たるがそれは無理だろう。
 始まったが、相変わらず出ない。
 周りがどんどんビンゴになって行くが、私と妻は出ない。
 でも自分では全く問題が無かった。
 欲しいものはイカの大きな縫いぐるみだ。
 旅行者はこんな大きいものは絶対貰わないとの自信があった。
 そして私と旅行者のおばちゃんがビンゴ。
 じゃんけんをするのだが譲った。
 彼女はお菓子を貰った。そして私は予定通りイカの縫いぐるみになった。
 予定通りゲットした
 妻は結局最後になった。でも予定していたバッグなので大喜びで終わった。
 イカの縫いぐるみは、使い物にしたかったので欲しかった。
 ここのビンゴでしか出ない物だ。
 売店でも、函館市内でも売っていない。
3月1日(月) 富川から山中をさまよう
 昨日読んだ古文書には、箱館戦争で矢不来の「鏡山」から、額兵隊隊長の星恂太郎が撤退して富川に出ている。
 このコースは何処なのか?旧道は今でも残っているのか、調査に出かけた。
 気温は最高気温で0度と寒かったが、この方がスノーシューでは歩きやすい。
 2万5千分の1のマップを持って行く。
 正面に鏡山が見える

 まだ新しいキツツキが造った巣

 函館山も見える

 土塁の様な構造。下には旧道があるが・・。
 鏡山の付近を通林道はあるようなので、そこを行きながら、旧道を探す事をメインにする。
 そして、出来れば鏡山に行きたい。
 道は全く付いていないが、尾根伝いに行けないだろうかと考えた。
 いつも見ていた渡島クリーンセンターの横を行ったら、その先は関係者以外通行止めだったので、車を置いてスノーシューで出かける。
 旧道がありそうな場所をうろうろと探す。
 道はいくつかあるが、旧道では無いようだ。尾根道をかなり上まで登って行った。
 尾根から見る沢はかなり深い。
 古文書「蝦夷錦」にも深沢を越えて行くとの表現がある。
 でも道ははっきりしない。
 さらに登って林道を見つける。この道は地図に出ている。
 新しい道の近くに旧道がある例が多いので林道を歩きながら周囲を注意深く見て回る。
 登りのピークまで行ったら、沢筋に道が付いている。
 これなのかなと思いつつ、付近をさらに探す。道は沢下にりているので、ここを降りてしまったら戻るのはかなり大変だ。
 もう少しはっきりと確認出来る時期を待つ事にした。
 その他にも土塁らしき物もある。その土塁の下側には道路がある。
 面白そうだ。

 しかしスノーシューの調子が悪くなった。直ぐに脱げそうになる。
 締め金具のベルトの穴の位置を変えなくてはならない。
 何度も何度も外れそうになるので、なかなか歩けない。
 今日は諦めて、また来る事にした。


 山中をさ迷っている時、日本一周チャリダーのY子さんからメールが来る。
 彼女はアフリカンダンサーとして、各地で踊っていた人でもある。
 地平線会議野宿党にも入っている。
 日本一周の後は、故郷の福島に帰り、農業をしている。
 函館に来た時は、旅仲間3人でアユ釣りに行き、28匹釣って来て、ゲストハウスで焼いて食べた、楽しい思い出がある。
 滅茶苦茶明るい女の子だった。
 鹿部の友達の所に遊びに来たそうだ。会いたいが山中では仕方が無い。
 メールのやり取りで終わる。
 今年の旅には福島に寄るよと言ったら喜んでくれた。


 家に帰ってのんびりしていたら、北海道新聞報道部から電話が来て、「土方歳三 蝦夷を歩く」の時の様子や、今後の活動方向などを、北海道新聞に掲載するので、原稿を書いて下さいとの依頼が来た。
 初めての執筆になる。上手く書けるかな・・。
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