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1月31日(月) 部屋の掃除をした
 今朝も早くから紀行文の執筆をした。
 ここ連日力を入れて書きこんだので、59日分の旅日記の書き込みは完成した。
 後は校正とマップを入れる作業で終わりになる。
 紀行文も出来たので、書類が散乱している部屋の片付けに取り組む。
 捨てるものはさっさと捨てようと思い、思い切り捨て始めた。
 ガーミンのGPSもここ2年くらい、画面がおかしくなり使えなかった。
 時々は出して動かして見るが、やっぱり駄目で諦めていた。
 そしてユピテルの安いGPSを買った。
 今日で捨てようとなり、最後にもう一度電源を入れて見た。
 そうしたら画面が全く正常に動くではないか。
 一度では駄目だと思い、しばらくしてもう一度やってみたらOKだった。
 捨てようとごみ袋に入れた、充電ケーブルやパソコンとの接続に使用するUSBも、袋から戻した。
 何と運が良いのだろう。
 最後のテストをしなかったら完璧に捨てていただろう。
 完全に画面が戻った
 夕方台湾の姪っ子が子供とお母さんと一緒に来た。
 友達が函館に2週間くらい滞在したいので、コンドミニアムが無いかとの事7だった。
 函館に住んで見て将来はマンションを購入するそうだ。
 函館にはコンドミニアムは3件しか無く。
 1軒は凄く安かったがパスして、ファミリーで1部屋1日26000円が良いだろうとなった。
 他の物件はと見たらファミリータイプで1日12万円と高級だった。
 高いものだと驚いたが、全て備え付けなのでお金に余裕があれば良いだろう。
 自分には縁の無い事だなと思う。
 台湾のゆうたつは寒そうだ。
1月30日(日) エコポイントを貰うのに古いテレビが必要
 サッカー観戦で流石に眠いが、6時からパソコンをたたく。
 街道旅の紀行文はついに北海道まできた。
 残りは5日残すのみとなった。
 あと一息だ。その後校正はしなければならないものの、ついにここまで来たかという感じだ。

 テレビを購入したらエコポイントが6000ポイント付いた。
 しかし、法改正でリサイクルに出すテレビが無くては付かない。
 そこで妻の実家にあった、古い大型のテレビを出すことにした。
 妻の実家に行く。除雪はしていないので30cmは積っている。
 その雪を排出するのにひと汗流す。
 そしてテレビを車に積み込む。
 かなり古いテレビなので、二人で持ってようやく積み込んだ。
 今の液晶テレビは1人で持てるのでえらい違いだ。
 家電店まで持って行くと、リサイクル料が3000余円取られる。
 そしてエコポイントが6000点付く。JCBカードで貰う事にした。
 書類を書いて郵送して3ヶ月位には届くそうだ。
 もう少し早くテレビが壊れていれば12000ポイントだったのに・・・。
1月29日(土) テレビが付いた
 テレビの機種とデジカメの購入が決まった。
 昨日見たヤマダ電機の37インチTVとデジカメはSONYに決めた。
 購入する前にコジマも一度のぞいて見ようとなり行った。
 ここは37インチは少なく、32インチが多く展示していた。
 妻は迷う。一度37インチに決めたのだが、大きすぎる感じで32インチが良さそうだった。
 何度も見比べて、最終的にコジマにした。
 32インチのSONYの液晶が48800円だった。
 最初の頃に比べれば格安になったものだ。
 妻からのお下がりは27インチ液晶TV。これで十分だ。
 私の壊れたカシオデジカメだが、過去3台購入したが、全て故障原因は同じで、レンズが出た後、格納出来なくなる。
 今回はカシオを購入するのを止めた。
 機種を選択したが、やはりキャノンかSONYが良いだろうとなった。
 店の人も同じアドバイスだった。
 SONYは来月新機種が出るので、現在の機種は値段が下がっていた。
 性能的には画素数が増えたくらいなので、現在ので十分だ。
 10倍ズ―ム、、フルハイビジョン動画可能、GPS機能ありの物を19000円で購入。
 これがあれば動画撮影も綺麗だし、DVD製作も面白くなりそうだ。
 デジタルカメラも購入
 テレビのエコポイントは以前より大幅に下降して6000ポイントだった。
 それも下取りテレビが無ければ付かない。
 古い下取りテレビを持って行けば、エコポイントは付くが、家電リサイクル料の3000円が引かれる。
 結局は3000円程度しかフィードバックが無い。
 無金利ローンで毎月支払う。


 家に帰ってから温泉に行く。
 誕生日祝いには食事付き温泉入浴が格安になる。
 妻の誕生日祝いが来ていたが後、2日で期限が切れる。
 久しぶりに旅館の料理を頂いた。

 久しぶりの外食だった

 深夜からはサッカーアジアカップの決勝戦を見て、朝の3時過ぎに寝た。 
 JAPAN優勝で最高だった。
1月28日(金) テレビが壊れる
 テレビの電源を入れたが、直ぐにダウンしてしまう。
 遂に寿命が来てしまった。
 ビデオ付きテレビという時代物で、ビデオはとうの昔に壊れている。
 今回はテレビが壊れた。
 このテレビも娘に貰ったものだ。
 遂に寿命が来た
 もう少し早く壊れてくれれば、エコポイントも貰えたのにと思うが仕方がない。
 自分の部屋ではラジオを聞いているので、殆どテレビを見ない。
 そこで持って歩けるのが良いとなり、コジマに行く。
 ワンセグ付きの7インチDVDプレーヤーにしようとなった。
 これなら、旅行の時は持って行って、録画したテレビ番組などが見れるので好都合だった。
 決めようとした時、妻から私のテレビをあげるからとなった。
 27インチのデジタルテレビだ。
 そして自分の分は新しいのを購入するとなった。
 大蔵省の言い分は聞かなくてはならない。
 家電ショップにテレビを見に行く。
 妻は37インチのデジタルテレビに決めた。
 私にはデジカメを買ってくれるそうだ。
 今使っているデジカメも動作が不安定でいる。
 もう少しで寿命が来そうなのだ。
 これでお互いに目出度く行きそうだ。
1月27日(木) 執筆活動に専念
 紀行文執筆
 昨日は登山もしたので今日は静かに家で執筆活動をする。
 イザベラ・バードの紀行文も、一日中書いたのでかなり進み、秋田土崎まで終わった。
 パソコンを打つのは疲れるが、写真を見ながら執筆するのも旅が再び思い出されて良いものだ。
 イザベラ・バードの「日本奥地紀行」も読みながらなので楽しい。
 いつ完成するかな?
 3月迄には完成させて、お世話になった方々へ贈りたい。
 いつも世話になっているばかりなのでせめてものお返しだ。
 400年の歴史がある土崎引き祭り

 
ダイソー
 数日前ダイソーに行った。
 そうしたら、何と充電式の電池(単3および単4)が売っていた。
 ついにここまで来たか。容量は1300mAHなので、今時は2000mAHが多いので少し容量は減るが100円である。問題は繰り返し充電が何度出来るのかだ。
 2本かって来た。
 充電器も100円で売っているが、家に充電器があるのでそれを使って充電した。
 後は使ってみての評価だ。

 ダイソーの充電式電池

 歯医者
 今週の月曜日に入れ歯が欠けて歯科病院に行った。
 若い先生の指示で歯科技工士が欠けた歯を調整して接着した。
 この若い先生は、「入歯作りなおしませんか」と言う。最近の歯医者は直ぐに新しくさせようとする。
 まだそれ程使っていないから修理したいと言った。
 歯が直って技工士が入れたが、先生は来なかった。
 そして翌日、ソフトなケーキを食べていたら歯が取れた。
 仕方がなく昨日また行った。
 その時の先生は休みだった。
 他の先生が見て「この接着のやり方だと直ぐに取れるので、元から作り直します」という。
 同じ病院で何かおかしい。
 月曜日の先生は何だったのだ。
 技工士は以前私の歯を作ってくれた方だった。
 彼女は凄く上手なのは知っていた。
 先生にもこうした方が良いと提案するくらい、自分の考えを述べる方だった。
 年齢は30代か?
 ロビーで治療室を見ていた時に、彼女に当れば良いなと思っていたが、丁度彼女が私の担当になった。
 今度は接着でないから丈夫ですと無事完成した。
 料金は無料だったので、良いのだが何か割り切れないものを感じた。
1月26日(水) 快晴無風の清水山登山
 予定していた、清水山登山の日。
 天気は快晴、気温は最高+5度と最高のコンデションだ。
 いつもの場所で待ち合わせて出発。
 今日の登山コースは、登山道として残っているコースを登る。
 この山の登山道は明確になっていないので、急斜面を直登したリ、離れた場所から尾根を歩いて来る人が多いようだ。
 今回のコースを以前調査した道で、以前登山道として使われていたと思える。
 畑の中を進んでから斜面に取りつく。
 最初は山道が見つからず、直登ぎみになったが、途中から登山道が出て来てそこを登る。
 地図には無いが登山道が明確にある
 お日様が出て、風も全く無いので暑いくらいだ。
 ピークまで登ったら、尾根コースからの足跡があった。
 旧大野町の山岳会が来る事になっていたので、そのトレ−スだろう。
 函館山を背景に登る。もうすぐ頂上
 道はしっかり締まっていて歩きやすくなっていた。
 お陰でシューシューもいらずに楽に清水山の山頂に登れた。
 頂上も快晴無風で春山の様だ。
 頂上で記念撮影
 函館山、横津岳、烏帽子岳、袴腰岳、三森山さらに白神も見える。
 本州の津軽半島・下北半島も見えて最高の眺めだった。
 でもこれでは体力的に少し物足りない。
 西側にある310m峰に行く事にした。
 これが310m峰だ
 誰も歩いていないので雪は深い。
 道も無いので足が急に埋まったりするので、歩くのも苦労する。
 310mの最後の登り斜面は雪に深く入った足が上らずに苦労する。
 足が短〜いな。
 汗もびっしょりだ。
 そして310m峰に到着。
 下りは適当な斜面を下って来たが、何と深く掘れた道があった。
 いつの時代の道かは分からないが、この山には複数の道がある事が分かった。
 この道なら笹も短いので、夏でも歩けそうな感じがする。
 すっかり汗を書いてスタート地点に戻った。
 気もちの良い一日だった。
1月25日(火) 図書館で調べ物
 朝からおにぎりも作って函館中央図書館に行く。
 近くのバス停からバスに乗り、五稜郭病前で降りて、後は歩いて行く。
 長い時間図書館に居ると、駐車代が馬鹿にならない。
 100円バスの乗ったと思ったが、中に張り紙があり、200円になっていた。
 バス停の表示は100円バス乗り場になっているぞ!と叫びたくなったが叫んでも仕方がないだろう。
 途中から歩いて五稜郭公園を通り図書館に着く。
 早速恵山町史を読む。
 先日通った山道の歴史を知りたかった。
 結果は昭和初めまで使っていた山道で、多くの旅人が通っていた。
 しかし、松浦武四郎と菅江真澄は海岸の岩場を通っていた。
 馬でも通行困難な岩場を彼らは通っていたのだ。
 松浦武四郎は絵も残していた。
 松浦武四郎はここを歩いた
 サンタロナカセは伝説だった。良くある夫婦と子供の3人が居て、三太郎が漁に出たまま戻らなく、嫁と子供が毎日海に出て待っていたら、岩になってしまっという話しだ。
 でもその伝説を「トンネル」の名前に「サンタロトンネル」と付けた役所の頭は硬くなかったと好評だったそうだが・・。
 これが岩になった嫁か子。他に一つある。
 帰りは歩いて来た。気温が+2度なので暖かい。
 少し急いだら汗が出るほどだった。
  家で資料の整理をしていたら、台湾から里帰りの姪っ子がいきなり部屋に入って来た。
 「おじさん!いくらチャイムを鳴らしても出ないんだもの!」
 うちのチャイムの音は妻の部屋でなるので、ラジオを聞きながら仕事をしていると聞こえないのだ。
 用事はインターネットを使いたかったのだ。
 実家の回線は遅くて、ストレスが溜まるので私の所に来た。
 確かに遅のだ。1回クリックしても画面が変わるまで凄い時間が掛る。
 彼女はモバイルノートを持って家から走って来た。
 彼女は台湾でフルマラソンをしていて、賞金レース(台湾では多い)に出て時々稼いでいる。
 運動靴も持って帰国していた。
 メールチエックしてから、また雪の中をパソコンを持って走って帰った。
 走る事は何とも思っていない。
 以前は一緒に走った事もあるのだが、私が最後にラストスパートを掛けたら、「おじさん少し早くなったね。どうしたの?」と聞かれてしまった。
 ラストスパートには程遠かった。
1月24日(月) ポール造り・スケート・入れ歯修理
 朝に歯医者に電話を入れて歯の修理の予約を取る。
 入れ歯の1個が欠けたのだが、その内と修理と思っていたら、昨日もう1本が欠けて2本になった。
 これはもう格好が悪い。修理しなくてならない。
 午後3時の予約なので、ポール造りをやる。
 先日の山行でカメラ撮影用のポールを思い切り力を入れて使ったら曲り、さらに折れてしまった。
 そこで今度はスキーのポールを使い。
 飛び出す金属棒を固定する構造も変更する。
 午前中一杯かかって構想から、製作まで何と終わった。

 金属棒は撮影の時は出して土や雪に差し込む。
 そうすれば、簡単に写真撮影が可能だ。
 山の場合3脚は大きくないと、笹や雪があり使えない。
 これだと刺して直ぐに使えるので便利だ。

 これが金属棒を出した状態。ポールを立てて刺しグリップ部分にカメラをセットする。
 今回はスキーのポールに金属棒を付属出来るのが特徴だ。
 これでOKだと、山用のポールにも取りつけ可能になる。
 これが最終的な姿になる。今回の改造で一歩近づいた感じだ。
 午後になって台湾から来ている姪っ子と子供達とでスケートに行く。
 受付でシルバー料金300円を払う。
 その場はそれで終わったのだが、後から係の人がスタンプカードをもう一度貸してくれと言うので、差し出したら平日はスタンプが2個付くそうだ。
 これで5回になり次回は無料だ。
 平日なのと学校が始まったのでリンクはガラガラだった。
 貸し切り状態だった。氷は最高のコンデションだった。
 4歳のYOUTATSUと滑る。
 手をつないで滑っていたが、時々は1人で滑らせるようにした。
 すると転ばないで滑れるのだ。
 だんだん滑るスピードも早くなり、もうすっかり慣れてしまった。
 まだ2回でこんなに滑れるとは凄いなと感心した。
 スケートも終わって我が家で寛ぐ
 終わって歯医者に行く。
 修理は待ち時間を含めて1時間で終わった。
 これでいつまで持つのかな。
1月23日(日) サンタロ山道を行く

 今日も旧道歩きをする。
 気温は最高で0度なので、風は少し冷たかった。
 今日の旧道は、名前は無いのだが、下のトンネルが「サンタロトンネル」なので、取り敢えずは「サンタロ山道」で良いのだろう。
 このサンタロは人名なのだろうか。他にサンタロナカセ岬がある。
 後で調べておきたいものだ。
 2500分の1のマップを持つ。
 登り口は神社の左側になっている。

 でもこの道が分からない。それに法の工事やコンクリートの崩れ止めなどがあって登りにくい。
 尾根の反対側の沢に家があるので、そこを行こうと思った。
 道を歩いていたおばあちゃんに聞いたが、行けないという。
 まあ兎に角尾根に登れば良いだろうと考えた。
 沢に入って行ったら、右手の土手に道らしきものが見えた。
 そこを登る。
 木につかまって登るが急でなかなか上がれない。
 コースを何度か代えてようやく上った。
 道は一部で繋がっていなかった。
 仕方ががないので、尾根の左側にある道を探してうろつく。
 するとあった。深く掘れた道が出て来た。
 どこから来ているのか一度下まで下がる。
 一番奥の物置きの傍の杉林がスタートだった。
 いつの時代かに道が変わったのだろう。
 相当深いので、本道に間違いないだろう。
 良い感じの旧道だ
 この道を登る。深い道はジグザグになって徐々に高度を上げて行く。
 道はいわゆる「うとう」が続きなかなか良い感じの旧道だ。
 しっかりした道が付いている
 途中からは雪が深くなり、スノーシューを付ける。
 ピークが近くなったら笹が密集していた。
 ピーク手前は笹が多い
 夏時期だと笹に悩まされそうだ。
 やがてピークに着く。GPSで128mだった。
 ここからは平坦な道を進む。
 三分岐が出て来る。中央が一番深い道だったのでそこを暫く行くと、細い尾根になった。
 三分岐・・中央を行ったが道は無くなった
 これは違うなと、右手の道を進む。
 道には鹿の足跡や寝床が至る所にあり。鹿が数頭走り回っている。
 軽快で良いなと思ってしまう。
 甲高いピーという声も聞こえる。
 鹿の寝床は沢山あった
 平坦な道も途中で道がはっきりしなくなる。
 これは北電の送電線工事で、道が改良されたため消えてしまったのだろう。
 下りの道
 しばらく感を頼りに行くと、また旧道が出てきたりする。
 そんな事を何度か繰り返して、市街地に降りる道が分かった。
 豊浦市街地に出る手前で
 着いた所は、トンネルを迂回した道なので、ひっそりして車も通らない。
 ケンタロナカセ岬を通る。この辺りは岩盤を削って作った道なので、大変な工事だったのだろう。
 もしかしてケンタロナカセは工事の厳しさから来るものなのか。
 スタートからピークまで35分
 ピークから豊浦市街地まで60分
 豊浦市街地から日浦市街地まで40分
 スタート地点に戻り、車で自宅に向かう。
1月22日(土) 買い物&スケート
 昨日、台湾から姪っ子が子供二人を連れて、里帰りをしたので迎えにいった。
 少し遅れて到着。
 みんな変わらず元気だった。
 元気に来日した、祐華とYuutatu
 姪っ子の実家に一緒に行く。
 早速張祐華(長女)は学校の試験の結果を見せる。
 点数は99手点で申し分ないのだが、その内容に驚いた。
 これが小学2年生の問題。レ点は正解だそうだ。
 漢字が半端ではない。日本人の大人と一緒の漢字を小学校2年生がすらすら読めて書けるのだ。
 これには驚いた。日本は叶わないと直感的に思った。
 他に会話は日本語、中国語も勿論、英語も出来るのだ。

 昨日の帰りに自分のバッグやお土産を忘れて帰って来た。
 もうボケが始まっているのだと思う。

 忘れ物を取りに行ってから、ユニクロに行こうと思っていたが、姪っ子も行くと言うので一緒に買い物。
 台湾にもユニクロは有るのだが、日本より高いそうでこの機会に沢山仕入れていくそうだ。
 私は速乾性で汗を書いても冷えないという、アンダーを2枚購入した。
 冬山で汗をかくと体が冷えるのでその対策だ。
 一度家に帰ってスケートに行く。
 姪っ子と長女の祐華

 ローラーブレードをやっているので直ぐ慣れた

 YUUTATSUは初めてのスケート
 台湾の子供にとっては初めての経験だ。
 祐華はローラーブレードをやっているので、直ぐに慣れて来て滑れるようになった。
 4歳のYUUTATUは大丈夫かなと思ったが、スケートを履いて歩いて来た。
 そして氷に上ったら、流石に滑るので、左右を姪っ子と私で手をつないで滑る。
 しばらくしたら、1人で少しづつ滑り始めた。
 こんなに簡単にいくのだとびっくり。
 中学生のお兄ちゃんに、俺は4歳の時は全然駄目だった。
 この子は上手い誉められてしまった。
 雪の無い台湾っ子にとっては本当に面白かったのだろう。
 また滑りたいと言っていた。

 昨日貰ったお土産は、自転車の空気入れと後部のバッグだ。
 姪っ子の旦那が勤務するメーカーの物だった。
 空気入れはカーボンで超小型だった。ここまで来たのかと言う感じだ。
 こんなに小さく軽量化も出来ている
 バッグはシートポストに付けるもので、硬質のバッグでこれもしっかりした作りだった。
 造りがしっかりしたバッグだ
 中は物入れだ
 いつも色々貰ってばかりだな。
1月21日(金) 感動の原木〜日浦山道
 次回の旅の視野に入っている、松浦武四郎の「東蝦夷日誌」を歩くための旧道調査を始めた。

 今回行ったのは原木町〜日浦町に抜ける山道だ。
 現在は日浦トンネルがあり、難なく通れる国道278号線が走っている。
 その以前は日浦岬を回る車道もあって、現在は通れないが道としては残っている。
 今回行く道はまだ詳細は調べていないが、それ以前の道だと思われる。
 明治及びそれ以前の主要道路である事は推定できる。
 雪の中車で出発。
 積雪で駐車する場所が無く苦労したが何とか止めて出発。
 平地での雪は多くは無いが、スノーシューも持つ。
 原木川の傍に来たら、年配の方が歩いていて、道を聞いたら直ぐに分かった。
 昔から歩いている道だと教えてくれた。
 沢に沿って進む。
 直ぐに今でも落ちそうな簡単な板橋があり、ここを慎重に渡る。
 壊れそうな橋が出て来る
 そこから上に向かって道が付いていた。
 2度ほど曲ると道が2つに分かれる。
 迷うが溝の深い方に進んだ。
 道はやがて細くなり、トラバースしている。
 この道は違うなとなったが、もう少し行こうと進んだら貯水槽があった。
 ここに行く道だったのだ。
 仕方がないので、一気に上に登る事にした。
 ピーク近くまで行ったら、深く掘れた道が出て来た。
 この雰囲気は大好きだ
 多くの人馬が歩いた道はU字型に掘れて、いかにも旧道だと感じさせる。
 こんな雰囲気の中を歩くのは大好きだ。
 長野ではこの様な道を「うとい」と呼んでいる。
 このうとうの中を進む。
 雪が深くなったのでスノーシュで歩く。
 振り返れば武井意ノ島が眼下に見える。
 道は所々、はっきりしなくなるが、感を頼りに進む。
 大分進んだ所で、219mのピークに向かう。
 吹雪きになって来て、武井ノ島も全く見なくなってきた。
 一気に気温が下がった様な感じだ。
 道は無いが、スノーシュなので楽に進む。
 ピークに達した。ここに北電の蓄電池施設があった。
 他にも建物があるので行って見た。
 その付近には無数の足跡があった。
 足跡がびっしりあった
 人の足跡? 熊は冬なのでいないだろうし・・。
 さらに行ったら、動物が寝た跡があちこちにある。
 さらに糞もあった。これは馬だと分かった。
 着いた所がNHKの日浦テレビ中継場だった。
 この建物の陰に馬が2頭いた。
 馬が居た
 冬でも放し飼いにしているのだ。下北半島の寒立馬は有名だが、ここにもいたのだ。
 三角点は見えないので、直ぐに下る。
 下りの方向に車道があった。でも何処に出るかはっきりしないので元の道に戻る。
 遠くに恵山が見えた。
 恵山もはっきり見えた
 下ったら北電の施設があった。
 ここから下る。少し下ったら車道が分かれていた。
 先ほどの道と突き当たった。
 ここから下る。
 もう車道しかないのかと諦めていたら、旧道が出て来た。
 下りの一部も旧道があった
 車道を作ったが、旧道のここの部分は急なので避けたのだろう。
 入って行ったら、いきなり角が立派に生えた大きな鹿がいた。
 鹿は驚いて走ったが、角が枝木にあたり、ばりばりと凄い音を出して行った。
 さらに下ったら鹿のピーと言う甲高い声が何度も聞こえる。
 不審者が来たという合図なのだろう。
 これも良い感じの道だ
 再び車道に出て、後は市街地まで下った。
 ここから、再び山道があるのだが次回にしよう。

 最高に良い気分で歩けて満足だ。
1月20日(木) 吹雪きだ〜
 今日も一日中雪が降っていた。
 何度かの除雪を行う。
 後はひたすら紀行文を書いていた。
 ようやく新潟から米沢十三峠になって来た。
 写真を見ながら書いた日記と身比べて進めるが、なにせ記憶がはっきりしない部分も出て来る。
 この峠を越えた時は32度あって、そんな中を自転車を押して連日峠を越えていた。
 押すのに夢中で景色も覚えていない所もあるのだ。
 そんな事で紀行文の進度はぐっと落ちる。
 それでも毎日やっていればいつかは終わるだろうと、改めてパソコンに向かう。
 吹雪の日には部屋で旅の思いに浸って、書き物をするのも良いかもしれない。
 米沢十三峠の一つ榎峠
 それでも午後から吹雪の中を妻と出かける。
 ウィンドウショッピング数ヶ所してから花の湯温泉に入る。
 いつもは混んでいる温泉も今日は空いている。
 お年寄りは出て来るのは大変だよね。
1月19日(水) 健康サロン&旅人来る
 今年度初の健康サロンin明和園。
 今日は太極拳やストレッチ体操、マット運動を行った。
 昨日は山に登り、雪捨ても行ったので体が疲れていたが、じっくり運動をしたのですっきりした。
 いつもの350円の昼食を頂いて帰宅。
 いつも美味しい昼食
 家に着いたら電話が入っていた。運動中に入っていた。
 折り返し電話したが繋がらず、少しして再び電話が来た。
 山形県寒河江市の荒木さんからだった。
 荒木さんは「自遊旅」に宿泊しているし、私も昨年の旅では宿泊させて頂いた。
 JRのフリー切符で東北を回っていたが、函館まで来てしまったそうだ。
 同じくフリー切符で回っていた、福島県の斎藤さんも席が隣同士になった縁で函館まで来た。
 早速駅に車で駆けつけ、観光をする事になった。
 まずは雪の五稜郭公園。流石に観光客は少なく、アジア系の人がいた程度だった。
 荒木さん(右)と斎藤さん

 箱館奉行所の上の雲には夕日が照っていた。
 その後西部地区に行く。
 公会堂、八幡坂、ハリストス正教会、聖ヨハネ教会、西波止場などを回ったが、何処もライトアップされていて綺麗だった。
 函館写真歴史館の上には月が出ていた

 塗装も新たになりライトアップされたハリストス正教会

 こちらは聖ヨハネ教会

 西波止場は人も少なかった
 その後、居酒屋「ココ」に行き歓談。最後は我が家の近くのラーメン店「北浜商店」で終了。
 その後、斎藤さんが「自遊旅」を見た事が無いので見学してからホテルに送る。
 みんな旅人だ。会いに来てくれたのは本当に嬉しかった。
 荒木さんは今年の夏も北海道を走るので又来てくれるだろう。
1月18日(火) 川汲山道散策&清水山登山道探し
 昨日はサッカーを見たので寝るのが遅くなったので、あさは6時に起きた。
 直ぐに紀行文の執筆を行う。
 今日書き終えて旅の32日目を書いた。残りは47日分ある。まだまだあるな・・。
 本州の地理に疎いので場所の確認に時間が掛る。
 朝食後、天気も良いので川汲山道(本道)の様子を見に行く。 
 冬以外は登っているが、真冬の写真は無いので撮ろうと出発。
 気温が+1度くらいなので車道は溶けていた。
 川汲新トンネルを出て直ぐのスペースに駐車して出発。
 新山中橋から山道に入るが流石に雪は多い。
やはり雪は多い
 いきなり吹きだまりの斜面をトラバースするが、膝上10cmくらいの積雪だ。
 雪は粉雪で軽い。急な個所では足が滑り落ち、なかなか前には進んでくれない。
 それでも時間を掛けてゆっくり登る。
 沢を行く
 写真撮影も目的なので冬の山道の写真を撮りまくる。
 でもまだ積雪は1m位あるようだ。
 ストックがグリップまで埋まる。
 箱館戦争の時も積雪が1mだから同じ様な条件だ。
 でも当時の装備でこんな所を登って行けるのだと感心する。
 沢を暫く登った所で山側に迂回するのだが、ここは急斜面になっている。
 夏でも手が付きそうな斜面を登ると、スノーシューもグリップ出来ず、何度やっても上って行けない。
 ここは35度くらいはある
 雪が軽いのでグリップ出来ない。
 ストックを突いて登ろうとしたが折れてしまった。
 ポールが曲り折れた
 仕方が無く今日はここ迄で戻る事にする。
 
 帰りに清水山に登る。
 今月1度登ったのだが、その時は急斜面を直登して登った。
 ただ山に登るだけならそれでも良いのだろうが、登って帰って来て坂口さんの登山記を読んだ中に、近くの方が昔は登山道があった様な事を言ったと書いてあった。
 それが気になっていた。
 旧道や山道歩きを活動としているので、山の頂上に登る以上に道に興味がある。
 家を出る前に航空写真を見ながら、沢沿いに道らしきものが見えるので、そこを調べて見ようとなった。
 現地に行って沢に入ったが、本当に沢その物で登山道では無かった。
 周囲を何度も歩きまわる。
 そうしたら道が出て来た。
 下の方は笹が出ているが道ははっきり分かる
 それ程掘れてはいないが、長年の旧道調査の直感で分かる。
 その道を辿る。
 鹿の寝床もあった
 道は急斜面に付いているのでジグザグになって登っている。
 尾根のピークまで来たら沢と合流した。
 上になると道ははっきりする
 この道は二つに分かれ、下って行く道と清水岳山頂に向かう道がある。
 道は確認出来た。
 その他に沢の傍に深さ1mくらいの人工的な溝が下に降りている。
 急斜面に真っ直ぐにある道?なのか
 これも登山道なんだろうか。
 下りて行ったら、沢の下で合流した。
 先人が造った登山道は存在していた。
 今月、清水岳登山を頼まれているので、この正規のコースを使おう。


 赤いコースが正規の登山道(GPSを持たなかったので概略です)
1月17日(月) 知内から帰宅
 民宿「まこちゃん」の部屋のストーブは能力が大で暑い。
 最低設定温度16度にしても、暑くて部屋に居られない。
 冬なのに窓を開けなければならない。
 朝はいつも通り4時には目が覚めたが、妻も寝ているので電気を点ける訳にはいかない。
 LEDライトを持ってくれば良かったと後悔。
 それでも5時まで我慢して、トイレに行くと妻も目が覚めた。
 電気を点けさせて貰い本を読む。昨日から箱館戦争の本を、ここの主人から借りて読んでいる。
 最後まで読み切りたいので、ピッチを上げて読む。
 何とか最後まで読めた。
 時間は8時になっていた。 

 起きて朝食。
 朝食の後、 主人に、私の好きな漢詩「渡海」を筆で書いて貰った。
 主人もお母さんも書道は2段なのだ。

 また詩吟は教授の腕前なのだ。
 教授の免許
 漢詩を書いて貰う。2段の腕前だ
 仙台額兵隊隊長の星恂太郎が鹿部に進攻する際に読んだものだ。
 11までコーヒーを飲みながら話しをした。
 その中で、知内では祭りの時に青森ねぶたをやっているそうだ。
 もう30年の歴史があるそうで驚いた。
 誰でも参加出来るそうなので、今年は来ますとなった。
 毎年8月14日は、地元出身北島三郎のステージがある。
 今年は50周年記念で盛大にやるそうだ。
 同じ日にねぶたも行われる。
 楽しみが増えた。
 すっかりのんびりして、吹雪の中を函館に向けて走る。
 雪が凄い降った。特に今回行った知内は積雪量が多い。
 函館に着いたら暖かくて雪が溶けていた。
1月16日(日) 知内訪問
 今日は知内に行く事になった。
 1つは「ゆとらぎ温泉」の抽選券がある。温泉に入りながらこの抽選会に参加しよう。
 そして「土方歳三の道」を歩いた時に世話になった民宿「まこちゃん」に宿泊しようとなったのだ。
 11時に函館を出る。
 途中の木古内で昼食を摂る。
 駅前にある食堂「急行」だ。
 如何にも駅前食堂

 今は焼きそばしか作っていない

 店の中は焼きそばの看板だらけ
 まだ鈍行しか走って居ない時に早く急行が走れば良いなと言う事で命名した。
 それが今では新幹線が青森まで開業。
 間もなく函館まで来る時代になった。
 その食堂は今は、焼きそば1品しか作っていない。
 場所は如何にも駅前食堂といった感じで、駅前の角にある。
 店に入って焼きそばを注文。
 出て来た焼きそばは妻が「うちのばあちゃんが作ったのと同じだ」と言うくらいレトロな焼きそばだった。
 店の奥さんが「何処から来たのですか」と聞く。
 やはり地元で無い事は直ぐに分かるのだろう。
 「函館から来た」と言ったら凄く喜んでくれた。

 その後温泉に行く。
 夕方の抽選までは5時間30分ある。
 何回も湯に浸かり、書いている紀行文の校正も出来た。
 後は本を読んで過ごす。
 抽選会
 やがて抽選。特賞は液晶テレビ、他には蒸気オーブン、デジカメなどなど。
 近くの番号は出るがなかなか当らない。
 結局「賞金1万円」が7375で持っている7378とは3番違い。
 これが一番近かった。
 それでも今日の抽選会に来た人にはティッシュボックスが5個プレゼントされた。
 民宿「まこちゃん」に行く。
 遅い夕食を食べる。妻にはビールのサービスも有った。
 9時まで話して部屋に戻る。
1月15日(土) 観音山の仮砲台跡か
 今日は最高気温が-2度、最低気温が-9度と寒い。
 天気は良いので、午前中はスケートに行く。
 孫と一緒に滑るのに、リサイクルショップで購入したのに、1回しか滑らないならもったいない。
 高齢者料金(もっと違う言い方が無いのかな)300円を払って滑る。
 まだスピードは思い切りと言う訳にはいかないが徐々に慣れて来た。

 帰って来て食事後、函館山に行く。
 観音コースを登る。先日は途中まで降りて来たが、車の置いた場所が観音コースで無かったので、途中から車道を降りた。
 今日は称名寺の33番観音から登る。
 目的は箱館戦争の時、新政府軍が観音山に仮題場を設けた。
 そこから弁天台場を砲撃し、水甕を破壊して水が無くなって苦労している。
 その仮砲台跡は今でもあるのだろうか?
 観音コースは登った事はあるが、まだ箱館戦争には取り組んで居なかったので、何も考えずに登っていた。
 今回は仮砲台探しが目的だ。
 称名寺の墓の中は雪が凄く積っている。
 いきなりスノーシューで歩く。
 観音コースは歩いている人も居るようで、足跡が付いている。
 曲がりくねった斜面を登り切った。
 そこは最初のピークだった。
 見たら、人工的な直径5m程度の穴がある。その穴の周囲は高さが1m位に周囲が掘られている。
 これは仮砲台ではないか。
 弁天台場の跡に出来た函館どっくが良い感じで下の方に見える。
 ここからの攻撃なら最高のポジションだろう。
 このピークの先は平坦になり、さらに斜めに道が続く。
 どう考えても仮砲台になりえない。
 間違い無くここが仮砲台跡だろう。
 直径5mくらいの穴がある

 周囲には土塁の様に1m程度掘られている

 弁天台場跡のどっくが良く見える
 調査も終えて登ったら、上から集団が来る。
 私のスノーシューを見て、この先も靴で歩けるよとおばちゃん。
 でも道で無い所に入るから、スノーシューなんだよと言いたかったが止めた。
 次に来たおばちゃん。「かんじきだ!良いな来年買おう」
 リーダーらしき男性も「スノーシューですか?」
 兎に角賑やかな団体だった。
 10人くらい下山して来た

 記念撮影
 さらに観音コースを登り函館山頂上まで行く。
 太陽の光が雪で真白な市街地を射しきらきら輝いている。
 町は真っ白だった
 寒いので早々に元来た道を下る。
1月14日(金) 瑞葵が釧路へ帰る
 瑞葵が初めての一人旅でやって来て、もう1週間が過ぎて釧路に帰る日になった。
 今まで快調におしゃべりしていたが、帰る頃になると無口になって話しはしなくなった。
 帰る寂しさを懸命にこらえているのが分かる。
 以前だったら泣いて、別れたくないと言っていた。
 でも来年小学校に入る歳になったので、泣きはしないがじっと堪えているのが分かる。
 少しずつ成長しているんだ。
 函館空港に行く。
 子供の場合は手続きが色々あって、書類を書かなくてたならない。
 迎えに誰が来るのかなどを記入して搭乗手続きになる。
 妻の妹夫婦も見送りに来た。
 4人も居て盛大な見送りだ。
 友達へのお土産や友瑛、愛葵へのお土産も買った。
 それらは手荷物にして気内に持って行く。
 送っても良いのだが、やはり迎えに来た時に渡した方が受ける方も入れしいだろう。
 でも愛葵はまだ1歳にならないから分からないだろうが・・・。
 手荷物検査を通って行く。
 子供の場合は1人一緒に入って行けるので、妻が入って行った。
 そして一番遠い6番ゲートに向かった。
 雪のあるデッキに出て見送る。
 外はかなり寒い。
 プロペラ機のYS11は滑走距離が少ないので、あっという間に上昇してしまう。
 そして雲の中に入って行った。
 今度会えるのは3月の卒園式だ。
 搭乗手続きをする

 妻の妹の写真撮影にピースサイン

 ポーズしてみた

 YS11の飛ぶ釧路線は3月で廃止になる

 今日、アマゾンに注文していた本が送られてきた。
 「アイヌモシリ紀行」という本で、松浦武四郎に関する本だったが。
 中味を見たら松浦武四郎の、「東西蝦夷日誌」にもとづいて、歩いた人の本だった。
 さっと読んだが、やはり旧道はあまり歩いていなく国道中心だった。
 これは面白そうだった。
 今度は松浦武四郎の旅なのか?
 北海道の色々なコースを歩いているので、次の目標には良いかも知れない。
 もっと当時の旧道を歩けば面白そうだ。
 ストリーのある旅がまた出来そうだ。
 道南の旧道は大分判明したが、他の旧道はさらに調べる必要がある。
 松浦武四郎や間宮林蔵が次の旅の目標かな?
1月13日(木) 大野文保研例会
 今年初めての大野文保研の例会が行われた。
 いつものメンバーが集まり、会長から新年の挨拶と報告が行われた。
 今年もほぼ例年通りの活動なのだろうか。
 何か小さくとも新しい一つのテーマを設定して、活動して行けばもっと面白いのだろうが、それも難しいのだろう。
 報告で有難いのは、新聞報告の中に出て来る函館新聞の記事だ。
 北海道新聞しか購読していないので、函館新聞の記事は読んでいない。
 函館新聞の記事で、函館史跡顕彰会から、「新選組最後の地」の石碑が、入船児童公園に設置される予定とあった。
 これも新選組ガイドの時に使わせて貰おう。

 「土方歳三の歩いた道」の製作本を紹介もさせて頂いた。
 会員の方から販売しないのかと言われたが、今回は図書館に寄贈のみとしたいと言った。
 でも希望があれば個人販売もしなくてはならないのかな。
 我が家のプリンターは頑張ってくれるかな?
 帰りに寄った郷土資料館でも本を置きたいと言われた。

 会員の方からイザベラ・バードに関する週刊新潮の記事を頂いた。
 内容的には少ないが、バードの旅の内容の本の一部分のみなのでこれがバードの旅だとなったら誤解を招く。
  記事では3等車で旅したとなっているが、汽車は、明治5年に新橋〜横浜が仮開業しているが、バードを旅した北海道日高までの道程は馬か人力車だった。バードの旅した、明治11年の日本の状況を考えれば分かる。


 「土方歳三の歩いた道」の執筆も終わったので「街道の旅の」紀行文の執筆のピッチを上げる。
 79日の内、23日分の「羽州浜海道・千国街道(塩の道)」は完成した。92ページになった。
 残るはイザベラバードの旅だが、残り56日分あるので全体で300ページになりそうだ。
 旅でお世話になった方にお礼として進呈するのだが、まだまだ執筆は時間がかかりそうだ。
1月12日(水) 寒い日は閉じこもり
 最近随分寒い日が続く。
 当然真冬日だ。今日は一歩も外に出なかった。
 執筆に専念する。
 そして疲れたら新聞を読んだり、本を読んだりとする。
 新聞記事に「松浦武四郎に脚光」との見出しがあった。
 彼の歩いた道は、私の次の旅の候補にも入っているので、興味深く読んだ。
 本州では彼の企画展が大阪・名古屋・東京で開かれている。
 最近は幕末というタイトルに、興味を引かれる人が多いようだ。
 彼の歩いた北海道の詳細は「渡島日記」などに残しているので、歩きくには好都合なテーマだ。
 彼が絵を書いた場所と同じ場所で、絵を描きながら歩く旅も良いかもしれない。

 夕方妻と瑞葵でスィーツを作る。
 名前は瑞葵に何度聞いても分からない。
 1つめのシホン?が出来た。
 妻がスーパーに足りない材料を購入に行っている間、瑞葵が何を思ったのかシホンを切り始めた。
 それが上手く行かないで可笑しな形になってしまった。
 妻が帰って来てクリームで何とかつなぎ合わせた。
 他にもショコラ?などを作った。
 私のとっては甘い甘いスィーツだ。
 可笑しな切り方になった

 コーナーが出来た。1人70グラムらしい

 つなぎ合わせて何とか体裁は良くなった

 これが今日のスィーツ

1月11日(火) 山道サミットが行われる
 今日の北海道新聞に「山道サミット」を札幌で行うと言う記事があった。
 主催者の伊達さんは4年前、旧道の松前願掛沢を歩く会で知り合った。
 その後パソコンにメールを入れても繋がらなかったが、今日の新聞で元気にやっている事が分かった。
 そして道内の5個所の山道関係者を集めて、「道内山道サミット」を行う事になったようだ。
 4年前に会った時に、何れサミットをやろうとの話しがあったが、その時は私の調査はまだまだ初期の段階でサミットと言われてもピンとこなかった。
 それから4年経った今、私も道南の旧道を調査し続け何とかその全容を調べ上げ、「土方歳三の歩いた道」として本にしたばかりだった。何かタイミングが良いな。
 伊達さんも77歳になってまだ元気に山道を歩いている。元気だな〜。
 3月には札幌に行って参加しよう。

 今日は雪が降っているので、瑞葵は外で遊ばないとなったので、パソコンに向かって執筆をする。
 時間も十分あったので、「羽州浜海道」と「千国街道(塩の道)」を仮完成した。
 後は文書の校正をしなくてはならない。
 さらに旅のコースマップも作る。
 残るは「イザベラバードの道」だが、こちらはこれからスタートする。
 毎日バードの「日本奥地紀行」読んでいる。バードの見た景色と自分の旅で見た景色や感じた事を対比させるためだ。
 何度読んでもバードの紀行文は迫力があり面白い。
 
 夕方瑞葵が髪をカットすると言うので美容室まで送って行く。
 髪がすっきりして戻って来た。
 アフターの写真を撮る。

 目に入っていた髪もすっきり
1月10日(月) 函館4日目はだらだらの1日
 昨日のスケートの疲れか、瑞葵は今日はスケートには行かないとなった。
 そこで瑞葵を車に乗せて、義理の妹の所に行き、妹の四国お遍路用航空券の支払いをローソンで行う。
 初めてローソンチケットの支払いをする妹に教えながら支払い手続きを完了。
 今年のおみくじは「思い切って旅に出よ」との事なので張り切っていた。
 一人旅で50日は、やはり心配事が多いのだろうが、終わった後はきっと一回り成長するだろう。
 その後、我が家に戻り、皆で昼まで歓談する。
 午後からは、「土方の歩いた道」の本の印刷をする。マゼンダの調子悪いので、なかなか上手く行かない。
 インクの出が悪いとインク.comにクレームを付けたら無償で送ってくれる事になった。
 他のインクに取り換えて印刷する。
 完成した本だが、表紙が地味なので少し目立つように変更した。
 こんな表紙にした。
 今回の本は一般販売するのを止めた。
 印刷や製本の手間が大変なので、市町村図書館や道立図書館などに寄贈して終わりにする。
 個人でどうしても欲しい方にのみ印刷する事にした。
 公的な機関に置いて貰えれば、私の後にも調査をする人が現れた時に、一からのスタートでは無く調査出来るので効率が良くなるだろう。
 まだ細部については調査の余地があるので、続いて道の調査をしてくれる方が現れてくれれば良い。
1月9日(日) 函館3日目はスケート
 今日はスケートに行く事になった。
 家から5分程度の函館競輪場のトラックの内側がパイプリンクになっている。
 駐車場は車で一杯だった。そうか今日は日曜日だ。
 初めてのスケート場なので要領が分からない。
 まずは入り口で入場券を買う。
 妻が窓口で
 「大人1枚と子供1枚下さい」と言う。
 「子供は何歳ですか?」
 「幼稚園です」
 「大人の方は何歳ですか?」
 「57歳です」
 え〜まて〜、私は67歳だぞ!
 57歳だと入場料が600円かかる。
 妻が慌てて訂正した。 
 「67歳です。若く見えたものですから・・・」
 まあ間違っても良い方に間違ったから許すか。
 靴を履くが、私の様なスピードスケートは誰も居ない。
 皆フィギヤの様なくるぶし迄あるハイカットの靴だった。
 スケートも短い。
 履いてリンクに出る。50年ぶりの氷の上だ、。
 瑞葵は今季3回目 慣れて来るとうまく滑れる
 私は、そろそろ滑りだすが、ぎこちなく前には進んだ
 瑞葵はまだ滑るより、歩いて少しは滑りだす程度だった。
 何週かするうちに昔の間隔が蘇って来た。
 片足に長く乗って滑るのだが、クロカンスキーをやっていたので違和感は無い。
 徐々に片足で滑る距離も長くして、手の振りを加えたら、良い感じで滑れるようになった。
 後は慣れていないので足首が疲れる。
 瑞葵もスムースになって来たが、もう止めようとなり5周くらいで、今日は終わった。
 300円で入場出来るので良いトレーニングになりそうだ。
 レンタル靴は300円だった。1000円のリサイクル品なので4回で元が取れる。
 これからも来ようと思ってしまった。 

1月8日(土) 函館2日目はかまくら作り
 瑞葵がなかなか起きてこないと思って行って見た。
 妻と二人でベッドに入ったままで、ゲームをしていた。
 お母さんだと叱られるが、おばあちゃんは甘いので、それ程叱られないので、長くゲーム遊びをしてしまう。
 スケートに行く約束も、妻の妹が来て、びっくりドンキーのハンバーグを奢るよと言われ、スケートよりハンバーグになってしまった。
 帰ってかまくら作り。雪が少ないので、それ程大きいのは出来ないが、形だけは出来た。
 疲れる〜。

 雪を叩いて固める
 中の雪を取り撮だす
 一応かまくらは出来た
1月7日(金) 瑞葵初めての一人旅
 今日は孫の瑞葵が釧路から1人で飛行機でやって来る。
 初めての一人旅になる。
 親は何かと心配する。昨日から吹雪いているので、飛行機は到着できるのか?
 もし他の空港に降りたらどうしようなどなど。
 空港に行く前に、リサイクルショップに行く。
 明日からスケートをやるのだが、レンタルスケートを何日も借りるのは勿体ない。
 そこでスケート探し。
 あるある沢山ある。価格は安い。サイズの合ったのを履いて見たらぴったりだ。
 価格は1050円だった。
 1050円で買えた
 そして空港に行く。予定通り到着した。
 スタッフのお姉さんと一緒に出てきた。
 お姉さんと一緒に
 もうにこにこ顔だった。
 妻を見つけて走り寄る。
 無事到着
 そこに妻の妹夫婦もやって来た。瑞葵は大歓迎を受けた。
 「どうだった?」「全然楽しかったよ」「窓から雲が見えたので乗りたかった」「函館に来て良かったと思っている」
 などなど話しは機関銃の様に続く。
 皆なに迎えられて
 家に帰る途中、どんどん焼きに行く。一般的には1月15日なのだが、函館は1月7日なのだ。
 亀田八幡宮に行ったら、もの凄い人出で、車は入れそうにない。
 そこで大森稲荷神社に行く。こちらは車も止められて良かった。
 どんどん焼きで無病息災
 しめ飾りを焼いた後、参拝しておみくじを引く。
 筒から棒を取り出して、棒に書いている数字のおみくじを貰う。
 そうしたら、何と1番の棒を引いた。
 おみくじと交換したら「大吉」だった。こんなの初めてだ。
 1番とは・・・
 妻は「中吉」、瑞葵は子供おみくじで「小吉」だった。
 私の運勢は、
 金運=思わぬ利益あり。
 旅行=旅立ち良し 楽しみあり
 事業=金運あり
 願望=御神助により 願い事は叶う
 恋愛=純心で明るい愛情はお恵みにより成就します
 方位=南 数字=2と5
 などなど良い事ばかりだった。
 夕方温泉に行ったら、珍しい人に会い、しばらく話す。懐かしい。
 家に帰って妻の誕生祝い。
 沢山頂きました
 一日が無事終わった。
1月6日(木)  寒い一日&誕生日祝い完成
 北海道は大荒れの天気で、猛吹雪になっている様だ。
 函館はそれ程でも無いが、外は吹雪で気温も真冬日だ。
 外に出たくは無いが、朝1番で除雪をした。
 雪はそれ程積っていないので直ぐに完了。
 その後は、パソコンに向かい「道南の旧道を歩く」のプレゼン資料を作っていた。
 吹雪きは明日の明け方まで続く様なので、心配は孫が函館に来れるかどうかだ。
 明日の朝は気温が-10〜-15度くらいで快晴の予報が出ている。
 快晴で気温が低いと、思い浮かべるのは「けあらし」だ。
 昨年、凄い「けあらし」が出て、100枚くらい写真を撮ったのが、新聞に掲載された。
 明日は日の出前に写真を撮りに行こう。
 昨年のけあらし


 妻の誕生日の品物が揃ったので、100円ショップに行って包装用紙を買って来て包む。
 明日、孫が来れば良い誕生日祝いになるだろう。

 夫婦だけだとテンションの上らない、静かな誕生日になりそうだ。
 ダサイ包装ではあるが・・・
1月5日(水)  孫が初めての1人旅に出る事になった
 妻の誕生日が迫って来たので、プレゼントの買い物に出かける。
 いつも頭を悩ます誕生日プレゼントなのだ。
 家の中に居る方が多い妻に、家の中で出来るものを一式購入した。
 インターネットで探すと、地元では回りきれないくらいの情報があるので、便利な世の中だと改めて思う。
 発注したものは直ぐに届いて、今日は小物を買いに町に出た。
 久しぶりの町は正月も終わり、すっかり平常に戻っていた。

 例年娘夫婦と孫が来るので賑やかな正月だった。
 今年は3子目の愛葵が生まれたばかりなので、移動は出来なく帰省しなかった。
 正月は夫婦二人で静かに過ごしたので、妻としては物足りなかったのか、釧路にいる孫の瑞葵に函館に来ないかと誘った。
 そうしたら直ぐに「行く」となったそうだ。親にも相談して瑞葵の初一人旅が決まった。
 航空会社ではキッズパイロットなどと言うのがあって、子供を世話してくれるそうだが、ローカル線はその様なものは無いそうだが、一応スタッフが面倒をみるそうだ。
 問題は飛行機が天候不順で降りられずに、何処かの空港に着陸した時だ。でもその時はその時だろう。
 瑞葵はまだ幼稚園だが、しっかりした子なので上手く旅が出来るだろう。
 行くと決まったら、直ぐにパジャマは1週間だから7枚必要だとか、張り切って旅の準備をしている様だ。
 7日の午後に函館に来る。
 スケート、スキー、そり遊びなど、忙しい1週間になりそうだ。

 4月からは小学1年
1月4日(火)  新選組作家、釣洋一先生
 珍しいメールが来た。
 東京在住の新選組作家、釣洋一先生からだった。
 一昨年末に、土方歳三の道の冬期踏破をした時の記録が欲しいと言う事で既に送った。
 先生からの返事で、今年の歳三忌の講演で、今回の事を取りあげてくれるそうだ。
 少しでも多くの人に歩いて貰いたいので、講演を聞いて北海道に出かけて見ようと言う人が現れてくれれば嬉しい。
 釣先生は、中山道、東海道、甲州街道、日光道中、会津西街道、米沢街道を実際に歩いていて、本に書き残している。
 さらに、毎日新聞社やクラブツーリズムでもお客さんを連れて案内している。
 今、自分がやる予定の幕末ガイドと考えが重なる部分が多い。
 それは必ず現地に自分の足で行って、歴史の出来事を確認している事だ。

 今、自分がしている事も先生に聞いて、実践している。
 東京に居てはなかなか北海道に来て道を探す事は困難だ。
 そんな時は、現地に居る強みなので、これからも多くの情報を提供していきたい。
1月3日(月)  年賀状返信
 今日は朝から年賀状の返信をする。
 この2年間は喪中だったので年賀状は出していなかった。
 頂いた年賀状の中で、30枚は予想しなかった年賀状だった。
 旅人からの賀状や、観光関係の方からなどがある。
 地域の郵便局は休みなので、本局に購入に行く。
 そして1枚1枚書いた。
 来た賀状を見ると、手の込んだものは、大変だったなと思うと共に、その方の気持ちが伝わって来て嬉しい。
 今日はこれで一日が過ぎてしまった。
 こんな形になった。刃があるのでこれしか出来ない
 スノーシューを簡単にバックパックに付けれる様にしたが、これは便利だった。
 これからの山行に役に立つ。
 重心は下に来ているが、木々の間を潜って行く事が多いので、引っかからずに好都合だった。
 後はべた雪の時に、金具に雪が付かない様にする工夫をしようと思っている。
 ワックスを塗ると言う手もあるようだが、私はスノーシューの底部分にビ―ルのシート(ブルーシートの様なもの)を入れようかと思う。
 金属は雪が着きやすいが、ぴったりしないビニールシートには雪が着きにくいと思う。
 次回の山行の時に試して見よう。
1月2日(日)  清水山登山
 これが清水山


 google earthは3Dなので歩いたコースが良く分かる。
 googlemapにもプロット
 スノーシューをバックパックに、簡単に取りつけるベルトを取りつけた。
 出来あがると直ぐに試したくなる。
 追加したジュラルミンの爪の性能も、試していなので山に行きたい。
 テレビでは箱根駅伝を放映している。
 名物の登りを走る良い場面だった。
 箱根・・山行き・・箱根・・山行き・・と悩んだ末に山に行く。
 山は近いので車で、それ程の時間も掛らない。
 やがて稲本稲荷神社に着く。
 車を神社の前に止めて登山開始。
 道は全く無いので、最初からスノーシューで歩く。
 やがて斜面の取りつきに着いた。
 少しスノーシューで登ったが、余りにも傾斜があるので登りにくい。
 このくらいの斜度が続く
 それに雪も少ないので、スノーシューは止めて、デポして行く事にする。
 10m位進んでは息が上がって一休みの繰り返し。
 斜面には鹿の足跡が無数にある。鹿は斜面をトラバースしている。
 鹿の足跡が無数にある
 真っ直ぐ登っている鹿は居ない。
 海岸に太陽光が当って綺麗
 やがて平な場所に着く。
 ここはピーク手前で頂上では無い。
 頂上まではまだある。
 雪が深くなってきた。
 スノーシューを途中に置いて来たのでラッセルをする。
 雪は膝上10cm位だ。
 久しぶりのラッセルだ。
 20代の若い時は、いつも先頭になってラッセルをしていた頃を思い出す。
 その頃は疲れも知らなかった。
 ここの山は大きな木も無く、短い笹ばかりなので景色が良い。
 函館山、恵山方面、横津連峰、下北半島、白神方面など全て、遮るものが無く見渡せる。
 最後は緩い尾根を歩き頂上に着く。
 木に赤いテープが着いている。
 ここが頂上。赤いテープがあった
 色あせているから相当古いのだろう。
 でも登っている人が居るんだ。
 もの好きだと思うが、今自分もそこに居る。
 頂上からの景色を堪能した後下山。
 釜谷富士方面

 函館山も見える
 下りは楽だ。上部の2/3は全く同じコースを歩く。
 帰った後でGPSの誤差を確認するためだ。
 下りは早い。
 他のピークを良く見ながら下る。
 そうしたら、先日登った釜谷富士からの縦走コースと、繋がる事が分かった。
 面白そうだ。
 下りの急斜面を一気に下って神社に着いた。
 帰ってログデータをgoogle-earthにプロットしたら、かなりの部分が一致しているので十分使える。
 下の方はコースを変えたので、コースは一致していない。
 風も無く暖かかったので、汗も十分出して良い運動になった。 
 楽しい一日だった。
1月1日(土)  元旦は函館山で初日の出
 昨日から義理の妹の家で年越しをしていた。
 夫婦二人だけでやるより、大勢の方が楽しいとなったのだ。
 宴は朝の2時まで続いた。
 その後家に帰って2時間寝て、函館山での初日の出を見るため車で走る。
 酒を飲まなくなったので、いつでも出かけられるのが良い。
 登山口駐車場は車が一杯だったが、何とか1台分キープで来た。
 早速登る。寒くは無く歩けば暖かい。
 道は真っ暗だが、昨年購入した160lmのLEDライトは流石に明るい。
 ネットで探した限りでは国内最高の明るさだ。
 雪も積っているので、一層明るさが引き立つ。
 真っ暗な中、電池も点けないで登っている男性が居たが、流石に歩きにくそうだった。
 途中、7人くらい抜いて千畳敷の展望台に着く。
 仮設トイレで直ぐに下着を着替える。
 これで暖かさはぐっと増す。
 砲台跡に登って日の出を待っていたら、続々と人が来て40名ほどになった。
 7時6分に初日の出が見えた。雲があるので完全な丸形で無いが、眩しい光を見て、今年も頑張るぞと誓いをたてた。
 何とか初日の出が見られた
 下りは汐見コースを一気に下って帰宅した。
 汐見コース途中での朝日

 汐見コースの尾根を行く
 お雑煮を食べて、前からチエックしていた3000円福袋を買いにチャリで走る。
 1万7千円分が3000円。衣類が少ない私にとっては良いチャンスだ。
 ストレッチアンダーの上下とウィンドブレーカー上下が入っている。
 やがて眠くなりベッド入り寝る。

 起きたら年賀状を見る。
 旅人の年賀状が増えて来るので、毎年枚数は増してくる。
 でも嬉しい。多くの友人が居る事は財産だ。
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